陰を照らした時に出来る陰   作:俺の眼鏡

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61箱目 何も知らないくせに

 大規模研究室で行われる今回の書記戦は『北風と太陽』だ。

 長者原曰く、ルールは基本的に『冬眠と脱皮』と同じで、相手の身ぐるみを全て剥いだ方の勝利である。しかし、一つ異なる点があるとすれば、この環境であろう。

 『冬眠と脱皮』は過酷な氷点下の世界での戦いであったが、『北風と太陽』は全くの逆、灼熱の温度の中で戦いを行う。酷い乾燥と、60度を誇る灼熱の室温、ちなみにこの室温は戦いの最中に上がり続けるらしい。長引けば長引くほど、環境はより過酷になっていくのだ。

 そして、寒くないのに身ぐるみを剥ぎ自分のものにするその訳は、自らの肌を火傷させない為と、水分を体内から逃さない為という二つの理由がある。

 あまりに乾燥しているから、吹き出した汗があっという間に蒸発し、体内の水分をみるみるうちに減らしていく。加えてその高い外気に長い間晒されていると、ジワジワと全身が火傷していってしまう。

 傷をつけられでもしたら、氷点下の世界の様にたちまち傷口が塞がるということは無く、むしろ治りが遅くなり、水分を余計に奪われる原因にもなりかねない。

 

 

 つまり、今回のフィールドは完全に志布志飛沫向けと言えるだろう。

 

 

 

「・・・・・・おいおい、あれじゃまるで別人じゃねぇか」

 名瀬夭歌は眉間にシワを寄せながら呟いた。彼女のその視線の先、志布志飛沫はそこに立っていた。

 服装は先日と違い、いつもの破れかけの薄着。暑さでゆらゆらと揺れているあの室内に今から入るというのに、彼女の顔には微塵も不安が感じられない。

 そして何よりも彼女の目が違う。何者も映し返さないほどに暗く、黒い瞳。まるで球磨川を目の前にしているような感覚に陥ってしまう。

 

「・・・・・・球磨川」

「『珍しいね』『どうしたのかな?』『古賀いたみちゃん』」

「お前、あの子に、志布志飛沫に何をした」

 額に汗を滲ませ、恐怖とも怒りとも取れるような表情をした古賀は、へらへらとした表情でパイプ椅子に座る球磨川の元へと迫っていた。

 今にもその胸倉に掴みかからんとする気迫。長者原の眉が微かに動く。

「『はてさて』『何のことかな?』」

「一体何を吹き込んだ」

「『吹き込むも何も』『僕はただ仲間としての激励を送っただけだよ?』『何をそんなにイライラしてるんだよ』『それよりも』『今のうちに大切なお友達の名瀬ちゃんとお喋りでもしてきたら?』『この戦いが終わったらもう二度とお喋りできなくなってしまうかもよ?』」

「っ・・・・・・」

 この状況ではただただ歯ぎしりをして球磨川を睨むことしか出来ない。

 人の気持ちの中で一番、幸せで、不安定で、壊れやすい部分。球磨川はきっとそこを根元から折ってしまったのだろう。それがどれほどの痛みになるのか、古賀は分からない。

 でも、だからこそ、古賀は球磨川の事を許すことが出来なかった。

 

「・・・・・・おい、敵のくせにウチの大将の前に立ってんじゃねぇよ、殺すぞ?」

「志布志・・・さん・・・・・・」

 躊躇なく振り上げられた飛沫の手には鋭利な剃刀が握られている。その動きを目前にして古賀は理解した、彼女は何のためらいもなく自分を殺しに来ているのだと。

 

 

「お二方とも、そこまででございます」

 

 

 飛沫と古賀の間に痺れを切らした長者原が割って入った。

 この一瞬で鮮やかに飛沫の手から剃刀を奪い取るその一連の動作に、球磨川が拍手をしながらやんややんやと感嘆の声を上げる。

「古賀様は此度の選挙に出場されないのですから過度な接触はおやめください。球磨川様もです、あくまで閲覧者であるという立場をお忘れなきよう」

「・・・・・・すいません」

「『僕は悪く無くなーい?』『もー』」

 

 首をもたげ、そのまま古賀はめだかの後ろに立つように移動した。

 そんな親友の姿を一瞥もせずに名瀬は目の前の敵をただ睨んでいる。今回の戦いで一番危険なのは自分であることをハッキリと分かっているからこその態度だろう。

 殺意とは違う、「絶望」に似た深い諦め。古賀へ振り上げたあの剃刀には、もうどうなってもいいのだという意思が籠っていたように感じた。

「おい、ヘタレ」

「ん?」

 名瀬に呼ばれて影照は気の抜けた反応を返す。

「古賀ちゃんのこと、本気で頼んでも良いか?」

「んー・・・・・・嫌だね」

「なっ!?」

「だからちゃんと帰って来なよ。お前は俺のことが嫌いだから、親友の古賀さんを俺に任せることなんて本当は嫌だ。そうでしょ?」

 柄にもなく意地悪な微笑みを浮かべて影照は名瀬にそう呟いた。

 そんな呟きに、彼女もまた同じく意地悪気な微笑みで一つ舌打ちをする。

「本当にテメーは嫌な奴だ」

「ははっ、よく言われるよ。特に空洞なんかにはね」

 

 

「それでは準備が整いましたので、さっそくステージの方へ移動をお願いいたします。黒神くじら様、志布志飛沫様。ステージへ入ったその瞬間から勝負開始となります」

 

 

 鋼の扉が開き、一気に咽び返るような熱気が控室のメンバーを襲った。

 

 

 

 

 サウナの平均的な室温が80~100℃。そう考えるとこのステージの中の温度「60℃」と言うのは「冬眠と脱皮」よりかはいくらか良心的ともいえる温度だ。

 しかし、とはいっても60℃というのは地球上で記録された最高気温と同じ。日本の夏なんてまるで比べ物にならないだろう。

 落ちた汗は鋼鉄の床に落ちて、飛び跳ねる様に沸騰して消える。

 

 ただ一つ感じる違和感、汗をかいている量が二人とも違うという事。

 四肢の肌を軽く赤くして苦しそうに息をしているのは志布志飛沫だけ。

 対する名瀬夭歌は敵の攻撃をかろうじて躱しながらの防戦一方であるが、うっすら顔に巻いている包帯が汗で張り付いているだけで、涼しげな表情をしている。

「おかしいですね、飛沫様に比べてくじら様の動きがあまりにも軽快過ぎます」

 喉の奥で唸りながら、長者原はアナウンスに用いる受話器を手に取った。

 

『くじら様、選挙管理委員会として説明を要求します。あなたは何をなさっておいでですか?』

 

 その声に反応した名瀬は振り返ってモニターを睨む。

「漠然としたものの聞き方だねえ、長者原くん。このアンダーウエアの事を聞いているんだろ?」

 志布志とは違い、素肌を全く晒していない名瀬。

 真黒のゴム質のアンダーウエアを身に着けており、どうやら志布志の振るう剃刀も全く刃が通っていないようだ。

 

「俺のアンダーウエアが防ぐのは刃だけじゃない。低温にも高温にも、低湿度にも高湿度にも、北極であろうと南極であろうと、砂漠であろうと高山であろうと、ありとあらゆる環境に耐えうる全方位型実験服───名付けて『黒鬼(ブラックオウガ)』!流石に強度においては、風紀委員会の『白虎(スノーホワイト)』には劣るがね」

 

『「逆に全身タイツの方が」「生肌よりそそる気がするね」「その件について深く話し合わないかい?些細無くん」』

『え、あ、うん』

『・・・・・・えー、ゴホン。くじら様、もしかしていつもその黒鬼(ブラックオウガ)を身につけているわけじゃないですよね?』

 スピーカーの向こうから球磨川と些細無の喋り声が聞こえるが、その場の全員があえて無視をする。

 名瀬も同様に、二人の話し声を完全に無視しながら長者原の質問に続けて答えた。

「あたりめーだろ、予めこの書記戦の前に、過去の選挙戦のデータを調べつくして準備をしてきてるんだよ。俺からしたらこの書記戦に臨むにあたって何の準備もしてきてないヤツの神経の方が理解に苦しむぜ」

『なるほど、服を着ていることはなんら規則に呈しませんし、くじら様の先見の明にただただ驚くばかりでございます』

 

 

 時間が経つにつれ、段々と部屋の温度が上がっていく。

「おいおい、足元ふらふらじゃねーか。まぁそのまま地面に手足をつけでもしたら、火傷で大変なことになるぜぇ?」

「チッ、ほざけ」

 足元がふらつき、見るからに顔が火照っている。熱中症ともいえるような症状が明らかに飛沫の体に現れ始めていた。

 動きも完全に止まり、剃刀を握っているその手には全く力がこもっている様子は無い。

 

 控室にいるメンバーはその一方的すぎる戦闘状況に、眉をひそめずにはいられない。

 球磨川がニコニコとした表情をして、対する生徒会メンバーが微妙な表情をしているという真逆の雰囲気。

「おい、球磨川。味方の後輩がやられているっていうのに、何でそんな顔してられるんだ。飛沫さんも全く過負荷(マイナス)を使う様子もねーし」

「『あれあれー?』『敵なのに飛沫ちゃんの応援をしてくれるのかい』『些細無くん』」

「そーいうことじゃねーよ・・・・・・」

「『あはは』『飛沫ちゃんのことを何も知らないくせに』『なに知った様な口をきいてるんだよ』『誰が今』『飛沫ちゃんを苦しめているのかよく考えろよバーカ』」

 そうだ、影照は頭では分かっていた。

 何で味方でもない志布志飛沫が一方的にやられている場面を見て、なぜこうも心が落ち着かないのか。

 それは、過負荷の人間のなかで、彼女とだけはちゃんと分かり合えるような気がしてたからだ。

 しかし、今の目の前の飛沫の目を見て思う。俺は球磨川の言う通り、彼女の事を何も分かっていなかったんだと。

「『ふふん』『飛沫ちゃんは過負荷(マイナス)を使わないんじゃなくて』『過負荷(マイナス)を容易に使うことが出来ないんだ』『一度堰を外せば彼女の中のものが濁流の如く溢れ出してしまうからね』」

 

「『そう』『今の飛沫ちゃんの致死武器(スカーデッド)は』『もうアンコントローラブルなんだから』」

 

 

 

 

 室内の温度は90°を優に超した。

 酷い乾燥のせいで、もう目を開けているのすら辛い。全身をうまい具合に覆っている名瀬すらこの環境に対して辟易した表情をしているというのだ、薄着の志布志の辛さは恐らく誰しもの想像を超えているだろう。

 しかし、そんなヘトヘトで動く気配を見せない飛沫に対して、決して自ら仕掛けようとはしない名瀬。

 

「俺からは絶対仕掛けないぜ、スケバンちゃんよぉ。こっちはアンタの服を奪うメリットが無いからな、精々動き回って干からびな」

「くっそ・・・・・・もう止まらねーぞ」

 ギリギリと歯を噛みしめて、剃刀を放り、飛沫は名瀬に向かって右手を向けた。

致死武器(スカーデッド)!!」

 

 

 

「─────ってーなぁ」

「っ!?」

 確かに手応えはあった、名瀬の古傷を開いたはずだ。

 しかし彼女は顔を苦痛に歪めているだけで、どこにも外傷らしき傷を見受けられない。

「おいおい、人間は日々進歩するもんだぜ?俺は日之影空洞、黒神真黒、百町破魔矢、些細無影照の治療に関わってきたんだぜ?どれくらいテメーのサンプルを見てきたと思ってんだよ」

 よく見ると彼女は自分の腕に自分で注射を打っていた。

 

「イテテ、なんてことは無い、些細無影照の異常(アブノーマル)を模擬的に再現してるだけさ。自分の自然治癒力を極限まで高めた、お前の『古傷を開く』過負荷(マイナス)はもう俺には通用しないぜ?さぁ、かかって来いよ。俺は学年一不真面目な生徒だ、卑怯だなんだと言われようとも絶対に直接手は下さねーからな」

 

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