Serial experiments □□□ ー東方偏在無ー 作:葛城
何処へ行っても聞こえていたウグイスの鳴き声が弱まり始めて、早ひと月。梅雨に差し掛かるとまではいかない5月中旬の、とある夜。妖怪の山の中にある守矢神社にて、幾人かの人間と、幾人かの妖怪と、幾人かの神々が集められていた。
その顔ぶれは、一言でいえば大御所たちが勢ぞろい。集まった者の大半が美女であったり美少女であったりするものの、知る者が見れば腰を抜かすか言葉を失くして震えるであろうぐらいの、そうそうたる顔ぶれであった。
場を提供した守矢神社の顔を務める、祭神の八坂神奈子(やさか・かなこ)と、同じく祭神を務めている洩矢諏訪子(もりや・すわこ)の二柱が。
悪魔が住まう館として人々から怖れられている紅魔館からは、当主である吸血鬼のレミリア・スカーレットと、人間の従者である十六夜咲夜(いざよい・さくや)の二人が。
妖怪でありながらも仏門に着得し修行を重ねた者たちが集う、妖怪寺とも呼ばれることのある命蓮寺(みょうれんじ)からは、住職である聖白蓮(ひじり・びゃくれん)。その傍には、修行僧である雲居一輪(くもい・いちりん)が。
幻想郷より隔てた境界の彼方にある冥界の中にあるとされる白玉楼(要は、冥界にある御屋敷)からは、西行寺幽々子(さいぎょうじ・ゆゆこ)と、その従者的な立ち位置である魂魄妖夢(こんぱく・ようむ)が。
半人半妖でありながら人々と共に暮らし、人々の側に立って、人里の中で暮らしている上白沢慧音(かみしらさわ・けいね)と、その友人である不老不死の、紅の自警隊、藤原妹紅(ふじわら・もこう)の二人が。
地底深くより封印され、人々の記憶からは忘れ去られながらも未だに強い影響力を持つ、種族『鬼』の星熊勇儀(ほしぐま・ゆうぎ)と、そこで管理人的な立場にある古明地(こめいじ)さとりの二人が。
妖怪の山からは、山の現トップである天狗の天魔(てんま)と、幹部連中である、大天狗と呼ばれている重鎮たちが数人ほど。その後ろに、ひっそりと新聞屋を営んでいる鴉天狗の射命丸文(しゃめいまる・あや)と、二つ名のある妖怪たちが十名。
陣営的な分類上では『その他』に該当する魔理沙と、その友人である魔法使いのアリス・マーガトロイドの二人。その傍には、星熊勇儀とも親交のある、種族『鬼』の息吹萃香(いぶき・すいか)が。
そして、特定の勢力には属さないものの、相当の実力を有しつつも二つ名を持つ様々な妖怪が、二十名。総勢、50名近くに及ぶ強者たちが、一つの部屋に集められていた。
ちなみに……妖怪の山とは文字通り、妖怪たちが住まう山のことである。山とはいっても小高い山が一つあるわけではない。幾つか連なった山全体がまとめてそう呼ばれているのであり、その広さは意外と広い。
そこには、他の場所とは違い、様々な妖怪(魑魅魍魎を含めた)が共存し、あるいは協力関係を結んで生活している。幻想郷内にて存在する勢力の中では最も強大な勢力とされており、この場において多数を引き連れているのも、それが理由であった。
そして、守矢神社とは、その妖怪の山の中にある神社である。本来、神社の中に妖怪を集めるのはあまり宜しくはない。参拝客である人間に対して、あまり良い印象を抱かれなくなるからなのだが……この時ばかりは少し様子が違った。
まず、場の空気が少しばかり緊張していた。一見するばかりでは美女に美少女ばかりが集まるそこは華やかな光景ではあるが、漂う雰囲気が違う。それは、人と妖と神とがテーブルを挟んで一堂に会したから……だけが理由ではなかった。
「おい、そこの小娘!」
ひそひそと、各陣営内より伝わって来る囁き声。耳を澄ませば辛うじて聞こえるであろう、その中で……声を荒げたのは、山の妖怪の重鎮(見た目は老人)である、大天狗の一人であった。
「――はい?」
各陣営にお茶を配るなどの給仕をしていた早苗は、何でしょうかと振り返った。早苗は、守矢神社の巫女(正確には、少し違うのだが)という立場にあるので、こういう仕事も彼女の役割であった。
「何時になったらスキマのやつは来るのだ! 火急の用だからと参じてみれば、この始末……我らを愚弄する気か!」
「さあ、私共は場所を貸しているだけですので、そこらへんは何とも。式の藍さんにでも聞いてみればいいんじゃないですかね?」
式とは、式神のこと。紫に使役されている、九尾の狐妖怪のことである。
「――ならば、その式を連れて来い!」
「ご自分で探してください。私はお茶と名簿の照会で忙しいんですから」
そう告げると、早苗はさっさと背中を向けてその場を離れて行った。「こ、この人間如きが!」それを見て、諸々の不満を溜めていた大天狗は激昂し、鼻息荒く腰を上げた――が。
「――静まれ」
その足が、早苗へと向かうことはなかった。その前に、天狗たちの長である天魔が、ぱん、と己の膝を叩く。麗しい顔立ちから放たれたとは思えない、冷たくも静かな怒声でもってその足を止めたからだった。
普段、天魔は声を荒げることはしないし、怒りを見せることなど50年近く前のことだ。それ故に、天魔の逆鱗に触れかけていることを察した大天狗の顔は真っ青で、「は、ははぁ!」冷や汗を顔中に貼り付けたままその場に腰を戻し、頭を下げたのであった。
「己の一割も生きておらぬ娘子に、何とまあ……我の顔に泥を塗る気か?」
「め、滅相もございません!」
「ならば、お前はもう喋るな。出なければ、我自らお前の喉を抉り取ってやろうぞ」
「…………っ!」
大天狗の顔は、青を通り越して白くなっていた。無理もないことだ。大天狗自身、並の天狗とは比べ物にならないぐらいに強いが、相手は天狗全てを束ねる天魔だ。
その力は大天狗全員が挑んでも勝てるかどうかの相手であり、直接怒気を当てられたわけでもないのに、周囲の天狗が冷や汗を流して硬直するぐらいのものであった。
しばし憤怒の眼差しを向けていた天魔は、すっかり縮こまって震えている大天狗を見やっていた。次いで、深々とため息を零すと、崩していた居住まいを正し、「部下が、失礼をした」神奈子と諏訪子へと頭を下げた。それを見て、二柱はようやく、肩の力を抜いた。
「いや、あれは早苗も悪いよ。すまないね、後で言い聞かせておくから」「だーから言ったじゃん。神奈子が甘やかすからあんなふうになっちゃうんだよ」「阿呆、そういう諏訪子だって似たようなもんでしょ」「私はまだマシだよ、神奈子は早苗に何かあると融通が利かないから困ったもんだよ」「お前だって似たようなもんだろうが」
あーだ、こーだ、そーだ、どーだ。どちらが早苗に厳しくしているかと言い合う二柱の口喧嘩が始まったのを前にして。
「……孫に甘いのは、神々も一緒か」
ポツリと零した天魔の言葉が切っ掛けか、あるいはにわかに騒がしくなる二柱がきっかけか。ピリピリと張り詰めていた場の空気が、至る所から零れた笑い声によって少しばかり緩んだ。
とはいえ、大天狗のやったことは大人げないが、この大天狗が痺れを切らしたのも無理のないことであった。何せ、緊急案件であると八雲紫から各陣営に通達があり、この場に集まる日程が決まったのは、つい昨日のこと。
他所は他所という考えを地で行く妖怪たちにとって、手土産や挨拶なしで呼び出すのは大変失礼である。加えて、かれこれ数時間も顔一つ見せることなく待たされれば、この大天狗でなくとも怒りを見せるのは当然の話であった。
「――しかし、天狗の言い分も一理ある。実際の所、この場でスキマから事の詳細を聞いている者はいるのか?」
だから、だろうか。緩んだ空気によって気も緩んだのか、誰にいうでもないそんな問いかけが、室内に広がった。ちなみに、声の主はレミリアであった。
ざわざわと、雑談が始まる。その半分はスキマに対する愚痴であったが、もう半分は、わざわざこうまで大事にしてまで呼びつける、その理由に関してであった。
というのも、幻想郷においては原則、各陣営で起こった揉め事は、内輪にて解決することとなっている。度が過ぎれば調停者でもある博麗の巫女が出てくるが、基本的には他の勢力に首を突っ込むのはよろしくないとされているのだ。
つまり、紅魔館にて揉め事が起これば紅魔館陣営が自ら解決し、天狗たちの間で揉め事が起これば天狗たちの間で解決し、人里で揉め事が起これば人間たちの間で解決する、ということになっている
なので、此度の緊急招集をこの原則に当てはめて考えれば、だ。少なくとも、紫が静観していられないレベルの異変が発生した、ということになる。しかし、だからこそレミリアを含めた各陣営は首を傾げることとなった。
何故なら、今代の博麗の巫女である、博麗霊夢がこの場にいないからだ。
博麗の巫女が出て来る(仕事依頼として出てくる場合は別として)のは、その影響が他の勢力、他の地域にまで及ぶ場合に限る。言うなれば、それらの事態になると博麗の巫女は必ず動く。
此度のように著名な実力者が勢揃いさせる程の事態ともなれば、まず間違いなく博麗の巫女は動く……いや、動いているはずだ。なのに、レミリアを始めとした各陣営は、そのことをまるで把握出来ていない。
レミリアを始めとした各陣営が最も不可解に思っている点が、そこである。
程度の差こそあれど、各々の陣営は他の陣営に対してある程度の監視なり何なりは行っている。その過程で、必然的に彼ら彼女らは幻想郷全体の様子も把握していたつもりであった。
なのに、誰も気づいていなかった。守矢神社も、紅魔館も、命蓮寺も、人里も、地底の者たちも、妖怪の山も……紫に召集が掛けられるその時まで、誰も異変に気付かなかった。
その事実だけで、この場に集まった誰もの心に警戒心を抱かせるには十分である。それすなわち、此度の相手は……この場にいる全員の目を誤魔化すことが出来るだけの相手であることを表しているからだ。
「……霧雨魔理沙、お前は何を知っている?」
雑談はざわめきへと変わり、ざわめきが喧騒へと変わり始めようとした、その時。一瞬ばかり生まれた静寂の隙を縫うように放たれたレミリアの視線が……テーブルの隅にて肩身を狭そうにしている魔理沙へと向けられた。
必然的に、その場にいるほとんどの者たちの視線がそこへと集まる。大半の視線はそうでもないが、妖怪側……特に、大天狗たちの視線は鋭かった。天魔の手前、視線で鬱憤を……ということなのだろう。
それ故に視線に込められた圧力は相当なもので、様々な妖怪に慣れている魔理沙ですら、思わず肩をびくつかせたぐらいであった。庇うように、隣に座っていたアリスが腕で視線を遮らなければ、まともに顔一つ上げられなかっただろう……それ程の重圧であった。
「レミリア・スカーレット。この場においての不用意な発言には注意して。魔理沙が精神的にまいっているのは、顔を合わせた時から分かっていたでしょう?」
アリスの言い分は、最もであった。魔理沙との親交が無い者たちには分からなかったが、有る者ならば一目で分かってしまうぐらいに、魔理沙の様子はおかしかった。
一言でいえば、夕方ごろにここに来てからずっと大人しかったのだ。普段の魔理沙なら睨まれれば舌を出すぐらいのことをやってのける胆力を見せるが、今日の魔理沙は……ただただ俯いて静かにしているばかりであった。当然、レミリアもそのことには気づいていた。
「……そうだな、すまない。不躾かつ卑怯な行いだった。後で適当なワインを持って行こう」
だから、レミリアもアリスの言い分を素直に聞き入れ、謝罪した。けれども、そこで話を終わらせるつもりはないようだ。次にレミリアの視線が向いたのは、紫との親交がある西行寺幽々子であった……が。
「――失礼する。各々方、夜分遅くまで大変長らくお待たせして申し訳ない。準備が整ったので、これから会議を始めます」
レミリアが次の言葉を発するよりも前に、紫の式である八雲藍(やくも・らん)が広間に入って来た。途端、「――何時まで待たせるのだ!」大天狗の一部から怒声が飛び出したが、当の藍は気にした様子もなく、上座の位置にて腰を下ろした。
「本来、この席には主である紫様が座るべきなのだが、生憎と紫様は今手が離せない。故に、紫様が来るまでは私が代理となって会議を進行してゆくが、異論がある者はいるか?」
藍の言葉に、一同は誰も異を唱えはしなかった。大天狗の幾人かと、山に属する名のある妖怪は不満そうに顔を顰めていたが、天魔の威光もあるのだろう。表だって何かを言おうとする者はいなかった。
「……よし。では、早速だが本題に入る。既に察している者もいると思うが、今回集まったのは他でもない。紫様ですら手に余る異変が起ころうとしているので、その対処の協力を要請する為だ」
広間に集まっている各々の顔を順々に見やった藍がそう告げると、ざわりと場の空気が変わった。それは主に大天狗たちの間からではあったが、誰もが大なり小なり反応を見せていた。
「……っ」
「魔理沙、大丈夫。少し落ち着きなさい」
「……アリス」
その中でも、最も反応を露わにしたのは魔理沙であった。強張った顔で、不安そうに室内を見回している。それは誰かを探しているようで、自然と傍にいるアリスが宥めるようにその肩を抱いた……と。
「一つ、いいかい?」
喧騒渦巻く広間にて、その声は意外なほどに良く響いた。誰もがその声の持ち主へと目をやり、目を見開く。「――何でしょうか、伊吹様」それは、進行役を務める藍とて例外ではなかった。
「おいおい、そう面食らった顔をすることはないだろう?」
「あなたが最初に質問してくるとは思いませんでしたので」
失礼な言い分だが、伊吹萃香という気分屋の呑兵衛を知る者からすれば、当然の言い分である。
「それで、何でしょうか?」
「いや、なに。これまでにない規模の異変が起こるのは分かったけど、わざわざ私たちを集めた理由を知りたくてね」
「と、仰いますと?」
「協力の要請なら、手紙なり何なりで済むでしょ。頭の固い天狗やらを集めたり、地底の妖怪まで引っ張って来たり、ずいぶんと大事にしている……その意図は?」
「有り体にいえば、牽制と忠告です。この異変に乗じて勢力を拡大しようとする者が、現れないとも限りませんのでね」
隠す必要はない。そう言外に滲ませた藍の言葉に、幾人かの妖怪は眉根をしかめた。どういう意味だと唱える彼ら彼女らの反応に、「言葉の通りです」藍は顔色一つ変えずに言い切った。
「この際ですので言いますが、此度訪れるかもしれない異変に関して、紫様は本気です。如何なる理由があろうと、そういった邪魔立てをすれば紫様は全力を持って排除に動きます。まず、そのことを肝に銘じておいてください」
排除……その言葉に、動揺を露わにする妖怪は少なくなかった。何故なら、幻想郷の管理者でもある紫は、これまでパワーバランスの崩壊からくる秩序崩壊を危惧し、そういう手段を取ることをあまりしなかったからだ。
それを、代理人であるとはいえ八雲の名を冠する藍が明言したのだ。
紫の敵は、幻想郷においての敵。なるほど、牽制と忠告。いくらこの場にいる者たちが実力者であるとはいえ、これを無視して野心を露わにする者はこの場にはいなかった。
「協力すること事態はやぶさかではないけど、いったいどう協力したらいいんだい? 正直、何をしてほしいのかさっぱり見当が付かないんだ」
萃香の疑問は、この場にいる誰しもの疑問でもあった。そして、藍も、その質問が来るのを予見していたのだろう。
さすがにそこまで話しても良いのかと藍は視線をさ迷わせていたが、全員の視線が向けられていることに気づき……それは、と唇を開いた……その時であった。
「――藍、そこから先は私が話しますわ」
僅かに途切れた緊張感の隙間を突くかのようなタイミングで、するりと紫が広間に入って来た。「紫様、よろしいので?」主の為に席を開ける藍に、「怒られましたから」紫はおもむろにそこへ腰を下ろし……さて、と改めて居住まいを正した。
「不審に思う各々方の気持ちは存じておりますが、まずは要請内容を述べます。今後、どこでも構いません。この者を見かけた、その時点でこの者を拿捕してください」
そう言い終えた直後、各陣営のトップの頭上にスキマが開かれる。中から落ちてきたのは、一枚の写真。写真に写っているのは見慣れない恰好をした少女であり、手に取った誰もが、これは誰だと首を傾げていた。
……ただ一人、真っ青な顔色の魔理沙を除いて。
その様子に気づいた者は、いた。アリスを始めとした、各陣営のトップたちだ。しかし、誰もがあえてその事には触れず、不思議そうに首を傾げる大半の者たちに合わせて、これは何だと紫に尋ねた。
「確証はありませんが、今後起こるかもしれない異変に関わっているかもしれない重要人物です」
「ふむ……先ほどから『かもしれない』という言葉が多いし、曖昧な言い回しだな。八雲紫、この子の何が、あなたをそこまで警戒させるのだ?」
人里代表的な立ち位置でもある慧音からの言葉に、「この事は他言無用でございます」紫はそう忠告し、理由を述べた。
「ひと月ほど前になりますが、今代の博麗の巫女、博麗霊夢がその者の手によって重傷を負いました」
――その直後に起こった喧騒は……まあ、人里でやっていれば苦情が10や20は来るであろう騒がしさであった。