いきなりですが、更識簪に転生しました。 作:こよみ
さーて、続き続き。
それはまるで鬼神のような戦いぶりだった。たった五分の戦闘で、その付近にいた『ゴーレム』は全滅させられている。その光景を、何も出来ずに一夏達は見ていることしかできなかった。動く間もないほどの間の出来事だった。それほどまでの圧倒的な戦闘力を見せ付けたのである。
右手の剣を一薙ぎする。その導線にいた『ゴーレム』らはその一撃で機能を停止する。それを止めようと『ゴーレム』が襲いかかる。左手の剣を一薙ぎする。それらが一掃される。あるいは足で『ゴーレム』を強引に他の『ゴーレム』の前に押し出し、同士討ちさせる。簪が動けば動くほどに、『ゴーレム』は数を減らし、そして全滅した。
誰も、何も言えなかった。ただそこに浮かぶ簪に畏怖を覚え――墜落し始めてもそれに手を出そうとするのは万十夏しかいない。恐ろしかったのだ。手を出した瞬間に、あの双剣で斬られるのではないかと。一撃で機能を停止させられてしまうのではないかと。それは考えるだに恐ろしいことだった。
『ゴーレム』を全滅させた代償は簪自身が支払うことになっていた。全身の筋肉の断裂。関節の異常。何よりも一番問題なのは、脳の血管が破裂してしまったことだろう。グレイはそれを必死で治したが、如何せんエネルギーが足りない。シールドエネルギーと、簪の肉体が蓄えていたエネルギーでは賄いきれなかったのだ。
その結果、グレイは初めて他者に助けを求めた。
『ねえっ! シールドエネルギーで良いから分けて! 簪を助けて……!』
もっとも、それが聞こえてかつその意思を尊重できる人物など限られている。今IS学園にいてそれが聞こえたのは二人だけ。そして簪を助けたいと思うのは一人だけだ。無論万十夏でしかあり得なかった。
そもそもコアの声は、そのコアが波長を合わせなければ誰にも聞こえない。その声を受けとる相手側もそれを望まなければ聞こえないものだ。操縦者かコア。どちらかがそれを望み、二次移行を果たしていなければ声など聞こえないのである。
つまり二次移行を果たしていた一夏に『白式』を通して聞こえるのは当然なのだが、万十夏に聞こえたのは当然ではない。万十夏にそれが聞こえたのは、『サイレント・ゼフィルス』のコアがその声を聞いたからだ。そしてそれを万十夏に伝えるべくその場で無理やり二次移行を果たしたのである。
その声を聞いた万十夏は呆気に取られる一同を置き去りにして即座に簪を回収し、一番近くにいた一夏に問う。
「シールドエネルギーのチャージ場はどこだ」
その問いに一夏が答えを告げることなどあり得ない。一夏にとって、万十夏は間違いなく敵なのだから。いついかなるときであっても、万十夏の存在は一夏の存在を脅かすのだから。たとえ万十夏がそれを望んでいなくとも。よって一夏が彼女を受け入れられないのは当然のことだった。
警戒をありありと見せつけ、一夏は慎重に応える。
「……教えると思うか?」
「いや、聞いてみただけだ。貴様が私達を認めたくないのは分かっているしな」
(むしろすんなり教えられたら拍子抜けだ)
そう素っ気なく万十夏は一夏に肩を竦めてみせる。そこにはもう敵意など感じられなくて一夏は困惑した。一夏には、先程まで千冬を責めていたはずの万十夏から敵意を感じられないのかが理解できなかったのだ。一夏にとっては万十夏はまだ敵であるという認識が抜けきれていないがゆえに。
その理由は本当に単純だというのに、一夏にはそれが理解できなかった。
(……今更期待なんてしないさ。私の家族なんて、そもそも存在しなかった。虚構の存在だった。そういうことだ)
自嘲気味にそう内心で呟いた万十夏は、簪を抱えたままアリーナへと向かおうとする。しかし、それを阻まないものがいないはずがないのだ。一夏とその取り巻きが、銃口や武装を簪と万十夏に向けていた。ここを通すつもりなど、誰にもなかったのである。
それを見て万十夏は一同に告げた。
「おい。このまま放っておくと簪は死ぬぞ」
「だからってアンタを通すわけないでしょ!」
(こんな危険人物、一夏にも誰にも近付けちゃいけない……!)
危機感も露にそう返答した鈴音。それに万十夏はあっさりと返答する。
「……それもそうか。なら、押し通る」
(こいつらは自分のしていることが分かっていないのだな。簪のことなど、最早敵だとしか認識していないから……見捨てられる)
仕方ない、とでも言わんばかりに万十夏は肩を竦めた。目的地はアリーナ。そしてそこにたどり着くために彼らを倒す必要は全くないのだ。そう思えば、気は楽だった。難易度は上がるが、別にもう万十夏には彼らに敵対する理由などないのだから。
それに、だ。
『ありがとう、万十夏。その子を――私と貴女との結び手を救うと決めてくれて』
(そんなこと、最初から決めていたさ。それに、決めただけじゃないぞ。勿論救ってみせる)
他でもない自分を頼ってくれるひとがいる。ならばそれに応えることを何故躊躇おうか。他人からの承認欲求を簪によって満たされた彼女に、出来ないことなど何もない。今のところ、万十夏のことを肯定してくれるのは簪と二次移行を果たした元『サイレント・ゼフィルス』――『トワイライト・イリュージョン』しかいないのだから。
万十夏は心のなかで『トワイライト・イリュージョン』に語りかける。
(で、トワ)
『名付け雑じゃない!?』
(何だ、ワイとかイリーが良かったか? それともイライジョンとか)
『ごめん、私が悪かったわ。是非イル……そうね、イルって呼んで』
そう万十夏に告げたイルは、周囲が万十夏に向けて攻撃してくるのを知覚した。それと同時にシステム『シュレディンガーの猫は箱の中』を発動させる。そして、それ以外の挙動を起こすことはなかった。必要なかったのだ。振るわれる暴力など、最早万十夏と『トワイライト・イリュージョン』の敵ではないのだから。
『トワイライト・イリュージョン』がシステムを起動すると同時に――
「なんだとっ!?」
「嘘、ですわよね……?」
(今、何が起こったのだ!?)
ラウラのワイヤーブレードとセシリアの銃撃がすり抜けていった。それは、今の万十夏には何よりも必要な能力で。簪を支える場所の存在確率だけを引き上げて彼女を落とさないようにし、一夏達を一気に抜き去った。彼女にはそれが出来たのだ。なぜなら万十夏は今そこに『いない確率がほぼ100%だった』のだから。
種は簡単だ。システム『シュレディンガーの猫は箱の中』は、『自身の存在確率を自在に操作できる』のだから。そこにいる確率を強引にゼロにすれば、すり抜けられない場所はないのだ。もっとも、そのシステムの適用範囲は『トワイライト・イリュージョン』と万十夏だけなので簪に適用されているわけではない。それに気づかれる前にたどり着かなければ、簪は助からないだろう。
(そんなこと、させるものか……絶対に間に合わせるッ!)
そして、万十夏の技術があればそれを成し遂げることなど容易い。たとえ『トワイライト・イリュージョン』の武装が全てシステムの容量に喰われて消滅していても、まず戦いにならないので問題ないのだ。唖然とする一同を放置して万十夏はアリーナへと突入し、『グレイ・アーキタイプ』にシールドエネルギーを補給することに成功した。
それが、簪にとっての絶望であるとも知らずに。
意識を失ったままの簪を抱え、万十夏はただその場で立ち尽くした。『トワイライト・イリュージョン』ももう展開していない。戦う理由はもうなくなったのだから、兵器をまとう意味がないのだ。既に万十夏の心はある意味では折れている。最早戦う意味を喪った今の彼女が、『トワイライト・イリュージョン』をまとうことはない。
とはいえ、それは一夏達が万十夏を攻撃しない理由にはならなかった。ISをまとっていない万十夏に武装を突きつけた一同は、彼女が逃げも隠れもしないことに困惑する。
それを、箒が問うた。
「何故――逃げない?」
「もう私には逃げる意味も戦う理由も、お前達と敵対するだけの体力もないからな」
(敵対しても何にもならないし、それにそうやって本当の意味で簪の全てを救えるとは思えない)
淡々と答えた万十夏に、箒は厳しい視線を送った。
「それを私が信じると思うか?」
それは箒だけの言葉ではなかった。セシリアも鈴音も、ラウラもシャルロットの目もそう告げていた。言うまでもなく一夏が信じていないからである。楯無もまた、警戒を解くことはない。万十夏は敵。そう認識しているのだから。
ただ、万十夏にそれは関係ない。最早戦う意味を喪った彼女は、彼らに敵対しても何も得られないのだ。
だからこそこう答えるしかなかった。
「思わない。だから、信じやすい条件は出してやる。拘束するなりなんなりするが良い。尋問だろうが拷問だろうが好きにしろ。私はどうなったって良いんだ。だから――簪を、助けて欲しい」
そうして、万十夏はたった一つの譲れない条件だけつけて投降した。そう――簪の身の安全を保証すること、たったそれだけの条件を。それを本人が望んでいるかどうかはまた別の話だ。それでも万十夏はそう願いたかった。かつて全てを擲ってまで救ってくれた簪を、今度は万十夏が救うのだ。そうすることでしか万十夏は簪に償う術を持たないのだから。
万十夏は知らない。簪がかつて願ったことを。存在するはずの『更識簪』に肉体を返すため、精神的に死のうとしていたことを。簪らしさをなぞりきれず、それでも彼女に出来る限りの環境を整えようとしていたことを。それが叶わないと思い知らされたときの絶望も。
万十夏は知らない。願いを叶えられないと知り、彼女が求めたものが複雑に見えて短絡的な救いだということを。そのために動いていたことも。それが叶う直前で万十夏が全てぶち壊したということも。
故に、それが叶わないと知ったグレイは。それを最大限叶えるための努力を余儀なくされるのだった。
『トワイライト・イリュージョン』
『白式』ばりに一点特化型。しかも使い勝手が悪い。武装はない。たった一つのシステムだけが搭載された、兵器としては一番無意味なISともいえる。
システム『シュレディンガーの猫は箱の中』:『トワイライト・イリュージョン』に搭載された唯一のシステムであり武装。ある意味ではワンオフ・アビリティでもある。その効果は単純で、『存在確率を自在に操作できる』というもの。実際の理論はそういうことをいいたいのではないのだが、『ウィザーズ・ブレイン』作中ではざっくり説明するとそんな感じ。ある意味無敵。ある意味無用の長物。