押さえつけるなど愚の骨頂
欲を持たねば、人は人でなくなる。
「…魔力反応が無い、か」
彦星を追って雑木林に入ったフォックスは、静かに高周波ブレードを下段に構えて辺りを見回した。薄暗い夜の木々の間も、強化骨格に搭載された
千雨や両面宿儺が戦っている向こう側、そこで騒いでいる音以外は全く静かな物で、こちらにとても人間が来たようには見られない。だが、こういった時に音や視界が悪くても必ず残る物がある。フォックスは静かに視線を下に向けると、地面にくっきりと残された彦星の靴と同じような形の跡を発見した。
「…………」
だが、それで敵を見つけたからと馬鹿正直に痕跡を辿って行ってはならない。痕跡が何らかの理由で途中から途切れる事もあれば、追ってくる事が分かっている相手の場合は道中に罠を仕掛けている可能性もある。はたまた、嘘の痕跡を残して背後から奇襲、という事もあり得るのだ。注意が前方に集中するため、追跡者は逆にストーキングされている事に気付かない、というのは良くある話だ。
それらも踏まえ、フォックスは慎重に刃を揺らしながら全方向に神経を尖らせる。僅かな木の揺れもさることながら、一度拳をかわした相手であることから「気」で感覚を底上げする事も忘れない。
二、三分ほど痕跡を辿っている中、彼の行動が功を成したのだろうか。明らかに悪寒のする地点を見つけることに成功し、彼は改めて刀を構え直す。そして―――後方に水平切りを繰り出した。
「…ッ!」
キキキン、と甲高い音が響き渡る。遠い場所に移動したことで、千雨たちの戦闘音も織姫の結界で完全に掻き消されており、フォックスのいる場所は静寂を保っていた。だが、その弾いた物体が地面に落ちることで再び森は新たにカラカラカラ、と乾いた音を作りだした。
彼は迎撃した物体を一瞥すると、それが日本の忍者や暗殺用具として用いられる飛針という暗器であり、先日の刹那が昼ごろに月詠に使われた者だと理解した。それと同時、再び天性の反射神経と運動能力を何倍にも引き上げる強化骨格の恩恵によって、全方位に対する水平切りを放った。すると、またもや弾かれる金属音と地面にそれらが転がる音。飛んできた方向を見つめるが、既に影も形も無い。ため息はつかず、代わりに息遣いを整えて戦う呼吸法に切り替えた。
「嵌められたか」
冷静に自分の状況を判断して、顔の中央にはめこまれたカメラの暗視モードを解く。月明かりが照らして幾分か明るい暗色の森が視界に収まり、足元には月光を反射する飛針が金属特有の輝きを発している。
だが、それが妙だと警戒を強めた。光を受けて反射させるなど、こんなに分かり易い暗器を誰が作ったのかは知らないが、奇襲用の道具としては落第点で済めばいい方だ。とある暗殺集団が使用する「ダーク」という小ぶりなナイフは、その名の通り闇に溶け込んで光を映さない。そうしてターゲットの脳天に深く刺さって命を奪う、というのが暗殺手段の常套なのだが…
遊んでいるのか、時間稼ぎか。
フォックスはそのどちらかだと結論を出して、ナノマシン通信で応援信号を出した。そして彼が気を張り詰めながら佇む事一分。すぐに彼の「応援」が周囲に赤い赤外線光の網を張り始めた。
森の闇にまぎれ、どんな悪路でも人間より器用な三本の腕で踏破する。時には二つが重なって人の形を取り、そのほとんどが集団行動を取る彼の世界の技術から作られた機械。仔月光がゴロゴロと彼の周りを囲っていたのである。
そして、一体の仔月光が赤外線でも不自然にぼやけた風景のある場所を発見した。その場所は内蔵されたマイクロカメラでもその場所がぼやけていると言うもので、流石に不審に思ったその機体が一本の腕に銃を握らせたその時であった。
『~~~ッ! ッ!!』
「ふん、神の牛と同じ世界の物か」
銃を握ろうとした腕を蹴飛ばされ、のけぞった機体を足の裏で踏みつけられる。その太った見た目相応の体重と力を持つ見えない何かの足は、仔月光のボディに確実に罅を作り始める。更にその正体不明の足が力を込めると、踏まれていた仔月光は完全に踏み砕かれて機能を停止させてしまった。バチバチと今は物言わぬ仔月光を動かしていた動力の電気が、不自然な電波の歪みを作りだして周囲へと伝え始めた。
そして、その異常を感知したフォックスがゆったりとした足取りでその場所へと向かう。仔月光を踏み潰した何かは、逃げる事もせずその場所で待ち構えていたようだった。彼が立ちつくす場所に到着すると、仔月光のそれとは比べ物にならない程高性能な体温感知センサーが仔月光の残骸のある場所近くに人型を形作る。
何かしらの光学迷彩によって隠れていたようだが、そんな物はRAYと超お手製の強化外骨格の前では無意味だ。
「…彦星、お前のそれは―――ステルス迷彩か」
「譲り受けた物の名まで看破するとは……こうして見破られるあたり、つくづく人間の作った物は欠点しかないものだなぁ」
くっ、と笑いながら電磁波が人間一人分の大きさで迸り、その場に彦星の姿を現した。追い詰められているような構図であると言うのに、彼の顔はニヤニヤと歪んでいる。不確定要素か、策があるのか。警戒を一層強めたフォックスは、遠慮や交渉は無用だと言わんばかりに右腕のレールガンを撃った。
碌にチャージもしていない弾丸だが、それでもアサルトライフルの一発分。つまりは人の頭を吹き飛ばすほどの威力は持つ凶弾に違いない。射出された弾丸は夜空に輝く流星のように電気の軌跡を描きながら彦星に迫って行ったが、当然と言うべきか。彼に当たる前に不可思議な曲がり方で彦星の体から狙いを外して後ろの木に当たり、木片を撒き散らすにとどまった。静かな森に響く破裂音がより一層空しさを引き立てている。
その時、不可思議な現象に対して観察していたフォックスは驚きの声を上げた。
「
「さぁな? これに関して俺はただ弾よけの護符としか聞かされておらん」
懐から取り出した掌ほどの大きさしかない機械を掲げながら、彦星はひとしきりに笑って再びそれを服の内側に仕舞いこんだ。
RAYの資料で、ビッグシェル事件の組織、デッドセルのフォーチュンという女性が所持していた電磁誘導兵器であると記憶していた。これがあれば、事実上は現代の重火器全てを無効化されると言っても過言ではない。この男に関して生死は問わないだけに、すぐにチャージングを開始して戦闘を終わらせようと思っていたフォックスにとって、此れは予想外の事だった。
何が「牛を操る」だ。まったく情報が無いのはスニーキングミッション以来だと、込み上げてくる不満を呑み込んだ。ここで動揺していては隙を疲れて敗北する可能性がある。それに、こちらに仔月光がいるだけあって、向こうにも月光が残っているかもしれない。
「まったくもって、会話の無い奴だ。古くより言葉を交わす事が人を繋ぐものだと、聞かされておらんのか?」
「生憎と仕事中だ。私語は慎むべきだと記憶している」
「やれやれ……」
目をつむって首を振り始めた彦星に対し、フォックスは駆けだして刀を抜いた。腰だめから引き抜かれた刀は、抜刀という形によって最高速度に達する。そのまま彦星の喉笛を掻っ切る獣のように牙を向いたが、見た目にそぐわぬ身体能力を発揮した彼は、フォックスの一撃を難なくかわしてしまった。
「儀式場での事を忘れたか?」
「くっ…」
言葉と共に、彦星の魔力で強化された腕が振り下ろされる。両手を握った状態でハンマーのように打ち降ろされた拳を刀で凌ぎ、角度を傾けることで力の方向を受け流すことに成功した。そのまま斜め下へ向かって滑り落ちる両手を見送りながら、フォックスは気で強化した脚で回し蹴りを放つ。対する彦星は伸ばしきった腕を引き寄せて左足を上げると、フォックスの蹴りを肘と膝で挟みこんで受け止めた。
「オオオォッ!」
「ぬぅぉおおっ!?」
一旦は止められた脚だが、フォックスは構う事無くタンカーさえも受け止める事が可能な筋力で相手の体を持ち上げる。彦星はもがき始めるだろうと予想していたのか、ガッチリとフォックスの足を締め付けて右足の甲を覆う強化外骨格を軋ませ始めた。気で更に強度が増している筈のそれに罅を入れるとは、一体どれだけの力が掛かっているのだろうか。
何にせよ、このままでは不利な状況に持ち込まれると感じたフォックスは、ようやく自由になった刀の切っ先を彦星に向け、勢いよく突き刺した。苦し紛れのようで、的確に人体の急所を狙った刺突には流石の彦星も不味いと思ったのか、掴んでいたフォックスを離して後退して行った。
そうしてバックステップを刻みながら、彦星は手に持っていた飛針と呪符の入り混じった弾幕を放ち始めた。飛んでくるそれらを切り刻み、射程外に逃れたフォックスは彼の追跡の為に足に力を入れるが、そこで異変に気付いた。先ほど彦星が言っていたように、千雨たちと別れる前に空襲を行った時、呆気なく瞑想を行っていた相手はフォックスの攻撃をいなし、蹴り飛ばされる直前に右足に何かを貼り付けていた。
その時の効果が今になって表れているのか、彦星が呪言か何かを紡いで発動させているのかは分からない。だが、フォックスにとって重要なのは右足が石のように固まって「動かせない」という事実。
「しまった…!」
右足の腿から下が硬直し何一つ彼の意志が介入する余地を許さない。これまでの戦闘で腕や足が使い物にならない時はあったが、そう言う時はレーザーによって切り飛ばされたか、地雷原で爆風によって傷ついた時など。それでも辛うじて動かす事が出来るシチュエーションだったと言うのに、足一つが完全に重りになって動かす事も出来ないと言うのは想像以上にやりにくい。
ここまで一瞬の間に考えていたが、強化外骨格の右足分の重さが重心にまで影響を来し、バランスが取りづらくて自分の体が転倒しかけている事に気付く。そして抵抗をする間もなく、フォックスの体は地面に倒れ伏した。
「無様だなぁ、狐が化かされてどうする?」
闇の中から姿を隠した彦星が語りかけ、その直後に飛針が飛んできた。苦し紛れに体勢を整えて剣を振るい、それらを切り崩して難をのがれたが、バラバラになった破片が頭に振って来て視界の一部を塞いでしまう。不運のスパイラルが続く中、とうとう目に見える程の魔力を拳に込め、こちらに一直線に走ってくる彦星の姿をフォックスのカメラが捉えている。後五秒もすればその拳は彼に降りかかり、攻撃は気で強化された強化外骨格をも砕き、生身となったフォックスを粉砕するには申し分ない威力であると言う事が分かる。それゆえに、彼の決断は早かった。
この妙な呪を受けたのはこの強化スーツの上から。ならば、切り離してしまえばいい。
確信と共に彼は強化外骨格をパージすると指令を下し、胸部装甲が開かれ始めた瞬間にそれらを刀で切り払うと、彼の身を守っていた物の残骸が宙を舞う。フォックスはすぐさまそれらを蹴り飛ばし、彦星の足止めを狙った。
「ぬぉっ!?」
「はぁぁぁぁぁぁっ!!」
驚き、足を止めて強化外骨格の残骸を振り払った彦星に接近すると、無防備にも見える下の方を狙って高周波ブレードを振るった。残骸の対処に追われた彦星が注意を戻した時には、自分の足を狙っているようにも見える敵の刃。彦星は札に魔力を込め、それを爆発させることで刃を吹き飛ばそうとしたが、次に不幸が狙ったのは彦星自身であった。袴の裾が彼の足に思わぬ抵抗を付け、狙った場所とはずれた場所に札が飛んでいく。先ほどのフォックスのレールガンと同じように狙いが外れてしまい、先ほどとは比べ物にならない窮地が彼を襲った。
だが、フォックスの真の狙いは相手その物では無かった。彼の刃は彦星の足を切ることなく地面を吹き飛ばし、巻き上げた土砂が相手の目を潰しにかかったのである。威力も無く、金属を含まない無い物体が齎す目潰しと言う効果、それを彦星の電磁誘導兵器が干渉できる筈もない。呆気なく巻き上げられた土砂が彼の目を覆い、彦星の視界を奪ってしまっていた。
しかし、事態がそう上手くいかないのが対人戦と言う物。そのまま返す手首で斬撃を行おうとしていたフォックスは、一時的に行動を抑えたと思っていた彦星の行動によって対処を要する事になった。
「ぬ、おぉああああああああああっ!」
彼が手にしていた呪符は、魔力を衝撃波のように飛ばす物。目をやられた現状、どこから攻撃が来るか分からないと悟った彦星は、その呪符に込められるだけの魔力を注ぎ込んで暴発を起こさせた。そんな事をすれば自分も吹き飛ばされてしまうのだが、衝撃に打ちつけられる事と体の一部を切り飛ばされる事、どちらかを選べと言われれば前者を選ぶのは当然の選択だ。そうして発生した衝撃波は、彦星を安全地帯まで吹き飛ばすと同時に彼にとっては幸運な事態、フォックスにとっては不運な現象を引き起こしていた。
フォックスは第六感から来る寒気に対し、反射的に刀で敵の攻撃を逸らそうとしてしまったのである。その結果は、暴発した魔力が気の流れに干渉すると言った物。タカミチが使用する「咸卦法」は気と魔力の合成によって凄まじい力を発生させる
此度、フォックスの刀にも同一の現象が発生してしまっていた。
その結果が―――高周波ブレードの破壊である。
「ぐ…!?」
手元で不協和の爆発が起こり、フォックスもまた自分がパージした強化外骨格の残骸の元まで弾き飛ばされる。偶然にも同一の距離で引き離された両者は、互いの存在をその瞳に収めながらゆっくりと立ち上がった。
自然と再び向かい合い、無言で敵意と殺意を交える。
スッとフォックスの手は招き猫の様な独特の構えになり、彦星もまた下段を基本とした武術の構えを取った。しかし、先ほどの事を思い出したのか自分の服装に手を駆けると、ひらひらした物が付いた上着を放り投げ、胴着のような軽装になると帯を締め直した。それでも、彼の脂肪に溢れた体からあの様な素早い動きが出来るとは想像しにくいのではあるが。
「ふふん、貴様も武器を無くしたか。良い気味だなぁ」
「元より執着は無い」
「それにしては、攻撃手段を絞っていたようにも見えたが?」
「有効打として効率が良いと考えていただけだ。それに……」
「ん?」
疑問と共に、挑発を含んだ相手の視線がフォックスを貫く。
それに応えるようにフォックスは敵意を向け、ふっと笑った。
「戦いの基本は格闘だ。武器や装備に頼ってはいけない。貴様が何を目標として戦っているかは知らないが、この拳で捻じ伏せて見せよう」
「よくぞ言いきった物だ。それが強がりで無いか、この俺が見極めてやろう!」
彦星の言葉が終わると同時に、両者はジリジリと互いの距離を詰めて行った。
先ほどまでの超常的な魔力や気のぶつかり合いによって、そこまで深くも無かった戦いの場はリングのように平らな地へと整地されている。月明かりに照らされた神秘的な場で、二人は分かっているかのように同時に駆けだした。
「ぬぅぉらぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
「はぁぁぁっ!」
共に動きやすい服装になったからか、その速度は留まるところを知らない。最初の接触と共に風を切る彦星の鋭い上段蹴りがフォックスの素顔に迫っていた。彼はそれを片手で受け止めると、トン、と軽く押しながら後方に受け流して彦星の懐に入る。そのまま抉るようなアッパーを繰り出し、避ける暇さえ与えずに彼の顎を打ち据えることに成功した。
接近を挑んだ以上、その衝撃で彦星が舌を噛みちぎる事態にはならなかったが、彦星の視界は揺れて意識を保つ事もままならない。足をふらつかせ、何とか体勢を立ちなおそうと踏ん張るが、それはフォックスにとって良い的にしかならなかった。
続いて、彼は追い打ちのフックを仕掛ける。横っ面に叩きこまれた一撃は彦星の脂肪を震わせ、その衝撃がどれほどの物かを雄弁に表していた。これが普通の人間なら既に首は折れていただろうが、彦星も何らかの手段で魔力以外の強化を施していたのか、たったの一撃で死ぬようなことも無い。だからこそフォックスは止められなかった。右手を引き、代わりにと左手が一直線に軌道を描いて彦星の顔面に突き刺さる。その衝撃で浮いた彼の体に体全体を使った回し蹴りを叩きこむと、あの時のように地面と平行に彦星の体が吹き飛び、一本の大樹に激突すると幹を半ばから圧し折って木の下敷きになる。
「はぁ、はぁ、はぁ……ッ!」
戦術も息遣いも何もない。狙える場所を全力で狙いに行った行動によってフォックスは肩で息をしている中、押し潰された筈の彦星の方に目を向けていると信じられない光景を目にした。
「ぬぅぁぁあああああああああっ!!」
高周波ブレードを負った時と同じ呪符で自分を下敷きにしていた大樹を浮き上がらせ、再び呪符を使ってフォックスへと大樹をぶん投げていたのである。いくら気での強化が可能なフォックスでも、無手の現状その大樹をどうにかする手段は持ち合わせていない。飛来してくる高さに合わせて身をかがめてやり過ごし、見失ってはいけないとすぐさま彦星の方に視点を戻した。だが、目の前に飛びこんで来たのは敵が大量の呪符を手にして殴りかかってくる光景。それだけはさせまいとやり過ごしていたツケがここにきて回ってきたのだろうか。
「オン!」
梵字の最初の言葉を告げると、それだけで全ての呪符が込められた禍々しい呪力を発し始めていた。次に来るであろう衝撃に備えるため、せめて、と組んだ両腕でガードを作ったのだが、それを読んでいた彦星は手に持った呪符をフォックスの周囲にばらまき始める。
「貴様如きに全ての呪符を使うのだ! さぁ! 精々派手に散れぇぇえええええ!!」
彦星が叫びながら詠唱を終えると、フォックスの周囲にばら撒かれていた全ての呪符が各々に描かれた効果を発揮する最悪の爆弾となって彼に襲いかかった。
業火が身を焼き、風が腕を切り刻み、水が体を打ちつけ、土が拳となって襲いかかる。
だが、その中でもフォックスは好機を待っていた。内気功が得意と言われた彼は、まさしく身体を気で強化する事に長け、これまでに急激な成長が成されてきた。それはこの戦いにおいても言える事で、命を取り合う闘いの中で生への渇望、勝利への執着、生きる糧を見出し、それら全てを手に入れるがために精神は研ぎ澄まされていった。まだまだ未熟な気の扱いは、無駄なくより強靭な物として昇華されていく。
そしてなにより――――彼は痛みを感じていた。
「痛みは生きる実感だ。もっとだ、もっと俺に生きる実感をくれ!」
「貴様、まだ…! ならばぁああ!!」
全ての呪符による爆撃が終わった時、彦星は全力を込めた一撃をフォックスの無防備にさらけ出された腹へと打ちこんだ。だが、帰ってきた触感は気味のいい衝突感ではなく、硬い鋼を殴った時の様な痛み。呻き声を上げながら手を抑えて後退した彦星は、自分のぐちゃぐちゃに折れた己の右手を見て怒りと絶叫を上げた。
「おのれ、おのれ、おのれ…! なんだ、一体何が貴様にそうまでして成長を促した!? それは、俺の求める物さえ凌駕すると言うのか!」
「俺が求めるのは、戦いの中に見出す生への執着。そして強き者への挑戦による己の限界を見極める事。そうさ、俺も貴様と同じ“欲望”に飢えているに過ぎん」
「ならば、貴様は何故今になって俺を凌駕する力をこの場で生み出した? 貴様の芯が欲望と言うのなら、俺にもこの数百年を原動力にしてきた欲望がある! それは年月の差で貴様を圧倒している筈だ!」
「年月がもたらす物ではない……」
フォックスは全ての迷いを振り払うように、軽く前方を払うような動作をする。
その折より生じたフォックスの気迫。発生点である彼の瞳を覗きこんだ瞬間、彦星は己の欲望の行きつく先である「色欲を満たす為の生」が、彼の欲するものに確かに及んでいないのだと理解する。
だが、彼とて最愛の「織姫」を敵に奪われ、新たに作ろうとした己が欲を吐きだす先である「織姫」の奪還を邪魔されているのである。願いの差は、彦星を退かせるだけの理由に至る事は無い。再び相対するようにフォックスに眼光を返すと、彼は先ほどまでとは全く違う雰囲気を纏い始める。
「…お前も武人だったか」
「そうだ。理想の織姫を手にするため、俺の理想を作り上げるためには“力”が必要だった。そのために己の才が開きそうな物へ全て手を出したのだ。織姫こそが、俺の名である彦星の収まる器。そのために、そのためにも…」
「……なるほど、願いは確かに純粋な物だ。お前の努力も一人の戦う物として認めよう。だが、貴様は愚かだったな」
「何だと?」
彦星の疑問の声に、フォックスは張り巡らせる気を緩めず、むしろ言葉そのものへ力を入れながら言葉を発する。それは彦星に言い聞かせるための物ではなく、純然たる事実を突きつけるように。
「確かに、お前の手にした力は生半可な輩では歯が立たないだろう。だが、純粋に戦いを求める者の前では容易く破られる事になる。恐らくは、俺より弱い相手にもな」
「……ほう?」
「お前は、求める力が戦うためのものではない。形式や型に嵌めた、応用の無い武術でしかない。術を手にしただけで、道を追い求める事をしていない。故に―――追い詰められる」
「…中々面白い持論のようだが、貴様の現状は勝っているとも言いきれまい」
「確かにそうだ。だが、お前の未熟な点はもう一つ存在する。お前は人外ではなく人間のままであるに関わらず、ひとり孤独である事だ」
「それが何になる!? 自分より弱く、自分の目的に意味の無い人間を侍らせる事が勝利につながるとでも? 居ない人間を当てにする意味が、あると言うのか!」
叫び、彦星は呪符ではなく呪文で作りだした魔力の炎をフォックスに投げた。
最早目標などどうでも良い。自分の「芯」を惑わせるこの男をこの場で消さねば、守り続けていた己の何かが崩れ去ってしまうような気がした。だから、早々にカタを付ける。
この数百年、多数の「織姫」を作りだしてきた中、新たな「織姫」を作るに当たって古くなった「織姫」を、彼は喰らい続けて来た。その用済みの織姫の性を貪った後は、血肉をも己の物とする。そうして得た人間一人分の魔力は、自分の体を封印の媒体にすることで保存してきた。
そして今、その炎に歴代の織姫達の無念が募った魔力と共に放出する。訳も分からぬ男に拉致され、処女を奪われ、あまつさえには命をも貪り喰われた女性の怨念は呪を増幅させ、フォックスに向かう炎を劫火へと変化させていた。
フォックスはその炎を目にして、寂しいものだと落胆を抱く。同時に、彼の瞳には恐怖の色は何一つ見えていなかった。あるのは絶対の信頼と、その手にした新たな力。すっと右手を前に出し、ただ一言。
言った。
「来い」
鈴が鳴る。
炎が迫る。
着弾の瞬間、炎は「救われた」。
その身を散らし、怨念はフォックスに対する感謝の念となって元ある魂へ幸せを届けに行く。赤き怨嗟の火は、青き癒しの音色と共に天へ昇っていったのだ。
「貴様…その
「薬師寺家の御党首から譲り受けた物。面識は初めてであっても、こうして絆は俺と繋がっていてくれたらしい。…もしくは、チサメやRAY、タカミチにガンドルフィーニが俺を変えた事が原因かもしれないな。ああ―――よくぞ来てくれた」
彼の手に収まるのは、小ぶりな青き刀。
脇差にも満たぬ長さの鞘に収まる刀身は、退魔の意を持つ青と法力を込めた証。
「闘いの基本は格闘だ。武器や装備に頼ってはいけないが、戦いの基本は敵を殺す事に集約される。その手段の一つとして、使わせて貰うぞ…!」
柄に手を掛け、開かずの鞘を引き抜いた。
満を持したソレに抵抗などある筈もなく、引き抜かれたと同時に鞘は無限と存在する魔を退かせる聖なる法の言葉を実体にした言葉に出来ぬ法の言葉を垂れ流し始めた。その長さは測ることなど出来ず、持ち主に応じて最も扱いやすい長さへと変化する。
その圧倒的な聖なる気は、外道の法を用い続けて来た彦星へ圧倒的な存在感を与えていた。同時に、彼はそれを直感で決して身に受けてはならない物だと悟っていた。あれで切られれば、必ず己の何かが失われるのだと。
失われる者は命か、はたまた己の欲望か。なんにせよ受けないに越したことはない。
「…当てられるのか。それで、この俺を切り裂く事が出来るのか! 悉く貴様の剣を防ぎきった俺に、今更剣が通じると思っているのならば……」
たとえ悪あがきだったとしても、ある筈の無い見栄だったとしても、彦星がフォックスを倒すという目的は変わらない。確かにあの炎を防がれたのは予想外だったが、まだまだ犯してきた女の怨念は途切れる事は無い。今でこそ「織姫」は一人しかいなかったが、同時期に「織姫」が一人しかいなかった事はむしろ稀な事だ。
尽きる事を知らない数百、数千と全てを喰らい尽した「織姫」の怨念と魔力を引き出して呪術へと変換する。己の倒すと言う気迫の込められた術式を両手に満たしながら、彦星はただ只管にフォックスへと吼える。
「その身を消してやろう!」
投擲。怨念と怨嗟が耳を穿ち、ある筈の無い罪悪感に彦星は押し潰されそうになる。それほどまでの全てを掛けた一撃を放ったのだから、フォックスは必ず倒れるのだ。そう、信じていたかった。
「
だが、彦星の願いは儚く散る。
ただの一振り。フォックスが間欠泉のように流れ出る法力の剣を薙いだ途端、全ての「魔」はソレの前に成すすべなく自ら崩れ去って行った。そうして解放された歓喜の念が再びこの場に満ち溢れ、またたく前に天へと還されていく。
それを見て、最早魔法を用いた力では勝てぬと理解した彦星が選んだ手段は「逃走」だった。元より負ける事に未練はない。数百年を師である近衛近右衛門の目から逃れて隠れ住んでいたのも己の敗北に未練が無いからであるし、そんな物に構っている暇があるなら、只管己の欲を満たす行為をして居る方が彼にとって有意義であったからだ。
だからこそ、恥も外聞も何もなくこの場から逃げおおせて見せる。見た目と違って速い事は相手も分かっているだろう。だからこそ、それを利用した作戦を思いついた。それに従って罠を張って行けばあの戦闘狂から逃げる事は可能だろう。あれだけ言葉を浴びせた上にこの行動をするあたり、確かに相手にはこけおどしだの落胆だのを抱かせただろうが、それがどうした。自分勝手でなければ此れまで女を食ってはいない。
「……逃げたか。だが、貴様は斬らねばならん」
己の内気功が整った事で、もう一つの「奥の手」の扱いも上手くなると思ったが、やはり少しばかり無理をして彦星の爆撃を凌ぐ中で発動させようとしたが、急激な負荷が襲いかかりそうになっていた。
だからこそ、最期だと思えるこの場でアレを使う必要があるのだと決心した。
アレを使えば、確かに自分はその場で倒れ伏すだろう。治療の時間も必要になるが、ここで永遠に決着を付けないのは一度強者だと認めた相手を斬り伏せる、己の欲望に反する。だからこそ、彼は全身に廻る気をスクリューのように回し始めた。
最期の奥の手。彼自身が実戦で一度も使った事が無いオリジナルの
「剛力」
乗せられた言霊と共に、彼の二つ目の業が体を駆け巡る。
膨大なまでにつぎ込まれた気が彼の体を突き破ってしまいそうな勢いで循環し、身体そのものの運動能力を無理やりに限界以上の物へと引き上げた。言わばリミッターを解いた火事場の馬鹿力の状態を保ち続けた事になり、更にその上に気によるブーストがかけられる。
直後に崩壊へ向かうナノマシンでも抑えきれない体の痛みを無視して、彼は一直線に逃げる彦星へと走った。たったの一歩、全力で踏み出した彼の体は地面に巨大なクレーターを作りだし、音を超える速度で
そして、背後から来たフォックスに気付いた彦星が恐怖にひきつった表情を見せる。此れが決め手だと悟ったフォックスは刃を腰だめから引き絞り、一気に引き抜いた。
―――斬
すれ違いざまに、彦星の胴へ一閃。
斬った。たったそれだけの満足感がフォックスを包み込み、同時に酷使した業の反動が彼を襲う。全身の筋肉が弛緩し、辛うじて心臓と肺は動きを停止していないものの、もはや指一本動かす事さえままならない。手に持っていた法の言葉が噴出する退魔の小刀が取り落とされ、いつの間にか鞘に収まっていたそれが地面に鈴の音を響かせた。
同時に、フォックスの体が倒れる彦星と共に崩れ落ちた。意識はあるが、体動かせない不快感。そして疲労がたまった体は彼の意識へ眠気と言う保険とリミッターを掛け始める。薄れゆく視界の中、どこも斬られていない彦星が倒れ伏している姿が目に入って、彼は気を失ったのだった。
これにて京都編のバトルパート、すべて終了です。
本来なら、最初に建てていたプロットはここまで。
匂わせていた七夕の犯人も出しつくしたわけですから、すっきりと終わる予定でした。
この後の展開、特に魔法世界編なんて訳のわからない展開ばかりなので更新とか、設定の把握しきれないところとか沢山あるんですよ。
なので、京都編のエピローグと学園祭までのフラグを立てて、ガンドルフィーニや協力してくれていた超の野望に対する葛藤などを描写した学園祭篇を匂わせて―――終わろうかと思ってました。
……書いた方がいいですかね?
回収して無いフラグも結構ありますし。
なにはともあれ、ここまで閲覧お疲れさまでした。