Serial experiments □□□  ー東方偏在無ー   作:葛城

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おかしい……lainの二次創作が少ない
lainの世界に転生したオリキャラがlainを好きになってみんながlainを好きになってワイヤードと現実世界との間に意識をさまよわせてlainを好きになってlainに罵られてlainを見上げて祈りを捧げる

そんな、オリ主ものがない……うちも、やったんだからさ?


秋の章:その1

 

 

 

 

 

 

 春になれば待っていましたと言わんばかりに花を咲かせ、夏になれば緑が溢れて枝葉を広げ、秋に成れば枯れて地面を肥やし、冬は春の到来を待ちわびて耐え続ける。植物は、人間以上に四季に敏感である。

 

 何故なら、植物は人間が作り出した暦という名の指標に、季節の判断を委ねたりはしないからだ。なので、人々の間でも判断に迷う時期であろうとも、植物は今が何の季節なのかを迷いなく判断していた。

 

 

 ……具体的に、何が言いたいかといえば、だ。

 

 

 秋を自覚する切っ掛け。それは秋ごろに咲く花であったり、並び始める書物であったり、溢れかえる音楽であったりと、人によって異なっているだろう。とはいえ、だいたいの人は朝晩の肌寒さから、それを感じ取るのではないだろうか。

 

 御多分に漏れず、幻想郷に住まう人々もまた、そんな大多数と同じであった。

 

 いや、むしろ、外よりも(割合的に)自然がはるかに残されている幻想郷においては、外の世界に住まう人々よりもよほど強く秋の到来を実感している(というより、させられた)のかもしれない。

 

 その中でも、特に早く秋の到来を実感していたのは博麗霊夢、その人で。楽園の素敵な巫女として一部より怖れられている彼女に秋を実感させていたのは……境内の4割近くを埋めている、落ち葉の山であった。

 

 そう、落ち葉だ。しかも、落ち葉は地面に有る限りではない。少しばかり視線を横にやるだけで、新たな落ち葉が境内へと補充されているのが目に止まる。その勢いたるや、見ただけで誰もがため息を零すほどであった。

 

 

 ……いや、まだ神社の中はマシだろう。

 

 

 というのも、だ。霊夢が住まう神社は人里より距離がある。言ってしまえば、神社の周辺には人の手が入っておらず……ぶっちゃけ、緑一色の森林なのだが、それが今や落ち葉だらけの茶褐色の景色になっているからだ。

 

 その光景は、まるで落ち葉の絨毯が一面に敷き詰められたかのよう。傍目からでは分かり難いが、その厚さは所によっては数十センチから1メートル近くにも達しており、天然の落とし穴が形成されてしまっている場所もある。

 

 そのうえ、軽く視線を向けるだけでも確認出来る、新たな落ち葉。視線を少し上げれば、まだまだ枝先には枯葉が引っ付いているようで、茶褐色の枯葉の貯蔵は十二分にあるようだった……のだが。

 

「…………」

 

 霊夢の反応は、去年まで見せていたものとは少しばかり異なっていた。例年であれば、それなりに不機嫌になっていたり非常に面倒臭そうにしていたりするのだが……今季の霊夢は、そのどちらでもなく、とても憂鬱そうにしていた。

 

 いったい、何故か?

 

 降り積もっている落ち葉を前に早々にやる気を失くしているから。

 

 これが終わっても三日後には同じ量を片付けねばならないから。

 

 片付けた所で参拝客が増えるわけでもないから。

 

 博麗霊夢を知る者ならば、そんなところだと理由を当てはめていただろう。事実、憂鬱そうにしている霊夢を見た知り合いたちはみな、口を揃えて似たような感想を零していた。

 

 

 ――だが、しかし。

 

 

 彼女たちは、気付いていなかった。霊夢が憂鬱そうにしている理由は、落ち葉の片づけが面倒だからではない。むしろ、その逆。落ち葉を片付けるという面倒事に淡い安らぎを抱いていること事態が、その理由であった……と。

 

「……霊夢、廊下の落ち葉は全部落としたよ」

 

 不意に、背中から声が掛けられた。ハッと我に返って振り返った霊夢は、「ありがとう、それじゃあ向こう側をお願い」石畳を挟んだ向こう側の境内を指差した。

 

 指示を受けた……こいしは、言葉無く頷くと、竹箒を片手に指示された先へと向かい……静かに、作業を始めた。神社に居座るようになってから細々とした雑事をこなしてきたからか、その手付きは霊夢程ではないが上手であった。

 

 けれども、その背中はあまりに儚く弱弱しい……と、霊夢には思えた。まるで、炎が消えた蝋燭だ。生気に溢れた、かつての天真爛漫を地で行く姿を知る者が見れば、驚きに言葉を失くしただろう。

 

 

 実際、神社を訪れた者たちの大半は、そんなこいしの姿を見て驚いていた。

 

 

 ただ、あまり心配はされていなかった。こいし自身は「大丈夫だから、ちょっとメランコリーな感じなだけ」と言うばかりだが、傍の霊夢が「そういう季節」とフォローすれば、その大半も納得して引き下がったからだ。

 

 なので、物静かなこいしの姿はもうすっかり皆々の間では慣れたもので。時折、こいしの知り合い(地底での友人)が声を掛けに訪ねて来るのが見受けられることもあって、今の所は誰も問題視していなかった。

 

(……駄目ね、このままじゃ)

 

 ただ一人、霊夢を除いて。

 

 力無いその後ろ姿を横目で見やりながら、霊夢は……人知れずため息を零した。瞬間、そのため息がこいしの耳に届いてしまったかとヒヤリと思ったが、変化の無い背中を見て……霊夢は、内心にて、二度目のため息を零した。

 

 己と同じく、不安なのだろう……こいしの態度の原因は、おおよそ見当が付いていた。

 

 

 ……レミリアの館(今では、ただの廃墟としか認識されていないようだ)での遭遇より、次の季節へ。気づけば暦の上でも肌寒さの上でも、もう秋と判断して差し支えない時期となっているが……未だ、霊夢たちは何処へ向かうことも出来ずにいた。

 

 辛うじて見つけた手掛かりは、完全に途絶えてしまっている。ようやく見つけたレインと名乗る岩倉玲音は何処かへ消えた。博麗霊夢の十八番ともいえる『勘』が役に立たない今、後に残された霊夢とこいしは……何をするでもなく、日常生活を続けることを余儀なくされていた。

 

 そう、本当に、霊夢とこいしは、そうすることしか出来ず、ただただ指を咥えて静観を続けることしか出来ていない。

 

 というのも、あの時発生していた諸々の問題が自然消滅する形で解決してしまうばかりか、(おそらくは『岩倉玲音』による)館や咲夜に起こったような目に見えない記憶や目に見える物質の改変が、幻想郷全体で行われ始めたからだ。

 

 

 例えば、諸々の問題の件の一つである、夏頃に発生した里を襲う妖怪の大発生。

 

 

 原因は未だに不明なままだが、人里へと下ってくる魑魅魍魎……木端妖怪たちが、あの夜を境に数が激減した。結果、まるで発生していたことが嘘であったかのように里には平穏が戻った。

 

 レッドゾーンへ振り切っていた連日の猛暑も、それに追随する形で鳴りを潜めた。気付いた時には例年とそう変わらない程度にまで気温も下がり、作物等が駄目になる直前だったこともあって、里人たちは一様に胸を撫で下ろした。

 

 妖怪たちの襲撃が治まり、暑さも和らげば、負傷者の回復も早くなる。薬草を始めとして、様々な物資がこれまで通りに流通するようになったこともあって、夏が終わりを見せ始めた頃には負傷者の8割強が完治に近い状態となった。

 

 気付けば……そう、気付けば、あれだけ里を悩ませた問題が、夏の終わりと共にあっさり片付いてしまった。これには霊夢のみならず、里の関係者を含めて大半の者が不思議に思ったが……結局、思うだけに終わった。

 

 何故なら、八雲紫を始めとした賢者たち、里の知識人たちですら、原因の見当すら付けられないままに終わったからだ。加えて、分かったところで里の一般人たちに出来ることなど、まずない。

 

 そんなことに気を回すよりも、冬に備えて支度を進め、年を越せるように準備しなければならない。実際の所、そう考えて話を切り上げるのが大半で。噂話程度とはいえ、アレは何だったのかと疑問視するだけでも、上等な方なのであった。

 

 

 ――そして、もう一つ。

 

 

 妖怪たちの襲撃が治まるに連れて徐々に表に現れ、現時点では霊夢とこいししか気付いていないこと。

 

 それは、人間や妖怪の区別なく、誰も彼もが気付かぬ間に物質的にも、精神的にも、改変が施され続けているというものだ。

 

 

 具体的に例を挙げるならば、レミリアたちが暮らしていたはずの紅魔館(廃墟)だ。

 

 

 霊夢の記憶の中では、つい数か月前までは現在進行形でレミリアたちが住んでいた。しかし今は、百年近く前に滅んだ廃墟として認知されていて、実際に主であるレミリアもいない。

 

 レミリアに忠誠を誓っていた十六夜咲夜も、レミリアのことを完全に忘却していた。それどころか、咲夜自身は稗田家に仕えるメイドとして働いていると記憶しており、実際に、稗田の者たちもそう認識していて、登録名簿にもしっかり記載されていた。

 

 

 改編の規模は大きく広く、あまりに綿密であった。

 

 

 歴史に関する能力を持つ者を始めとして、一度見聞きしたことを忘れない能力を持つ者ですら、昔からそうだったと、始めからそうだったと認識し、そのことに全く疑念を抱いていないのだ。

 

 しかも、記憶と物質の改変は刻一刻と範囲を広げ、無差別に続けられている。姿形は変わらずとも、昨日まではそうであったはずの人物が、次の日には霊夢の知らない誰かへと記憶が改変されている。なのに、誰も、そのことに疑念を抱かない。

 

 

 何と……何と、恐ろしい話だろうか。

 

 

 己が正しいのか、それとも己が間違っているのか。相手の記憶が改変されているのか、それとも己の頭が改変されているのか。偽りの記憶が実のところ正しいのか、それともやはり偽りは偽りでしかないのか……それすら、今の霊夢では確証を持って断言出来なくなっている。

 

 傍にて同じく改変される前の記憶を維持しているこいしが居なかったら、霊夢ですら自身の頭がおかしくなったと思っただろう。それぐらいに改編の規模は大きく広く、隙間なく綿密で……いたずらに時を浪費させる以外の手段を、霊夢には与えなかった。

 

(……結局、私は何も出来ないままだ。『岩倉玲音』の目的も分からないまま、半年近く……やれやれ、博麗の巫女が聞いて呆れちゃうわね)

 

 竹ぼうきを操る手を止めないまま、霊夢は内心にて己の無力さに目を向ける……いや、向けてしまうのを抑えられない。

 

(レミリアのことも、そう。何が何だか分からないまま、気付けば全て終わって……さとりのことも、まだ行方が分からない)

 

 ちらりと、霊夢はこいしの背中を再び見やる。しかし、ただ見やるだけ。それ以上のことはおろか、上手い言葉も思いつかず……どうしようも出来ないというやるせなさだけが胸中にてわだかまっていた。

 

「――相変わらず、ここの落ち葉は酷いな」

 

 加えて、此度の異変の影響は。

 

「おっす、霊夢。だらだらやっていると学校の時間に遅れるぞ」

 

 当の博麗霊夢にすら、無視出来ないレベルでの影響を残していた。

 

 掛けられた声に振り返った霊夢の前に立っていたのは、『白黒』と呼ばれたりしている霧雨魔理沙であった。ちなみに、白黒の由来は、年がら年中、魔理沙の恰好が白と黒を基調とした恰好が多いからである……のだが。

 

「……魔理沙、朝っぱらからどうしたの?」

 

 眼前に現れた魔理沙の恰好は、この時ばかりはそうではなかった。白と紺色の……とりあえず、白黒ではない。ある意味トレードマークでもある箒と三角帽子はそのままだが、魔理沙が好んで身に纏っている何時もの衣服とは、少し違う。

 

 何だろうか、不思議な出で立ちだ。そう、霊夢の基準からすれば、眼前の魔理沙は、そうとしか言い表しようがない恰好をしていた。少なくとも、霊夢の知る魔理沙は、眼前の魔理沙のような恰好はしなかった……はずなのだが。

 

「どうしたって、この恰好を見て分からんのか?」

 

 ――分からないわよ。そう言い掛けた言葉を、霊夢は寸での所で呑み込む。

 

「友達が学校行く前に迎え来てやったんだろ。そろそろ行かないと遅刻するぞ」

 

 やはりというか、何というか……今回もまた、そう思っているのは霊夢だけのようで……いや、待て。

 

 遠い世界へ逃避しようとした霊夢の意識が、寸での所で戻された……今、コイツはなんと言った?

 

「……学校?」

「……お前、今日が日曜日か何かと勘違いしてるだろ。今日は月曜日、日曜日は昨日でお終い。のんびり掃き掃除なんかしている暇はない……だろ?」

 

 心底呆れた様子の魔理沙を前に、霊夢はぽかんと大口を開けて呆けた……瞬間。ぎゅるり、と舐めるように脳裏を過った不快な感触に、霊夢は思わずその場でたたらを踏んだ。

 

 立ち眩みとは、少しばかり感覚が違う。けれども、傍からは突然の立ち眩みにしか見えない。「――ちょ、大丈夫か?」くらりとふらつく霊夢に慌てて駆け寄った魔理沙を、霊夢は大丈夫だと言わんばかりに圧し留め……間を置いてから、ふう、と息を吐いた。

 

「驚かせて御免、今日はちょっと朝から気分が優れなくて……ええ、そうね、思い出したわ、今日は学校だったわね。その制服、似合っているわよ」

「……制服なんて見慣れたもんだろ。ていうか、顔色が真っ青だぞ。本当に大丈夫か?」

「大丈夫よ。博麗の巫女がこの程度で参るわけないじゃない……ちょっと待ってなさい。すぐに着替えて来るから」

「そうか、それなら分かった。でも、無理するなよ」

 

 なおも心配そうに見てくる魔理沙に手を振りつつ、霊夢は自室へと向かう。途中、割烹着を着た紫と出くわした際、「……具合が悪い時は、休んでもいいのよ」半ば強制的に布団の中へ押し込められそうになったが、霊夢は強引にソレを振り払って自室へと戻り……そして、深々とため息を零した。

 

 

 何故ならば、見慣れた己の自室(けっこう広い和室)が、見慣れはしないが覚えのある自室に変わっていたからだ。

 

 

 例えば、部屋の隅に置かれたテレビ。テレビそのものは前にもあったのだが、形が変わっている。本体のスイッチを直接操作してチャンネル操作を行うタイプだったはずが、リモコンで操作出来る……次世代のテレビに変わっているのだ。

 

 テーブルに置いてあった湯呑も、何年も使い続けてヒビが入った古ぼけたやつから、絵柄の入った可愛らしいモノへと変わっている。その下の畳も、何処となく真新しい。視線をあげれば見慣れぬ洋服箪笥が有って……おもむろに取手を引っ張れば、そこには魔理沙が身に纏っていた物と同じ……学校の制服が収まっていた。

 

 その制服に、見覚えはない。けれども、それが自分の物であるという記憶はある。また、それが制服であるというのが……幻想郷にて唯一の女学校である『幻想女学校』のものであるというのを、何故か記憶している自分に……霊夢は、辛うじて苦笑を零せた。

 

 

 ……幻想女学校とは、その名の通り幻想郷内においては里内にて唯一といっても過言ではないぐらいに特殊な、女学校のこと。その歴史は深く、おおよそ80年前に設立された。

 

 その所以は他でもなく、通う生徒の大半が相応の力や『程度の能力』を持つ者が多いから……だということを、霊夢はつらつらと思い出しながら……耐えきれず、舌打ちをした。

 

 

 ――なーにが、幻想女学校だ。なーにが、歴史のある学校だ。

 

(たった今さっき作られたばかりの学校に、何の歴史があるというのかしらね)

 

 そう、胸中にて吐き捨てながらも、仕事着である巫女服を脱ぎ捨て、見慣れない制服に手を取る。指先から伝わってくる制服の感触は初めてだと認識出来るのに、袖に腕を通せば……君の悪さを覚えるほどに、しっくりと身体に合う。それこそ、巫女服以上に。

 

 

 ――これで、いったい何度目の改変になるのだろうか。

 

 ――さあね。少なくとも、覚えていられないぐらいの数になるわね。

 

 

 洋服箪笥から離れ、部屋の隅に置かれた姿見で己が恰好を見やった霊夢は、何度目かとなる自身への問い掛けを行う。直後、自身の奥底より返された答えに、霊夢は堪らず……己が頭を叩いた。

 

 己が胸中に広がっているのは、改変から来る恐怖……ではない。ましてや、怒りでもない。それをどう言葉に言い表せればよいのかは分からないが、強いて挙げるとするなら……『辛い』、その一言に尽きた。

 

 そう、どうしようもなく、辛いのだ。刻一刻、こうしている間にも、霊夢の記憶にある幻想郷が、現実の世界から消えてしまう。それが堪らなく辛くて、それこそ身を切るよりもずっと……っ。

 

 ハッと、背後に覚えた気配に、霊夢は振り返った。霊夢の視線の先には、何処となく暗い雰囲気を漂わせたこいしが立っていた。何か言いたげな様子で、霊夢を見つめていた。

 

 

 ――今しがた考えていたことを、読み取られたかもしれない。

 

 

 反射的に、霊夢は身構えそうになった。けれども、そうはならなかった。そう考えた直後、こいしは他者の心を読むことが出来ないことを思い出し……肩の力が抜けたからだ。

 

「なに、どうしたの?」

「万が一倒れていたら危ないから、様子を見て来いって魔理沙が……」

「ああ、なるほど。変な所で心配性なんだから……うん、分かった。もう向かうから……んで?」

「……?」

「あんたはどうするの?」

 

 小首を傾げるこいしに、霊夢は率直に尋ねた。

 

「植え付けられた記憶では、私とあんたは仲良く学校に通う間柄……ということになっているらしいけど、そっちはどうなの?」

「だいたい一緒」

「それじゃあ、どうする? これまで通り、私は他の奴らの不審を買わないように振る舞うつもりだけど……あんたは?」

「………………」

 

 すぐに返答が成されるかと霊夢は思っていた。だが、こいしが返答するまでには、それなりの間が置かれた。「私は、いいや。ちょっと、里の方をブラブラしてくる」そして、それだけを素っ気なく告げると、トコトコと力無い足取りで部屋を出て――いこうとする、直前。

 

「ねえ、霊夢」

 

 不意に、こいしは振り返ると。

 

「霊夢は……さ。まだ、異変を解決したいって……思ってる?」

 

 そう、尋ねてきた。

 

「――思っているわ。でも、私にはどうしたらいいか分からない……情けない話だけど、何から始めたら良いのかが分からないの」

 

 なので、霊夢は答えた。率直に、それでいて素直に現状をこいしに告げた……のだが。

 

「本当に?」

「え?」

「本当に、霊夢は分からないの?」

 

 仄暗くも静かに、それでいてはっきりと。真正面から否定された霊夢は一瞬、何を言われたのかが理解出来なかった。

 

「――ごめん。嫌な言い方しちゃったね。明日は私も学校に行くから、下見をお願い」

 

 けれども、ようやく。言われた言葉を理解したと同時に、こいしから謝られた。「いや、別に、気にしていないわよ」出鼻を挫かれる形となった霊夢は、ただそう答えるしかなくて……そっと、部屋を出て行くこいしの背中を、見送ることしか出来なかった。

 

「……何なのよ」

 

 それ以上、霊夢は何も言えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「はい、お弁当。今日は卵焼きを大目に入れておいたわよ」

「……ありがとう。ところで、心もち塩は多めよね?」

「大目にしているし、ふんわり焼いておきました。それじゃあ、行ってらっしゃい。具合が悪くなったら、無理せず帰って来なさい」

 

 魔理沙と同じ制服に着替えて一通りの準備(教本等が入った鞄が、いつの間にか机の傍に置かれていた)を終えた霊夢を出迎えたのは、割烹着を脱いで、紫色を基調とした何時もの恰好となった紫であった。

 

 作り立て、なのだろう。風呂敷に包まれた弁当箱から伝わる熱はほのかに温かく、今しがた移し替えたばかりなのが分かる。匂いは……しないが、何処となく卵の匂いが嗅ぎ取れたような気がした。

 

 ……ちらりと、弁当箱から目線をあげる。途端、にこにこと優しく微笑む紫の視線とぶつかった。思わず視線を下げて、再び弁当箱に目をやる。伝わって来る温かさが、より顕著に感じ取れた……気がした。

 

 

 ……あの夜より、今日まで。

 

 

 八雲紫という名の大妖怪は、今みたいに毎日のように食事の用意をしてくれている。いや、食事だけではない。掃除を始めとして、細々と霊夢の身の回りの世話をしてくれるようになった。

 

 霊夢の知る八雲紫とは、少し違う。幼い頃は彼女も、今の紫と同じようにしてはくれたが……最後にそうしてくれたのは、何時だっただろうか。思い返そうとしたが、霊夢は思い出せなかった。

 

 何せ、本当に幼い頃の話だ。多少なりとも物心が付いた頃にはもう、紫は己の式である八雲藍に家事全般を押し付け、ぐうたら生活を送るようになった。霊夢としては、そちらの方が見慣れている……それが、今はこれだ。

 

 

 これではまるで……母親だ。そう、まるで母親のようだ。率直に、霊夢はそう思った。

 

 

 何故、そこまでしてくれるのか、その理由は分からない。霊夢の脳裏に植え付けられた記憶では、自身が物心付く前からそうしていたとなっている。だから、それ以上のことは霊夢にも分からない。

 

 十数日前ぐらいに、どうしてもそこが気になって尋ねたことはある。その時、霊夢は率直に尋ねた。どうして、そこまで己に良くしてくれるのか、何かしてほしい事があるのか……と。

 

 それに対して返された言葉は、無かった。けれども、返されたものはあった。

 

 それは、苦しさすら覚えるほどの強い抱擁と、淡い微笑みであった。紫は、何も言わなかった。すっかり見慣れてしまった割烹着のまま、抱き締められた霊夢は……それ以上、何も尋ねられなかった。

 

 

 いったい、今の紫はどのような改変を受けているのだろうか。

 

 

 当時を思い返すだけで、あの時のぎゅっと抱きしめられる温かさと苦しさが、胸中に湧き起こる。息の仕方が分からなくなって、でも、どこか心地よくて……そう、まるで、今みたいな感じで……ん?

 

「……暑いんだけど?」

「霊夢が、ちょっと寂しそうな顔をしていたから悪いのよ――ほら、暴れないの」

「魔理沙が見てるでしょ! ちょ、はな、離れなさいよ!」

 

 ぼんやりと考え事をしていたせいか、紫の接近に気付けなかった。半ば振り払うようにして紫の腕から逃れた霊夢は、大きく息を吐いた。次いで、にやにやと気色悪い笑みを浮かべている魔理沙を睨みつけた。

 

「何か言いたいことがあるようね」

「いや、なーんも」

「それじゃあ、その気色悪い笑みを引っ込めなさい」

「気色悪いとは人聞きの悪い。私はただ、珍しく照れて真っ赤になっている霊夢の顔が見られたなあ~って思っているだけさ」

 

 

 ――瞬間、霊夢は己が頬を両手で隠した。

 

 

 この場に鏡はない。だから、己の頬がどうなっているかは分からない。けれども、掌から伝わる熱は、己が発したとは思えない程に熱く、触れた掌は水に浸したかのように冷たく……遅れて察した霊夢は、魔理沙の視線から逃れるかのように空へと飛んだ。

 

 

 ……一拍遅れて気づいた魔理沙が、慌てて後を追いかける。

 

 

 出で立ちが変わったとしても、三角帽子をたなびかせ、箒に跨って空を舞う姿は変わらない。音もなく寒空の向こうへと小さくなる背中を、轟音と共に追いかけ……その二人の後ろ姿を、紫が手を振って見送った。

 

 

 

 

 

 

 ……距離にして、たった数十メートル。子供の足でも走れば十数秒の長さだが、それを高さに変えれば意味合いが変わる。たったそれだけの長さではあるが、その長さがもたらす寒さは骨身に浸みる程に強い。

 

 何故なら、幻想郷には外の世界のような高層ビルやマンションといった高い建物がない。有っても、せいぜい4階か5階の高さが限度であり、その数とて片手で収まる程度しかない。

 

 加えて、幻想郷には車を始めとして、熱気を生み出す物が少ない。なので、その冷たさは外の世界よりもよほど厳しく、吹きつけられる寒波は如何ともし難く……魔法にてある程度は防いでいる魔理沙ですら、幾度となく総身を震わせてしまう程の寒さであった。

 

 

 だが、しかし。

 

 

 霊夢だけは、違った。吹きつけられる風に少しばかり顔をしかめたりはするものの、霊夢だけは何ら堪えた様子もなく、乾燥した秋空の下を、速度をほとんど落とすことなく飛行を続け……あっという間に、目的地である『幻想女学校』の正門前へと着地した。

 

 ……見慣れない景色ではあるが、見覚えのある景色ではある。

 

 似たような事を、あの夜から何度思っただろうか。もう、数えることすら止めている。けれども、そう思ってしまう事は止められない。そして、その度に零してしまいそうになるため息を、霊夢は前回と同じく、そっと胸の内に納め……眼前の建物を見上げた。

 

 ……霊夢には知る由もない事だが、『幻想女学校』の外観は、外の世界においては何ら珍しくない、大抵の人が学校と聞いて想像する、そのままの外観をしていた。

 

 広大な正方形の敷地に建造された校舎の手前には、運動場と思わしき広場が用意されている。鉄格子が取り付けられた正門には教師と思わしき人物が立っていて、敷地内に入ってくる生徒たちを逐一見やっているようであった。

 

 ここは……幻想郷の人里だ。鉄筋は当然のこと、セメントやコンクリート等を見かけること自体が、そう多くはない。無いわけではないのだが、木造住宅が当たり前の場所に……その学校は、異様とも思えるほどに目立っていた。

 

 少なくとも、霊夢の目からは場違いな建物にしか映らなかった。ちなみに、初見にて霊夢が抱いた『幻想女学校』への感想は、紅魔館よりもデカい建物だなあ……であった。

 

 

 さて、魔理沙は……後、3分程か。

 

 

 振り返って空を見上げれば、遠くの方に黒い粒がポツンと見える。変な所で負けず嫌いの気が有る魔理沙は、気遣われることを嫌がる傾向にある。それは、霊夢相手でも……いや、霊夢だからこそ、嫌がることが多い。

 

 先に行って待っているぐらいなら大丈夫だが、速度を落として併走するとヘソを曲げてしまう。長年の付き合いからそれを知っている霊夢は、まあ暇潰しがてらと思って辺りを見回した。

 

(……二つ名を持つ実力者の大半が通う女学校が、幻想郷に生まれる。こんな時じゃなければ、夢にも思わなかったかもしれないわね)

 

 不本意ながら妖怪方面に顔が広い霊夢だからこそ、眼前の光景の異様さがよく分かる。

 

 例えば、既に校舎の敷地内に入っている制服緑髪の後ろ姿が、そうだ。園芸部の部長を務めているらしいあいつはおそらく、風見幽香だ。顔を見なくても、気配で何となく分かる。

 

 ……風見幽香。幻想郷内でも名の知られた妖怪であり、太陽の畑と呼ばれている向日葵畑を根城として、季節ごとに花の有る所へ移動を繰り返す……大妖怪の内の一人だ。

 

 霊夢の知る限り、風見幽香とは数多の妖怪たちの中でも、その危険性は極高。不興を買いさえしなければ何もしてこないが、機嫌を損ねてしまえば100%殺しにかかる凶悪な妖怪……のはず、なのだが。

 

(泣く子も黙る花妖怪が、ここでは下級生に慕われるお姉様……か。紫もそうだけど、幽香ほどの妖怪ですら改変されている自覚を持てないのね)

 

 目の前を通り過ぎて校舎へと向かう者たちにとっては、昨日から続いている今日でしかない。だから、その表情には何ら不自然な点は見受けられず、日常風景の一つとしてでしか捉えられていないのが見て取れた。

 

(里で何度か顔を合わせたことがある年頃の娘ばかりじゃないの)

 

 そうして、改めて見やれば、幾つか分かることがある。例えば、霊夢と似たような……というか、同じ格好をした少女たちの顔ぶれに見覚えがないと思ったが、しばし眺めていると、そうではないことに気付く。

 

 あの子は確か、あそこのだんご屋の娘で、自分よりも年が3つ上だったはず。あっちにいるのは金物屋の娘で、自分よりも3つ年下。あそこの茶髪の娘は長屋の娘で……確か、自分と同い年だった覚えがある。

 

 友達というわけではないが、同世代だからだろう。里内での催事などで顔を合わせる機会が何度かあり、世間話を何度か交えたような……覚えがあった。

 

 3人共が、いわゆる、幻想郷内ではそう珍しくない家の娘だ。貧乏という程ではないが、裕福とは言い難い。住んでいる場所や当人たちの性格は全く異なっているが、共通しているのは……学校に通うような余裕はなかったはずだ。

 

(……今回の改編は、これまでとは規模が比べ物にならないわね)

 

 表向きはあくまで平静を保てたが、内心にて顔をしかめてしまうのを、霊夢は抑えられなかった……というのも、だ。改編の影響自体は霊夢(こいしも)を除いて全員へと起こるが、改変そのものの規模はそう大きくはなかったのだ。

 

 最初の紅魔館のアレが最大であって、これまではせいぜい建物の形が変わっていたりとか、通路が変化していたりだとか、その程度。頻度こそ頻発はしているものの、そこまで目立つような(あくまで、霊夢の目には)改変は起きていなかった。

 

 しかし、だ。そこにきて、これだ。これほど大規模かつ範囲の広い改変は、紅魔館以来だ。付け加えるなら、人的な意味でもこれほど規模が大きい改変は初めてであった。

 

(……結界の異常はない、か)

 

 学校へと入って行く女子たちの顔ぶれを確認しながら、軽く意識を集中して博麗大結界の様子を伺う。結界の要でもある神社から離れているので詳細までは分からないが、異常が有るかどうかぐらいは分かる。

 

 

 ――確固たる証拠はない。けれども、この学校を見た瞬間、霊夢は気付いてしまった。

 

 

 紅魔館の改変が目に見える変化の始まりであったように、これもまた何かの始まりなのだ、と。我知らず、霊夢は己の胸に手を置いた。疼きすら覚えてしまうほどに、『勘』が訴えて……と。

 

「ふー、相変わらず霊夢は早いなあ。まるで鳥みたいにスイスイ先を行くから追いかける方も大変……って、どうした?」

 

 そこまで思考を巡らせた辺りで、魔理沙が到着した。振り返った霊夢の目に映ったのは、頬を赤らめた魔理沙が、白い息を吐きながら緩やかに地面に着地するところであった。

 

 霊夢が見た限りでは……魔理沙は、まだ大丈夫だ。

 

 記憶や恰好が異なってはいるが、その性格は霊夢の知る魔理沙だ。この学校に一緒に通っているという点を除けば、改変されている部分は全く見当たらない。魔理沙は、まだ……大丈夫だ。

 

 心の中で、霊夢はそう呟く。

 

 己に向かって、口が裂けても絶対に言わないであろう言葉を、何度も何度も己の心へ言い聞かせながら……霊夢は、校舎へと歩を進めた。「ちょ――霊夢、先に行くなよ!」背後から響く、魔理沙の声を耳にしながら。

 

 

 

 ……。

 

 ……。

 

 …………そうして、記憶の中では何年も前から、体感的には初日となる学生生活を始めてから、三十日間ほど。その三十日間は、霊夢にとって人生で最も刺激に満ちて、混乱しっぱなしの三十日間であった。

 

 というのも、だ。まず、霊夢は学校というものに通ったことがない。人里にそういった施設がないというわけではないが、博麗の巫女という立場故に、次代の巫女として幼少より招かれた後は一対一の勉強が基本となるからだ。

 

 当然、教師となる相手側も普通の教師ではない。賢者とも称される八雲紫を始めとして、幻想郷における知識人たちによる徹底的な英才教育が施される。博麗の巫女が幻想郷内において一目置かれる所以の一つが、コレである。

 

 また、教育内容も人里で行われている一般的なものとは違う。読み書きこそ共通してはいるものの、対妖怪を想定した訓練を始めとした、博麗の巫女としての教育が主となっている。

 

 それ故に、霊夢は集団行動というものに全く慣れていない。いや、慣れる慣れないの話ではなく、時にはそういう行動を取らなくてはならないという考え自体が、霊夢の中にはないのだ。

 

 だからこそ、霊夢は柄にもなく緊張した。妖怪退治の方が100倍は気が楽だとも思った。ぼろが出て不審な目を向けられないようにと、かつてないぐらいに気を張っていた……が、しかし。

 

 

 霊夢のその心配は、杞憂に終わった。

 

 何故かといえば、改変された記憶にある己の姿へと、わざわざ取り繕う必要がなかったからだ。

 

 

 言うなれば、『学校に通っていたかもしれない自分の性格』と、『博麗の巫女として神社で暢気に過ごしている自分の性格』とに、全く違いがなかったから。付け加えるなら、学生として振る舞う上で必要となる知識が既に霊夢の中にあったおかげでもあった。

 

 ……いや、全く、というのは違うのかもしれない。霊夢自身が気付いていない違いが、気付かぬうちに表に出てしまっているのかもしれない。だが、今の所は霊夢の変化に気付いたものはいなかった。

 

 まあ、当の霊夢ですら、『ほぼ同じ』だと思うぐらいなのだ。近しい仲である魔理沙や、近しい間柄になっている紫ですら、気付いた様子はなくて。昼は学校にて勉学(やる気は皆無)を行い、放課後は消えたさとりや『岩倉玲音』を探して里中を歩き回り、夜は神社にて素直に寝る……というのが、学校に通い始めてからのサイクルとなっていた。

 

 当然、そのサイクルを送るに当たって様々な問題に直面はした。

 

 けれども、改変された記憶を元に不自然なく振る舞えるだけの器用さが、霊夢にはあった。稀代の天才と称されるだけは、あったのだろう。たった三十日間とはいえ、我知らず霊夢は……学校生活というものに順応していた。

 

 

 

 

 

 

 

 ……突き刺さらんばかりに冷えた空気に満ちた、早朝。ほんわりと漂って来る味噌汁の香りに目が覚めた霊夢は、むくりと身体を起こし……欠伸を零しながら、何処からともなく漂って来る匂いに意識を向ける。

 

 味噌汁の、匂いだ。加えて、ご飯が炊ける特有の香りもする。耳を澄ませれば、包丁がまな板を叩く音も。いったい誰が……決まっている。紫が、自分たちの朝食を用意してくれているのだ。

 

 見慣れない光景というか、その姿に最初は面食らったが、今ではすっかり慣れてしまった。その事が本当に良いか悪いかは霊夢には判断出来なかったが、母親のように振る舞ってくれていることは……まあ、悪い気は……と。

 

 

 背筋を走るむず痒さに、霊夢は首を軽く振った。

 

 

 次いで室内を見回し、己の布団の、隣。そこには、霊夢に背を向ける形で寝息を立てているこいしの頭が視えた。深く、寝入っているのだろう。僅かに聞こえてくる寝息は規則正しく、眠りが醒めそうな気配は全く感じ取れない。

 

 

 まあ、無理も無いかなあと、霊夢は寝ぼけた頭で思う。

 

 

 二人が学校に通うようになって、早31日目の朝。さすがに校舎に入るだけで身構えていた時期は共に脱したが、それでも慣れないことをしていることには変わりない。

 

 それに加えて、放課後は『岩倉玲音』の捜索と、未だ消息不明のさとり達(レミリア達のこと)の捜索もある。手掛かり一つ無いのと、他者の助力を頼れないが故に、捜索の手段は地道な聞き込み一択のみ。

 

 これで少しでも事態が好転してくれればまだ良かったのだが、現実は非情だ。何一つ得る物がないまま、砂漠の海に手を突っ込むかのような徒労感だけが積もり積もってゆく。

 

 時々妖怪たちから化け物扱いされる霊夢ですら、ちょっと疲れが溜まっているなあ……と自覚出来てしまうぐらいなのだ。妖怪とはいえ、霊夢よりも体力的な面では劣るこいしが、疲れないわけがない。

 

 しかも、望んだわけでもなく(いくら、通学しているという記憶があるとはいえ)半日近く学生として拘束されるのだ。

 

 言葉にこそ出してはいないが、人間よりも精神に比重を置く(妖怪は、肉体的な傷よりも精神的な傷の方が、影響が大きい)こいしにとっては、かなり疲労の溜まる生活であろうことは霊夢の目からも伺えた。

 

(……考えてみれば、こいつもけっこう気丈なやつだわ。血の繋がった姉が行方不明なのに、泣き言一つ零さずにいるんだから)

 

 隣のこいしを起こさないよう注意しながら、寝床を出る。途端、痺れを覚える程の寒気がふわりと総身を撫でる。寝間着として身に纏っている襦袢では、些か辛い。

 

 けれども霊夢は気にした様子もなく、欠伸一つ零して障子を開けて、廊下へと出る。雲一つない快晴を見上げた霊夢は、縁側よりふわりと飛んで……神社上空にて、緩やかに静止した。

 

 

 ――こぉ、と。

 

 

 地上との距離、おおよそ200メートル強。常人であれば5分といられない状況にも関わらず、霊夢の表情は平坦なまま。深く吐き出された真っ白な息が、音もなく寒空の中へと消えて見えなくなる。

 

 

 ――こぉ、と。

 

 

 空気が、澄んでいる。風の音も、静かだ。袖と裾が、ふわふわと揺らいでいる。もう一度、深く息を吸って、吐く。次いで、その場で座禅を組む。総身より立ち昇る霊力は、夏季の時よりもさらに凄まじいものとなっていた。

 

 

 いったい、霊夢は何をしているのか。

 

 

 一言でいえば、精神集中である。夏の終わりを感じ始めた頃から、だいたい2,3日に一度のペースで行われている、霊夢なりの集中法であった。

 

 最初は自室にて行っていたが、紫に目撃されて嫌になるぐらいに騒がれた(感涙された、ともいう)こともあって、ここでするようになった。まあ、これは座禅を組むということ事態あまりしない霊夢のぐうたらが招いた結果なのだが……まあ、それはそれとして、だ。

 

(今日で、31日目。記憶は……うん、新しく改変されたものはないようね)

 

 

 澄みきった空気が思考を透き通らせてゆく最中、霊夢は考える。現状と、今後のことを。

 

 

(どう楽観的に見ても、現状はジリ貧。『岩倉玲音』の現時点でも見当すら付かず、改変を止める手段は分からず、相手は無差別。実力の有無に関係なく、私とこいしを除けば誰もが改変に気付いていない)

 

(改変されるに当たっての共通点はない。年齢や性別による偏りはなく、今のところは大人が子供にされる等といった肉体的、人間が妖怪にされるといった種族的な改変は見当たらない。確認出来ている改変は、建物なんかの無機物的なもの……そして、記憶。この二つ)

(この二つを……改変して、いったい『岩倉玲音』に何の利が有るというのかしら?)

(敵意や害意はない。それは、さとりもレミリアも口を揃えていた。だが、その二つが無かったとしても、ただの気紛れでしかなかったのだとしても、結果的にそうなるのであれば過程に意味はない。悪気はないけどレミリア達を消した……そんな言い訳は、通さない)

(……消すといえば、紅魔館を除けば、存在そのものを消された者は確認できていないわね。あの紅魔館からは、咲夜と美鈴だけが残って……レミリアが抵抗した結果……いや、違うわね。それなら、あの時にそのことを私に伝えているはず)

(それが無いということは、おそらくレミリアは抵抗しても無駄だと分かっていた……あるいは、この二人だけは助かることを知っていた。だから、咲夜の無事を確認出来た時点で、レミリアは満足して術を解こうとした……あの時の口ぶりから考えて、レミリアはそう思っていた可能性が高いわね)

 

 あのレミリアが、本当の意味で己の知るレミリアであるという保証はない。けれども、霊夢はそうだと信じて、次に、己が通っている女学校について思考の匙を向ける。

 

(これまでの改変は、あくまで個々人による局所的な変化に留まっていた。紅魔館という例外があるにせよ、記憶の改変事態は幻想郷全てに及ぶにせよ、実際に改変されるのは、個人に限定されていた……でも、そうではなくなった)

(ここに来て、数百人近い人数が一斉に改変された。紅魔館の時と同じく、前触れもなく……それは、何故?)

 

 

 それは、かねてより抱いていた疑問であった。

 

 

(改変自体は、この際どうでもいい。問題なのは、何故それだけの大規模な改変の結果が……学校になる? 紅魔館のように、数百人が消え去るのではなく、学生として別人に改変させる……どうして、そんなことを?)

(紅魔館を消して、人々を……いえ、里を残した。この違いは、いったい何処にある? 妖怪を消して、人間を残したかった……なら、妖怪である美鈴が残される理由が分からない)

(そもそも目的が妖怪の抹消であるならば、学校に妖怪たちが通っている点に説明が付かない。人も妖怪も区別なく改変していくのに、紅魔館だけは明確に存在そのものが過去の物とされていた……どうして、紅魔館だけがそうなった?)

 

 

 『岩倉玲音』は、紅魔館に(というより、レミリアに?)恨みがあったか、あるいは抹消するだけの明確な理由があった……いや、違う。胸中にて異論を唱えている『勘』の疼きに、霊夢は内心にて首を横に振る。

 

 

(考えるべき点は、そこじゃない。理由は何であれ、紅魔館は消えた。そこに意味を見出す必要はないし、見出した所で意味はない。おそらく、それが分かったところで現状の打開策には成り得ない)

 

 そんな事よりも、まず目を向けるべきなのは……自分自身。

 

(――既に、私は『岩倉玲音』の正体に気付いている)

 

 それは、あの時『レイン』が……『岩倉玲音』の一つの形だと話していた、『レイン』が霊夢に語った言葉であった。

 

(でも、私はその正体に気付かないフリをし続けている。無自覚なままに、私はソレから目を逸らし続けている……『レイン』は、私にそう話した……悔しいけど、それは当たっているのかもしれない)

 

 否定したいと、霊夢は思った。だが、そんなわけがないと即答出来ずに言いよどんだ時点で、霊夢は気付いてしまった。あの時『レイン』が語った言葉の全ては真実で、目を背けているのは霊夢自身であるということに。

 

 だからこそ、霊夢はこの日も座禅を組んで思考を巡らせる。

 

 精神を集中させ、己の胸中の奥深くに眠る、己すら自覚出来ない無意識に耳を傾けようとする。呼吸を整え、心を平坦へ。そうすれば、普段は気にも留めない己の心音すら、はっきりと感じ取れる程に……なりは、するのだが。

 

「……駄目ね、今日も」

 

 それ以上には、至れなかった。

 

「やっていることは間違っていないのでしょうけど、どうも何かが足りない気がしてならないわ」

 

 昨日と同じく、近づいてはいるのだけれども、どうしてもそこから先へ進めない。手を伸ばしてはいるが、届かない。ため息を零した霊夢は、やれやれと座禅を解いて、降下を始めた。

 

 ……無意識といえば、『無意識を操る程度の能力』を持つこいしの領域だが、こいしのは参考に出来ない。何せ、こいし自身が無意識というやつを理解しておらず、言葉では説明出来ないどころか、無意識に振り回される時があるぐらいなのだ。

 

 実際、こいしに尋ねはしたが、返された答えが『よく分からない、ふわわぁ~んとした感じ?』という、こういう時でなければぶっ叩いてやるようなことしか言わないのだ。さすがの霊夢も、これでどうこう出来るほどの怪物ではない。

 

 紫や魔理沙……に聞いたところで、良い答えなんて返ってはこないだろう。以前の紫ならまだしも、今の紫は……こう、何というか、出来ないのが何となく分かる。魔理沙に至っては、そもそもジッと大人しくすることが嫌いだから、相談するだけ無駄なのは明白だ。

 

 

 ならば他に……と思って考えてみるも、すぐに無理だなと結論が出てしまう。

 

 

 というのも、知り合いは全員、記憶が改変されている。今では、剣道部や保健委員、合唱部に軽音部に手芸部といった部活に疑問一つ挟むことなく嬉々として参加しているので……下手に尋ねれば、頭の心配をされるのがオチなのは考えるまでも――ん?

 

(……妖夢?)

 

 地面に降り立つ直前。霊夢の瞳が、神社の外……空の彼方より飛んで来る、一人の少女を捉えた。幻想女学校では剣道部主将を務めるその少女の顔は、霊夢にも見覚えがあった……というか、以前からの知り合いである。

 

 名を、魂魄妖夢(こんぱく・ようむ)。半人半霊(はんじんはんれい)と呼ばれる種族であり、傍らの白い人魂がその証。冥界にあるとされる白玉楼(という名の、御屋敷)にて剣術指南役等を務めている少女である。

 

 その妖夢が、まっすぐこっちに向かって来ている。秋の空よりも冷たさを思わせる銀色のおかっぱヘアを風に靡かせながら、わき目も振らずにこちらへ……いったい、何の為に?

 

(問題が起こって取る物も取らずに来た……にしては、ちゃんとした恰好をしているから、突発的な事ではない。でも、妙に張り詰めた顔をしている……思い詰めた何かかしら?)

 

 遠目なので分かり難いが、ただ遊びに来た……にしては、些か表情が暗いように見える。そもそも、今はまだ早朝だ。生真面目な彼女が、訪問するには不適切な時間にわざわざ訪ねに来る……只事でないのは、明白である。

 

 

 ……まあ、いい。目的は何であれ、出来ることならするし、出来ないことならしない。力になれるのであれば、力になろう。

 

 

 そう判断した霊夢は、するりと縁側へと着地すると、そのまま室内に入って着替えをする。未だ寝入っているこいしを横目で確認し、部屋を出る。部屋よりも少しばかり寒い気がする廊下の床板をきぃきぃ鳴らしながら玄関へ向かう……と。

 

「――あら、霊夢。ちょうどいい所に来てくれたわね、お友達が来ているわよ」

 

 上手い事、挨拶を終えた所で到着出来たようだ。「それじゃあ……あらあら、味噌汁が噴いてしまうわ~」すっかり見慣れた割烹着を身に纏った紫が、小走りで霊夢の横を駆け抜け、台所の方へと向かって行った。

 

「――おはよう、霊夢。朝早く押しかけて御免なさい。悪いとは思ったけど、どうしても相談したいことがあって……」

 

 掛けられた言葉に振り返れば、居心地悪そうに肩を丸めている妖夢と目が有った。

 

「それで、ね。とりあえず、これを見て欲しいの」

「え、ここで? 無駄に部屋は余っているから、適当に案内するわよ」

「ううん、そこまでしてもらわなくていいよ。本当に、話を聞いてくれるだけでいいから」

 

 そうしてから、妖夢は少しばかり視線をさ迷わせた後……そっと、その腕に抱えた、袋に包まれた棒のような何かを霊夢の眼前にて立てると、しゅるりと袋を下ろした。

 

 露わになったのは、鞘に納められている二本の刀であった。離れないように互いの鍔の穴に紐で纏められたその二本は、遠目にも分かるぐらいに長さの違いがあった。

 

 

 その二本の刀……霊夢には、見覚えがあった。

 

 

 物干し竿かと見間違うほどに長い刀の名は、たしか……楼観剣(ろうかんけん)。そうだ、たしか、そんな名だ。一振りで幽霊10匹を屠るとかいう、妖怪が鍛えた業物だと妖夢自身が話していた覚えがある。

 

 短い方の刀の名は、白楼剣(はくろうけん)。『人の迷いを断ち切ることが出来る』とかで、幽霊に対して(切ると迷いが晴れて成仏するらしい)は絶大な効果を発揮すると耳にした覚えがある。

 

 霊夢の知る限りでは、共に妖夢の愛刀だ。代々魂魄家に伝わる家宝だとかで、妖夢の祖父兼師匠より譲られたものらしく、日常的に帯刀するぐらいに大事にしていたはずだが……はて?

 

「その、いきなりこんなことを言うのも何だけど、驚かないで聞いてほしいの」

 

 小首を傾げる霊夢を他所に、妖夢はその言葉と共に俯いてしまった。辛うじて見える口元は、もごもごと言葉を練り出すかのように唇を擦り合わせていて。

 

「最近……本当に最近からなんだけど、私ね……私、どうしてか分からないけど、この刀を見ていると――」

「見ていると、なによ?」

 

 いいから、はっきり言え。

 

 そう言い掛けた霊夢の内心を遮るかのように、顔を上げた妖夢の目じりには……大粒の涙が滲んでいて。想定外のことに思わず目を見開く霊夢を他所に、妖夢は潤んだ瞳を霊夢へと向けると。

 

「この刀で……自分を切りたくて仕方ないの」

 

 そう、絞り出すように……理由を零したのであった。

 

 

 

 


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