Serial experiments □□□ ー東方偏在無ー 作:葛城
助けて
助けて
息が出来ない
息が出来ない
助けて 助けて 助けて
Present day......
Present time......
助けて 助けて 助けて
.......HAHAHAHAHAHA!!!!!
でも
ありすは
繋がらなくても、友達になってくれたから
だから
大丈夫だよ……
Stage1:不器用な意地っ張り。
──景色が、変わる。それは、一言でいえばカオスであった。
無意識とは、結局のところは認識出来ない意識の領域である。
あるいは、潜在的に考えている自覚無き感情、覚えていないと思い込んでいる記憶の世界、原始的な欲望……とも言えるのかもしれない。
故に、もしくは、当然と言うべきか。無意識の世界というやつは基本的に無秩序であり、様々な記憶の積み重ねによって生じた混沌で満ちている。
例えば、表層部分は感情の景色だ。
当人の表面的な感情に合わせて、記憶してきた様々な映像によって形作られる。しかし、霊夢が向かっているのは、人々の無意識の大本である『集合的無意識』への領域。
だから、現れる景色は人の数だけある。いや、正確には生物の数だけ無意識は繋がっているのだが、知能が発達した人類の方が、より具体的な形となって現れる。
都会で暮らしている者の見て来た記憶と思わしき、立ち並ぶビル群の光景。狭い口から無理やり絞り出したかのように、人々が迷路のコンクリートジャングルを行き来している。
田舎で暮らしている者の見て来た記憶と思わしき、広がる畑と点在する家屋。申し訳ない程度に散らばっている人たちが、長閑な空気とは裏腹に忙しなく動き回っている。
白い肌の人間、黒い肌の人間、その間の色をした人間、もう少し色の薄い人間、もしくは、そのどれにも該当しない人間。それらが、次々に傍を通り過ぎて行く。
霊夢はそれらを見下ろしながら、ひたすら前へ進む。
けれども、前方に進んでいるわけではない。感覚的な話で、実際に霊夢の身体が前に進んでいるかは不明だ……トンチではなく、霊夢は、己が今、飛んでいるのかどうかが分からなかった。
何せ、此処には空は無い。いや、空どころか、重力が無い。かといって、無重力というわけでもない。熱気も無ければ寒気も無く、過去も未来も……時間すら、ここには無い。
というのも、無意識の世界は、本当に時が止まっているのだ。ここには、生も死も無く、始まりも終わりも無い。あるのは、停滞、それだけだ。
一見する限りでは、そうは思わないだろう。景色という形で目に見える変化が生じているおかげで、進んでいると実感することが出来てはいるからだ。
だが、それだけだ。無意識の世界は……表層部分の世界は、それが全てなのだ。
霊夢の視界に広がるそれらは全て、人々が記憶している光景のごく一部に過ぎず、見る者によって如何様にも形を変える万華鏡のようなもの……まあ、常人ではソレを認識することも出来ないだろうけれども。
仮に、それを認識出来る者がいたとしたら……どんな感想を零すだろうか。人によっては、それらの光景を『美しい』と思うだろうか……何にせよ、霊夢にとって、それらは興味を引くような代物ではなかった。
……『集合的無意識』は、言うなればどこまでも広大な海みたいなものだ。
その海辺に玲音は居るのだが、その海辺に至るには……順番に階層を下りていかなければならない。現実世界と同じく、目的地に到着するには距離を詰める必要があるわけだ。
……そうして、だ。
そのまま、どれぐらい間、進み続けた時だろうか。無意識の階層を下り続けている霊夢の前方の彼方にて、前触れもなく出現したのは……何時ぞやに姿を見た、『岩倉玲音』であった。
そいつは、攻撃などといった反応は一切してこなかった。逃げるつもりも、無いのだろう。
霊夢に合わせて下がってはいるようだが、その速度は明らかに遅い。動きが……ではなく、霊夢へ応対するつもりのようだ。
……強引な突破は、悪手だろう。
そう判断した霊夢は、一気に加速する。けれども、目的は突破ではない。一定の距離まで詰めてから相手に合わせて減速すれば、そいつは……わかっているじゃないかと言わんばかりに頬を緩めた。
(……いや、違う。あいつだけど、あいつじゃない)
そいつは、暖色色のセーターに長めのスカート、深々と被ったニット帽……見えた顔立ちは、霊夢がこれまで何度か目にしてきた岩倉玲音そのものであった。
だが、今の霊夢には分かる。姿形など、関係ない。瞳と瞳、視線が交差したその瞬間、霊夢は──ようやく、そいつの正体を看破した。
「あんた……あいつの、あいつ自身が封じ込めていた、もう一人の岩倉玲音ね?」
「──ご名答。そこまで分かるようになったんだ。そう、あたしは岩倉玲音だけど、岩倉玲音じゃない。いったい誰だと思う?」
「そんなの、同じ姿をした私の時とだいたい一緒でしょ。あんたは、あいつの理想……あいつが成りたかった理想の自分みたいなものでしょ」
確信を込めた推測に、そいつは……感慨深そうに、笑みを深めた。
「そう、よく分かっているじゃん。あたしは、アイツが成りたかった自分自身。周りを想うがあまり強く出られないアイツの、理想の姿」
その言葉と共に──瞬間、そいつの……レインの姿がぶれる。と、思った次の瞬間にはもう……服装が変わっていた。
それまでの、大人しい外見ではない。
何処となく覇気のない弱弱しい目つきとは真逆の、吊り上った目尻に薄目に施された口紅。円錐形のクリスタルイヤリングは煌めき、立ち振る舞いが明らかに違う。
加えて、膝下まである肩紐ワンピースの上に、ワインレッド色の肩紐ワンピースの重ね着。胸元の黒いリボンの飾りも相まって、双子の別人だと言われれば誰もが納得する雰囲気を放っていた。
「それじゃあ、あたしがどうしてあんたの前に出て来たか……それも、分かる?」
「それも、決まっているでしょ。あんたは岩倉玲音の理想の姿だけど、同時に、岩倉玲音を守ろうとする防御反応。降りかかる不安と恐怖を打ち破り、傍まで来てくれる者を選別する、心の守護者よ」
「……嬉しいねえ、あんた、分かっているじゃん。そう、あたしは、意気地なしなアイツの心のガーディアン。それじゃあ、私が出て来たってことは、あんたはお呼びじゃないってことも、分かるわよね?」
「今更、つまらない問答をするつもりはないわよ」
意味深に微笑むレインの言葉を、霊夢は一言で切って捨てた。
「本当にアイツがあたしを拒否しているなら、こんなもんじゃない。あんたも、問答無用で排除に動いている……それもせず、こうしてお喋りするってことは……本当は、あいつも望んでいるのよ」
「……何を?」
そう尋ねるレインに、「ほんと、あんたって疑り深いわね」霊夢は呆れたと言わんばかりに溜息を零した。
「私がそうだったように、アイツも寂しかったのよ。だから、私が来てくれること事態は嬉しい。でも、不安で仕方がないから、私の本気を試したい……そうでしょ?」
「……その根拠は?」
「いちいち聞く? だってあんた、私の中にも居たでしょ。全てを拒絶したつもりでも、寂しくて堪らなかったから、私の中にだけは残していたでしょ」
……。
……。
…………しばしの間、沈黙が続いた。
「……ほんと、嬉しいよ。本当にあんたってば、全部分かってんじゃん」
でも、それは嫌な沈黙ではない。嬉しくて堪らない、喜びが込められた沈黙であり……事実、レインは心から嬉しそうに笑みを浮かべた。
「それじゃあ……あたしがこれからしようとすることも、分かってるでしょ」
だが、直後に──レインから放たれる雰囲気が、一変する。
「あたしは、傷ついたアイツの心の前に立ち塞がる、最後の心の防壁。あたしは、あんたを試す必要がある……で、あんたはどうやってあたしに、ソレを証明するつもりなの?」
それに対し、霊夢は答える。何時ものように、何時かと同じく、威風堂々として、それでいて、暢気の……サラッと告げた。
「そんなの、決まっているじゃない。私たちの間では殺し合いは御法度。美しく可憐に決着を付けるのが、私たちのやり方よ」
……。
……。
…………あははは、と。
ぽかんと呆けていたレインは……少しばかりの間を置いてから、子供のように笑った。それは、彼女なりの承諾の証であった。
「なるほど、そっかそっか。いいね、そういうの好きだよ。『ごっこ遊び』で決着を付ける……うん、それじゃあ、始めようか」
「私が言うのも何だけど、ルールは分かってんの?」
「実演は初めてだけど、覗き見はしていたから分かっているよ。耳年増ならぬ、目年増ってやつかな」
そして、承諾されれば後に起こるのは。
「……それじゃあ、乗り越えてみなよ」
誰にも見る事は出来ず、聞く事も叶わず、触れる事も不可能な……無意識の彼方にて繰り広げられる。
「あんた達のやる宴会……楽しみにしているからさ!」
虚構の中で幾度となく行われてきた──『弾幕ごっこ』であった。
──基本的に、『弾幕ごっこ』において、異変を解決する者よりも、異変を起こした者が先手を取る場合が多い。
というのも、だいたいの異変は、起こす者が先であり、それに対応する者が後になる。動機は何であれ、異変を企てた者が起こした勝負を、止める側が受ける形になるからだ。
もちろん、例外はある。虚構の中とはいえ、例外は何度か発生した。
弾幕ごっことは名ばかりに肉弾戦(実質、ほとんど殴り合い)を始める者もいるし、お前初めからルール守る気があるのかと疑念を抱いてしまうようなやつもいれば、そもそもルールを理解していないやつもいる。
まあ、それはあくまで本当に例外だ。意図的に妨害活動(あるいは、邪魔になった場合)を行わない限り、異変を止める側の……この場合、霊夢がレインの挑戦を受ける形になる。
故に、此度の場合においても、レインが先手を取るのが当然の流れであり……レインも、ルールは熟知していた。
「──さあ、カードは2枚! 根性入れなよ!」
──偏在『一人歩きする見知らぬペルソナ』
サッ、と。レインの掲げた片手には、いつの間にか一枚のカード。そこに描かれているのは、枠いっぱいに押し込められた人々。そして、その人々の胸元より染み出るようにして姿を見せた、玲音の顔であった。
ぱきん、と。カードが砕け散る。それを見て、霊夢は構えた。
……変化は、スペルを唱えたレインの周辺から始まった。
まるで、空気から溶け出して来たかのように、するりとレインが二人に増えた。かと思えばそれが倍に、更に倍に、そのまた倍に……瞬く間に、その数は100を超えた。
しかも、姿形が全て、微妙に異なっている。
最初のレインよりも大人っぽいレインも居れば、子供っぽいレインも居る。野暮ったい服装のレインも居れば、下着かと見間違うぐらいに官能的な恰好のレインも居た。
そんな多種多様、よくよく見れば千差万別なレインたちが……一斉に、霊夢へと弾幕を放つ。目が眩むほどの光の暴力を前に、霊夢は──素早く転進し、隙間を縫うように避ける。
その弾幕は、千差万別であった。
とあるレインは、掌からまっすぐ突き進む光のレーザーを放つ。
とあるレインは、息を吹きかけるようにして螺旋を描く弾幕を。
とあるレインは、蛇のように身をくねらせながら迫る光弾を。
とあるレインは、玩具の銃のようなソレを構え、連射し続け。
正に、数の暴力だ。しかも、全員が異なりつつも同じレインである為、動きに迷いが無い。全ての弾道は協力関係にあり、互いが互いを助け合うようにして形成される弾幕は、驚異の一言である。
何せ、弾幕の発射点だけでなく、そのバリエーションが兎にも角にも多過ぎるのだ。
霊夢が知る者たち、虚構の存在である者の中には似たような事をするやつは居たが、あれはあくまで発射点の数が多いだけで、出される弾幕は全て同じ。
言うなれば、パターンさえ組めれば避けるのは容易である。
実際、霊夢は(虚構であるにしても)瞬時にパターンを構築し、如何様にも対処してきた。
だが、コレは違う。パターンが組めそうで組めない。下手に組もうとすると、間違いなく被弾してしまう、実に、いやらしい弾幕だ。
仮に、今は無き幻想郷でこの弾幕が張られていたら……切り抜けられる者は、片手で数えられるぐらいしかいなかっただろう。
……けれども、その程度では霊夢を落とせない。パターンが組めなくとも、持ち前のセンス……霊夢だけが持つ天才的センスは超えられない。
まっすぐ突き進むレーザーの表面を掠めるように避け、螺旋を描く弾幕に合わせて旋回し、身をくねらせながら接近する光弾には逆に接近して通り過ぎ、雨のように降り注ぐ連射は気合で避ける。
傍からみれば、お前全身に目玉でも付いているのかと思ってしまう程の、無駄の無い動きだろう。
実際、相手をしているレインもちょっとばかり引いていたが……まあ、そこはいい。
霊夢がそれほどまでに避けられたのは、実の所、それだけが理由ではない。レインたち一人ひとりが、『弾幕ごっこ』自体が上手ではないのも、理由の一つである。
耳年増ならぬ目年増というのは本当のようで、一見する限りでは様になってはいるが……初めてなのが丸分かりな立ち回りが多く、慣れていないのが明白であった。
「──嘘でしょ、あたし達も反則技みたいなもんだけど、よくもまあ避けられるものね」
とまあ、そんなわけで。
定められた制限時間を耐えきった……通称、『耐久スペル』を凌いだ霊夢に対し、レインは素直に称賛の言葉を向けた。
既に、あれだけ増えていたレインたちは1人も残っていない。居るのは、スペルカードを宣言したレインただ1人。そのレインの前に降り立つ……ほとんど無傷の霊夢。
一見する限りでは、勝負あった……といった感じだろうか。
けれども、実際は違う。勝負は、まだついていない。何故なら、レインが宣言したスペルカードは2枚。それを分かっているからこそ、張り詰めた緊張感は全く緩まない。
「──よし! それじゃあ、これはどうかしら?」
その言葉と共に、レインは片手を上げる。その指先が挟んで掲げているのは、2枚目のスペルカード。
──滑稽『役立たずなチェシャ猫』
最後のスペルカード……通称、『ラストスペル』が宣言される。砕け散るカードと共に、レインの雰囲気がまた変わる。
直後──レインが向ける掌から飛び出したのは、光弾であった。霊夢はそれを、相手の身体へと向かう追跡型の光弾であると一目で見破った。
……追跡弾には特徴がある。それは一発の威力が低いのと、追跡時間にも限りがあるのと、弾速そのものが遅いという点だ。
捕捉した相手を永続的に追いかける追跡弾も存在するが、アレは使い勝手が悪い。
また、美しく魅せながら競い合う『弾幕ごっこ』の特性上、そういったモノは見栄えが悪く、美しくないので基本的には使用されない。
もちろん、レインがそういう暗黙の部分を理解していることは、霊夢も分かっていた……となれば、だ。
(やはり、そう来るか……それなら、次は……)
迫り来る光弾が一定の距離まで近づいた──瞬間、まるで空気に溶けこむかのように光弾が消えてしまった。それは、霊夢が予想した通りであった。
威力が足りず、途中で力尽きて消えてしまったのだろうか……否、そうではない!
「──っ!」
背筋を走る、悪寒にも似た直感。一切の疑いを持たずに従った霊夢の胸元を──いつの間にか眼前にまで接近していた光弾が、はるか後方へと流れて行った。
やはり──視界に映らないタイプの追跡弾だ。
弾速の遅さは、ある意味カモフラージュだ。速ければ消えた後に何か有ると思わせてしまうが、遅い分だけ威力が弱くて消えてしまったと誤解させてしまう……意地の悪い光弾だ。
そのうえ、追跡弾なので、ただ単純に射線上を避けただけでは着弾してしまう。
おそらく、消えた後で加速なり、追跡性能が跳ね上がったり、小細工が施されていたり、するのだろう。
それを……レインは、連発してくる。しかも、いつの間にかレインの身体から放射状に放たれている、マシンガンが如き光弾の雨……その様は、正しく弾幕である。
常時気を張って避け続けないと、確実に着弾する雨のような弾幕。
その意識の隙間を縫うようにして迫り、消えて不意打ちする追跡弾。
しかも、刻一刻と降り注ぐ弾幕は勢いを増し、いつの間にかまたレインの数は増え、発射台が5人になっている。人数は打ち止めのようだが、避けにくさは先ほど以上。
なるほど、地味ではあるが、難易度だけを考えればラストスペルに相応しい。
率直に評価した霊夢は──素早く身体を捻りながら、反撃の弾幕を発射する。連射された光弾は、寸分の狂いもなくレインへと着弾し……それを不敵な笑みと共にレインは受け止める。
……霊夢の光弾も、レインの光弾も、非殺傷ではある。だが、死なないわけではない。
当たれば相応に痛いし、打ち所が悪ければ骨だって折れる。ガードなり何なりしておかなければ擦り傷打撲は当たり前で、顔面に当たれば鼻血の一つや二つは噴き出るだろう。
だから、霊力(と、霊夢は定めている)でガードしていても、痛いものは痛い。
それはレインも同様のようで、霊夢とは異なるやり方で防壁を張って防いでいるようだが、少し顔をしかめて……ん?
視界の端で──弾幕を受け止めながらも、意味深に唇が弧を描いていることに気付いた霊夢は、これは何かあるなと身構える。
見渡した限り、レインに異変は見られない。弾幕の激しさは増してはいるが、それだけだ。追跡弾だって、連発されたおかげで慣れた。
このまま行けば、更に攻撃に専念──。
『──シシシッ、右から来るぜ』
──しようとした、その瞬間。
「えっ?」
前触れもなく、いきなり真横から掛けられた言葉に、思わず霊夢はそちらに視線を向け──たと同時に、「──ごほっ!?」真下から接近していた追跡弾が、霊夢の腹部に着弾した。
「──っ! な、によ、この!」
堪らず、息が詰まる。完全に、不意を突かれた。
幸いにも速度も威力も劣る追跡弾だったから、いきなり墜落なんて事にはならなかったが、痛いのは変わらない。
瞬時に体勢を立て直しつつ、再び近づいて来ていた消える追跡弾を紙一重で避けながら……改めて、弾幕を発射──。
『シッシッシ、今度は左だ』
──した、瞬間。
またもや真横から掛けられた声に、霊夢は反射的にそちらへ視線を向け──強かに顔面で光弾を受け止める。ぷぱっ、と鼻血が噴き出て、霊夢の頬を濡らした。
「~~っだいわね!!」
けれども、その程度で霊夢は怯まない。その程度の覚悟で怯むのであれば、自殺までしてこの領域に足を踏み入れたりはしない。
それに、『弾幕ごっこ』の勝敗は被弾した回数ではない。死者が出る真剣勝負ではあるが、殺し合いではない。
如何に『見事だ、私の負けで良い』と思わせるのかが鍵であり、突き詰めてしまえば、100回被弾しようが歯を食いしばって耐えて、相手から1回の『降参』を引き出せば勝ちなのだ。
「──ふっ!」
だからこそ……霊夢は噴き出した鼻血と滲む涙を些か乱暴に拭いながら、封魔針を飛ばす。一つや二つではなく、創り出したソレをマシンガンのように放つ。
光弾(通常弾と呼ばれる、連射可能の弾幕)では防壁を破るのに時間が掛かり過ぎると判断したが故の、切り替えである。
僅かばかり追跡が掛かる通常弾とは違い、封魔針は本当にまっすぐにしか飛ばない。いちおう、発射の瞬間に少しばかり曲線を描くように放つことは出来るが、途中で軌道が変わることはない。
「──いった!? いた!? いたたた、痛い痛い!? なにこれ、お前これ反則だろ、痛すぎだぞ!」
けれども、その威力は通常弾とは段違いである。
それでも防壁を破れないのはさすがとしか言い様がないが、衝撃までは完全に抑えられないようだ。明らかに、顔色が悪くなっている。
そういった痛みに慣れていないのだろう。レインは、先ほどまで滲ませていた余裕を引っ込め、慌てた様子で封魔針の射線上から逃れた。
だが……これまた、その程度で霊夢の弾幕から完全に逃れることは不可能だ。
直線にしか飛ばなくとも、天才的なセンスと『勘』によって、レインの動きを先読みする。100発100中とは言い難いが、7割近くは着弾するという信じ難い先読み力である。
『──シシシ、今度は下だぞ』
だが、しかし。
「ぶっ!?」
さすがの霊夢も、右側を見ながら左を向くのは不可能だ。横合いから殴りつけられたかのような衝撃に、霊夢はぶふっと口の中が切れたのを知覚する。
霊力のガードが間に合っているので、辛うじてクリティカルヒットは防げたが、避けられない。確実に着弾し、その度に、無視出来ない苦痛が芯まで響く。
──が、我慢だ我慢!
食いしばった唇の端から泡を飛ばしながら、構わず封魔針を打ち込む。これにはレインも面食らったようで、防壁にて防いではいるが、額に汗が滲んで──その中で。
(なるほど……着弾の瞬間、あの『声』で強制的に『声が示した先へ注意を向けてしまう』というわけか)
霊夢は……ラストスペル『役立たずなチェシャ猫』のメカニズムを解読し……その底意地の悪い中身に、思わず舌打ちを零した。
分かり難いが、これもある意味一回目と同じ『耐久スペル』だ。
ただ、あちらはひたすら避けに徹しなければならない耐久だとしたら、こちらはひたすら我慢して堪え続ける耐久……同じ耐久でも、こっちの方が何倍も辛い。
しかし、意地の悪さは互いに似たようなものだ。それだけ、向こうも本気であるということでもある。
それに、着弾するのは威力も速度も弱い追跡弾。降り注ぐように迫り来る放射状の弾幕に比べたら、霊力のガードを解かない限りはまず致命傷になることはない。
しっかり、ルールを守っている。ならば、霊夢は……やせ我慢にて迎え撃つことにした。
作戦も技術も関係ない、肉を切らせて骨を断つ戦法。『声』が聞こえた瞬間、霊力のガードを強め、気合で着弾をやり過ごし、そのまま攻撃を続行……それが、霊夢の選んだ対抗手段であった。
力技もいいところな戦法だが、ソレは思いの外上手くいった。
被弾をかえりみず突き進む霊夢の迫力を前に、「うわっ、とっ、おっ、あ、あ!?」明らかにレインの動きが悪くなる。
理由は、意気込みが違うからだろう。
拒否しつつも拒絶していない玲音と、不退転の覚悟の霊夢とでは、そもそもが、釣り合っていないのだ。
故に……勝敗はもう、決まっていたも同然で。途中、苦し紛れに『声』で霊夢を誘導して被弾させはするものの、徐々にそれも出来なくなって……結局は。
「──分かった! 私の負けだ負け、まいった!」
我慢の限界に達したレインの敗北という形で、此度の『弾幕ごっこ』は終幕となったのであった。
──片や、腫れあがった両手を涙目で見下ろしながら、「いてぇ……何だよ、弾幕ごっこ超こえぇじゃないの……」ブツブツと愚痴を零す気の強そうな少女。
──片や、頬やら額やらに擦り傷や青あざを作り、拭い切れていない鼻血などで汚れた袖で、唇などから滲む鮮血を拭っている、傍目にも痛々しい少女。
一見する限り、どちらが勝者か分からない有様だろう。けれども、よくよく注意深く見てみれば、すぐに分かるだろう。
何せ、雰囲気というか気配が、明らかにどちらが勝者であるかを物語っているのだから。具体的には、気の強そうな方が、明らかに腰が引けていた。
「……で?」
「ん?」
「初めての『弾幕ごっこ』はどう?」
そう尋ねられたレインは……しばし視線をさ迷わせた後。
「痛いし怖いし、出来る事なら二度とやりたくねえ」
はっきりと、ぶっちゃけた。
「でも……」
「でも?」
「正直、不思議な気持ちだったよ。生まれて初めて、誰かと本気で喧嘩したのかもな」
「……まあ、『弾幕ごっこ』って見方を変えれば決闘あるいは喧嘩みたいなもの……なのかしら?」
首を傾げる霊夢に、「あたしとしてはスッキリしたよ」レインはそう言って笑みを浮かべ……次いで、真剣な眼差しを向けると。
「根暗でウジウジしているアイツの頭を、ぶっ叩いてくれよな」
その言葉を最後に……するりと、空気に溶けこむように姿を消した。
後には……傷だらけの霊夢が残されて。一つ、息を吐いた霊夢は……ぷっと口内に溜まった血を吐き捨て、先へと進むのであった。
Stage2:何時か抱いた理想の行方
無意識の中を飛ぶ(あるいは、漂う)という行為は、実の所かなり危険な行いである。
というのも、本来、無意識の世界は認識することが不可能な領域であるのだが、何故不可能なのかと言えば……それは、言うなれば無意識の領域には膨大な情報が詰まっているからだ。
一見すると混ざり合っているように見えるが、実際はそうではない。仮に、何の対策もせずに無意識に触れようものなら……例外なく、その者の自我は押し潰されるだろう。
何せ、人類と同じ数の無意識がここにはある。いや、場合によっては、全ての命の無意識が、ここには流れている。
大海に混ざってしまったコップの真水をそのまま分離するのが不可能であるのと、同じ事。大海から掌で掬った分を混ぜるならまだしも、コップの水を大海に投げ入れれば……後はもう、考えるまでもないだろう。
だから、常人では認識出来ない。まあ、認識する方法すら、この世界では存在していないのだから、不可能である。
それを踏まえたうえで、様々な偶然が重なって、仮に認識することが出来たとしたら……その瞬間、流れ込んでくる膨大な無意識……人類と同じ数だけのソレに、耐えられる者はいない。
だいたいの者が、押し寄せる無意識の濁流に飲み込まれ、耐え切れず廃人になるだろう。運良く無意識の海から跳ね飛ばされても、過去十数年分近くの記憶を喪失するという後遺症を残すのは確実だ。
それぐらい、無意識の領域とは危険なのだ。
……で、だ。
その、無意識の領域を認識している時の悪影響……実は霊夢とて、例外ではない。限りなく極小ではあるが、無意識の領域に居る間は霊夢も気を張って影響を抑えているのだ。
しかし、玲音にはそれが無い。どうしてかと言えば、玲音と霊夢はある意味同じ存在ではあるが、決定的な違いが一つあるからで。
それこそが、『集合的無意識』そのものである玲音と、霊夢との大きな違いであった。
人が人として生まれたその時……いや、もしかしたら、この星に生命が生まれたその時より存在している可能性がある玲音には、そもそも肉体が何なのかすら認識出来ていなかった可能性が高い。
康男の証言が全て事実であるならば、何かしらの意志(あるいは、第三者の思惑)によって肉体を得たとしても……言い方は悪いが、その肉体は現実(リアル)へ投影されたホログラムに過ぎない……というのが正しい状態の可能性すらある。
言い換えれば、それだけ人々の無意識への親和性が高いということだ。そのうえで、霊夢はといえば……はっきり言って全然違う。
無意識に望まれた、信じたいと願う想いの集合体ではあるものの、霊夢は初めから肉体を得ていた。肉体という物理的な重石を得た結果、『幻想郷』という壮大な虚構を作り出したのだが……まあ、そこはいい。
あくまで、イメージとして考えるのであれば、だ。
生まれたその時より肉体を得ている霊夢の比重は、『現実(リアル)寄り』であるということ。だからこそ、肉体を捨てるだけでなく、様々な幻想たちの想いと共に向かう必要があった。
対して、玲音の方はといえば、経緯は何であれ肉体を得ていた頃ですら、比重が『無意識寄り』……いや、人々の集合的無意識が人の形を取っているかのような存在だ。
魚が水中で生きるように、無意識の領域は玲音にとって、魚にとっての水中と同じなのだ。
……。
……。
…………という旨の話を、だ。
「つまり、玲音と同じ土俵に上がったところで勝ち目なんて無いってわけ。あんたは、そんな勝ち目のない土俵に自ら上がって来たマヌケってわけね」
「戦いを挑むのならそうかもしれないけど、言いたい事はそれだけ? あんたも大概、暇を持て余しているのね」
レインの時と同じく、ぬるりと姿を見せた靈夢より長々と説明された霊夢は……鬱陶しいという感情を欠片も隠さず、そう吐き捨てた。
辺りは……レインと対面した時から、また景色が変わっていた。
一言でいえば、幻想郷だ。見覚えのある空に、見覚えのある大地。見覚えのある森に、見覚えのある村……何もかもが、今はもう存在していないはずの『幻想郷』が、霊夢の眼下に広がっている。
だが、そこには誰もいない。霊夢を送り出してくれた者たちも、霊夢が守って来たと思っていた者たちも、誰もいない。
アレは、ただの張りぼてだ。見た目はそっくりだが、表面を似せて作り出しただけの……中身の無い、外側だけの張りぼて。
……そこで、霊夢は、何時ぞやのそっくりさん……靈夢と対面した。
通算、おそらくは三度目となる靈夢との対面……レインと同じく、その風貌は以前とは少しばかり異なっていた。
見たままを言葉にすれば、大人びているのだ。以前は鏡に写したかのように瓜二つであったのに、今は違う。
背は霊夢よりも10センチは高く、顔立ちも背丈に合わせて幼さが抜けている。身に纏っている巫女服には目立つ違いはないが、その中に秘められた体つきは明らかに少女ではなく、女であった。
「……あんた、しばらく見ない内に変わったけど……何かあったの?」
「貴女がちゃんと自分と向き合ったからよ。この姿は、貴女が成りたいと思っている博麗の巫女……ではなく、理想の姿。こういうふうな大人になりたいっていう、そういう理想の姿」
少年が筋肉質な身体に憧れるのと一緒よ……そう続けられた言葉に、霊夢は……少しばかり気恥ずかしそうに視線を逸らした。
「……私、そんなに露骨なの?」
「子供の内は誰だって平たいのよ? 良いとこ悪いとこ、そういう屁理屈は抜きにして、大きくなりたいって思うのは自然な話でしょ」
「いや、大きいのは大きいので邪魔かな……って」
「だから、私は程よく大きいのでしょ? 程よくおっぱいが大きくて形が整っていて、程よく腰がくびれてお尻も形良い……そうなりたいって思う事の、何が悪いと思うの?」
「悪いわけじゃないけど……なんか、恥ずかしいのよ。意中の殿方が居るわけでもないのに、どうしてそう思うのかも不思議だし……」
「そりゃあ、現実世界の人達に触れて、淡い憧れを抱いたからでしょ。言うのも何だけど、比較対象を見つけて憧れるのも自然な事よ」
「ええ……私、本当にそんなこと思っていたの?」
「大なり小なり訪れる思春期みたいなものよ。実際に触れたから、自分もそうなりたいって思った……ただ、それだけでしょ」
そう言われれば……霊夢は、もにょもにょと唇を噛み締めるしか出来なかった。否定したい気持ちはあるが、相手が相手だ……わざわざ言われなくとも、分かっている事であった。
「……さて、無駄話もここまで。やることをやりましょうか」
現れた時が唐突ならば、気配が切り替わるのもまた、唐突であった。
……いや、まあ、常識的に考えれば、こんな状況で世間話を始める二人がおかしいのであって、普通はもっと空気が張り詰めているというか、一触即発な感じになっているはずである。
そうならないのは、精神的なダメージを受けて弱気になることはあっても、生まれ持った気質がそうさせている……かもしれないが、まあ、話を戻そう。
「既に分かっていると思うけど、私は貴女よりも強い。何故なら、私は貴女の理想。自分と向き合った事で、あやふやだった私は明確な形を得て、貴女の前に立ち塞がる壁となった」
その言葉と共に、靈夢から放たれる『圧』が増し始める。それを見て、霊夢は……不思議と、何の気負いも感じてはいなかった。
理想の自分が言わんとしている事は、霊夢にも分かっている。要は自分自身を乗り越えてゆけと、半端な覚悟でやるなと、遠まわしにケツを叩いているだけだ。
とはいえ、靈夢の言葉通り、全てにおいて今の自分より強いのも明白だ。
それは何も、背丈の問題だけではない。純粋に、博麗の巫女として感じ取れる『力』の差と、おなじみの『勘』が、眼前にて佇む理想が如何に強大であるかを訴えている。
この感じだと……技や術のキレや出力は向こうが上だ。微々たる違いでしかないが、身体能力も向こうが上なのは確実だ。
単純な力比べでは、まず勝てない。かといって、技で攻めよう……と思ったところで、それも分が悪い。挑んだ数だけ、確実に負けるだろう。
──だが、霊夢は挑む。何故なら、一人ではないから。
「さあ、来なさい!」
告げられた開始の合図と共に、霊夢は──弾幕を放ったのであった。
初手は、確かに霊夢の方が早かった。相手が手加減していたのもあるが、先手を譲って貰ったという感覚は確かであった。
(──後出しなのに、撃ち合いは互角……!)
だが、それでもなお……相手の方が、速かった。
優位に立てたのは、最初の一瞬だけ。詰めたと思った相殺位置は瞬く間にずれ込み、気付けばもう互いの中間にまで押し下げられていた。
しかも、弾幕の密度は明らかに向こうが上で、威力も無効が上。中間あたりで押し留める事が出来ているのは単に、向こうが手を抜いているからにすぎない。
途中で光弾から貫通力のある封魔針に変えてみるも、結果は同じ。相手の弾幕を貫通してはいるが、壁が如き勢いで放たれる弾幕の厚みを貫くことは出来ない。
その時点で、霊夢は真正面からの撃ち合いでは絶対に勝てない事を、改めて理解した。
「──っ!」
しかも、相殺しきれなかった光弾が、まるでそんな霊夢を甚振るかのように、封魔針の隙間を……意識の死角を突くかのように抜けてくる。
反射的に頭を傾けた瞬間、光弾が頬をチリチリと掠めてゆく。じわりと広がる熱気とひりつく痛みに舌打ちしつつ、霊夢はその場より飛び退いて軌道を変える。
「判断が遅い」
瞬間、気付けば傍まで接近していた靈夢の回し蹴り。
「──っ!?」
近づいたことすら認識出来なかったが、反射的なガードは間に合った。
しかし、馬力もキレも向こうが上。完全に防ぐことは叶わず、骨が軋む感覚を認識しながら、霊夢は──幻想郷(もどき)の地表へと、叩き付けられた。
衝撃で大地がひび割れ、繁茂している雑草ごとめくれ上がる。霊力のガードは行われているのに、一瞬ばかり意識が遠のくほどであった──と。
「──っ!」
「ほらほら、寝ている場合じゃないわよ」
前触れもなく、いきなり眼前に出現した靈夢に驚く間もなく、霊夢は転げまわるようにして振り下ろされる靈夢の蹴りを避ける。
それは、亜空穴(あくうけつ)とも、空想穴(くうそうけつ)とも言われた、博麗霊夢が得意とする瞬間移動技だ。
ソレを、息を吐くように霊夢は扱えるが、向こうはそれ以上。
固い妖怪の頭部を一撃で踏み抜く蹴りが、幾度となく霊夢へと振り下ろされる。その度に、ずどんずどんと砂埃が舞いあがり、勢い余って周辺の木々をも蹴り砕く。
──その最中、霊夢も転移する。向こうが使えるのならば、霊夢もまた使えて当然なのだ。
何の予備動作も挟まない、瞬時の転移。言い換えれば、一切の準備を必要としない瞬間移動。これまで、それを目の当たりにしてきた者たちが口を揃えた、『それ、卑怯過ぎる』という感想。
相手が、ただの妖怪であればこの時点で決着が付いていただろう。
少なくとも、今は無き幻想郷内において、本気になった霊夢の亜空欠より逃れる術はなく、八雲紫ですら『ほどほどに』とやんわり注意されるぐらいには……だが、しかし。
……此度に限っては、相手が悪かった。何故なら、霊夢以上の速さと正確さで、転移を行うのだから。
始めて体験する自分以上の素早い転移に驚愕する暇も与えないまま、掬い上げるような昇天蹴(しょうてんげり)に、霊夢のガードはこじ開けられ──無防備になったそこへ向かって。
「神霊『夢想封印』」
鮮やかに、それでいて、七色に輝く巨大な光球。発動すれば舌打ちしたくなるほどのホーミング性能を持つソレが、霊夢の胴体へと──当たらなかった。
何故かといえば、それは霊夢の眼前にて出現した、一筋の亀裂。
それはかつて、八雲紫が操っていた能力。通称『スキマ』と呼ばれる異空間が開かれると共に、靈夢の放った『夢想封印』が吸い込まれ──。
「──っと!?」
──音も無く背後にて開かれたもう一つのスキマより飛び出した『夢想封印』を、靈夢はギリギリのところで防いだ。
しかし、勢いを殺しきれず、つんのめる。空中でつんのめるというのも変な話ではあるが、少なからず体勢を崩したのは確かであった。
そして……素早く体勢を立て直していた霊夢は、それを見逃さなかった。
いつの間にか霊夢が手にしているのは、『ミニ八卦炉』。霧雨魔理沙が使用していたソレを瞬時に作り出した霊夢は、何時ぞやの思い出のままに靈夢へと向けると。
──恋符『マスタースパーク』
躊躇なく、引き金(のようなもの)を引いた。
放たれたのは、夜空を明るく照らすほどの、膨大なレーザービーム。直視することすら難しいぐらいの輝きと共に、周辺の景色を呑み込みながら靈夢へと迫る。
もちろん──それでやられる靈夢ではない。
些か驚いた様子ではあったが、反応は出来る。「夢符『二重結界』!」即座に張られた、靈夢を覆い隠す二重の結界。
それによって、山すら焼くマスタースパークも靈夢には到達することなく──いや、まだである。
──神祭『エクスパンデッド・オンバシラ』
大地を砕く楕円形の御柱が、靈夢の結界にぶち当たる。その数、計16本。さすがの靈夢も、この一点突破には堪らず顔をしかめて転移でその場より逃れる。
──神具『洩矢(もりや)の鉄の輪』
しかし、それを読んでいた霊夢の放つ鉄の輪が追撃する。「このっ!」総身を捻って避けた靈夢は、その勢いを殺さずに巨大化した陰陽玉……法具『陰陽鬼神玉』を投げつけ──ようとして、ギクリと動きを止めた。
──『幻朧月睨』(ルナティックレッドアイズ)
何故なら、霊夢より向けられる視線。真紅に輝く眼光、それによって感覚が狂わされていることに靈夢が気付いたからで……気付いた所で遅く、陰陽玉は明後日の方向へと投げた後であった。
──超人『聖白蓮(ひじりびゃくれん)』
「おごっ!?」
急いで狂わされた感覚を戻そうとするも、間に合わない。
霊夢の夢想封印をも振り切る程に強化された身体能力を駆使した正拳突きが、靈夢の腹部を強かに打ち抜いた。
霊夢を上回る霊力のガードがあるとはいえ、さすがに顔色を悪くする。だが、霊夢は止まらない。ここで押し切らねば負けると分かっているからこそ、全力で押し切る
──雷符『エレキテルの龍宮(りゅうぐう)』
その言葉に呼応して降り立つ落雷。目が眩み、爆音で鼓膜が悲鳴をあげる最中、靈夢は全身を襲う雷撃の痛みと痺れに悲鳴一つ上げられない。
だが、それでもなお、理想の博麗の巫女。
常人であればそのまま死亡する状況にありながらも、すぐに持ち直す。と、同時に放たれる『妖怪バスター(御札の乱れ撃ち)』によって、雷撃の全てが無効化される。
「霊符『博麗幻影』!」
そして行われる、追撃の連続転移。点と点による瞬間移動だが、転移のサイクルが速過ぎる。まるで水流のような滑らかさで距離を取った靈夢は、「大結界『博麗弾幕結界』!」続けて術を発動する。
……博麗弾幕結界とは、その名の通り相手を結界の中に閉じ込めた後、その中へひたすら弾幕を放ち続ける術だ。
この技の厄介な所は、二つ。
一つは、逃げ場が結界(力技による突破は難しい)内に限られているということ。そして二つ目は、避けた弾幕は結界の壁に跳ね返るだけでなく、弾幕同士がぶつかって不規則に軌道を変えるというところだ。
作った当人ですら、やられたら非常に面倒な術だと零すぐらいに、えげつない。
そのうえ……スキマを通じて逃げようにも、靈夢がその隙を与えてくれない。故に、この状況で逃走は悪手であると即断した霊夢は、迎え撃つことを選ぶ。
──火水木金土符『賢者の石』
それは、とある虚弱な魔法使いが生み出した魔法の石。様々な属性が付与されており、霊夢を守るようにして出現した幾つもの賢者の石は……鮮やかな輝きを伴って、向かって来る弾幕を相殺する。
「力を貸しなさい、人形たち!」
霊夢の言葉と意志に呼応して出現するのは、とある都会派魔女が作り上げ、愛用していた魔法の人形たち。
名を、上海(しゃんはい)、蓬莱(ほうらい)、和蘭(おらんだ)、仏蘭西(ふらんす)、オルレアン……次々に出現する人形たちは、霊夢の掛け声一つで隊列を組み、一糸乱れぬ統率を保って防御陣形を組む。
使い方など、学ばなくても分かっている。
操り方の全ては、霊夢の内の奥に居る魔女が、まるで身体の一部を借りているかのようにスムーズに操ってくれるからで──霊夢は迷うことなく己の理想を睨むと。
──神槍『スピア・ザ・グングニル』
一切の躊躇なく、出現させた朱き槍を放った。「夢境『二重大結界』!」察知した靈夢が既に張った結界によって遮られたが、その上から連続して叩き付けられ──気づいた。
「これは──私の結界の外に、更に大きな結界を!?」
気付いた時にはもう、後の祭り。二種類の結界が、そこにはあった。
外側の、弾幕結界を覆い隠すようにして広がっているのは、スキマ妖怪が持つ結界術の中でもひと際強度のある、結界『魅力的な四重結界』。
そして、その内側に張られているのは、紫奥義『弾幕結界』。つまり、理想的な博麗の巫女がそうしたように、霊夢もまた、同じことをやりかえしただけである。
だが、状況は明らかに靈夢に分が悪い。
いくら強固とはいえ、まだ未熟な自分に気を取られている間に、自らが張った弾幕結界はぼろぼろ。何時、限界に達して術が崩壊しても、何ら不思議ではない。
そうなれば、今度は逆の立場だ。しかも、張られているのは二つ。いくら理想の巫女とはいえ、そちらに集中する暇を……霊夢は与えてくれない。
「──よろしい、ならば超えてみよ!」
ならば──理想の具現化たる靈夢が取る手段は、一つ。
「神技『八方龍殺陣』!」
それは、靈夢が……構築できる防御結界の中で、最も強固である結界術。靈夢を中心に形成された黄金が如き輝く光の壁が、靈夢を完全に覆い隠す。
──どちらの体力が……いや、想いが根負けするかの、我慢比べだ。
もちろん、霊夢は受けて立つ。どの道、ここで息切れして仕切り直しすれば、霊夢に勝機は無い。
優勢に立てているのは単に靈夢にその気が薄かったのと、油断しまくっていた……不意を突いたからに過ぎないからだ。
だからこそ──霊夢は、全力を出す。出し惜しみなど、しない。
己の中に宿るスペルを、次々に発動する。その様は、傍から見れば一人の幻想郷……そう、幻想郷そのものが攻撃しているようにも、見えたことだろう。
……いや、違う。ように、ではない。実際に、幻想郷が力を貸してくれているのだ。そう、霊夢は確信を持っていた。
たとえ虚構であったとしても。たとえ、幻であったとしても。全てが、存在していないモノであったとしても。
そこに、ナニカは有ったのだ。
それを意志と呼ぶのか想いと呼ぶのか、それは霊夢にもはっきりとした答えは出せない。きっと、一生考えても出せはしないだろう。
それでも、確かにそこには有ったのだと……それだけは、確信を持って霊夢は答える事が出来た。
そして……途切れない猛攻はついに、靈夢の結界にヒビを入れた……その瞬間。
──お見事!
その言葉と笑みを靈夢は残して……砕け散った結界の破片ごと、靈夢を呑み込み──此度の『弾幕ごっこ』は、終幕を迎えたのであった。
……。
……。
…………光が……靈夢を形作っていたモノが光に変わる。その数は多く、音も無くふわふわと何かを確かめるかのようにその場にて何度か旋回した後……ふわりと、霊夢へと向かう。
そして、大小様々な光は……遮られる事などあるわけもなく、霊夢の中へと消える。するり、するり、溶け込むように、霊夢と一つになってゆく。
別れていた半身が……というわけではない。
欠けたピースが……という程でもない。
ただ、少しばかり……そう、分かってはいたけど、目を背けていたモノが自分の中へと帰って来たかのような……そんな気がして。
「──へっぷし」
妙に湧き起こってくる気恥ずかしさを誤魔化す為に、霊夢はわざとらしいくしゃみを零すと……さらに奥へと、向かうのであった。
Final Stage : lain
──何処で景色が切り替わったのか、それは霊夢にも分からなかった。
ただ、気付けばまた景色が変わっていた。けれども、此度は違っていた。それまで、まるで万華鏡のように次々に移り変わっていた景色が、ある地点から変化しなくなった。
……それらに、霊夢は見覚えがあった。思い出す手間は、ほとんどない。
何故なら、そこは……霊夢が無意識の領域に足を踏み入れる前に居た、岩倉康男が暮らしていた、あの街であったからだ。
もっと正確に言い表すのであれば……何時ぞやに見た、アレだ。地霊殿の、古明地さとりの自室へ足を踏み入れた時に体感した、あの場所と同じ気配がここには満ちている。
ただ、あの時と少し状況が違う。
それは建物の位置とかそういうのではなく……あの時は青空が広がっていて、今は夜空が広がっている、ただそれだけである。
けれども、それだけであったとしても、昼と夜とではかなり雰囲気が異なっている。
相変わらず人気は皆無で、風の音すらしない。生き物の気配がまるでしないが故に、まるで世界に自分しかいないかのような気分に、少しばかりの違和感を覚える。
……ああ、そうか。
「これが、あいつにとっての……」
ポツリと、そんな言葉が霊夢の唇から零れ落ちた。
……。
……。
…………そうして、飛び続ける事……幾しばらく。
下手に考えずに、『勘』に従うがままに飛び続けていた霊夢は……ふと、覚えた感覚のままに大地へと……アスファルトの黒い大地へと降り立つ。
眼前には、何時ぞやの家が建っていた。あの時と同じく、表札は掠れてほとんど読めず、辛うじて読めるのは、一番下の行である『岩倉玲音』の文字だけ。
それ以外は、何処も彼処も康男が居た家のと同じ……いや、全部が同じではない。
視線を上げれば、二階にある部屋の一部の外壁が違う。
大小様々な機械が部屋の外に飛び出しており、幾つものコードが傍の電柱へと伸びている。最初から……というよりは、後から継ぎ足したかのような、歪な光景だ。
まるで、内側に抑え込めていたモノが溢れ出て来たかのような……あるいは、外へと向かって侵食しているかのような、何とも奇妙な有様であった。
他の家には、無い。有るのは、この家だけだ。
おそらくは……いや、かつての『岩倉玲音』が人間として暮らしていた場所。これは、その時の……彼女が、大切に想っている者たちと一緒に過ごしていた頃の家なのだろう。
そうして自分なりに納得した霊夢は、何時ぞやと同じく家の中へと入る。
「……外は変わらず、夜のまま、か」
あの時とは違って、入った途端に外が夕暮れになることはなく……あの時と同じように階段を上がって、あの時と同じ部屋に入れば、あの時と同じ光景が広がっていて。
……。
……。
…………その中心に、一人の少女が居た。
少女は、何時ぞやに蓮子が教えてくれた『パソコン』の前に腰を下ろしていた。数は多く、幾つものディスプレイが立ち並び、そのどれもに表示されているモノが違っている。
恰好は、あの時とは違う。肩紐の薄着に、ショートパンツ。部屋着なら良いが、外に出れば、些か目のやり所に困る恰好であった。
……霊夢の接近に、気付いているはずだ。それこそ、この領域に足を踏み入れた、その時から。
それでもなお振り向かないということは、霊夢に対して興味が……ああ、違う、こういうやつなのか。
アイツの言っていた通り、私と玲音はどこか似た者同士なのだろう。
ならば、率直に声を掛けない限りはボケッとだらけているだけだと察した霊夢は、率直に声を掛けた。
「あんたに会いに来たわよ、玲音」
すると、霊夢の思った通り少女は振り返る。ディスプレイの明かりによって照らされた横顔は、霊夢が……そう、霊夢が最初に見た、『岩倉玲音』
であった。
「…………」
何処となく無機質な眼差しを向けていた玲音だが、それ以上の反応は薄い。何事も無かったかのように霊夢から視線を外すと、再びディスプレイへと視線を戻してしまった。
……。
……。
…………ああ、他人から見れば、そりゃあ苛立つか。
今まで気にした事はなかったが……次からはもう少し周りの事も考えよう。
そう、霊夢は過去の己を戒めつつ、玲音の下へと向かう。変わらず反応を見せない玲音を他所に、霊夢はこの場で唯一の明かりであるディスプレイへと視線を向け。
「……何これ?」
ただ、青色だけを映している画面に……首を傾げた。
いわゆる、『ブルースクリーン』というやつではない。本当に、青色だ。それ以外、何も無い。たまたまそうなのかと思って、しばし待っていても画面に変化がない。
使い方など霊夢は知らないが、何となく用途は分かる。ならばと思って、ディスプレイの前に置いてある機械のボタンをぽちぽち押してみても、何も変わらない。
いったいこれは何なのだろうか。
壊れているにしては、動いているようにも見える。しかし、この状態では何も……玲音の反応が無いこともあって、その事に思考を巡らせ……あっ、そうか。
(ここは、何処とも繋がっていないんだ。だから、何も映らないのか……)
意外と早くに答えは出た。というか、この領域に足を踏み入れた時からもう、答えは出されていたのだろう。
霊夢がここに入って来たその時に覚えた感覚。『世界に自分1人しかいない』という感覚に違和感を覚えたのは、ここに入ってから人々の無意識を感じなくなったからだ。
……ここらは『集合的無意識』の奥深く。感覚的に、霊夢は理解する。
例えるなら、これまで霊夢が抜けて来たのは、玲音を構成する表皮を抜けて臓腑を通って来たようなものだ。今は、ようやく中心部である心臓部に到着したといったところだ。
本来、この心臓部からは、全身……全ての人々の無意識へと繋がっている。だが、今は何処にもつながっていない。完全に断たれているわけではないが、ほとんどソレに近しい状態なのだろう。
……道理で、存在こそ薄らと感じ取れることはあっても、その所在が一向に掴めぬわけだ。
管こそ目に見えないぐらいに細い糸で繋がってはいるが、全ての管に弁が取り付けられ、固く締められているような状態。しかも、ご丁寧に管そのものが迷路のようになっている。
ある意味、霊夢でなければ絶対に辿り着けない場所だ。
仮に、霊夢以外が何らかの手段でこの領域へと向かおうものなら……ほぼ例外なく、廃人となって永遠に無意識の狭間をさ迷い続ける事になるだろう。
「……用件は分かっているだろうけど、改めて言うわね。人々の無意識に私たちを植え付け、本当の意味での『幻想郷』を構築する。その為に、貴女の力を借りに来たわ」
……。
……。
…………しばし、この場所の事を考えていた霊夢は、さて、と気を取り直し……率直に、用件を告げた。
……。
……。
…………返事は、無い。いや、それどころか、反応すらしない。
「……まあ、そうでしょうね」
けれども、霊夢は特に何も思わなかった。不快感すら、覚えなかった。
何故なら……ここに座っている少女は、見た目を取り繕っただけの偽物であり、中身など何も無いということ。
そしてそれを、隠れ潜んでいる本物の玲音がこっそり覗いて様子を伺っている事にも……気付いていたからだった。
最初は気付かなかったが、近くで見るとそれがよく分かる。この少女の目には、力が無い。意志が、感情が、想いが、全く無い。
おそらく、今の為だけに用意されたのだろう。あまりの『熱』の無さが、下手な人形よりもよほど人形らしく見せていた……ので。
──妖器『無慈悲なお祓い棒』
出現させた、巨大化したお祓い棒にて──皮だけ玲音の形を取っている少女ごと、室内に所狭しに設置されている機械もまとめて……薙ぎ払った。
躊躇なく、一切の手加減なく。
べきべきと、まともに食らった少女はそのまま家の壁をぶち抜いて外へと転がったが、霊夢は構わず大きく振りかぶって……天井と床に大穴を開けた。
水飛沫が、舞う。床一面に散らばるのは、様々な機械を冷やしていた冷却水。
何もしなければ、置かれている機器の排熱によって火事が起こってもおかしくないぐらいの密度だ。ただの換気程度では到底抑えられないそれらはおそらく、かつてそうしていた時の……その時であった。
──やめて。
今にも消え入りそうな声ではあったが、確かに、聞こえた。
と、同時に……周囲の景色もまた、変わっていた。
夜の闇はすっかり消え去り、何時ぞやの夕暮れの赤い光が窓の向こうより差し込んでいる。淡く、それでいてほんのり温かく照らされた室内には、今しがた霊夢が壊した物は全て無くなっている。
……。
……。
…………代わりに現れたのは、熊の着ぐるみのような衣服を身に纏った、小柄な少女であった。
まあ、小柄といっても、霊夢とそう変わりは無い。しかし、覇気というか、性格がそうさせるのだろう。背丈は同じぐらいでも、一回り小さい印象を感じさせた。
「……初めましてと言えば、いいのかしら?」
「直接会うのは、これが初めてだよ」
熊のパーカーの、顔に当たる部分。それを目深く被ってはいるが、分かる。声が似ているとか、雰囲気がそうだとか、そんな程度の話ではない。
感情を感じさせない、無機質な瞳。けれども、分かる。霊夢にだけは、よく分かる。
「……博麗霊夢。楽園の素敵な巫女よ……今後ともよろしく」
「私は……岩倉玲音。もう知っていると思うけど……よろしく」
眼前の少女こそが、追い求めていた……本物の、『岩倉玲音』だ。
一目で、理解する。玲音が、どのような存在であるのかを。
今は無き幻想郷には不老不死という役割を与えられた者たちは居たのだが、違う。アレは殺しても復活する不死だが、玲音は殺しても殺したことにならない不死だ。
霊夢の眼前に現れた玲音は、本物ではあるが本体ではない。仮に眼前の玲音を害したとしても、何の意味もない。
どちらが、ではない。どちらも、だ。
巨大な……測り知る事は不可能な無意識の海、人々の集合的無意識そのもの。それが玲音の本体であり、眼前の少女は、それより汲み出された一滴に過ぎないのだということを。
「…………っ」
威圧的ではないが、伝わってくる。と、同時に……霊夢は、気付いた。言葉にされなくとも、霊夢だけは気付けた。
……迷っているのだ。霊夢の願いに力を貸すべきか、どうかを。
出来るか否か、そう問われれば、玲音は出来ると答えるだろう。それは、霊夢にも分かっている。分かっているからこそ、わざわざここまで来たのだ。
……と、同時に、玲音は……こうも考えている。自分が力を貸したことで、新たに悲しむ者が現れる可能性を。
言葉にされなくとも、伝わってくる。
かつて、玲音は自分の存在が原因で様々な人たちを傷付け、死なせ、取り返しのつかない事態を引き起こしてしまった。
客観的に見れば、玲音はけして悪くはない。玲音自身がソレを望んだ事など一度として無いし、周りが勝手に自滅しただけだ。
玲音自身は誰かを傷付けたいなんて思ったことはないし、何時だって皆のことが好きだったから、傷付けないように考えていた。
けれども、結果はそうならなかった。何時だって、傷付けるつもりなんて全くないのに、周りの人達を不幸にしてしまった。
少なくとも、玲音はそう思って己を責めた。
そう思ったからこそ、人々との繋がりを断ち、大海にぷかりと浮かぶ無人島のように、この場所に引きこもり……ああ、だからこそ。
「……そうね、これじゃあ失礼よね」
お祓い棒を消した霊夢は、髪を纏めているリボンを外す。次いで、袖も外して……博麗の巫女としてでなく、ただの霊夢として向き直った霊夢は……改めて、言葉にする。
「単刀直入に言うわね。私は、幻想郷を作りたい」
「……うん」
「私が愛したあの地を、虚構ではない、本物の幻想郷、私を大切に想ってくれていた者たちも、そうでない者たちも……その為に、貴女の力が必要なの」
「…………」
少しばかり、間が置かれた後。
「霊夢は……示してくれた」
ぽつりと、そんな言葉を呟いた。
「記憶が無くても、移し替えても、変わらぬモノを。私の手でもどうにも出来ないモノが存在する事を、霊夢は身を持って示してくれた」
だから、力を貸すつもりではいる。そう、玲音は言葉を続けた後。
「どうする、つもり?」
率直に、尋ねて来た。なので、考えていた事をそのまま伝える。
「貴女も御存じの通り、私は人々の……そうであってほしい、存在してほしいという幻想を信じる者たち無意識によって生まれ、『幻想郷』という名の世界を作り出し、そこに様々な役割を与えた人形を用意して、引き籠って……最後は、孤独に耐えきれずに自分で壊してしまった」
「そうだね。それで?」
「今のまま再び幻想郷を作っても、もう私は気付いてしまっている。それ故に、今度は前以上にあっさり壊れてしまう……加えて、前と同じ規模の幻想郷を作る力が、今の私には無い」
「……そうだね。以前ならいざ知らず、今の霊夢なら……数年が限度だと思う」
「あら、そこらへん分かるの?」
「分かるよ。繋がっていなくても、私は見ているし、皆の無意識が伝わって来るから……それで?」
「人々の無意識に、植え付けるのよ。幻想は有ってもいいんじゃないか……と」
「……? そんなあやふやなモノでいいの?」
「確実に存在すると思われると、それに邪な想いを抱く者が出てくるでしょ。それは、貴女が一番ご存じでしょ。理由や目的なんて、いらないのよ」
「…………」
玲音は、答えなかった。けれども、思う所はあったのか……少しばかり苦々しそうに唇を噛み締めた。
「だから、あやふやで良いの。否定はしない、肯定はする。けれども、本気になって信じる者が出ても、その人に対して周りが、『本気なの?』とちょっと身を引くような……その程度に想われるぐらいでいいのよ」
「でも、それだけじゃ……」
「だから、『軸』であり『楔』を私から幻想郷に移す。そのうえで、この世界の人々の……微量ではあっても、60億だか70億だかの信じる想いを燃料に、新たな幻想郷を構築する」
「……それをすると、霊夢。貴女は死ぬ身体になるよ。幻想郷にあっても命を落とす、数ある命の一つに過ぎなくなる……それでもいいの?」
玲音の言葉に、霊夢は……はっきりと、頷いた。
「いいのよ、それで」
「でも……」
「誰もいない場所を守って、何の意味がある。守る者がいるからこそ……私もまた、幻想郷を構成する一つになる……ただ、それだけよ」
そう、答えた霊夢は……サッと、玲音に手を差し出した。「……なに?」不思議そうに小首を傾げる玲音に、霊夢は……呆れたようにため息を零した。
「なにって、貴女も来るのよ」
「え?」
「え、じゃないわよ。良くも悪くも、『幻想郷は全てを受け入れる』。外の世界に居られないやつは漏れなく幻想入り……それが、うちのやり方ってやつよ」
「でも……私は……」
困惑する玲音に対し、「難しく考える必要、ある?」霊夢の方が首を傾げた。
「嫌なら無理して来なくていいけど、寂しいのなら来なさい。少なくとも、こんな静かな場所よりは賑やかになると思うし……ていうか、貴女はさっきから何を怖がっているのよ」
「…………」
「誰に対して遠慮をしているの? 誰に対して悪い事をしたと思っているの? 誰も覚えていないし、誰も貴女を恨んでいない。『ワイヤード』だって世界から痕跡一つ残らず消えているのに、貴女は誰を想ってここに居続けるつもりなの?」
「…………」
「まあ、決めるのは貴女だけど、やることはやってもらうわ。で、どっちを選ぶつもり?」
……。
……。
…………しばしの間、玲音は何も答えなかった。
けれども、おもむろに……パーカーを脱いで、改めて露わになった顔は今にも泣きそうなぐらいに、酷い有様で。
「……迷惑を、掛けちゃうよ」
開かれた唇より放たれた声色もまた震え、同時に、不安の色が滲み出ていた……けれども、だ。
「どんな迷惑?」
「みんなのこと、覗いちゃう。誰だって、見られたくないことや知られたくないことはあるのに、私の中に入って来るのを……止められないから」
「……止められないから、なに? だったら、見なければいいじゃないの」
「無理だよ。私が私としてある限り、私を認識した瞬間、みんなの無意識に私が生まれて、私は見てしまうから。私が『幻想郷』に繋がったら、『幻想郷』の人達の無意識を……」
「だったら、目を閉じていたら?」
……その瞬間、一瞬ばかりの間が生まれた。
「え?」
「え?」
互いに、不思議そうに視線を交わす……先に首を傾げたのは、滲み出ていた涙が止まった、玲音の方であった。
「目を閉じろって……」
「いや、見たくないなら目を閉じればいいでしょ。馬鹿正直に目を凝らす必要が何処に有るのよ。サルだって、見たくなければ目を閉じるし耳も口も塞ぐわよ」
「……そんなこと、出来るの?」
「え、出来ないの?」
首を傾げる霊夢に、「……どうだろう?」玲音も首を傾げる。それを見て、反対に首を傾げた霊夢は……出来るでしょ、と言葉を続けた。
「だって、貴女は……あんたは『集合的無意識』じゃなくて、『岩倉玲音』でしょ?」
「……え?」
「昔のあんたならともなく、今のあんたは玲音っていう名前の女の子。そう、育てられたんでしょ……違う?」
「……ち、違わない」
思いがけない……少なくとも玲音にとっては、思いがけなかった言葉を掛けられたレインにとっては……衝撃に、言葉を失くすには十分であった。
「だったら、人々の無意識にあんたが居たところで、当のあんたが目を閉じておけばいいだけの話じゃないの。岩倉玲音が、目を瞑って耳を塞いで口を閉じておけば、万事済む話でしょ」
……。
……。
…………ええ?
「そ、そんなので、良いの?」
「いや、むしろ、何でそれで駄目だと思ったの?」
困惑を深める玲音に対し、それ以上に困惑した様子の霊夢は、「そもそもの話だけど……」これまで薄らと思っていた事を口にした。
「あんたが外の世界に干渉出来るようにする為に有った『ワイヤード』は、もう無いんでしょ?」
「う、うん、何も残ってない。今後も、作られない……と、思う」
「なら、あんたが人々の無意識を覗いたところで、どうやって相手が気付くのよ。私はある意味似たような存在だから気付けるけど、普通の人間がどうやってあんたの存在を感知出来るの?」
「……」
「……」
「…………え?」
「え、じゃなくて、そこんとこ、どうなの? 実際、分かるものなの?」
「そ、それは……」
尋ねられた玲音は……しばし思考をさ迷わせた後、静かに首を横に振った。
……不可能だ。気付く者など、まずいないだろう。
様々な偶発的要因が幾つも重なった結果、たまたま玲音の存在を感知する事が出来る者は現れるだろう。だが、それは所詮、非常に稀な偶然でしかない。
……どうして、気付かなかったのだろうか。
玲音は、今にも座り込みそうになるぐらいに、気持ちが落ち込むのを実感していた。その場に座り込まなかったのは……たまたま、力が抜けても立っていられる足の置き方をしているおかげであった。
……そうだ、そうであったのだ。
そもそも、かつての玲音……今の姿を得る前の、まだ肉体を持っていなかった時ですら、玲音の方から当時の天才たちに接触しなければ、その存在を認識してもらうことすら出来なかった。
そう、始まりは、玲音の方からなのだ。歩み寄ったのは、こちらからなのだ。
その過程で、心と身体を得る為に、『ワイヤード』を作りはした。それによって、結果的に目論見は上手くいき、玲音となって……存在してはならないと判断し、諸々をデリートしてから……それっきりだ。
……思い返してみれば、誰も玲音の事に気付いていなかった……いや、それどころか、存在していることすら欠片も考えてなどいなかった。
──そう、気付いた所で玲音の存在を認識することは出来ないのだ。
それこそ、意図的に玲音の方から接触を図るか、当事者が意識を完全に消失させ、無我の境地に近い状態になり、自我を無意識の世界に飛ばせば……会える可能性は0ではない。
……限りなく0に近いだけでなく、それをするには薬物等を使用して仮死状態になる必要があるので、失敗すると死ぬけれども。
なので……言ってしまえば、玲音の心配は取り越し苦労でしかないのだ。
『ワイヤード』か、あるいは、それに匹敵する中間地点を作らない限り、玲音がどれだけ気に病んだところで、向こうは気付く事すら出来ないし、見られているだなんて夢にも……え、え、え?
「な、なんで私、気付けなかったの……?」
「そんなの、引き籠っていたからでしょ。それに、思い込んでいるあんたにソレを教えてくれる人がいないのも、さ」
「えぇ……」
「まあ、仕方ないといえば、仕方ないんじゃないの? 追い詰められている時ってろくな事を考えないし、私の時は逃げ場所が無かったから結果的には良かったけど、あんたの場合は……」
「う、うう……」
実も蓋もない言葉に、玲音は堪らず顔をしかめ……けれども、納得する他なかった。実際、霊夢の言う通りであるからだ。
……。
……。
…………とはいえ、それでもなお玲音は、怖気づいていた。
判明してもなお、腰が引けてしまう。万が一、億が一……そう思うだけで、玲音の足を止めるには十分過ぎる理由であり……それは正しく、呪いでもあった。
「……それじゃあ、これで決めたら?」
もじもじと指を絡ませて堂々巡りを繰り返している玲音を前に、霊夢は……埒が明かないと判断したのか、玲音へと一振りの刀を差し出した。
その刀の名は、白楼剣。迷いを祓い、『道を選び取る』ための一振りである。
「指先でも何でもちょっとそれで切れば、迷いも晴れるでしょ」
「……効くの、それ?」
「今のあんたには効くと思う」
受け取った玲音は、鞘から刀を抜く。「……けっこう、重いんだね」凶器の重さに目を瞬いた後、指の腹を刃先へと──。
「……お願いがある」
──近づけたかと思ったら、刀を持ち直して……持ち手を、霊夢へと差し出した。
「それで、私の胸を貫いて欲しい」
「は?」
「殺してほしいわけじゃないし、それでは私は死なない……ただ、そう、私も、試したくなった」
「……何を?」
「まだ生きろと、存在していて欲しいと……想われているのかを」
尋ねれば、玲音は……初めて、まっすぐ霊夢を見つめながら答えた。その瞳には、僅かな期待と……今にも枯れ落ちそうな、そんな気配が滲んでいた。
「痛くてもいい。苦しくてもいい。切っ掛けが欲しい……情けないと思うけど、そうしないと、私はもう何処へも行けない」
「……経験談を語らせてもらうけど、無茶苦茶痛いわよ、シャレにならないぐらいに、冗談抜きで意識が飛ぶぐらいの激痛だけど……いいのね?」
……最後の問い掛けに対し、玲音は……静かに、頷いた。
ならば……もう、何も言うまい。
そう、決断した霊夢は、刀を構える。素人である霊夢だが、この距離だ……ゆるやかに、玲音が目を閉じて覚悟を固めたのを見やった霊夢は──一息に、飛び出すと。
──玲音の胸を、白楼剣が貫いた。
瞬間、玲音の目が大きく見開かれる。血は、出ない。けれども、霊夢は感じ取る。人を刺し貫く、その感触と……玲音を通して伝わる、人々の集合的無意識が生み出す……莫大な力を。
──その時、光が放たれる。
それは、玲音から始まったのか、それともこの領域全体から広がったのかは定かではない。ただ、目を瞑っても眩しさすら覚える程の光が視界の全てを包み込み、瞬く間に霊夢の全てを光の中へと誘ってゆく。
と、同時に、流れ込んでくる。人々の無意識……いや、違う。これは、玲音の記憶だ。
玲音だけが認識し、霊夢もこの領域に足を踏み入れる直前にしか認識出来なかった、ここではない何処かの記憶。
数多の世界線の、けして触れ合うことのない、今とは異なる道を辿り、あるいは、辿るであろう世界の記憶。
それは、数多の玲音の記憶。数多の世界線の記憶。過去も、未来も、縦も、横も、手前も、奥も、全てにおいて存在している玲音たちの記憶。
霊夢が諦めた世界が有った。玲音が諦めた世界が有った。今もなお幻想郷が続いている世界も有った。友達と笑い合い、姉と並んで大学に通う玲音の世界も有った。
『……ありす』
その中で、ポツリと零したのは、どの世界線の……どの玲音のモノだったのかは、定かではないけれども。
ただ……その名が聞こえて来た、その時。
『ごめんね、何時も、心配ばかり掛けて……』
霊夢は、感じた。玲音の……数多の玲音たちが零した涙と……誰かに、友達に懺悔する、玲音の言葉を。
──。
──。
────そして、世界は再び作り変えられた。
幻想郷は、全てを受け入れる
それはそれは残酷な話なのかもしれないけれど
そういうのは後になって考えろと
光の中で、呑気な巫女はつぶやいた