Serial experiments □□□  ー東方偏在無ー   作:葛城

9 / 17
lainは誰の中にでもいる。そう、lainを知ったその時から……





うちも、やったんだからさ?


秋の章:その2

 

 

 霊夢自身にその自覚はないが、霊夢の特徴について周知されている……というより、満場一致でそうだと頷かれる事柄が、一つある。それは見た目の麗しさ(これも自覚していなかったりする)ではなく、彼女の性格に関する事。

 

 

 曖昧な言い方ではあるが、博麗霊夢という少女は大そう肝が据わったお嬢さんなのだ。

 

 

 例えば、己の首を片手間にへし折ることが出来る妖怪を前にしても、声色一つ震わせない。触れるだけで猛毒に等しい呪いを感染させる魔具を前にしても、顔色一つ変えずに調べる。

 

 それが、博麗の巫女。多少なりとも程度の差こそあっても、根本的な胆力が常人とは違うのだ。並大抵の男どころか妖怪ですら裸足で逃げ出すほどの度胸を持つ……それが、周囲が一致する霊夢に関する事柄であった。

 

「……ああ、うん、そう、そういうことも時にはあるわね」

 

 だが、しかし。そんな霊夢とはいえ、例外というものはある。

 

 外敵(妖怪は当然の事、人間であっても)に対しては大妖怪を相手にしても真っ向から啖呵を切るような少女であっても、友人からの自傷願望(とは、少し違うのかもしれないが)の告白を前に、全く動揺しない……というわけにはいかなかった。

 

 

 不躾ではあるが、どうしても、霊夢の視線が妖夢の全身を行き来する。

 

 

 制服ではないが、何時もの恰好でもない。寒空の下を来る為には当然となる厚着……緑色を基調としたコートに、足首まで綿が詰まっているのが外からでも確認出来るぐらいの分厚いズボン。

 

 軽く見やった限りでは、妖夢の恰好に不審な点は見られない。些か防寒に力を入れ過ぎな気がしないわけではないが、まあ妖夢は霊夢よりも幾らか小柄だ。風邪を引かないよう気を付けて……いや、待て。

 

 

 ……半人半霊って、確か半分が幽霊だから……肉体的な寒さ暑さには無頓着なんじゃなかったかしら?

 

 

 自然と、霊夢の視線が再び妖夢の全身を上下する。全身を防寒していると思い込んでいたが、よくよく見て見れば……両手は剥き出しで、首にマフラーはなく、耳当てもない。

 

 これほどきっちり着込んでいるというのに、何故だろう……妙なちぐはぐさというか、偏りを霊夢は覚えてならない。妖夢が暮らす冥界自体が肌寒い場所なのも相まって、気付けば霊夢はその姿に何とも言い難い違和感を抱いて……そして。

 

 

 ――こいつ、まさか。

 

 

 その可能性に思い至った瞬間、不用意に妖夢を刺激しないよう顔色一つ変えず、声色一つ変えず。内心は別としても、僅かばかり瞬きの回数が増えた程度に表面上の動揺を抑え込んだのは、さすがとしか言いようがなかった。

 

 ちらりと、霊夢の視線が妖夢の……雨に濡れた子犬のように震える肩を捉える。

 

 寒さ……というわけではないだろう。今にも涙を零しそうなぐらいに涙を蓄えた目尻から視線を下げれば、リンゴのように真っ赤になった頬が目に止まった。

 

 興奮しているから、一見するばかりでは血色が良いようには見える。しかし、よく見ればそうではない。紅潮する頬は少しばかり痩せていて、目の下に隈が出来ていて、唇も……乾燥とは違う理由で、ヒビ割れているのが見て取れた。

 

(……この様子だと、ご飯も満足に喉を通ってはいないわね)

 

 いったい、何時からこんな状態になっているのだろうか。最近、と口にした辺り、数日前……長くて、一ヵ月ぐらい前か。確証はないが、女学校が出来た辺りではないかと霊夢は推測した。

 

 これが、あの時、女学校を前にして抱いた――始まりの予兆なのだろうか。

 

 

 ……分からない。すぐに、霊夢は内心にて首を横に振った。

 

 

 まあ、考えた所で答えなんて出るわけもない。何であれ、こんな場所で立ち話も変なものだ。そう思った霊夢は、零れそうになる溜め息を寸での所で堪えた後、妖夢へ家の中に上がるよう促した。

 

 それを聞いて、妖夢は申し訳なさそうに「ここで大丈夫だよ」と上がることお嫌がった。おそらく、話を聞いただけでも良かった、これ以上の迷惑は……と考えてしまったのだろう。

 

 妖夢は……馬鹿馬鹿しいぐらいに生真面目な性格をしている。暢気でずぼらな(それは自覚している)霊夢とは違い、霊夢にとっては『心底くだらないこと』を気に病んでしまう部分がある。

 

 現に、今の妖夢が正にそれだ。

 

 約束も取らずに朝っぱらに押しかけ、自傷願望を臭わせる相談紛いの爆弾発言の後には、これ以上の迷惑は……などと態度を示す。これを、馬鹿な生真面目と言わずに何と言い表せば良いのか、霊夢には分からない。

 

「うっさいわね、私が嫌なのよ。ほら、刀は私が持ってあげるから上がりなさい」

 

 だから、霊夢は強引に事を進めることにした。実際、場所が場所だ。立ち話は嫌いではないが、秋風が入り込む玄関で長話する趣味はない。腹も減っているし、続きは一緒に朝食でも食べながら……と、思ったのだが。

 

 ――するり、と。伸ばされた霊夢の指先が、空を切った。

 

 おや、と目を瞬かせる霊夢の視線が、刀を胸に抱き抱えて後ずさる妖夢を捉える。しばし、霊夢は無言のままに眺めた後……素足のまま玄関に下りると、おもむろに妖夢の刀を掴んだ。

 

「…………」

 

 でも、霊夢は刀をそれ以上動かせなかった。何故なら、その霊夢の掴んだ指先を上下で挟む様に両手で掴んで放そうとしない、妖夢の腕があったからだ。

 

 霊力や体格等とは別に、妖夢の腕力は見かけとは裏腹に強い。大人でも振り回すのに手こずるこの刀を手足のように自由自在に操るのだから、当然といえば当然……いや、今はそんなことよりも、だ。

 

「放しなさいよ。あんたが掴んでいちゃあ何にも出来ないでしょうが」

「だ、駄目だよ。そこまで迷惑掛けられないよ」

「今更でしょ。原因は何であれ、とりあえず刀には解呪なり封印なりして一時的に誰も触れないようにするだけだから、ほら早く」

 

 しかし、刀を掴む妖夢の腕が緩む気配はない。いや、むしろ、強くなっている。いやいやと力なく首を横に振るくせに、掴む指先は白くなっていて……思わず、霊夢は苛立った。

 

「こっちは腹も空いてあんまり余計な考え事したくないのよ。ほら、ぐだぐだ言わずにさっさと――しなさい」

 

 いいかげん焦れた霊夢は、半ば強引に刀ごと妖夢を引っ張って玄関から上がらせた。「あ、あ、靴、靴が!」さすがに、観念したのだろう。些か慌てた様子で靴を脱ぎ捨てた妖夢が、ちらかった己が靴を振り返って直そうと――したのを見て、霊夢は素早く袋ごと刀を掠め取った。

 

 瞬間、気付いた妖夢が振り返り――驚愕に唇を震わせた。それを見て、はてな、と霊夢は首を傾げる。まるで金魚のようだわと唇を震わせている妖夢を見やった後……ようやく、ああコレかと刀を見やった。

 

 何も言っては来ないが、言わんとしていることは察せられる。

 

 どうせ、この刀が呪われていると思っていたから、渡したくなかったのだろう。でなければ、いくら家宝とはいえここまで拒絶などしたりはしないだろう。ひとまず、そう己を納得させる。

 

 

 ――さて、と。

 

 

 付いて来いと手招きしてから、空いている部屋へと向かう。背後にて、妖夢が恐る恐るといった様子で後に続くのを感じ取りつつ、霊夢は歩きがてら……妖夢より奪い取った二本の刀を見やった。

 

 

 物干し竿かと思う程の長刀故に使い手を選ぶ、幽霊を殺す為の刃、楼観剣。

 

 対して、刃ではあるが迷いを祓い成仏を促す、幽霊を救う為の刀、白楼剣。

 

 

 相手を殺す為の武器ではあるが、ある意味では対照的な役割を持つ二つ……を、パッと見た限りでは、不審な点は見当たらない。呪いか何かを帯びてしまった可能性を考えて探ってみるが……それも、ない。

 

 まあ、呪いが持つ本来の専売特許は呪いの内容ではなく、それが呪いであることを周囲に悟らせない秘匿性だ。

 

 これが仮に呪いの類だとして、それを行った相手が高位の術者であったなら……さしものの霊夢とはいえ、道具無しでは気付けない場合も……おおっと。

 

「ほら、着いたわよ」

「え、でも、ここって――」

 

 訝しむ妖夢を他所に、目的の場所へと到着した霊夢はがらりと襖を開ける。途端、霊夢たちの鼻腔に届く、温かくも食欲を誘う香り。炬燵机に並べられた卵焼きやら逆さになった椀やらの向こうに、「――あら?」紫が目を瞬かせていた。

 

「えっ、えっ……え?」

 

 何で此処へ……そう言いたげに視線をさ迷わせる妖夢を他所に、「妖夢の分の朝食はある?」霊夢は紫に尋ねる。経緯は知らなくとも、何となく察する物はあったのだろう。「はいはい、大丈夫よ」紫は特に事情を尋ねることもなく、足取り軽く台所の方へと向かって行った。

 

「――それじゃあ、あんたはそこに座って待ってなさい。とりあえず、こいつは私の部屋に置いておくから」

「え、あ、あの、霊夢? ちょっと、事態が上手く呑み込めないのだけれども?」

「あんた、碌に飯も喉を通っていないでしょ? 何をするにも、一に飯、二に飯よ。食わないで解決する問題なんて、この世にはないのよ」

 

 そう霊夢は告げると、妖夢の肩を掴んで無理やり炬燵机に座らせる。軽くではなく、かなり力を入れて。それで、霊夢が本気であることを察した妖夢は、居心地悪そうにしながらも大人しくされるがまま正座をして、視線を落とした。

 

「――ありゃ、初顔がいる。誰のお知り合い?」

 

 ちょうど、こいしが姿を見せたのは、その時であった。寝間着の裾には皺が寄り、ボタンも二つほど外れている。寝癖をそのままに、寝起きですと言わんばかりに大欠伸を零したこいしは、目尻に浮かんだ涙を拭いながら霊夢を見やった。

 

「私の知り合いよ。ほら、もうご飯だから、寝癖ぐらい直してから来なさい」

 

 こいしは返事をしなかった。その代わり、もう一つ大きな欠伸を零すと、ふらふらと全身を揺らしながら……廊下の向こうへと行ってしまった。おそらく、洗面所へと向かったのだろう……まあ、それはそれとして、だ。

 

 こいしが部屋を出て行くと同時に、紫が部屋に戻ってきた。その手の盆にはおひつと食器一式が載せられ、その食器には妖夢の分のおかずが既に用意されている。

 

 気付いた妖夢が幾分か慌てた様子で手伝おうとするが、「すぐに出来るから、座っていなさいな」当の紫からやんわり拒否されれば、出来ることなどない。手慣れた様子で用意を済ませる紫に合わせる形で、霊夢も少しばかり手伝えば……ものの1分ほどで、朝食の準備は終わった。

 

「あ、それと、もう一つ頼んでいいかしら?」

 

 後は、顔を洗ったこいしが戻って来るのを待つばかり……という辺りで、不意に霊夢は傍にて腰を下ろした紫に尋ねた。さすがに紫も小首を傾げて不思議そうにしたが、霊夢は構うことなく言葉を続けた。

 

「それじゃあ、ちょっと幽々子をこっちに呼んでくれないかしら?」

 

 

 え、幽々子を?

 

 

 そう返事をしようとした紫の声は、霊夢の耳に届かなかった。「――霊夢!?」何故なら、妖夢がそれよりもずっと大きな声を出して、紫の言葉を全て遮ってしまったからだ。

 

 小柄な妖夢の身体から発せられたとは思えないぐらいに強く、大きな声。それでいて、普段の声色よりも1オクターブ高いその声は、神社全体に響くぐらいで、思わず紫が目を瞬かせるぐらいの迫力があった……が、しかし。

 

「幽々子を呼んでほしくないのなら、その服を脱いで、その下の肌を私たちに見せなさい」

「――っ!? な、なんで……」

「気付かないとでも思ったの? 半人半霊のあんたが部屋の中でもそんな厚着をする辺り、隠しているのがバレバレでしょうが」

 

 霊夢には、全く通じない。対して、怒りで赤く染まり掛けた妖夢の顔色が、目に見えて悪くなった。血の気が引くとは、このことを言うのだろう。「あ、あの……」動揺のあまり、妖夢は言葉一つまともに発せなくなっていた。

 

 

 それ故に、妖夢は気付かなかった……というより、反応出来なかった。

 

 

 アッと思った時にはもう、妖夢の視線の先……紫の隣に、スキマが開かれる。すっかり温和な微笑みがデフォルトになっている紫が、その向こうに腕を差し込めば……ずるりと、桃色の髪を緩やかに靡かせている……妖夢の主にして冥界の主でもある、西行寺幽々子が姿を見せた。

 

 西行寺幽々子……彼女は、この世とあの世の境界に位置する冥界にある、『白玉楼』と呼ばれる超巨大な御屋敷の主である。と、同時に、冥界に住まう幽霊たちの管理している、幻想郷における実力者の内の一人でもある。

 

 

 その容姿は、十人に聞けば十人が可憐だと口を揃えるほどである。

 

 

 桃色のミディアムヘアーはともすれば違和感しか生み出さないというのに、不思議と彼女には良く似合う。水色と白を基調とした淡い色合いの着物は清々とした雰囲気すら感じさせた。

 

 ……その、総身に纏わりつくようにして漂う人魂さえなければ、人里だけでなく外の世界でもさぞ男たちの注意を引き付けたことだろう……が、今はその点については、どうでもいい。

 

 

「あら~、妖夢もいるじゃないの~、朝も早うからどうしたの~?」

 

 

 紫に襟首ごと引っ張られる形でスキマより逆さに上半身を垂らした幽々子は、しばし目を瞬かせていた。けれども、そのまん丸に見開かれた瞳が、紫、霊夢、妖夢の順に向けられた後、幽々子は肩の力を抜き、間延びした口調で尋ねてきた。

 

 別に、幽々子はふざけているわけでもないし、おちょくっているわけでもない。ましてや、逆さになっているからでもない。

 

 普段の幽々子は間延びした喋り方をしており、気の抜けている時はスローモーションに掛けられたかのような、ゆるゆるとした話し方をするのだ。

 

「もしかして~霊夢たちと一緒に朝ごはん~? もう~、そういう仲間外れは嫌~だから、私も混ぜてね~」

「混ぜるのはいいけど、その前にあんたも話に参加しなさい」

「お話~? それはいいけど~、お話はお布団に入ってから羊代わりにするものでしょ~? そういうのは朝ごはんを食べてからでいいんじゃないの~?」

「駄目よ。下手に時間を置くと、ぐだぐだ頭の中で予防線を作り始めるもの。状況を受け入れられなくて頭が真っ白になっている、今が一番良いのよ」

「ふ~ん、よく分からないけど、朝から胃がもたれるような重たい話は嫌よ~」

「胃なんてもたれやしないわよ。でも、残念だけど軽い話でもないわね」

 

 けれども、それは気を抜いている時に限る話であって。

 

「簡潔に述べるわ。あんたに来てもらったのは他でもない、そこで言い訳を色々と考えている妖夢についてよ」

「――何が、あったのかしら?」

 

 真面目な話……それも、幽々子にとっては(妖夢自身は気付いておらず、周囲にはバレバレだが)目に入れても痛くないぐらいに可愛がっている、魂魄妖夢についてとなれば……目の色どころか纏う雰囲気すら一変させるのは、ごく自然のことであった。

 

 そして、当然……といえば当然だが、その変化に最も強く反応したのは、話題に出された妖夢、その人であった。

 

 妖夢にとって、幼少の時よりずっと傍にて仕えてきた西行寺幽々子という存在は、ただ主としてのソレだけではない。そして、幽々子にとっても幼少の頃より一緒に過ごしてきた妖夢は……従者という言葉一つで語れるようなものでもない。

 

 妖夢の顔色は、どう擁護しても擁護しきれない程に、酷いモノであった。けれども、幽々子はあえて何も言わなかった。ふわふわと漂うようにしてスキマより降りて居住まいを正した幽々子は、次いで、続きを促した。

 

「確証は得られていないけど、要は妖夢の愛刀が呪われてしまったって話よ。そのせいで、ちょっと妖夢自身にもその影響が出てしまっているってわけ」

「――本当なの、妖夢? どうして、私に相談してくれなかったの?」

「…………」

「妖夢、答えて。いったい、何があったの?」

「…………」

 

 幽々子の表情も、声色も、傍目から見ても愛情を伴った問い掛けであるのが明白であった。けれども、妖夢は何も言わなかった。ただ、幽々子の視線から逃れるように俯くばかりで……コートを握り締める指先の白さが、ただただ痛々しい。

 

 そっと、傍まで歩み寄った幽々子の手が、白く強張った妖夢の指先に触れる。途端、妖夢の肩が文字通り跳ねた。涙に濡れて充血した妖夢の瞳が、幽々子を見上げる。でも、それでも、妖夢は何も答えず、また静かに俯いた……のを見やった霊夢は、一つ、ため息を零した。

 

 

 ――ああ、もう往生際が悪い。

 

 

 そう呟いた霊夢は、よっこらせと腰を上げて……妖夢の背後に向かう。どうするつもりかと訝しむ紫の視線と、藁にも縋る思いで見つめてくる幽々子の視線を受けた霊夢は……おもむろに、背後より腕を回してコートのボタンを瞬く間に外して前を開いたかと思えば。

 

 

 がばり、と。

 

 

 妖夢が気付くよりも早く、衣服の下に着ていた下着ごと強引に引っ張り上げた。露わになった腹部の感触に、「ちょ、えっ!?」妖夢は瞬時に首筋まで紅潮させて狼狽えた――が、それは一瞬のことで。

 

「妖夢……その、傷は……!?」

「――違います! 幽々子様、これは違うんです! たまたま、たまたま稽古の傷がここについちゃっただけなんです!」

「違うって、そんな……」

「違うんです! 幽々子様は何も心配しなくていいんです! 全ては私の、私の未熟が原因なんです! だから、だから大丈夫です!」

 

 我に返って状況を呑み込めた妖夢が最初に取った行動は、霊夢の腕を振り払うのでもなければ、肌を隠すのでもない。まず真っ先に、妖夢は己が主である幽々子への謝罪の弁を述べたのであった。

 

 

 けれども……必死に言葉を組み合わせて並べ続ける妖夢の言い訳は、誰の心にも届いていなかった。

 

 

 何故なら、妖夢の腹部に点在している傷痕が、そうさせなかったからだ。それは、一つ二つの話ではない。大小合わせれば両手の指では数えきれないほどの刀傷が、白く滑らかな肌の上に幾つも刻まれている。

 

 しかも、その中にはガーゼに覆われた、未だ治療途中だろうと思われる場所もある。薄らとガーゼの奥より滲む赤色は、消毒液の色……と、判断することすら、無理を感じさせる有様であった

 

「違う、違う、違う、違う、違う、これは嘘、全部嘘なんです。幽々子様、これは冗談なんです」

「妖夢……あなた……」

「違うんです、幽々子様、これは違うんです。私が悪いだけなんです。私が、私のせいで、だから幽々子様は心配しなくて大丈夫です」

「…………」

「大丈夫なんです、私は大丈夫、大丈夫、何処も悪くない、何処も変じゃない、未熟なだけなんです。だから幽々子様は、でも、私は、でも、でも、でも――」

 

 半ば、発狂しかけていた妖夢の言葉だが、それ以上発せられることはなかった。何故ならば、伸ばされた幽々子の腕が妖夢の頭を胸元へと抱え込み、その身体を押さえ込んだからである。

 

 

 幽々子は、何も言わなかった。

 

 

 だからといって、叱ろうともしなかった。ただ、悲痛な面持ちを妖夢の銀髪に押し付け、優しく……優しく、妖夢の背中を摩るばかりであった。

 

 けれども、それが……たったそれだけのことが、妖夢の胸中にて押し留められていた何かを、切ってしまったのだろう。

 

 気づけば、狂乱に成り果てようとした空気は変わり、徐々に、徐々に……妖夢の呼吸が落ち着いていくかと思えば。

 

「……ごわがっだんでず、ゆゆござま。ほんどうに、ほんどうに……すごくごわがっだよぉ……」

「うん、うん、もう大丈夫、もう何も怖くない。いっぱい泣いても大丈夫よ」

「じぶんが、じぶんじゃ、なぐなっでゆぐみだいで。切れば、ぢょっとだけあだまが晴れて……でも、すぐにモヤがかがっだみだいに……」

「ごめんね、妖夢。私、貴女がそんなになってまで苦しんでいるの……全然気づけなかった。ごめん、本当にごめんなさい、妖夢」

 

 ぽろりと零れた妖夢の内心は、涙に塗れていた。溜め込んでいた不安を吐露する妖夢の鼻声は、第三者にはほとんど伝わらないだろうが……幽々子だけは、正確にその言葉を理解していた。

 

 

 ……いや、幽々子だけではなかった。

 

 

 断片的ではあるが、この場に置いて妖夢の嗚咽混じりの言葉を理解している者がいて……その者は、机の上に並べられた皿の中から卵焼きを一つ、抓んで口内に放り込むと、無言のままに腰を上げた。

 

「――霊夢、何処へ?」

「早苗の所。紫は、妖夢が泣き止んだら私の分のご飯を食べさせてやってちょうだい」

 

 直後、気付いた紫が声を掛けた。立ち止まりはしたが、霊夢は振り返ることはせず、ただ一言だけポツリと答えた後、これでは言葉が足りないか、と思い出したように捕捉を付け足した。

 

「結界云々はこっちが上だけど、呪い云々はあっちが上。下手に手を出して私まで影響が出たらしょうもない話だし、とりあえずは刀を処置しないと」

「……色々と尋ねたいことはあるけど……まず、その恰好で?」

 

 紫の言い分は、最もであった。何せ、今の霊夢の恰好は、寝間着の襦袢だ。冬に合わせて多少なりとも分厚くはなっているが、何時もの衣服よりも薄いことには変わりなかった。

 

 

 ……時刻が時刻だ。

 

 

 神社の周辺を歩く人間なんてまずいないだろうし、空高く飛んで行けば誰かに見られる心配なんてない。霊夢とて年頃ではあるが、それでいいと霊夢自身が納得したのであれば、顔色一つ変えずに裸にも成れる少女であることは、紫でなくとも知っていた。

 

 

 でもね……そうだとしても、霊夢がそういう子だと分かっていても、いくら何でも、その薄い生地は駄目ではないだろうか。

 

 

 思わず、紫はそう言い掛ける。寝間着だから、ちょいと風に煽られれば下着が露わ。濡れれば肌に張り付いて身体の線が浮き出るのは必至……紫でなくとも、着替えたらと暗に促して当然であった。

 

「何か問題でも?」

「問題に決まっているでしょ。あなた、もう2,3年もしたら婿さん相手を考えなきゃいけない齢だっていうこと、忘れていないかしら?」

「忘れていないわよ。でも、2,3年先の話なら、2,3年後に考えればいいのよ」

「……育て方、間違えたかしら」

 

 思わず、紫は頬を引き攣らせた。けれども、「いちおう、効率を考えての上よ」霊夢は気にも留めていない様子であった。

 

「朝なら人里のやつらも出かけたりはしないでしょうし、妖怪だって朝はお寝坊する。だから、やるならさっさと事を進めた方が良いでしょ」

「それは私も同意するけど、着替える暇ぐらいは……ていうか、霊夢? 私の気のせいじゃなければ、貴女……かなり怒っているわよね?」

「怒っているって、いきなり何よ。そりゃあ、こうまでされたら怒りもするでしょ。紫だって、頭に来ているでしょ?」

「いや、まあ、それはそうなんだけど……」

 

 尋ねた紫自身、確かにそうだと思わず納得しかけるぐらいに霊夢の言い分は最もであった。同時に、客観的に見ても霊夢の言い分は最もだろうと紫は思った……が、違う。

 

「ただ、貴女が着替えはおろか、食事を放ってまで先に手を付けようとする辺り……ね?」

 

 紫のその問い掛けに、霊夢は……少しばかり、無言であった。けれども、突然ふふっと笑った。その声色は、あくまで普通であった。

 

 しかし、瞬間、紫は……背筋に怖気が走るのを実感した。霊夢は振り返らなかったので、紫の方からはその顔を伺う事は出来なかったが。

 

「心配してくれるのは嬉しいけど、それは紫の勘違いよ」

「かなり怒っているだなんて、そんなわけないじゃない」

「だって、さあ。私は、そこまで心は広くないし、仏でもないから」

 

 ただ、偶然にも身支度を終えて戻ってきたこいしが、これまた偶然にもタイミング悪く部屋に入って来て、何の心構えもすることなく霊夢の顔……おそらくは、視線を交差させた、その瞬間。

 

「――ただ、落とし前の一つは付けてもらわないと……ねえ?」

「ヒェ……」

 

 びっくん、と。まともに反応することすら出来ず、雷を落とされたかのように総身を硬直させたこいしを見て……紫は、それ以上言葉を掛けることが出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 ――さて、早苗の所と霊夢が話した場所。

 

 

 すなわち、東風谷早苗が住んでいるのは、霊夢と同じではあるが、霊夢とは別の神社である。その場所は、妖怪の山とも『お山』とも呼ばれている、妖怪たちが住まう山の上にある。

 

 何故そのような場所にあるのかといえば、だ。元々、早苗の住まう神社は外の世界にあったらしく、外の世界から強引に神社ごと引っ越してきた際、不可抗力でその場所に着地(という言い方も何だが)してしまったから、らしい。

 

 なので、外の世界よりもはるかに手狭な幻想郷では、必然的に建物の大きさは必要(威厳を見せる為に大きく見せる前提であっても)な分だけというのが暗黙の了解となっているが、外の世界で建てられた早苗の神社は違う。

 

 有り体にいえば、大きいのだ。敷地面積に限らず、神社の本殿その他諸々の一切合財が、派手なのだ。早苗曰く、『外の世界ではけっこう有名な神社だったのです!』という話からも、その外観の荘厳たる光景が想像出来よう。

 

 比べること事態が可哀想だが、その広さや豪華さは博麗神社の比ではなく、非常に目立つ。加えて、基本的には受け身で暢気な霊夢とは違い、早苗は二日に一度は人里を訪れては己が神社への勧誘活動を行う程の御熱心だ。

 

 

 そのうえ、東風谷早苗という少女もまた、霊夢に負けず劣らずの美人である。

 

 

 例えるなら、霊夢が桜のように淡く落ち着く美しさであるなら、早苗は人々の目を楽しませる色とりどりの花束だ。方向性の違いこそあるが、外の世界でも注目を浴びてもおかしくはないほどの美少女の言葉を、そう無下に扱う者はいない。

 

 そんなわけで、早苗が住まう神社は幻想郷に根付いてまだ日が浅いが、人間妖怪問わずにその存在は認知されていた。

 

 参拝するには中々骨が折れるという共通点があっても、朝から晩まで閑古鳥が鳴きまくっている博麗神社とは違い、早苗の神社はそれなりに参拝客が訪れる人気のスポットとなっていた。

 

 

 ……そんな理由から、普段はそれなりの人々で賑わう早苗の神社だが、ここ最近に関していえば、博麗神社と同じく閑古鳥を鳴かせることが多くなっていた。

 

 

 徐々に足元へと迫って来ている冬を前に、備蓄の準備に忙しいから。収穫の時期が重なって、参拝する暇がないから。厳しくなり始めた寒さによって億劫になり、気付けば足が遠のいて……等々、理由は幾つかある。

 

 けれども、参拝客減少の根本的な要因は、他でもない。神社へと通じる参道……すなわち、山中にて用意されていたに参拝者の為の通路が、山の支配者である天狗たちによって封鎖されているからであった。

 

 

 実は……これこそが、博麗神社と早苗が暮らす神社の、最大の違いであったりする。

 

 

 当然といえば当然だが、この二つの神社は共に、参拝するには中々骨が折れる場所にある。共に人里からは離れているが故に、人食を好みとする妖怪が当然の権利のように出没する。

 

 その為、本来であれば幾ら(美人である)早苗が勧誘を行ったところで、博麗神社と同じ有様になる……はずなのだが、他でもない。その、道中の安全を確保しているのが、現在、参道を封鎖している天狗たちなのである。

 

 

 ――しかし、だ。言葉にすれば、それだけのことではあるのだが。

 

 

 何ゆえ、自分たちの陣地(という言い方は少し違うが)に挨拶もせずに押し入ってきたばかりか、そのまま居付いてしまった者たちの為に護衛を行わねばならないのか。

 

 あえて言葉に出すような者はいないが、そう思って大なり小なり不満を抱いている天狗は、けして少なくはないのであった。

 

 

 ……だが、どれだけ不満を持っていたとしても、だ。

 

 

 天狗たちの生活は、人間よりもはるかに強固な階級社会。妖怪の山の頂点に君臨する『天魔』を始めとした大幹部たちが、そうだと決めたのならば、それがどれだけ嫌であろうとも従わなければならない。

 

 

 例え、それが妖怪の身でも堪える寒空の下でも。

 

 例え、人っ子ひとり通らない参道の監視でも。

 

 例え、退屈極まりないのを堪えなければならなくとも。

 

 

 やる気の有無は別として、その日もまた、数いる内の一人という程度の覚え方しかされていない下っ端天狗たちは、与えられた任務をこなすのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 ……外の世界よりも幾らか季節の巡りが早く訪れる幻想郷だが、まだ、雪は降っていない。当然、妖怪の山とはいえ、何処よりも早く雪が積もっている……ということには、なっていなかった。

 

 けれども、葉が落ち切った剥き出しの枝葉に、冬眠を始めたのかすっかり姿を見かけなくなった熊などの動物たち。雪の訪れを予感させる寒さは、妖怪の山の至る所で見受けられた。

 

 その、山中には……一つ、大人が3人程腕を広げて通れるようになっている、整備された道がある。元々は獣道すらないところだったのだが、前述したお偉方の命令によって新設&整備によって用意された道である。

 

 

 この道は、主に神社へと向かう参拝客の為に作られた道だ。

 

 

 これ以外の道はなく、監視をし易くするという意味合いもあることから、よほどの例外を除けば、この道意外を通れば即捕縛、場合によっては即斬殺という厳しい処置が取られていた。

 

 そうして、その日、その時間。交代制で行われている参道の警備を行っていたのは、下っ端天狗たちの中でも比較的年若い……二人の天狗(見た目は青年)であった。

 

「……朝から晩まで人っ子ひとり通らない参道を監視……分かっちゃいるけど、退屈だ……夏ならまだ人が……ふあぁ、だなあ……」

「欠伸を零すな、どこで御咎めを食らうか分からんぞ……まあ、この時期に山に登ろうなんてやつはそういないしな。俺も同じ気持ちではある」

 

 大きく欠伸を何度も零す天狗は黒髪。それを注意する茶髪の天狗も時々欠伸を零す。

 

 背格好は似たようなもので、雰囲気もどことなく似ている。兄弟というわけではなく、たまたま似ているというだけの二人は、退屈な任務を欠伸混じりに遂行していた。

 

 二人が欠伸を零すのも、無理はない。先述した通り、実際、この任務は退屈極まりない。天狗社会においては新人である二人だけでなく、この任務に一度でも就いた者は誰もが口を揃えて似たような感想を零すぐらい、退屈なのだ。

 

 何せ、この山は表向きは『妖怪たちの山』ではあるが、実質は天狗が支配する天狗の領域。他所ならいざ知らず、ここで天狗に手を出そうものなら天狗たちが総出で乗り出してくる。

 

 それを知っている妖怪たち、つまり、この山に住まう妖怪であればまず襲ってくることはない。理性を持たぬ魑魅魍魎なら、そもそもが参道に設置された護りによって弾かれる。

 

 それら二つに該当しない妖怪なら話は別だが、そんなのは一年に数回ぐらい。また、そういう妖怪であれば下っ端天狗の二人が同行できる相手ではなく、速やかに上司へ連絡しろと通達されている。

 

 なので、この二人に限らず、この任務でやれることなんていうのは本当に監視ぐらいしかない。その監視だって、人通りがない景色を延々と眺めるだけ。愚痴の一つや二つは出て、当たり前な環境なのであった。

 

「……ん?」

 

 だが、その日、その時間。繰り返されていた日常とは違うことが、起ころうとしていた。

 

「どうした?」

「……何か、近づいて来ている」

 

 気付いたのは、黒髪よりも目が良い茶髪の天狗が先であった。腰に下げた刀を抜き、正眼に構える。「どんなやつだ? あと、数は?」それを見て、黒髪も緩んだ頬を引き締め、同じく刀を抜いた。

 

 二人の、麓へと下がる視線の先には何もいない。いや、正確には、茶髪の瞳だけはソレを捉えていた。まっすぐ、全速力という様子でこちらに向かう……妖怪の姿を。

 

「――女の子だ。雰囲気からして、妖怪だ。一人でこっちに向かって来ている……敵意は分からん。だが、何やら様子がおかしい」

「様子……その妖怪に見覚えは? 具体的な特徴はあるか?」

「緑色というべきか、灰色というべきか、混ざり合った髪色をしている。後は……そうだな紐みたいな何かが身体に巻き付いていて、少なくともこの山では見掛けたことがない妖怪だな」

「ひも……紐? 何だ、その紐っていうのは?」

「分からん。紐のような何かが身体に巻き付いて……いや、纏わりついているのか? とにかく、もうすぐお前にも見える位置まで……ああ、来たぞ」

 

 茶髪の天狗が呟いた直後、黒髪が視認出来る距離に、ぽつんと小さい影が現れる。それは彼の言葉通り独特な髪色をした少女であり、紐のような何かを身体に纏わりつかせていた。

 

 様子がおかしいと評しただけあって、確かに変であった。具体的にいえば、焦燥感……そう、焦燥感だ。感じ取れる妖力こそ並の妖怪よりは強いが、強張った表情が、二人に困惑をもたらした。

 

 

 ……とりあえず、止めねば。

 

 

 呆気に取られていた二人だが、それでも天狗は天狗。「そこの者、止まれ!」任務を思い出し、通せんぼをするかのように抜いた刀で少女の進路を塞ぐ。気づいた少女は、ばたばたと衣服をはためかせて二人の前に急停止した。

 

「見慣れぬ顔だな。まあ、それはいい……名は? 行き先を答えよ」

「私は古明地こいし! 行き先は上、神社への参拝! 急いでいるから早く通して!」

「妖怪であるお前が、神に祈りを? 失礼を承知で聞くが、本当に参拝だけか? 不埒なことを考えているのではあるまいな?」

「ここのは人でも妖怪でも受け入れる心の広い神様って聞いて来たの! 急いでいるから早く通して! 早くしないとアイツが痺れを切らしちゃうから!」

「――待て、アイツとは誰だ?」

 

 まくし立てて通ろうとした少女……こいしの前に、刀を差し出す。つんのめりになって足を止めるこいしを他所に、「怪しいやつだ、真の目的を言え」茶髪の天狗は言葉を続けた。

 

「だから、上の神社に行きたいの! 今の霊夢がここに入ると絶対に騒動になるから、わざわざ麓で待ってもらっているんだよ! ここでぐずぐずしてたら、本当に危ないんだってば!」

 

「霊夢……ふむ、その名には聞き覚えがある。だが、それならなおの事、易々と通すわけにはいかん。博麗の巫女に伝えよ、『お山の小事はお山で解決する』とな」

「――ちっが~う! そういう問題じゃないの! お山は関係なくて、神社に行きた――っていうか、本当に通して! 説得にどれだけ私が疲れたと思っているの!?」

「そちらの事情など知らぬ。不本意だが、不穏な輩はここで御帰り頂くのが我らの務め。通りたくば、せめて巫女が直接出向いてくるのだな」

「その霊夢が駄目なんだってば! 今の霊夢は脳みそ沸騰して危険が危ない感じなのを何とか宥めて待って貰っている所なんだよ!? 早くしないと、もっともっと大事に――ひぃ!」

 

 唾を飛ばして叫んでいたこいしの怒声が、突如として止まった。怒りに紅潮していた顔は一気に青ざめ、びくんと背筋が伸びて、硬直した。

 

 

 それは、先を遮っていた二人も同様であった。いや、二人の方が、より顕著であった。

 

 

 青色を通り越して白色となった顔から流れ落ちる、大量の冷や汗。構えた刀は目に見えて震え、引けた腰は今にも崩れ落ちそうで。まん丸に見開かれた眼はこいしから外れ……その、後ろへと向けられていた。

 

 いったい、こいしは何に気付いたのか。そして、二人は何を見たのか。その答えは……こいしの後方より、静かに山を登って(飛んで)くる……博麗の巫女であった。

 

 巫女の姿は、何時もの巫女服ではなく寝間着であった。よほど急いでいたのか、それとも内心の表れか、艶のある髪はぼさぼさで、酷い有様であった。

 

 だが、二人が……正確には、3人を硬直させたのは、その見た目ではない。その身体から放たれている……天にも届かんばかりの、とてつもない怒気が原因であった。

 

 

 それは、正しく怒髪天であった。

 

 

 只でさえ、平時ですら名のある妖怪が冷や汗を掻く程の霊力を垂れ流す霊夢が、怒りの赴くままに霊力を放っている。蛇に睨まれた蛙、猫に見つめられる鼠のように身を硬直させた三人の元に……霊夢が、静かに降り立った。

 

「……あの、レイムサン? 下で待っている約束が――」

「埒が明かない、そうでしょう?」

 

 その言葉と共に、霊夢は……己が肩に乗せている妖夢の刀のつばを、かちゃりと鳴らした。

 

「あ、はい、そうですね、すみません」

 

 

 いかん、今の霊夢に何時もの茶々は通じぬ。

 

 

 察したこいしは、色々と諦めてさっさと霊夢に道を譲った。そうなると、可愛そうなのは……そんな彼女と対面させられる形になってしまった、二人の憐れな天狗であった。

 

 ぽとり、と。知らぬうちに刀を落とした二人は……既に言葉すら発せなくなっており、下腹部からは湯気が立ち上っていた……まあ、それも無理はないことであった。

 

 種族的なアドバンテージがあるとはいえ、だ。相手は、歴代最強と名高い博麗の巫女。しかも、以前よりも倍以上は力を増していると噂されている、博麗霊夢だ。

 

 その強さ足るや、天狗たちの頂点である『天魔』すら直接的な戦いは避ける(いちおう、様々な要因があるらしいとは天狗たちの噂だが)と聞く。

 

 そんなやつを相手に、天狗とはいえ下っ端がどうこう出来るわけがない。しかも今にも片手間程度に首を刎ねそうな雰囲気を醸し出している……ぶっちゃけ、失神していないだけこの二人はタフな方であった……と。

 

 

 ――風が、揺らいだ。

 

 

 その事に、この場で唯一素面であるこいしだけが気付いた……直後。痛みすら覚える程の突風と共に、一人の少女がその場に降り立つ。その少女の名は、射命丸文であった。

 

 風を撒き散らして降り立ったその恰好は、何時もとは異なっていた。カッターシャツやミニスカートといった動きやすく新聞記者風な恰好でいることが多い彼女には珍しく、修験者を思わせる山伏風の出で立ちであった。

 

 実力こそ天狗たちの中では上位に食い込む文だが、天狗社会においてはそれほど地位は高くない。おそらく、別の仕事に就いていたのだろう。「しゃ、射命丸様……!」地獄に仏とはこの事かと言わんばかりに大粒の涙を零す二人を見やった文は、思いっきり……それはもう思いっきり、苦笑を零した。

 

「あー……その、霊夢さん? とりあえず、おっそろしく物騒な気配を垂れ流している理由をお聞きしても?」

「上の神社に用があるから通せっつってんのに、ぐちぐちと通さないこいつらが悪い」

「いやあ、申し訳ない。こいつらまだまだ年若いやつらでして、融通を判断出来るほどの経験がないんですよ……とはいえ、強引過ぎるあなたも悪いのですよ」

 

 そう言うと、「まあ、ここは私の顔で通しておきますので、ごゆるりと」文はそういって呆然としている天狗たちを道の脇に追いやり、どうぞと道を譲った。

 

 それを見て、霊夢は無言のままに再び空を飛び、文たちの横を通って……山を登って行った。一拍置いてから、こいしが頭を下げて霊夢の後を追いかけていった。

 

 

 

 

 

 

 

 ……。

 

 ……。

 

 ……………そうして、霊夢たちの気配が完全に遠ざかったのを確認した後。深々とため息を零した文は……佇むばかりの二人へ振り返り、「――この、お馬鹿!」怒鳴りつけた。

 

「職務全う大いに結構! ですが、相手を見てやりなさい! 鬼を相手に張り合う鼠を称賛しますか? しませんでしょう? あなた達がやったのは、そういうことです! しっかりと猛省なさい!」

「で、ですが、私たちにもその、任務がありまして……」

 

 涙の痕をそのままに天狗の意地を示す二人に、「これだから、昨今の糞真面目な若造どもは……」文は頭が堪らんと言わんばかりに己が頭を摩った。

 

「小水垂れ流して震えることしか出来なくなるぐらいなら、素直に通した方が良い時もあるのです。無謀と勇気をはき違えてはいけません」

「し、しかし、大天狗様からお叱りを……」

「その大天狗が目を逸らして素通りさせるのが、アレなんですよ! ほら、後は私が見ておきますから、まずは着替えて来なさい。いくら寒いとはいえ……臭いますよ」

 

 鼻を抓む文の仕草を見て、ようやく二人もその事を思い出したのだろう。相手が上司であるとはいえ、異性だ。「し、失礼しました!」青ざめていた顔を一気に赤らめた二人は、幾らか強張った動きを見せて空へと飛ぶと……その場を離れて行った。

 

「……やれやれ。他種族に対して引くことを恥とする天狗の考え方にも、一理の責任がありますな」

 

 しっかり戻って行ったのを見送った文は、誰に言うでもなくそう呟いてため息を零した。お偉方が聞けば顔を真っ赤にして怒りそうな言葉ではあるが、それは文の紛れもない本心であった。

 

 

 誤解を招かないように訂正しておくが、文は何も天狗の有り方そのものに異を唱えているわけではない。

 

 天狗としての誇りは、文も持っている。それに加え、文自身、御多分に漏れず、他の妖怪よりも上位の存在であると考えているし、その点については先ほどの若造と文とでは違いはない。

 

 違う点を挙げるとすれば、何もそれだけに縛られる必要などない、という点だ。

 

 天狗として守るべき所は守ればいいし、譲れない所は譲らなくていい。だが、引き際は心得なければならない。天狗とて、絶対ではない。時には、己の矜持を誤魔化す都合の良い狡賢さも必要になるということだ。

 

 

 今の霊夢との邂逅だって、そうだ。

 

 

 何があったかは知らないが、平静を失う程に怒り狂っているのは見て取れた。だが、見境なく暴れ回るような状態ではなかったし、その程度の分別を理解出来る程度には理性は残っていた。

 

 つまり、素直に通してやれば丸く収まったのだ。あくまで、こちらが譲ってやって、相手はそれを受け入れた。そういうふうに持っていってやれば話はすぐに終わる……その程度の事なのであった。

 

「……しかし、あの霊夢さんをあそこまで激怒させるとは……いったい、何者の仕業なのでしょうかねえ?」

 

 代わりの者が此処に来るまで、もうしばらく掛かるだろう。暇潰し代わりに傍に転がった刀を軽く振るいながら、ふと、文は思った。

 

 ことさら声を荒げるような娘ではないが、頬を打たれたら無表情のまま殴り返すし、文句を言われた傍から記憶から消してしまう。文が知る限り、霊夢はそんな性質の娘だ。

 

 少なくとも、己が何かをされて激怒するような(限度はあるだろうが)子ではない。そこから考えられる推測は……霊夢を狙った相手が、よりもよって霊夢の知り合いを狙った?

 

(そういえば……先ほど霊夢さんが持っていた二丁の刀は……見間違いでなければ、冥界の従者である魂魄妖夢が持っていた刀でしょうかね?)

 

 幻想郷には刀を始めとした武器を所持している者はそれなりにいる。その中でも、霊夢が持っていたあの刀……物干し竿かと思う程に長い刀と短刀の組み合わせとなると、文の知る限り一つしかない。

 

 けれども、それならばそれで、腑に落ちない点がある。

 

 何故なら、文が記憶している限りでは、その二丁の刀は妖夢にとって大事な物であることに加え、例え友人であってもおいそれと貸出するような性格をしていないからだ。

 

(ならば、魂魄妖夢の身に何かが……いや、それも可能性は低い)

 

 奪い取られた物を霊夢が取り返した……は、ないだろう。冥界の従者である妖夢は剣術の達人である。当人は『半人前』であると自称してはいるが、客観的に見ればその腕前は常人の域を超えている。

 

 文ですら、正面から奪い取ることは難しい。大妖怪にも匹敵する実力を持つ文ですら難しいことを、他の者が……冥界の主である西行寺幽々子の目を掻い潜ってとなると、それを実行できる者が文には思いつかない。

 

(魂魄妖夢が何者かに襲われて、その仕返しに霊夢が……いや、それも違う。それなら、わざわざ神社に向かう必要はないし、そうだったらもうちょっと殺気だっていたはず)

 

 そもそも、だ。損得抜きで行動したうえで妖夢と真正面に戦って勝てる相手が、この幻想郷にどれだけいるのだろうか。内心にて、文は何度も首を傾げる。

 

 妖夢は、剣術の達人だ。特に、抜刀術に関しては文も一目置いている。半人であるが故に持久力こそ妖怪に比べて乏しいものの、先の先……一撃目となる初速に関しては、文の目を持ってしても捉えきれぬ程だ。

 

 

 それらを踏まえて、その妖夢の手から霊夢の手に刀が渡っているということは、だ。

 

 

 妖夢の身に何かが有った……あるいは、霊夢の助力が必要になる事態が発生し、結果的に霊夢に刀を預けなければならない事態になった……と、考える方が自然ではないだろうか。

 

(しかし、これを正解に近い推測と判断するか、当てずっぽうの邪推と判断するか……些か、情報が足りませぬな)

 

 ――とくり、と。胸中にてフッと姿を見せた好奇心が催促するように疼いたのを、文は実感した。

 

 ジャーナリズム魂というか、パパラッチ魂というか。とにかく、新聞屋としての文が鎌首をもたげるのを感じ取った文は、ちらりと山の方を見上げ……もう、と地団太を踏んだ。

 

 何をするにも、とにかくは代わりの者がここに来てくれなくては動くことが出来ない。

 

 この時間だ、参拝客などまず来ないだろうが、絶対に来ない保証はない。そもそも、ここで文が離れてしまえば、お叱りは文ではなく、あの二人に向けられて……ん、んん、あれ?

 

「……んん?」

 

 下方より山を登ってくる気配に、文は小首を傾げた。それはこの時間には珍しい参拝客の気配に気づいたから……ではない。

 

 文が首を傾げた原因は、山を登ってくる気配が、ついさっき山を登って行った者と同じ気配であったからだ。

 

(西洋にはドッペル・ゲンガーなる、他者と全く同じ姿を取って成り替わる妖怪なり悪魔なりがいると聞いたことはありますが……ですが、この気配……?)

 

 よりにもよって……そう思っている内に、気配がどんどん近づいてくる。訝しんで見やった文は……眼前にて立ち止まった少女を見て、やれやれと目を細めた。

 

「――ここから先は我らが領域であり、我が種族が交わした盟友たちが住まう場所。何用で参ったか?」

「いきなり他人行儀な言い方ね。仕事中とはいえ、あなたらしくないわよ」

「余計な問答で遊ぶつもりはない。化けるのは上手いようだが、よりにもよってあの娘に化けたのはお間抜けだと思うわよ」

「化けるだなんて……何をいきなりかと思えば――()()()()()()()ってわけ?」

 

 鋭い視線を向けてくる文に、少女は……ふわりと巫女装束をなびかせると、ふわりと淡い笑みを浮かべた。

 

「私の名は、()()()()……()()()()()()()()()()()()?」

「……はっ、この期に及んでまたそんな戯言を。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――」

 

 そこまで言い掛けた瞬間、文の頬に手が触れた。大きく見開かれた文の目に映るのは、鼻先が触れるまで近づいている博麗レイムの微笑みであった

 

「誰かと勘違いしているんじゃないの? 私は、博麗靈夢。博麗の巫女であり、楽園の素敵な……博麗靈夢よ」

「だから――それはあの娘の……娘……むす、め?」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。同じ呼び名だから勘違いしやすいもの、仕方ないわよ……ほら、思い出して。美味しいネタがどうのこうのと言って、私を追いかけ回したこともあったでしょう?」

「……ああ、そうでした。すみません、うっかりしていました。なんでしょうね、寝ぼけていたのでしょうか?」

 

 しばし呆けていた文は、レイム……いや、靈夢から掛けられた言葉に我に返った文は、「いやはや、お恥ずかしい所を見せてしまいましたな」幾分か気まずそうに頬を赤らめて、靈夢から距離を取った。

 

「そ、それで、博麗の巫女である貴女がどうしてここに? もしかして、『異変』ですか?」

 

 そうしてから、咳を一つ。場の空気を入れ替えたいのがバレバレなその問い掛けは、文自身、何の期待もしていなかった……が。

 

「まあ、異変といえば異変かしらね。だって、里人の霊夢がこんな時間にお山を登っているんだもの。紫のやつから、助けに行ってほしいと頼まれたのよ」

「え、そんな山を登るくらいで……」

「何を言っているの? あの子は、里人の霊夢なのよ?」

 

 あの霊夢がその程度でと小首を傾げる文に、靈夢は断言した。「え、あれ……?」それを聞いて、文は一瞬ばかり目を瞬かせたが……すぐに、大きく目を見開いた。

 

「――なんで護衛も付けずにあの子は一人で昇っているんですか!?」

「さあ、知らないわ。私に似て可憐だけど直情的な所があるから、何か思い立ったんじゃないかしら?」

「何を悠長な……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()! それぐらい、貴女だって知っているでしょう!」

 

 今にも飛び出して後を追いかけんとばかりに声を荒げる文の言葉に……靈夢は、少しばかり困ったような笑みを浮かべると。

 

「そうね、そういうことになるのよね」

 

 ぽつりと、囁くように呟いたのであった。

 

 




先に言っておく。旧作キャラは異変には関与していないよ。というか、登場しても繋がりはないのであしからず
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。