いきなりですが、更識簪に転生しました。 作:こよみ
満を持して簪の登場。
一瞬だけどな!
「みんなーっ! 皆の心に落ちる
「最後まで聞いていってね……!」
ファニールとオニールが声をあげ、会場のボルテージをあげていく。会場では何も知らない観客達が沸き返っていた。一夏に招待された五反田蘭もその一人だ。
「一夏さん、凄い……」
決勝まで勝ち進んだ彼を見て呟く蘭の眼差しは、恋する乙女のそれだ。一夏が彼女が憧れたままのヒーローではないことを知らず、ただ憧れの目を向け続ける彼女は滑稽ですらあった。
だからこそ。
「……
隣でぽつりと呟かれた言葉を、蘭は聞き逃した。フォルテを止めたあと、観客席の護衛を依頼されたベルベットはたまたま誰かに狙われている風情の少女――蘭の近くにいたのだ。
故に彼女は蘭を本人が知らないままに護衛している形になった。一夏を殺すために蘭が狙われるのもまた必定であったから。
そうして、何も知らない観客であり続けた蘭は。自身が危機に陥っていたとも知らず、恋した人の応援に精を出すのだった。
▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲
観客席で高まる期待とは裏腹に、楯無は微妙な顔をするしかなかった。ただでさえロシア代表としてマークされているというのに、相手が酷い。ほぼ敵対しているようなものだ。
目を細めながら考察を進める彼女には、あまり余裕がない。
(シャルロットちゃんとラウラちゃん、それにグリフィンは確定ね。一夏君も疑わしいけど……ううん、騙されてるだけでしょう)
そこに、計三件のプライベート・チャネルが入る。内容は全て同じだった。要するにぶっ潰す的な宣戦布告である。何も言ってこず狙いも分からないサラも不気味だが、それでも様子を見る限りではシャルロットに敵意があるようなので問題ないだろう。
(キッツいわねぇ……でも、やらなくちゃ、ね)
内心でそう決意した楯無は、スタートラインに立つ。
「じゃあ最終レースっ、いっくよー!」
「レディー……コメット!」
そしてレースは始まった。突出したのは、攻撃すればゴールすら怪しい一夏だ。それを守るようにしてラウラとシャルロットが盾になり、グリフィンが楯無に攻撃を加えてきた。
それを見て楯無は苦笑いする。
「陰湿すぎるわ……でもね、忘れてないかしら?」
そして全ての武装を収納し、ナノマシンをスラスターの背後に回す。その準備を終えてから、オープン・チャネルを開いた。
「IS学園において生徒会長という称号は、学園最強だということをね!」
それはある意味警告でもあった。もっとも、それを理解したのは観客達とサラだけだったが。サラは瞬時加速で楯無の隣を抜け、危険を承知で敵だらけの場所へと突っ込んでいく。
そして。
「なっ……」
「ば、爆発ですって!?」
グリフィンの驚愕を、その隣をすり抜けながら楯無は確認した。そう、爆発だ。ナノマシンを散布し、スラスターに推進力を強制的に叩き込んだのだ。強引な推進力は、少なくないシールドエネルギーを犠牲にして楯無をトップまで押し上げる。
(負けられないわよ……私だけ代表なんだもの。この地位を下ろされるわけにはいかないのよ!)
内心で歯を食い縛りながら楯無はそのままトップを維持し続けた。その代償に翌日微妙に筋肉痛になるのだが、それはまた別の話だ。
そして、二位を争うべく団子状態の五人が争う――ということはなかった。何故なら、楯無の起こした混乱に乗じてシャルロットがラウラを、サラが更にその攻撃に巻き込むようにしてグリフィンを動けなくしたからだ。先に戦闘不能になったラウラが六位、その直後に戦闘不能になったグリフィンが五位だ。
打ち合わせにはなかった行動に、ラウラはシャルロットに向けて怒鳴った。
「何をする、シャルロット!」
「ごめんねラウラ、でもこれって勝負なんだよ?」
半笑いでラウラに謝罪したシャルロットは、次に狙いを定めるためにサラへと向き直った。この混乱において、専用機持ちではない彼女がグリフィンを落とせたのは意外だったが、彼女が警戒対象であることに変わりはなかった。
にも拘らず、サラはシャルロットにも一夏にも構わず全速力でその場を抜ける。
(やってられないわ……あいつに手を出したら絶対にオルコットからクレームが来るじゃない! 逃げるが勝ちよ!)
「ま、待てよ!」
「待てと言われて待つバカがどこにいるのよ!」
そう言ってサラは追いかけてくる一夏を引き離すべく瞬時加速した。それを、ルール上違反ではない使用許諾によってシャルロットから銃を手渡された一夏が追い始める。
それを冷静に見ていたシャルロットは、内心で呟いた。
(――そろそろ、かな)
彼女はずっとタイミングを計っていた。忘れているかもしれないが、彼女は既に一夏を手にいれるためになりふり構わなくなっているのだ。
きゅ、と手を握りしめて。
(仕方ないよね。一夏が僕のものになってくれるには、こうするしかないもん)
合図を送った。成層圏で準備をしている年齢不詳の美女と、そのパートナーに。彼女らはその合図を受けとると、急降下してアリーナを襲撃せんと迫る。
そして――何も起きなかったことに、動揺した。
(
動揺するシャルロット。彼女の動揺の隙を突き、そのままゴールするサラ。気遣わしげにその隣をすり抜けていく一夏。そして、そのまま終わるレース。
そうやって、全てが終わった。優勝は楯無。二位はサラ。そして、三位は一夏だった。それが全てだ。観客達は、思わぬ男性操縦者の入賞に沸き返った。
そうして――波乱のキャノンボール・ファストは終わりを告げた。
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「馬鹿な……」
「……参考までに聞くわ。どうして分かったの?」
ボロボロのISを纏った二人の美女が問うた。一人はIS『アラクネ』を纏ったオータム。そしてもう一人は『ゴールデン・ドーン』を纏ったスコールだ。『アラクネ』は派手に破損し、またスコールの本体も配線が露出するほどにボロボロにされている。
それに、その原因を作った女は返答した。
「分からないわけ、ないよ。だって、私は――」
風に溶けて消えたその答えに、スコールは限界まで目を見開いた。
(そんな……そんなことが、有り得るわけが……)
スコールの内心の動揺も知らず、彼女はスコールに止めを刺そうと薙刀状の武装を突き出した。咄嗟にそれを受け止め、その振動でバイザーからわずかに見えた限りなく透明に近い空の色を見て。スコールは彼女の言葉が真実であることを知った。
彼女は小さく笑いを漏らし、告げる。
「だから、私を連れていって、スコール。彼らの手が届かないところへ。私の場所を取り戻すためなら、悪墜ちも悪くないもの」
「どういう意味か、というのは……」
「
ごくり、とスコールは唾を呑み込んだ。彼女から感じるプレッシャーは、万十夏にも匹敵するだろう。その万十夏が亡国機業から離脱した今、この申し出は戦力増強という意味で渡りに船だ。あまりにうますぎる話でもあるが、これに乗らないという選択肢はなかった。彼女らには、最早後がなくなっているのだから。
彼女が世界に姿を現す時――その時こそ、全ての始まりにして終わり。貴方と彼方を問う、彼女らの戦いの始まりにして。彼女のアイデンティティーの確立という名の、長きにわたる戦いの終わりだ。
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薄ぼんやりとした視界。誰からも邪魔されない、彼女だけの世界。そこは彼女のためにあり、しかして彼女のために作ったモノの存在できない場所。色があるようでない。ただ、色がついていないとも言えない。
そんな、色々な意味で微妙な世界に。一匹のウサギが現れた。ふわふわと丸っこく、つぶらな瞳を忙しなく周囲に向けている。そして、ある一点でその視線を固定した。そこに求めるものがあったから。
その白いウサギは、そこでたゆたう彼女を見つめて告げた。
「ダメだよ。このまま死なせたりなんか、しないんだから」
その言葉は、聞こえていないようにも見えた。眠っているようにも見える彼女は身じろぎすらしなかったからだ。しばらく待ち、彼女から返事がないことに落胆する。それは、また別のアプローチを考えなくてはならないことを示していた。
そして軽く目をつぶり、ため息を吐く。
(ダメ、かな……楯無ちゃんから頼まれたから、早く起こしてあげたいんだけどなぁ)
だが、ウサギが死ぬ気で防壁を突破したかいはあったようだ。
「――どうしてですか? わたしはこのまま死にたいのに?」
そう、彼女は――簪は返答した。彼女はこのまま死にたかったのだ。死にたくない理由がなかったのだ。最早本物の『更識簪』を取り戻すことも出来ず、万十夏が保護された今、彼女に生きる理由などなかった。
(そう……何もいらないんです)
故に白いウサギは弾き出された。その世界に、彼女を否定するものは必要ない。そこは彼女だけの世界。彼女のための世界で、彼女の認めたものしか存在しない世界だ。
(消えちゃってください、何もかも)
故に――そこには、何も存在しなかった。
簪は何も必要としていなかったからだ。人も、物も、何もかも。それは、逆に言えば自身をもう一度殺すだけの度胸が残っていないことをも指す。
(いらないんです)
何もないということは、自身を殺すものもないということだ。必然的に、消極的な停滞を望んでいるようにしか見えなかった。そして事実、簪にはこの状況は喜ばしいものだった。何もしなくても良く、ただ平穏だけがそこにある。
(このまま、何もしなくても良いんですよ……誰も邪魔しないから)
だからこそ、簪は昏睡したままで死ぬことも生きることもできないのだ。死にたいと願いながら迅速に自身を放棄することすらしていない矛盾を抱えながら。
その状況を打破するための作戦が始まるまで、あと少し。そしてその作戦は、後に世界を巻き込む争いの引き金を引くことになるのである。