提督は鎮守府の駐車場に向かっていた。この地域の防備を手厚くする為、近隣に新たな鎮守府が設置されたので今日はその視察に向かう予定なのだ。自動車で行けばそれほど時間のかからない距離であるし、部下の手を煩わせる事も無いと思った為、自分の車を使って一人で行く事にしたのである。
車のドアのロックを解除して開け、自分が運転席に座ったと同時に、いきなり助手席に乗り込んで来る者が居た。提督は驚いてその相手が誰かを確かめ、そしてうんざりする。
「不知火、お前なあ」
「単独での行動は危険かと。本日は護衛をさせて頂きます」
何て事の無いように、不知火は言った。
「護衛なんていらんよ。今日は何も危険な地域に行く訳じゃない」
提督はそう言うが、不知火は引き下がらない。
「どこへ行こうと、司令程の人であれば常に身の回りに危険が存在すると考えるべきです」
「いや、だから大げさだって……」
呆れながら言う提督だが、不知火はここで話題を曲げた。
「司令はかつての大戦で山本五十六長官が暗殺された事など当然ご存知ですよね?」
「俺は山本長官程の人間じゃない」
「こんな事は釈迦に説法なのですが……山本長官の暗殺を指示したチェスター・ニミッツ元帥はリスク管理をとても重要視していました。リスクを全て排除すればその時点で勝った事になるからです。その証拠に、彼は山本長官亡き後の帝国海軍を率いる可能性があるのは誰か、暗殺実行前に念入りに調査しています」
提督は言い返せなかった。不知火が何を言いたいのかが分かった為である。深海棲艦にとって艦娘はリスク要因だが、それを統率する人間の存在は当然ながらそれ以上のリスク要因なのである。深海側にニミッツのような優れた頭脳と戦略眼を持つ者がいないとは限らないし、仮に深海側が暗殺を検討した時に、そのターゲットが自分にならないなどとは到底断言出来ない。ターゲット候補にもならないような人間がそもそも艦隊の司令官として立つはずもないからだ。
「……分かった。今日の護衛の仕事、頼むよ」
「承知しました」
同行する不知火はどこか嬉しそうであるが、提督が明らかにこの状況に乗り気で無い。それは不知火に下心があるからであって、提督の護衛をするという名分に嘘は無いものの、それが第一の目的では無い事を提督も知っているせいだ。
提督は車を発進させた。しばらくして、二人きりの車内で不知火が提督の顔を覗き込むようにして言う。
「司令、不知火は気の長い方では無いのですが?」
「ん、分かってるつもりだけどな」
運転の為に前を見続ける提督は無表情のまま返答する。
この二人にとって、こんなやりとりが当たり前になりつつあった。
時間はだいぶん前まで遡る。
ある日、提督は不知火に人払いを頼まれた上で、相談を持ちかけられた。と言っても、仕事絡みの事ではない。不知火のプライベートに関する相談であった。
「女の子の事情に関しちゃ男の俺にまともなアドバイスが出来るとは思えないな。ここには艦娘が他にも居るんだし、そっちに当たった方がいいだろう?」
提督は素っ気なくそう言うのだが、不知火は、
「いえ、是非とも男性の見解も伺いたいのです。ここにいる男の人は司令だけですので」
と言ってきた為、まずは話を聞いてみる事にした。
鎮守府のメンバーの中には彼氏がいるという艦娘も何人か居て、恋愛に関心のある不知火もそういう子たちに話を聞いていたりするのだそうだ。ナンパされてしまったというケースから、知り合い程度の関係から次第に恋愛感情を抱くようになり、告白したら成功したといったケースまで、そのきっかけは様々であるという。
「不知火にも気になる人がいます。ですがその人が不知火をどう思っているのかが分からないものですから……」
「うーん、そいつは不知火の事は知ってるの?」
「ええ、知っています」
「なら、直接本人に聞くのが一番早いんだろうけどな。こういうのって見込みが違うかもしれないから怖いよな」
「ええ、そこが思い悩むところで……。司令は不知火をどう思いますか?」
「え? 俺?」
いきなり自分に話を振られて少しばかり困惑する。だがこの場合、自分なりに不知火を勇気付けてあげたほうが良いかもしれない。そう思い、不知火に対する正直な印象を述べる。
「真面目で素直な良い子だと思うよ。多分そいつもそういう印象持ってると思うけど」
「そうですか……」
不知火はそう言って一瞬考え込んだ後、
「男の人はそういう女の子は好きなものなんでしょうか?」
と聞いてきた。
「そればっかりは人それぞれだと思うけどな。参考にならないような事しか言えなくて悪いんだが」
「いえ、そう言って頂ければ十分です」
漠然とした回答しか返せず、何となく申し訳ない気分にさせられていた提督であったが、不知火が結構あっさりと質問を切り上げてしまったので、つい言葉が引き出されてしまった感じで、
「ちなみになんだが、その好きな奴ってどんな奴か聞いてみてもいいか?」
と、踏み込んだ質問をしてみた所、即座に、
「司令です」
という言葉が返ってきた。
「んー?」
提督は思わず自分の耳を疑った。
「えっと、今なんつった?」
「『好きな奴はどんな奴か』と聞かれたので『司令です』と答えました」
あまりにも意外すぎる不知火の発言。しかし彼女が冗談を言っているとは思えない。その顔も真っ赤である。
どうやらこの一連の会話は相談などというものではなく、不知火なりの告白という事であったようだ。
(マジかよ……)
絶句したままの提督が頭の中で思い浮かべる事が出来た言葉はそれだけであった。
少しばかり沈黙が続いた後、
「……悪いが、俺はお前さんの気持ちには応えられないよ」
可能な限り感情を交えず淡々と提督がそう答えた瞬間、不知火は息を飲み、その顔色は紅潮したものから蒼白なものへと変化していった。
「司令は『真面目で素直な良い子』はお嫌いですか……?」
「いや、そんな事は無いけどな」
「では、他にお付き合いしている方が居るとか?」
「今はそういうのも居ないね」
「なら……不知火ではダメな理由をお聞かせ願えますか?」
不知火は悲しそうに言う。その目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
「理由、なあ……」
少しばかり黙考した後、提督は切り出した。
「これはな、俺個人の好き嫌いの問題じゃないんだわ。立場上、組織ってもんを考えなきゃいけないからな。だから相手が不知火だろうが他の誰だろうが受け入れる訳にいかないんだよ」
そう言われる不知火は訝しげな表情だ。恋愛に何故組織が絡むのか。
「俺達は必要なら戦闘もこなさなきゃいけない訳だろ? その為にはきちんとした指揮系統が必要だ。俺とお前はその指揮系統の中では上と下の関係な訳だ。そこにはある程度の節度とか緊張感ってもんが必要だと思うんだよ」
何もお互いによそ見をしたら即座に蹴りを入れ合うというような、そこまでの緊張感を求めている訳では無いが、やはり上官と部下であれば馴れ合いのようなものは避けるべきであろうというのが提督の考えである。険悪な関係であるよりかは良好な間柄である方が良いに決まっているが、それだって度を越してしまえば「いざという時も相手が何とかしてくれるだろう」という意識が共通認識になってしまうような、双方ともに無責任な関係に陥ってしまいかねない。そうなればもし相手に問題があったとしてもそれを指摘することなく惰性で状況を悪化させるといったケースも可能性としては想定し得るし、仮に敵襲があったとしてもお互い遠慮が先行した挙句に周囲を巻き込んでの全滅という事態だって大いにあり得る。
だからこの話は受ける訳にはいかないと思った。不知火はとても良い子だと思うし、同じ海軍の人間でなければ喜んでOKが出せたとは思うが、残念ながらそうでは無い。
「……俺が断らなきゃならんのはそういう理由があるからだよ」
提督はそう説明した。
不知火は無言のままである。先程の泣き出しそうな表情では無くなっていたが、無表情であり、提督の説明をどう受け止めてくれたかは分からない。提督からすれば理屈の上で間違った事を言ったつもりは無いものの、到底納得はしてもらえていないだろうなと想像が出来る程度で、何とか不知火の譲歩を期待するしかない。
「……不知火に落ち度がある訳では無いのですね?」
と、彼女が聞いて来たので、
「不知火の問題では無いよ」
と、提督も即答した。
その瞬間、不知火はその目に力強さを宿らせて、言った。
「それは馴れ合いさえなければ、お付き合い頂けるという理解でよろしいですね?」
「……え?」
あまりにも想定外な不知火の反応。断ったつもりであったはずなのに、話の流れがそうなっていない。
「司令は過度な緊張感は求めていないと言いました。仲が悪いよりかは良い方が良いと言いました。不知火の事を良い子だと思うし、同じ海軍でなければ喜んでOKを出していたと言いました」
そう一気に言ってから、一息ついて、更に不知火は言った。
「不知火の問題では無いとも司令は言いました。……つまり、『馴れ合い』さえなければ司令との交際に問題は無いという事になります」
一瞬、ぽかんとしてしまう提督。何でそんな結論に帰結するんだと、そう言いたい。一見、論理が噛み合っているようにも見えかねないという辺りが厄介だ。
「……あのなあ、馴れ合い抜きじゃそういう関係って成立しないだろうが」
提督がそう言うのももっともである。双方が常に喧嘩腰のカップルも世の中にはいるのかもしれないが、そんな関係が長続きするとも思えないし、何より精神衛生上悪いに決まっている。
「司令は以前の女性とは馴れ合いのような、そんな関係でしたか?」
「ん、まあな……」
と、提督は返事をする。決して交際人数が多い訳では無いが、振り返ってみれば、何となく相手に安らぎを求めていたように思う。
「では、馴れ合いを抜きにした交際の経験は?」
「そんなのある訳無いだろう……」
「ならば、これを機に馴れ合い抜きの交際を経験するのも良いかと。自分で言うのも何ですが、不知火は適任であると思います」
「意味が分からんのだが」
とうとう提督は片手を額に当ててうつ向いてしまった。そんな事が出来るとも思えない。しかし、この状況を見る限り、どうあっても不知火に引くつもりはないようだ。彼女の言っている事は不合理極まりないが、自分を諦めてくれる可能性は現状では限りなくゼロに近い。
「『始めから完全に拒絶しておけば良かった』とか、今更そんな事を考えても遅いんですよ?」
驚きと共に提督は顔を上げる。漠然とした思いが何故相手に伝わっていたのか。今や提督が見る不知火の表情は普段とは異なる、女を感じさせるような艶やかなそれであった。
「司令の事はずっと見ていたんです。それくらいの事は分かります」
この状況はどうすればかわせるか、そう提督が考え始めた所で不知火が聞いてきた。
「一つ、お聞かせ下さい」
「何だ?」
「最初から、全てを否定するという事をしなかったのは何故ですか? ならば不知火は諦めもついたのですが」
「そんなのは俺には無理だからだな。こう見えて優柔不断なタチでね。嫌な相手ならともかく、幾ら何でも不知火みたいな子が自分の言葉で傷つくのなんて見たくないよ」
「それですよ」
「ああ?」
「何でそういう事を言えてしまうんですか?」
赤面した顔で睨んでくる不知火。
「司令のそんな所のせいで不知火は気分が昂ってしまうんです……この始末どうつけるおつもりですか?」
(何で俺が悪いみたいな話になってんのよ……)
ともかく提督が把握出来ているのは提督自身の何かしらかの行動が不知火の琴線に触れまくりであるらしいという事と、そんな不知火は何が何でも提督を落とすつもりであるらしいという事であった。元々、不知火という艦娘はこうと決めたからには簡単に折れるタイプではない。そんな相手に見初められた時点で防衛に回らざるを得ない提督の布陣は極めて不利なものであったと考えるべきだろう。
「重ねて言うが、俺には受け入れられんよ」
「司令がそうお考えなのは承知しました。ですが不知火はその上で受け入れてもらうべく努力していくつもりですので、この点をご了承下さい」
そう言った不知火は提督に敬礼をした後、速やかにその場を立ち去ってしまった。その場に残された提督は、
(面倒な事になっちまったなあ……)
と、半ば呆れ返ったようにそう思いつつ、不知火の後ろ姿を眺めていた。
不知火への対応からも分かるように、提督は海軍という組織の中において自分は何が出来て、自らに与えられた役割があればそれを如何にこなしていけば良いかという事をひたすらに考え続けてここまで来た極めて真摯な男であった。だから出来る限り仕事に私情を挟まないように心を砕いても来た。
そんな訳で提督は艦娘との関係をあくまで仕事と割り切っていて、深刻なトラブルや悩みを抱えていたり、任務遂行に問題が発生しているといったケースを除けば全くと言って良い程、艦娘側に踏み込んで来ない。期待をさせるような隙すら無かったと言って良い。そのせいもあって提督に淡い恋心を持つ艦娘のほとんどは事前に諦めてしまっていた。
例外は不知火である。一度提督に断られているにもかかわらず、決して諦めるという事をしない為に提督はすっかり困ってしまっていた。そのアプローチはよくありがちな言葉に出して相手に気持ちを伝えるというものだけではなく、行動でも積極的に示すというものであるが、それだけに破壊力は大きい。昼食の時間にお手製の弁当を持ってくるなど日常茶飯事で、提督の私室にいきなり来て掃除を始めたりと、まるで押掛け女房のような状態になりつつある。提督はやめるようにと言うのだが、不知火は頑として受け付けない。
今日の視察に半ば無理やり同行して来たのもその延長線上にあるものである。
「ご安心下さい。車内で司令に何かするつもりはありませんので」
「事故るもんな」
ステアリングを握りながら提督は答える。表面上はあくまで普通に接しているが、内心ではこれからはこうやって出先までついてくるつもりかと困惑しきりであった。
「やあ、よく来てくれたなあ」
新設された鎮守府のトップは晴れやかな表情で提督と握手をした。
「結局、お前さんも本省勤務は蹴ってしまったか」
提督が軽い感じでそう言うと相手は苦笑いしながら、
「ああ、残念ながら俺にはあっちの仕事は向かないようでな。俺もお前と同じで現場の仕事の方が合うらしい」
と応えた。
元々、提督はエリートコースに乗っていた人間であった。そのまま行けば海軍の最高幹部へ出世する道も開かれていたというのに、前線である鎮守府に残り続ける事で自らエリートコースを外れたという変わり種でもある。
この新設された鎮守府のトップもやはり提督と似たような経歴の持ち主ということになろう。元々この男は提督と士官学校で同期であり、本省で同じ部署に在籍していた事もある、言わば同僚であった。鎮守府に短期間だけ在籍して本省に戻るという海軍幹部も多い中、提督はそうではなかった。この同僚はと言えば一旦本省に戻った後、具体的な動きが見えないと思っていたところ、鎮守府の新設に伴って赴任して来ると聞いたので提督にはピンと来た。元々、会うたびに本省での愚痴を聞かされていたのである。今回の件で再び提督とは立場が同じになったという事になる。
「現場でのキャリアはお前の方が先輩だ。どうかよろしく頼む」
「イヤミかい、そりゃ?」
そう言って二人は笑いあった。
提督は新しい鎮守府に所属している艦娘達にも挨拶がてら、声をかけて回っていたが、途中で不知火が話しかけて来た。
「よその娘達には優しいのですね」
「何か不味いのか?」
「いえ、別に」
そう言う不知火は少々不機嫌そうな表情と共に提督から視線を外してしまう。どうやらヤキモチを焼いているようだ。
流石にそんな不知火の事がおかしくなってしまい、彼女に表情が見られない方角を向いてから、クスッと一瞬だけ吹き出してしまった。
次の瞬間、激しい爆発音と共に轟音が周囲に響き渡り、様々な物が砕け散るような音がそれに続いた。
それまでの和やかな雰囲気など爆音と共に一瞬で吹き飛ばされてしまった。提督も不知火も状況を把握すべく必死で周囲を見渡す。
「敵襲ですっ! 深海棲艦の攻撃を受けていますっ!!」
この鎮守府の艦娘の一人が報告して来た。警戒網は張られていたはずだが、どうやらそれがくぐり抜けられてしまったらしい。提督の同僚は彼女の報告を受けて、
「分かっている! 向こうの規模はどれくらいだ!?」
と大声で言った。
「今、確認しています!!」
そう言われて、
「稼働可能な艦は全艦すぐに出撃しろ。そうでない艦も準備を急がせろ」
と同僚は指示した。元々この男の用兵は不味くない。通常であればそつなく対処が出来るであろう。
(しかし、ここの戦力は……)
提督はそう思った。見た所、この鎮守府は数はともかくとしてキャリアの浅い艦娘が大半を占めているようだ。彼の耳にも報告が続々と入ってくる。報告された敵戦力と比較すると、ただ力押しするだけではまず撃退するのは無理だろう。
「……っと」
提督がまるでふらついたかの様にその身体を横方向へと移動させたその直後、甲高い破裂音が響き、元々彼が居た場所の地面には深海側が放った機銃の弾痕が出来上がっていた。
それを見た不知火はやや青ざめた顔で提督に呼びかける。
「司令っ!!」
「うん」
提督は前方を睨んだままである。
(アイツが敵さんの頭だな……)
提督が観察しているのは司令塔と思われる深海棲艦だ。明らかに戦艦タイプで、兵装は火力を最優先としているように見えた。護衛の艦共々かなりの重武装である。
(血の気が多いのかな。こっちに迫り過ぎな気がするが……)
そう思った提督は同僚に向かって言った。
「ウチの不知火にも手伝わせたい。ひよっ子でいいから駆逐艦を何人か貸してくれないか」
この同僚は元々提督の手腕を高く買っていた事もあって、即座に了承した。提督の元に数名、駆逐艦が集まって来た。
「君達には不知火の下で働いてもらう。不知火」
「はい」
提督は不知火の隣に立って深海側の司令塔と思われる戦艦を指差し、
「俺達の目標はアレだ。全速で接近、攻撃して即離脱。それを繰り返せ」
と言った。提督の元で十分な訓練と実戦経験を積んでいる不知火にはそれだけを指示すれば十分であった。
「了解しました」
不知火は即席の艦隊を率いて速やかに出撃した。事前の提督の要請通り全て駆逐艦で、低練度の娘も混ざっているが、提督には勝算があった。
元々、この新しい鎮守府が設置されている海岸は複雑な入り江状になっている。戦艦が備える高い火力は生かしづらい。それどころか、機動力で駆逐艦に劣る戦艦だとこの海域では身動きが取りづらいだろう。にもかかわらず、相手はこちら側のかなり深い所まで入り込んでいた。ならば駆逐艦の機動力を生かして振り回してしまえば撃沈は出来ないまでも進撃を断念させる事は出来ると踏んだ。
不知火も心得たもので、狭い海域にもかかわらず他の駆逐艦を率いて縦横無尽に走り回り深海側の戦艦を手こずらせている。不知火の率いる艦隊から受けたダメージが徐々に大きくなってきているようだ。次第に動きが鈍くなり、指揮を行う事すら困難になりつつあるらしい。深海側の艦隊の動きに混乱が生じ始めている。
それを見た同僚は提督と頷き合い、全軍に突撃を指示した。統率された行動が取れなくなっている所に総攻撃を受けたのだから堪らない。程なくして深海棲艦の艦隊は一斉に退却を始めた。
『追撃はしますか?』
無線で不知火が聞いてくる。
「いや、いい。帰投してくれ」
今回は追い返せればそれで十分である。
結局、この戦闘では敵方の艦を数隻撃沈したが、こちら側で沈んだ艦は無く、小破と中破がそれぞれ少数。損失としては軽微であった。
戦闘終了後、歓声が上がった。敵方の急襲にも関わらず、沈む艦一人無く新しい鎮守府を守り切ったのである。
「助かったよ。お前さんが居なかったら全員やられてた」
同僚は興奮したようにそう言って提督に今日再会した時と同じように握手を求めた。提督はその手を握り返しながらも、
「いや、俺は何もしていない。礼は不知火に言ってくれ」
と言った。
「確かに彼女は見事だった。戦艦相手にあんな戦い方が出来るとは……」
そう言った同僚は実際に不知火に声をかけて礼を言い、彼女に同行した駆逐艦達に「今回の貴重な経験を今後最大限に生かすように」と語りかけた。
その後、提督は同僚に鎮守府防衛成功の祝勝会を開きたいので是非同席してくれと熱心に誘われたのだが、提督はその日の内に自分の鎮守府に戻るという予定であった為、申し訳ないと思いつつも、後日改めて、と返答して丁重に辞退した。仮に飲酒をしてしまえば運転をする事も出来ず、今日中に鎮守府に戻れない。戻るのが予定以上に遅れてしまっては自分の鎮守府の艦娘達を不安がらせるだろう。
「この辺りの防衛体制ももう一度見直しがいるかもしれんな」
自分の車に向かう最中、今回の戦闘を頭の中で振り返りながら、提督はそう言った。こんなタイミングで深海棲艦が新設の鎮守府に襲撃を行ってくるなど完全な予想外であったからだ。
そんな提督に対し、不知火は言う。
「司令が標的だったのかもしれませんね」
「まさか」
提督は不知火の意見を笑って流そうとするが、不知火は続ける。
「あの鎮守府は新設されたばかりでまだ戦力も整備されているわけではありません。潰すつもりなら機会は今までもあったはず。なのに司令が視察をした日に攻撃したのを偶然で片付けても良いものでしょうか?」
流石に提督は笑いを収めた。不知火が言って来ている事をいまいち否定しきれない。自分に対する過大評価だと思いたいが、今回ばかりはそれに対して明確な根拠が欲しい。しかしこの時この場で考え続けている訳にもいかないだろう。今回の襲撃の件は既に自分の鎮守府にも連絡が行っているはずだ。少しでも早く戻って部下達に元気な顔を見せてあげなければいけない。
提督は少し話題を変えた。
「しかし、今日ばっかりは俺も不知火に礼を言わないとな。俺一人だったら何も出来なかった」
「不知火はあくまで自分の行うべき事を行なったまでです……が」
「が、なんだ?」
不知火が言葉を切ってしまったので提督が聞く。
「どうせ礼をしてくれるのならば言葉では足りない気がします」
「じゃあ、何がいいんだ?」
と、提督が更に聞くと不知火はこう言って来た。
「少し、そのままにしていて下さい」
「うん?」
そう言い終わるか終わらないかの内に、不知火が両手で提督の両頬を押さえ、提督の口をも彼女自身の口で塞いでしまった。
しばらく時間をおいてから二人は離れる。
「……何考えてやがる」
提督は悔しげに言うが、
「礼をしてくれるというので、司令の唇を頂きました」
と返す不知火はしれっとしたものであった。ただしその顔は少々赤かったが。
「さあ、帰りましょう。みんなも待っています」
と不知火が言うのだから提督は、
「そうだな……」
と、応ずるぐらいしか出来ない。
(舌まで入れてきやがったよコイツ……)
心の中でそう呟き、よく晴れた夕空を軽いため息と共に眺めながら提督は自分の車に向かって再び歩き始めた。不知火がその後に続く。
当初の想定に反し、提督は確実に不知火によって攻略されつつある。そんな彼の置かれた状況はさながら、80cm列車砲の砲撃によって破壊されていくセヴァストポリ要塞のそれを思い起こさせるものであった。