Serial experiments □□□ ー東方偏在無ー 作:葛城
ま、結局は自己満足だからね、多少はね(妥協)
――幻想郷。
それは、人ならざる者たちが集う隠れ里。コンクリートジャングルの現実世界からは否定された存在……一部の神様や妖怪、超能力者たち、あるいはその末裔たちが肩を寄せ合って生きる、小さくも幻想的な世界。
博麗大結界と呼ばれる、幻想郷(内)と現実世界(外)を隔てる不可視の壁によってほぼ閉ざされたその世界は、緑が溢れていた。空気も澄んでいて、空も青く、どこまでも自然が自然のままに息づいている。
何故そこまで綺麗なのか、その理由は一つ。この世界を管理する者たちの存在によって文明の発達が管理されているからだ。
現実世界より否定された存在にとって、現実世界ではもう生きることは叶わない。幻想郷が、現実世界と同じようになってしまえば、その後に待っているのは……消滅のみ。
だから、科学技術を始めとした、秩序そのものを根こそぎ作り変える力は危険視されている。理由問わず、それを広めるようなことをするものを厳しく罰するので、必然的に技術の発展は抑制されているわけだ。
それは何とも乱暴な考えではあるが、しかし、悪いことばかりではない。外とは違い、幻想郷の時間は忙しないが緩やかに流れている。人ならざる者たちにとって、この世界は最後の住処なのであった。
そこで住まう人々を始めとした、人ならざる者たちは、幻想郷内にて定められた規則(ルール)にはよく従った。特に、強者とされている者たちほど、この規則を守った。
その気になれば、大勢の妖怪を従えて王として君臨することが出来るかもしれない存在も、中にはいた。だが、彼ら彼女らはあえてそれをしなかった。
それは何故か。理由は、色々とある。
例えば、強者とされている者たちは意外と多く、結果的にそのおかげでパワーバランスが保たれているから。
例えば、争い事を好まない強者もおり、何か事を成せばその者が敵に回るから……といった理由がある。
けれども、強者たる彼ら彼女らを押し留めている最大の理由は、そこではない。腕の一振りで人間一人、妖怪一体を容易く葬る強者たちの暴走を押し留めているのは……一人の人間の存在であった。
それは、幻想郷の要であり支柱でもある博麗大結界を管理する、博麗神社の巫女。渦巻くパワーバランスを一身で押さえ付け、留め、幻想郷内の秩序を守っている、秩序の天秤。
異変ある所に博麗の巫女あり、妖怪ある所に博麗の巫女あり、人間ある所に博麗の巫女あり。幻想郷が出来たその時より幾度となく代替わりを果たしながらも、その名を幻想郷内に知らしめ続けた、最強の抑止力。
――その名を、博麗霊夢(はくれい・れいむ)。数多の妖怪から一目置かれている博麗の巫女の中でも、歴代最強と噂されている美少女であった。
御年十代半ばでありながら、博麗の巫女を先代より襲名して、幾数年。未だ負けを知らぬは博麗霊夢と揶揄されることもあるその少女は、己の寝床でもある博麗神社の縁側にて腰を下ろしながら……静かに、眠気と戦っていた。
――ちちち、と。
どこからともなく聞こえてくる鳥の鳴き声。これは、雀だろうか。半ばまで瞑り掛けている己の眼を気合いでこじ開けながら、霊夢は胡乱げな意識の中でぼんやりと考えていた。
季節は、春。此度の幻想郷の春は、例年にないぐらいに陽気で、穏やかで、誰も彼もが眠そうにしている。それは、内と外とを隔てる博麗大結界を管理する霊夢とて、例外ではない。
船を漕ぐ霊夢の傍には、湯呑が一つと皿が一つ。すっかり冷めて温くなったお茶と、茶菓子であるどら焼きが二つ置かれている。ゆっくり食べようとしていたのだろうが、眠気に負けてしまってそのままなようだ。
霊夢が眠そうになるのは、ある意味では当然であった。何故かといえば、霊夢が住まう神社は……とにかく、変化がなくて静かであるからだ。
というのも、だ。まず、博麗神社は人里(幻想郷内にて生活する人々が暮らす場所。そこ以外に、人間は基本的に暮らしていない)よりかなり離れた不便な場所にある。つまり、日常的な交流がほとんどない(没交渉、というわけではない)のだ。
博麗神社は幻想郷を維持するうえで最重要ではあるが、だからといってそれだけを大事にして生きて行けるほど、幻想郷は楽園ではない。御参りしたくとも、人里で暮らす人々にとってはそう挨拶に行ける場所ではないのだ。
当然、巫女の手を借りるような事態になれば、彼ら彼女らはここに来るだろう。しかし、頻度はそう多くはない。言うなれば、巫女は一発のミサイル。ナイフで事足りる事態ならば、それが出来る者たちに任せる……当たり前のことであった。
加えて、博麗神社にはおおよそ娯楽と呼べる物がほとんどない。全くないわけではないのだが、とっくの昔にやり飽きてしまっている。その役目故にそうぽんぽんと神社を離れるわけにはいかず、朝昼晩と一人で神社に籠っているせいであった。
だから、この日の霊夢も暇を持て余していた。
ぽかぽかとした陽気は暑すぎず、寒すぎず。そよそよと頬に当たる風はどこまでも優しく、穏やかで。することがない霊夢が、眠気を覚えてしまうのはある意味では仕方ない話であった。
なら、修行なり雑事なりをすればよい話なのかもしれないが、霊夢は性根が物臭である。暇を潰す為に何かをするという行為を面倒に思う霊夢にとって、こうして船を漕いでいるのは何時もの日常でしかなかった……のだが。
――不意に、変化のない光景に変化が起こった。
それは、霊夢の斜め後ろ側。ちょうど、どら焼きが載せられている皿の、少し上。何もないその空間に、突如として亀裂が走ったかと思えば……そこが、ぐわりと開いたのだ。
開かれた亀裂は穴へと変わる。その向こうには、幾つもの眼光が蠢く、何とも形容し難い光景が広がっている。それは、幻想郷の住人たちからは『スキマ』と呼ばれている、特殊な空間であった。
言うなれば、ワープホールのようなもの、といえば理解が早いだろう。大きさにしてラグビーボール大ほどの穴から出て来たのは、シルクの手袋に包まれた腕。一目で女性のものであることが伺える細い腕が、音もなくどら焼きへと伸ばされ――叩かれて、皿の外に指が当たった。
「……それは私のおやつよ」
なおも諦めずに伸ばされる指先を、霊夢は幾度となく払う。計4回払われたその手は、諦めたかのように皿の端をちょんと叩いた。
「食べたかったら他所から貰ってきなさいな」
『――二つある内の一つでしょ』
「二つだろうが一つだろうが、これは私のおやつよ」
鬱陶しげな霊夢の言葉に返したのは、絹が風に喘いだかのような艶やかな声。霊夢の傍にはだれもいないが、霊夢は驚かない。何故なら、開かれたスキマの向こうに、その声の持ち主がいることを知っているからだ。
だから、霊夢は気にした様子もなく、振り返ることもせず、寝ぼけ眼をそのままに、霊夢は叩いたその手でどら焼きを手に取り、かじる。温くなったお茶に僅かばかり眉間に皺を寄せ、緩くため息を零していた。
それを見て……というより、感じ取ったのだろう。はあ、とため息らしき声がスキマの向こうから零れた。一拍遅れて、ラグビーボール大の穴は目に見えて広がり……中から、ナイトキャップのような帽子を被った妙齢の女がぬるりと姿を見せた。
女の名は、八雲紫(やくも・ゆかり)。この幻想郷を作るに当たって尽力した、妖怪の賢者。数多に存在する強者たちの間からも一目置かれている、大妖怪と呼ばれている内の一体である。
その、八雲紫……一言でいえば、美人であった。熟女とも少女とも表し難い、特有の年代のみが出せる、脂が乗った女。町を歩けば一人二人と振り返られるであろう美貌の彼女は、「意地汚いわよ、霊夢」心底呆れたかのように霊夢の背中に額を押し付けた。
「意地汚いのが人間よ。さあ、ここにおやつはないわ。食べたかったら帰って用意してもらいなさい」
「意地汚いのが人間なら、それを奪うのは妖怪の本分よ。それにしてもあなた、寝ぼけ過ぎよ。シャキッとしなさい」
重い、といって身動ぎする霊夢の隙を突いて、紫の指先がどらやきを掠め取る。「――あ、こらっ」気づいた霊夢が慌てるも、それよりも速くスキマの向こうへと跳び込む。閉じてしまったスキマの後にはなにもなく、霊夢の指先は空しく空を切るだけであった。
……。
……。
…………やれやれ、仕方がない。
反射的に空間を割り開いて追跡しかけた霊夢であったが、寸での所で止める。
せっかくの陽気な昼間なのだ。こんな日に、いちいちドンパチやり合うのも如何なものかと思った霊夢は、再び元の位置に腰を下ろし、どら焼きをかじ――ろうとした、その時であった
「――っ!?」
強いてその感覚を言葉に手嵌めるであれば、それは予感であった。あるいは、焦燥感というやつが近しいのかもしれあい。この日、その瞬間。霊夢は、予感にも似た何かが胸中を過ったのを知覚した。
その瞬間においての、霊夢の行動はまさしく神速であった。ひと際強く跳ねる鼓動を意思の力で落ち着かせながら、燻っていた眠気が瞬時に振り払われると同時に……霊夢は、境内へと降り立っていた。
瞬きよりも、素早く。巫女服というには些か派手な、紅白の衣装を身に纏っている霊夢は、眠たげに緩んでいた目じりを吊り上げて辺りを見回す。その手には対妖怪(人間にも物理的に有効)に有効な、お祓い棒が握られていた。
油断なく注意を払いながら、霊夢は心を澄ませて力を練り上げる。それは、霊力と呼ばれる退魔の力。器(肉体)より溢れ出た霊力が炎のように揺らめいて、立ち昇っていた。
その姿、見る者がみれば腰を抜かしていただろう。何故なら、霊夢の体外に溢れた、その霊力。それだけで、常人の数百、数千にも達するであろう霊力が凝縮されているのだ。
溢れただけでそれなら、器にある霊力の量は、果たして如何ほどか。数千、数万……正確な数値として測ることは出来ないが、神社より一定範囲にいた魑魅魍魎が瞬時に逃げ去るぐらい程度に凄まじいのは、確かであった。
(……気のせい、かしら?)
櫛で梳かしただけの黒髪が、さらりと風に揺れる。日の光によって薄ら茶色く見えるそれを手で押さえながら、幾ばくかの無言の後……霊夢は、ゆっくりと肩の力を抜いた。
ふう、と吐かれた吐息に混じる、膨大な霊力。数多の妖怪、神霊、人間をその実力で黙らせてきただけあって、美少女と評して間違いない風貌とは裏腹の迫力が、そこには滲み出ていた――と。
「――ちょっと、いきな――あっぶぇ!?」
「あ、ごめん」
霊夢の行動(立ち昇る霊気)を察知して、気になったのだろう。先ほどと同じくスキマを開いて姿を見せた紫は、直後に向かってきた退魔針(霊夢の武器)を寸での所でキャッチした。
狼藉人は、当然ながら霊夢である。スキマが開かれる直前にて起こる、大気の僅かな乱れを察知した霊夢が、ほぼ無意識の内に放ったのだ。あわや、大惨事になり掛けた紫は、頬どころか額にまで冷や汗を流しながら、霊夢を怒鳴りつけた。
「ちょ、あ、あのね、ほんと止めてね、こういうの! どら焼き一つでそこまで怒ることないじゃないの!」
珍しく顔を真っ赤にした紫が、怒った。けれども、仕方ないことである。いくら紫が大妖怪とはいえ、相手は博麗の巫女。その博麗の中でも、歴代最強と言われている霊夢が放った退魔針だ。しかも、お遊び半分ではない、本気で放ったもの。
直撃こそしなかったものの、その効果は絶大の一言。紫ですら、掴んだ掌が焼け爛れて出血するだけでなく、傷の再生すら覚束ない。そんなものを出会い頭に数発も放たれれば、紫でなくとも怒って当然であった。
「うっさいわね、謝ったじゃない。それに、それはどら焼きじゃなくて、ただ間違えただけよ」
「間違えたって、どら焼きと間違えて殺されたら堪ったものじゃないわよ!」
「間違えた私も悪いけど、いきなり出てくるあんたも悪いわよ」
出血によって染まった掌をハンカチで拭いながら怒鳴る紫に対して、霊夢の方は飄々としていた。いやまあ、少しばかりは悪いと思ったのだろう。
「……どら焼きの件は、これでチャラだから」
幾分か居心地悪そうに紫から目を逸らした霊夢は、再び辺りを見回した。「……まあ、いいわよ。私も悪かったんだし」それを見て、紫は振り上げた怒りの矛を下ろすと、スキマの中から食べ掛けのどら焼きを引っ張り出した。
「それで、いったい何を探しているの? あなたのどら焼きなら、そこで蟻さんが元気に仕事をしているわよ」
「さあ、私にも分からないわ」
尋ねられた霊夢は、素直にそう答えた。実際、霊夢自身何を探しているのか、それが分からなかった。ただ、言葉には言い表せられない予感に突き動かされるがまま動いただけで、それ以上の説明のしようがなかった。
「……寝ぼけていたのではなくて?」
「……そうかもね」
もそもそ、と。どら焼きを口内に放り込んだ紫の感想に、霊夢は苦笑して頷いた。特に、苛立ちは起こらなかった。仮に霊夢が紫の立ち位置にいたなら、同じことを言ったであろうことが、想像出来たからだった。
……実際、寝ぼけていたのかもしれない。
そう、霊夢は思った。おやつを蹴飛ばして境内へと飛び出すぐらいだったのに、気づけば、胸中にあった焦燥感は消え、痛みと錯覚するほどの予感は……と。
――っ。
わずかに聞こえた、か細い声。何だと思って振り返った霊夢の視線と、紫の視線とが噛み合った。「呼んだ?」ほぼ、同じタイミングで同じ言葉を放った二人は、はて、と首を傾げながら辺りを見やった……すると。
――っ。
また、聞こえた。だが、今度は先ほどよりも大きく、はっきりしている。とりあえず、声は上から……だろうか。気になった二人は視線を高く上げると、声の出所は何処かと右に左に視線をさ迷わせ……不意に、見つけた。
青空にぷかりと浮かぶ、黒い歪な点。それが徐々に大きくなるにつれて、その姿が二人の目にもはっきりと留まるようになる。近づいているのだと二人が思った時にはもう、その影は二人の前に降り立っていた。
影の正体は、三人の少女であった。そして、三人の少女の顔を見た霊夢は、はて、と軽く小首を傾げた……と、いうのも、だ。
一人は、白いリボンの付いた三角帽子を被り、箒を片手に持つ、黒い服を着た金髪の少女。名を、霧雨魔理沙(きりさめ・まりさ)。
一人は、淡い緑髪(りょくはつ)を背中まで伸ばした、三人の中で一番大柄な少女。名を、東風谷早苗(こちや・さなえ)。
そして、最後の一人は背中に身体よりも大きいリュックを背負った、小柄な少女。名を、川城にとり(かわしろ・にとり)。
一見するばかりでは、この三人は友達同士で固まって来たというようにしか見えないだろう。
しかし、この三人。住んでいる場所も違えば種族も違い、性格だって天と地ほどに違うし、生い立ちすら全く違う。共通の趣味だって、あるわけでもない。
そりゃあ世間話ぐらいはするだろうが、わざわざ固まって動く程仲が良かったかしら、と霊夢が思うのも無理のない話であった。
「――霊夢、面白いかもしれない物を見付けてきたから、ちょっとお前も見てくれよ」
地面に降り立った三人の中で、最初に口を開いたのは金髪の少女、魔理沙であった。
彼女は霊夢の反応を確認する前にさっさと神社の中に入ると、部屋の隅に設置されている年代物のテレビへと向かう。挨拶をすっ飛ばすあたり、魔理沙の性格が伺える。その後ろを、軽く会釈をしたにとりが続いた。
こいつら……そう思って二人の後ろ姿を見やれば、リュックから機械の塊を取り出したにとりが、何やら作業を始めている。その横で魔理沙が騒いでいるが、まあ何かをしようとしているのは分かった。
「――お邪魔します、霊夢さん」
「ええ、お邪魔されたわ。それで、何しに来たの?」
だから、霊夢はこの場に残っている早苗へと尋ねた。早苗も、それを説明する為に残ったのだろう。乱雑に放り出された二人の靴と己の靴を揃えた彼女は、「話せば長くなりますけど……」そういって話し始めた。
……早苗の話を要約すれば、こうだ。
普段から行動を共にするわけでもないこの三人。何の因果か、偶然にも香霖堂(幻想郷の端にある、古道具屋のこと)にて鉢合わせしたのが始まりだという。
顔見知りではあるし、無視するのも何だか嫌だ。そういうわけで世間話を交えつつ、ブラブラと店内を一緒に散策していると、普段は必要時以外では声を掛けて来ない、店主の森近霖之助が珍しく声を掛けてきた。
本当に珍しい事だ。だが、もっと珍しいことがこの時起こった。なんと、霖之助の口から、『不思議な物が手に入った。譲るから、コレがどういうものかを調べてほしい』とお願いされたのだという。
コレとは、一枚のDVD(そう言われても霊夢には分からなかったが、映像等を保存するものと早苗から説明されて、理解した)であった。表面には何も書かれておらず、一見するばかりでは何が保存されているのかは分からなかった。
早苗たちに声を掛けたのは、その場にて唯一機械全般に強いにとりと早苗が(早苗は詳しい程度)いたから、らしい。鍋敷きにも使えないから、中身さえ分かればそれでいいから調べてくれ、とのことであった。
幸いにも、探せば店内にはDVDを映すDVDレコーダーが幾つかあった。古道具屋ゆえに壊れていたり傷ついていたりするものが大半ではあったが、根気よく試してみて……正常に動くレコーダーを見つけたのだと、早苗は話を終えた。
「……」
「……」
「……え、そこで終わり?」
「へ? そうですよ」
「中身は見たんでしょ? それなら何で家に持ってきたのよ」
「……あ、なるほど。そこを話していませんでしたね」
満足気にしながらも、不思議そうに小首を傾げる早苗は、ああ、と手を叩いた。けれども、そのまま説明をするわけでもなく、「ちょ、ちょっと?」霊夢の手を一方的に引いて魔理沙たちの下へと引っ張った。
――口で説明するよりも、見た方が早い。
その言葉と共に些か強引に座らされた霊夢の前には、見慣れたテレビ(基本的に、映らない)と、その足元には見慣れない機械がごちゃごちゃと置かれている。振り返れば、霊夢以外の全員が腰を下ろしてテレビを見つめていた。
こいつら……そう思いつつも、紫まで面白そうにしている辺り、霊夢は色々と諦めて肩の力を抜くと、居住まいを正した。
それを見て、「フルバッテリー確認、では、スイッチオン!」にとりは機械のスイッチを入れた。ファンの回転音と共に機械に息吹が吹きこまれ、活動を始め……テレビの画面に、光が灯る。
映し出されたのは、行き交う人々がごった返すスクランブル交差点であった。位置的には、二階の窓かそれぐらいの高さから、見下ろす形で撮影しているのだろう。
一目で、外の世界のものであるということが分かる。右に左に上に下に、忙しなく通り過ぎてゆく老若男女の後には、赤に白に黒に銀に青にとカラフルな自動車たち。
中には、撮影されていることに気付いたのか、あるいは……いや、気付いてはいないようだ。時折こちらへと振り返る者はいるが、その誰もがこちらと目の焦点が合っていない。たまたま、顔を向けただけのようだ。
ただし、一人だけ。ニットの帽子を被り、毛糸のセーターと淡い色のスカートをはいた女の子が、こちらを見ている。けれども、見ているだけ。何をするでもなく、ボーっとした顔を向けているだけで……まるで、変化がない。
……何とも、つまらない。
そうして、ここでは考えられないぐらいの密度が、だいたい、2分ほどだろうか。車が停まれば人々が歩きだし、人々が止まれば車が走る。交互に繰り返されるその光景に、霊夢を始めとした全員が静かに見つめていた……のだが。
「……で、これが何よ?」
しばし画面を見つめていた霊夢は、胡乱げな眼差しを魔理沙たちに向けた。霊夢がそうするのも、仕方がなかった。
何故なら、映し出された映像がそれだけなのだ。行き交いする人々や車に多少の違いはあるものの、目に見えておかしなやつはいない。物珍しさこそ覚えたものの、ひたすらそれらが行き交いするだけの映像なんて……正直、飽きる。
わざわざ家に持ってきてまで見せに来たぐらいなのだからと少しは期待したが、拍子抜けもいいとこだ。「いやいや、これからだってば」しかし、そう思っているのは霊夢だけで、魔理沙はそういって立ち上がろうとする霊夢を押し留めた。
「私の見立てだと、この映像の何処かにアッと驚く何かがあるんだ。霊夢には、それが何なのか見つけてほしいんだ」
「あんた、さっき面白いのを見つけたって言っていたわよね? この後どれぐらいこんなのが続くかは知らないけど、こんなの5分で見飽きるわよ」
「面白いなんて言っていないぞ。面白いかもしれない、と私は言ったんだ。まあ見てなよ、だいたい30分ぐらいで終わるからさ」
「……あほくさ」
ため息と共に魔理沙の手を払って霊夢は立ち上がる。「いやぁ、霊夢ぅ~」慌てた魔理沙が霊夢の足を掴んで抵抗するも、霊夢は無造作に魔理沙を蹴りつけて退かすと、縁側へと向かい……ごろりと横になった。すかさず纏わりついてきた魔理沙を再度振り払うも、意外としつこい。
「霊夢ぅ~、いいじゃんかぁ~、ちょっとぐらい協力してくれてもさぁ~」
「ええい、鬱陶しい。私はここで日向ぼっこに忙しいのよ。何か見つかったら行ってあげるから、あんたは画面とにらめっこでもしてなさいな」
「香霖のとこでも見たけど、何も見つかんないんだよ~。何でもいいからさ~、何か変わった部分とかがあったら教えてくれよぅ~」
こいつ……一瞬ばかり本気で魔理沙の頭を叩きたくなったが、霊夢は寸でのところで自重する。「あんた、私を何だと思っているのよ」心底……それはもう心底気怠そうにため息を零した霊夢は、とりあえず感想だけを述べた。
「だったら、こっちを見ている帽子の女の子でも眺めてなさいな。30分のどっかで笑顔の一つでも浮かべたりはしているでしょ」
それが、霊夢の正直な感想であった。というか、それ以外に目に止まる部分がなかったから、それ以外言えないのだが……ん?
「……どうしたの?」
身体を揺さぶる手が止まったのを不審に思った霊夢が振り返れば、神妙な様子の魔理沙と目が合った。いきなりどうしたのかと思って身体を起こせば、魔理沙はしばし言葉を選ぶかのように視線をさ迷わせた後……唇を開いた。
「帽子を被った女の子って、だれ?」
「――は? 最初の方からずっとこっちを見ている子がいるじゃない。毛糸のセーターを着た、スカートの女の子……いたでしょ」
「いや、帽子を被った子はいたけど、こっちを見ている女の子なんて一人も……それに、あの映像はたぶん夏に撮られたやつだから、セーターなんて着ている子は一人もいなかったぞ」
「え?」
言われて、霊夢は少しばかり目を白黒させた。視線を魔理沙から早苗たちに向ければ、早苗たちも魔理沙と似たような表情を浮かべていた。
からかっているのかと思ったが、紫までが不思議そうに小首を傾げているのを見て……霊夢は頭を掻いた。
「……いや、あんたら。いくら人が大勢いたからって、あの子に気付かないってどういうことよ。あの映像の中で一番目立っていたでしょうが」
あのニット帽の女の子は目立つ動きはしてはいなかったが、初見の自分がすぐに気づいたぐらいなのだ。既に見ているであろう魔理沙たちが気付いていない……どういうことだ。
気になった霊夢は四つん這いでテレビ前に戻ると、再び画面を眺める。もしかしたら最初から見直さなければならないのかと思ったが、幸いなことに……まだ、例の女の子はそこにいた。
相も変わらず、少女はこちらを見ている。「ほら、この子よ。あんたら全員寝ぼけているんじゃないの?」なので、霊夢はその子を指差して魔理沙たちに示した――すると。
「……その子、何時の間にそこに映っていたんだ?」
「だから、ほぼ最初からいたじゃない。あんたら、私の事からかっているの?」
「こんなつまらん事はしないよ。ていうか、何でだろう。霊夢に言われるまで、全く気付かなかった……何でかしら?」
ますます神妙な顔つきになった魔理沙が、そう返した。よほど驚いているのか、口調が素(男っぽい口調は、作っているらしい)に戻っている。
見れば、魔理沙だけではない。早苗も、にとりも、紫までもが、驚いた様子で霊夢が示した少女を見つめていた。その事に、霊夢は今更ながら困惑し――その、時であった。
「――くっ!? う、うう!?」
前触れもなく起こった、胸の奥が爆発したかと錯覚するほどの、言葉には表し難い凄まじい衝撃。いや、それはもはや激痛と言い替えても間違いではなく、あまりの事に霊夢は思わず胸を押さえて、その場に蹲った。
あまりの痛みに、霊夢は一瞬ばかり己が落下してゆく感覚すら覚えた。「――れ、霊夢!?」突然の異変に魔理沙だけでなく、その場にいる誰もが顔色を変え、狼狽した。
霊夢は、常人よりも痛みには慣れている。手足の骨が折れても、必要ならば平静でいられる強靭さがあった。だが、この痛みは別格だ。まるで鋭い刃に心臓を刺し貫かれたかのようで、とてもではないが我慢出来る段階を越えていた。
ぐらぐらと、視界が揺れる。少しでも痛みを堪えようと、軋むほどに己の身体を掻き抱くが、無駄。噴き出した脂汗が目に入り、冷や汗が背筋を垂れてゆく……でも、痛みは全く紛れない。
……これは、まずい。このままだと、気絶する。
辛うじて冷静さを保っている意識の部分が、己の状況を正確に伝えてくる。突然のことに右往左往する魔理沙たちの様子が耳を通して何となく伝わって来るが、もう目を開けることすら難しい。
魔理沙が、己を呼んでいる。紫が、誰かを呼んでいる。早苗が、己を呼んでいる。にとりが、誰かを呼んでいる。でも、分からない。ノイズが、脳裏を過る。何を言っているのか、分からな――っ。
けはっ、けはっ。
こみ上げてくる吐き気を堪える間もなく、咳き込む。焼け付くような喉の暑さに加え、口内全てに広がる……鉄臭さ。思わず当てた掌がぬるりと生暖かく、けれども、それが妙に冷たく思え……気づけば、魔理沙たちの声も聞こえなくなっていた。
私は……死ぬの……か?
そう、霊夢は漠然と思った。手足が、冷たい。まるで血管から氷を流し込まれているかのように、痺れが伴っている。黒い雨が徐々に意識の中へと降り注ぎ、己の全てが埋没してゆくような感覚を霊夢は覚えていた。
『――記憶なんて、結局のところは記録の積み重ね。どれだけ言葉を重ねたって、人が思っているよりも、人とそうでないものとの違いは多くない』
……だから、だろうか。何もかもが暗闇の中へと沈んでゆく最中、唐突に響いたその……声。そう、声に、霊夢の意識が向けられた。
『――誰もが、そう。人と人とを隔てるものなんて、そう多くない。ちょっと皮を捲れば、中身は一緒。記録を入れ替えれば、それで別人』
光が、暗闇の中に生まれる。光は瞬く間に大きくなり、形を変え、色が付き始め……後には、一人の少女が立っていた。
『――あっちとそっち。どっちにも、違いなんてないの。ほんの少し視点を変えれば、それで見つかってしまうぐらいに……そこは、あるんだよ』
少女は、ニット帽を被っていた。毛糸のセーターに、淡い色のスカート。もみあげを片方だけ伸ばしたその少女の目が……己を、霊夢を見つめている。
『――ねえ、霊夢。みんな、繋がっているの。それで、いいの。あなたが私を知ったその時から、私があなたを知ったその時から、全てが繋がってゆくの』
『――それは、私が選んだことじゃない。きっと、あなたの無意識が、私を呼んだのかもしれない。あるいは、もっと別の……だから、あなたは私を見て、私はあなたを見た』
少女が、近づいてくる。表情は、分からない。霞がかったかのように、その部分だけが見えない。けれども、確かに少女は近づいて来て……霊夢の傍で止まった。
『――私は、私が私として認識している限り、私としての自我が私の中にある。でも、それを保障するものは、結局のところは記録なんだよ、霊夢』
『――複製した記録を移し替えれば、その人はその人になる。じゃあ、上書きされる前の元の記録は何処へ行くの? 何処へ向かうの?』
『――ねえ、霊夢。仮に、記録とは別の何か……私にも感知し得ない何かがあるのだとしたら、それって何だと思う?』
『――魂ってやつ? それとも、もっと別の何か? ねえ、霊夢。無意識の奥に、私にも感知し得ない何かが……本当にあると思う?』
……だれ?
『――私は、見ているだけ。ただそこにいて、ただ見ているだけの存在。ずっと、そう。私が私として私を認識する前から、そうだったんだと思う』
『――だから、霊夢。私は見ているよ。ずっと、見ている。そうして、教えて。人の想いなんて、心なんてものは、結局はちっぽけな記録の集合体に過ぎないのか……その、答えを』
その言葉を最後に、少女は唐突に踵を翻した。
――待って!
離れて行く……そう霊夢が認識した瞬間、霊夢は手を伸ばしていた。それが己の手なのかすら分からなかったが、とにかく霊夢は少女へと手を伸ばしていた。
でも、少女は止まらない。霊夢の声が聞こえているはずだ。それは、霊夢自身分かっていた。でも、少女は止まらない。どれだけ霊夢が呼んでも、少女の足は止まらない。どんどん、どんどん、小さくなってゆく……そして。
……。
……。
…………少女は、消えた。と、同時に、霊夢の意識も今度こそ闇の中へと沈み……何もかもが分からなくなった。
……。
……。
…………光が、視界を過る。目が覚めた瞬間、霊夢はまず『己の目が覚めた』ということを、上手く認識出来なかった。
長い……何だろうか、何か、夢を見たような気がする。
けれども、それが何だったのかが上手く思い出せない。長い夢を見ていたような、そうでもないような。とても大切な何かに触れかけたような、そうでないような。何とも言い表し難い感覚に、霊夢はしばし思考が定まらなかった。
見知らぬ天井に、嗅ぎ慣れない臭い。消毒液の臭いであることに思い立った霊夢は、ここが医療施設であることを察する。身体を起こそうと思ったが、手足に重りを括りつけられたかのよう。いったい何だと視線を左右に向ければ……ぬう、と紫の顔が横から出てきた。
「……ゆか、り?」
己のものとは思えないぐらいに掠れた、酷い声。その事に霊夢が軽い驚きを覚えると同時に、紫の顔が近づいて来て……そっと、抱き締められた。重くはないが、鬱陶しい柔らかさに思わず霊夢は顔を顰めた……が。
「……っ、う、くっ、くっ、ふっ、ふ……」
(……紫、泣いているの?)
己を抱き締めるその腕が震えているのを感じ取った霊夢は、あえてされるがままに身を委ねた。自分の腕とは思えないぐらいに重い腕を気合いであげて、その身体を抱き締め返す。途端、嗚咽が激しくなったのを感じ取った霊夢は、己の両腕に刺さっている幾本もの点滴チューブを見やった。
いったい、どれぐらい眠っていたのだろうか。チューブ越しに見える腕は、記憶の中にある己の腕よりも、細い。元々痩せ気味なほうではあったが、これでは鶏ガラと揶揄されても言い返せなさそうだ。
そうして、ぼんやりと細くなった腕を見ていると、ノック音が室内に響いた。直後、扉が開いて中に入って来たのは……赤と青が特徴的な恰好をした銀髪の女性と、兎の耳を生やした女性であった。
銀髪の女性の名は、八意永琳(やごころ・えいりん)。兎耳は助手でその名は、鈴仙・優曇華院・因幡(れいせん・うどんげいん・いなば)。共に、永遠亭と呼ばれる医療所を経営している人物(どちらも、人間ではないが)であった。
(ああ、なるほど。ここは永遠亭なのね)
永遠亭は、幻想郷において数少ない医療施設の一つ。立地条件に難はあるものの、幻想郷内においては一番の腕前を持つ永琳がある。とりあえず、死ぬ可能性はなくなったようだ。
「――あら、起きていたの?」
「ええ……まあ、ね」
「無理に返事をしなくていいわよ。あなた、かれこれ20日間は眠りっぱなしだったのだから」
一人納得している霊夢を他所に、気付いた永琳が軽く目を瞬かせた。「ああ、良かった、目が覚めたんですね……!」次いで、安堵して大きくため息を零す鈴仙を他所に、永琳は無表情のままに……紫の後頭部を殴りつけた。
永琳が部屋に入って来たことに、全く気付いていなかったのだろう。ぶぷぇ、と悶絶する紫の首を掴んで、一息に部屋の隅に放り投げる。へぶん、と床を転がる紫を他所に、「鈴仙、脱脂綿とガーゼとテープの準備」永琳は傍に置かれた椅子に腰を下ろすと、布団をめくり、その下にある病院服を捲った。
「……ふむ、出血はしていないわね。抱き着いているから勢い余って傷口でも開いたら事だと思ったけど、そうしない程度には理性が働いたようね」
「ぐすっ、ぐっ、うう、れいむ、霊夢ぅ、霊夢ぅ~」
「鈴仙、そこで鼻水垂らして近づいてくる紫(むらさき)ゾンビを叩き出しといて。診察の邪魔だし、あと、下手に来客が来ると面倒だから抑えといて」
「あ、はい、分かりました。じゃあ、私は廊下で見張っているんで……ほら、行きますよ」
「やだぁ~霊夢ぅ~霊夢と一緒にいるぅ~霊夢ぅ~」
普段の縁であったなら煙に巻いて意に介さないところだが、今の紫には無理なようだ。いやあ、と子供のようにジタバタしながら部屋の外へと連れて行かれた後は……永琳と、霊夢だけが室内に残った。深々と零した永琳の溜め息が、いやに室内に響いた
「……まるで母親ね。まあ、半分母親代わりみたいなものらしいし、あのスキマが号泣するなんていう珍しいモノも拝めたから、今回の治療費はそれでタダにしてあげる」
そう言い終えると、永琳は霊夢の胸に貼り付けてあったガーゼを外すと、手渡されていたトレイの脱脂綿で手早くそこを擦る。見るのが億劫なので分からないが、感触から……己の胸にあばら骨が浮いているのが、何となく分かった。
「……何が、どうな……の」
「唇を動かすだけでいいわ。こっちで読み取るから。そうね、何がと聞かれても何と答えたらいいか分からないけど、事実をそのまま言葉にするなら、あなた……胸に穴が開いたの」
……穴が、開いた?
「そうよ。まあ、写真は撮ってあるから、分析が終わったら報告するわ……それと、後で魔理沙たちにお礼を言っときなさいな。魔法やら何やらで止血してなかったら、ここに担ぎ込まれる前に失血死していたところよ」
その言葉と共に、永琳の指先が胸元の……おそらくは、傷口の辺りだろう。そこを軽く押した瞬間、息が詰まるほどの痛みが霊夢の身体を強張らせる。「傷跡は残るでしょうけど、死ななかっただけ御の字ね」直後、永琳はさっさとガーゼを張りつけた。
「出血は止まっているし、化膿も大丈夫。しばらくは眠気が取れないでしょうけど、7日もすれば身体を動かせるようになるわ……当分は、自分の身体のことだけを考えなさい」
開いた時と同じように手早く霊夢の病院服の前を締め、布団を被せる。「それじゃあ、お大事に」そういうと、永琳は席を立った……その前に、「――まだ、何か?」霊夢は声を振り絞って彼女を呼び止めた。
……紫を、呼んで。
「……心細いのは分かるけど、駄目よ。少なくとも、いきなり抱き着くような精神状態のスキマを傍にいさせて、勢い余って万が一がないとも限らない。医者として、それは許可しないわ」
振り返った永琳が首を横に振るのを見て、霊夢は違うと唇を震わせる。それじゃあ何だとため息を零す永琳に……霊夢は、告げた。
……これは、異変。
「異変? そりゃあ、あなたが襲われること事態が異変といえば異変だけど……でも――」
「――これは、異変なのよ」
そこまで永琳が口にした、その時。がばりと、霊夢は起き上がった。「ちょ、あなた、その身体ではまだ――」思わず面食らう永琳の腕を掴んで止めた霊夢は、痩せこけた頬を……グイッと、永琳に近づけて。
「私の勘が告げている。これは、異変よ。それも、幻想郷そのものの存亡に関わる……だから、呼びなさい。そして、集めて。力のあるやつを……!」
そう、凄んだのであった。