陰を照らした時に出来る陰   作:俺の眼鏡

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60箱目 吐瀉物

 生徒会戦挙、書記戦。

 この勝負は思わぬアクシデントにより、延期となることが決定した。

 

 この書記戦は、今までの戦挙と明らかに雰囲気が違った。球磨川、蝶ヶ崎は相変わらず見ているだけで心が折れそうな空気を持っていたが、志布志飛沫、彼女だけは明らかに以前と雰囲気が変わっていたのだ。

 過負荷の過負荷たる、見るもの全てに嫌悪されるような気持ち悪さを含んだ不気味さ。彼女自身が持つ、近づく者全てを鬱にさせるような刺々しさを孕んだ気味の悪い空気感。

 その全てがギクシャクしていて、めだか達の目には志布志の姿が一周回って「儚くも綺麗」に見えたのだ。

 

 志布志に一体どんな変化が起こっているのか、恐らくその事実に気づいているのは、球磨川と、古賀いたみの二人だけであっただろう。

 

 しかし、古賀は気付いた自分のその小さな違和感を誰にも話そうとはしなかった。誰にも悟られまいと、戦闘が終わった名瀬にいつもの笑顔を見せた。

 きっと、志布志は、志布志飛沫は、些細無影照の事を・・・・・・。

 彼女も一人の少女であるが故、自分の中にそのチクリとした痛みを閉じ込めてしまう。

 

 そう、これは「誰も悪くない」のだ。

 

 しかしその小さな違和感は、やがて大きな亀裂を生み、変わろうとしている一人の少女を飲み込んでしまう。辺り一面に傷をつけながら。

 そのことを、まだ誰も知る由が無かった。

 

 

 

 

「『蝶ヶ崎くん』『もう今日は帰っても良いよ』『飛沫ちゃんは僕が責任をもって送り届けるからね』」

「いえ、球磨川さんのお手を煩わせるわけには───」

「『───僕は』『帰れと言ってるんだけど?』」

「っ!?」

 

 ゾクリと、命の危険を感じとり蝶ヶ崎の動きが固まる。

 夕焼けの茜色に照らされた薄暗い教室。夏特有の熱はまだ辺りに残っているが、今吹き出してきた汗はきっとその暑さのせいで出てきたものではないだろう。

 これ以上ここで足を止めていれば、自分の人生なんていとも簡単にぐちゃぐちゃになってしまう。蝶ヶ崎は自分よりも深く暗い過負荷に引きずり込まれてしまうことを感じ、バクバクと暴れる鼓動を抑えながら教室の外へ出た。

 もう誰もいなくなった教室。

 球磨川と飛沫しかいなくなった茜色の教室。

 飛沫の目に映る球磨川の笑顔は、いつもよりも空虚で、不気味で、気持ちが悪く、無意識にこれ以上近づいてほしくなくて数歩後ずさりしてしまう。

「『いやぁ』『思わぬアクシデントが起きて大変だったね』『飛沫ちゃん』」

「・・・・・・あのアクシデント、球磨川さんの仕業だろう?」

 絵に描いた様なとぼけ顔をして見せる球磨川。

 しかし、飛沫は分かっていた。

 確信と呼ぶには程遠いものではあるが、一体この男がどうやってアクシデントを起こしたのかはよく分からないが、それでもこの男が引き起こしたのだろうと思っている。

 

「説教だけは勘弁してくれよな。確かに今日はあまり本調子じゃなかったけど、明日こそはちゃんと球磨川さんの為に勝ってみせるって」

「『ん?』『今日は説教する為に残したんじゃないよ』『あははっ』『もちろん僕は飛沫ちゃんが勝ってくれるって信じているよ!』」

「・・・・・・じゃあ、何のために」

 飛沫がそう問いかけると、球磨川の笑顔は急に無表情に変わる。

 球磨川はよっこらせと教室の机に腰かけ、何者も映らないその真っ黒な瞳で少し遠くを眺めはじめた。

「『いや』『今日僕は改めて思ったんだよ』『僕は君達の事を調べているからどんな過去を背負っているのかを全部知っている』『でも君たちは全然知らないわけだ』『僕という存在の事を』『だからね』『ここでお互いについて昔話でもしようよ』『って思ってね』」

 球磨川の顔は再び空虚な笑顔に戻り、軽やかな口どりで語り始める。

 

 

 これは、僕がまだ中学生だった頃の出来事さ。

 まぁ、俗に言う甘酸っぱい思い出だよ。恋バナってやつかな。

 僕は中学生の頃、学校で生徒会長をやっていたんだ、そして僕の初恋のその娘は副会長を務めてくれていた。

 こんな僕が生徒会長を務めることが出来たのも、彼女のおかげと言う他無いね。

 とにかく魅力的な人だったよ。魅力的な人格を持っていて、魅力的な心を持っている人。僕みたいな過負荷でも、彼女と一緒にいることが出来れば、まともな人間になることが出来るんじゃないかと思えるほどに。

 

 

「『でもね』『一つだけ問題があったんだ』『それは彼女の顔が可愛すぎた(・・・・・)こと』」

「顔が・・・・・・?」

「『そう』『僕は彼女の内面や性格が好きだと言いながら』『結局見た目に惚れていたのではないか』『そこらへんのアイドル好き男子と変わらないんじゃないかって思ってしまったんだ』」

 この目の前の過負荷の象徴ともいうべき男に、恋愛感情や、そういった普通の感性があったことに飛沫は驚いた。

 普通に悩んで、普通に人を好きになって。

 嬉しそうにいっそ誇らしそうに語る球磨川のその様子は、少なくとも「嘘」をついているようには見えない。

 

 

「『───だからね』『ちょっと試してみたくなって』『彼女の顔面を剥がしたんだ』」

 

───!?

 

「『結果はね』『僕の想いは変わらなかったんだ』『剥がした皮も残った肉も僕には等しく愛おしく思えた』」

 

 

 一瞬で球磨川の顔が飛沫の目の前まで迫った、飛沫は小さくヒッと悲鳴を上げる。

「『ねぇ飛沫ちゃん』『僕ばかりこういった恋バナを話すのは恥ずかしいなぁ』『飛沫ちゃんも話してくれないかな?』『そうだなー』『些細無くんとの事とかね』」

「なっ、一体何のことだよっ!?」

「『あれー』『違ったのかな?』」

 くるりと振り返り、球磨川は飛沫から顔を離した。

 一瞬息をするのを忘れてしまっていた飛沫が、額に汗を滲ませながら肩で大きく呼吸を繰り返す。

 

「・・・・・・アタシの事は事前に調べてたんじゃないのかよ、今更別に、話すことなんてないだろ?」

「『うん』『そうだね』」

 急に声のトーンが下がったのが分かる。

 いつものあのヘラヘラした、お調子者の声では無い。全く感情のこもっていない、混沌とした、真っ黒な声だ。人の心を蝕んでいくような、そんな気持ち悪さを孕んでいた。

 

「『僕は別に飛沫ちゃんが誰を好きになろうとも構わない』『でもね』『君と釣り合うのはやっぱり僕達のような過負荷な人間だけなんだよ』『覚えているかい飛沫ちゃん』」

 

 

 親から飲まされたガソリンの味を

 

 変態教師の靴の味を

 

 同級生から食わされる砂の味を

 

 飢えを凌ぐ為に食べた新聞紙の味を

 

 僕らは汚い人間だ。

 周りの皆は僕達をゴキブリでも見るかのように辟易した視線を向ける。

 僕らの体に綺麗な場所なんて一つも残ってはいないんだよ。

 だから、避けられて、殴られて、忌み嫌われて、遂には誰も近寄らなくなった。

 

 それは何でだと思う?

 

 

「『飛沫ちゃん』『君は汚いんだよ』『吐瀉物同然の存在さ』」

 一気に過去の記憶がフラッシュバックする。

 飛沫の瞳からは光が消えて、益々暗い闇に飲み込まれていく。混沌から囁かれる言葉の意味を、彼女は誰よりもその身で理解していた。

「『僕もそうさ』『だからね汚い人間は汚い人間としか関わっちゃ駄目なんだ』『相手は僕達が近寄るだけで迷惑だし』『何より僕達の痛みは僕達にしか分からない』」

「あぁ・・・・・・・・・そうか」

 ボロボロと周囲の机や椅子、黒板が音をたてて崩れ始める。

 

 

「『非処女のヒロインなんて人気は出ない』『不細工な女なんて最初から恋愛対象外』『アバズレは結局ロクな人生を送らない』『彼氏持ちの若手女性声優なんて売れるわけがない』」

「ははっ・・・・・・だったら、私なんかが、到底無理だな・・・・・・・・・」

「『大丈夫だよ飛沫ちゃん』『僕達はいつまでも君の味方さ』『さぁ一緒に』『あの幸せそうなヤツらをぐちゃぐちゃにしてやろう』」

 

 

 

 

 

 選挙の準備が整ったのは翌日である。

 

「それでは皆々様お待たせいたしました、先日は誠に申し訳ありません。今回は場所を移動しまして、大規模実験室の方まで来ていただきました」

 大規模実験室。

 この箱庭学園は黒神グループという世界有数の財閥が所有しており、専門的な大規模な実験を行うことの出来る場所も用意されているのだ。

 場所は地下で、あの冷凍室と同じように分厚い鉄の壁に囲まれている部屋が一室ある。どうやらここが開催場所らしい。鉄に四方を囲まれた部屋には何も存在せず、がらんとした空間が広がっていた。

 

「この場所は、選挙が思わぬアクシデントが発生した際の予備のステージとして用意されております。そして前回が『冬眠と脱皮』でしたので、今回は規則にのっとりましてそれと対にあたる選挙戦『北風と太陽』を行ってもらいます」

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