いきなりですが、更識簪に転生しました。 作:こよみ
放送席の箒を庇ってギャグのごとく爆発した簪は、医務室で目を覚ました。流石に知らない天井だ、をやるほど気力があるわけではない。
簪は焙られた筈の腕を見て乾いた笑いを溢した。
「……知ってましたよやだー……」
その体には一つの傷もない。痛みは僅かにあるものの、それだけだ。あの時殆ど絶対防御は下の観客達のために割り振っていたにも関わらず、簪はほぼ五体満足かつ健康だった。いっそ不自然なほどに。
簪にとっては分かりきっていたその事実に、誘拐されたときの記憶がフラッシュバックして歯を食いしばる。残像が簪を苛むため、目を閉じる。すると更に鮮明になってしまい、気分が悪くなってきた。仕方がないので手の甲を目の上に当て、冷静に記憶を整理して必死にその記憶を過去のものだと認識させていくことしか簪には出来なくなっている。
簪は心のなかで繰り返した。
(ここはIS学園。わたしは自由で、身を守る術がある。『グレイ』もいる。手枷も、足枷も、首輪すらここにはない)
ひゅう、と呼気が漏れて思いの外自身に余裕がないことを知った簪はゆっくりと深呼吸を繰り返した。焦点を合わせ、ともすれば浅くなりそうな呼気を整えなければ簪は正気ではいられなかった。
暗示のように簪は自分に言い聞かせる。
(大丈夫。あの子はいない。大丈夫。もう痛いことも酷いこともされない。大丈夫。大丈夫。あの子はきちんと逃げた。大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫)
一際長く息を吐いた簪は、ようやく気付いた。
「……何の、ご用でしょうか……織斑先生?」
すぐ隣に人間が立っている。その背格好から簪はそれが千冬だと推測し、そう声をかけたのだ。凛としたその佇まいは、四組の担任ではあり得ない。四組の担任はもう少し飄々とした眼鏡の変人メカニックだからだ。出きれば関わりたくない人物であるため、もし四組担任だったら狸寝入りするつもりだった。
それに人影はこう返した。
「用というほどのことではないが、一つ聞かせてほしい」
声が千冬だったので、簪は確かに彼女が千冬だと確信した。その口調を聞いてそれが単なる問いでないことにも気付く。それも、一般人には聞かせられない類いのものだろう。簪の特殊性は恐らく千冬には見過ごせないものなのだろうから。
故に簪はこう問い返す。
「尋問ですか?」
「何故そうなる……いや、あながち間違いではないな」
苦笑した千冬は、簪に問うた。
「更識。お前はその再生能力をどこで手に入れた?」
その問いは、簪の冷静さを一瞬奪うことに成功した。ただし多少は覚悟していた問いであったため、すぐに平常心を取り戻す簪。
それでも動揺したことは確かで、簪はわずかに震えた声で返答した。
「再生能力……ですか。多分ナノマシンの類いかと。昔誘拐された時に色々されましたので」
誘拐された、と聞いても千冬は眉を動かさなかった。簪の言葉に何か考え込んでいるようだったが、それを簪に明かすことはない。それはあたかも誘拐された理由を知っているかのようで、簪は気分が悪くなった。確かに知っていてもおかしくなかったからだ。
そのまま黙りこんだ千冬に、たまりかねた簪は声をかけた。
「それが何か?」
「いや……原因が分かっているのなら構わん。教員として、一年一組担任として、観客と篠ノ之を守ってくれたことに感謝する」
そう言って千冬は頭を下げたが、簪は知らないことになっている箒の情報を簡単に明かしたことに驚いた。普通は間接的な加害者にもなりうる箒の情報を渡すものだろうか。しかも、箒のような重要人物の名前をだ。色々と情報管理がなっていない。
(いや、簡単に明かしてくれてますけど、これわたしが篠ノ之箒を逆恨みして報復するつもりだったらどうするんです?)
思わず心のなかで突っ込みながら簪は千冬に問うた。
「……えっと、篠ノ之さんって……もしかして放送席の?」
「ああ。あの勝手な行動に関しては既に罰則を課している。後々本人から謝罪させ、治療費に相当する慰謝料が保護責任者から支払われるだろう」
「そ、そうですか……その、結果的に怪我はないんですし、金銭は止めておいた方が篠ノ之さんの将来のためにも良いのではないですか?」
簪は箒を案じる振りをして自身へ余計な目を向けさせないように言葉をはいていた。
(調べられたら普通に傷害罪の前科持ちと篠ノ之さんが見なされてもおかしくないじゃないですか。そんな面倒なこと、死んでも嫌ですよ)
簪のある意味自分勝手な言葉に千冬は眉を寄せた。
「更識が良くても本家はそうは思わんだろうな」
「……あー、これ幸いと篠ノ之さんにあれこれ言いそうですね。お姉様とコンタクトを取れだとか、アポイントメントを取れだとか」
「それに束が応じるとも思わんがな。ただ、慰謝料については受けろ。既に話はつけてあるからな」
肩を竦めてそう言い放った千冬は踵を返した。それ以上簪に言うことがなかったからだ。その他に千冬には考えるべきことがあったのだから。
その背に簪は了承の意を伝えた。
「承知しました、織斑先生」
その言葉が空気に溶けて消えて、次の瞬間。
「君の望みはどうやったって叶わない。とるに足らない君のような
簪が幾度となく聞き返した声で、この世界における天災にしてキーパーソンが告げた。思わず息を呑み、周囲を見渡すがそこに束はいない。世界で一番有名な科学者、ひねくれものの気まぐれ屋である篠ノ之束が、その程度で姿を見られるわけにはいかなかったからなのだろうか。
それでも簪は問いを返した。
「それはどういう意味ですか?」
「これだから凡人は困るよねぇ。ちょっとは自分で考えなよこの死にたがり」
普通に成立する会話に簪が違和感を覚えて。それよりもなおその声の主に見透かされている願望が叶わないことに絶望した。正確には、簪は死にたがっているのではないのだ。
ひくり、と口角が動く。
「……たとえその望みが叶わないものだとして……どうしてそれを、あなたいわく
(そもそも他人に興味のない篠ノ之束が、何故わたしに関わるのか知りたいものです)
こみ上げてくるものは怒りか、悲しみか、もしくは。簪はそれを堪えながら問うた。問わなければならなかった。簪にとって、ライトノベル『インフィニット・ストラトス』において一番の危険人物を警戒しない理由がない。
だが、今回に限っては警戒の必要はなかったようだ。相変わらず簪とは目を合わせようともしない束がそっけなく告げた。
「慰謝料だよ。ちーちゃんがどうしてもって言うからね」
「慰謝料とは。……いや、気にしないでください。確かに受け取りましたので」
(それは慰謝料じゃなくて嫌がらせでしょうがやだー)
簪が遠い目でそう返すと、それきり返事はなくなった。静まり返る医務室。そのなかで簪は静かに目を閉じた。細く、深くため息を吐いた簪は、改めて自分の行動を振り返った。
(切り札はまだ切っていません。クラスメイト達の心証も多少は下がったでしょうがまだ許容範囲内です。あと問題なのは、これで篠ノ之束に目をつけられた可能性があることでしょうか)
さしあたり考える必要があるのはその辺りだろうか。簪は思考を巡らせて今後の対策を練る。
(恐らくこのままクラス対抗戦はなくなりますね。たとえどこかから圧力が掛かろうが、男性操縦者の保護を理由に突っぱねるでしょう)
カーテンの先に誰かが立っても簪は思索をやめない。やめる意味がないからだ。簪を見舞う人間などいるはずがないのだから。
故に簪は驚いた。
「おい」
「うひぃあ!?」
「お、驚かせて済まない……だが、騒がないで貰えるか? 先生の目を盗んで来ているんだ」
それは驚くべきことに、箒だった。タイミングは姉妹揃って似ているようだ。
申し訳なさそうな顔をした箒は簪に謝罪を始めた。
「その、えっと……す、済まない。私が軽率だったせいで、怪我をさせてしまって……」
「軽率、というか危ないことをしたのは確かですね。でも、それ以上に篠ノ之さんは織斑一夏氏を応援したかったのでしょう? 自分が危険になってでも、それ以上に彼に頑張って欲しかったのでしょう?」
男だから、とは簪は言わなかった。言いたくなかったからだ。男だから、女だから。この言葉は嫌いだった。叶うのならば簪は、どちらにも生まれたくなかった。不謹慎だと謗られるだろう。どちらにも生まれられなかった人に失礼だと思わないのかと詰られるだろう。それでも簪は、外見上のことで判断されるのが嫌いだった。
神妙に頷いた箒に簪は告げた。
「それなら良いじゃないですか。人間なんてのはね、どうせ優先順位を決めないと中途半端に終わってしまうんですよ」
「……でも」
躊躇う箒に、簪は欲しいだろう言葉を茶目っ気を込めて伝える。
「怪我をした当事者から詰られたいと言うなら頑張りますけど、別に篠ノ之さんは他人に怒られて喜ぶドMではないでしょう?」
「それは違う! でも、その……守ってくれて、感謝する」
顔を赤らめてそう伝えてくる様はまるで恋する乙女のようだが、箒が恋しているのは一夏であって簪ではない。そっちのケがないとは断言できない簪でもそのくらいは分かる。
故に簪は打算も謙遜もなくこう返した。
「いえ、わたしが出来たのはあれだけですから。むしろあのISっぽいのを倒してくれた彼に感謝してください」
「そう……か。でも、お前がいなかったら私はきっと無傷じゃ済まなかった。だから、ありがとう。それだけは受け入れてくれ」
「……善処します」
目をそらしてそう返答すると、箒は実に複雑な顔になった。しかし簪には何も言わず、その場を立ち去ったのだった。
二次創作のお約束、束は白い。だがしかし、このSSでは……白いと言っても正しい。黒いと言っても正しいのである。