空師【柳 龍光】。

猛毒とも言われた男は、なぜ必殺であるはずの“空掌”を捨てたのか。

圧倒的な技量を持ちながら、なぜ他のモノに頼ったのか。

これは、彼が本当の意味で敗北した日である。

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Twitter上で武術クラスタの方とお話していて不意に上がった「柳ってなんでわざわざ毒手仕込んだんでしょうね?」という自分自身にとっても長年の疑問を、以前作ったオリキャラを登場させて演出させていただきました。



バキ外伝【空師の敗北】

──敗北を知りたい──

 

そう嘯いて、死刑執行を目前に脱獄してどれほどを過ごしただろうか。

 

思えば私は逃げていた。逃げ続けていたから、最初に向かったのは渋川の元だった。

 

私が本気で勝利を求めていたならば、真っ先に向かうべきはあの()()()の元だろうに……。

 

苦労して作り上げた毒手もあっさりと斬り落とされた。

 

──この目の前に立つ武人、本部以蔵なる男に。

 

日本刀を向けられ、ナニカを言われているのは分かるが、私にはもはや戦闘能力はない。

 

否、戦う意義を見いだせない、と見るべきか。

 

それもそうだろう。私はすでに()()()()()()のだ。今さら、敗北など知るまでもない。

 

そうとも。あの()が言うように、私は初めから敗北()けていたのだ。

 

そんな自分が可笑しくなり、思わず笑いが漏れる。と同時に、私へ刀を向ける本部以蔵の背後から()()()と独りの男が現れた。

 

「フフ……本部さん……うしろ……」

 

叫ぶ本部以蔵。私はその光景を目にしながら、落ちた手を毒手へと変えさせた、戦いとも呼べぬ戦いを思い起こしていた。

 

◇▫️◇▫️◇▫️◇▫️◇

 

 

海外から訪れた他の死刑囚とは違い、私はこの国で生まれた。

 

ゆえに伝手もあれば、居場所とてないわけではない。

 

そんな折だ。私の元へひとりの()が訪れたのは。

 

この地は私の古い知り合いが営む料亭の離れ。今は改装中ということにして食事以外に人が訪れることのない筈の場所へと、なんの遠慮もなしにその女は入ってきた。

 

「なかなかいい隠れ家ですねぇ♪ お、貴方が柳龍光さんですね!」

 

整った顔立ちの女だった。美しい黒髪に、化粧っ気のない肌。均衡のよい全身は、なるほど、彼女のような女を美女と言うのだろうと納得させる迫力に満ちている。

 

そんな、やけに甲高い声で話す女の声と雰囲気に呆気に取られたが、それも瞬きする間だった。

 

だがそれがいけなかった。私が重心を僅かに変える刹那の間に、女との距離は縮まっている。

 

(……不覚ッ!?)

 

咄嗟に足元のバグナグを手に嵌めるが、その時には私の額に45口径(コルト・ガバメント)が突きつけられている。

 

「はい、私の勝ち♪ 如何(どう)ですか? 敗北の味は」

 

にやにやと嫌らしい笑みを浮かべる女に、私は怒りよりも疑問が浮かぶ。

 

(銃を持っているなら警察か……否、日本の警察で()()を使うものはいない筈。ならばいったい……)

 

「あれあれ~? コメントがないですねえ。あ、そうか! もうご存じでしたねぇ、()()()()♪」

 

「……!」

 

その一言が私を一陣の疾風(かぜ)へと変え、即座に女を殺さんと跳ね起きさせる。

 

まず拳銃のスライドとハンマーを掴み使い物にならなくさせる。撃鉄を抑えられれば飛び道具など物の役に立たない。

 

次にバグナグを嵌めたままの腕を振るい女の顔を狙う。当たればよしの一撃だが、女の反応は私の想像異常に早く、驚くことに拳銃を捨てて後ろへと飛び下がる。

 

そこで私も気づいた。()()偽物(フェイク)だ。

 

「おのれッッ!」

 

拳銃を投げつけ躱される。しかし投げたはずの拳銃は等しい速度でこちらへ投げ返されてくる。

 

狙い通りだったのだろう。顔面へ向かって飛んでくるそれを避けざるを得ない私に向かって、女の履いたパンプスが強かに顎を蹴りぬいた。

 

「~~~~がッッ!?」

 

理想的なまでに打ち抜かれ平衡感覚を狂わせられる。が、ここは私の距離でもある。

 

(()った!)

 

そう確信せざるを得ないタイミングで、必殺の空掌が女の顔面へと炸裂した。

 

相撲における下から来る打撃にある、見えない掌底。それを死刑囚や犯罪者を相手に実験を繰り返し、開眼した我が必殺の一撃。

 

酸素濃度6%以下という極限環境を作り出すことで、相手の意識を問答無用で失わさせる絶技。

 

しかし確実に命中した筈のそれを受けて、女は平然とその場に立ち続けていた。

 

「なッ……!!」

 

動揺を隠せない私の天地上下が入れ替わる。

 

(~~~~ッッ!? 渋川流だとッッ!?)

 

驚愕に続く驚愕。咄嗟に受け身を取ろうとするも、片手にはバグナグが嵌まっており、もう片方の腕は取られ仕掛けの基点になっている。

 

無防備に板間へと叩きつけられる後頭部。

 

床を割り、無数の木片が宙に舞うが、私の体は再び浮かび上がる。

 

「あはっ♪」

 

無邪気な笑い声と共に、今度は顔面から床へと叩きつけられる。割れた破片へ叩きつけるのではない。()()()()とでも言いたげな攻撃が、幾度も私を襲う。

 

「くあッッ!!」

 

現状を打開しようと、これまで用いなかった蹴りで女の体勢を崩さんとする。

 

──しかし、当たらない。

 

正中線を狙ったはずの打撃は体幹ごと明後日の方向へ逸らされ、お返しとばかりに足首の関節を外される。

 

「~~~~ッッ!!」

 

口から泡を吹きながらも激痛を堪え、手にしたバグナグを苦し紛れに振り回す。

 

「お?」

 

不格好なそれが、思わぬ不意打ちとなって女の服を剥ぐ。

 

数瞬、止まった女の肉体(からだ)を見て全てに納得した。

 

剥き出しとなった腹筋は、鍛え抜かれた武芸者のそれをしている。おまけに腹筋だけではない。まるで全身が、一回り膨張したかのようにパンプアップしている。

 

その姿を見て、私の脳裏に思い出される出来事があった。まだ私があの黒い男──久我重明に敗れる前の出来事を。

 

──が、その思考は途端に封じられる。

 

「……あらあら、淑女(レディ)の服を剥ぐだなんて、マナー違反よ」

 

低く唱えられた言葉に、背筋へ氷柱を突き入れられたような感覚が襲った。

 

声のトーンこそ違えど、それは紛れもなく先程の女の声。

 

そうだ、私はコイツを知っている。

 

巨凶の血を引く、かつて少年だったコイツのことを。

 

()()わね、柳龍光」

 

一声発すると、即座に奴は私を振り回す。

 

「そんなに自慢の()()()が防がれて不思議かしら」

 

だが先程までのとはワケが違う。そう、まるでコイツの体にまとわりつく衣服(ドレス)のように扱われている。

 

「だからそんな()()に頼ることになるのよ」

 

そうだ、私は今一枚の布と化している。信じがたい領域にまで加速された私の五体が悲鳴を上げながら、徐々にこの身を引き伸ばされるかのような感覚に陥っている。

 

「酸素濃度6%以下の環境を作りだす掌底。なるほど、そんなものが存在するならば確かに恐ろしいわ」

 

視界がブラックアウトし始めている。恐ろしいのは、この技が単純な力だけでも、純粋な技量だけでもない点だ。恐らくは生来のパワーと、渋川流を高次元で混合(ミックス)させている。

 

「だけど柳さん。それだけ恐ろしい技であっても、仕掛けるには呼吸が必要なんでしょう。だったらそもそも()()()()()()()()()()。そうは考えなかったのかしら」

 

三度床へと叩きつけられる。その反動を利用したのか、今度は天井へとぶつけられる。

 

「初見なら確かに恐ろしい技ね。刃牙ちゃんが負けた、っていうのも納得だわ。あの見えない掌底もお見事だった。けど暴露された武術家の技ほど滑稽なものはないわ。ましてや、種明かしを自分でしたとあってはね」

 

どこで見られていたのか。そんな疑問も、幾度目かわからない床へ叩きつけられる衝撃でなかったものになる。

 

朦朧とする意識のなか、これまで空掌を創りだす為に繰り返した拷問のごとき日々を振り返る。

 

「“敗北を知りたい”とは結構なことよね。でもそうなら何故真っ先に久我重明(くが じゅうめい)の元へと向かわなかったのかしら。何故自分自身がまみれた敗北を払拭しようとしなかったのかしら」

 

指の筋繊維を何度も断った。靭帯を千切れる寸前まで引き延ばし、関節を本来守るはずである軟骨が磨り減るまで鍛練に鍛練を繰り返した。

 

それも、全て獄中で、だ。

 

満足な環境とはとても言えなかった。鍛練に費やす時間など無理矢理作り出すしかない。日常のそれそのものを鍛練へと変えていく日々。それでも、私はやり遂げた。

 

完成した空掌が元小結の男相手に成功したときなど、私は射精しかねないほどの感動に包まれていた。

 

「アンタは恐れたのよ、久我重明を。そのツケがこれ。まともに体の動かないアタシを相手に、アンタは為す術なく敗れるわ」

 

もはや話すこともできぬほどに叩きつけられた私は、無造作に離れの奥へと投げつけられる。調度品として置かれていた細い花瓶を叩き割り、動かぬ体が血と水に濡れる。

 

「終わりね。アンタが獄中で磨きあげたそれは、詰まるところアンタが必死でしがみつきたかった自負心(プライド)そのものよ。いっそ毒手でも仕込んだら相応しいんじゃなくて?」

 

混濁する視界のなかで、自分を倒した()の姿が徐々に細身になっていくのを捉える。

 

()へと戻った奴の背後から二人ほどの黒服が現れ、上着を受け取った奴は無言で退出していった。

 

屈辱、否。

 

絶望、否。

 

憤怒、否。

 

言われた言葉は全て正しかった。そうとも、私は“敗北”していたのだ。あの日久我重明に負けたのだ。

 

それを否定しようと、獄中で腕を磨き、囚人を実験台に技を作り上げた。

 

誇らしかったのだ。自分自身の(かつ)えた闘争心が導きだした()()()()が。

 

まるで幼い子供が自らの玩具(がんぐ)を見せびらかすように、渋川と少年を相手に披露して見せた。

 

しかしその結果はどうだ。どこからともなく収集された情報をもとに私の技は研究され、いとも容易く破られた。

 

私は敗北したのだ。ならばどうする。これからどうすればいい。

 

震える体を起こしながら、這いつくばって離れの中央にある囲炉裏の近くまでやってくる。

 

何が空掌か。何が猛毒か。

 

全て無駄だ。無駄の極致よ。

 

静かに涙を流しながら、それでも戦うことをやめられない私は、次の日より毒手に着手することになる。

 

誰に聞こえるでもない、嗚咽を漏らしながら。

 





短いですよ。
ちなみに簡単な解説。

範馬ユーマ(本名勇摩)
本文でもちらっと触れている通り勇次郎の()()
正確には元息子。原作開始前に勇次郎へ戦いを挑み敗北した。
その際睾丸破裂などの重傷を負い整形手術を敢行。
後にドイツへ渡ってドイルへ改造を施した医者によって更に改造され、見た目は完全な女性となる。
片足は義足。鼻も人工。
戦いのスタイルは勇一郎のものと酷似している。ドレスは勇次郎から教わったが、不具となってからはかつてのパワーを補うために渋川流を取り入れている。
ちなみに現在のキャラは完全に勇次郎への嫌がらせ。本人を目の前に言うとぶちギレられるが、時おり留守番で「パパ、愛してるわよ♡」と声を残している。


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