好きな子と混合ダブルス組むために全国トップを要求された 作:小賢しいバドミントン
シングルは球種が豊富な分展開を書きやすいですが、試合中一人というのが状況によっては書きにくかったり
相模原にとって、尊敬する監督倉石と、倉石が苦手なパートナーの望というのは、部活でかなり近い関係ながらも板挟みの状況でもあった。
自分を強くしてくれた倉石を非難する事はできないが、しかし普段は大人しい部類に入る望にとって彼の大声はプレッシャーになる気持ちは分かる。
実際男子の中にも彼を苦手とする生徒はいる。
だから混合ダブルスの練習の合間に彼女が倉石に対して”五月蠅い”という呟きに、よく聞こえないフリをしていた。
だが先程のなぎさとの準決勝を得て二人は変わった。それまで自分の気持ちを押し殺してきた望は、なぎさの真っ直ぐなプレイに感化されてハッキリと”自分のバドミントンを見つけてくる”と告げ、三年という決して短くない時間を共にした生徒の成長に、倉石も思うところがあったのか、そのインターバルを境に口出しをしなくなった。
それは普段口数が多くない相模原が密かに抱いていた理想の関係。そんな彼と彼女に対して、口下手な相模原が送れるものは少ない。
だからこそまだ下手だった自分と混合ダブルスを組んでくれた望と、ここまで自分を育ててくれた倉石に感謝の意を込めて二連続優勝の成果を送りたい。
上がって来たロングサーブに対してジャンピングスマッシュを放つ。地面から四メートルは超える地点から放たれる角度の激しいスマッシュは、奇妙なリアクションステップを行う弦羽早によって拾われる。
だがもはや一打で決まるとは思っておらず、すぐに前に出てシャトルを拾う。
相模原は息が上がっているもののまだスタミナに余裕がある一方、1ゲームを取られ、かつ弦羽早がこのゲームで決着をつけにきてることは分かっていたので精神面で余裕はない。
1ゲームも19までリードした状態で逆転されたことから、早くこのゲームを取りたいと気持ちはあった。
だが焦らない。
相手を走らせる
その粘りに押されてしまい、これまでミスがほとんど無かった弦羽早のスマッシュがネットに引っ掛かる。ミスが少ないと言っても、どんな選手でもミスが全くない訳ではない。特に疲労が溜まった状態でミスが増えるのは必然である。
「ハァ…ハァ…ッ…フゥゥ…」
ーーーー
「秦野君、すごく疲れてるみたい」
私服姿のミキが手すりを越えて上半身を前に出しながら、必死に息を整えようとする弦羽早にそう呟く。
隣の席に腕を組みながら堂々と座る薫子は独り言のように返した。
「連戦を抜きにしても、この試合は秦野弦羽早の本来の戦い方とは違う低めの展開が圧倒的に多く、ジャンピングスマッシュに対応できるようになったとはいえ、あのリアクションステップはレシーブ側の負担も大きいでしょう。あれはファイナルゲームのラストまで持ちませんわ」
「じゃあやっぱり相模原さんが勝つと思う?」
「…どうでしょう。この試合、互いの強みを殺し合っている。秦野弦羽早の本来のスタイルをさせないジャンピングスマッシュ。それを返すリアクションステップ。リーチの長さを突破する無数の球種に、次々に変わるパターン。そのパターンを崩すラケットの持ち替えに、余裕のあるスタミナを利用したマウント。彼等が持つ自分の武器をどのタイミングで繰り出していくか」
「す、凄すぎてよく分かんないのは女子だからかな?」
「…いえ、この試合は県レベルの試合ではありませんわ。天才と奇才のぶつかり合い。コーチングのレベルも高く、インターバルを境に流れの変化も激しい。ミキ、あなたもミックスに出るのなら、今のうちに二人の弱点を探すのをお勧めしますわ。もっとも、どちらのパートナーも片や主将、片や化け物ですけれど」
「か、勘弁してよ…」
今戦っている二人でさえ手が付けられないというのに、そこに加えて強豪逗子の女子主将は無論、世界ランク一位を倒したペアを相手に勝てるビジョンが浮かばない。
女ダブのパートナーである彼女をからかいつつ、薫子は真剣な眼差しで会場を見下ろす。
「(ここまで互いの強みを殺し合う術を持っているのなら、あとは自力と精神力で決まる。技術と速さでは秦野弦羽早、力とスタミナでは相模原。一点の重みがプレイに現れるこの終盤、どちらが己がバドミントンを貫けるか)」
「らぁっ!」
激しい掛け声と共に負けじと膝のバネをフルに使用した全力のジャンプ。そこから放たれたのはトンと優しい音で、相模原はその巨体を一歩前に踏み出そうとするが、完全に逆を付かれてその一歩が瞬時に出ない。
『オーバー!
ラリーを続けたくない一心から出た一か八かのジャンピングスマッシュと誰もが思う状態で、スタミナの消耗が激しいジャンプフェイントを選択したのは弦羽早の直感。
ここに来て声まで利用したフェイントは相模原の思考回路を鈍らせる。
「(ここに来てフェイントのドロップ。フォアハンドの体制からはクロスファイアとリバースカット、いや、あと中央のドリブンクリアも警戒しておかなくては抜かれてしまう。フォア奥は厳しい。だがラウンドに持って行けば持ち替えられる。ミドルコートから手前の展開に持って行くべきか。となればD3で――ッ)」
サービスを構える弦羽早のフォームはフォアハンド。それは頭をグルグルと回していた相模原に更なる追い打ちをかける。
ショートかロングサーブか。そんな当たり前の事でさえ深読みをしてしまう。
「(いかん落ち着け…。倉石監督が言っていた通り、下手に考え――)」
頭を冷やす前にパンと勢いよく放たれたのは低い勢いのあるドライブサーブ。元来ならそれは背の高い相模原なら叩き落とせる球種であるが、ラケットの出が一瞬遅れてしまい、咄嗟にミドルコート、それも中央への大きいロブを上げる形となってしまう。
シャトルの落下速度に合わせて跳びあがる弦羽早、膝を落としてレシーブの体勢を取る相模原。
奥か左右か、あるいは正面か。
弦羽早が打つ瞬間に、相模原もまた膝をグッと曲げて防御に備え、瞳と足に神経を集中させる。
ビュンとラケットが空気を切る音、シャトルの激しい音、ガットが微かに擦れたような音。それらが同時に鳴ると、シャトルが激しい角度で相模原のバックハンド側奥へと伸びる。
集中と感が働いたのか相模原は瞬時にラケットを左へと伸ばそうとするが、それは”明らかに届いていなかった”。高身長であり、長い手足とラケットを持つホームポジションにいる相模原が、物理的距離故に届かないのだ。
「アウト」
思わず誰かが声を上げてしまうが、幸いコートの中までは通らなかった。
だが聞こえようと聞こえまいと、相模原の選択肢は見送るに変わらない。
しかし相模原は気づけていなかった。弦羽早の体の正面が元々不自然に相模原から見て左に微かに逸れており、ガットが微かに擦れる音を鳴らしたのを。それがクロスファイアの前兆であることを。
クロスファイアは万能なショットではなく、シュート回転を大きく駆けるにはストレートに打たなくてはならない。だから弦羽早は体の正面を変えて、ストレートに打ったのだ。
シャトルはダブルスのサイドラインに落ちる直前、歪なシュート回転によって無理やり左に逸れる。そしてその直後、シングルスのラインに乗る様に落ちた。
それはまるでシャトルが動いたのではなく、ラインがシャトルに合わせて動いたかと思える程に絶妙なショット。
「(あれ程のチャンスボールをギリギリに狙うメリットなんて微塵もない。クロスファイアを使用してアウトをインにするなどリスクが高すぎる…。だがもし意味があるとするなら…)」
倉石は冷や汗を流しながら自分が育てたエースの横顔を見つめる。その瞳は大きくブレており、唇は小さく震えている。
「(プレッシャー? いいや、それは副産物だ。あいつはここに来て更に警戒させるコースを無理やり増やした。あんなのはマグレ、スマッシュが白帯に当たって入るくらいの奇跡的なショット。だがそれを絶好球に対して打ってくれば、あたかも当然狙ってきたかのように見える)」
『ポ、ポイント!
「(冷静になれ相模原。パターンを組み込んだお前の戦い方は今の秦野に対して間違いなく有効だ。それはスコアが証明している。リードを許してもいいんだ。まずは二点を取ってデュースまで引き込め。デュースまで持ち込めば既に限界が近い秦野なら嫌でもプレッシャーになる)」
「ドンマイ!落ち着いて、ラリーに持ち込んで!」
これまでほとんど大声を上げなかった望の大声が、動揺を隠しきれない相模原の耳に届く。その一声でハッと我に返ったのか、相模原は自分の大きな両手で頬をバチンと勢いよく叩き――
「シャアアッ!」
熊の如き低い声で、獅子のような雄叫びを上げた。
瞬時にメンタルをリセットさせる精神力に、弦羽早はそれに軽く舌打ちをしながらも、ラケットを右手に持ち替えて再びフォアハンドサーブで左サービスコートに立つ。
準決勝でも見せた、ストレートに対して常にフォアハンド状態でいることで圧を掛ける作戦だろう。
――だが油断を誘ってショートかもしれない。
相模原は冷静になってはいたが、しかし否が応でも考えさせられることには変わりない。メンタルと頭は深い繋がりがあるが別物である。
パン!と放たれたのはロングサーブ。ショートサーブを警戒してやや前寄りではあったが、高い弧を描くロングサーブならば十分にゆとりを持って下がる時間がある。弦羽早を観察しながら後ろに下がっていると、サーブを放った直後に左手にラケットを持ち替える姿がそこにあった。
「(この期に及んで!)」
右で始めると思いつつ、ロングサーブの滞空時間を良い事にラケットを持ち替えて動揺を誘う。まさに小細工と呼べる手口に驚きながらも、しかし瞬時に頭の中のコースを左右反転させてそれに対応する。
「(ならばこちらも面白いものを見せてやろう)」
相模原は疲労が溜まって来た両膝をバネに地面を蹴って、既にこの試合で何十回も打ったジャンピングスマッシュの体勢に移る。同時に大きくその場で飛び上がる相手を確認すると、相模原は空中でラケットを振らなかった。
「なっ!?」
ドンと対戦し合う二人が同時に着地するという奇妙な状態が起こった直後、相模原は自分の腰辺りまで落ちているシャトルを下ですくう様にドロップショットを打つ。
いくら重心移動に優れた弦羽早でも、これ程馬鹿げたフェイントには反応しきれず体は硬直し、慌てて前に出るがその前にラケットが地面に落ちた。
『オーバー!
「相模原の奴。あんなふざけたショットを…」
「でも一点は一点ですよ」
基礎を重んじる倉石の褒めるべきか怒るべきか複雑な声色に対して、望は高めのトーンで喜びながら拍手を送る。
――後二点。あと二点取れば。
逗子総合の誰もが主将の勝利を願うが、しかし集中力を高める弦羽早は、その疲れから崩れたしかめっ面からは想像のできないプレイを見せる。
ドロップとヘアピンを中心に弦羽早にロブを上げさせ、そこから再びエースショットのジャンピングを打ち込む。そのコースは手前ではなく、高く跳びあがった弦羽早の正面に目掛けたショット。
弦羽早のリアクションステップは着地の反発力を利用して爆発的な一歩を踏み出すが、両足で着地すれば、反発力を活かすどころか硬直状態となる。その硬直状態でボディに打ち込まれたら、普通であればラケットを振る余裕すらない。
だがボディ周りへのスマッシュは元来の彼のもっとも得意とする分野。バシンと激しい音が鳴ると、着地してすぐの相模原のコートにカウンタードライブが刺さる。
18-19
ショートサーブからのヘアピン合戦。そこから互いに前後に動きながら相模原はパターンの始動点を探し、弦羽早はこれまで打った球種の中から警戒されているもの、されていないものを探し出し、それを利用できる一手に繋げる。
勝ち筋を見つけ出したのは弦羽早が先だった。ラリーの途中で右手に持ち替えると、そのままスマッシュを打つ振りをしてカットドロップを放つ。それを前に落とす相模原に対しすぐに詰め寄り、序盤から多用していたクロスのヘアピンではなくあえて相模原に近いストレートに落として一点。
これで同点となり、続くラリーは30回を超える長期的なラリーとなる。それは相模原が意図して行ったのもあるが、そこに弦羽早はあえて乗っていく。決して自分から攻めず、息ができない状況でも逃げない。
逃げたいと、楽になりたいと思う気持ちはある。
しかし、このゲームを落とせば勝てない。
「(あれだけ綾乃に応援されておいて負けるなんて、ここまで強くなった意味ねぇだろうが!)」
精神力を糧に無理やり放ったクロスへのスマッシュは強烈な角度を生み出し、相模原のラケットの下へと潜る。
『ポイント!
「よしッ!あと一点だ!気張っていけ!」
「弦羽早、頑張れ!」
体を振り向かせる余裕も無いのか、正面を向いたまま、弦羽早はグッと親指を立てた右手を綾乃となぎさに向ける。
膝に両手を当てて体全身が揺れており、その足は震えている。点が入った僅かな時間の間に動くその姿は既にふらついている。
「(もはや立っているのも辛い筈だ。それでもお前が走り続けられるのは支えがあるからか…)」
相模原もまた乱れる呼吸を整えながら、ジャンピングスマッシュの影響で負担が大きい膝を解すため、張った太ももの前後を軽く叩く。
そしてチラリとコーチ席にいる綾乃へと視線を向けた。試合前に後輩が言っていた”何人か殺ってそうな瞳”はどこに行ったのか、そこにはパートナーの勝利を願う健気な少女の姿があった。
ただ綾乃だけではない。なぎさもまた、まだ二カ月弱しか時間を共にしていない彼に対して、バドミントン部の主将として、先輩として、絶妙な立ち位置で弦羽早を支えている。
当然逗子総合と比べると遥かに少ない北小町のメンバー達の声援も彼にはしっかり届いている。
「(だがな、俺とて逗子総合の主将として負けるわけにはいかん!)」
相模原は一度ハーフ球を弦羽早のラウンドへと送る。低めのプッシュに近いそれに、弦羽早は咄嗟にハイバックで返し、体を一回転させるようにして正面に向き直るが、腕の振りが弱まっておりミドルコートまでしか伸びず、その甘い球ががら空きのサイドコートに突き刺さる。
攻撃的な展開の
『オーバー!
「(倉石監督、石澤だけでない。共に競い合ってきた同級生、そして今後の逗子を担う俺達三年に付いてきてくれた二年と一年達へ、俺は二年連続優勝を届け彼等の向上心の糧となる!)」
ここに来て鬼神の如き闘志を身に纏う相模原に、弦羽早は呼吸を整えるのも忘れてゴクリと唾を飲む。
新たに加えられたパターン、デュースに持ち込まれた事で伸びる試合、そして相模原の気迫に押されてしまい、続くショートサーブ直後のヘアピンにミスが生まれてしまう。
『ポイント!
逆転に次ぐ逆転に逗子総合からこれでもかという程の歓声が巻き起こる。
今のヘアピンも単にメンタル面だけでなく足の出が遅く、ラケットがいつもより下にあったのが原因の、疲労の限界から生まれたミスショット。
どれだけ勝ちたいという思いがあろうとも、この一点を諦めれば二分間のインターバルに入り休憩できる。そう目先の楽を考えてしまう程に追い詰められている状態だ。
疲労の限界に達した選手にとっては、コートにただ立っているだけでも体力も精神力も消耗してしまう。それは数年前までは現役選手であった健太郎も何度も味わった事のある経験だ。
健太郎は追い詰められ、僅かに負けようかと精神が傾いている弦羽早の表情を見逃さなかった。それは健太郎自身も現役時代、自分の試合を見直して、最後疲労を理由に諦めかけた時の自分の顔にそっくりだったからこそ読めた。
「不味い!おい羽咲、―――って大声で言ってやれ」
「え?でもそんな事で?」
「いいから!」
突然切羽詰まった様子で健太郎に言われ困惑する綾乃だったが、時間が無いのは確かだ。綾乃はスゥッと息を吸うと、自分が今出せる可能な限りの大声で。
「弦羽早ァ!私にカッコいいところ見せてー!」
コートに立つ弦羽早に向かってそう放った。
当然その声はコートの中だけでなく、観客席にも届いており、ズルりと椅子から滑り落ちる薫子が頭を打っていた。その頭を押さえるのは痛みからか困惑からか。
「…これでいいの?」
特に恥ずかしい発言をしたと思っていないのか、綾乃の表情には羞恥心は無く、むしろ健太郎を疑うような不安げなものだった。両者の間に座るなぎさは、自分には絶対に出来ないと苦笑しながらも、果たしてこの声援がどこまで影響を与えるのかとジッとコートを見つめる。
相模原のショートサーブから始まったラリーは速い展開だった。ネットに引っ掛からないように軽めのドライブ。そこに相模原もドライブ合戦は自分に有利だとドライブで返し、同時に倉石が立てた無数のパターンから今の展開で使えるものを模索する。
「(逃げない、ここは粘れッ)」
だが模索する暇を与えないドライブを弦羽早は連打する。
苦手な正面に向けて尚パワーショット。続いて威力が出にくいバック側へ飛ばす。それは相模原の体制を崩すが、崩れながらもバックハンドで後ろまで飛ばせる筋力を彼は持っていた。
弦羽早は素早く後ろへと下がる。棒のように重くこわった足に感情が指令を送り無理やり動かさせ、岩石のように固くなった膝をバネに使い跳びあがり、そして何も考えずに持ち替えた右手でストレートへとジャンピングスマッシュを打ち込んだ。
体勢が崩れた選手に対して強打を打つ場合、やはり狙うべきは空いた半コート側。しかしその逆を付き、あえて選手側に打つこともある。これらは駆け引きであり、どちらが正しいとは限らない。
しかし今回に関しては弦羽早が勝った。それまでクロスのヘアピンとカットドロップを始めとする、クロスが多かった相模原の頭には、やはり空いたクロススマッシュをどうしても警戒してしまう。
空いたコートへと駆け出す相模原の重心の逆をついた。
「ハァ…ハァ…シャアッ!」
「なんか、やる気でてるっぽい?」
「よし!いいぞ、次は――」
「うん。カッコいいよー弦羽早!」
「…アホがいる」
綾乃と健太郎の中央にいるなぎさは、両側の会話とそれでコンディションを無理やり上げる弦羽早にポツリと呟く。
続く弦羽早のサービス。ロングサーブはやはり悪手であるとショートサーブから始め、相模原がラウンドへハーフ球を送る。先程絶好球を送ってしまったハイバックだが、今度はクロスへの鋭いドライブを打って相手の不意を付く。
「(ハイバックでこの角度。やはり技術面が高いッ)」
予想外の攻撃に相模原は少し出が遅れながらも、冷静にストレートの前に落とす。弦羽早も無理やり足を動かして駆け寄り、それをストレートに再び返す。
その一打に相模原はまた出が遅れた。というのも、これまでのラリー、弦羽早はクロスのヘアピンを多用しており、加えて一瞬だけクロスサイドを確認するように視線を動かした。ただのストレートを打つだけでも、この一動作を加えることでフェイントとなる。もっとも相手がこちらの視線に気づく程の上級者でなければ意味はないが、彼は気づいてくれる。
出遅れたヘアピン。弦羽早はロブだと読んで僅かに後ろに下がろうとするが、相模原はそれを読んで咄嗟にクロスのヘアピンに切り替える。それはこの試合、度々苦しめられた意趣返し。
しかし今の弦羽早は半ばやけくそに、綾乃の声援だけで動いている状態だ。健太郎からの言われた事をそのまま伝えられているとも知らずに。
弦羽早は得意な重心移動をフルに利用して、即座に前へと詰め出す。だがそれでもまだ届かない。ならばと地面を大きく蹴って前へと跳び、空中でシャトルを横に叩きつけた。
そして空中で体を捻らせて、左腕で無理やり受け身を取る。
鈍い音と共にガチャンとラケットが地面に叩きつけられる。左腕に痛みが走るが、脳が麻痺しているのかそれもすぐに収まる。シャトルの行く末を確認すると相模原のコートに落ちていた。ギリギリのショットだったのか、線審がインの表示をしている。
『ポイント!
「ラァッ!」
ポイントを取得して無意識の内に握った左拳を上げようとした瞬間、その腕に痛みが走る。加えて一度横になってしまうと、一秒でも休んだ体が起き上がろうとしない。
酸素が足りていない頭では起き上がることは無論、靴紐を直すために屈むだけでも立ち眩みが激しくなる。
左腕を抑えながら横たわる弦羽早に、健太郎は一瞬怪我した直後の自分と彼が重なった。
「ッ!審判、怪我したみたいだ! 治療させてくれ!」
「ただの休憩目的だ!そのまま続行させろ!」
両者陣営の監督二人が真逆の意見を審判に要求する。その二人に挟まれながらも、どんな状況でも冷静なジャッジを下していた審判は静かに弦羽早を見下ろす。
『袖を捲ってもらえますか?』
ここで横になり続けていたら倉石の意見が通ってしまうかもしれない。弦羽早はふら付く足とグルグル回る視界の中体を起こし、ゆっくりと左袖を捲る。体に掛かる衝撃のほとんどを受けた左の二の腕周りが青紫色に変色しており、加えてラケットのフレームはねじ曲がって壊れていた。一瞬の出来事だったのでハッキリと見えなかったが、おそらく腕の落下地点にラケットが入り込んでしまい、辺りどころが悪かったのが原因のようだ。
『三分ほどの治療を許可します。その間にラケットも交換してください』
健太郎の感謝の言葉と倉石の舌打ちが重なる。
倉石も外道ではない、だがこの治療には間違いなく限界だった弦羽早へ休息となるのは確かだ。普通の相手なら倉石もここまで言わない。何しろ利き腕を大きく痛めれば、それはもうリタイアと同義になる。
だが彼が例外であることは審判も知っている。故の反論であったが、審判からしてもプレイヤーが両利きだからと治療させない訳にはいかない。
弦羽早はふらついた足取りでコーチ席に寄ると、背もたれに体の全てを委ねるように座り込む。
「ハァ…ハァ…」
「痛みはどれくらいだ!? 骨に異常はないか!?」
怪我に対して何より恐れを抱いている健太郎が真っ先に声を掛ける。
部員達も顧問の美也子から健太郎の膝の事は聞いていたので、彼の剣幕に驚きはなかった。
「…だ、大丈夫。一応動かせるのでただの打撲です。右でやりますけど一応テーピングをお願いします」
「分かった。荒垣、ちょっと手伝ってくれ」
「ああ」
スプレーから吐き出される冷気とスーする感覚に弦羽早の表情に少しばかり余裕が生まれる。その様子に安堵しながら綾乃は話しかけた。
「ラケット、五本くらいあったけどどれ使うの?」
「…ナノで、ガットの黄色い奴…」
分かった。
そう軽く笑みを浮かべて綾乃は弦羽早のバッグから一本のラケットを取り出す。右で使う為にグリップの巻きが右になっている。
「これ、トップライトだけどいいの? シングルスはイーブンじゃなかった?」
「左手動かせないから、軽い奴がいいかなって」
バドミントンのラケットは無数の種類があり、当然どれも同じわけではない。
今綾乃の口から出たトップライトとイーブン。これに加えてトップヘビーを合わせた三つは、ラケットの重さのバランスを意味する。
トップヘビーは名前の通り
イーブンは重さのバランスが均等で安定している分コントロールがしやすい。アウトを減らし相手を動かすシングルスにおいては、弦羽早は基本これを使う。
トップライトはグリップ部分よりヘッド部分が軽くなり、スイングがしやすくラケットの振りがスムーズになるのが特徴。
「…よく見たら壊れたのも合わせて合計七本くらいあるね」
「左右のイーブン、ヘビーが一本ずつとライトが一本、ダブルスとシングルでよく使う予備が更に一本ずつ」
「買ってもらったの?」
「半分以上は自腹だよ。そんなに必要ないでしょって」
「それはおばさんが正しいと思う」
こんなにあっても使う機会がないし、グリップもガットも使わなくても時間と共に質は落ちる。維持費も合わせると高校生が持つべき本数ではない。というより、プロでも別種のラケットをここまで詰め込まないだろう。
バイトなどする暇もない弦羽早が自腹ということは、すなわち小遣いから二万円以上するラケットをこれだけの数買っているのだろう。ガットやグリップの変えを考えるとその出費だけでも相当なものだ。
「弦羽早はバドミントン馬鹿だね」
「綾乃にだけは言われたくないかな」
クスクスと笑い合う二人の隣で、居辛そうな健太郎となぎさが微妙な顔をしながらもテーピングを続けていた。
もっとも健太郎はリアリストで、スランプ中はともかくなぎさも基本そちら寄りだ。選手である弦羽早のコンディションは綾乃に任せておいた方がよい。
「あと一点だよ。勝ってね」
「ああ」
『もうそろそろ三分経ちます。続行可能であればコートに戻って下さい』
あっという間の三分だが、インターバルよりも長いこの三分はかなり大きい。三分間座っているだけでも呼吸はかなり整えられた。綾乃から渡されたラケットを右手に持ち、健太郎となぎさに頭を下げて礼を言うと、弦羽早はコートへと戻る。
微かに肩は上下しているものの表情に微かな余裕が現れた姿に、倉石は軽く舌打ちをする。
当然のように弦羽早は怪我した左手ではなく、右手で試合を始めるつもりだ。
弦羽早の怪我を軽んじる訳では無いが、しかしあの状況においては本来の目的である治療よりも休憩の意味合いが強かったのだ。それに苛立たずにして何に怒るべきか。
しかしならぬ堪忍するが堪忍。それを相模原の前では出さず、相手を奥へと追い込むようにと冷静な声色でコーチングした。
バドミントンではラケットと持つ反対の手は使わないと思われがちだが、実際はかなりの場面で使用している。特に後ろから打つ球に関しては、左手で照準を合わせながら、左手の振る勢いも利用してシャトルに威力を乗せる。その為左手がだらんと垂れたままの選手なんていない。
故に少しでも振りを早くする為、弦羽早はトップライトのラケットをチョイスした。
「フッ、つくづく器用だなお前は」
「曲芸もたまには役に立ちますよ」
ズキリと痛む左手でシャトルを持ちながら、怪我してもなお試合が続けられることに喜びを覚える相模原は口元を上げる。
彼の寛大な心に尊敬しながらも、弦羽早は不敵な笑みを浮かべる。
休憩しコンディションが整えられた弦羽早だが、やはり左手を動かせないのは決して安い代償ではなかった。相模原は倉石のアドバイス通り、左手を使う必要のないネット前では勝負をせず、極力左手の影響が大きいコート奥へと上げる。
左手をプランと垂らしたまま放たれるそれは、迫力は無く速さも重さも落ちる。それに照準を合わせられないのもまたやりにくさの一因であった。
それでも後ろに追い込んでくるのは分かっていたからこそ、軽いラケットを選択したのだ。相手が弱みに付け込んでくるのなら、こちらもまた回復したスタミナを利用して長いラリーに持って行く。上がって来たロブに弦羽早もクリアーを送って相手を後ろに追い込む。当然後ろに追い込みたい相模原もまたクリアーで返す。
クリアーが十回以上続く状態となる。ここでどちらかが力加減を間違えてアウトになれば試合の結果が大きく左右するだろうが、互いに冷静な状態でそのようなミスは無い。
最初に動いたのは相模原だった。というよりも、弦羽早から一切仕掛ける気が無いのを読み取り、動かざる得なかった。
まずは軽いハーフスマッシュで様子見をしつつ、ネット前で勝負をしたいであろう弦羽早の心境を読んで前に意識を向ける。しかし弦羽早はまたもロブを上げ続ける。
「(残り一点で勝てる状況で俺のスマッシュを恐れずに上げ続けるか。ならば!)」
軽く目尻を上げて相模原は大きく上へと跳ぶ。直後またタイミングを合わせて弦羽早もその場で跳んだ。
相模原が大きく跳びあがって放ったショットは、その雄々しさとは真逆の緩やかなドロップであった。
だが着地のタイミングはズレておらず、凄まじい初速と共に弦羽早は前に出てそれをヘアピンで落とす。
それを奥へ追い込むためロブを上げると、また攻める気のない弦羽早がクリアーで返す。
再び両者が跳ぶ。今度はフェイントのジャンピングクリアー。クリアーを打つだけならジャンプの必要はないが、フェイントとしては効果はある。しかしこれも冷静に反応。またもやクリアーが相模原の元に返ってくる。
これまで相模原はジャンプと共に無数のコースと球種を打って来た。ミドルコート手前に落ちるジャンピングスマッシュを切り札とし、左右奥のスマッシュ、ドロップ、カット、クリアー。そしてあえて空中で打たず、地面に着地してから打つフェイント。
どれもエースショットに成りえるショットで、何点も取って来たショットだが、手札を切り尽くした今は並みのショットでは弦羽早のコートに落ちることはない。
「(やはり俺が打つべきショットはこれだ。これを起点にS4で行く!)」
アリーナ中に響き渡る乾いたシャトルの音。その力強い音は思わず観客の唾を呑み込ませる。
相模原はストレート、弦羽早のバックハンド側へと打ち込むと即座に前に出た。
S4は相手のバックハンド側へと角度のある強打を打ち込み、前に返って来たレシーブを叩くもの。それだけならわざわざ名称を付ける意味もなさそうだが、いくつかの分岐点に別れることからパターン化されている。まず並みの選手なら仮に返せたとしてもストレートの前に返すのが精いっぱいだが、それを越える選手となると、クロスのネット前やクロスのドライブで返してくる選手がいる。
当然弦羽早は後者が可能な実力者だ。であればその場合のパターンは、ストレートに詰めると見せかけ、クロスの球を誘い出してそれを狩る。
弦羽早はダンと右足で大きく地面を蹴り、その初速を利用して素早く左へと駆ける。バランスを取るのに重要な片腕を下げながらでも、踏み込んだ左足がブレることはなく、まるで足裏から根っこが地面に生えているかのように安定している。
その安定感は、これまで戦ってきたあらゆる選手よりも高い。
そしてビュンと素早く振られた弦羽早のラケットは大きく角度がついており、クロス、つまり弦羽早から見て右側へと飛び出した。
「(やはりクロ――)」
相模原の読み、あるいは倉石のプランと言うべきか。それは合っていた。確かにシャトルはクロスへと飛んでいく。
しかしバシン!とレシーブ、それもバックハンドから放たれたとは思えない音を鳴らしたそれは、前へと詰める相模原の頭上を高く越えていた。
「カウンター…ロブだと…?」
倉石の手からボールペンがポトリと落ちる。
シングルス、ストレートの激しい角度のあるスマッシュ、サイドライン寄りのバックハンド側。これらの条件が噛み合った場合、レシーブのコースは限られる。ボディ周りであれば速いスマッシュに対しても大きくロブで返すことは可能だ。それでも簡単な技術では決してないが。
その理由としては正面への球は上体を起こして打てるため、腕の可変角度にゆとりが持てる。しかしサイド側の低いシャトルと言うのには、当然ある程度手を伸ばしながら打つ必要がある。腕が伸びるということはそれだけ肘にゆとりが無くなり、腕の可変角度が狭くなる。
故にスマッシュと同時に前に詰め、限定された相手の球を決めるのがセオリー。
だが彼の場合にはそれが通用しない。
踏ん張ることすら難しい初速”だけ”はある跳びあがるリアクションステップ。それに耐え、腰を捻り、右打ちであるのにも関わらず左側に重心を乗せ、捻った腰を回しながらインパクトの瞬間に手首も捻る。
そのたったカウンターロブの一打にそこまでの技術が込められていた。
前と横に意識していた相模原は、もはや後ろに足を一歩出すこともできなかった。
コトンとシャトルが静かにコートへと落ちる。
『ゲーム! マッチワンバイ秦野、北小町高校!
はい。ファイナルまで書いてもよかったのですが私のスタミナが無くなりました。まあ格上相手でもストレートは起こり得ることなのでーーと言い訳させてください。
いやほんとに三ゲーム書くのは重いっす。
さて、今回の試合では弦羽早のスタイルや強みや弱みを中心に、メンタル的な不安なども書いていきました。バドミントンのきつさや、綾乃が支えるという事を明確に書きたかったのもあります。
ただバドミントンに限らず、一日で終わらせる大会ってどのスポーツにおいても決勝までいくと負担はかなり大きいと思います。
相性や相手によって戦略を変えるなども書けたのかなぁ…。
この作品におけるバドミントンのリアリティーはなるべくはねバドを越えないレベルを意識しています。
はねバドもクロスファイアを始め、志波姫さんの思考速度やなぎさのスマッシュの演出など迫力重視なのがあり、やっぱり完全に現実寄りにするよりかはこっちの方が書きやすいんですよね。
どうしても完全リアルにすると特にダブルスは文字では限界がある。
何が言いたいかと言うとバドミヌトヌまでは行きません。ちょっと今回入りかけてたけど。