Serial experiments □□□  ー東方偏在無ー   作:葛城

3 / 17
春の章:その2

 

 

 夜は深まり、時刻は22時30分を回った辺り。消毒液の臭いが香る、博麗神社。人里からも妖怪の山からも離れたその神社の自室にて、霊夢は静かに布団の中で横になっていた。

 

 特注ランプ(通常のよりも、3倍近く明るい)の明かりが室内を照らし、霊夢の身体をも緩やかに照らす。傍には、カルテにさらさらと鉛筆を走らせる永琳と、点滴の状態を確認している鈴仙の姿があった。

 

「……ねえ、そこまで大げさにしなくても――」

「何度言っても駄目です。霊夢は自分の身体を過信し過ぎだってば」

 

 ぼんやりと天井と己の腕に伸びる点滴を眺めていた霊夢は、ふと、鈴仙を見やった。しかし、最後まで言い切る前に、鈴仙に駄目だしされてしまった。

 

「心臓に穴が開いてから、ひと月。目が覚めてから、9日。失血死寸前の量の血を流したってことを、少しは自覚しなさい」

「それは分かっているわよ。だから、こうして大人しくまっずい病院食と点滴を受けているんでしょうが」

「大人しくするのは当然でしょ。あんた、怪我する前と比べて体重が7kgも落ちているのよ。分かっているの、7kgよ、7kg!」

 

 鈴仙の怒りは最もであった。元々、霊夢の体重は同年代と比べても軽く、痩せ気味だ。そんな状態で7kgも体重が落ちれば、医学を学んでいる鈴仙でなくとも怒って当然であった。

 

 実際、体重の変化は霊夢の見た目にも表れていた。肌のかさつきこそ無いものの、頬は窪み、手足も前より細い。以前の姿を知っている者が見れば、思わず面食らうぐらいの状態が、今の霊夢であった。

 

「7kgなんてすぐでしょ。そんなのちょっと腹いっぱい食べれば元に戻るわよ」

 

 けれども、あーいえば、こーいう。言葉にすれば正しくという他あるまい霊夢の態度に、鈴仙はむうっと頬を膨らませた。そのまま、膨らんだ頬を永琳に向け……やれやれ、と永琳は苦笑して霊夢を見やった。

 

「霊夢……そういう台詞は、少なくとも出された分を全部平らげてからいいなさいな。胃が受け受けなくて点滴に頼っているのは、何処の巫女さんかしら?」

「食べられないのは、まっずい病院食のせいよ」

「そうは言っても、スキマ妖怪が用意した料理もほとんど受け付けずに吐いたでしょう。アレ、使っている材料の値段だけで、外の世界では七日は食べていける高級品ばかりよ」

「げ、マジで? それなら意地でも腹の中に納めとくべきだったわ」

「そうね、ゼリーは何とか食べているようだから、やり過ぎない程度には頑張りなさい。吐き出さないようにあなたが必死に堪えていたのは、スキマのやつも分かっているから」

 

 そう言い終えると、永琳は鉛筆を置いてから改めてカルテを見やる。「兎にも角にも、せめて体重をあと2kgは戻さないとね」漏れがないことを確認した永琳は、傍に置かれた薬箱から折り畳められた薬包紙を三日分取り出した。

 

 薬包紙の中身は、吐き気止めに咳止め、抗炎症薬に抗ウイルスといった具合の……まあ、抗生物質を配合した総合薬である。免疫機能が弱まっている今の霊夢には、欠かせない薬であった。

 

 とりあえず、ゼリーが腹に残っている内に一つ飲んでおきなさい。永琳にそう言われた霊夢は、鈴仙の手を借りて身体を起こす。只でさえ小柄な身体が、さらに小柄になっていることに、鈴仙は軽く目を細めた。

 

「……ねえ、霊夢」

「輸血はしないわよ」

 

 最後まで、霊夢は言わせなかった。

 

「前にも話したでしょ。一時的とはいえ、他者の血を入れてしまうと霊力が落ちるのよ。元に戻るまで最低半年は掛かるなんて、選択の余地はないわ」

「でも……」

「大丈夫よ。私の食い意地、あんたも知らないわけじゃないでしょ」

 

 そう言われたら、鈴仙は何も言わなかった。生死の縁より戻ってきたとはいえ、消耗が酷い。それも、当然だ。いくら永琳の腕前が良いとはいえ、常人なら即死している傷……生きているのは、単に幸運と霊夢自身のおかげである。

 

 人間に限った話ではないが、太るにしろ痩せるにしろ極端に振り切ってしまうと、それを中央に戻すには時間が掛かる。特に、失った血を補充する為に体内の脂肪等を根こそぎ解体されてしまった霊夢は、それが顕著であった。

 

 

 

 

 

 ……。

 

 ……。

 

 …………そうして、水に溶かした薬液を何度かに分けて飲み干した霊夢は、再び鈴仙の手を借りて布団の中に戻る。大きく息を付いてから点滴を見やった霊夢は、再び大きなため息を吐いた。まだ、薬液がたっぷり入っている。

 

 液が落ち切るまでだいたい30分程だが、正直退屈だ。いや、別にこうして寝ていること事態は平気なのだが、寝ていることを強制されるというのが、霊夢にとっては堪らなく窮屈であった。

 

(――いっそのこと、何か起きないかしら。こうも静かにしていると、身体が鈍って仕方がないわよ)

 

 永琳や鈴仙が聞けば呆れるか怒りそうなことを考えつつも、霊夢は諦めて目を瞑る。まあ、何か起こったとしても、この身体ではまともに動けない。永琳の言う通り、あと2kgは体重を戻してからかなと、霊夢は無理やり己を納得させた……と。

 

 どたどたと、廊下を走る音が霊夢の耳に届いた。

 

 夜の静けさに、その足音はよく響く。何だ何だと顔をあげる永琳たちを他所に、(何だか面倒な予感がする……)まなじりを吊り上げた霊夢は、近づいてくる足音へと目を向け……止まると同時に、襖が勢いよく開かれた。

 

 そこに立っていたのは、魔理沙であった。

 

 よほど、急いできたのだろう。トレードマークの三角帽子はなく、露わになった金髪は猫に遊ばれた毛玉のようになっている。外から見える素肌全てに汗を煌めかせた彼女は、はあはあと荒い息をそのままに霊夢を見やった、その直後……カーッと鼻の頭を赤くし、ぽろぽろと大粒の涙を零し始めた。

 

 これには、永琳たちだけでなく霊夢もギョッと目を見開いた。けれども、魔理沙はその事に気付いた様子もなく、崩れ落ちる様にその場に尻餅を付いて、女の子座りになる。そして、嗚咽を零し始めたかと思えば、それは瞬く間に号泣へと変わった。

 

「ええ……」

 

 面食らう、とは、このことを言うのだろう。突然の出来事に混乱する霊夢と鈴仙ではあったが、分からないのはこの二人だけだったようだ。「……あ、なるほど」永琳は納得したかのように肩の力を抜くと、魔理沙の後から付いて来ていた……紫たちを見やった。

 

「もしかして、公表したの?」

「そうよ。まあ、何時までも隠し通せるものじゃないしね」

「確かに。でも、魔理沙には話した方が良かったんじゃないの?」

「ひねくれているけど、この子は根が素直だもの。隠すなら徹底的にしないと」

 

 簡潔に会話を行う二人を他所に、その後ろからアリスがひょっこり顔を覗かせた。「魔理沙、こんなところでは邪魔になるでしょ」泣いている魔理沙を見て、その手を引っ張るが……動かない。こりゃあしばらく無理だと諦めたアリスは、箒を壁に立て掛けると、霊夢の傍にそっと腰を下ろした。

 

「お久しぶりね、霊夢。紫からだいたいの事情は聞いたわ。守矢の巫女や、メイド長、半人半霊のやつは、後日改めてお見舞いに来るそうよ」

「わざわざ来なくていいのに、暇を持て余しているやつは多いのね」

「それが幻想郷よ。見舞いを受けられるだけ恵まれているんだから、文句は言わないの」

「分かっているわよ、それぐらい。ああ、そうそう、帰るついでに、そこで泣いている黒いのを持って行ってくれると助かるのだけれども」

「泣かせてやりなさい。話を聞く限り、ひと月近くあなたの安否が気になって気になって仕方なかったんでしょ。怒らないだけ、可愛げがあるじゃないの」

 

 それを言われると、霊夢は何も言えなかった。それを見て、アリスは苦笑した。

 

「魔理沙の様子からだいたいは察したけど、少しぐらいは話していた方が良かったんじゃないの?」

「文句ならそこの美人な女医にでも言いなさい。面会謝絶に情報封鎖を行ったのは、そこの二人。私は一切関与していないわよ」

「お馬鹿。それでも、あなたの口から伝えるのが重要なのよ。人伝で大丈夫だからなんて言われて、誰が納得するのよ」

 

 それも言われると、霊夢はますます何も言えなかった。こいつも大概なやつだとアリスは苦笑の奥に思ったが、あえてそれを表には出さなかった。

 

「まあ、泣きつかれて寝ちゃったら私の家に泊めるから、好きに泣かせてやりなさいな」

「手間が省けて色々と楽だわね。見ての通り、私はこんなんだから、しばらくは魔理沙の面倒を見てやってちょうだい」

「構わないわよ。調子に乗っている時は果てしなく鬱陶しいけど、しおらしくしている間は可愛らしいから……で、お加減はどう?」

「まっずい病院食に苦い薬に退屈な点滴。この三つのおかげで、しぶとく生き延びさせてもらっているわ」

 

 あんまりな言い回しに、あんたねえ、とアリスは再び苦笑する。しかし、目ざとく「『美人な女医』が抜けているわよ、骸骨ちゃん」と永琳から訂正の言葉が飛んできた辺り、どっちもどっちかとアリスはさらに苦笑を深め……不意に表情を引き締めると、紫たちへと振り返った。

 

「八雲紫……例のやつ、調べ終えたわよ」

「あら――思ったより早かったわね」

「事が、事だもの。さすがに最優先にするわよ」

 

 雑談を切り上げた二人が、横になっている霊夢を挟む形でアリスの対面に腰を下ろす。その永琳の後ろにて、鈴仙が来る。しばし、まだ泣きじゃくっている魔理沙が気になるようではあったが、永琳に促された彼女は……そこで、腰を下ろした。

 

 それを見て、アリスの手が動く。一拍遅れて姿を見せたのは、30cm程度の人形が二体。ビニールに納められた赤黒い布を掴むその二体は、アリスの指の動きに合わせて、緩やかな動きでそれを紫に手渡した。

 

 赤黒い布の正体は、霊夢が負傷した時に来ていた巫女服である。本来は赤と白の色合いが鮮やかな代物なのだが、付着した血液が酸化しているのだろう。見ていて、あまり気持ちの良い状態ではなかった。

 

 どうして、アリスがそんな物を持っているのか。それは、紫より『どのような過程を経てそうなったのか』という、言ってしまえば服から相手の思惑を調査してほしいという依頼が理由であった。

 

 何故……アリスにそんなことを頼んだのか。それは単に、此度の事件の全貌がほとんど分かっていないうえに、被害者が博麗霊夢であったからだ。

 

 アリスの本職(という言い方には語弊があるものの)は魔法使いであり、人形作りだ。その過程で裁縫関係の造形も深い。しかし、専門というわけではなく、それを専門にしている者は人里にも大勢いる。

 

 しかし、人の目と耳はどこにあるかは分からない。加えて、首謀者の目と耳も。博麗の巫女が負傷している事実を隠ぺいし、かつ、どの陣営にも属していない者となると、アリスが選ばれるのは当然の結果であったのかもしれない。

 

「結論から言えば、『高温状態に保たれた、切れ味の良い刃物で一直線』に……それも、相当な威力を持って、といったところかしら」

「熱せられた刃物?」

「ええ、胸側の衣服の断面が焦げているわ。それと、これが冬服だったのが幸いね。通常よりも生地が分厚く頑丈だから、皮膚が焼ける前にそっちに熱気が取られたみたいよ」

「え、冬服? この時期に?」

 

 紫から向けられる胡乱げな視線を前に、「いや、さすがにこんな時期に着ないわよ。何かの勘違いじゃないの?」霊夢は首を横に振って否定した。

 

「そうはいっても、生地の厚さからみて春服ではないでしょ。それに、衣服には防寒用の魔法文字(マジックスペル)が使用されていたから、春に使うにはかなり暑いと思うわよ」

「……霊夢? 私、前にも言いましたわよね。女の子なのだから横着せず、季節に応じて服は入れ替え、節度を保つようにとあれほど……」

「だから、知らないわよ。私はちゃんと春用のやつにしたってば。それか、その時は間違えて冬用を着ていたってことでしょ。それに、そのおかげでちょっとは傷が浅くなったかもしれないじゃないの」

 

 ……そう、霊夢から言われれば、紫も二の句は告げない。言い訳ばかり上手くなってと呟きながら目を細める紫を他所に、アリスはさっさと本題に話を進める。

 

「破損した部位を含めて繊維の状態を粗方調べてみたけど、断面図から推測する限りでは包丁やナイフではなく、霊夢の身体を貫いたのは『刀』か、それに近い形状のものだと思うわ」

「――それについては私も同意見よ。じっくり調べたところ、入口と出口の傷口の形状がほぼ一致。少なくとも刃渡りは最低50センチ以上、形状は緩やかな湾曲か、あるいは直線。該当する形状の刃物といえば、ここでは刀ぐらいしか思いつかないわね」

 

 アリスの報告を補足するように、永琳が口を挟んだ。「ついでに、もう一つ気になる点が見つかったわ」加えて、永琳は鈴仙より受け取ったカルテをパラパラと捲り、「あっ、ここだわ」手を止めた。

 

「その熱せられた凶器なんだけど、おそらく熱くなっているのは根元の辺りだけ。推測する限りでは、熱が先端まで伝達する前に使用された……と、いったところかしら」

 

 普通に考えれば、そういった能力を持つ者が衝動的に行った……と、捉えるところだろう。しかし、この場にいる誰もが、素直にそれが正解であるとは思わず、一様に頭を悩ませ唸った。

 

 何故なら、誰もが下手人の姿を見ていないのだ。あの場にいたのは、霊夢自身を含めて、幻想郷内においては名の知られた者ばかり。その中で、特に紫の目を掻い潜ってとなれば……正直、検討すら思いつかない。

 

 ……そう、考えてみれば、此度の凶行には不可解な点が多過ぎる。ふと、この場にいる誰もが、同じことを思った。

 

 霊夢襲撃もそうだが、紫の目を掻い潜って行える程の実力者なら、どうしてあの時首を刎ねなかったのか。加えて、こうして霊夢が生きているということは、下手人(首謀者)も分かっているはずだ。

 

 ならば、仕留めに掛かるはずだ。わざわざ幻想郷の要である霊夢を襲ったぐらいなのだ。しくじったと分かれば、警備が整う前に追撃を行うのは当然……なのに、それが一度として成されていない。

 

 目的が、全く読めない。ただの愉快犯にしては大胆不敵だし、計画されたものならお粗末過ぎる。何一つ噛み合わないパズルのピースばかりが降り積もってゆく感覚に、しばし霊夢たちは何もいえないまま沈黙に身を浸した。

 

 

 

 

 

 ……。

 

 ……。

 

 …………しかし、その沈黙は長く続かなかった。何故なら、「――ちょいと邪魔するよ」という言葉と共に、額に角を生やした……星熊勇儀が、了承も取らずに縁側から神社の中へ上がって来たからだった。

 

 星熊勇儀……それは、忌まわしき者として地底深くへと封印された者たちの中でも別格的存在である『鬼』の中の別格。並の妖怪が束になっても歩み一つ止められない程の力を持つ、強力な妖怪である。

 

 そんな妖怪の登場に、霊夢たちは思わず目を瞬かせた。勇儀は、『鬼』の中でも比較的だが話が分かる。霊夢たちとも、まあまあな顔見知りだ。しかし、こうして夜分遅くに押しかけてくるような間柄でもなく、そういう性分でもない。

 

 だから、必然的に勇儀へと向けられる視線は、何故、の二文字であった。排他的な視線というわけではない。ただ、純粋に何をしに来たのかという疑問が先に出ただけである。

 

 勇儀も、それは理解しているのだろう。向けられる視線を特に気にした様子はなく、そっとその場から横に身を引いた。そうして露わになった先に佇んでいる者を見て、「えっ!?」今度こそ霊夢たちはギョッと目を見開いた。

 

「……ええ、分かっていますとも。あなた達が如何に驚いているのかなんて、心を読まなくとも分かりますとも」

 

 何故なら、そこに立っていたのは、淡紫色の髪を寝癖のようにぼさぼさにした妖怪の少女で。

 

「自分でもガラじゃないとは分かっていますが、まあ、辛抱してください。少々、気になることがあったので」

 

 その正体は、星熊勇儀とはまた別格的存在として、地底の妖怪たちからも畏怖されている妖怪。眠たげに眼を細めて他者の心を読み取る、覚り妖怪の古明地さとりであったからだ。

 

 霊夢たちが驚くのも無理はない。何故なら、古明地さとりといえば、他の妖怪(人を含めて)とはほとんど交流を取らず、地霊殿と呼ばれている屋敷に引き籠っていることで有名であるからだ。

 

 今回のように必要になれば出ては来るが、出て来るだけ。他の陣営と交流を図るようなことはせず、用が済めば誰よりも先に帰ってしまう。そんな妖怪が、わざわざ博麗神社にやってくる。驚くな、という方が無理な話であった。

 

 それ故の、驚愕の視線が注がれる。合わせて、淡紫色を基調とした洋服に身を包んだ彼女の胸元には、種族的特徴ともいえる、肉体より伸びる幾つもの管に繋がれた目玉が幾度となく瞬きを繰り返している。

 

 向けられる感情と言葉に呼応しているのか、それとも無自覚に蠕動する臓器と同じなのか。本人以外には誰も分からない感覚にしばし浸っていたさとりは、ふむ、と瞑り掛けていた目を開けた。

 

「心臓を刺し貫かれましたか。さすがは博麗の巫女、それで生きているとは、妖怪顔負けのしぶとさですね」

「……顔を合わせた途端、心を読むのは止めなさいよ」

「失礼、出会い頭の盗み聞きは覚り妖怪の本分でして――おや、起きなくてもいいですよ」

「あいにく、見下ろされたまま話されるのは嫌いなのよ」

 

 紫の手を借りて、霊夢は身体を起こす。それだけでも重労働だが、矜持の為だ。「これまた失礼、不作法でした」心を読んで察したさとりは軽く頭を下げると、霊夢の足元辺りで正座になった。ちなみに、勇儀は縁側に座って夜空を見上げていた。

 

「――で?」

「訪れた理由は二つ確認したいことがありまして。一つは……紫さんがあの場の全員に見せていただいた、あの写真についてです」

「……写真?」

 

 詳細を知らない霊夢が振り返れば、扇子で口元を隠した紫が写真を手渡してきた。何で顔を隠しているのかと霊夢は一瞬ばかり思ったが、ああ心を読ませないようにする為かと一人納得して、受け取った写真を見やる。

 

 そこに映し出されているのは、例の少女。霊夢が負傷する直前にて目撃した、画面の向こうの存在。魔理沙が持って来たDVDに記録されていた、ニット帽を被った、あの少女であった。

 

「その写真は、あなたに傷を負わせたかもしれない人物……で、間違いないんですよね?」

「まあ、そうなるわね。証拠はないけど、私はそう思っているわ」

「巫女の勘というやつですか――ああ、不快に思わないでください。私はただ、確認したいことがあるだけですので」

 

 確認……小首を傾げる霊夢たちを他所に、さとりの胸にて蠢く目玉が、ぶるりと震える。直後、見開かれた眼球から光が零れ……気づけば、さとりの隣にはニット帽を被った、写真の少女が立っていた。

 

 瞬間――紫が、庇うように霊夢を背後から抱き締めた。直後、腕部より刃が飛び出した二体の人形がアリスの頭上を飛び、永琳の構えた弓矢の照準が、さとりの眉間に向いていた。

 

 一触即発の空気に、ぱきん、と空気が張り詰める。目玉から放たれる光が淡く室内に灯り、外を見ていた勇儀がさとりを見やる。重圧すら生まれ始める緊張感の最中、鈴仙は部屋の隅に逃げて身体を震わせていた。

 

「――で?」

 

 その中で、霊夢だけは冷静であった。

 

「あんた、わざわざそんなしょうもないことをする為にここまで来たの?」

「……はあ。本当に、あなたという人は無駄に度胸があってつまらないですね」

「博麗の巫女をやっていれば、嫌でも度胸ぐらい付くわよ」

 

 いや、正確にいえば、さとりと霊夢の二人は、だ。そして、それが切っ掛けにもなった。破裂寸前にまで張り詰めていた緊張感は一瞬にして解れ、誰も彼もが脱力し、勇儀もため息と共にまた外を見やった。鈴仙は、いつの間にか泣泣き疲れて蹲ったまま寝ている魔理沙を盾に、小さく丸まっていた。

 

「見ての通り、これは霊夢さんの記憶の中にある写真の子を具現化したものです。記憶にあるこの子を再現しただけなので、自力で動くことはありません」

「ふーん、それで?」

「そのうえで、これを見てください。私を含めて、その写真を見た者の記憶を想起し、具現化させます」

 

 そう言い終えると同時に、再び目玉の光が激しくなる。一拍遅れて、ニット帽の少女の隣に、新たにニット帽の少女が姿を現す……はず、だったのだが、そうはならなかった。

 

 一言でいえば、モザイクだ。まるで、身体全部にモザイクが掛かったかのように、輪郭がはっきりとせず顔が分からない。瞳すら確認出来るぐらいに鮮明な霊夢の記憶にある少女とは違い、さとりたちの記憶から再現されたその少女は、何とも不出来な姿をしていた。

 

「……何これ? 失敗?」

「いえ、これで合っているわ。こうなってしまうのは、霊夢を除いた全員がこの少女の姿を上手く記憶出来ていないからよ」

「はあ? 記憶できていないって、そりゃあ写真をちらっと見たぐらいじゃあそんなものでしょ」

 

 意味が分からず首を傾げる霊夢に、「なら、試してみましょうか」さとりは率直に告げた。

 

「今から、想起したこの子たちを消す。いい、ニット帽の女の子よ。私は今、写真に写されたニット帽の子を想起した……覚えたわね?」

 

 言われて、霊夢が真っ先に頷いた。その後で、紫が、アリスが、永琳がと頷いてゆく。そうして、離れた所にいる鈴仙が辛うじて頷いたのを確認したさとりは、想起した二人を消す。そして、声に出して15秒数えた後……紫を見やった。

 

「では、紫さん。今しがた私が想起した女の子は、何に写っていた女の子ですか?」

「……ふざけているのかしら?」

「ふざけていません。お答えください、結果はすぐに出ますから」

 

 扇子の向こうにて一瞬ばかり苛立ちを見せた紫ではあったが、そうも強く言い切られれば、毒気も抜かれる。「……写真の女の子よ」意図が読めないながらも、紫は素直に質問に答えた。

 

「はい、正解です。では、続いての質問……その、写真の少女ですが」

 

 だが、しかし。

 

「帽子を被っていましたが、何の帽子を被っていましたか? 紫さん、お答えください」

「そんなの、決まっているでしょ。写真の子は……写真の……え?」

 

 答えられたのは、そこまでであった。驚愕に目を見開く紫の様子に、傍で見守っていた霊夢たちはどうしたのかと困惑に首を傾げる。そんな霊夢たちを他所に、さとりはそのままアリスと永琳に同じ質問を投げる。

 

「写真の……写真の女の子……え、写真の?」

「……なるほど。あなたの言いたいことは分かったわ」

 

 普通の記憶力なら、すぐに答えられるはずだ。しかし、二人とも答えられなかった。アリスは困惑に頭を抱え、何かに思い至った永琳はため息と共に納得した。そして、小さく首を横に振っている鈴仙を見やったさとりは、「これが、知りたかった」そう呟いて例の写真を懐より取り出した。

 

「どういう原理によってそうなっているのかは分かりませんが、この写真に写る女の子を私たちは記憶し続けることが出来ません。おそらく、他の者も同じでしょう……例外は、霊夢、あなただけ」

「……何が言いたいのよ」

「人も妖怪も神も、蓬莱人ですら記憶を操作されている。なのに、あなただけが映像に残されたこの少女の姿を正確に記憶している。言い換えれば……あなた以外に、この子を見つけ出すことは出来ないということです」

 

 だからこそ、気を付けて。そう、さとりは言葉を続ける。

 

「記憶出来ているとはいえ、あなたもおそらくは記憶の操作をされているわ。それがどの程度なのかは分からないけど、何かしらをされているのは分かる」

「――根拠は?」

「貴方の記憶の一部に、欠落が見られる。まるで、引き出しごと持ち出されたかのように、その部分が空白になっている――残念だけど、それは出来ないわ。どの部分の記憶が操作されているのかまでは、私にも分からないから」

「…………」

「紫さんの言う通り、未曽有の危機が起ころうとしているのかもしれません。微力ではありますが、必要となれば最優先で手を貸しましょう……では、私はこの辺で」

 

 来る時も一方的なら、去る時も一方的だ。困惑に言葉を失くす霊夢たちを尻目に、さとりはさっさと腰を上げて縁側へと向かう。

 

 少し遅れて、勇儀がのそのそとその後に……続こうとして、「――ああ、一つだけ言い忘れていました」不意に、さとりは振り返って。

 

 

 

 

 ――岩倉玲音(いわくら・れいん)

 

 

 

 

 その名前に聞き覚えはないか。そう、尋ねてきた。霊夢たちは互いに顔を見合わせた後……おもむろに、首を横に振った。誰も、その名に聞き覚えはなかった。

 

 しかし、直後に霊夢だけが、いや待てよ、と何かを思い出すように小首を傾げた。その場にいる者たちの視線を一身に浴びた霊夢は、しばし唸り声を出した後……ぽつりと、呟いた。

 

「知っているような、気がする」

「何処で、知りました?」

「分からないわ。何処かで聞いた覚えはあるんだけど……思い出せない。う~ん、どっかで耳にしたんだけどなあ……」

「……そう言われると、私も何だか聞き覚えがあるような……ないような……」

 

 うんうんと頭を振る霊夢の姿が、切っ掛けになったのか。不意に、アリスもそんなことを言い出した。

 

「……言われてみれば、聞き覚えがあるわね。でも、どこだったかしら……どこで聞いたのかしら……?」

「私も聞き覚えがあるわ。と、なると、おそらくこれも記憶操作の一環とみて間違いないわね」

 

 それは、アリスに限った話ではなく、不思議な事に。紫と永琳に加え、鈴仙……そして、勇儀までもが聞いた覚えがあると言い出した。

 

 誰もが利き覚えがあると口にした。だが、誰もが何処で聞いたのかが思い出せない。この場にいる誰もが、生活圏が異なるだけでなく、生活サイクルも異なっているのに、どうしてそうなるのだろうか。

 

「ん~、ん~、んんん~~~、あとちょっと、あと少しで思い出せそうなんだけど、思い出せない~っ!」

「れ、霊夢、もういいから落ち着きなさい。血が足りていないの、そのままだと貧血で倒れちゃうから止めて!」

 

 アリスたちの反応を聞いて、躍起になったのだろう。もしかしたら人生で最も力強く眉間に皺をよせているかもしれない霊夢を、紫が慌てて宥める。

 

 忘れられていそうだが、霊夢はまだ療養中だ。それも、生死の境から復帰してからひと月も経っていない。無理をさせて容態が急変したとしても、何ら不思議ではない状態なのだ。

 

「……夜も更けました。私たちは帰りますので、考え事は私たちが帰った後にしてください」

 

 その事に今更ながらに思い至ったさとりは、そういって軽く頭を下げると。

 

「焦ることはないですよ。何をするにしても、まずは身体を治すことを最優先にしてください。あまり考え込んでいますと、熱を出しますよ」

 

 では、さようなら。

 

 その言葉を残し、縁側を下りたさとりの身体が浮かび、夜空へと消える。「それじゃあ、私もこの辺で」その後を勇儀が続き、後には……静けさの中に残された、霊夢たちだけであった。

 

 

 

 

 

 ……。

 

 ……。

 

 …………その日の夜は、それが切っ掛けとなってお開きとなった。

 

 さとりの登場によって、場が白けた……というのは言い過ぎで、そういう空気ではなくなったというのは確かだが、お開きに至る最大の理由は、霊夢の体力的な問題、その一言に尽きた。

 

 考えてみれば、当たり前の話である。霊夢はまだ負傷してからひと月ほどしか経っていない。傷口は永琳の手腕によって塞がり、失った血液等諸々も永琳特性の薬によって回復傾向にはあったが、それでも気を抜ける状態でない。

 

 単に生きているのは、数々の幸運と霊夢自身の底力のおかげだ。しかし、それでもなおギリギリなのは同じこと。身体を起こして会話をし、頭を悩ませて考え事をする……その程度ですら、今の霊夢にとっては重労働なのだ。

 

 事実、さとりが去って、すぐ。無理に身体を起こしたり頭を悩ませたりと色々と気を回したせいで、霊夢の体調が目に見えて悪くなってしまった。有り体にいえば、熱を出してしまったのだ。

 

 元々体力が低下し、免疫機能が落ちていることもある。青白い顔を真っ赤にして布団の中で唸るその姿は哀愁を誘い、翌日以降も紫がその傍を頑として離れず、式の藍が引きずってゆく姿が幾人かの妖怪に目撃された。

 

 ちなみに、似たような理由で幾人かの少女たちが、保護者なり何なりの手によって引きずられてゆく姿も目撃されたが、前者のインパクトが強すぎて、あまり話題に上ることはなかった。

 

 そうして、月日は流れて6月の半ばにもなれば、春の陽気が徐々に煩わしき熱気へと姿を変える。雨が降る頻度が増え始めていることを誰もが実感し始める頃になって、霊夢はようやく外出の許可を永琳より許されたのであった。

 

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。