ユーゴスラビア連邦、ベオグラードでその報告を受けたイリーナはただちに取り掛かっていた執務を切り上げると少数のボディーガードを連れて、現在米軍部隊及び鉄血支配地域近くに展開する連邦軍の前線へと赴いた。ヘリで真っ直ぐに前線へ到着し、彼女は司令室へと赴く…。
連邦軍の野営地には南欧戦線で米軍と睨み合いを続けているはずのMSF兵士たちの姿も何人かいた。
すっかりお互い見知った関係のイリーナは、自分に気がつき手を振ってきた何人かの戦術人形に小さく手を振り返した。だが笑顔で手を振り返していた表情は、野営地の司令部に足を踏み入れた辺りで消え去った。
司令部内へ入ると、イリーナの来訪に気がついた司令官が歩み寄り敬礼を向けてくる。
「お疲れさまです、イリーナ幹部会議員殿」
「呼び捨てで構わないよ、メシッチ上級大将殿」
「分かりました、ではわたくしも呼び捨てで構いません。イリーナ、とりあえず彼らは司令部にかくまっている。正規軍の何人かが声をかけてきたが全て突っぱねておいた、あんなものを見られたら……連邦は非常にまずい立場に立たされる」
「分かっている、英断に感謝する……案内してくれ、メシッチ」
メシッチ上級大将は頷き、イリーナを司令部の奥へと案内していく。
普段は何人かの将校や通信要員が集まる司令部は特別に人払いをしており、メシッチ上級大将の息のかかった一握りの警備兵がいるのみである。警備兵が警護するその場所で立ち止まった彼は、イリーナに入室を促した…。
軽く咳払いをしてからイリーナは奥のその部屋へと足を踏み入れる……彼女の目に飛び込んできたのは、見知ったMSFの顔ぶれと、それから人類と不倶戴天の関係にあるはずの鉄血工造ハイエンドモデルたちの姿であった。その中で、ベッドの上に横たわる負傷したハイエンドモデル"代理人"が懐疑心に満ちた瞳を、イリーナに向けていた。
「イリーナ、久しぶりだね」
「あぁ、久しぶりだなスコーピオン」
イリーナの姿を見てスコーピオンが嬉しそうに駆け寄っていく、それに対しイリーナは少しだけ笑いかける。その様子にスコーピオンは目を丸くしてきょとんとしていた……普段のノリのいいイリーナであったのなら、もっと愛嬌よく笑いかけて頭を撫でてくれるはずだというのに…。
それが示すところは、イリーナが厳しい表情でスネークに語りかけるようすから伺えた。
「スネーク、いくらなんでもこれは……これが正規軍の知るところになれば、私たちは非常にまずい立場に立たされていたんだ。幸い、ここのメシッチ上級大将が君たちの存在を隠し真っ先に私に知らせてくれたが…」
「咄嗟の事だったとはいえ、すまなかった。君たちしかあの時頼れるものがいなかったんだ」
「私も連邦も、MSFとあなたには大きな恩がある。これから先も友好な関係を続けていきたいと願うが、私の力も絶対的なものではない……このようなことが続けばいずれ、君らを助けることも難しくなってしまうんだ」
「ああ、分かっている……本当にすまなかった」
「分かってくれるならいいんだ」
そう言うと、厳しかったイリーナの表情もいくらか和らぎそばにいたスコーピオンの頭に手を置いて撫で始める。
「それで、今度はまた鉄血領内で何をしていたんだ?こんなにハイエンドモデルを集めてきて、鉄血人形の展示博覧会でも開くつもりか?」
「冗談言ってる場合じゃないんだよイリーナ、米軍の特殊部隊が侵入してエルダーブレインを連れ去っていったんだ!」
「声が大きいぞエグゼ。待て、エルダーブレイン? 鉄血の、なんだったか……上級AIだったか?」
「そうだよ、ってまさか知らないのか?」
「なんでもかんでも知ってるわけじゃないからな。MSFはエルダーブレインを狙っていたが、米軍に先を越されたということか?」
「そうじゃねえ、エリザさまを助けようとしたんだ」
「助けようと……? 話が見えないな、鉄血は米軍と手を組んでいて私たちが今まさに戦っている敵の一つだったはずだ」
「いや、そうだけど…違うんだよ。理由は、上手く言えねえ…ただ助けようとしただけなんだよ」
「……処刑人、もういいですわ。理解していただく必要などありません…時間の無駄ですわ……」
それまで黙って会話を聞いていた代理人が、負傷した身体を無理に起こしてベッドから降りようとする。当然、周りにいたハンターやアルケミストがベッドに戻そうとするが代理人はアルケミストの手を掴み、睨みつけるように見据えて叫ぶ。
「一分一秒が惜しいのです! こうしている間にも、ご主人様は遠い彼方に連れていかれてしまっているのです!」
「落ち着けよ代理人、そんな身体で何ができるって言うんだ!?」
「なにもしないよりはるかにマシですわ…! そこを退きなさいアルケミスト……退きなさいっ!」
「感情的になると手がつけられないのは昔からだね代理人! 分かりやすく言ってやるよ、あとはあたしたちに任せな、エリザさまはあたしらが必ず連れて帰る」
「あなたたちが……?」
「あぁそうさ、都合のいいことにこっちにも何人かちょっかいかけてきたくそやろうに用がある奴がいるのさ。なあ、デストロイヤー?」
「ほぇ…?」
突如話を吹っかけられたデストロイヤーはぺろぺろ舐めていたアイスキャンディーを持ったまま硬直する。こんな場面で呑気にアイスキャンディーを舐めれる胆力がついた強さを認めるべきか、それともMSF色にすっかり染まってしまったことを嘆くべきか。
一々突っ込んでいては話が進まないのでその事は無視する。
「お前もやられっぱなしじゃ気が済まねえだろ? デルタの腐れやろうどもの玉を蹴り上げてやりたいだろ?」
「まあ、玉には触りたくないけど……そうだね、やられっぱなしは性に合わないよ。殴られたら、100倍返しでぶん殴ってやるんだから!」
アイスキャンディーを口に咥え込み、デストロイヤーはガッツポーズを決めてアルケミストの提案に乗る意思を示す。
「ハハハハ、ちびのデストロイヤーがすっかり勇敢になったじゃないか! おい、オレたちも負けてられねえよなハンター?」
「あ? お前も行くのか? 戦線の指揮はどうするんだ?」
「それはあたしに任せてよ! この最強無敵のスコーピオンさまが部隊の指揮を執ってあげるからね! まあ、わーちゃんとかエイハヴの手も借りるよ? だからまあ、安心したまえ!」
「決まったな……そう言うわけだから代理人、あんたはそこで指でも咥えてエリザさまが帰ってくるのを待ってな。あたしらがエリザさまを連れ帰る、ついでにヤンキーどもも始末してくる。あの腐れ外道ども、誰にケンカを売ったか分からせてやるのさ」
にこやかにエルダーブレインの救出を名乗り出た4人のハイエンドモデルたち、いずれも固い絆で結ばれた姉妹たちだ……一時はお互いに殺しあいまでもしたこともある、二度とこの4人が並びたち笑う姿は見れないと、代理人はどこかで思っていた。
そんな彼女たちを見た代理人の頭には、この4人をこの世に誕生させ大切に育てあげた女性の顔が浮かぶ……それから代理人は、滅多に変えることのない表情に微笑みを浮かべた。
「まったくあなたたちは、いつからそんな乱暴者になったんですか……サクヤ様も嘆いておりますよ」
「うっ……マスターのことを出すんじゃないよ、それに一番酷いのはエグゼだろうこのメスゴリラを見なよ」
「はぁ!? なんでそこでオレが出てくんだよ! オレはおしとやかだろ!」
「お前がおしとやかなら、オセロットが心優しい聖人君子に見えてくるよ」
「同感だね」
ぎゃーぎゃー喚きだすハイエンドモデルの姉妹たちを見た代理人は、目を細め口に手を当てて笑っていた。
だがここで一つ問題が…エルダーブレインを助けに行こうにも、デルタ・フォースが彼女をどこに連れていったのかが見当もつかない。おそらく米国本土へ向かうのは間違いないが…。
声を唸らせて考えていると、咳払いが一つ……イリーナだ。
「ここに来る間報告があったことだが、黒海より地中海にアメリカ海軍と思われる艦艇が入ったという情報があった。現在連邦海軍の潜水艦が密かに追跡、奴らはおそらくジブラルタル海峡を抜ける模様だ」
「………おぉ……さっすがイリーナ、仕事が早いね! 期待して正解だぜ!」
「まったく……いいかみんな、私が無償で手助けしてやるのはこれが最後だぞ? 次からはお前たちがいかれた殺人鬼に拳銃つきつけられたとしても、契約書にサインするまで助けてやらないからな? そういうわけだスネーク、これが最後だ……全力でサポートしてやるさ」
「なにからなにまで助かる、あいつらにできるだけのことをしてやってくれ」
「うん? あんたは一緒に行かないのか?」
「ああ……オレは、エグゼやみんなを全面的に信頼している。それに、もう一人……決着をつけなければならない相手がいるんだ」
「シーカーですね……スネーク、彼女はもうかつてのシーカーではありませんよ。憎悪と怨念に囚われた地獄の鬼となり果てました」
シーカーの力が暴走し、人間や戦術人形の残骸を傀儡と化し目につくすべてのものを破壊しているのはここへ逃げ込む最中に目の当たりにした。いまだ戦闘を続ける米軍部隊、シーカーに操られた膨大な数の無人機、そして死者の軍勢……全てをのみ込む前に、彼女を止めなければならない。
「スネーク、こっちは任せろ。アンタはアンタの戦いをな……へへ、なんでだろうな、負ける気がしねえぜ」
「意気込みは大事だが、調子に乗るんじゃないぞエグゼ。行って、彼女を助けてくるんだ」
「ああ、スネークお前もな……アンタならきっと、ただ殺す以外の決着をつけられそうな気がするよ。行こうぜスネーク、いい加減この戦争を終わらせようぜ」
「ああ、そうだな」
薄暗いその空間には、死の香りが充満していた。
人肉が焼け焦げる匂い、血なまぐさい匂い………くるぶしまで浸る液体は血と油が入り混じり、不愉快な臭気を放つ。血と油の混じった水たまりの中に沈められたいくつもの死体の前で、シーカーは片膝をついて額を抑え込んでいた…。
指の隙間からは血が流れ、床にたまった血だまりに新たな血を滴らせる。
付近に響いた足音に反応したシーカーはゆらりと立ち上がると、足音を響かせた海兵隊をその目でとらえると銃の照準をつけて一撃で殺す。そんな兵士もしばらくすると起き上がり、彼女の死者の軍勢へと招き入れられる…。
「はは……なんて恐ろしい奴だ、お前は…」
シーカーの目の前で笑うのは、両足を欠損し廃棄物の山に横たわるマーカス少佐であった。
既に戦闘能力は削がれた彼に近付いていったシーカーは、刀剣を逆手に持つとその切っ先を彼の左胸に突き刺した。苦痛に呻くマーカスの胸に踏みつけて刀を抜くと、傷口に手をつっこみ脈打つ臓器を強引に引き抜いた。
生ぬるい心臓はとりだされてからも脈打っていたが、最後には握り潰される……それでも絶命に至ることのなかったマーカスであったが、至近距離からレーザーを照射されることでその命を散らした。
「足りない……まだ、血が足りない」
いくら死体を積みあげようとも、彼女の心は満たされることのない。
最愛の友を失い、それを埋めるように報復を重ね続ける……もはや相手は誰でもよかった、米兵を殺し尽くした彼女は領域内に入り込んだ正規軍にも襲いかかり死者の軍勢に組み入れる。彼女の魔の手は徐々に外界へと伸びていく、いずれ無抵抗の一般市民にまで及ぶのは時間の問題だろう…。
「ドリーマー、ドリーマー……次はどこに行く? 誰をお前に捧げてやろうか? 見せつけてやろう、私たちを否定した世界にな……報復してやろう」
復讐鬼と化した彼女は止まらない……死だけが、彼女を止められる。
だがその死が、もうすぐそこまで迫っていることは彼女自身悟っていた。何度も吐血を繰り返し、その度に殺した人間の血をのみ込んでいく。絶えず全身を激痛が襲う、そんな苦痛を和らげるのは怨念と憎悪を抱き報復を果たした時だけ…。
「あぁ……今夜は、月が綺麗だなドリーマー………美しいよ」
空に浮かぶ月を見上げた彼女は、そこに亡き友の面影を見た。
彼女はそこに佇み、月が陰るその時まで空を見上げていた…。
とりあえず、アイスキャンディーを舐めたり咥えたりするデストロイヤーに卑猥な妄想をした輩はアルケミストの調教部屋に入ってどうぞ()
次回、ラスボスの一角……デルタ・フォースとの戦いだ。
行け、サクヤの教え子たちよ!