今回はまた、色々と混乱するかもしれません。
文章中に出てくる(※1:注意)は後書きで説明されています。
長谷川千雨の心の内は今、どうしようもなく舞い上がっていた。
この一日を好きに使ってもいい。残り四時間にも満たない短時間に限られるが、フォックスが先遣隊を引き連れて此方に向かっていた月光の大軍を討ち洩らし無く倒しきったと言う報告を受け取ったからである。
当然だが、流石の彼女といえども修学旅行は中学校では、詳しく言えば「このメンバーで一生に一度しかない行事」である。これから先の高校なども良好な交友関係を築くとは言い辛く、むしろ裏の世界とやらに関わったことでこれから先の就職先がまともなものではなくなるかもしれない、という懸念もある。
その楽しむためのメンバーは
「ね、ね、さっきのって何かあったの?」
「…ん、まあ。何にも無かったって奴だ」
「ならいいけど。気になるけど、またアレな話なんでしょ?」
「残念ながら、な。修学旅行だってのに血生臭くて嫌になる」
「ビッグニュースならともかく、危険すぎる事は起こらないに越した事が無いよね。ホントに」
「パパラッチらしくねえな」
「や、流石にフォックスさんのアレは勘弁」
朝倉和美。彼女はいろんな意味で気心が知れた相手として会話できるだろう。
そんなこんなで自由時間の昼。彼女たちは適当なところで昼食を探そうと言う事になった。あやかと言う存在がまた金に糸目をつけずに暴走するという危惧もあったが、彼女が張り切り過ぎるのは「ネギ先生」に関する事だけと言うのは一応は周知の事実。その先生がいない場所と言う事もあって、むしろいい意味でのリーダーシップを発揮していた。
と、思ったのだが、予定してあった三班の観光地を回っていところで雪広が突然こんな事を言い出した。
「それでは、この辺りで個別に行動しませんか? 先生に言われた通り班行動ですので最低でも二人一組で行動してもらう事にはなりますが」
「え、個別行動って」
「私ばかりがリードしていてはせっかくの修学旅行もツアーガイド付きの観光案内にしかなりません。有名どころ以外の色々な場所で見解を広めるのも修学旅行、つまりは学業ですからね。学生の本分を忘れると言う訳にもいきませんから」
「「……え、旅行じゃなかったの?」」
「村上さんに朝倉さん!? ああもう…ちづるさんはザジさん達を連れて自由に言って来てください。少し、この二人には言っておきたい事がございますので!」
「え、いいんちょ!?」
「まって、待ってちょ―――」
ずるずると首根っこを引きずられながら何処かに消えていく三人は周囲の注目を集めながら、千雨たちの視界から消えて行った。千鶴はその様子をあらあらと言いながら見守っていたが、実際に残された三人はさほど交流も深くは無い異色の組み合わせである。
ザジに関しては先ほどの事もあって、何処となく気まずい感じもする。だからと言って何時までも此処で足を止めていてはせっかくの自由時間も無駄になるだろうし、千雨は仕方ないだろうと、二人に話を切り出した。
「とにかく他に行きたいところあったら行くか? 地理はあるから最短ルートはとれるけど……」
「案内できるの? あ、ザジさんは何処か希望はあるかしら」
「……ついてく」
「ん、じゃあ那波の希望を言ってくれ、すぐに検索する」
「検索?」
「…あ、ああいや何でもない。頭の中を整理する時の癖でさ」
彼女の左目が失われている事はともかく、ソリッドアイに関しては視覚復旧の医療機器として一部のクラスメイトには知れ渡っているが、実際の機能を全て話すわけにもいかない。魔法関連や兵器関連という理由もあるにはあるが、それ以上に千雨は搭載されているGPS機能を知られると他のクラスメイトの悪ノリでネギを追求するようなことになった場合、その機能を十分に悪用される可能性が挙げられるからだ。彼女としてもそんな事でこれを使わされるのは気にくわないし、何より聞かれるために人に囲まれることは避けたい。
そんな事を思いながら、ソリッドアイの表面をさするのだった。
「……っし、それじゃ何処行くんだ?」
決意も新たにしたところで、自分のコミュ障改善も兼ねて、いかにも場馴れした風に話を持ち出した。少しばかりの緊張で心臓は早鐘を打つが、どうにか上手く隠し通す事が出来たようで、他の二人は気遣うようなそぶりも見せてはいない。まぁ、人を見る目がある千鶴と不思議っ子のザジだからこそかもしれないのだが。
「ん~」
だが、聞いた事がまだ決まらないのか千鶴は唸る声を上げるばかり。どうしたものかと声をかけようとすれば、急に手で相槌を打って指をぴんと立てた。
「やっぱり、朝倉さんのとこに行ってくるわ。このまま説教で三人の自由時間を潰しそうだし、きりのいいところで止めてあげないとね。そう言う事で、長谷川さんはザジちゃん連れて色々見回ってきてね」
そう言って彼女は三人のいた場所へと走り去った。
取り残された相手はクラスの中でも千雨以上に輪に入ろうとしない人物で、先ほどの路地裏で人外かもしれないと言う種族の違いも発覚している。だが、無害なクラスメイトと言う事は分かり切っているので、尚更普通の人と同じ扱いでいいのかと言う変な気づかいが生まれてきそうだ。
どちらにしても、此処に留まってばかりでは何もできない。それに、敵も狙うなら唯の一般人に過ぎない雪広たちよりも少なからず裏の匂い――特に自分は僅かな硝煙の匂い――を漂わせているこちらの方が価値があると判断するだろう。その使い道としては人質、足止め、エトセトラ……狙われる確率は此方の方が高いと判断して、寧ろ一般の千鶴が巻き込まれる確率が減ったのだと無理やり納得した。
未だ何の反応も見せずに突っ立っているザジの手を取ると、率先するように歩きだす。
「足止めてたら何にもならないしな。とにもかくにも何処か行くか」
「……うん」
そうして触れられたのはザジも初めてだったのか、瞳には驚愕の色が揺れていたようだが、それもすぐに収まって先の答えを返す。あまり友好関係もない二人だったが、連れ添って歩く様子は本当に仲のいい友達のようであった。
「お待ちしておりました。お狐様」
「フォックス、急に呼び出してすみませんでした。どうやら薬師寺家の御党首がお呼びしておりまして」
所変わって呪術協会の談話室。そこには人払いも済ませてあるのか、僅か三人ばかりの人影が見受けられた。
そして先ほど詠春が言うとおり、目の前には、五体投地にて頭を下げる老婆が一人。その傍らには、昔の姫様が護身のために身に付けているような薄い青色の装飾が施された短刀が右側に置かれていた。
経緯を説明すると、突如出現した敵の勢力を討った後、グレイ・フォックスは再び関西呪術協会の本部へと呼びもどされていたのだった。その折に連絡を取ったのは詠春であり、道中の話によれば、ここ最近の事を本部の手練れ達に話したところ、その中でも有名な家の党首がフォックスを呼んでいたので、彼を此処に召喚したとのこと。
フォックスは現在、着の身着のままで呼ばれたので強化外骨格を着込んだままだ。顔面部分の装甲からは素顔が露出した状態であるが、それでもこの様な場には相応しくないと流石に思っているのか、一言このような姿ですまない、と老婆に言った。
「いえ、尽力して頂いているのは聞き及んでおりますとも。それより、このたびは…ご足労頂き、誠にありがとうございます。私がお狐様を及びに相成ったのは、このような理由がありましてのことでして」
彼を呼びだした古風な喋り方をする老婆は、とある「破魔・退魔」の力を主とした日本の法術を代々取り扱ってきた血筋らしく、その中でも神鳴流や呪術師と深い繋がりを示すような「刀剣・杓杖」にその力を宿し、鍛える刀工の家柄でもあるそうだ。
かの詠春が扱った、現在は刹那の手に在る妖刀「夕凪」を作った家とはまた別の家であり、ここ数代の間は碌な破魔を作る事も出来ずに刀工としての名は廃れていった家であるが、むしろ、その刀の担い手たる神鳴流の剣士の優秀な者たちを数多く輩出した方でこの辺りには知れ渡っているらしい。
ならば今回もその剣士について訪ねる事が在るのかと思いきや、彼女の目的はその右隣に仰々しく置かれた一振りの小刀を渡す為であったらしい。そうして訳を述べた薬師寺家現当主の老婆は、懐かしい物を語るように言葉を連ねて行った。
「少しばかり…昔話に付き合わせてしまいますな。……あれは、私がまだまだ青くも幼子であった頃に遡ります。…ですが、今はこのような緊迫した状況。…このような…老婆の話など、聞かずとも渡す事が出来ますが……如何なさいましょうか」
「いや、聞かせてくれ。積み重ねた歴史は今に繋がる。聞かないと言う選択をとる方が愚かしい、俺はそう思っている」
「……これは、これは。…やはり、見込み通りの御方のご様子……」
では、と老婆は小刀を体の前方に置き直した。
その枯木の様な腕で小刀を持ち、刃を見せようとしたのか柄を持って力を入れようとするも……どうにも、そのつなぎ目に引っ掛かったようにどうやっても動かす事が出来ないらしい。
溜息一つ。そして、この通り、と言わんばかりに小刀を置き台に戻した。
「見ての通りに…ございます。これを抜く事の出来るお方は、我らが家の輩でも抜けませんでした。……先を続けていただけるなら、これを私が初めて見たのは私の祖父が、工房で法師殿と共に法術を呟きながら……此れを鍛えておりました時であります」
老婆の語りは続き、その全容が語られていった。
その昔、薬師寺家の6代目当主であった彼女の祖父は、最高の退魔の剣を鍛え上げようとしていた。その剣は人は切らず、人の悪しきと魔を払う事のみを考えられて鍛え上げられたものであると、周囲の物に語って聞かせては、長年その構想をずっと決めかねていた。
人を切らない刀と言うのは、難しいどころの話ではない。実体を持っていればそれは人を傷つけてしまうのは自明の理。鉄で作れば骨を断ち、かといって木で作れば魔を切れぬ。二律背反の刀と言うのは、それほどまでに悩ましい物であったのだ。
だが、ようやくその形が定まった。その祖父は、まだ幼かったころの彼女が来た時に、初めて「人間らしい」笑顔を向けていた。
―――やぁ、またいらっしゃいましたか。
―――おじいさま、嬉しそうですね?
―――ええ、ようやく退魔の形が定まったのでございます。
その祖父殿はどんな相手にも敬語を使うようで、だが、その日ばかりは敬語の裏からでも嬉しそうな雰囲気が伝わってきたのだとか。そうして彼が彼女に語って聞かせたのは刀の形。それは「実体を持たない刀身」という事だった。
「……だが、そんなものをどうやって刀鍛冶が作れる」
「お狐様の疑問は御尤も。ですが……私達はただの刀工ではありません。我らは裏の世界、そう…いわゆる魔力を扱う家でもある事を、お忘れではないですかな?」
怪しく老婆は笑うと、続きを語った。
その時に祖父が言った形は、こうだ。
―――魔を切りながら人を傷つけぬ実体を持たぬ刀。つまり、法術を刀身にしてしまえばよいのです。流れる川が土を削るように、法力の言葉を魔へ打ちつければ、魔を切る事も出来ましょうよ。
楽しげに笑う祖父の姿は、重ねた年を感じさせぬ子供らしい無邪気な笑みだった。そして後日、名のある法師殿を呼んだ祖父は早速その「言霊」を鉄の代わりに、術式を散りばめた鎚で固め始めたのです。
「待ってほしい」
「はい、なんでしょう…?」
「言霊、と言ったが、それは?」
「お狐様は外国の方ですから馴染みは無い言葉でしょう。…いうなれば、
「……成程、言葉の力。神鳴流の剣士が叫ぶ技名の様なもの、と言う事か」
「纏められてしまいましたが、まぁ、そのようなものでございますよ」
……それでは、と老婆は続ける。
その法師を呼んで祖父が工房に籠った日から二ヶ月の間。工房からは頭が可笑しくなりそうなほどに法師の有難いお言葉が流れ続けた。そのため、祖父は珍妙な事を始めた者として二ヶ月の間に勘当され、もはや工房の近くに寄る者は私だけとなっていた。
そうして、満足気に頷く祖父と、疲れ切ったが達成感のある法師殿が出て来た時に、その手には一振りの青い鞘に収まった小刀が握られておったのです。
「……それから数ヶ月の後、此れはようやっと、寸分違わぬ今の形へと鍛え上げられました。装飾の火の様な青は、その時の法師が施して下さった退魔の力を持つと言われる青き炎を思い浮かべたもの。……もうおわかりでしょうが、これは、そのような強力な敵との対抗手段として鍛えられたのです」
老婆はですがと一息ついた。
年の割には、先ほど話に出て来た彼女の祖父と言う人物の様にどこか若々しさが感じられる仕草であった。後に詠春に聞けば、既に齢百を超えていると言うらしいが、見るからにこの老婆はまだ六十代になったばかりの様で、やはり遥か昔の事を思い出しているのだと、フォックスは実感する。
彼女は此方が見ている事に気付いたのか、やんわりとした笑みを浮かべて小刀を差し出した。
「これは、そのような裏の法を使って作りだされた刀。ですが、抜けた者は誰もおりませぬ。それはつまり……唯の凡百の天才では抜くことなど出来ようもないと言う事でしょう。その“裏”に、罪や罰と言った何かが必要なのかもしれませんなぁ。……とまぁ、能書きは此処まで。どうか、お狐様、貴方にこれを受け取っていただきたい」
改めてみれば、やはりしゃがれた震える手でその小刀を此方に差し出し続けていた。
その小刀は、見る者を引きこむような魅力は無いが、とても退魔の力を持っているとは思えない程に、どこか薄暗い雰囲気を放っていると感じられる。そして、その刀に触れてしまえば、己と言う存在に何かを自覚させらるような、そんな訳のわからない予感が流れ始めた。
だが、これを鞘から抜けるかどうかは分からないが、裏の者に対する最高の対抗手段である事は確かであるのだ。此れを受け取らないという選択肢は、フォックスは持ち合わせていなかった。
それを静かに手から取ると、まるで何時も握っている高周波ブレードの様に手慣れた感覚が染み渡る。その間隔は一瞬で消えたのだが、此れはやはり自分のいた世界では想像もつかぬような何かが在るのだろうと、改めて実感する。
「……成程、やはり担い手やもしれない、と言う事ですか」
「……何?」
「ああいえ、此方のしがない独り言故、お気になさらず。……では詠春様、私はこれで下がらせて頂きます」
「こちらこそ、その御歳でご足労いただきありがとうございました」
「家柄でもなく、私の我儘と昔語りに付き合ってもらったのですから、この程度は私の席で十分ですとも。せっかく長として箔が出て来たのですから、もっと胸を張って下され。…それでは、また」
ゆったりと、それでもしっかりと足に地を付けた足取りで薬師寺家の現当主である老婆は部屋を出た。人払いもした閑散とした部屋には、小刀を見つめるフォックスと詠春が取り残されていた。
その時、襖が開かれて侍女の一人が詠春を呼ぶ。彼は去り際にフォックスへと任務の続行を言い渡すと、すぐさま侍女と共に会議室へ向かって行った。慌ただしい足音が消え、再びの静寂が訪れる。
おもむろにフォックスはその柄を握り、もう片方の手で鞘を握って水平に構える。
「…………」
怪しげな青い輝きを発している退魔の小刀は、それを抜き放った時どのような輝きが見られるのかと言う淡い期待を掻き立てる。その衝動のままに少しずつ手を左右に広げる力を加えようとして、すぐに手の動きを止められた。抜き放つ事が出来ないのだ。まるで、鞘と刀身がくっついてしまったかのようにビクともしない。
せっかく老婆が譲ってくれた最上の手段かもしれないのに、此れでも抜けないとなると少しだけ心の隅に期待外れの諦観を覚える。同時に、俺も抜く事が出来ない人物なのかと。
いずれにしても仕方ない、と彼は小刀を高周波ブレードを仕舞っている場所と同じ格納スペースに其れを押し込んだ。多少乱暴に扱ってごつごつとした角に当ててしまったにも関わらず、装飾の色彩一つ剥がれない所を見て、やはり常識外の力が働いているか。そんな感慨深さを抱いた。
さぁ、もう行こう。サイファーⅡの視覚情報とリンクして新たな捜索場所を絞り出すと、その地に向かって窓から飛び出して行った。格納スペースの中では、青い小刀が打ち震えるように輝いていた事は、誰も知らないままに。
時刻は三時ごろ。京都で自然観光地としてそれなりに名のある「笹の滝」にザジと千雨の二人は訪れていた。千雨自身も人混みに溢れている所よりもこうした自然に囲まれた環境の方がまだ好きな方なので、ザジのお願いに応じて此処まで連れて来たという事だ。
(※1:注意)
そんな笹の滝は日本の滝百選に選ばれているだけあって、見ていると何かよく分からないが小さくおぉ、と言う声が漏れるくらいには感動があった。滝の流れを眺めていると、少し平和的なその光景に気を抜きそうにもなる。
「…………(ぽかん)」
「どうだ、満足できたか」
「…うん」
「そりゃ良かった」
笹の滝には釣り人も多く、あまごの解禁は三月と言う事らしいが、彼女らはまだ少し肌寒い四月に来たからと言うことなのか、川遊びを楽しんでいる子供やそう言った魚釣りを楽しむために来ている姿は見当たらなかった。ちらほらと見当たる程度に幾人かがそこにいるだけである。
「あ、おいっ」
滝の流れをしばらく見ていたザジは、突如何かを思い出したかのように近くの林の中へ歩みを向けた。その事に気付いた千雨が後を追いかけていくが、険しい自然の道を足が止まることなく慣れたように突き進んでいく。エヴァの別荘や麻帆良の裏の林でこう言った凸凹下地形に慣れている千雨だからこそそんな彼女に付いて行けているのだが、逆にザジもまた通常では持ちえない地の利が在ると言う事に驚愕すべきだろうか。
そんな事を思いながらザジを追いかける事数分。突如立ち止まった彼女は、近くにあった大きめの木のウロの中を覗き込んでいた。不思議に思った千雨が彼女の背後から底を除くと、小さな小鹿がうずくまっている。どうやら、ザジはこの小鹿が目当てだったようだ。
「…やっぱ、
「……?」
「いやこっちの話。つかこの鹿どうするんだ?」
「………これ」
懐から取り出したのは、いつの間に購入していたのかある意味で名物の「鹿煎餅」。とある鹿煎餅を売っている露店では、客が煎餅を購入した途端にそれにありつこうとする賢い鹿などもいるそうだが、まぁ大人気…と言えなくもない其れを彼女は小鹿に差し出していた。
その小鹿も味は分かっているのだろうが、見ず知らずの、しかも人間から手渡された物に警戒を示している。普通なら奈良や京都の鹿は人を見ても何とも思わず脅威ともみなしていないのだが、こうした小鹿はやはり野生らしさがまだ残っているのだろう。おっかなびっくり、と言う風だった。
「……大丈夫」
安心させるようにザジが言うと、おずおずと口を伸ばして鹿煎餅に食らいつき始める。もしょもしょと食べる姿は実に微笑ましい光景なのだが、こうもあっさりと野生動物の警戒を解いたザジの方にもそれなりに千雨の興味は移っていた。
先ほどと同じく、何の前触れもなくザジは立ち上がる。
「…これで、大丈夫」
「他に行きたいところとかは?」
「……無い、かも」
合点承知、小さくそうつぶやくと、千雨はソリッドアイの機能を弄ってこの森林地帯からの脱出ルートを絞り出す。だが、どうせならこの森を抜けていくのもいいかもしれないと敢えて参道には戻らないルートを選んだ。そのことを相方に伝えると、了解の意を得たのでそのままゆっくりと歩き始める。
ざっ、ざっ、と土や落ち葉を踏みしめる音が何とも心地よく、千雨の頭の中では森林浴とはこの様な気分なのか、などと言う事が思い浮かんでいた。
しかし、油断していたのは確か、と言う事か。
「ちっ、
「……?」
ソリッドアイには強力な魔力反応が一つ。随分となめられたものだとは思うが、逆にその方が千雨にとっては好都合である。ソリッドアイの示すままに、まばらに生える木の一つに鋭い眼光を向けながら、ポーチからサプレッサー付きのハンドガンを一つ抜き出し、右手に構える。もう片方の手には小さな電気ナイフを構えるCQC
よもやそのようなものを持っているとは流石に思いもよらなかったのか、ザジの目は驚愕に見開かれていた。横目で彼女を見ながら落ちつけと述べると、千雨の雰囲気に呑まれたのか彼女はしっかりと頷いた。
「で、私たちに何か用か? 過激派共」
「これはこれは、随分と敵対しされたものです。このような無力な
丁寧口調だと言うのに完全に自分以外を馬鹿にした言い方。その事に著しく怒りを覚えるが、ソリッドアイから流れてくる情報によってその怒りも霧散する。ここで感情に任せた突貫をしてしまえば、彼女の周りを縫うように回っている魔力の糸がレーザーの様に自分をサイコロステーキに変えてしまうであろうことが分かっていたからだ。
「……そうかよ、
「あら、目だけは良いのですね。そんなに心配せずとも、すぐにあなた方は此処でこまぎれになると言うのに」
「いや? お前の情報に捻りが無さ過ぎて呆気なく思っただけだ。この事を伝えれば、お前らを警戒してたやつは皆肩すかしくらうだろうな、織姫様」
「あらまぁ、流石に分かりますか。そこまで低能で無い事を褒めるべきか、それを知っただけで浮かれている事を嗤うべきか……判断に困るとはこの事を云うのですね」
ほほ、と口元に手をやって笑う彼女を冷たい目線で見ながら、千雨は無線をフォックスやRAYに繋いでいた。
「そうそう、魔力反応は私の
≪コールサイン、こちらFOX1・エンゲージ。織姫と遭遇したので位置情報を送る。それからコイツの力の一端を記録した。RAYは解析と記録を頼む≫
≪此方RAY、了解≫
≪こちらFOX2、了解。全力でそちらに向かう≫
「……さて、仲間が呼べないとなると少々きついな」
なるほど、魔法に頼らぬ純粋な電波による障害は感知できないと言う事か。そう結論付けると、目の前で笑う「織姫」であろう道化に心の中で一笑を送る。表情に敵以外の者を浮かべれば隙が生じたと判断して襲ってくるだろうから、それもあるが、此方には戦闘能力が未知数なザジと言う要素が在る。人で無くとも、なんの力もないと言う事は珍しくない。それに、「力持つ者」としてはクラスメイトの命が最優先であるからだ。
そんな事を思いながら、エヴァンジェリンに加工を施してもらった十発の弾丸中、二発が込められた己の銃に少しばかりの意識を割く。この弾丸は打ちだされた時、魔力を持っているので相手の術にぶつけて相殺が可能だと言うが、逆にいえば普通の弾丸は敵に対して有効打にはならないと言う事である。それに、相手は魔法使いが纏っている魔力障壁を何重にも厚くしたような最硬の盾を常に構えているようなもの。
判断を誤ったその時、悪ければ死んで、良ければネギ先生のお小言をいただく。
実践に直面したのがいきなりボスとはついていない。そう考えながら、引き金に何時でも力を掛けるように構え直した。
「天帝様が言っていらした。貴方たちの中で邪魔な人間は全員顔を割りだしてありますから、あなたの次は同じく銃を持った褐色の子を殺しに行こうかしら」
そう言いながら笑っている織姫に対して、千雨はラッキーだと口笛を吹きたくなった。相手は完全に自分の力に自信があるらしい。それがどれほどの物かは知らないが、やはりこの様に敵を前にして口上を垂れていると言うのは、それはよほどの戦いの初心者の証。確かに、その言葉は力ない輩に対しては恐怖の演出が可能だろう。だが、この時点でこう言った強力な結界をいとも容易く崩す力を持った援軍が向かっている中、時間稼ぎには丁度いい。
ソリッドアイの機能を切り替えて周囲を見渡すが、魔力反応は大小合わせても目の前の女からしか検出されていない。つまり、これはチャンス。
「……ザジ」
小声で話しかけると、彼女は変わらない無表情で此方を見つめて来た。
「…そっちの小さな岩が在るとこ、そこから真っ直ぐ行けばバス停に出られる。人通りもそれなりに在るから、そこなら安全だろ。……後は分かるな」
「……(こく)」
逃げろと、その意味を正確に読み取ったザジは力強く頷いた。こうも物分かりがいい相手だと言うのは実に幸運だった。そして、ある意味裏の世界につながるものを消しに来ると言う読み通りになった事に申し訳なさを感じる。言わばいけにえになりそうだと分かっていて、結局敵をおびき寄せてしまうはめになったのだから。
「3」
「…あら、逃げる算段ですか?」
敵が何か言っているが、自分は集中する。
「2」
「いいでしょう。まずはその策から
ザジに足で小さくサインを出すと、走り出す体勢になった。
「1」
「さぁ、貴方も私が織る天の川の一つへ!」
ザジが教えた通りに逃げ出し、千雨には本来不可視であろう魔力の糸が迫ってくる。
その合間を縫うように、針の穴を通すような小さな隙。その場をしっかりと見据えた千雨は、宣言と共に引き金に力を込めた。
「ゼロ」
音は小さく、音の速度で、鉄の弾丸は――――
※1:現在「笹の滝」は二〇一一年九月の台風によって地滑りが発生し、この時に至るまで落石などの危険によってルートは全面封鎖されています。この物語は二〇〇三年の4月23日だからこそ観光できる描写ですので、実際の観光の際にはお気を付け下さい。
また結構日が開いてしまい、申し訳ない限りです。
最近は入試勉強の息抜きに書いてるので、どうしても更新のほうは遅くなるかと思います。
理屈や言い訳ばかりの作者ですが、これからもよろしくお願いします。……まぁ、こうして述べる辺りがあざといんですが。
あ、今回の展開、決して千雨とザジを絡ませたかったからじゃありませんよ? ただ、そう…なんというか、展開的に仕方の無いことでしてね……もっと、こう……救われてなくちゃダメなんだと(何がだ