Serial experiments □□□  ー東方偏在無ー   作:葛城

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物語はついに終幕へと至り、lainへ霊夢の足が向かう


その様は、いつもの異変解決、その姿であった


lainの章:その1

 

 日本でも有数の観光地でもある古都『京都』。とはいえ、誤解されている人もいるだろうが、どこもかしこも『THE・京都』みたいな建物が並んでいるかといえば……そうでもない。

 

 条例によって厳しく建築等の制限が成されている区画はあるが、あくまで区画だ。そこから外れてしまえば、十階建てのマンションだってずらずら建っている。

 

 それに、古都のイメージを崩さない云々とはいえ、インフラ設備……特に、駅周辺は普通に都市開発が進んでいる。地下鉄やバスなどが、その好例だろう。

 

 当然、新幹線なんかも通っている。まあ、住んでいる場所によってはけっこう遠回りする必要があるから、東京のように痒い所に手が届くみたいな利便性はないが、それでも十分に開発は成されていた。

 

 

 ……さて、だ。

 

 

 蓮子が住まうマンションから新幹線へは、基本的にタクシーの方が圧倒的に速い。それは立地の関係から来る家賃のせいなのだが、まあ……それはいい。

 

 その日……正確には翌日なのだが、霊夢の行動は奇妙という他なかった。

 

 まず、何故か誰よりも張り切っているメリー(結局、蓮子宅に泊まった)の号令の元、朝一(家を出発する時刻、だいたい8時頃)で家を出ようと考えていた彼女を止めたのは、他でもない霊夢であった。

 

 

 理由は、『この時間に行くのはよろしくない』という、根拠も何もない『勘』であった。

 

 

 しかし、短い間柄とはいえ、霊夢の持つ『勘』の恐るべき精度と神掛かったナニカ、身を持ってそれを体感してきた二人は、それならばと時間を少しばかり遅らせることにした。

 

 そもそもが、関東に向かう目的は、霊夢が決めたからだ。その、霊夢が時間を遅らせろと言う以上、拒否する理由が蓮子とメリーにはなかった。

 

 そのうえで、なおも霊夢は続けた。『向こうに着いてからは、私の指示に従ってほしい』、と。

 

 

 これには、さすがに蓮子とメリーも首を傾げた。

 

 

 何故なら霊夢が、関東はおろか、そもそもこちらのルールをあまり分かっていないことを二人は知っていたからだ。

 

 素材は超一級であるとしても、中身はまだ白い。電車やバスの乗り方もそうだし、各種看板の見方や地名など、例えるなら何の勉強も無しにいきなり海外に向かうようなもの。

 

 目的地自体が霊夢の『勘』で決めているとはいえ、ある程度は私たちが率先して動いた方がやりやすいのではないか……というのが、蓮子とメリーの正直な返事であった。

 

 しかし……霊夢はそれでも首を横に振った。それを見て、蓮子とメリーは互いの顔を見合わせた……が。

 

 

 ……そこまで言うのであれば……その方が良いのだろう。

 

 

 そんな感じで納得して……結局、『──そろそろ、行くべきかな』という霊夢の『勘』によって家を出たのは、11時を少しばかり回った頃だった。

 

 

 

 

 

 

 

 ……。

 

 ……。

 

 …………まあ、それはそれとして、だ。

 

 

 

 実は、霊夢は電車や車を知らなかった。名称や姿は知っていたし見てはいたが、実際に利用したことがない。幻想郷では、そもそも乗り物は人力車か馬車ぐらいしかないのだ。

 

 

「……え、いや、なに、これ、本当に動くの? こんな馬鹿デカいのが? 嘘でしょ? 冗談とデタラメは天狗の新聞だけで十分よ」

「何言ってんの、あんた今、それが動いてホームに入って来るのが見えたでしょ」

「見えたけど、冗談だと思うでしょ、普通は。いや、これどうやって動かしているの? 電気とやらで動かしているって聞いた覚えがあるわ」

「好奇心旺盛な子供かお前は……あんまりキョロキョロすんな、今時小学生でもそこまで騒がないわよ」

 

 

 故に、生まれて初めての拝見となった実物の新幹線の雄姿と、人生初となる乗車は。

 

 

「あら~、霊夢ちゃん、さっきから大人しいけどどうしたの? 退屈ならトランプでもする? この時の為に持ってきたんだよ」

「トランプ……ああ、西洋カルタ。それなら私、ババ抜きしか知らないけど、やるの?」

「3人でのババ抜きって、あんたね……ていうか、こいつ相手にトランプなんて勝ち目ないでしょ。やる前から結果が見えているじゃないの」

「そんなの、やってみないと分からないじゃない」

「ちなみに霊夢ちゃん、ババ抜きで負けた事ってある?」

「一度も無いわね」

「ほら、言った通り──って、だから痛いって言っているでしょうが! せめて手じゃなくて服の裾を──」

 

 

 霊夢にとっては……いかんともし難い緊張感を伴った、何とも落ち着かない一時となった。

 

 

 ……いや、まあ、仕方ない話ではあるのだ。

 

 

 何せ、霊夢が暮らしてきた幻想郷(つまり、幻想の世界)には、蓮子たちが暮らすこっちの世界では当たり前のように存在している諸々の大半が無い。

 

 理由は幾つかあるが、その中で最も大きな理由は、何といっても土地の広さだろう……というのも、幻想郷は、その存在理由からして秘境である。

 

 故に、こっち(つまり、現実の世界)と比べて狭いのは当たり前の話であり、何も紫を始めとした賢者たちが規制したから発展しなかった……というだけでもない。

 

 言うなれば、必要でないから作られなかっただけであり、作られるからには必要とされたわけで……まあ、つまり、何が言いたいかといえば、だ。

 

 

「……あのね、あんた見た目に反して力があるから、そんなにがっちり握られると本当に痛いんだけど」

「ちょっとの辛抱でしょ、年上なら我慢しなさい」

「ちょっとも何も、後一時間近くも辛抱するのは──いたっ、いたたた、ちょ、怖いなら怖いって素直に言いなさいよ!」

「怖くないわよ! ただ、落ち着かないだけよ!」

「あら~、霊夢ちゃん可愛いわね。はい、ちーずよ~」

「暢気に撮ってないで代わってよ! いた、いたた、ほんとマジで痛いってば!」

 

 

 乗り慣れていないとはいえ、結局のところはとても早く走る快適な電車である。

 

 蓮子とメリーにとってはその程度の話であり、むしろ二人は趣味の関係から乗り物に乗り慣れていることもあって、終始落ち着き払っていた。

 

 

 反面……霊夢の方は違った。

 

 

 当人の言う通り、怖がってはいなかった。ただ、言葉通り落ち着かなかった。どうしても、気が張ってしょうがなくて……理由は、一つ。

 

 曰く、『機械であることは分かるが、巨大過ぎて機械に思えない』ということらしく、まるで妖怪の腹の中にいるみたいで、どうにも緊張を解せないのだという。

 

 ある意味、優秀過ぎるが故の誤作動というやつなのだろう。

 

 その証拠に、張ってしまう気を解く事が出来ないながらも、普通に弁当(野菜オンリーの、蓮子曰く『精進料理』)は食べたし、隣に座っている蓮子の手を握り締めこそはするものの、それ以外は何もしなかった。

 

 

 ……その行為が蓮子を苦しめる結果となっているのだが……まあ、いい。

 

 

 当人も自覚はしているが、頭では分かっていても身体が勝手に反応してしまうのだろう。蓮子も、仕方ないことだからと諦め、注意はするがあまり強くは言わなかった。

 

 例えるなら、心臓の鼓動を意志一つだけで自由自在に変えるようなもの……それはもう意識して制御できる話ではなく、ただひたすら我慢するしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 ……。

 

 ……。

 

 …………閑話休題。

 

 

 そうして、姦しい会話で時を潰しながら、小一時間ほどが過ぎた頃。霊夢たちを乗せた新幹線が関東……東京駅に停車したのは、昼を大きく回った3時手前であった。

 

 

「……凄いわね、ここ」

 

 

 新幹線を下りて、すぐ。

 

 駅構内の階段を降りている最中、キョロキョロと辺りを見回していた霊夢は、そう呟いた。実際、霊夢が抱いた感想は、『凄い』の一言であった。

 

 まず、人波の分厚さが京都とは違い過ぎた。新幹線に乗る前に構内に入った時も『ずいぶんと混んでいるのね』と思ったが、そんな感想、眼前の光景の前ではあっさり消し飛んだ。

 

 男も、女も、関係ない。大人も、子供も、関係ない。隙間があれば即座に入り込む、あるいは詰めて、少しでも前に、先に行こうと早足になっている。

 

 一糸乱れずまっすぐに、一つの通路を二つに分けて、片側は各ホームへ、片側は改札口に。誰一人文句も言わず、流れに沿って何処ぞへと歩いてゆく。

 

 

 これは……ここにいる者たちは、本当に人間なのだろうか。

 

 

 まるで、人間が連なって一つの生き物となった蛇のようだと霊夢は思った。あるいは、脈動してこの建物内を循環する血液のようだとも……と、不意に脳天に走った衝撃に、霊夢は振り返った。

 

 

「こんなところで立ち止まるな。ほら、とにかく改札口へと歩きなさい」

 

 

 そう注意してきたのは、蓮子であった。見やれば、蓮子の後ろにいるメリーの……その後ろに、ずらーっと人の列が続いている。見ているだけで、鬱陶しく思えてしまうほどの長さであった。

 

 

 ……とりあえず、一旦は外に出るべきなのだろう。

 

 

 向けられている大量の視線(要は、止まってないでさっさと行け、といった感じ)から顔を背けた霊夢は、促されるがまま……というか、肩に乗せられた蓮子の手で押される形で、歩き出す。

 

 その姿……傍から見れば、妹がはぐれないようにしている姉と、その友人……といった感じだろうか。

 

 幸いにも、『勘』はこのまま行けと訴えている。だから、霊夢は特に抵抗することもなく、人の波に沿って、時には別の流れに移って……改札口を通って、駅の外へと出た霊夢は……ぽかん、と呆けた。

 

 何故か……それは単に、駅の外へと出た霊夢の眼前には……これまで彼女が積み重ねてきた様々な光景を一挙に塗り替える、巨大すぎる建物で埋め尽くされていたからだった。

 

 

 はっきりいえば、最初は何かの見間違いかと霊夢は思った。

 

 

 だが、現実であった。まるで、幻想郷における『お山』が幾つも連なったかのような巨大ビルはどこまでも悠然としていて、それでいて無機質にピカピカと光っている。

 

 その中の、驚くぐらいに滑らかなガラス張りの向こう。全てがそうではないが、霊夢の位置からでも一部の建物の内部が分かる……その奥にも、相当な数の人々が行ったり来たりしているのが見えた。

 

 

 いったい……何をしているのかは、霊夢には分からなかった。

 

 

 ガラスの向こうは、まあ、色々と違う。燕尾服に似た恰好の者が忙しなくしているところもあれば、何というか……こう、煌びやかな恰好をしている者もいる。

 

 階が一つ違うだけで、がらりと雰囲気が異なっている。同じ建物なのに、何でだろうと霊夢は首を傾げる。無理もないことだが、テナントという言葉を知らない霊夢が分からないのは当たり前だった。

 

 

 ……蟻になった気分だわ。

 

 

 立ち並ぶ高層ビルから視線を下げた霊夢は、心の中でそう呟いた。霊夢がそう思うのも、これまた、無理はないことであった。

 

 何せ、遠目からみれば、建物の大きさも相まって、人間なんて蟻のサイズにしか見えない。動きも、駅から出てきた人々が、まるで申し合わせたかのように多種多様なビルへと吸い込まれて行く様は、蟻のように見える。

 

 しかも、その蟻の動きにはまるで迷いがない。霊夢からすれば何処も彼処も似たような建物にしか見えないが、ここの者たちは分かっているのだ……ん? 

 

 

(なに、あいつ?)

 

 

 何気なく視線を向けた霊夢は、思わず目を瞬かせる。

 

 そこに居た(正確には、人混みの中にいた)のは、セーラー服を身に纏った……初老の男であった。その隣には学生服を身に纏った……初老の女がいた。

 

 

 いや……その二人だけではない。

 

 

 よくよく見れば、その二人の周りにいる者たちの恰好も変だ。妖怪……いや、着ぐるみ……何といえばいいのか……そう、統一感というものがまるでない。

 

 まるで、本の世界から抜け出て来たかのように、明らかに他の者たちと比べて変わった恰好をしていた。少なくとも、霊夢の目から見ても『浮いている』のが分かるぐらいであった。

 

 

 けれども、同時に。霊夢にもよく分からなかったが……『馴染んでいる』とも思えた。

 

 

 そう、違和感があるけれども、違和感がないのだ。それはおそらく、誰も彼もがその集団を異質なモノとして捉えず、風景の一部として認識しているかのような態度を取っていたからだろう。

 

 それ故に、一瞬ばかり、見間違いかと霊夢は己を疑った……だが、どうだ。

 

 この寒空の下、男が女の恰好をしている。女が男の恰好をしている。よく分からない着ぐるみや恰好もしている。なのに、通り過ぎてゆく誰もが彼ら彼女らに注目していない。

 

 何者かに強制……いや、見た限りでは、誰も彼もの顔に『強制の色』は見られない。周囲の人達も、彼ら彼女らを風景の一部としているかのように素通りして……んん、いや、違う、か? 

 

 よくよく観察してみると、どうも……通行人らしき幾人かが、彼ら彼女らに何かを向けているのが見える。

 

 あれは……おそらく、『すまほ』とかいうやつだろう。

 

 霊夢自身は所持していないし興味もなかったからうろ覚えだが、たしか電話が出来て写真が撮れる便利な代物で、現代社会では必須の道具だと蓮子から見せられたのを霊夢は思い出した。

 

 

 ……つまり、アレは取材なのだろう。

 

 

 そう納得した霊夢は、しばしの間眺めていたが……変化がない。霊夢が見た限りでは撮影した全員が被写体そっちのけでどこかへ行ってしまう。

 

 ……何故、周りの人たちは写真を撮るだけで、彼ら彼女らへ話し掛けようとしないのだろうか? 

 

 

 意図が分からずに、霊夢は首を傾げる。

 

 

 ついでに分からないといえば、撮られている彼ら彼女らもそうだ。撮られているのは分かっているはずなのに、誰もがその事に全く目を向けていない。

 

 はっきり言えば、撮る方も撮られる方も、相手の方に目を向けていないのだ。どこまでも、その目は内側(自分たち)に対して多大に向けられている。

 

 

 それが、霊夢にとっては堪らなく不思議でならなかった。

 

 

 天狗の文ならば取材の名目で(追い払っても)鬱陶しいぐらいに話し掛けて来るし、通行人たちも『そんな恰好でどうした?』と、声を掛けてくるものだが……ふむ。

 

 

「……ああ、あれ? あんなの、ここじゃあそんなに珍しいものでも……は、撮影? ああ、インスタ映え狙いの人達なら、そりゃあそうでしょ」

 

 

 気になって蓮子に尋ねてみれば、そう返事をされた。

 

 

「全部が全部そうじゃないでしょうけど、あれはもう承認を満たす為に餌から餌へと移動するイナゴみたいなものだから、気にするだけ無駄よ、無駄」

 

 

 インスタとは何だろうと霊夢は思ったが、それ以上尋ねようとは思わなかった。蓮子の口ぶりからして、あまり良い印象を抱いてはいないのが分かったからだ。

 

 霊夢も……同意見というわけではないが、あまり良い印象を抱かなかった……と、同時に、少しばかり興味も湧いた。

 

 あんな恰好をするぐらいなのだから、何かしらの注目を浴びたいのだろうということは推測出来る。なのに、どうしてあの人たちは一瞥すらしないのだろうか……と。

 

 

「そりゃあ、ある意味では自己満足の世界だからでしょ」

 

 

 そうして蓮子に尋ねた結果が、それであった。

 

 

「まあ、そういう欲求が有っても不思議ではないわね。でもまあ、そっちは時期来ればもっと凄い事になっているから、その予行演習も兼ねているんじゃないのかな」

「……時期って、何の話?」

「あんな感じに仮装して楽しむ催しが年に1回か2回あるのよ。それを撮影しに来る人もいれれば、数万人数十万人が軽く集まってくる盛大なお祭り騒ぎよ」

「……数万? 数十万?」

 

 

 幾らなんでも冗談だろと思って、その隣のメリーに目を向ければ、「毎回ニュースになるぐらい」と、似たような答えが返された。

 

 それは……霊夢にとって、正しくカルチャーショックでしかなかった。ただ、その瞬間……すとん、と。霊夢の中で、何かが人知れず納得してしまった。

 

 

 ──道理で、次から次へと幻想郷に妖怪たちが入ってくる来るわけだ。

 

 

 幻想を否定された妖怪たちや神仏たちが、次から次へと幻想郷に雪崩れ込んでくる。図らずも、霊夢は幻想の者たちがこっちに見切りをつけて幻想郷に逃げ込んできた理由の一端を垣間見た気がした。

 

 

 ……ちなみに、霊夢は気付いていなかったが、呆然と立ち尽くすその姿は、傍目から見れば『田舎から上京してきたおのぼりさん』にしか見えなかった。

 

 

「……まるで、おとぎ話の中にいるみたいだわ」

「おとぎ話みたいな世界からやってきたやつに言われちゃあ、東京も鼻高々だわね。それで、こっから先はどうするの?」

 

 

 ──この後はあんたが決めるのでしょ。

 

 

 そう言われた霊夢は気を取り直して一つ頷くと、そっと……肩の力を抜いて、意識を自然に傾ける。体内に残された霊力が、呼吸に合わせて緩やかに全身を巡ってゆく。

 

 

 ……霊夢は、己が持つと言われている『勘』の正体を良くは知らない。

 

 

 というか、霊夢にとって『勘』というのは、文字通りでしかない。何となくそうしたら良くなった、何となくそれをしなかったから良くなったという、ただそれだけのモノだ。

 

 しかし、同時に、霊夢は己が持つ『勘』については誰よりも信頼していたし、誰よりも好んでいた。何故なら、そこには他者の判断が一切混じらないからだ。

 

 

 何故なら、霊夢は己の分というのをはっきりと認識し、理解しているからだ。

 

 

 つまり、出来ると思ったら出来るし、出来ないと思ったら出来ない。歴代最高の天才である博麗霊夢は、彼女の知人たちが評価する通りの、冗談のような才能の塊である。

 

 だがそれは、何も良い方向ばかりに働くわけではない。1を実践して100を得られるからこそ、他の誰よりも『己では出来ない事』を事前に理解出来てしまうのだ。

 

 

 ──だからこそ、霊夢は迷わない。やると決めたのなら、やる。やれると思ったのなら、やれるから。

 

 

(……何だろう、調子が良いのかしら……前よりも凄く楽な感じがするわね)

 

 

 とはいえ……この時ばかりは、さすがの霊夢も何時もと違う手応えを不思議に思った。

 

 良いか悪いかで言えば、良いのは確実だ。けれども、理由も無く良いのは……些か気味が悪い。自分の事ではあるが、どうにも……いや、もう止めよう。

 

 

「……タクシーってやつに乗りましょう」

「何だ、いきなり本丸に行くわけ?」

「いや、そっちじゃなくて……ちょっと、寄り道した方が良いみたいだわ」

「寄り道……それも勘ってやつ?」

「まあ、そんなところよ」

 

 

 ぐだぐだと考えるのは、全てが終わってからでも遅くはない。「寄り道するなら東京タワー行く?」ほわほわと何処かに行きそうになっているメリーを引っ張る蓮子を横目に、霊夢は……『勘』に従うままに歩き出した。

 

 

(……これは……あいつの気配なのかしら?)

 

 

 ちくりちくりと胸中の奥を刺激する、不思議な気配を追い掛ける為に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……。

 

 ……。

 

 …………今日は、何時もより少しばかり運が良いと捉えるべきか。それとも、怪しい客を捕まえてしまったことを後悔するべきか。

 

 

 この日最後の客を乗せてから、早2時間。目的地は定まらず、ただひたすらに下される指示のままに車を走らせ……それだけの時間が経っていた。

 

 

 今の所、客の目的地……いや、目的が、さっぱり分からない。

 

 

 何せ、行き先を告げられ案内しても乗せた客が車を降りない。どうするつもりかと思っていると、また新しい行き先を告げられ……それを、2時間に渡って繰り返されている。

 

 ぐるぐると、あちこちを行ったり来たり。行き先に、共通点はない。少なくとも、運転をしている『男』は、そう思った。

 

 都心より離れた駅に止まったかと思えば、何ら物珍しくもない歩道橋の傍で止まる。次いでは、学校の傍で(中学校か高校かは、分からなかった)止めたかと思えば、また次へ。

 

 

 ……売上だけを考えれば嬉しいところだが……警察を呼ぶべきか、あるいはこのままドライブを楽しむべきか、些か迷うところだとも、男は思った。

 

 

(これがプライベートならば……悪くはないのだけれども)

 

 

 信号と周囲の車の動き、並びに歩行者等の動きを確認してから、アクセルを踏む。すっかり掌に馴染んだハンドルをゆるりと回しながら、男は何度目かとなる感想を胸中にて零した。

 

 

 ──来日して、もう12年。前の会社が倒産してこの仕事に誘われ、4年が経った。最初は電気工事士として働いていたので、畑違いな仕事の内容に面食らう事が多かった。

 

 

 けれども、そう思い続けて早4年だ。タクシー運転手という仕事に愛着も誇りもないが、もしかしたら性には合っていたのかもしれない。

 

 実際、今の所は特に苦に思ったことはない。もちろん、嫌なことがないわけではない。拘束時間の長さもそうだし、不規則に成りがちな生活も、そうだ。

 

 辞めてやろうと思う程に嫌だったことはあっても、今のところは続けられている。その程度には、自分も慣れてきたということなのだろう。

 

 働いて生きる以上は何かしらそういう目に遭うわけだから、そこまで気にした覚えはない。というか、気にした所でどうこうなるわけでもない。

 

 諦めと問われれば認めるしかないし、まあ、そうは思っても給料という絶対的な不満こそあるにはあるが……その点についても、文句を言っても仕方がないだろう。

 

 

 ……けれども、だ。

 

 

 ブレーキランプの明かりに合わせて減速しながら、男は……ふう、とため息を零す。「──次の次の信号を、左に曲がって」直後、助手席の方から出された指示に「かしこまりました」頷き、ちらりと……横目で客を見やった男は、内心にて笑みを零した。

 

 

 ……けれども……悪い事ばかりではない。例えば、今日……最後の客として乗せて、今も乗せ続けている客たちが、そうだ。

 

 

 今日の最後の客は、女が3人。率直な感想を言わせてもらうのであれば、乗り込んできた時にその顔を拝見した際、男は彼女たちを芸能人かモデルだろうと思った。

 

 それぐらい、彼女たちの容姿が美しかった。そんな、中々お目に掛かれないレベルの美女が二人と美少女が一人。特に、助手席に座っている美少女ときたら……男は、彼女を言い表す言葉が見付けられなかった。

 

 こんなことは初めてだった。というのも、男は……自慢というわけではないが、人を見る目には少しばかりの自信があったからだ。

 

 とはいえ、さすがに見ただけで全てが分かるといった……そんな、オカルトな話ではない。あくまで、『おそらくは……だろう』という程度の代物であった。

 

 

 しかし、だ。

 

 

 短くて10分ほど、長ければ小一時間程度とはいえ、数百、数千人の人間を運び、接してきたからなのか……何時しか備わっていた、職業病とも言うべき観察眼でもあった。

 

 

 まあ、そう思っているだけだろうと言われたらそれまでの話だが……さて、話を戻そう。

 

 

 とりあえずは、だ。後部座席に座った美女二人は、そこまで有るわけでもない男の語彙でも色々と形容詞をくっ付けたり性格を想像したりすることが出来た。

 

 例えば、光の角度によっては茶髪に見える黒髪の彼女。パッと見た限りでは大学生ぐらいだろうが、所作の一つ一つから自信の程が強く伺える。

 

 けれども、男から見た限りでは、それは過信ではないし、自惚れでもない。また、肥大した矜持が見せる、メッキでもない。

 

 

 純粋に、頭が良いのだろうと男は思った。

 

 

 それはテストの点が取れるという記憶力という頭の良さではなく、理論を組み立てる力や発想力……いわゆる、出来の良い人物なのだろうと男は推測する。

 

 根拠は幾つかあるが、何よりもはっきりしているのが……見に纏っている空気だ。これまで男が見て来た、ある種のカリスマ性を持つ者特有の空気を纏っている点だろう。

 

 だから、男の目には……都会に住まうティーンに多く見られる、己の若さを自身の実力と同一視して勘違いしてしまっている者とは、根底から異なっているように見えた。

 

 

(研究者……いや、彼女は自由気ままに世界を渡って行くフリーマン(自由人)なのだろう……そして、隣の彼女は)

 

 

 ちらりと、バックミラー越しに……もう一人の美女である、金髪碧眼の、この国では自分と同じである『外人』を見やった。

 

 

 彼女もまた、美人だ。

 

 

 隣の子とは系統が異なるが、何処へ行っても注目を浴びるであろう風貌をしている。特に、男性からの熱い視線を向けられるだろうなと、男は思った。

 

 

 けれども、それは擬態だとも男は思った。何せ、醸し出す空気が隣の子と同じだからだ。

 

 

 何処となく温和な雰囲気を醸し出しているので分かり難いが、彼女もまた聡明な女性だろう。隣の子が直球的に物事を解決するタイプで、彼女は笑顔の裏で人を気持ちよくさせて誘導し解決するタイプなのだろう。

 

 見方を変えれば、隣の子よりもよほど世間の世渡りが上手いタイプのように思える。この二人が組んで何かに取り組めば、どんな困難も陽気に乗りこなす……まあ、そこはいい。

 

 

(この子は1人でやるよりも、隣の子と一緒にやって行く方が万倍も力を発揮できるタイプかな……それで、だ)

 

 

 問題なのは……己の隣に座る、助手席の少女だ。ちらりと、窓の外を眺めている少女の後ろ頭を見やった男は……ごくりと、唾を呑み込んだ。

 

 

 

 ……今まで色々な女性を見て来た。

 

 

 

 アメフト部に所属していたこともあって、学生時代はそれなりにモテていたし、異性との経験もある。この仕事についてからは、これまで自分の周りにはいなかった様々な女性とコミュニケーションを取って来た。

 

 だからこそ……という言い方も自意識過剰なのだろうが、それでも分かる……彼女は、これまで見て来た女性たちの中でも、『別格』なのだということが。

 

 

 何といえばいいのか……少女を目にした、その瞬間。歴史に名を残すような本物の天才とは、彼女の事を示すのだろうと男は直感した。

 

 

 それは何も、見た目の美しさに限った話ではない。いや、もちろん、顔立ちも綺麗だし、誰が見ても文句のつけようがない美少女だと思った。

 

 少なくとも、少女が後10年歳を経て、己が5年若かったら、仕事そっちのけでアプローチを掛けているぐらいの美少女であると思う。

 

 

 だが、彼女の……少女から感じ取れる底しれなさは、そんな美貌すらも霞むだろうと男は思った。

 

 

 それが何なのか、男にも上手くは説明出来ない。だが、分かる。纏っている空気が、違う。後部座席の二人も常人以上だが、助手席の少女は……モノが違う。

 

 

 ──気付けば、少女の為に何かをしてやりたいと思ってしまう。そう思わせてしまうナニカを持っている。

 

 

 このような子に出会える日が、二度も我が人生に訪れようとは……夢にも思わなかった。彼女を乗せただけでも、この仕事を続けて良かったと、男は本気で思いつつ、ハンドルを切って……ん? 

 

 

(……二度?)

 

 

 思わず、男は目を瞬かせた。

 

 はて、どうして己は二度などと思ったのだろうか……少なくとも、これまで彼女たちを目にした覚えはないし、客として乗せたのも今日が初めて──。

 

 

「──ここで止めて」

 

 

 ──ハッと、反射的に指示器を出して、ブレーキを踏む。急ブレーキにならなかったのは、4年間も仕事で車を運転していたからだろう。

 

 

 ほとんど無意識の内に、前方の安全と、サイドミラーで幅寄せする位置の安全を確認する。何時もよりも少しばかり強めに踏んだブレーキの影響で、かくん、と車体が慣性に揺れて、止まった。

 

 そこは……コンビニでもなければバス停でもなく、住宅街の脇道の出口傍であった。進入禁止の看板があるゆえに車では入れず、脇道の広さもせいぜい……という程度のものであった。

 

 

(ここは……たしか、駅前の都市開発のせいで寂れてしまった覚えが……)

 

 

 少しばかりの懐かしさと共に、男は車を止めたここら一帯の事を思い返し……何故、こんな所に止めたのかと、男は首を傾げた。

 

 

 ……と、いうのも、だ。

 

 

 4年前、この仕事に就いた時はまだ辛うじてこの辺りへの客がいくらか居た。この脇道の向こうには古いディスコが有って、そこへの客を何度か送り迎えをしていた。

 

 だが、それも仕事について半年ぐらいの間だけだし、そもそも……こっち方面の客は多いわけではなかった……そうだったと、思う。

 

 

 ……元々、だ。

 

 

 そのディスコ自体の劣化もそうだが、利用していたのは馴染みの客ばかりで、新規は都心方面にある店に行くという話を客から耳にしてはいた。

 

 古い店よりも新しい店を好むのは仕方がないことだ。特に、血気盛んな若者であるならば、尚更……リフォームするにしても、その間に客離れをされる恐れがあるから、迂闊に動けない。

 

 その結果、客足の減少とやらがジワジワと続いたことでその店が閉められ、そこへの客がいなくなれば……もう、こっちへの客を乗せた記憶が男にはほとんど無かった。

 

 もちろん、全く来なかったわけではない。けれどもそれは、何度か通過点として通り過ぎた事が有る程度で、直近でも……一年以上ぐらい前だったと思う。

 

 

(自宅が……いや、それなら降りる準備をし始めているはずだが……)

 

 

 記憶が確か(加えて、開発等がされていない)なら、この先にあるのはあるのは飲食店やコンビニやスーパーマーケットなど、生活に密接した商業施設ばかりだ。

 

 最近……こっち方面に大きな病院が出来るなんて話は耳にしていたが、まだ土地の売買に手こずっていると聞く。というか、それ以前にいくらスムーズに事が進んでいるとしても、たった2,3年では……と。

 

 

「……二人とも、ちょっとここで待ってて。すぐに戻るから」

「えっ、あの、お客さん!?」

「ああ、それと……あんたも来なさい。車を離れている間は、二人が見ていてくれるから」

 

 

 昔の事を思い返している間に、がちゃりと扉を開けて少女が外へと出た。それは、これまでとは異なる少女の反応であった。

 

 

 ──反射的に、後部座席の二人を見やる。

 

 

 けれども、男が期待した反応は無く「戻るって言うからには戻るんでしょ。いちおう、私たちが残るから、運転手さんはあの子の言う通りにしてください」そんな返事が……いや、そうじゃない! 

 

 ──男の脳裏を過ったのは、この美女たちが何かしらの犯罪に関わっている可能性であった。

 

 金を払わずこっそり逃げる客は、男女共にいた。

 

 だが、このパターンは初めてで、まさか……あんな少女が、そんな大それた犯罪を行うようには……見えない。

 

 ここが海外なら、男はすかさず警察を呼んでいたところだ。子供一人を放り出して行くなんて正気の沙汰ではないし、子供を使った親の犯罪はそこまで珍しくないからだ。

 

 だが、ここは日本だ。男が生まれた、あの国ではない。

 

 子供が一人で一日中外を出歩いているなんて珍しい光景じゃないし……というか、そんな事を考えている間にも、少女はどんどん離れて行っている。

 

 ……警察を呼ぶべきか、あるいはこのまま車の中で待機するのが正しいのは、分かっていた。

 

 だが、考えるよりも前に、気付けば男は運転席を下りていた。「──分かりました、ですが、不審な点が有ったら即座に警察に電話します」脅しの意味を兼ねての発言だが、二人は欠片も怯えはしなかった。

 

「まあ、不審に思うのは当たり前だわね。でもまあ、この美女二人の顔に免じて、ここはあの子の言う通りにしてみてくださいな」

 

「あの子がそうしろっていうのなら、たぶん、そうなのでしょうし……蓮子と一緒にここで待っているから、早く霊夢ちゃんを追いかけてね」

 

 むしろ、逆だ。まるで、男の……いや、『私』の反応は想定済みだと言わんばかりの二人の態度に、私はますます困惑するしかなかった。

 

 けれども、このままでは埒が明かない。

 

 件の少女……名前は、『れいむ』か。何が目的かは分からないが、悪い子でないのは、何となく分かっていた。

 

 だから……というのも変な話ではあるが、私は促されるがまま少女を……いや、『れいむ』という名の少女の後を追いかけることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 ……。

 

 ……。

 

 …………幸いにも、少女の歩調はそこまで早くはなく、また、信号などで遮られることもなかったから、あっさりその背中に追い付くことが出来た。

 

 

「お嬢ちゃん、勝手に車を降りるのは困るよ」

 

 

 相手は子供で、次いでに言えば、お客さんでもある。

 

 とりあえず、いきなり叱りつけるのは如何なものかと思って非難混じりに声を掛けてはみたが……少女の歩調は変わらない。

 

 

 ……何となくそうなるだろうとは思っていたが……ふむ。

 

 

 仕方がない……そう決断を出した私は、少女の前に回る。「お嬢ちゃん、何が目的なんだい?」そうして、その顔を拝見した私は……思わず、声を詰まらせた。

 

 

(……何て目をしているんだ)

 

 

 その目の輝きを、何に例えたら良いのかが分からない。だが、私がこれまで見て来たどんな瞳よりもソレは優しく……心を揺さぶるナニカを秘めているように見えた。

 

 引き留める言葉なんて、瞬時に消えてしまった。注意して引き返そうという考えなんて、瞬時に消えてしまった。

 

 

(……なんだ?)

 

 

 代わりに……何かが脳裏を過った。顔も背丈も声も思い出せない、誰かの姿が脳裏を過った気がした。

 

 ……それが何なのかは分からないが、思わず少女の瞳から目を離せなくなるぐらいには……私はもう、どうにもならなくなっていた。

 

 

 そのまま……呆気に取られるしかない私を他所に、少女は進む。

 

 だから……仕方なく、引き留めるのは諦めて、その後を追いかける。自分よりも頭一つ分どころか、三つ分は小さい娘の後に続く……どうにも、不思議な気分であった。

 

 

「……ここね」

 

 

 そのまま、時間にして10分……いや、15分ぐらいだろうか。くねくねと右に左に後を追いかけ続けた背中が止まる。立ち止まった少女に釣られて、視線の先を見やった私は……あっ、と思わず声をあげた。

 

 

 そこは……かつて、何人かの客を連れて行ったディスコであった。

 

 

 あの時の客たちの言う通りに閉店して、それっきり開かれてはいないのだろう。落書きだらけの、地下へと続く入口シャッターには至る所に錆が有り、外壁も同様に劣化の跡が見られる。

 

 まあ、外壁といってもディスコがあるのは地下だ。唯一の出入り口である通路のシャッターが閉じられているから、外からでは、シャッターの向こうが地下になっているなんて、分かるはずもない。

 

 ぼろぼろなのは、ディスコがある建物全体。パッと見たところ、テナントの看板も相応にぼろぼろで……上の階に二つばかり借りられているのが分かるぐらいだった。

 

 

「これ、何て読むの?」

 

 

 懐かしさに浸っている私の耳に、少女の声が届く。見れば、少女はシャッターに印字されたディスコの名前を指で摩っていた。

 

 

「……CYBERIA(サイベリア)だよ。CLUB(クラブ) CYBERIA(サイベリア)……あー、踊って騒いだりする場所だよ」

 

 

 読み方すら分からないのならば……そう思い、私なりに分かりやすく説明を付けてみたが、「ふーん、そうなの」少女は特に興味を惹かれたようには見えなかった。

 

 ただ、少女のそんな態度に引きずられるわけでもないが、確かに少女が言う通り、眼前の少女には、ここは似つかわしくない……と、私も思った。

 

 

(そういえば……あの子も)

 

 

 ふと、思い出す。友達に誘われて行ったあの子も、あまりこういう場所の雰囲気には馴染めなかった……ん? 

 

 

 ……あの子とは、いったい誰の事だ? 

 

 

 そう思った瞬間、するりと脳裏の向こうに何かが消えた。ハッと我に変えてそれに手を伸ばしてみるも……もはや、影すら感じ取れなかった。

 

 

(──また、だ。いったいどうしたんだ……どうにも、デジャヴュを何度も味わっているような……)

 

 

 何かが引っ掛かりそうで、引っ掛からない。靄の中に手を突っ込むかのような違和感に、私は堪らず頭を振った……直後、少女の方から声を掛けられた。

 

 

「ねえ、扉が閉まっているようだけど、もうやっていないの?」

 

 

 そう尋ねられ、私は昔の事を思い浮かべた。

 

 

「……私が知る限りでは、3年ぐらい前には……以前、ここに客を連れて行った事があるから店の事は少しばかり知っているけど、思い出の場所なのかい?」

「そう、見える?」

「全く見えない。だからこそ、不思議だ。それならどうして君がここに来たのかが分からない……わざわざ、何でここに?」

 

 

 純粋な興味で尋ねてみれば、少女はしばし視線をさ迷わせた後、改めて『CYBERIA』のマークを指でなぞると。

 

 

「アイツの気配を追っているのよ」

 

 

 そう、答えた。正直、今の私は呆気に取られた顔をしていると、私自身が思ったぐらいであった。

 

 

「……その、気配なんて分かるのかい?」

 

 

 気配、けはい、KEHAI……これはアレか、年頃特有の『ごっこ遊び』なのだろうか。

 

 

「『勘』で探し当てているだけよ。こうして近づいたら、薄らと分かる。アイツが消しきれなかった僅かな気配……私はそれを追いかけているだけよ」

 

 

 そう、私に話した少女の顔には……笑みが浮かんでいた。けれども、ふざけた笑みではない。そこには、確かな自信と確信も伴っているように見えた。

 

 

(気配……だって?)

 

 

 反面、私の胸中を過っているのは……困惑ばかりであった。

 

 それがどういうものか、さっぱり分からない。辺りを見回し、不自然な何かがあるのかと探してみるが……皆目、見当もつかない。

 

 

 ……少女の言葉が何かの暗喩か、あるいは彼女にだけ分かる戯言なのかは、私には全く分からなかった。

 

 

 ただ、少女は何かの目的を持って動いているのは分かった。

 

 少なくとも、これまでお連れした場所、全てに何かしらの意味がある場所で、眼前の少女だけが、それを理解する事が出来るのだということに……ん? 

 

 

「……そういえば、私をここに連れてきた理由は何ですか?」

 

 

 ふと、肝心な事を聞きそびれていることを思いだしたので、率直に尋ねる。考えてみても、眼前の少女が私をここに連れてくる理由が、全く思いつかない。

 

 

「特に深い理由なんてないわ。ただ、あんたを連れてきた方が良いと思ったからよ」

「は、はあ……そうなんですか?」

「そうよ。まあ、あんたは物の次いでみたいなものだし、そこまで気にしなくていいわよ」

「はあ、そうなんですか……?」

 

 

 残念ながら、少女からの返答を聞いても、私は全く意味が分からなかった。というか、これで理解しろというのが酷なものだろう。

 

 

「……なるほど、似た者同士、か」

 

 

 ……けれども。

 

 

「こうしてあんたの気配を辿っていくと、何となくあんたの気持ちが分かる気がする。岩倉玲音……確かに、私とあんたはどこか似ているのかもね」

 

 

 そう、誰に言うでもなく呟いた少女の言葉を認識した、その瞬間。

 

 脳裏に過った、見覚えのない少女の横顔。俯いて、一人静かに歩いているその姿がフッと目の前に現れて……すぐに消えた。消えて、しまった。

 

 

「……ほら、行くわよ。次が最後だから、もうちょっとだけ頑張って」

 

 

 労いの言葉を掛けてくれる少女の言葉に、ハッと我に返る。振り返れば、少女はもうこちらに背を……と。

 

 

「そういえば、あんたの名前ってどう読むの? 名札みたいなのには英語で書かれていたから分からなかったんだけど」

「か、カール・ハウスホッフです。皆からは、カールと呼ばれています」

「そう、カールさん。もうちょっとの間、お付き合いしてもらうわよ」

 

 

 立ち止まらないままの問い掛けに応えながら、行きと同じくさっさと戻ってゆくその背中を、慌てて追いかける……しかし、その最中に私の胸中を過っていたのは。

 

 

 

 

 

 ──いったい、今の子は誰なのか。

 

 ──私は、どうなってしまったのか。

 

 

 

 

 そんな、不安なんかよりも。

 

 

 

 

 ──あの子は、また一人で蹲っているのだろうか。

 

 

 

 

 そんな……脳裏を一瞬ばかり過ったその子への、どうしようもない寂しさとやるせなさだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……もう、夜だ。

 

 

 

 車に待たせた蓮子とメリーのブーイングを受け、一度近くのコンビニで諸々を済ませてから、さらに数十分。車に乗ってから、もうかなり……既に、空の色は黒色に染まっていた。

 

 街灯の明かりをはっきりと感じ取れる暗闇の中を、タクシーは進む。眠らない街と揶揄される東京とはいえ、全てがそうとは限らない。

 

 

 眠らないのは人口の密度もそうだが、何よりも東京が狭いからだ。

 

 

 歓楽街で働く人たちと、オフィスビルなどで働く人たち。その勤務時間が逆であるうえに、人口密度が高ければ……眠らなくなるのは当然の結果だろう。

 

 故に、見方を変えれば……都心から離れてしまえば、普通に夜は眠るのだ。

 

 既に、退勤ラッシュの時間は大きく過ぎている。なので、霊夢の指示の下に住宅街へとタクシーを進ませた頃には、人通りや車の気配は明らかに数える程度になっていた。

 

 

 そんな、徐々に静けさを増してゆく住宅街の中を進むタクシーが止まったのは……とある一軒家の前であった。

 

 

 その家は、立ち並ぶ様々な形状の家々と比べても、特に物珍しさもない一階が駐車スペースで、二階からが住居となっている、三回建ての、普通の一軒家であった。

 

 敷地を囲うレンガの仕切りの正面に設置されたインターホンに、表札。玄関へと繋がる階段(駐車スペース含めて)と、道路との境には小さな鉄格子が有って、それはぴったり閉じられていた。

 

 

 ……既に、家主は帰宅しているのだろう。

 

 

 駐車場に止められた車もそうだが、カーテンが閉められた二階の窓から明かりが漏れている。テレビの音は……外からは聞こえない。

 

 三階の窓からは……明かりは漏れていない。時刻から考えて寝入っているようには思えないから、帰宅していないか、あるいは二階にいるといったところだろう。

 

 

 ──がちゃり、と。

 

 

 この時も、霊夢は無言のままに外に出た。一拍遅れて、運転手も外に出る。後部座席に乗っている蓮子とメリーは……互いにもたれ合うような形で、すやすやと寝息を立てていた。

 

 まあ、無理もない。家を出発してから今まで、ほとんど乗り物に乗りっぱなしである。

 

 そのうえ、二人からすれば対して面白くもない場所にばかり寄り道させられているから、余計に……若いとはいえ、疲労のあまり寝入ってしまうのも致し方ないことだろう。

 

 それは、結果的には何時もよりも数時間以上に渡って残業することとなった運転手の男もまた、同様である。

 

 何時もとは異なるナニカに落ち着かなかった彼もまた、人の子だ。

 

 体力が続くわけもなく、眠気覚ましの為に買ったドリンクが無かったら、欠伸を一つ二つは零しているところだろう。

 

 その中で、霊夢だけが……何一つ変わることなく、悠然とした様子で、その家を見上げていた。

 

 基本的に暢気にぐうたらしているが異変が絡むと体力オバケになる霊夢が異常なだけなのだが……まあいい。アイドリングを続けているタクシーから、その家の表札へと向かい……確認した霊夢は、辺りを見回した。

 

 

 ……何もかもに、見覚えがあった。その事に、霊夢は特に驚かなかった。

 

 

 立ち並ぶ家々や電柱も、少しばかりひび割れが見受けられるアスファルトも、見覚えがある。少しばかり、記憶の中にある光景とは異なる点が有ったが……有って当然だろう。

 

 何せ、霊夢が見たのは、霊夢が居たのは、ここではない、何処か彼方に消されてしまった場所だから。

 

 だから、そういう細かい違いを、霊夢は全く気にしなかった。まあ、元々が、そういう違いに全く目を向けない大雑把な性格だから、それ以前の話ではあるのだが……ん? 

 

 

「どうしたの?」

 

 

 ふと、霊夢の視線が運転手の男へと向かった。

 

 靡く麦畑を思わせる黄金の髪色に、青い瞳。霊夢の回りではそう珍しくはない特徴を持ったその男は、霊夢の問い掛けに反応するわけでもなく……心ここに有らずといった様子で、3階あたりを見つめていた。

 

 

 ……つられて、霊夢もそこを見やる。

 

 

 そこは、先ほども見た通り、照明の落とされた窓があるだけであった。カーテンが閉められているので、中がどうなっているかは全く窺い知ることが出来ない。

 

 仮に、第三者がこの場にいたのなら。そこに何らかの興味を引くようなモノが見付けられず、男の様子に何度も首を傾げたことだろう。

 

 実際……偶然、タクシーの傍を通り過ぎた第三者は、男の視線に釣られて顔を上げ……不思議そうな顔をして、何度も首を傾げながら遠ざかって行った。

 

 ……そう、そうだ。誰が見ても、そこには何も無い。照明が落とされ、カーテンが閉められた窓がある……ただ、それだけなのだ。

 

 

「あ……ああ……!」

 

 

 なのに……男は違った。男の目に、いったい何が映っているのか……それは、彼以外には分からない事であった。

 

 ただ、平静を維持できないぐらいに衝撃的なナニカを目にしているのは、傍目にも分かった。声を震わせ、涙を目尻に滲ませるその姿は……まるで、そう、まるで。

 

 

「──記憶が無くなったとしても、消えるわけじゃないのよ、カールさん」

「……えっ」

「大の男が、人前で泣くんじゃないの……ほら、二人を起こしてちょうだいな」

 

 

 けれども、第三者とは少しばかり異なる者であるならば、それ以外にも分かることはある。少なくとも、この場に……霊夢だけは、彼の動揺と混乱を正確に理解していた。

 

 そんな、霊夢の言葉にようやく我に返った男は、目尻に浮かんだ涙を些か乱暴に拭い、車へと戻る。少しばかりの間を置いてから、蓮子とメリーが欠伸を噛み殺しながら外へと──と。

 

 

「……うわ、何なの、アレ」

 

 

 眠そうに眼を擦っていたメリーが先ほどまで男が見上げていた3階に視線を向けた途端、ギョッとその場から一歩退いた。

 

 

「あれ、家を改造しているの? 何か電線やら機械やらが滅茶苦茶で、物凄く気持ち悪いんだけど……」

 

 

 おそらくは、彼と霊夢が見たモノと同じモノが見えているのだろう。

 

 

「……気持ち悪いって、何が?」

 

 

 大して、見えてはいない様子の蓮子が、「……寝ぼけてんの?」大きな欠伸を零しながら辺りを見回していた。

 

 

 ……少しばかりの間、霊夢は驚きに目を瞬かせていた。

 

 

 何故かといえば、アレが見えるのは己とカールの二人だけだと霊夢は思っていたからだ。まさか、アレを認識出来るとは……いや、待てよ。

 

 

 ──不意に、霊夢の脳裏に閃きが過った。

 

 

 それはいわゆる『勘』というやつである。今更、そのことに疑問を抱くわけもなく、我ながら突拍子もないなと思いつつも、霊夢は今更になって気付いてしまった。

 

 

 ──こいつら、何かしらの『能力』を持っていたんだな……と。

 

 

 まあ、それも今更だし、その事を責めるつもりは毛頭無い。というか、お門違いもいいところだろうし、霊夢だって彼女たちに隠し事はしていたのだから、言えるわけもない。

 

 

(──っと、気配がちょっと強まった……かしら?)

 

 

 そんなことよりも、気になったのは、だ。

 

 形容しがたい感覚が、するりと通り過ぎてゆく。と、同時に、かちり、と何かが入れ替わったのを感じ取った霊夢は……いつの間にか泣き止んでいるカールを見やった。

 

 

 ……改変させられたみたいね。

 

 

 直後、調べる必要もなく霊夢には分かった。『勘』がどうとか以前の問題で、浮かべている表情や雰囲気が先ほどまでとは異なっていて……そう、車に乗った、最初の頃と同じになっていた。

 

 おそらく……カールはもう、霊夢と同じモノは見えていない。他の人達と同じく、数多にある見知らぬ一軒家にしか見えていないのが明白な反応で……それどころか、泣いていたことすら記憶していないだろう。

 

 

 今更……コレも今更でしかないから、霊夢は驚かなかった。

 

 

 何故なら、霊夢には分かっていた。ここが……この場所は、あいつにとって……『岩倉玲音』にとって、ある種の聖域……そう、心の聖域であるということに。

 

 

 根拠など、何も無い。有るのは、『勘』だ。

 

 

 だが、その『勘』を信じて霊夢はここに来た。ヒントも何も無い、霊夢以外がやれば100年掛かっても見つけ出せないこの場所を……霊夢は、直感だけで探し当てた。

 

 今更、霊夢は驚かない。『勘』が、訴えている。ここに、己の求めていた先が……結末へと続くナニカが有ると、確信していた。

 

 

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………けれども、だ。少しばかり、霊夢は忘れていた。何も、改変は霊夢の思う通りに行われては来なかったという、抗い様もない現実に。

 

 

 

 

「……ねえ、蓮子」

「なによ、私も眠いんだからそんなに引っ張らないでよ。袖が伸びちゃうでしょうが」

 

 

 今の今まで3階を見上げていたメリーが、不意に蓮子を見やり……次いで、霊夢を見やった後。

 

 

「わざわざ半日も掛けてここに連れてきたのはいいんだけど、そろそろ目的を教えて欲しいんだけど」

 

 

 そう、蓮子に尋ねた。その瞬間、ピクリと目じりを震わせた霊夢とは違い、「は? あんた寝ぼけてんの?」蓮子は深々と欠伸を零し、メリーを見やった。

 

 

「そこの生意気なやつに聞けばいいでしょ。何でわざわざ私に聞くのよ、私が知るわけないでしょ」

「……? なんで、その子に聞くの?」

 

 

 心底、意味が分からない。そう言わんばかりに首を傾げるメリーに、さすがに違和感を覚えた蓮子は、「は? マジで寝ぼけてんの? そいつに聞かなかったら誰に──」胡乱げな眼差しをメリーに──。

 

 

「そう言われたって、知らない子だよ。蓮子の知り合いなら、蓮子から聞いてよ」

 

 

 ──向けた瞬間、そのメリーから放たれた言葉に……蓮子はしばしの間、二の句を告げられなかった。

 

 

「……寝ぼけているにしても、それはちょっと笑えない寝言だわね」

 

 

 辛うじて……そう、辛うじて絞り出したかのような蓮子のその言葉は、傍目にも分かるぐらいに震えていた。

 

 

「寝言って……それはこっちの台詞だよ」

 

 

 だが、そんな蓮子の反応を他所に、心底ワケが分からないといった様子のメリーは……運転手のカールへと声を掛けた。

 

 

「運転手さん、タクシーに乗っていたのは私たちだけだよね。この子はたまたまここにいただけの人だよね?」

「そうですよ。私が乗せたのはお二人だけで、この子はここに立っていただけの少女です」

 

 

 ほとんど間を置かずに成されたカールのその言葉に……ぽかん、と蓮子は大口を開けたまま固まった。

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………時間にして、十秒ほどだろうか。

 

 

 ハッと、我に返った蓮子は……凄まじい勢いで霊夢に迫ると、その肩を掴んだ。少しばかりの痛みに顔をしかめる霊夢を他所に、蓮子は……言葉無く、俯いてしまった。

 

 

 ……気持ちは分かる。そう、霊夢は思った。

 

 

 以前の霊夢も、眼前の彼女と同じように酷い混乱に見舞われていたからだ。自分が通った道だからこそ、霊夢は……置かれた手を振り払うことはせず、そっと、震える蓮子の腕を掴んだ。

 

 

 

「ここでお別れよ、蓮子」

 

 

 

 ……。

 

 ……。

 

 …………返事は、無かった。だが、己の言葉をしっかり理解し、言わんとしていることを察しているのが……霊夢には分かった。

 

 

 傍目から見れば、何とも不思議な光景だろう。

 

 

 十代前半の少女に縋りつく20歳前後の女性と、それを困惑した様子で見やる金髪碧眼の運転手と、美女と評価して差し支えのない女性。

 

 カオス……という言い方も何だが、事情を知らなければ、霊夢たちが陥っている状況の一端すら理解出来ないだろう。

 

 

 だからこそ……霊夢は告げた。

 

 

「楽しかったわ、色々と。本当よ、短い間だけど、楽しかった。大変な目にもあったけど、それでも、貴女達と一緒に過ごす日々は……楽しかった」

 

 

 それは、霊夢なりの真心であり……ここまで守ってくれていた彼女たちへの、心からの感謝の言葉でもあり。

 

 

「本当に、ありがとう」

 

 

 そして、別れの言葉でもあった。

 

 

「……行くのね?」

 

 

 それは、蓮子も分かっていた。もう、引き留められない……いや、始めから引き留められない事であると、分かっていた。

 

 

「ええ、行くわ。回り道をしたけれど、ようやく辿り着いた。故に、私は果たさなければならないの。博麗霊夢として、楽園の素敵な巫女として……『異変』を解決する為に」

「……仮にそれが、命と引き換えになるとしても?」

 

 

 だから、蓮子は引き留める為の直接的な言葉を避けて、霊夢の覚悟を問う。行けばもう、二度と会えないことを……蓮子は、薄々と察していたからだ。

 

 どうして命などという物騒な単語が出て来たのか、それは蓮子自身にも分からない。気づけば、蓮子はその言葉を口にしていた。

 

 ただ、その言葉がするりと唇から零れた時、ああ、いつの間にかこんなに絆されていたのだなあ……と。我が事ながら馬鹿だなあ……と、己に苦笑する他なかった。

 

 

「……生まれ持った宿命だとか、そんなのは今の時代ナンセンスだと私は思うわよ」

「少し違う、これは、私の為にやるの。生まれ持った私の責務であるとしても、それを選んだのは私。ままならない事であるにしても、それで良いと思って来たのは、紛れもなく私自身」

 

 

 けれども、そんな蓮子の淡い後悔とやるせなさと……心の片隅にて鎌首を上げる、引き留めたいという想いも。

 

 

「ここで逃げ出せば、もう私は博麗霊夢じゃない。私は、私として胸を張る為に、何時ものように仕事をするだけ。素敵な巫女さんが、素敵に異変を解決し、素敵な宴会を開く……何時もの事なの」

「……それで、本当にいいのね?」

「この立場だからこそ出会えた縁がある。私を信じて送り出してくれた人たちがいる。そして、私の為に動いてくれていた貴方達が居る……私は、それに応えたい」

 

 

 力強い……あの、不思議な輝きを放つ眼を向けられれば……もう、蓮子は何も言えなかったし、言うべきではないと思った。

 

 

 ……勝算はあるの? 

 

 

 そんな言葉を続けたい欲求が、蓮子の中にはある。でも、伝えない。「……そう、分かった」ただ、己の中に渦巻く想いを確かめるかのように、最後にギュッと霊夢を抱き締めた後。

 

 

「……頑張れ」

 

 

 ただ、それだけを伝えると……蓮子は、困惑するメリーと運転手を促してタクシーに乗り込み……軽く手を振ればもう、そのまま車は走り出して……道路を曲がり、霊夢の目からも耳からも消えて……それっきりになった。

 

 その、見えなくなった車を、遠ざかってゆく蓮子たちの気配に耳を澄ませていた霊夢は……一つ、頷いた──その瞬間、かちり、と。

 

 

 

 ──さあ、正念場よ、博麗霊夢。何時ものように、異変を解決するとしますか。

 

 

 

 己の中でナニカ、ひと際大きな何かが外れる音を、霊夢は聞いた。

 

 と、同時に、気付けば霊夢は……己の姿が、幻想郷では御馴染みになっていた巫女装束に変わっている事にも、気付いた。

 

 その事に、霊夢は驚かなかった。何故なら、それが博麗霊夢であるからだ。

 

 何処となく張り詰めてゆく、緊張感。それでいて、気負いもせず。異変解決に身を乗り出す、何時もと同じような感覚で……霊夢は、僅かばかり薄汚れたインターホンを押した。

 

 

 ──ぴんぽん。

 

 

 その音は、思いの外大きく霊夢の耳に届いた。まあそれは、時刻が時刻なので、辺りが静まり返っているのが理由ではあるのだが……と。

 

 

『──はい』

 

 

 インターホンからの応答が、ある。女の声だ。それを聞いた霊夢は……大きく息を吸って、ゆるやかに吐いた後。

 

 

「あんたじゃない。この家に居る、男の方に代わってちょうだい」

 

 

 そう、告げた。

 

 

『──はあ? 悪戯なら切りますよ』

「悪戯でも何でもない。私は、貴女じゃなくて、この家に居る男の方に用があって来た。居るのはもう分かっているから、その人に代わって」

『──お嬢さん、歳は幾つ? カメラで貴方の姿はバッチリ見えているけど……見た所、まだ高校生にも……警察を呼ぶわよ』

「呼ぶのなら、無理やりにでも押し通る。貴女じゃ話にならない、さっさと男の方に代わりなさい」

『──冗談だと思っているの? いいわ、待っていなさい』

 

 

 インターホンに出た女の言い分は、間違いなく正論であった。客観的に見れば、間違っているうえに異常なのは、霊夢の方だ。

 

 でも、霊夢はコレが正しいと思った。この手段でなければ、次に進めないと分かっていた。何故、そう思えるのか……それは、霊夢自身にも分からない。

 

 そう、何も分からない。この一連の騒動が始まってから今の今まで、分からないことだらけだ。分かっている事など、片手で数えられるぐらいしかない。

 

 

 ……全て、『勘』に従った。

 

 

 今まで、『勘』に従って間違ったことは一度としてない。だから、誰よりも、何よりも、霊夢は己の『勘』を信じてここまで来た。これからも、己は己のままに事に当たり、事を成す、ただ、それだけ。

 

 

 ──あれこれ難しい事を考えるのは、自分の仕事ではない。

 

 

 何時ものように、何時ものように、何時ものように……そう、何時ものように。

 

 

 ──私は、博麗霊夢。幻想郷の秩序を保ち、人間にも妖怪にも神にも属さない、揺れない天秤。誰の敵になるわけでもなく、誰の味方になるわけでもない。

 

 

 でも、それで良い、それを選んできたんだ、私は。

 

 そうだ、ずっとずっと、選んできた。無意識の内に、選び取って来た。初めから無いわけでもなく、捨てて来たわけでもなく、最後は自分で選んで……望んで、博麗霊夢となった。

 

 

 そして、今。

 

 私は……博麗霊夢は、おそらくは初めて、義務感だけではない、自らの意志で異変解決へと望んでいる。『博麗』だけではなく、ただの『霊夢』としても……前へ、進もうとしている。

 

 

 

『──もしもし、通話を代わったが、私に何か用か?』

 

 

 

 故に、しばしの間続いていた沈黙が破れ、インターホンの向こうに居る人物が女から男へと切り替わった時……霊夢は。

 

 

「あんたが……いえ、貴方が、この家に住む男の方ね」

 

 

 欠片の動揺も震えもなく、何時ものように……自分らしく、ありのままの不遜な態度でいられた。

 

 ただ……通話の向こうで、何やら女と、たった今切り替わったこの男(おそらく、先ほどの女だろう)との間で、言い合う声が聞こえて来たが……まあ、いい。

 

 

『……そうだ。その言い回しだと、君は私の名前も知らないようだね』

「ええ、そうね。表札を見た限りだと、貴方の名前は……岩倉康男(いわくら・やすお)で、いいのよね?」

『ああ、そうだよお嬢さん。それで、名前も知らなかった私をわざわざ訪ねてきて、何の用だい? でっち上げの脅迫でもするつもりかい?』

「そんなつまらないこと、私がするわけないでしょ。私はね、貴方と話をする為に来たのよ」

『……話を?』

「そう、話をしに来たの。まず、そこからよ。そこが始まりで、そこから行かないと駄目だから」

 

 

 

 ……少しばかりの沈黙が、流れた。

 

 

 

『……その、君が酒や薬に酔っているわけでもなく、明確な意志を持ってここに来ているのは映像越しにも分かる。少なくとも、僕にだってそれぐらいに人を見る目はあるつもりだ』

「うん、それで?」

『こうして、少し話をしただけでも分かる。君は、特別だ。持って生まれたナニカを感じる。10年後……いや、5年後、君が、私が働いている会社に面接に来たら、即時採用したいと思えるナニカを感じる』

「ふーん、そう」

『だからこそ、率直に答えてくれ。いったい君は、何の話をしに来たんだい? 少なくとも、僕にはその心当たりは全くないのだが……』

 

 

 

 それを聞いた霊夢は……その言葉通り、率直に告げた。

 

 

 

 ──『岩倉玲音』の、名を。

 

 

 

 それを告げた時の反応は……少なくとも、霊夢が聞き取れる範囲においては、非常に些細なモノであった。

 

 

 

 

 

 

『……そうか、あの子の名は、玲音と言うのか』

 

 

 

 

 

 声の強さも、色も、何も変わらない。名を告げる前と、ほとんど変わらない。

 

 

『──開けるよ。僕には分からないけど、話さなければならないということだけは分かった』

 

 

 けれども……がちゃん、と玄関扉の鍵が開けられ、チェーンが外される音がして……がちゃり、と扉が開かれ……その向こうより顔を覗かせた、初老の男を目にした、その瞬間。

 

 

 

 

 

 

 ──お父さん。

 

 

 

 

 

 

 霊夢の脳裏を過ったのは、その言葉であった。その声は、何処となく霊夢に似ていたが……間違いなく、あの日……耳にした、玲音の声であった。

 

 

 

 

 

 




90年代風次回予告




無意識の蓋で塞いでいた霊夢の心は今、解き放たれる

己は己のままに、己は己の為に、誰が決めたのではなく、自分が決めたことだから

楽園の素敵な巫女としての想いを取り戻した霊夢は、己の持つ『勘』を頼りに、彼女の残り香を追いかけ続ける

そして、彼女の大切な者のもとへとたどり着いた霊夢は……博麗の巫女として、一人の博麗霊夢として、異変に立ち向かうのであった




次回、東方偏在無lainの章:その2


霊夢は、その答えを見つけることが出来るのか……まだ、誰もその行方は知らない
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