渡る世間では睦まじき紳士淑女の方々が薔薇色の恋に身を焦がれ、愛の言葉を囁きあってはキャッキャウフフしている一方で、何だかよく分からないむくつけき生命体との終わりなき戦いに身をやつす。艦娘とはなんと色気のないお仕事でしょう。
………というのは妹の言です。
わたくし翔鶴もこれまでいくつかの鎮守府を点々とし、かつては妹と同じ思いに心をうち暗しては手を敵の血に染める日々を淡々と送っておりました。しかし、そんな私の人生に光陰の如く現れ、彩りをくれた殿方がいます。私はあの時、お恥ずかしながら、人生最初で最後の一目惚れをしたのです。
それからというもの、私の人生は恋愛一色に染まりました。恋愛と言ってもまごうかたなき片想いなのですが、恋には違いありません。それ故私は日々彼へのアプローチに腐心し七転八倒、茨とぬかるみの恋路をひた走って参りました。そしてこれからもきっとそうなのでしょう。あの日、この真紅の鉢巻と共に固く結んだ決意を忘れぬ限り。
――――提督にいつか、振り向いてもらうために。
◆
これは私が意中の人と出会うべく奮闘した、ある一夜のお話です。
◆
私独自の情報網を駆使して調べあげたところ、今夜どうやらご近所の神社でお祭りが催されるらしいという話でした。街中にポスターが貼られてありましたから間違いありません。これぞ提督をお誘いする千載一遇のチャンス。乗るしかありません、このビッグウェーブに。
とはいえ私とて無策に意中の人を逢い引きにお誘いできるほどの命知らずの肝っ玉野郎ではありませんし、そもそも野郎ではありませんから、まずは綿密なる方策を練ります。恋する乙女の嗜みです。
本日の作戦はこうです。
まず、提督をそれとなくお祭りにお誘いします。
……以上です。つまるところ策なしです。
私はため息をつきました。それができれば最初から苦労はしません。私はこう見えても俗に言うヘタレの部類であると胸を張って言えます。まあ威張れるようなことでは全くありませんが、とにかくこれは難題です。それに、提督はお優しく人望に篤い人ですから、すでに誰かしらのお誘いを受けているでしょう。
今私に実行可能な最有力の手法、それは現地で偶然を装って彼と出会うことくらいのものでした。
私は目をつむって想像をめぐらせます。
あわよくば提督とご一緒して、手を取り合い、お祭りの屋台の白熱電球の、柔らかく温かい灯りの照らす中を練り歩けたらどんなに楽しいでしょう。絢爛騒然のわくわくに充ちた空気を一緒に吸えたなら、どんなに素敵なことでしょう。
行き場を失った甘美な妄想はむんむんと膨張して止まず、やがてぱちんと弾けて、私をうつつへと引き戻しました。
自分の破廉恥な考えが急に恥ずかしくなって、私は手近なペンギンのぬいぐるみを捕まえて、ぽかぽかと叩いたり、むぎゅうと抱き締めて畳の上をごろごろと転がったりします。どうしてくれましょう、この気持ち。妹の瑞鶴には不審者を見るような目で見られてしまいましたが、恋愛戦争に多少の犠牲は付き物です。ここで失った姉としての面目とプライドは必ずやいつか提督とのキャッキャウフフな日々への糧となることでしょう。ええ、必ず。
散々おいたを働いてしまったペンギンさんをもふもふと慰めてから、私はすっくと立ち上がりました。
「こうしてはいられないわ!」
私は踊る心そのままに、浴衣の支度に取り掛かります。妄想を現実に帰せしめんためには、とにかくお祭りへ足を運ぶほかありません。
◆
「で、結局誘えなかった訳ね」
執務室の時計は既に夕刻を示していた。
「仕方ないだろ、どう誘えって言うのさ?ここに呼びつけて堂々と約束を取り付けるかい?劇団四季か何かみたいに」
「そうは言わないわよ。メールか何かで誘えば一発じゃない、このご時世」
「僕、彼女のアドレス知らないんだよ」
「…………………は?」
「初対面で聞きそびれて以来、ずっとこうだ…………話す時も、未だに敬語じゃないと挨拶もできない」
「ヘタレ過ぎてもう引くわ……」
「そう言う叢雲はどうなんだよ」
「私は好きな人相手だろうが、別に普通に話せるもの…………あっ、べっ、別に好きな人がいるとかじゃないんだから!」
「あっそ………」
「で、どうするの?諦めた訳じゃないんでしょう?」
「うん…………まあ」
「先に言っておくけれど、現地で彼女を探して偶然を装って出会う、なんてのはなしよ」
「…………………」
「やるつもりだったのね………」
叢雲は深くため息をついた。
「ま、悔いのないようにやりなさいな」
◆
お祭りの催される青峰神社という神社は、街の中央通りを南下し、白川通りと宵別通りの間の小さな路地を折れた突き当たりにある石段を登った、裏山の中腹にあります。裏山の中腹と言っても、小高い丘程度の山ですから、石段も並々のものです。階段は緑のトンネルにこんもりと覆われ、登りきったところに鳥居が建っているため、下から山を見上げると、真っ赤な鳥居がちょこんと可愛らしくのっかっているように見えます。
時刻は午後6時。年に一度のお祭りとあって、中央通りはすでに浴衣の人々で賑わいつつあります。辺りを見渡せば、楽しげに飛び跳ねる子供や見るも微笑ましい家族連れから、この夕方から腕を絡めて睦言を囁き合う恋人たちまでを一望できます。嗚呼絶景かな、と私は思うのですが、同時に私はなぜ一人でお祭りへ来ているんだろう、と理不尽な敗北感にも襲われました。
人の流れに身を任せていると、やがて鳥居へたどり着きました。振り向くと海が一望でき、これもまた絶景です。
さて、このお祭りの目玉と言えばやはり、フィナーレに打ち上がる五千発の花火でしょう。多種多彩な花火が海をバックに矢継ぎ早に閃いては消えて夜空を彩ってゆくさまは圧巻であり、毎年その花火見たさに集まる見物客も多く、この街では夏の風物詩となっています。
……というのはポスターの受け売り。
恥ずかしながら、私はこのお祭りを訪れるのは今日が初めてです。というのも、私がいま籍を置く鎮守府へ着任したのが、今年の春なのです。
そのお話はさておき、花火が始まるのは7時半ですから、まだしばらく時間があります。私は鳥居近くの露天でりんご飴をひとつ買い求め、ぺろぺろと味わいながらさっそく提督を探し始めます。
5分ほど歩いて、私は重大なミスに気づいてしまいました。
提督がそもそもお祭りに来ない可能性を考えていなかったのです。
私はその場で茫然としました。
来てもいない彼を探して歩き回っていたのではただのお間抜けさんです。そうでなくても、一人でお祭りへ来ていたことが知れれば、先輩後輩の隔てなく『寂しい女』と同情の眼差しを向けられてうけあいです。
とはいえ、彼が今この境内にいるのかどうかを確かめる術は、残念ながらありません。初対面で聞きそびれて以来ずっとメールアドレスを聞けずにいますから直接訊くことはかないませんし、そもそもそんな勇気があるなら初めから彼をお祭りに誘えていたでしょう。
つまるところ、今の私にできるのは、提督がこのだだっ広い境内のどこかにいることを信じ、ひたすら探し回ることのみです。
私は一念発起し、景気づけにりんご飴の羽根をぱりんと齧りました。
◆
「結局一人で来てしまったな……」
独りごち、手中のりんご飴の羽根をぱりんと齧る。舌の上でゆっくりと甘くほどけてゆくが、結局辛抱たまらず噛みくだいてしまった。
一人で祭りへ来てりんご飴を喰らいながら練り歩く男など、好事家か真性の阿呆か、そうでなければただの不審者ではないかという感さえ深い。ただ、足を運ばずにはいられなかった。今年は何故かぱたりと誰からも誘いがかからなくなったという事実とは無関係に、私にとってここは思い出深い場所であった。
それにしても誰にも誘われなかった。
「僕、何かやらかしたか……?」
これまでの自らの行いを一つ一つ丹念に思い出しながら歩いていると、危うく丁字路突き当たりの屋台に突っ込みかけた。慌てて顔を上げると射的屋であった。
その射的屋は標準的な屋台の三倍ほどの土地を食っており、手前の台には見たこともない奇妙な形をしたコルク銃がずらりと並べられてある。景品を置く棚はゆっくりと奥から手前へと切ないギア音を立てながら回転し、さながら風雲カラクリ城といった趣である。目の前で脚を組んでふんぞり返る店主らしき人物は、なめらかな髪を惜しげもなく腰まで伸ばした、わが鎮守府工作艦明石にそっくりな少女である。
というか明石である。
「提督じゃないですか、おこんばんは」
「有給使って露天商とは商魂たくましいね」
「こういうの、ずっとやってみたかったんですよ」
愉快そうに答える明石。
「コルク銃は全部廃材で手作り、景品も大概駄菓子か安モンのオモチャですから利益率は結構良いです」
「生々しい話だなあ」
傍らではいたいけな子供たちが鬼気迫る表情で照準を定めている。そのあまりの殺気の濃さに、私はダンケルクにでも迷い込んだのかという錯覚に陥った。
「提督もワンクレジットどうです?まけときますよ」
ここで射的に興じるのも一興。砲術に関しては腕におぼえがある。面白そうだと思い、私は身を乗り出した。
「じゃあお言葉に甘えて」
◆
私がりんご飴片手に参道をずんずんと歩いておりますと、目の前に突如として、冗談みたいな横幅の射的屋が現れました。中にはういんういんと回転する長大な景品台が見えます。多くのお客さんで賑わっている模様ですが、なにせこの横幅ですから回転率も底抜けに良いのでしょう、コルク銃は何丁か空きがあり、毛氈の上に寂しげに横たわっています。
航空母艦の名を負う者として日々弓道などの武道に励む私ですが、射的なるものは生まれてこの方遊んだためしがありません。私はその未知なる魅惑の遊戯に胸をときめかせながら、一人客であることも忘れて人混みの中へ分け入ってゆきます。
そして銃座に着き、料金をお支払いしようと屋台の中を覗き込んだその時、私は愕然としました。射的屋の中で脚を組んで座っていらっしゃる店主は明るい髪色といいふっくらと豊かな胸囲といい、わが鎮守府工作艦の明石さんにそっくりなのです。
というか明石さんです。
「明石さん!?」
「お、翔鶴さんですか。これは面白い偶然」
私に気づいた明石さんは、丸椅子の上で脚を組んだまま愉しそうに笑っています。
「面白い、ですか?」
「ええ、それはもう。さっき提督がひとしきり遊んで行ったんですが、綺麗に入れ違いましたね」
「提督が!?」私は身を乗り出しました。「それから彼はどちらへ!?」
まさに驚愕の事実。入れ違ったということはつまり、つい先刻まで提督はここにいらっしゃったということです。
「えっと……あっちの方だったかな」
「提督はどんな格好を?」
「群青の浴衣で、腰にけったいな水ピストルを差していますよ」
「ありがとうございます!このご恩はいつか必ず!」
私はそれだけ言うと夢中でふぎゅうと人混みを押し退け、明石さんの指した方角へ向かいます。
「翔鶴さん、射的はいいんですかー!」
「残念ですがまたの機会に!」
振り向きながら答えますと、さらに「あっ、翔鶴さん、それから」と明石さん。
「浴衣、よく似合ってます」
「………っ!ありがとうございます……」
いささか照れました。
◆
しばらく辺りを駆け回ってみたものの、群青の浴衣の人の姿はちらほらとあれど、提督は一向に見つかりません。来るのが遅かったのやも知れません。
失意に肩を落としうろうろしていると、
「うっ………ぐすっ………」
と、すすり泣くような声が聞こえます。
持ち前の索敵能力で目をこらして辺りを見回していると、一人の可愛らしいお嬢さんが道の脇で半べそをかきながら、しゃがみ込んでクレープをはむはむと食べているのを見つけました。
歩み寄って私もしゃがむと、少女は顔を上げました。それは暁ちゃんでした。
「しょ、しょうがぐざん!?」
「こんばんは、暁ちゃん」
「う、うう………」
真っ赤に泣き腫らした目をこちらへ向け、知り合いに会えて気が緩んでしまったのか、またぽろぽろと泣き出してしまいました。しばらく背中をさすってあげていると、落ち着いたのか、少しずつ事情を話してくれました。
「その、六駆のみんなで来てたんだけど、私、はぐれちゃって、お姉ちゃんなのに…………うっ」
気を抜くとまた泣き出してしまいそうな彼女の頭をゆっくりやさしく撫でながら、私は相槌を打ちます。心の弱った相手を安心させるに、真心込めた『頭なでなで』に如くはありません。幾度にも渡り瑞鶴を骨抜きにしてきた伝家の宝刀です。
普段から第六駆逐隊は仲良しこよし、どこへ行くにも四人一緒という姉妹円満ぶりでしたから、暁ちゃんが一人でいるということはただならぬ事態。緊急事態です。
ただでさえだだっ広くかつ入り組んだ境内に露店が立ち並べば見通しが悪くなり、もはや要塞という趣です。はぐれた子供どうしが独力で再び出会おうとなれば縄の一筋や二筋ではききません。
私は暁ちゃんの手を取り、立ち上がります。
「六駆のみんなを探しましょう。歩いていればきっと見つかるわ」
「い、一緒に探してくれるの?」
「もちろんです。旅は道連れ、世は情けですよ」
そう言って私は微笑みます。
なんとなくことわざの用法を誤ったような気がしてなりませんが、そんなことはよいのです。とにかく困ったときはお互い様。まして同じ鎮守府の仲間が憂き目に会っているとあって、見て見ぬ振りなどできようもございません。
二人で手を繋ぎ、ほんわりとめくるめくようなお祭りの空気の中を歩きだします。暁ちゃんのもみじのような手は小さくてふにふにと柔らかく、日頃10cm高角砲の引き金を握っているものとはとても思えません。
「あのね、翔鶴さん、クレープあげる」
「いいんですか?」
暁ちゃんはこくりと頷きます。きっとお礼のつもりだったのでしょう。
「ありがとう。じゃあひと口だけ」
恥ずかしながら、このようないわゆる『女子力の高い』お菓子をお祭りの場で口にするのは初めてです。恐る恐るもふっとひと口頂くと、ふんわりとした生クリームの甘味とクレープ生地の香ばしさが目いっぱい広がってゆきます。聞きしに違わぬ、これぞスイーツという味わい。私はしばらくうっとりとしたまま咀嚼します。
ふと、暁ちゃんが思い出したように言いました。
「そういえば翔鶴さん、司令官は一緒じゃないの?」
質問の意味が分からず、私は首を傾げました。
◆
「あれ、翔鶴姉じゃないですか?」
「ほんとだ」
「あれ?提督と一緒じゃないじゃん」
「ええ、せっかく皆で共謀して提督をフリーにしといたのに」
「繊細なんです、うちの姉も……」
「だいたい、おたがい意気地がないのよ」
「まだ会って数ヶ月ですし、仕方ないと言えば仕方ないですが」
「早くくっつかんかねえ」
◆
射的屋を去った私は、戦利品であるところの水鉄砲を帯に差し、煎餅を喰らいながらどこへともなく歩いていた。りんご飴を舐め続けた結果甘々パラダイスと化した口内に、煎餅の塩気はありがたい。
言いしに違わず持ち前の砲術によって景品を次々撃ち落としたはいいものの、流石に持ち運びきれないため、この水鉄砲と煎餅以外のものは遠慮しておいた。さながら海賊になったような気分だったが、いくら戦果を見せびらかして歩いた所で独りである。
彼女を探す必要がある。手段は一切思い浮かばないが、まだ時間はそれなりにある。だいたい、彼女の銀髪はこの人混みの中ではおそらくそれなりに目立つ。歩き回っていれば自ずと見つかるはずである。
参道をぶらぶらと歩いていると、三人の少女が何やら道の中央で話し込んでいる。避けて通ろうと思ったが、よく見ると六駆の子たちだった。ただし、暁の姿が見当たらない。
「あっ、司令官!いいところに!」
「どうしたんだい、暁の姿がないけれど」
「じ、実はね」
腰をかがめて話を聞く。
三人が輪唱のごとく口々に喋るのでいささか聞き取りづらかったが、要するに暁とはぐれて未だに出会えないということらしい。
「居場所に何か心当たりは?」
「それがないの………」
「手になにか持ってるかい?」
「クレープを持ってたけど、もう食べちゃってるかも」
「そうか……」
この境内の中での再会は困難を極めるが、幸い鎮守府への帰り道は単純だから、最悪自力で帰ることはできる。
ただ、それではあまりに気の毒だ。それに、この物騒な夜の町で一人きりにしておくわけにもいかない。
ふむ、と少し考えてから、私は口を開いた。
「携帯係は雷だったね」
「うん、私よ」
「僕も全力で捜してみる。見つかったら連絡するから、三人はこれ以上はぐれないように気を付けて」
「わかったわ。ありがとう、司令官」
実質二人分の捜索任務を帯びた私は、軽く駆け足でさっそく辺りを捜して回った。
◆
時刻は午後七時前といったところ。
私が上の、暁ちゃんが下の視点からという隙のない構えで第六駆逐隊の捜索にあたっていたところ、徐々に日も暮れ、ようようお祭りの妖しげな空気が濃厚に漂いはじめます。
流れてゆく屋台の軒先にぶら下がる白熱電球のぼやけたような光。どこかでヨーヨーの割れる音。くじ引き屋の店主の威勢のよい客引き文句。鼻をくすぐる綿あめの芳香――――。どれもこれも、私が心に思い描いていた通りのもの。いつか憧れた、絢爛の風景。
いま私のとなりにいるのは提督ではありませんが、目の前に広がる景色に、私はしばし心を奪われました。
その時でした。
「みんな…………みんな!」
暁ちゃんが急に手を離して駆け出したその先にいたのは、まごうかたなく六駆の子たちでした。
「暁!」
「もう……本当に心配したのです」
「でも、見つかってよかった」
「うう……ごめんなさい………」
我慢の糸が切れてしまったのか、堰を切ったように泣き出してしまった暁ちゃん。それを囲む三人の目にも涙が溜まっているようです。私も傍らでほっと息をつきました。
「翔鶴さん、本当にありがとうございました。うちの姉がごめいわくを……」
「迷惑なんてとんでもありません。何はともあれこれで一件落着、引き続き気をつけてみんなで楽しんでくださいね」
『はい!』
元気いっぱいの返事を頂いたところで、私は提督探しに戻るとします。
そう息巻いていると、「そうだ、メールしなきゃ」と雷ちゃんが携帯電話を取り出しました。駆逐艦の外出時には常に連絡が取れるように、代表者に携帯電話を支給することになっています。
「どなたにメールを?」
「提督にメールするの。今もきっと捜してくれてるから、見つかったって報告しないと」
「提督!」
私は息を呑みました。
ここでもまた提督。
彼のいた痕跡を辿ってはその先々でまた彼が訪れたという話を聞き、今宵はまるでおいかけっこでもしているかのような心持ちです。彼はいつも私の一歩先にいるのです。雲を追いかけるような感覚。掴もうにもひらりと掴めぬその袖口。ああ、彼はいまどこに?
「提督に会ったのはいつ頃のことですか?」
「ついさっきだよ。すぐそこでたまたま……」
「あっ、翔鶴さん!?」
私はまた、思わず駆け出していました。
◆
さて、私はというと、どういう訳か今金魚すくいに興じている。
「さあさあどうした!手が止まっているぞ!」
隣で雄々しく私を煽りながら音速に近いスピードでひたすら金魚をすくい続けているのは長門。我々を傍らで愉快そうに眺めているのは陸奥である。
この状況は何か。
六駆の三人と別れたのち、一心不乱に駆け回って暁捜索に没頭していたところ、不意に視界へ横から腕がのびてきた。避ける術もなく見事なラリアットをまともに食らった私は「ぐへえ」と呻いてその場に倒れ伏した。
「何するんだよ全く……」
「いやあすまない、つい手が出てしまった」
長門の浴衣姿は思わずため息が出る程に整っており、普段の武人然とした彼女の猛々しさは見る影もない。ただ、人間中身はそう簡単に変わるものでもないらしい。お陰で黒髪の美女にラリアットで呼び止められるというかなり稀有な経験をした。
そしてそこからは話が早く、彼女は「ここで会ったのも何かの縁!」と言って嬉しそうに私を金魚すくい屋へ引きずり込んだ。私には人探しの任務があることを主張するが聞きやしない。無論何らかの対決が始まる。彼女はじゃんけんから賭け事まで、勝敗のつくものをこよなく愛する。
かくして、凄絶を極める金魚すくい対決の火蓋が切られたのである。
「なあもういいだろ、そのへんにしといてくれよ!」
店主の悲痛な訴えは至極もっともである。私もこの辺りで妥協点とするにやぶさかでなかったが、しかし傍らの彼女の耳にもはや店主の切なる叫びは届いていない。彼女は彼女の信念のもと、矢尽き刀折れポイ破れるまで戦い続けるであろう。そして彼女がそうする以上、私も途中で匙を投げるわけにはいかない。
懐で携帯の震えるのを感じたが、今は構ってはいられない。
「くっ、紙が………しかし!」
彼女のポイの仕事量は既に設計者の意図したところを遥かに突破していたが、今になってやっと紙が破れた。勝負あったか、とぬか喜びするのもつかの間、彼女は紙が張られていた枠を巧みに使いこなし、金魚を高速かつ傷つけずに掬い上げるというおよそ人間離れした妙技を披露し始めた。
「君、いつまですくうつもりだ?」
「そこに金魚のいる限り、だ!」
どこかで聞いたような台詞だったが、しかしその言葉は私に深い感銘を与えた。敵ながらあっぱれと言うほかない。彼女はかくも熱い女であった。
自分の手元を見ると既に紙はぼろぼろに破れ、いつの間にか無意識に彼女同様の離れ業を繰り出していた。人間やればなんとかなるものである。
周りには厚い人だかりができていた。「いいぞ、もっとやれ!」と野次を飛ばす者、「俺はあの姉ちゃんに千円だ」「いや、ピストルの兄ちゃんも捨てがたいぜ」と賭け事を始める者まで様々である。
「やるな、提督よ」
「君もね」
狂乱の中にいて、彼女の声はよく通った。
二者の間には、敵味方という関係を超えた、何か熱い絆のようなものが生まれていた。ような気がしないでもない。
のちに『西参道の死闘』として語り継がれる戦いである。
◆
翔鶴です。
辺りを一心不乱に駆け回ってみたものの、やはり提督の姿はありません。
すっかりやつれてしまったりんご飴のりんご部分を少し齧りながらとぼとぼと歩いていると、何やら人だかりができて道幅を半分ほどにしています。金魚すくいの屋台を中心としているようで、時おり「空っぽになっちまうよ!」「俺が悪かった!」などの切実な悲鳴が聞こえてきます。とても面白そうな予感がぷんぷんするのですが、いかんせん人の壁が厚く、背伸びをして覗くことすらままなりません。私は私の前でまた背伸びをしていたいかにも貴婦人といった上品な女性に「すみません、何かあるのでしょうか」と尋ねました。
「なんでも、一組のカップルが金魚すくいで対決をしているそうです。あまりの熾烈さに賭け事を始める者が現れて、しまいにはそれを取り仕切る者まで現れたとか」
なんとまあ、一夜限りのお祭り騒ぎにはぴったりの催しごとです。
金魚すくい対決なのに熾烈を極めるとはこれいかに。そんな戦いを繰り広げるカップルとは何者なのでしょう。時おり聞こえる悲痛な叫びは何なのでしょう。好奇心はとどまるところを知りません。
しかし、いくら背伸びをしても跳びはねても中が見えない以上、それらを確かめる術はなさそうです。少し残念ですが、私は諦めてまた歩き始めました。そうです、私には提督を探すという重大な目的があるのです。
気がつくと、私はりんご飴を完食していました。
ぐう、とお腹が鳴ります。
思えば色々あって、私が今夜食べたものと言えばりんご飴一本と一口のクレープのみでした。このままでは胃袋と両手がいささか淋しいと思い、目についたお店でたこ焼きを一パック買い求めました。
りんご飴ならともかく、たこ焼きともなると食べ歩きというのは何だかはばかられます。私は適当な石段を見つけて、腰をおろしました。
ふう、と息をついて顔を上げると、目の前のお祭りの喧騒がどこか遠く感じられます。まるで目の前の景色がすべて額縁の中に収まっていて、それらと私との間はガラス板で隔てられているような、そんな感覚。
たこ焼きを一つ爪楊枝で突いて、念入りに冷ましてからはふはふと頬張っていると、どうしてか無性に人恋しくなってきました。
――――私は何をしているんだろう……。
このたこ焼きを誰かに食べさせたり、あるいは食べさせてもらったりしたらどんなに楽しいでしょう。そして、あわよくばその相手が提督だったなら。
たこ焼きは、やけに塩味が濃いように思われました。
◆
結局金魚すくい対決は、奇跡的に引き分けという形で幕を下ろした。互いの熱い戦いぶりに心を打たれた我々はその場で固い握手を交わした。気の毒なので、金魚はすべて水槽に帰した。
「楽しいひとときだった。またどこかで会うこともあろう」
「ああ。君とは本当にまた会いそうな気がするよ」
同じ鎮守府なのだから当然であるが、当時の我々はあまりの興奮に正常な判断能力を欠いていたものと思われる。
「では行くぞ、陸奥――――何をしている?」
「賭け金の回収よ」
ちゃっかりしていた。
二人と別れた私はぷらぷらとまた歩き始めた。
五秒ほど歩いてから、私は自分の帯びていた重大な任務を思い出した。
そうだ、暁だ。
携帯を開くと、一件の着信があった。
雷からだった。
『件名:無事再会!
暁と会えたわ!司令官も探してくれてありがとう!』
そこまで読んで私は安堵のため息をついた。
が、次の一文を読むやいなや、私は心臓が止まりそうになった。
『翔鶴さんが連れてきてくれたの!』
私はそのメールの詳細を慌てて確認した。着信時刻は――――私が六駆の三人と会ってから、僅か5分後だった。
「ニアミス………していた?」
何たる迂闊。私はその場で茫然とした。
携帯を閉じ、辺りを見回す。
当然、見つかるはずはない。
花火の開始時間が迫っていた。私は半ば諦観に近いものを抱きながらふらふらと歩き、行き着いた店でそのままたこ焼きを購入した。路傍に突っ立ってたこ焼きを独り頬張る男の姿はいささか不審に映る恐れがあったが、私はなりふり構わずむさぼり食った。思えば訳のわからない勝負ごとに巻き込まれたお陰で、てきめんに腹が減っていたのだ。
妙に味気ないたこ焼きを粛々と完食してから、私は神社中央の参道を北上した。花火は海岸から打ち上がる。
一人で見る花火も悪くはないだろう。祭りの灯りに赤く染まった砂利を踏みしめながら、私はそんなことを思った。
「………我ながら言い訳がましいな」
恨むべきは自らのヘタレっぷりである。これをおいてほかにない。意中の人の一人や二人、いや誓って一人しかいないのだが、その人を自力で外出に誘えずして何が日本男児か。
祭もたけなわとなり、膨張を続けていた宴の空気はいよいよ膨らみきって、ピークを迎えようとしていた。
◆
たこ焼きを平らげてしまうと、私はしばらくその場でぼうっとして、指先で石段のすべすべとした感触を確かめたりしながら、今宵の私自身について思い返していました。
思えば、提督を誘うことを諦めてしまったあの時点で、あらゆる計画は頓挫していたのです。
いやしくも空母翔鶴の名を授かりし者として、名にし負わばとて天翔る鶴のごとく奮闘する所存でおりましたが、やはり駄目です。私も乙女のはしくれではありますが、空母としての戦いと恋愛戦争とでは、必要な筋肉が違いすぎるのです。浮き世の恋する乙女の方々はあらゆる修羅場をくぐり抜けて百戦錬磨、向かうところ恋敵なしという強者揃いにきっと違いありません。それにひきかえ私は艦娘で、大元をたどれば最終的には鉄の塊です。そんな私がどうしてこれまでの人生で恋の駆け引きやらを身に付けてきておりましょう。
外堀さえ満足に埋められない私に残された方策は、とにかく大きく出て、何かしらどかんと一発打ち上げてしまうことのように思われます。この際精度やら何やらは取り敢えず捨て置き、そう、ちょうど打ち上げ花火のように――――――花火?
懐中時計を取り出すと、時刻は7時27分。
完全に忘れていました。
もう間もなく花火大会が開始されます。
私は空のプラスチック容器を近くのくずかごに捨て、なりふり構わず駆け出しました。このお祭りへ足を運んだのはもちろん提督のこともありますが、花火も楽しみの一つであったのです。
中央の大参道を北上するように駆けてゆきます。金平糖のように真白い砂利を踏み散らして、数々の屋台の骨組みの合間を駆け抜けながら、私は今宵の出来事を走馬灯のように思い起こしました。りんご飴、明石さんの射的屋、迷子の暁ちゃん、そしてたこ焼き――――還らぬ影踏みのごときひととき。
私は時おりこの、切なくも鮮やかな一夜を思い出すことでしょう。偶然を装って彼に出会うことはついに叶いませんでしたが、それでも私には、なぜだかそう悪い時間ではなかったように思えるのです。
裏山の北斜面までたどり着いた私はちょうど人一人分の隙間を見つけて、そこへ滑り込みました。ここからならきっとよく見えます。時計を見ると7時30分――――ですが、まだ花火は上がっていないようなのでセーフです。
私が膝に手をついて安堵のため息を漏らしたその時でした。
◆
自らの不甲斐なさに愛想を尽かした私のため息に被さるようにして、何者かが息をつくのが聞こえた。
その声の主は傍らの今しがた駆け込んできたといった風な少女で、ガラス細工のように深く潤んだ瞳でこちらを見上げていた。後ろに結い上げた髪はいくぶん乱れていたが、彼女はそれを気にかける様子もなく、あるいはその余裕もないのか、ただ口をぽかんと開け、膝に手をついたまま呆然としている。そしてどうやら、私も彼女と同じ表情をしているらしかった。目の前にいるその少女こそ、私が一夜かけて探し続けた、翔鶴その人であったからだ。
何を言っていいやらわからなかった。
私が呆然としたままでいる一方で、彼女は言葉を探るように口をぱくぱくさせて、やがていつもの美しく透きとおった声で、絞り出すように言った。
「メールアドレス、教えてもらえませんか………!」
少なくともそれはこの場面においてはまったく突拍子もない言葉で、そして私はおそらく、生涯彼女のこの言葉を忘れることはないだろうと思う。なぜなら、私もまったく同じことを言いそうになっていたからだ。
◆
眼下に広がる月下の海や、あるいは今打ち上がったらしい一発目の花火に目もくれず、私が口走ったのはそんな台詞でした。彼はしばらく呆気にとられた様子で、そしてやがてやさしく微笑んでこう言いました。
「よろこんで」
二人は、世界から締め出されたようでした。
二発目の花火が打ち上げられたかどうかは、定かではありません。
夏といえばお祭り。
お祭りといえばりんご飴。