Serial experiments □□□  ー東方偏在無ー   作:葛城

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東方キャラって書籍や作品ごとにキャラの性格やらなんやらが微妙に違っているから、思い思いのキャラが描けるよね




そんな僕の一押しは小町です、はい。
でも、この作品では小町は出てこないけどね






夏の章:その3

 

 

 霊夢はこれまで、全力というものを出したことがそう多くない。

 

 それは、霊夢自身の気質が大らかであるから(言い換えれば、面倒くさがりである)というのが理由なのだが、それ以外にも霊夢自身が自覚出来ていない理由が一つある。

 

 それは、本気を出すことを潜在的に恐れている、というものだ。どういうことなのかといえば、答えは一つ。それは、『霊夢は天才だから』……これに尽きた。

 

 そう、霊夢は天才なのだ。それも、ただの天才ではない。才能という言葉が人の形を取ったといっても過言ではないぐらいの、才能の塊。それが、博麗霊夢である。

 

 人間には向き不向き、得手不得手というものがある。それはどんな人間とて例外ではなく、どれほど優れた人物であったとしても、どこかで苦手なもの、不向きなもの、不得手なものを持ち合わせているが……霊夢には、それがない。

 

 言うなれば、全てが得意なのだ。どんなことでも、その気になれば乾いた布巾に沁み込む水のように、知識を、技術を、その身に吸収し、そのうえでそれらを昇華し、己の物にしてしまう。

 

 例えそれが、習得するのに1年掛かるものでも、霊夢ならば一週間で習得してしまう。数多の人々が求めては挫折する困難な目標や夢ですら、霊夢にとっては少し背伸びをするだけで届いてしまう。

 

 それが、歴代最強と名高い博麗霊夢である。で、あるからこそ、霊夢は恐れてしまう。己の内に秘めた才能を表に出すことを。何もかもを瞬く間に吸収出来てしまうが故に、霊夢は本気を出さないのだ。

 

 霊夢は、努力というものがどれ程辛いものなのかを知っている。体感したことはなくとも、親友の魔女がそれを体現してくれている。だから、霊夢は知っている……努力というものの、その尊さを。

 

 それ故に、霊夢はどんな時でも暢気であることを無意識の内に強制している。

 

 全てが、片手間に習得出来てしまうが故に、本人にその自覚はなくとも、潜在的にそれを理解している。だから、霊夢は暢気。必要で無い限りはけして全力を出さないよう……そう、努めていた。

 

 

 ――しかし、その日。

 

 

 紅魔館へと飛行する霊夢は、全力というものを出していた。本人に全力を出しているという認識はなかったが、それでも、この時の霊夢は確かに全力を出していた。

 

 全速力を出した霊夢の速度は、並の天狗を優に上回っていた。ともすれば、齢1000歳にも達している文ですら追い付くのは至難だろう。薄暗くなり始めている夜空の下を、轟音と共に駆け抜けていた。

 

 空を自由に跳び回れる存在にとって、幻想郷というのはそう広くはない。そんな中を、轟音が出る程の速度で進めば、目的地なんてすぐだ。実際、紅魔館の上空までで掛かった時間は、わずか数十分ほどであった。

 

「……? こいし、どうしたの?」

「……胃袋が口から出るかと思った」

 

 到着して、ようやく。己が胸に抱き留めていた、青ざめたこいしの具合に意識を向けた霊夢への、辛うじて成された返答がそれであった。

 

 

 まあ、こいしがそうなるのも無理はない。

 

 

 何せ、博麗霊夢が持つ能力は『霊気を操る程度の能力』の他にも、『空を飛ぶ程度の能力』というのがある。これは単純に空を飛ぶというものではないが、空を飛ぶ事自体にも影響を与えている。

 

 具体的には、重力や慣性やらを受けることなく、直角方向転換や急停止&急発進を行えるのだ。そんなことは天狗たちですら無理な芸当であり、胃液が空っぽになるような悲惨な状態にならないだけ、こいしは上等であった。

 

 さて、とりあえず、返事が出来る=大丈夫だと判断した霊夢は、紅魔館を見下ろした。

 

 うっすらと手もとが確認出来る程度の暗さとはいえ、既に時刻は夜も同じ。場所を知っているので紅魔館であることが分かるが、視線を下ろせば……見えるのは、真っ暗な外観だけ。何となく、そこに建物があるだろう程度のもの。

 

 故に、霊夢は懐より取り出した札に霊力を込め、それを下方へと投げた。暗闇の中へと溶けるように消えた札は、そのまましばしの間を置いて……パッと強い光を放った。

 

 それはまるで、小さい太陽のように明るくて。そうして、霊夢の前に姿を見せた紅魔館は……咲夜が話していた通り、廃墟という言葉が順当な有様となっていた。

 

 まず、紅魔館の象徴ともいえる赤い外観が、すっかり色あせている。長い年月、雨風にさらされていただけでなく、放置され続けた結果なのだろう。パッと見た限りでも、外壁のいたるところにヒビが入っているのが見て取れた。

 

 

 人の気配……というか、妖怪の気配は館より感じ取れない。

 

 

 しかし、妖力だけはしっかりと感じ取れる。禍々しいものではないが、強大だ。咲夜の話が事実であるなら、当時の主(レミリア・スカーレットでない可能性もある)が滅びて百年近くそのままになっているから……その、主が残したものだろう。

 

 

 ……いや、だろう、などという曖昧なものではない。

 

 

 それは、確かに主が残した者だと、霊夢は胸中にて断定した。根拠は、ただ一つ。それは、感じ取れる妖力が霊夢の知る主と同じ……つまり、霊夢の知るレミリア・スカーレットのものであったからだ。

 

 けれども……これはどうしたことだろうか。霊夢は、内心にて首を傾げる。

 

 妖力は感じ取れるのに、気配がない。何とも、不思議だ。器が無いのに、中身だけがそこにある。吸血鬼であるレミリアは、己を霧や蝙蝠に変えて分散する術を持っているが……それでも、こうまで完全に気配が消せただろうか。

 

 

 ――無理だと、霊夢は思う。

 

 

 妖力そのものが小さい木端妖怪であれば可能(例えるなら、虫が落ち葉などに擬態するようなもの)であろうが、レミリア程の妖怪(象が落ち葉に擬態するようなもの)ともなれば、不可能だ。

 

 

 では、いったい何が……いや、止そう。

 

 

 とにかく、入ってみれば分かる。そう結論を出した霊夢は、緩やかに高度を下げて行く。そうして近づくことでよりはっきりと見えて来る館の全貌に……自然と、霊夢の目つきが鋭くなってゆく。

 

 ……遠目からでも劣化が激しいのは、分かっていた。幻想郷は外の世界とは違い、台風などの天災が圧倒的に少ない。とはいえ、100年も自然のままに放置されれば、如何な堅牢でも朽ち果ててゆくのが道理。

 

 少なくとも、地面に降り立った霊夢の眼前。そこに広がる、廃墟と呼ばれている紅魔館は……正しく、道理が道理のまま時を重ねた姿であった。

 

 館全体を囲っている塀も半分近くが割れたり崩れたりしていて、もはや塀の役目を果たしていない。正門(らしき場所)に至っては鉄格子が外れ倒れており、館よりも真っ赤に錆びついているのが見える。

 

 外部からの圧力によって外れた……というよりは、自然のままに錆びて、風を受けて折れたのだろう。でなければ、鉄やら何やらが外の世界よりも高級であるここで……鉄格子などという高級品が放置されているはずがない。

 

(私の知らない一昼夜の間に何かがあった……というわけではなく、本当に何十年も前にこうであったと見る方が、正しいのかもしれないわね)

 

 にわかには信じ難い現実を前に、霊夢は記憶の中にある紅魔館を想う。頻繁に行き来するような仲ではなかったが、主であるレミリアに気に入られていたおかげか、晩餐に招待されたことは何度かある。

 

 だからこそ、目の前の光景を受け入れるのに、少しばかり時間を要した。

 

 荒れ放題の庭に、枯れ果ててコケすら見える噴水らしき物体。地面に敷かれた大理石の道はもはや地面と見分けるのが難しく、何もかもが己の中にある紅魔館とは別モノなのだということを、霊夢は思い知らされている気分であった。

 

「……大丈夫?」

「……ええ、まあ、ありがとう。さあ、行きましょう」

 

 とはいえ、感傷に浸るのは霊夢だけであって、あまり交友の無かったこいしにはただの廃墟でしかない。珍しく、気遣う側になったこいしの問い掛けに、霊夢は軽く頭を振って気持ちを切り替え……敷地内へと足を踏み入れた。

 

 さす、さす、さす。二人の足音が、静まり返った廃墟の中庭に溶ける。札の明かりのおかげで転ぶ心配はないが、踏み締める大地からは年月を感じる。場所によってようやく分かる石畳の感触が、妙な哀愁を誘う。

 

 通りがてら枯れ果てた噴水を覗き込めば、水溜りすらそこには見られない。遠目からでも察しはついていたが、枯れてから長いのだろう。コケもそうだが、中には小石やら落ち葉やら土やらが積もっているようだった。

 

 そうして……紅魔館正門へと到着した霊夢は、扉に手を掛け……首を傾げた。

 

 鍵が、掛かっている。押したり引いたりしてみるが、手応えは変わらない。軽く探ってみれば、術的な結界が施されているようだ。霊気を送って強引に解除し、今度こそと……思ったが、開かない。

 

 

 ……無言のままに、霊夢は扉に蹴りを放った。

 

 苛立ったわけではない。ただ、この方が手っ取り早いと思っただけ。

 

 

 ここが霊夢の知る紅魔館であったならさすがにこのような強硬手段を行うことはないが、ここが廃墟なら話は別。瞬時に行われた判断と共に放たれた蹴りは、一寸の躊躇もなく扉を壊し、蝶番ごと破片となって散らばった。

 

 霊力によって上乗せされた霊夢の脚力は、固い岩石を豆腐のように踏み砕く。同年齢の平均よりも幾らか細い脚から放たれたとは思えない一撃に思わず背筋を伸ばすこいしを他所に、霊夢はさっさと室内に入り……軽く、目を細めた。

 

 一言でいえば、非常に埃っぽい。記憶にある調度品はほとんどなく、辛うじてそうだと思える者も、年月の経過によって酷く汚れている。人の手(というより、妖怪の手)が離れて100年も経てば、そうもなるだろうという有様であった。

 

 外から見て想像は出来ていたが、その想像よりもずっと酷い。そっと袖口で鼻元を覆うが、それでも独特の臭気が鼻腔を突き抜ける。「……くっさい」続いて中に入って来たこいしが顔をしかめるのを横目に、霊夢は室内を見回した。

 

 ……室内も、外と同様に妖力が満ちている。こんな状態ならば、ひとまず野良妖怪の邪魔は入らないだろう。そう判断した霊夢は、ふわりと身体を浮かせると、館の奥へと飛ぶ。

 

 一拍遅れて、こいしが続く。さすがに、霊夢もここでは全力を出さない(出せないわけではない)ので、こいしでも余裕を持って付いて行ける。それ故か、少ししてから、迷いなく館の中を進む霊夢にこいしが声を張り上げた。

 

「ねえ、霊夢! いったい何処へ行こうとしているの?」

 

 ――何処へ向かうのか?

 

 そんなのは、ここに向かうと決断した時にはもう、決まっている。

 

「紅魔館の地下にある、大図書館よ!」

 

 そう、霊夢は答えたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 ……悪魔が住まう館として怖れられている……いや、違うか。霊夢の知る限りでは怖れられていたらしい紅魔館だが、実はそれ以外にも、幻想郷唯一といっても過言ではないものが一つある。

 

 

 それが、紅魔館の地下にある大図書館だ。

 

 

 しかも、この大図書館はただの図書館ではない。どういう原理でそうなっているのかは霊夢も知らないが、この図書館は……文字通り、増大するのだ。部屋の大きさも、書物の数も。

 

 曰く、外の世界にて忘れ去られた書物が、この図書室に入ってくるのだとか。

 

 忘れ去られるというのは、そのものずばり、人々の記憶から忘れ去られてしまった書物や、人の手から離れて行方知れずになった書物、捨て置かれてしまった書物などだ。

 

 故に、その敷地面積は広く、天井の高さも相当に広い。魔法によって空間そのものが広げられているだけあって、上の館よりもずっと広いのではないかと思えるほどである。

 

 その図書館の印象は、世界中の書物が無造作に放り込まれた場所、であろうか。大小様々な本棚には、これまた大小様々な書物が無造作に、かつ隙間なくびっしりと詰め込まれ……いや、本棚だけではない。

 

 並べられた本の上に、横向きに乗せられているもの。本棚の上にどかどかと乗せられた本もあれば、本棚の傍にて山積みされた本の山もあり、表紙に立て掛ける形で押し込まれた本も……見渡す限り、全てが本ばかり。

 

 蔵書の拘りは、特にない。ティーンに好まれる恋愛小説もあれば、学者が目を剥くような貴重な書物もある。勧善懲悪が主題の冒険劇もあれば、子供には早い官能小説や、誰かの直筆ポエムまである。

 

 例えるなら、本のごった煮。そう表現するしかない光景……それが、霊夢の知る大図書館であり、霊夢が記憶している紅魔館のもう一つの顔であった――のだが。

 

「……何も無いね」

 

 寂れた空間に響く、こいしの呟き。がらんとした空っぽの室内を見回した霊夢は……深々と、ため息を零した。

 

 紅魔館の地下、大図書館があるはずのそこには、何も無かった。有るのは、空っぽの本棚だけ。見渡す限りの本棚全てが空洞で、本が一冊も入っていない。場合によっては床に転がっていることすらあった本が、何一つない。

 

 札の光を動かして、遠くを見やる。高さや広さ自体は、記憶に残っているソレとほぼ同じだろうか。しかし、それだけ。けして明るくはなかったが、どこそこに気配が有ったかつての面影が……ここには、全く残っていない。

 

 

 ――やはり、『岩倉玲音』は明確な意図を持って行動している。

 

 

 寒々しさすら覚える光景を前に、霊夢は……内心にて舌打ちを零した。というのも、だ。これまで、霊夢は『岩倉玲音』という存在に対しては、漠然とした認識の中でいたからだ。

 

 何せ、霊夢が負傷した時よりこれまで、『岩倉玲音』は一切の反応を見せていない。古明地さとりの件がソレに当たるのかもしれないが、その目的が不明であったし、当のさとりも『岩倉玲音は無害』と話していた。

 

 こいしの為にも一刻も早く行動に移したいとは思っていたが、目の前の問題を無視出来ない。仕方がないと思って、ひとまずは横に置いておいても問題ないと霊夢は判断していた。

 

 

 ――だが、違った。判断を、誤ってしまった。

 

 

 『岩倉玲音』は、自らの元へ至る可能性を潰したのだ。おそらく、図書館にはあったはずだ。さとりが残した『ワイヤード』という言葉の詳細が記された本が……でなければ、こんなタイミングで大図書館を隠滅される理由がない。

 

 この大図書館は、幻想郷内では数少ない外の情報を入手出来る場所である。故に、ここを抑えられれば最後、外の情報を知る手段が一気に限られてしまう。その役割故においそれと外の世界に出られない霊夢からすれば、『岩倉玲音』への手掛かりをほぼ抑えられたに等しい状態であった。

 

 

 ――なによ、さとりのやつ。害意が無いだなんて、よく言えたものだわ。

 

 

 内心にて、霊夢は首を横に振った……直後、あることを思い出した霊夢は、空っぽの図書館を進んだ。後に続くこいしが気味悪そうに室内を見回していたが、霊夢は構うことなく『勘』に任せて足を進める。

 

 確証は、まだない。しかし、棚があるのだから、何十年以上も前に本がここに有ったのは間違いない。ここに本が有ったのであれば、おそらくは主が滅びる何十年も前には実在していたはずだ。この図書館の主……『パチュリー・ノーレッジ』という名の魔女が。

 

 

 ……『パチュリー・ノーレッジ』。愛称は『パチェ』、渾名は『紫もやし』。

 

 

 紅魔館の主であるレミリア・スカーレットの古い友人である彼女は、魔法という分野において、幻想郷随一といっても過言ではない。肉体的な虚弱という致命的な弱点を除けば、その知識量は霊夢の友人である魔理沙では足元にも及べない存在である。

 

 しかし、彼女には肉体的な弱点とは別の、傍から見れば弱点としか言いようがない疾患を抱えている。それは、例えるなら本狂い……そう、生粋の本狂いにして知識の中毒者というのが、パチュリー・ノーレッジのもう一つの顔である。

 

(確か、食べることも寝ることも魔法で賄って、その分の時間全てを、知識を得ることに費やしていたはず……なら、何処かに残しているはず……!)

 

 そんな彼女が、知識の集大成であり、思想の具現化でもある本を放置したり破棄したりするだろうか……いや、有り得ない。別の場所に本を移動することはあっても、本を破棄するようなことはしないだろう。

 

 何せ、本が破損しないよう一つ一つに防御魔法(大妖怪ですら破壊するのに手こずるぐらいの強固なやつ)を施すようなやつだ。破棄するしかない状況であったとしても、最後まで抵抗したはず。

 

 

 それならば……残しているはずだ。

 

 

 この図書館の何処かに、あるいは魔法的な空間に、パチュリーが溜め込んでいた本が有るはず。全てではなくとも、これだけは死守しなくてはという重要なやつだけは残されているはず。

 

 己の『勘』も、それが異変解決へと至る手掛かりであると訴えている。故に、霊夢は迷うことなく進む。己の内にある『勘』というあやふやでありながらも確固たる確信に心を委ね、ただ前を向く。

 

 

 

 

 ……。

 

 ……。

 

 …………そうして、どれほど室内を歩き回ったのか。それは、霊夢は当然の事、後に続くこいしにも分からない。空っぽの図書館の中を、何をするでもなく、ぐるぐる歩き回っているだけでしかない二人の姿は、傍目からみれば異様に見えたことだろう。

 

 実際、『勘』を頼りに進む霊夢は別として、後を付いて行くしかないこいしからすれば、霊夢の行動は異様でしかなかった。けれども、こいしは何も言わなかった。

 

 是非はともかく、霊夢の『勘』だけは何よりも信頼が置ける。だからこそ、不思議には思いつつも、こいしは文句一つ零すことなく霊夢の後を追いかけ続けた……と。

 

「……?」

 

 かれこれ、同じ場所を7度回った頃だろうか。もうすぐ8度目になろうかとしていた辺りで、こいしは足を止めた。その視線は霊夢ではなく、傍の本棚……立ち並ぶそれらの内の一つに、ぽつんと横向きに置かれた……一冊の本へと向けられていた。

 

 

 ……あんな場所に、本なんてあったかしら?

 

 

 というか、本が残っていたのね。そんなふうに、ある意味では失礼なことを考えつつ、小首を傾げながらも好奇心のままに駆け寄って、本を手に取る。

 

 大判サイズのそれに背表紙はなく、表紙にはタイトルが……何だろうか。こいしの語彙には存在していない文字が、二行に渡って記されていた。

 

「――どうしたの?」

「ここに本が有ったの」

「……ここに?」

「うん、ここに」

 

 気付いて戻ってきた霊夢に、こいしは見たままを伝えた。「……ここに有ったかしら?」こいしと同じく、霊夢は首を傾げながらも本を受け取る。次いで、呪い等がないことを確認してから、ぱかりと本を開く……と、そこには、大きな矢印が描かれていた。

 

 

 ……矢印?

 

 

 目次があるべき場所一面に描かれた矢印を前に、霊夢は目を瞬かせた。「ええ……?」横から覗きこんでいたこいしも、困惑の目を本に向ける。こいしにも見えるようにページを捲ってみるが、矢印以外は全て白紙であった。

 

「……」

「……」

「……」

「……あ、矢印が動いてる」

 

 果たして、この矢印に何か意味があるのだろうか。しばし矢印を見やっていた二人だが、それに気づいたのはこいしの方が早かった。言われて確認した霊夢も、なるほど、と頷いた。

 

 どうやら、この矢印。本の向きとは別に、常にとある方向を指し示しているようだ。気になった二人は、矢印の指し示す方へと歩き、時には飛んで本棚を乗り越え……1冊目と同じ造形の、2冊目の本を見つけた。

 

 2冊目が有った場所は、既に何度か傍を通って確認した場所である。つまり、見落としていなければ、今になって突然出現したというわけだ。

 

 とりあえず、1冊目の本をこいしに持たせると、霊夢は一冊目と同じ要領で2冊目の本を開いた。

 

 すると、そこにも矢印であった。1冊目と同じく矢印は同じ方向(ただし、1冊目とは方向が異なる)を示し、それ以外は何も記されていない。

 

 

 これは……間違いない。パチュリーが残したものだ。

 

 

 そう判断した霊夢たちは、逸る気持ちを抑えて次の本へと向かった。幸いにも、本を守る為の防衛機能は無いようだ。3冊、4冊、5冊と、君の悪さを覚える程にスムーズに矢印の本が増えてゆき、気付けば本の総数は12冊になっていた。

 

 そうして、13冊目。こいしの小さい両手では抱えきれなくなった(重いのではなく、物理的に前が見えなくなる)本を幾つか抱えた霊夢は、図書館の中央にて、床にポツンと置かれてあったその本を手に取った。だが、13冊目にして霊夢は……おや、と目を瞬かせた。

 

 何故ならば、13冊目の本には何も記されていなかったからだ。表紙にこそ読めない文字が数行記されてはいるが、それだけ。これまであった矢印もなく、有るのは黄ばんだ白紙だけで、それ以外には何も無かった。

 

「何も無いね」

 

 横から覗き込んでいたこいしが、つまらなそうに呟いた。

 

「……いえ、違うわ。何か、ある」

 

 けれども、霊夢は違った。どういう事と小首を傾げるこいしを他所に、霊夢は無言のままに辺りを見回し……ふと、その視線が足元へと降りる。「――これだわ」その言葉に、こいしも足元を見やり……おお、と目を見開いた。

 

 今の今まで気づかなかったが、床には長方形の枠が13か所あった。床の色とほぼ同じ色のそれは、目を凝らしても分からないほどに僅かな違いであり、この矢印の誘導が無ければまず気づかないであろうぐらいの微細なものであった。

 

 本の数が13冊。枠も13個。なるほど、ここに本を置くのか。「それじゃあ、置いていくよ」早速、こいしはこれまで手に入れた本を並べていった。もちろん、枠からずれないように気を付けながら、13冊全てが枠の中へと収まった……のだが、しかし。

 

 

 変化は、何も起きなかった。

 

 

 これには、霊夢もこいしも首を傾げた。特に、並べたこいしの方はより強く不思議に思ったようで、「……向きが、あるのかな?」本を裏返したり、向きを変えたりと色々と形を変えてみたが、それでも何の変化も起こらなかった。

 

「……本の並びが違うのかもしれないわね」

 

 それを見て、霊夢はぽつりと零した。次いで、霊夢は本の並びを変えてゆく。ヒントは、全くない。何となく、おそらくは、という程度の直感を『勘』に委ねて、一つ一つの本の並びを変えてゆき……そして、本の位置を9回取り替えた、その瞬間。

 

 

 ――本の表紙に記された文字が、一斉に光を放った。

 

 

 突然のことに、霊夢たちは思わずその場より飛び退いた。光は治まる気配はなく、瞬く間に霊夢が用意した札の光よりも強くなる。遂には目を開けるのが難しいぐらいにまでなった辺りで、全ての本が勝手に開かれた――直後。

 

 『――初めまして、博麗霊夢』

 

 13冊の本から一斉に放たれた光が、一点へと収束する。その瞬間、光はぐにゃぐにゃと形作ったかと思えば、次にはもう……向こう側が透けて見える半透明の少女――霊夢の記憶の中にあるレミリア・スカーレットが、そのままの姿でそこに現れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 ――一目で、霊夢は眼前にて優雅に佇むレミリア・スカーレットが実体ではないことに気付いた。いやまあ、向こう側が透けて見えるあたり傍目から見てもそうなのだが、霊夢の目に止まったのは、その姿を構成するそのものであった。

 

 言うなればそれは、受け答えが出来る、限りなく本人に近づけた立体映像。魔法で生み出された、本人の分身ともいえる存在を前に、霊夢はしばし目を瞬かせた後……深々と、ため息を零した。

 

「初めまして、レミリア・スカーレット。ところで、あんたは100年ぐらい前に滅んだらしいレミリアなの? それとも、私が知る――」

『ほぼ、あなたの知るレミリア・スカーレットと思ってもらって構わないわ』

「……ほぼ?」

『あなたの知るレミリアと、私とを結びつける絶対の証拠なんてものは現時点で存在し得ないからよ。まあ、私のベッドで一夜を共にすれば、まだるっこしい諸々なんて吹き飛ばす根拠を見つけ出せるでしょうけど……どう、今夜あたり?』

「……当たり前のように私を同性愛好にするなと前にも言ったでしょ。前にも言ったけど、そういう冗談は好きじゃないわよ、私はね」

『好きじゃないからこそ、言うのよ。嫌そうに顔をしかめるのを眺めるのは、悪魔の本懐。特に、博麗の巫女の顔が嫌悪に歪む様は見ていて愉快極まりないもの』

「あんた、諸々が終わったらいっぺん〆るから覚悟しておきなさい……!」

 

 霊夢の怒声に、レミリアはけらけらと笑った。それ自体は、霊夢も薄々と想定していたのだろう。「でもまあ、そんだけ減らず口を叩けるなら安心したわ」たいして、驚いた様子を見せなかった。

 

 

 霊夢が驚かなかった根拠は幾つかある。

 

 

 例えば、レミリアが博麗霊夢のことを知っていたということ。わざわざこんな仕掛けを用意していたということ。そして、その仕掛け自体が……霊夢の『勘』が無ければまず辿り着けないような代物であったからだ。

 

 おそらく、この仕掛けは『特定の場所を特定の回数、特定の順番で通過する』というものなのだろう。確証はないが、そうであるという漠然とした確信が、霊夢にはあった。無論、確信の担保は『勘』である。

 

「……で、一体全体どういうこと? まさかとは思うけど、あんたが仕出かしたことじゃないわよね?」

 

 相手が実体ではなく魔法である以上、時間の制限がある。はっきりいえば、無駄なお喋りをする猶予はない。なので、一息分の間を置いてから、霊夢は単刀直入に切り込んだ。

 

『いいえ、私じゃない。そもそも、私にそれを行う利点が皆無だもの』

「それじゃあ、この有様はなに? あんたぐらいのやつなら、誰がやったかぐらいの検討は付いているでしょ」

『もちろん、付いているわ』

「それは、誰よ」

『それは――『岩倉玲音』。そう、『岩倉玲音』という名の女の子よ』

 

 レミリアの方も、同じ認識なのだろう。霊夢の知るレミリアは回りくどく長ったらしい言い回しや、気障で尊大な口調で煙に巻くことを楽しげにする節があったが、この時ばかりはそういった様子は微塵も見せなかった。

 

「――っ! やっぱり、そいつか……!」

 

 だから、霊夢はレミリアが発した彼女の名を……ただ、そのまま受け取ることが出来た。やはり、全てがそいつに繋がっている。欠けていた確証が得られたことに、霊夢の胸中にて渦巻いていた怒りが、にわかに噴き上がり始めた。

 

『勘違いしないで、霊夢。根本は彼女かもしれないけど、彼女自身が何かをしたというわけじゃないわ』

「――は?」

 

 だが、それもすぐに鎮火した。(おそらくは被害を受けたであろう)レミリア自身から差し向けられた水を真っ向から浴びる形となった霊夢は、困惑に目を瞬かせた。

 

『不思議に思う気持ちも分かるわ。私たちも、自分が消え去るこの瞬間になって、ようやく少しばかり理解出来たことだもの』

 

 それを見て、レミリアは半透明の苦笑を零した……いや、待て。

 

 思わず、霊夢は己の頭を叩いた。今、レミリアは何と言った。自分が消える、消え去る……私たちが……え、消え去る?

 

『――私たちのことはいい。必要で重要なのは霊夢、あなたの今後であり、幻想郷の今後についてよ』

 

 理解が脳裏を巡って、臓腑へと染み渡ったと同時。口を開いてそれらを問い質そうとした瞬間、全てを遮るように発せられたレミリアの言葉に……気付けば、霊夢は唇を閉じていた。

 

『はっきり言うと、霊夢……何時になるかは分からないけれど、もうすぐ幻想郷は確実に崩壊するわ。私が見た運命の全ての末路が、そうだった』

 

 それが、この場においては正解だったのかもしれない。出なければ、霊夢はしばらく笑い話のネタに利用されそうなぐらいの、変な声を出していただろう。それぐらいの驚愕と困惑が、霊夢の心を振り回した。

 

 

 ――どうしてか?

 

 

 それは、『運命を操る程度の能力』を持つレミリアが語ったから。加えて、霊夢の知るレミリアは、この手の嘘を嫌う。吸血鬼としての誇りを大事にする彼女が、この手の性質の悪い嘘を言うとは微塵も思えなかったからだ。

 

 ぐらりと、目の前の視界が揺らぐ。「――っぶない!」傍のこいしが寸でのところで支えなかったら、その場に尻餅を付いていただろう。すぐに我に返りはしたが、それぐらいに霊夢のショックは大きかった。

 

 反射的に、霊夢は己の腕を掴んでくれているこいし……ではなく、その後ろへと向いた。気づいたこいしが、そちらに目を向ける。少しばかり目線が上へと向けられた先にあるのは……何も無い空っぽの空間だけであった。

 

 いったい何を見ようとしたのか……気になったこいしが視線を戻すのと、霊夢が自身の頬を叩いて喝を入れたのが、ほぼ同時であった。

 

 思わず、こいしは目を見張った。何故かといえば、それを行ったのが博麗霊夢であったからだ。

 

 人間が、気力を出す為にあえて痛みを自身に与えるという行為自体は、こいしも知っている。だが、天上天下唯我独尊を地で行く霊夢がそれをするのは初めてで……どうしていいか分からず、こいしは黙って霊夢を見つめるしか出来なかった。

 

『……大丈夫? 本当はあなたが呑み込めるようゆっくり話を進めたかったけど、術の関係上そう長くは出来ないのよ。悪いけど、話を進めさせてもらうわよ』

「……心配しなくていいわよ。少し驚きはしたけど、私は博麗の巫女。素敵で暢気な巫女さんが、これぐらいで驚いていたら仕事になんないのよ」

 

 薄暗がりの中でも分かるぐらいに青ざめた頬は張り手を受けてほんのり赤くなっている。けれども、震える唇は隠しきれていない。只の強がりであるのは、誰の目から見ても明白であった。

 

『そう、それなら続けましょう。今しがたも話したけど、幻想郷の崩壊はもう確定してしまった未来。多少のズレこそあるものの、最も遅くなったとしても……来年の春を迎えることは出来ないと思ってもらっていいわ』

 

 しかし、レミリアはそれに触れるようなことはせず、話を進めた。

 

『ズレが起こる理由は、単にあなたの存在。博麗霊夢、貴女が選択を誤れば誤るほど、最後の時が近づくということよ』

「……私が? 私が間違えると崩壊するの? 崩壊に至るだけの異変を起こすって、いったい誰がそんなことをしたのよ」

『異変は、あくまで副次的なものよ。幻想郷が崩壊する直接的な理由は、『博麗大結界』が崩壊し、内と外との境界が維持できなくなったからよ』

「――え?」

 

 一瞬、霊夢はレミリアの言葉を理解することを拒否した。一拍置いてから、徐々にレミリアの言葉を認識なるに連れて……霊夢の目がまん丸に見開かれていった。

 

 

 ――有り得ない。率直に、霊夢は思った。

 

 

 博麗大結界は、この幻想郷を支える屋台骨といっても過言ではない。その結界を構成する術式は、紫を始めとした賢者たちと、初代博麗の巫女が総力を結集して作り出したものだ。

 

 加えて、博麗大結界自体に、八雲紫の手で何重にも渡る別の結界が張られ、博麗大結界は守られている。その強度と来たら大妖怪たちが結集して事に当たっても破られない程であり、個々人でどうにかなるものではない。

 

 結界そのものが不安定になることはあっても、結界そのものは不変。歴代最強と言われている霊夢ですら、結界をある程度操作することは出来ても、破壊することは出来ないのだ。

 

「――あんたは、私に何を伝えたいの?」

『……さあ、私にも分からない』

「はあ?」

『何を伝えれば良いのか、何を伝えては駄目なのか、それが分からないの』

 

 だからこそ、霊夢はまず気になる点を尋ねていた。しかし、レミリアはすぐには答えなかった。眉間に皺を寄せ、解れた糸を少しずつ手繰り寄せるかのような……あやふやとした口調であった。

 

『そうね、貴女を助けたいとは考えているわ。貴女を助ければ、必然的に咲夜たちも助けられるから……でも、何をすればいいか分からない。何が正しくて、何が間違っているのか……それすら、私には分からない』

「……あんた、何のためにこんな回りくどい方法にしたのよ」

 

 まるで意図が読めない。そう暗に呟く霊夢に……レミリアは、困ったように小首を傾げた。

 

『霊夢は……私の能力の事は知っているわよね?』

「『運命を操る程度の能力』でしょ。それが、どうかしたの?」

『運命を操る……じゃあ、運命ってそもそも何なのか。何を持って運命と指し示すのか、そこらへんは知っているかしら?』

 

 言われて、霊夢は考え……おもむろに、首を横に振った。

 

『運命というのは、一言でいえば『枝分かれした世界の一つ一つが、極点へと至るまでの道筋』のこと。私が出来ることなんて、極点に至るまでの道を幾つか読み取り、誘導するのが限界なのよ』

「……どういう意味?」

『未来は無限に生まれ、そして一つへ……極点へと収束する。例えるなら、入口と出口が一つずつある巨大な迷路みたいなものかしらね。私が出来るのは、迷路の途中で幾つか案内板を立てて誘導する程度のものよ』

「……つまり、朝起きてから夜寝るまでが運命全体だとしたら、朝食を白米にしようがパンにしようが大した違いはなくて、みんな最後にはウンコになる。そんで、あんたは朝食に何を出せるかを選べる……という感じかしら?」

『……まあ、だいたい合っているわね』

 

 分かったような、分からないような。そう、目線と言葉で訴えれば、『そんな例えを出すあたり、実に貴女らしいわ』レミリアは苦笑を零し……不意に、視線を鋭くした。

 

『はっきり言いましょう。貴女がいる先の未来にて待ち受ける極点。つまり、博麗大結界が崩壊した理由は、博麗霊夢……あなたの死が引き金よ』

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………え?

 

 

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………え、え?

 

 

「……私が?」

『ええ、そうよ。貴女の死が引き金になったわ』

 

 

 己の死が、崩壊の原因。

 

 

 そう言われた霊夢は、特に驚きを示すことなく平静を維持したままであった。いや、それは平静というより、驚き過ぎて感覚が麻痺しただけなのかもしれない……が、どちらにしろ、霊夢の反応は、深々と零したため息だけであった。

 

「……どうなって、私が死んだの?」

『客観的事実だけを挙げるのならば、自殺よ』

 

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………は?

 

 

「え、冗談でしょ?」

『冗談じゃないわよ。私が認識出来る全ての運命の中で、貴女は一度の例外もなく自殺しているのよ』

「……私が? よりにもよって、私が自殺したの?」

 

 自分が言うのも何だが、霊夢は他者よりも少しばかり自身が図太い性格かもしれないと思っていた。だからこそ、にわかには信じ互い話だ。

 

 そう暗に訴えたが、『こんな時に、こんな嘘を付くわけないでしょ』レミリアは一言で切って捨てた。まあ、そうだろうなあ、と。自分で口にしていながら、同感だと霊夢も思った。

 

 

 いや、しかし、自殺と来たか。思わず、霊夢は困惑に首を傾げた。

 

 

 というのも、だ。霊夢は、博麗の巫女である。そのことを後悔してはいないが、自分が碌な死に方をしないであろうことは覚悟している。何故なら、妖怪たちにとって博麗の巫女は妖怪の天敵であり、それは絶対不変の事実であるからだ。

 

 いくら博麗の巫女が公平な天秤を語っているとはいえ、その拳が向けられる先は圧倒的に妖怪が多い。元を正せばルールを破る妖怪側に非が有るのだが、妖怪たちからすれば知った事ではないのだろう。

 

 故に、博麗の巫女の最後はだいたいにして妖怪退治の最中に命を落とすのが、ある種の通例となっている。

 

 事実、霊夢の先代に当たる巫女も、妖怪退治の際に負った傷が原因で命を落としている。そのまた先代も同様の理由で命を落とし、その前の巫女にいたっては、無理が祟ったこともあって二十半ばで命を落とした。

 

 それほどに、博麗の巫女という立場は苛酷なのだ。それは、歴代最強と謳われている霊夢も知っている。だから、いずれは自分も似たような理由で命を落とすだろう……そう、考えていた。

 

「……どうして私が自殺したの? 言っては何だけど、自殺するような立場になったら、とりあえず知り合い全員を殴って憂さ晴らししそうな気がするんだけど?」

『どうしてか、その理由は私にも分からない。私が見えるものなんて、所詮は断片的な物でしかないから……でも、自殺する際、パンを選んだ貴女も白米を選んだ貴方も、同じことを呟いていたわ』

 

 

 ――これでは足りない。

 

 ――これでは辿り着けない。

 

 

『そう……呟いていたわ。他にも色々と呟いているようではあったけど、凄く取り乱しているみたいで……私に視えて、聞き取れる言葉はこれだけだったわ』

 

 ため息と共に告げられた二つの言葉に、霊夢は……眉根をしかめて思考を巡らせる。

 

 

 これでは足りない、辿り着けない……いったい、どういう意味なのだろうか?

 

 

 それに、レミリアが口にした『岩倉玲音』のことも気に掛かる。

 

 レミリアも……そう、さとりも同じことを口にしていた。『玲音には悪意も害意もない』、と。だが、さとりもレミリアも、全くの無関係ではないとは……いや、待て。

 

(そういえば、さとりのやつ……岩倉玲音は私たちの中にいるとか何とか話していたわね)

 

 不意に、霊夢の脳裏を過ったのは、さとりの言葉であった。

 

 あの時、さとりは『岩倉玲音』について幾つか語っていた。あまりに様子がおかしく、非常に断片的な言い回しだったから気に留める程度に考えていたが……今にして思えば、アレは非常に重要なことだったのではないだろうか?

 

(私たちの中にいる……仮に、『岩倉玲音』が私の中にいるとしたら、未来の私が自殺する理由は想像出来る。おそらく、その時の私は自分の命と引き換えに『岩倉玲音』を討伐しようとしたんでしょうね) 

 

 だが、そうなれば腑に落ちない点が生まれる。仮説が事実であるとすれば、どうして未来の己は足りない、辿り着けないなどと口にしたのだろうか……という点だ。

 

 正確な位置が分からなくとも、己の『勘』に命を預けることには何の躊躇いもない。それは、過去の己が保証する……だからこそ、分からない。何故、未来の己は取り乱したりしたのだろうか。

 

 己の霊力では討伐出来ない程に、『岩倉玲音』とは強大な存在なのだろうか。あるいは、まだ見つけていない真犯人が……それとも、己の『勘』を持ってしても逃げられてしまう程の逃げ足の速さを持つのだろうか。

 

 あるいは、もっと別の……止めよう。考えてみるが……駄目だ、さっぱり分からない。

 

 元々、霊夢は難しい事を考えるのが嫌いだ。(苦手ではなく、嫌いなだけ)こういうのは、『勘』に任せるに限る。ヒントも無しに考えるのは後にしようと判断した霊夢は、他にはないかとレミリアを見やり――。

 

「……ピー、ガー……ピー、ピー、ピー……ピー、ピー、ガー……」

 

 ――瞬間、背後より聞こえたこいしの声に、ギョッと目を見開く。振り返った霊夢の目に映ったのは、胡乱げな眼差しで虚空を見つめる……あの日あの時、さとりの前でそうなった時と同じ状態になった、こいしの姿であった。

 

 

 

 

 

 

 

 霊夢を最強足らしめる最大の要因は、神の領域に達した『勘』の良さと、その身に宿る膨大な霊力……と、あと一つ。それは、その『勘』を受けて忠実に反応出来る、圧倒的な反射能力である。

 

 時間にして、0.001秒。

 

 意識的にしろ、無意識にしろ、そうしなければならないことを認識した霊夢の反応速度は、人のソレから大きく外れる。そして、この日この時も……霊夢の反応疎度は、もはや光速に等しかった。

 

「――はぁっ!」

 

 一言でいえば、それは爆発である。しかし、ただの爆発ではない。霊夢を中心にして放たれた、気合一閃の霊力。その威力はミサイルの直撃にも等しく、悪意ある者が受ければ即座に昏倒……あるいは即死するほどの威力であった。

 

 ……が、しかし。

 

 霊夢が放った攻撃は、空振りに終わった。言うなれば、手応えというやつがなかった。館を越え、周辺にまで広がった霊力に接触した感触が、ない。逃げたのかと思ってこいしを見やる……も、こいしの様子は変わっていなかった。

 

 焦点の合わない瞳は虚空を見つめ、半開きの唇からは涎が滲んでいる。ピーガーと抑揚なく呟かれる言葉は変わらず、フラフラと揺れ動くその様は、今にもその場に崩れ落ちて眠りそうなほどに力がなかった。

 

「こいし! 起きなさい!」

 

 急いで駆け寄った霊夢は、こいしの頬を何度か張った。けれども、こいしの反応は変わらない。肩を揺さぶってみるも、ぐらぐらと前後左右に頭が揺れるだけで、こいし我に返る素振りは全く見られなかった。

 

 

 ――仕方がない。

 

 

 判断した霊夢は、次いで、こいしを守る様に守護結界を張る。今のこいしでは、まともに逃げることも出来ない。最悪、こいしだけでも無事でいられるようにした霊夢は――そこで、ようやくレミリアの異変に目を止めた。

 

『……そうか、そうだったのね。『岩倉玲音』、あなたはそこにいたのね』

「――っ、レミリア? 何か分かったの?」

『分かった……ふふふ、そうね、分かったわ。分かってしまった……ああ、何てことかしら、分かりたくなかったことを分かってしまったわ』

 

 

 分からないままでいたなら、まだ希望が持てた。

 

 

 誰に言うでもなく呟くレミリアは、いったい何を見たのか。あるいは、何に気付いたのか。訝しむ霊夢の視線に晒されたレミリアの顔には、諦観の二文字が浮かんでいた。

 

 こうまで力無くうなだれるレミリアは、初めて見る。不穏な状況の最中ではあったが、霊夢は呆気に取られるしかなくて……ちらりと、レミリアより向けられた視線に、霊夢は我に返った。

 

『咲夜には、もう会ったかしら?』

「……咲夜なら、ここに来る前に会っていたわよ。何がどうしてそうなったのかは知らないけど、阿求のとこで働いていて……美鈴と一緒にいるって話していたわよ」

『そう……良かった。幸せにしているのならば、もう未練はない』

 

 霊夢の言葉を聞いて、レミリアは一つ、二つ、深々と頷いた。その直後、レミリアの足元から淡い光が煙のように現れる。それは、レミリアの術が終わろうとしている証であった。

 

 何かしらの攻撃で魔法が破れたわけではない。その身を構成する魔力が底を尽いたわけでもない。ただ、魔法の行使をレミリアが止めたのだ。事実としてはそれだけのことだが、それに驚いたのは……霊夢であった。

 

「――待ちなさい! なに一人で納得して満足してんのよ! 分かったこと、視えたこと、全て教えなさいよ!」

『教えたところで意味はない。いえ、知らない方が幸せなこともある。今だから、分かる。全ての事象から浮くことが出来る貴女だからこそ……ああ、でも、それでも足りない』

「何がよ! 何が足りないって言うのよ! さとりも、あんたも、肝心なことをはぐらかさないでちょうだい!」

 

 口調が荒くなるのを、霊夢は抑えられなかった。けれども、それは致し方ない。『岩倉玲音』へと通じる手掛かりが、途絶えようとしているのだ。さすがの霊夢も、焦るなというのが無理な話であった。

 

『彼女は、無意識の中を揺蕩う存在。そこで涎を垂らしている娘も無意識を操るようだけど、彼女はそんなチャチな存在じゃない。私たちではけして届かない、人々の無意識の海辺を歩き、何処にでもいて、何処にもいない、無限であり、唯一でもある存在』

「それが、『岩倉玲音』だと?」

『彼女を認識することは出来ない。でも、彼女は常に私たちの中にいる。私たちが彼女を認識する前から……いえ、私たちが生まれるずっと前から、おそらく彼女は私たちの中にいたのかもしれない』

 

 まるで蝋燭のように、レミリアの身体が徐々に光へと溶けてゆく。魔法を習得していたなら、押し留めることが出来たかもしれないが……もう、手遅れだ。

 

「――ワイヤード! そう、『ワイヤード』よ! あんた、『ワイヤード』が何なのかは知っているの!?」

 

 

 だから、せめてコレだけは。

 

 

 そう思って、霊夢は声を張り上げた。滅多に見せない必死な反応に、レミリアは少しばかり驚いたかのように目を瞬かせた後……『パチェが調べた限りでは、だけど』と、前置きを置いた。

 

『『ワイヤード』という言葉自体の意味は、『繋がれたもの』らしいわ。でも、パチェ曰く、ワイヤードというのはただの言葉ではなく、もっと広大で……それでいて薄っぺらい世界のことらしいわ』

「薄っぺらい?」

『詳しくは私にも分からなかったけど、パチェはそう話していたわ。付け加えるなら、私たちが居るこの世界も似たようなもので、ワイヤードも幻想郷も……外の世界すらも、それらを隔てる壁は私たちが思うよりもずっと脆いものらしいわ……ああ、霊夢。どうして、貴女だけが……』

 

 

 貴女だけが……苦しみ、思い悩み、変えられない絶望に喘ぐことになるのか。

 

 

 この世界を真の意味で司る神がいるのならば、何と、惨いことをするのか。

 

 

 幼き子よ。八十の年月を生きられぬ短命な人間よ。どうか、その悲しみをここへ置いて行け。その絶望を、私に預けて行け。

 

 

 残酷な神よ。私はお前を恨むぞ。どうして、破滅を残す。どうして、彼女にだけ全てを残す。その苦しみが、何故分からぬ。

 

 

 天使も悪魔も、全ては人々が作り出したもの。では、お前は誰が作ったというのだ。お前は、ただ見つめる為だけに生まれたとでも――言う――の……。

 

 

「……レミリア」

 

 ポツリと、霊夢の唇が吸血鬼の名を呼んだ。けれども、伸ばされた霊夢の指先がレミリアの輪郭に触れることすらなかった。何故なら、霊夢が呟いた時にはもう……レミリアの姿は、どこにも無くなっていたからだ。

 

 

 ……いや、無くなったのは姿だけではない。

 

 

 視線を下ろせば、床に並べていた本が一冊も残らず消えている。振り返れば、変化がないのは、こいしだけ。無造作かつあれだけ並んでいた本棚も消え去り……正しく、廃墟と呼べる光景が霊夢の眼前には広がっていた。

 

 床も、壁も、さっき以上にぼろぼろになっていた。天井も無くなっていて、見上げれば夜空に浮かぶ満月が見える。気づけば、館を中心にして渦巻いていた妖気も消え去っている。それを感じ取った霊夢は、その瞬間……ここが、本当の意味で廃墟になってしまったことを悟ってしまった。

 

 ……。

 

 ……。

 

 …………何だ。いったい、何だというのだ。

 

 フッと、唐突もなく胸中より湧き出て来たのは、恐怖でもなければ不安でもなく……怒りであった。ピー、ガー、と発し続けるこいしを横目に、霊夢は苛立ちを隠さず地団太を踏む。溜め込んでいた鬱憤が爆発し始めるのを、霊夢は抑えられなかった。

 

 考えてみれば、こうまで長引く異変というのは、霊夢にとっては初めての経験である。

 

 これまで、霊夢が直面した『異変』は全て、短時間で解決出来た。短ければ数時間、長くて一夜のそれらを前に、霊夢は常に最短で解決へと異変を導いてきた。

 

 手掛かりがなくとも、『勘』を頼りにすれば解決した。一度目はハズレでも、二度目、三度目とぶち当たって行けば、だいたい五度目か六度目ぐらいで本丸へ……というのが、霊夢の知る異変の常であった。

 

 

 なのに、今回はそうならない。何から何まで、やられっぱなしだ。

 

 

『勘』は、変わらず働いてくれている。今が『異変』の最中であるのも分かっている。だが、それ以上へと進めない。何処へ向いても道が見えず、何処へ進んでも気付けば元の場所に戻されている。レミリアの言葉を借りるわけではないが、本当に迷路の中を歩いている気分にさせられる。

 

 何度も、何度も、霊夢は地面を蹴りつける。歴代最強の天才とはいえ、霊夢はまだ少女でしかない。感情の赴くがままに、霊夢はその身より膨大な霊力を夜空に向かって立ち昇らせた――その、時であった。

 

 

 

 

 

 

 

 不意に――そう、不意に、音が止まった。

 

 

 

 

 

 

 

 あまりに唐突に止まったことを不審に思い、霊夢はこいしへと振り返る――つもりであったが、出来なかった。それはまるで、空気そのものが鋼鉄になってしまったかのようで……首どころか、指先一つ、目線一つ動かすことが出来なかった。

 

 ……まさか、攻撃されているのか。

 

 一瞬、脳裏を過った考えに霊夢の胸中は強張り……次いで、解れた。理由は、単純明快。信頼を置いている『勘』が、これは敵の攻撃ではないと伝えてきたからであった。

 

(……時間が、止まっている? いったい何が……コレか?)

 

 己の状況を、霊夢は瞬時に理解する。懐に入れっぱなしの、懐中時計。それは、咲夜より手渡されたやつで、今の今まで忘れ去っていた物。目線は向けられない分、意識だけがそこへ注がれる。

 

 おそらく、この時計が原因だ。『勘』が、そう告げている。

 

 どういう原理によって発動したのかは霊夢自身にも分からないが、身体より放たれた霊力が何らかの形で時計に作用した結果……霊夢の意識を除き、時間が止まってしまったようだ。

 

(……こういうことって、あるのね)

 

 あまりに予想外な事態が、沸騰しかけていた霊夢の怒りに文字通り水を差す形となった。ぷすぷすと怒りの熱気が抜けて行くに連れて、自然と霊夢の注意はこの状況へと向けられた。

 

 霊夢が驚くのも、無理はない。何故なら、普通は個々人が持つ能力を他者が使用することは出来ないからだ。

 

 『他者の能力を操る程度の能力』などを持っているとか、第三者が使えるように初めからそうしていたなら話は別だが……今回の場合は、たまたまそうなってしまっただけだろう。

 

 その証拠に、中途半端に発動した能力のせいで、身動き出来ない。と、同時に、こうして状況を再確認している今も、ガリガリと霊力が身体より削られ、時計へと流し込まれてゆくのを霊夢は知覚する。

 

 けっこう洒落にならない事態ではあるが、その点についてあまり気にしていなかった。時が止まっているのはあくまで偶発的なものなので、もう間もなく時が動き出すというのが、『勘』で分かっていたからだ。

 

 

 そんなわけで、平静を取り戻した霊夢は興味深そうに辺りを見回した。

 

 

 まあ、見回したといっても、視線を一つ動かすことが出来ないから、気配を探ったというのが正しいが……とにかく、霊夢の注意は自然と周囲へと向けられ、そうして改めてみると、ずいぶんと勝手が違う事が分かった。

 

 例えば、感じ取れる気配が違う。万物にはその物が宿している固有のゆらぎが有るのだが、それが凍りついたかのように固まっているのが分かる。

 

 けれども、止まっているわけではない。いや、表面的には止まっているのだが、その奥。根幹とも言うべき深奥だけは、絶えず動き続けているのが分かる。

 

 

 考えてみれば、何とも不思議な感覚だと霊夢は思った。

 

 

 全てが止まっているのに、全てが変わらず動いている。矛盾してはいるが、止まった時間の中でなければ霊夢であっても体感出来ない感覚であった。

 

『――そうさ、時間なんていうのは、あんたたちが考えている程絶対的なものじゃない。まあ、これは時間に限った話じゃないけどね』

(――えっ)

 

 故に、だからこそ。その瞬間、霊夢は何が起こったのか理解出来なかった。

 

『結局の所、万事がそう。コレだという指標が無ければ、それを認識することが出来ないぐらいの曖昧なものなんだよ』

 

 その言葉と共に、ぬぅっと視界の端から顔を覗かせたのは、一人の少女である。何故、その少女だけが動けるのか、それは霊夢には分からない。

 

 暖色色のセーターに、スカート。深々と被ったニット帽は毛糸で作られている。冬の時期であれば、幻想郷でもそう珍しくはない恰好をしたその少女は、止まった世界の中で、『――前にも言っただろ』どことなく気怠そうに霊夢と目線を合わせた……直後。

 

(――『岩倉玲音』!?)

 

 ようやく我に返った霊夢は、眼前の少女の名を呼んでいた。と、いっても、唇一つ動かせないので、霊夢の叫びは心の中に全て留まっていた……のだが。

 

『ちげーよ、ば~か。あたしはレインだ』

 

 玲音……いや、レインか。姿形や名前の読みは同じでも、少しばかり雰囲気というか、イントネーションが違う。口調は粗暴だが、思いのほか可愛らしい声色。けれども、霊夢の気を静めるには不十分であった。

 

(はあ? あんた、岩倉玲音でしょ? ふざけてんの?)

『ふざけてねーよ。私はレイン。あんたが作り出した、岩倉玲音の一つの形だよ』

 

 それがどうしたと言わんばかりに、レインと己を名乗ったその少女は、霊夢の声なき声に返事をすると、『はあ、まだそこなのかよ……』深々と……それはもう、深々とため息を零し……改めて、霊夢と目線を合わせた。

 

『見ちゃいられないね。あんたさ、何時までも目を逸らし続けてはいられないよ』

 

 

 ……こいつは何を言っているんだ。そう、霊夢は心の中で言い返そうとした。

 

 

『自分でも、分かっているでしょ。あんた、もうとっくに私たちの正体に気付いているんだ。でも、あんたは気付けない……いや、気付かない。目を背けて、気付かないフリをし続けている』

(何をいきなり……)

『だって、その方が楽だから。傷つかないで、済むから。でも、本当は分かっている。だからこそ、あんたは分からないフリをする。レミリア・スカーレットが憐れんだのは、何もあんたの未来だけじゃないんだよ』

 

 だが、続けられたレインの言葉に……霊夢は、何も言えなかった。ずどん、と胸中へと食い込んだ何かが、喉元を塞いでしまったかのような感覚であった。

 

『……あんたを見ていると、あいつのことを思い出すよ。あんた以上に不器用だけど、あんた以上に本当は優しくて、根の良いやつなんだ』

 

 言葉を失くす霊夢を前に、レインは何を想ったのだろう。何処となく憐れみすら感じ取れる笑みを浮かべると、そっと霊夢の頬を摩り……抓んだ。痛くは、ない。

 

『誰も傷つけたくなくて、誰も苦しませたくなくて、誰も悲しませたくないだけなのに、何時も傷つけ、苦しませ、悲しませてしまう。私の知るあいつは、何時も一人で抱えて苦しんでいたよ』

『自分がどういう存在なのかが分かって、自分が何の為に生まれてきたのかが分かって、何を求められ、何を望まれているのかを知って……そのうえで、取れる手段は二つ。選べるのは、どちらか一つだけ』

『あいつは、ただ仲良くなりたかっただけなんだ。大切な友達と、大好きな家族と、ただ一緒に過ごして、笑い合いたかった。あいつが欲していることなんて、たったそれだけのことだったんだ』

 

 ……いったい、彼女は何が言いたいのだろうか。声も出せず、指先一つ動かず、目線すらどうにもできない霊夢は、黙って彼女の言葉に耳を傾ける他、ない。

 

『巨万の富なんて、いらない。溢れかえる名声だって、欲しくない。何時だって、あいつは願っていた。頑張れば、友達が褒めてくれる。頑張れば、お父さんが喜んでくれる……ただ、それだけ』

 

 でも、それでも。霊夢は、彼女の……レインの言葉から、目を背けることが出来なかった。今にも耳を塞ぎたくて仕方がない……そう思ってしまう己が、霊夢は不思議でならなかった。

 

『――博麗霊夢。あんたも、あいつとおんなじ』

 

 だから……霊夢は、レインから投げかけられた言葉を、ただ受け止めることしか出来なかった。

 

『暢気に構えているのだって、本当は意気地がないだけ。友達が離れて行くのが怖くて、嫌われてしまうことに怯えて本音も出せなくて、ただ飄々としたフリが上手いだけ』

『あいつと違って表面的に取り繕うことは天才的に上手いけど、内面は筋金入りの引っ込み思案。一人でいるのが平気なんじゃない。嫌われるよりも、一人でいる方がマシだから、平気だと思い込んでいるわけ』

『歴代最強の博麗の巫女? 楽園の暢気で素敵な巫女? 確かにそうだよ、あんたは歴代最強で、暢気で素敵な巫女だと思い込んでいる……意気地なしの、情けない女の子ってやつさ』

 

 その言葉と共に、レインの指先が……そっと、霊夢の額を押す。指先には、ほとんど力が入っていない。ただ、触れているだけ。

 

 なのに、どうしてか……霊夢は、その指先に気圧された。仮に霊夢が動けていたなら、その場にて尻餅をついていただろう。

 

『霊夢……立ち止まって、周りを見なよ』

 

 ジッと、見つめてくるレインの瞳。どうしてだろう、霊夢は何故か、その瞳に見覚えがあるような気がして、堪らなかった。

 

『苦しい時は、苦しいって言えばいいんだ。悲しい時は、悲しいって話せばいいんだ。辛い時は、友達に頼ればいいんだ。甘えたくなった時は、素直に甘えればいいんだ』

『あいつも、あんたも、根っこは同じさ。変な所で意地を張らないで、ただ頼ればいいんだ。例え相手が覚えていなくても、あんたの友達は……変わらず、あんたの友達なんだから』

『あんたが思うよりもずっと、あんたの周りのやつらは……あんたが、好きなんだ。だから、何時までも肩肘を張っていちゃあ駄目だよ。でないと……あんたも、あいつと同じことになるよ』

 

 そう言い終えると、レインは霊夢に背を向けて歩き出す。(――待って!)遠ざかってゆく背中に霊夢は声なき声をあげるが、レインは立ち止まらない。徐々に、徐々に、その身体が闇の向こうへと消えてゆく。

 

『――あたしは、誰の中にもいる。でも、ここにいるあたしは、あんたの中にある唯一のレイン。そして、レインは誰の中にもいて、それぞれのレインがそこにいる……だから、探しても無駄だよ。だって、始めからあたしたちはそこにいるんだから』

 

 それだけを言い残すと、レインは今度こそ闇の向こうへと……その姿を消した。(――っ!)声なき声でその名を呼ぶも、もう霊夢の声に返事はない。

 

 そうしてから、体感にして十秒程だろうか。フッと、頬に触れる空気が動いた……と気づいた時にはもう、霊夢は動けるようになっていた。勢い余ってたたらを踏んだ霊夢は……呆然としたまま、周囲を見回した。

 

 見える光景に、変化はなかった。砕けた天井も、埃だらけの本棚も、傷だらけの床も、変わりない。唯一の変化は、目を瞑って倒れている、こいしだけ。

 

 

 ……しばしの間、霊夢は何も出来なかった。

 

 

 ただ、ぼんやりとした様子で佇んだ後……へくち、とこいしがくしゃみを零したのを見て、ようやく動き出したのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 ……。

 

 

 ……。

 

 

 …………こいしを背負ったまま、どのような順路を経て神社に戻ったのか、分からない。高く昇っている月に見下ろされるがまま、気付けば霊夢は、明かりが零れている境内に降り立っていた。

 

 くん、と鼻を鳴らせば、味噌の匂いが嗅ぎ取れる。嗅ぎ慣れた匂いだと思いながら、半ば放り捨てるようにして靴を脱ぎ捨て、中に入る。途端、ほわり、と肌に触れる、昼間の熱気とは異なる温かみ。

 

「…………」

 

 軽く、息を吐いた。次いで、霊夢はこいしを一端下ろす。押し入れより布団一式を出して、そこにこいしを寝かせる。その途中で外してやった帽子を、何気なく見やった後、それを枕元に置いた……その、直後。

 

「――不良巫女さん、何処までほっつき歩いていたのかしら?」

 

 部屋の外、廊下の向こう。台所へと通じる方から、割烹着を身に纏った紫が姿を見せた。それを見て、霊夢は思わず目を見開いた。というのも、だ。基本的に、紫は家事全般を式の藍に任せているからだ。

 

 まだ霊夢が幼い頃には紫が台所に立って食事の用意をしてくれたこともあったが、今は違う。おそらく霊夢以外に知る者は少ないであろうその姿は珍しく、「その恰好、ひさしぶりに見るわね」霊夢も似たような感想を抱いた……が。

 

「……何言っているの? ひさしぶりも何も、昼間も同じ格好をしていたでしょう?」

「――え?」

「もう、暑いからってだらだら暢気にしていては駄目よ――と、こいしは寝ているの? 妖怪だからといっても、あんまり強いわけじゃないんだから、無理に引っ張り回すのは駄目よ」

 

 

 そう思ったのは、霊夢だけのようだった。

 

 

 呆然と……ただただ呆けたまま固まる霊夢を他所に、「ほら、御夕飯持ってくるから、手を洗って来なさい」紫はそう言って霊夢の背を押した。促されるがまま、廊下へ出て、洗面所へと進み……そこで、また絶句した。

 

 洗面所自体は、見慣れた光景そのままであった。少しばかり錆びが見られるパイプが壁から伸びて、陶器製の洗面台へと続いている。細かい傷によって少しばかり曇りが見られる鏡に映る己は青ざめていて、己の後ろに見える……壁に浸けられた幾つもの傷。

 

 

 それは、霊夢がまだ紫の腰までしか背丈が無かった頃。一人で風呂に入るのが怖くて、紫と一緒に風呂に入っていた時のもので、いわゆる成長の証を記した傷である。

 

 

 傷には、二通りある。霊夢から見て左側は、今の霊夢の胸元辺りから頭にかけて、不規則な間隔で付けられた幾つかの横線。そして、右側にあるのは、今の己よりも頭一つ分以上高い位置にある、左側よりも深く刻まれた……一本の横線。

 

 一つは、幼かった霊夢の成長を表した傷。そしてもう一つは、小さな霊夢の手によって刻まれた……紫の背丈を表した傷。霊夢と紫だけの心の奥にある……二人だけしか知らない、二人だけの懐かしい思い出……のはずだった。

 

(――知らない。私は、紫とそんなことをした覚えはない……はずなのに、どうして……どうして、それをした思い出が私の中に……?)

 

 それは、何とも言い表し難い不思議な感覚であった。脳裏を過るのは、紫との思い出だ。泥だらけの傷だらけになった自分を慰めてくれる紫に、嫌がる己を伴って強引に風呂へと強行する紫。そのどれもが鮮明で、そのどれもが事実であると……『勘』が、教えてくれる。

 

 

 しかし、同時に、霊夢の『勘』が教えてくれる。この記憶は、偽物である、と。

 

 

 己が培ったものではない。己が過ごしてきた日々のものではない。思い出という名の記憶が、引き出しごと差し込まれたような状態。前から有った記憶と、新たに加えられた記憶が混在している。

 

 

 その、強烈な違和感に……霊夢は、堪らず洗面台に顔を近づけた。直後、ぐぷっ、と胃が痙攣したかと思えば……次の瞬間には、ごぽう、と胃液を吐き出していた。

 

 

 そこに固形物が混じっていないのは、昼間ぐらいからほとんど食事らしい食事を取っていないからなのは……不幸中の幸いなのだろう。

 

 ぐげっ、ごへっ。辛うじて蛇口を捻れば、勢いよく水が飛び出す。洗面台にもたれ掛ったまま、霊夢は何度も胃液を吐き出し、胃液と水とが混じり合う溶液が排水溝の向こうへと流れ落ちて行くのを眺めた。

 

 無言のまま……霊夢はガラスの向こうに映る己を見やる。目元は涙で濡れて、口元は胃液と唾液で汚れている。はあはあと零れる吐息からは臓物の臭いが漂い、水を流してもなお気持ちが悪くなりそうであった……と。

 

「――霊夢! どうしたの!?」

 

 背後から掛けられた声に、霊夢は振り返った。視線の先にいたのは、己以上に青ざめた紫の姿。いったいどうしたのかと思って見つめていると、紫は半ば飛び込むほどの勢いで中に入ると、そのまま……霊夢を強く抱き締めた。

 

 思わず、霊夢は面食らって離れようとした。だが、紫は放してくれなかった。それどころか、離れようとする素振りを察して、さらに力を込められる。痛みすら伴う圧力に、霊夢はしばしそのまま抱き締められるがままでいた。

 

 どうしたの……その言葉に、霊夢は言い返したかった。

 

 

 それは、こっちの台詞だ、と。

 

 

 でも、言えなかった。

 

 何故なら、おかしいのは己の方だから。

 

 紫はただ、昨日まで続けてきた日常を、今日も行っただけのこと。イレギュラーを起こしたのは霊夢の方であって、紫には何の落ち度もないのだということが、何となく分かったからだ。

 

「……何か、あったの?」

 

 そのまま、たっぷり5分程だろうか。背中に回された紫の温もりがすっかり伝わって感覚が分からなくなってきた頃、ぽつりと掛けられた言葉が、それであった。

 

「……何も、ないわ。ちょっと、昼間の熱気に酔っただけよ」

 

 紫の胸元に顔を埋めたまま、霊夢は答える。

 

 懐かしい感触、覚えのある匂い。存在し得ないはずの記憶と、存在しているはずの記憶。慣れていない温もりだと記憶が訴えてくるのに、慣れ親しんだものだと記憶が訴えてくる。

 

「何だか、疲れちゃったのかもね」

「……本当に、それだけ?」

「ええ、本当よ」

 

 背中に回された腕を、偽物の腕と思うべきか。それとも、偽物だと思う己の頭を疑うべきか。今の霊夢に、どちらが正しいのかを判断する術はない。

 

「ねえ、紫」

「なに?」

 

 けれども、ただ一つ。たった一つだけ、確かなのは。

 

「もうちょっとだけ……こうして、いてくれる?」

「……昔みたいに、お母さんって呼んでもいいのよ?」

「……茶化さないでよ」

 

 例え、正解がどちらであったとしても。優しく髪を梳かれ……こうして、紫に抱き締められれば安らぎを覚え、嬉しいと感じる……ということであった。

 

 

 

 




いわゆる、折り返し地点

↓ この先、ちょいとネタバレになるかもしれない補足説明。読んでも読まなくても大丈夫な内容だとは思うけど、中にはネタバレに感じるかもしれない




















分かりにくいだろうけど、この作品において『岩倉玲音』は原作のように、オリジナルである玲音の他にも、何パターンかの玲音が登場します。(あるいは、既にしています)
一番最初に姿を見せた玲音は、オリジナルの玲音。
今回の話にて姿を見せたレインは、アウトローな感じのあのレイン姐さんです。口は悪いですが性根は優しく、霊夢のことを気遣っています。
いちおう、他に二つのレインが登場する予定です。ちなみに、さとりが運悪く接触してしまったlainは、原作において玲音をどん底まで傷つけ追い詰める結果となった、あのlainです


現時点で――による記憶改ざんが成されている主要キャラクターは、咲夜と里の重鎮(阿求、慧音など)と、八雲紫たちです。
これはあくまで夏の時点ですので、秋まで時が進めば・・・・・
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