いきなりですが、更識簪に転生しました。 作:こよみ
よくあるやつっすね。
簪不在章ともいう。
周囲への影響。知らぬは簪ばかり。
その後――織斑万十夏は投降し、更識簪は昏睡状態のまま監禁された。万十夏に対して尋問が行われ、その情報に基づく捜査をIS委員会に依頼した千冬であったが、遅々として進まない。その理由を知ったとき、千冬は自身の迂闊さを知るのだがそれは今ではなかった。
そして、捜査が進まない間、万十夏は拘束され続けていたわけではなかった。捜査に全面協力している万十夏には情状酌量の余地があるのではないかと教員の間でも意見が出たからだ。それによって、彼女は監視付きで学生としてIS学園の学生となることを認められたのである。
無論、『織斑万十夏』としてIS学園に所属すれば面倒なことになるのは目に見えている。そこで活きてくるのが『鎬空音』の存在だった。更識に投降した彼女の身内として、万十夏は『鎬万十夏』となった。千冬に似ているのは他人の空似だと誤魔化しているし、何よりも険が取れて丸くなった彼女は、雰囲気だけでいえば千冬には似なくなったのである。
そんな彼女の日課は、学園の地下にある特別監禁室で昏睡したままの簪を見舞うことだった。
「……簪」
(何故……起きてくれないんだ)
何度呼んでも彼女が目を覚ますことはない。何故なら、簪に起きるつもりがないからだ。ただ眠り続け、終わりの時を待っているのである。そんなこととは露知らず、万十夏は毎日簪の様子を見にここに訪れていた。
無論、万十夏がここに来るということは彼女の監視である生徒も共に来るということでもある。彼女もまた、簪に用がある人物であった。夏休みに簪の監視を請け負っていたグリフィンは、ブラジルからある任務を授けられたのだ。それは必ず達成しなければならないものである。人の命がかかっているというのは確実で、グリフィンはその天秤から自分の身内を選んだのである。
(私が選ぶのは私の家族だけ。こんなクズなんて、あの子達に比べたらよっぽど死ぬべきなんだ)
故にグリフィンは簪を殺すつもりでいる。幼い頃からそうとは知らずに叩き込まれた殺しの技を、人間に実践するのははじめてだ。それでもグリフィンはやり遂げなくてはならなかった。そうしなければ『レッドラム孤児院』の子供達が死ぬのだから。
(そう――私は彼女を殺さなくちゃいけない。だから『更識簪』と仲が良い彼女の監視を買って出たのに……ッ!)
万十夏に気付かれぬよう、グリフィンは歯を食い縛る。毎日眠る簪と顔を会わせているというのに、グリフィンは一度も暗殺を実行できていなかった。万十夏に隙が無さすぎるのだ。恐らく、グリフィンが簪に手を出す前に仕留められるだろう。雰囲気は丸くなったとはいえ身に付いた技までが錆び付くとは限らないのである。
今日も結局、グリフィンは簪を殺せなかった。
「……また来るぞ、簪。……出来れば、明日には起きていて欲しいな」
グリフィンとしては一生寝ていてほしかった。彼女もまた、映像に残された鬼神のごとき簪の姿を見ていたのだから。あれを見て危険視しない国などないのである。万十夏は無意識だが、彼女が毎日見舞いに来ているというだけで暗殺しに来ない人間もいるだろう。その事実を知る前に消される可能性はあるが。
「……じゃあ行こうか、万十夏」
「……ああ」
万十夏を促して寮へと戻ったグリフィンは、今日も寮の布団の中で反省することしかできなかった。
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ロランツィーネは苛立っていた。表向きには敵襲によって昏睡状態に陥った簪を見舞うことが赦されていないからだ。簪の見舞いを赦されているのは万十夏だけなのだ。ロランツィーネはともかく、乱音ですら居場所を知ることが出来ないのである。見舞いに行きたいロランツィーネとしては理由すらわからない状況に苛立つのも無理はない。
だからこそ、だろうか。目の前に現れた教師に突っかかるような真似をしてしまうのは。
「……前を見て歩いてはいかがです、先生?」
「あっ……ご、ごめんなさいローランディフィルネィさん。お怪我はありませんか?」
ロランツィーネにぶつかったのは、見事な黒髪の教師――一年一組副担任の山田である。しかもまさかの爆乳が腕に当たるという残念な感じのぶつかり方だ。別にロランツィーネは巨乳になりたいわけではないのだが、当て付けのように爆乳を押し付けられては苛立つのも無理はないだろう。
その苛立ちを、ロランツィーネは真耶にぶつけた。
「ハッ……あるわけないでしょう。その男に媚びるしか能のないそれが顔面を塞いだら死ぬかもしれませんがね?」
「……ローランディフィルネィさん? 何かあったんですか……?」
「何か? それはあるでしょうね。友人の見舞いにも行けませんから」
それを聞いて真耶は簪が一応ロランツィーネの友人であったことを思い出した。今の環境を彼女に伝えればどういう行動に出るのかも、何となく分かる。それでも真耶は千冬寄りではなかった。結果はどうあれ、簪はIS学園を守ったのである。昏睡状態にあるとはいえ監禁していて良いとは思えなかった。
だからこそ、真耶は小声でロランツィーネに問う。
「その理由、知りたいですか?」
「……ご存知なんですか?」
「ここでは話せません。でも……あとで私の部屋に来てください。布仏藍音さんも連れて……」
そこでちらりと真耶はあらぬ方向を見た。ロランツィーネはそれにつられてそちらを見るが、そこには誰もいない。
(……まさか更識楯無、か?)
人気集めのための代表候補生とはいえ、ロランツィーネにも最低限の要警戒対象人物は伝えられている。そのうちの一人は簪で、もう一人が楯無だった。それ以外は伝えられていないがゆえに楯無かとロランツィーネは判断したわけだが、その推測は当たっていた。
物陰から真耶の様子を伺っていた楯無は、ロランツィーネの前に姿を現したのだ。そして、いつもの余裕を見せることなくロランツィーネに忠告する。
「余計なことはしない方が良いわよ」
その声色の冷たさは、逆にロランツィーネに覚悟を決めさせた。
「……他ならぬ君の妹のことだと思うんだけどね?」
(なのに余計なこととは、恐れ入るよ全く)
据わった目でそう返答したロランツィーネに、楯無は目を細める。それだけで猫のような雰囲気が彪のそれへと変わった。ロランツィーネの心臓が一瞬跳ねたが、それでもそれだけだ。失敗できない歌劇の本番より心臓が暴れるなどということはなかった。
それに微妙に表情を変えた楯無は、ロランツィーネに向けて一歩踏み出し、告げた。
「それでも、よ。今貴女に……簪ちゃんの友達の貴女にいなくなられちゃ困るの」
「誰が困るというんだい。むしろこういうときこそ簪の味方になるべきじゃないかな? 特に君はね」
睨み合う鳶色と赤い瞳。ただ、ロランツィーネはその赤い瞳に浮かぶのが簪への敵意ではないことに気付いていた。楯無は本気で簪を案じているのだ。それを簪本人が望んでいるかどうかは別にして。
そして、それは楯無からも語られる。
「誰が簪ちゃんの味方じゃないなんて言ったの? いつだって私は簪ちゃんを守るために行動しているわ。今生きている唯一の身内だもの。見捨てるわけないじゃない」
「まあ、そういうのが空回りするのはよくあることだけどね」
「……分かってる。これは私の我が儘なのよ。簪ちゃんに起きて欲しい。そのためならどんな手段だって躊躇わないわ」
その表情は決然としていて、その意思が翻ることはないだろうことが伺えた。故にロランツィーネは楯無を信じることにする。簪のために出来ることが何なのか。それを探るために。
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一夏は悶々としていた。彼にとって更識簪は敵だ。しかし、その姉である楯無は頼れる先輩である。その先輩の前でうっかり簪を貶すことは躊躇われた。たとえテロリストと通じていたのだとしても。千冬にいわれなき誹謗中傷を浴びせたのだとしても。それでも家族を貶されたときの気持ちが分かるからこそ楯無には言えなかったのだ。
(そう……あいつは、排除されるべきなんだ。そもそも本当のことを言ってたって保証はないし……それに、鈴のことだってあるしな)
そうやって自身を正当化する一夏は、鈴音に視線を向けた。すっかりおしとやかな格好が似合うようになった彼女は、簪に『不当に監視』されていたのである。一夏とセシリア達以外の人物がいるところではいつものように元気溌剌に見せられない彼女は憐れですらあった。
鈴音がそれを打ち明けてくれたのは、一夏が促したからだ。彼は一目見たときから『布仏スズネ』が鈴音であることに気付いていた。故に確実にテロリスト達を止めるために彼女も呼んだのだ。『俺が全部守るから』と、本気で告げて。
その結果、簪と『織斑万十夏』を名乗る女を捕縛することに成功したのだ。鈴音には感謝してもしたりないくらいである。勿論セシリア達にも感謝しているが、協力を渋っていた彼女が協力してくれたことが何よりも嬉しかった。簪に脅されているに違いない鈴音からは本当のことは聞けないだろうが、それでも鈴音が死んでいなかったことが素直に嬉しかったのだ。
その鈴音を騙すようにして手中に置いた簪を赦せるわけもなく。だからこそ彼は簪の語った言葉の全てを信じはしなかった。嘘を吐いていて誰かを陥れる悪い奴なのは簪で、いつも正しくて簪の魔手から皆を守ってくれるのは千冬。彼の中ではそういう図式が出来上がっていたのだ。
故に――
「ねえ一夏。協力……してもらえないかな?」
「ああ、良いぜ。何に協力すれば良いんだ?」
「それは――」
その、少女の懇願に。一夏はさほど躊躇うことなく頷くのだ。それがたとえテロリストに協力することに対する承諾だったのだとしても、彼は気付かない。気づけない。
そして、様々な思惑が。簪を絡め取ろうと動き始めた。