「やあ、おっさん。来たよ」
司令室の扉をノックもせずに開いてやって来たのは、ミス・トラブルメーカーことスコーピオンだ。
普段なら重要な資料や精密機器がある司令室に招かれることのない彼女であったが、今回は特殊な用事であるので咎められることは無い。
司令室のソファーの上では、ミラーの膝の上で眠る97式の姿がある。
その顔は涙を流したあとで赤くはれている…。
「あ、失礼します」
スコーピオンと一緒にやって来たのはスプリングフィールドだ。
おそらくスコーピオンが今回ミラーに呼ばれた件で、彼女の存在が頼りになると思い連れてきたのかもしれない。
「さっき警備の兵士に何があったか聞いたよ」
「そうか、この子も慣れてきたと思ったんだが…まだ早かったみたいだ。悪いな、来てもらってな」
「そんなことないよおっさん。あたしも97式は心配だったから、こっちこそ任せっきりで悪かったね」
そっと扉を閉めると、二人は眠る97式の傍にしゃがみ込む。
97式も全員に怯えているわけではなく、ミラー以外にもスコーピオンやスプリングフィールドなど一部の人形に心を開いて自然に接することができる。
女癖の悪さを多少心配したが、フランクな性格のミラーに預けることで97式を人に慣れさせようという試みはある意味成功したのだが、それでもやはりまだ人への恐怖心を拭いきれない。
確実なのは少しずつ人に慣れさせることなのだろうが…。
「ねえおっさん、前々から考えてたんだけどさ、MSFにも心理カウンセラーを雇ったほうがいいと思うんだよね」
「戦闘ストレス障害の対策のため、か。そうだな、オレも全く考えていなかったわけではないし、医療班においてもそういった計画があがっていたのもある」
「戦闘ストレス障害には、攻撃性の増大や疲労感、飲食障害や集中力の低下などが挙げられますね。ストレスを受ける要因には、軍事的な要因以外にも、環境及び生理的要因などがあります。古くは第一次世界大戦時、猛烈な砲撃へのストレスからくるシェル・ショックに悩まされる兵士が各国で問題になりました。それからの研究で、長期間の戦闘でも同じような反応が見られるようになり、戦争神経症、戦闘疲労という呼称に代わりましたね。退役した兵士などが後に心理的障害を示すこともあり、これは
「いや、スプリングフィールドったらやたら詳しいなって思ってさ」
「あ、すみません、つい…」
スコーピオンに指摘を受けて、少し話しすぎたと思ったようで気恥ずかしそうに顔を赤らめる。
これについては以前スプリングフィールドがユーゴ紛争で心身へかかった大きな負担から、メディックであるエイハヴに授けられた教養の賜物であろう。
兵士が気にするのは何も肉体的な外傷だけではない。
戦闘からくるストレスなどによって精神が傷つき、個人差はあるが様々な症状に苛まれる。
人間とは異なる構造の戦術人形にとってもこれは無縁なものではなく、極度のストレスからメンタルの崩壊につながる場合もある。
「だがスプリングフィールドの言うことももっともだ。MSFとしては、この分野に関して遅れていると言わざるを得ない。歴戦の兵士といえども、心のケアは必要となってくる。これについてはオレも考えておくとしよう…それで、97式の事だが、何か良い案はないだろうか?」
「うーん、あたしとしてはみんなと触れあって慣れていくしかないっていうのがあるんだけど、今の97式だと他人が怖くて仕方がないんだよね?」
「心理療法においても、主流なのはやはりセラピストとの対話です。しかしこれにはある程度技法が必要で、逆にストレス症状を強めてしまうことがあるので注意が必要です」
「そっか…何か良い方法はないかな?」
「そうなりますと…、やはり個人差がありますがその人の趣味をやらせてみたり、音楽を聞いたりでしょうか。しかし97式の症状を見るに、簡単にはいかなそうですが……後はそうですね、アニマルセラピーというのがありますよ」
スプリングフィールドが言った聞き慣れない単語に、スコーピオンは興味を示す。
「アニマルセラピーという言葉自体は、日本で生まれた造語だと聞きます。ですがこの概念については各国でも取り組みが行われている療法でもあります」
「それはオレも聞いたことがある。長期の入院生活や難病患者など、生存への意欲が低下している患者に犬や猫などのペットと触れあわせることで内在するストレスの緩和を図るものだ」
「人と関わるペットがもたらすメリットとして、癒しや孤独の解消、他者を思いやる心を育むことが挙げられますね。ミラーさん、もしかしたら今の97式にはぴったりな療法かもしれません。それに、間に動物がいることで見知らぬ人でも無意識的に警戒心を解いてしまうという話もありますから」
「そうか、それは是非とも試しす価値があるな。じゃあ早速…」
犬か猫でも用意しようと、腰をあげようとしたミラーをスコーピオンが声をあげて引き止める。
何か考えでもあるのだろうかと彼女を見たミラーであったが、先ほどまでの真剣そうな顔つきはどこへやら…スコーピオンの何かを企む表情に背筋が凍る。
今まで大人しくしていたから油断していたが、これは何か面白いことを企んでいる顔だ。
「おっさん、今の97式は結構ヤバい状態なのはわかるよね? 普通の療法じゃどうにもならないのは分かるよね?」
「ああ、それは分かるが……スコーピオンお前、一体何を企んでいる?」
「おっさん、97式は中国に起源を持つ戦術人形だ。それならば97式の故郷の動物を用意するべき、そう思わない?」
「言いたいことは分かるがここから中国までどれくらい距離があると思ってるんだ、ほとんど地球の反対側だ。無茶を言うんじゃない……一応聞くが、どんな動物を用意しようというんだ」
「パンダ」
「は?」
「だから、パンダだってば」
とぼけた表情で言って見せるスコーピオンに、ミラーとスプリングフィールドは揃ってあきれ果てる。
説明しよう、パンダとは正式名称ジャイアントパンダのことであり、中国のごく限られた地域に生息する動物である。
その独特な外見と仕草から動物園などでは人気の動物であったのだが、第三次世界大戦勃発以前から絶滅危惧種に指定され、環境が激変した現代においてはほとんど絶滅したとされている動物である…つまりはパンダを探すなど夢物語なのだ。
「パンダが可愛いのは分かるがな…いくらなんでも…」
「そうですよスコーピオン、いないものを探せというのはできっこないです」
「そっか、いい考えだと思ったんだけどな。じゃあさ、パンダに似た生き物を探せばいいんだね!」
「待て、一回パンダから離れようか…」
「……と、いうわけでやってきました北極へ」
一面銀世界、すべてが凍りついた極寒の領域の中でスコーピオンは気合を入れる。
あの後無理矢理連れてこられたミラーとスプリングフィールドは防寒着を何枚も着こんでいるが、それでも北極の寒さは厳しい。
それに対しスコーピオンの格好はというと、いつもの服に毛糸の手袋をつけただけという見ているだけで寒々しい格好をしている。
「あいつ、こんな寒い中で…風邪を引かないのか…!」
「ミ、ミラーさん…戦術人形は風邪を引きませんよ…!」
「いや違う…スコーピオンの場合、戦術人形だから風邪を引かないんじゃない…バカだから風邪を引かないんだ!」
凍てつく風に身を震わせ、やたらと元気なスコーピオンの後を二人はついて行く。
さて、当初パンダを求めていたスコーピオンが何故この北極へとやって来たかというと…。
「さて、どこに居るかなホッキョクグマは!」
そう、よりにもよってスコーピオンが次に目をつけたのは世界最大の肉食獣とも言われるホッキョクグマを捕まえるためであった。
もはや97式のためという大義があるのかどうかも分からないが、一応スコーピオンの言い分としては、"白クマにぶち模様をつければパンダじゃん"ということらしいが、流石思考回路が常人とは違う。
「じゃあスプリングフィールド、狙撃は任せたよ。大型動物用麻酔銃だ!」
「え、ええ…任せてください」
「もう元気ないな! おっさんも、この寒さに負けないくらい元気でいないと!」
「くっ、何故こんな時スネークがいないんだ…!」
極寒の環境の中でスプリングフィールドは律儀に捕獲用麻酔弾を装填したライフルを受け取り、囮のために出かけていったスコーピオンの帰りを待つ…待っている間に凍死してしまうのではという危機感もあったが、スコーピオンはすぐに戻って来たではないか……巨大なホッキョクグマに追いかけられて…。
「スプリングフィールド! 早く撃って、早く―!!」
「わわ! とりあえず、伏せてくださいッ!」
その言葉を聞いてスコーピオンが咄嗟に伏せ、同時に麻酔弾を装填したライフルの引き金を引いた。
麻酔弾は見事ホッキョクグマに命中するのであったが、体格の大きなホッキョクグマには一発で麻酔が回らず、少し怯んだだけでスコーピオンに襲い掛かる。
ホッキョクグマの巨体がスコーピオンに覆いかぶさった時、最悪の事態にミラーとスプリングフィールドは声を失う。
怒り狂うホッキョクグマが暴れまわり、その圧倒的力に蹂躙されてスコーピオンは助からない…そう二人は思っていたが。
「こんの白クマが! 痛いでしょーがっ!」
なんとスコーピオンはホッキョクグマの横腹をすり抜けたかと思うと、ホッキョクグマの背にまわり込み首を絞めあげる。
もがき暴れるホッキョクグマに振り落されたが、突っ込んできたホッキョクグマの鼻っ面に頭突きを叩き込んで怯ませる。
「白クマが、サソリに勝てると思うな! こんちくしょーめ! サソリ式CQCでも喰らえッ!」
真正面からホッキョクグマの頸動脈をフロント・チョークの要領で絞めあげ、渾身の力を込める。
苦しみもがくホッキョクグマ……ありえないことにゆうに数百キロはあろうホッキョクグマの巨体を宙に浮かせ、クマの脳天を氷上へ垂直に叩きつける垂直落下式DDTをお見舞いする。
銀世界に響き渡る、氷が叩き割れる音。、
あまりの衝撃にホッキョクグマは目を回して崩れ落ちた。
「っしゃーーー! あたしが地上最強の生物だーーーッ!」
目を回して気絶するクマの横で勝ち名乗りをあげるスコーピオンを、二人は呆然と見ていることしか出来ないでいた…。
想定していた流れとは大きく違ったが、ひとまずホッキョクグマを捕獲することに成功したわけであるが、やはりミラーとスプリングフィールドはホッキョクグマをアニマルセラピーに用いることには否定的だった。
何かスコーピオンを阻止できないか…そう思っていると、氷の影から小さな白クマがトコトコと歩いてきたかと思うと、気絶したホッキョクグマにしがみつく。
おそらく気絶したホッキョクグマの子熊なのだろう、親熊と違い愛くるしい姿にスプリングフィールドはおもわず見とれていたが、そこで何かを思いつく。
「スコーピオンさん、白クマをアニマルセラピーとして連れ帰るのは止めましょう。このクマたちはここで自由にいきていたんです。いくら97式を助けるためとはいえ、何の罪もないこのクマたちを連れかえって利用するのは、わたしたちのエゴではないでしょうか?」
「……うーん……でも…いや、スプリングフィールドの言う通りだね。あたしらには、このクマたちを故郷から引き離す権利はなかったよね。ごめんね、痛いことしちゃって」
「人類と動物の関係をパートナーと呼ぶか、それとも隷属と呼ぶかは人それぞれだ。人のためとはいえ、動物を利用することは罪なことなのかもしれない……まあいいじゃないかスコーピオン、オレたちだけで97式の心を助けてやろう」
「うん、そだね。時間がかかっても、誰にも迷惑をかけずに97式を助けてあげた方がいいよね」
最後に一度、気絶させたクマの親子に謝罪をして、3人は北極を立ち去るのであった。
「北極まで行ってなんの成果もなしか…残念だったね」
「次は普通の場所でお願いします、本当に…」
「まあ、北極は環境汚染の影響もほとんどないって分かったからいいじゃないか。さて、ただいま97式」
司令部の扉を開けると、そこにいた97式が振り返り笑顔を向ける。
それに微笑み返そうとした3人であったが、そこにいるはずのない存在に一同戦慄する。
「あれ、どうしたんですかみんな?」
「あ、あ……97式…? それ、なに…?」
「はい? あぁ…たまたまここに迷い込んで来たみたいで、あたしに懐いてくれたみたいなんだ。可愛い"トラ"だね」
そこにいたのはトラだ、紛れもない大型肉食獣のトラである。
97式よりも大きな身体をソファーに横たえ、気持ちの良さそうに目を閉じて寝息をたてているではないか。
覚えているだろうか?
このトラはかつてMSFがこの世界にやって来て間もないころに、食糧難を解決するためにスタッフ総出でハンティング作戦を行った際に、スネークが格闘の末連れてきたトラだ。
食用に適さないということで食べられず、以後、MSFのスタッフが細々と世話をしていたらしいのだが、ミラーたちが留守中脱走して97式に懐いたらしい。
「あ、危ないよ97式、大丈夫なの!?」
「ホッキョクグマをぶちのめしたお前がいまさら何を…」
「平気だよ。人懐っこくて、あたし気に入った! 名前も考えたの、
獰猛な肉食獣の傍で笑っている97式、危なっかしくて冷や冷やしているが、落ち着いている様子を見るに本当に懐いているのだろう。
「ま、まあ結果的に97式とトラで中国っぽいからいいのかな…?」
「それじゃ、後は大丈夫だねおっさん?」
「待て、オレはあのトラとも一緒にいなければならないのか?」
「ご愁傷さまですミラーさん、くれぐれもトラの機嫌を損ねて殺されないよう注意してくださいね?」
「スプリングフィールド、お前もか…!」
かくして、司令部に新たなメンバーが加わることになった。
余談だが、常にそばにトラがいるという状況がミラーに緊張感を持たせ続け、彼の業務遂行能力が上がったとかなんだとか…。
※トラについては第一章"マザーベース:ハンティング作戦"を参照!
ふへへ、トラのキャプチャーはただの思いつきだと思ったやろ?
97式のための伏線やで(嘘)
ペット一匹飼うためにアニマルセラピーだのPTSDだの小難しい話を…これがMSFの日常会話です(白目)