いきなりですが、更識簪に転生しました。   作:こよみ

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 ねぼすけさんは起きるの?


世界を分かつ。貴女は貴女となれ。

『あるわけないよ、わたしに価値なんて』

 

(そんなの信じない)

 その言葉はやけにその場所に響いた。有無を言わさぬ言葉は、全ての救出者に届いた。届いてしまったのだ。その絶望にまみれた、自業自得の言葉が。だから誰も何も言えなかった。

 

『わたしに価値があるのなら、どうしてわたしの言葉は届かないの?』

 

(届いたことなんてない)

 彼女の言葉は、家族に受け入れられることはなかった。ヒロノがこうなる前から彼女の言葉を否定し、姉妹の言葉を呑み続けたから。家族はそれに気づかなかった。家族はヒロノの言葉を拒否あるいは否定するだけで、その意見の一欠片も汲むことはなかったのだ。

 当然のことながら、そんなことをされればヒロノは勘違いする。自分には何も言う権利はないのだと。何かを言ったところで無駄なのだと。故に彼女は積極的に自身の意見を封じ込めた。そしてやがて自身の意見があることすら意識できなくなったのだ。

『わたしの言葉が届かないのは、わたしに価値なんてないからだよ』

(それは変わらない現実だもの)

 その結論に至るのに、さほど時間は必要なかった。それを否定するものももちろんいる。だが、それがヒロノに届くことはない。その言葉を素直に信じられるほど彼女は他人を信じられたことがないのだから。

 そして絶望の言葉は続く。

『わたしは誰かに必要とされる人じゃない。そうなりたいと願っても、わたしは無能で愚図だからなれるわけがないの』

(ううん、なっちゃいけない)

 強烈な思い込み。それは幼い頃からそういうものだと刷り込まれてきたからこそだ。何をしても怒られるのはヒロノだけ。ならば、他の人よりも劣っているのだと思い込むのも無理はないだろう。

 故にこそ、ただ一つ求められた役割に固執する。

『わたしに価値があったとするなら、それはただの感情のサンドバッグとしてだけ。そんなの、本当に価値のあるものじゃないでしょ』

(むしろゴミクズでしょ)

 代わりのいる存在。それが人の形をしているのならば、ヒロノでなくてもよかった。確かに母の娘である必要はあるかもしれないが、それがヒロノである必要性はどこにもない。そうあるべきだと自身を定めたのはヒロノだ。

 そしてそれは、ヒロノの実情を知った彼女らにもわかっていたことで。

『だから』

 彼女だけが苦しむ必要はなかった。他の人間でもよかった。ただ、それを誰にも押し付けられないと思ったからこそ、ヒロノはそれを受け入れた。本当にそんなことをする必要はなかったというのに。自分だけが追い詰められればすべて丸く収まると信じ込んで。

『だから』

 そのあり方を否定する人間はいなかった。ヒロノの表面しか見ず、内面まで見られなかったがゆえに。彼女が死にたくなるほど追い詰められていても気づかなかったのだ。見て見ぬふりをしていたわけではない。ただ、ヒロノも自身の内面に踏み込ませなかった。それだけで起きたただの滑稽な一人芝居。

『だから……っ!』

 故に。

 

『……っ、わたしなんて、いらないんだよ』

 

 その言葉は。

 

「下らんな」

 

 たった一人、彼女の内面をすべて理解しきった少女に粉砕された。

 

 ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

(実に下らん)

 内心で吐き捨てた万十夏は、殺気さえも漂わせながら告げる。

「お前がいらない、だと? ならば私はどうなる。他ならぬお前がそう言うのなら、お前にしか『ここにいて良い』と言われていない私も必要ないな?」

 その言葉に、ヒロノは息を呑んだ。そんなことはあり得ない。万十夏が必要のない存在であるなど、どんな悪夢だと言うのか。

(なに、いって……っ)

『そんなこと――』

「お前の理屈ではそうなるだろうが。私の価値? どこにあったそんなもの。ただの実験動物だった私のどこに、価値などというものがあった!」

(あるわけがないだろうが!)

 その言葉に、ヒロノは即答してみせた。

『価値ならあるよ! 万十夏がいなかったら、救われなかったヒトがいるんだよ!』

(わたしがいなくても出会えた、『サイレント・ゼフィルス』のコアとか……!)

 それは事実だ。だが、万十夏にはそれが誰であるのかわからない。救った覚えがないからだ。それは確かに感情を持っていて、しかしながら人間の形をしていない。元『サイレント・ゼフィルス』、現『トワイライト・イリュージョン』のコアだ。

 故にその救いをもたらしたことを否定できる。

「知らんな。だが簪、お前がいなければ私は救われなかった。違うか?」

 その返答に、更にヒロノは否定を重ねる。

『そんなことないよ。助けようとしたのは姉さん達で、実際に助けたのは『亡国機業』なんでしょ? それはわたしじゃない』

「そんな肉体的なことを言っているわけではない。精神的に救ってくれたのはお前だ。あの喰えない猫でもおっさんでも、ましてやスコール達でもないんだ」

(お前がいなければ、私はもっとひねくれたままだったんだ……)

 それもまた事実だった。毎日非道な人体実験を行使されていた万十夏にとって、心の支えとなった簪は救世主にも等しかった。自身も同じような仕打ちを受けていながら、ひたすらに万十夏を案じる簪はある意味壊れていたのだろう。それでも万十夏はそれにすがってギリギリの精神状態で生き延びたのだ。

 ただの記号でしかなかった無数の『マドカ』から、彼女をただ一人の『万十夏』にしてくれたのは簪だ。幾度となく揺らいだ自分の存在意義を定め直してくれたのは簪だ。自分の身を捨ててまで実父と戦い、万十夏の居場所を確保しようとしたのも簪だ。簪の行き過ぎた自己保身から出た行動が、万十夏を救ったのだ。

(それを否定させるものか)

 その思いを胸に。

「お前なんだよ、簪。お前がいなければ、私はねえさんも織斑一夏も憎んだままだった。お前がいたから、私は今ここにこうしていられるんだ」

『そんなこと、ないよ。万十夏なら、どれだけ紆余曲折しても最後にはそうなれる』

(そうじゃなきゃ万十夏が救われないから)

 万十夏はついにヒロノを怯ませることができた。万十夏自身も中々にめちゃくちゃなことをいっている自覚はある。それでも。自身の誇りを曲げてまでも、万十夏は簪を救いたかった。

 だから更に言葉を繋いだ。

「そんなわけないだろう。私はな、簪。お前が思っているよりも臆病なんだ。自分の知らないものを知るのは途轍もなく怖い。特に人の感情を知るのはな。……それを、受け入れられるようになったのは、お前が私を肯定してくれたからなんだよ」

(それを否定させてなるものか)

『そんなの、万十夏が強くなっただけで、わたしは関係ないよ』

(だって万十夏が強くなっただけ。わたしが関係してるわけないもん)

 否定に次ぐ否定。それを否定し、万十夏は肯定に変えたかった。彼女が自身を貶める理由は何となくわかる。だが、そんなものが何だと言うのか。それがもしも理由なのだとすれば、万十夏はその理由ごと粉砕してみせる意気でいた。

 そしてそれを、ヒロノは信じてはいなかった。

『……何でそこまでわたしなんかにこだわるの? わたしなんていなくても万十夏なら生きていけるでしょ?』

(万十夏は強い子だから、わたしなんて枷は必要ない)

 そう思うからこそ、ヒロノは万十夏の言葉に硬直させられることになる。

「ハッ……そうかもな。だが、お前なしで生きてどうするんだ?」

『……えっ』

 沈黙。それはある意味愛の告白にも似ていた。あるいはそのものであったのかもしれない。勿論万十夏にはそのつもりなどなく、ただ仲間として見ているだけの発言だった。だが、周囲から見れば突っ込まざるを得ない。

 そこで今までシリアスな雰囲気に呑まれていたランネが突っ込んだ。

「ちょっ、今何て言った万十夏!?」

「私は簪なしでは生きたくないと言ったが?」

 どや顔でそう返答する万十夏。どうやら自分の言葉の大胆さに気づいていないらしい。それに対してヒロノは黙りこむしかなく、サラは呆れ、ランネは絶句した。

 故に言葉を吐けたのは本音だった。

「さ、流石に大胆だよぉ~……かんちゃん、おめでとう?」

(これは流石に……勝てないかもね)

 生暖かい目でヒロノを見つめてくる本音に、当人は至極微妙な顔をするしかない。

『……いやいやいや本音待とう? 万十夏は多分そんなつもりで言ってないというかそんなの万十夏に失礼だっていうかそもそもわたしに告白しても万十夏に何の得もないというかあうあう』

「……コクハク? kokuhaku? こここ告白……いやあの、私もそんなつもりはないというかその、ええっとだな」

 一気に空気がぶち壊され、張り詰めていた空気は弛緩した。ヒロノですら笑いをこらえているほどだ。無論それは狙ってやったことではないにしろチャンスだった。

 そのチャンスを逃す本音ではない。

「とにかく~、戻っておいでよかんちゃ~ん。価値なんて後からついてくるよ~」

 それは本音の本意ではなかったが、それでも戻ってきてもらわなくては彼女が困るのだ。生まれる前から死んだあとまで、布仏本音は更識簪の従者なのだと叩き込まれてきているのだから。彼女もまた、それ以外の生き方を知らない。

 それにランネが便乗する。

「そうよ。今、アタシ達にはアンタの戦力が必要なの。今すぐに動けるのはアンタしかいないのよ」

 ランネは敢えてそれ以外に価値はないような言い方をした。ここでそれ以外を求めれば恐らく簪は戻ってこないと直感したからだ。まずは最低限から。そこから徐々に認めさせていけば良いと、ランネは思っている。

 そしてサラもそれに追従した。

「……ま、確かにいなけりゃどうとでもするけど、いた方が助かるわよね」

 サラとしては簪の在り方は気に食わないものではあるのだが、『ゴーレム』の群れがもう一度攻めてくる可能性がある以上簪には起きていてもらった方が楽だ。彼女単独でも倒せないことはないが、辛いものがあるのだから。

 それらすべてをまとめ、端的に万十夏は告げた。

「とにかく、一回起きろ。話はそれからだ」

 そこまでお膳立てされて。ようやく、ヒロノは起きることを選択することにした。耐えられなくなったならまた逃げれば良いのだ。今度は二度と誰も手の届かない所へと。

 その覚悟を決めるのに、ヒロノは問うた。

『……本当に、良いの?』

 その言葉を否定するものはいない。故に、ヒロノは起きることを選んだ。

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