彼女自慢の
この灼熱の室温の中で、薄着をしているその肌は赤く火傷し、きっと視界もゆらゆらとおぼろげだろう。
足元もふらついている。
呼吸も不自然に荒く、顔色も悪い。
名瀬はそれでも彼女に近づかなかった。
わざわざ近づいて危険を負う必要は無い、戦わずして最小のデメリットで勝つ。敵が衰弱していくのを高みから見物するだけの楽なお仕事だ。と、誰に聞かせるでもない呟きを心の中で反芻させていた。
近づかなかった、いや、名瀬は近づけなかった。
自分に何度も言い聞かせて、その呟きを自らの心の中で正当化しているだけに過ぎない。
それほどまでに、彼女の、志布志飛沫の笑顔は不気味過ぎたのだ。
どうしてこの圧倒的な状況下で、こうもへらへらと笑っていられる。その面影がどうしても「球磨川」と被ってしまう。
下唇を噛みしめた。
この戦いに入る時に、名瀬は思っていたことがある。
俺は戦うタイプじゃないが、戦えない事は、戦わない理由にはならない。
クズで、どうしようもない社会不適合者な俺だけど、それでも
みんなと一緒でありたい名瀬は、もちろん過負荷な志布志に圧倒的勝利を叩きつけてやらなくてはいけないと思った。
99%の勝率で妥協するつもりは無く、もっともっと勝率を高める為、黒箱塾時代の文献を読み漁りくじ引きの対象になるであろう十三のルール全ての対策を練って、更に念のため四十種近くのルール対策まで練って来たのだ。
百町や日之影、阿久根、黒神真黒、自分の傷も含めたあらゆる負傷箇所を徹底的に調べ上げ、志布志の過負荷を判明させることも出来た。
自信から来る慢心。
決して奢っているわけでもない。真正面から勝負を挑んでしまったことが、過負荷の術中に陥ってしまう原因になったのだ。
負け難きを負け、生き難きを生きてきた過負荷に、強さや勝率なんてのは関係ない。
今の名瀬は、そのことを忘れていたのかもしれない。
☆
室温は今100℃を越した。
流石の名瀬でも少し意識が朦朧とするくらいの暑さになっている。つまり、今の志布志の状態は相当危険だという事だ。
見るからに目が虚ろ。手足も怖いほどガクガクと震えている。
「長者原二年生、もうあれでは勝負にならない。勝敗は目に見えている、早く終了させて志布志一年生を手遅れになる前に治療した方が良い」
「おいおいめだかちゃん、勝負はまだついてないだろ?生徒会長のクセにルールを守らない気かい?」
「球磨川、貴様は仲間がどうなっても良いというのか!?」
「黒神様、我々選挙管理委員会としましては球磨川様の仰る通りここで勝負を中断させることは出来ません。あくまで公正に公平なルールにのっとり勝負を見届けるのが我々の仕事ですので。どちらかの衣服が全て剥がれるまで、この勝負は続行していただきます」
めだかは握り締めた拳を振り上げることなく、眉間を歪ませ室内の戦いに目を向けた。
「俺には分かる。そうなってしまったからには、もうお前はまともに動くことも出来ない。これ以上意地を張ると、最悪の場合死ぬぞ?」
負けを認めろ。
自分で服を脱げ、と暗に促しているその言葉。
しかし、志布志はそれでも笑う。
「・・・・・・これも、じゃあ『優しさ』だ。俺がもう終わらせてやるよ」
名瀬はどこから取り出したであろう注射器を、両手合わせて七、八本握っている。
ノーマライズ・リキッド。
その注射器に入っている劇薬を、黒神めだかはよく知っていた。真黒が考案し名瀬が開発した「異常封じの異常殺し」、天才を凡人に変える薬。
ろくに動けないでいる志布志の静脈に、寸分の狂いなくその注射器を投げ刺した。かつてめだかがあの注射を刺したときは、注射器一本で激痛が全身に走ったものだが、志布志の表情を見ると今回のノーマライズ・リキッドは何かしらの改良が加えてあるのだろう、あの劇薬による痛みはどうやらあまりないように見える。
「もう高校生なんだから、注射くらい笑顔で受けねーとなぁ。さて、と。これでお前の
人体の知識が非常に長けている名瀬から見れば、もう志布志はまともに動くことが出来ないだろうということが分かっていた。人差し指でちょこんと触れただけでもう倒れてしまいそうだ。
スゥと息を吸い、そのまま志布志の衣服を剥ぐために名瀬は歩いて近づいていく。
「・・・・・・言ったろう?もう、止められねーぞって」
「あ?」
ゾクッ。
一瞬だ、感覚的に名瀬は、足元が崩れ落ちそのまま暗い穴の中に落ちていってしまうような、そんな錯覚を覚えた。
勿論現実にはそんなことは起きていない。ただ、本能的に大きく後ろに飛び、志布志と距離を空けた。
痛い、身体中の痛みが急に強さを増す。
先程から志布志の
「なっ!?」
名瀬は自分の手の平を確認する。
自然治癒力を極限まで高めているにも関わらず、手の古傷がじわじわと開き、赤色が滲み始めている。
「もう、テメーの
「ハッ、やっぱりアンタは、過負荷じゃない・・・・・・あたし達のこの能力は、そもそも封じもされねーし、殺されもしねー。神父さんでも解けやしない呪いなのさ」
生まれに恵まれて、定められたかのように持っている能力が異常性。
生まれに恵まれず、世界に潰されてきた者達の心に密接に芽生えたのが過負荷。
ノーマライズ・リキッドは心ではなく、身体的な能力を押さえつけるもの。
徐々に深みに沈んでいく志布志に、勿論そんなものは効きやしない。
「分かる、あたしの体の事だから、あたしが一番理解できる。間違いなくあたしの
よく見れば、控室の向こう側の面々の体にも、古傷が開きそれが段々と悪化していっている様子が見て取れる。
名瀬は心の中で自分の一手が失敗であったことを、ここで理解した。
「クソがっ、大人しく睡眠薬や痺れ薬を打ち込んでおけばっ」
「・・・・・・はぁ、はぁ、おいおい先輩。まだだ、あたしの
「ほざけ、それでも俺の方が優勢なのは変わらない。悪いがここで決めるぜ」
古傷を開き、それを悪化させる。
この能力は球磨川よりも目に見えて脅威であることを、体に受けて名瀬は即座に理解した。
ほんの少しのかすり傷一つだけで、相手を殺すことだって容易い。それを本人はどうやらコントロールできている様子もない。
今後の事を気にするよりも、今だ。今「志布志飛沫」を止めなければ、自分だけでは無く周りの人間全員の命すら危ういのだ。
名瀬は痛む体に歯ぎしりし、懐から無数の鋭利な医療器具を取り出す。
「テメーの意識は、今すぐにでも切れそうな糸のようなもんだ。体に痛みが刻まれれば、たちまち意識が切れるだろうよっ!!」
まともに動けない志布志に向かって、十数もの刃物類を勢いよく投げつけた。さきほどの様に、寸分の狂いなく静脈に注射を打ち込んだ時と違い、刃物類は完全にただ傷つける為の軌道を描く。
しかし、その刃物は志布志のもとまで届かない。
「・・・・・・おいおい、どういうことだよ」
「人の話はちゃんと聞くもんだぜ、先輩・・・・・・言っただろ、あたしの過負荷はどんな古傷でも悪化させることが出来るんだって。例えそれが服の擦れだったり、『組み立て』や『施工』だったりも古傷の扱いになるのさ、当然もうあたしじゃ止めらんないけど」
志布志の目前にまで迫った刃物の全てが、彼女の肌に突き刺さる手前で全てがバラバラに砕け散ったのだ。
もう無理かもしれない。
名瀬の脳裏に一瞬、そんな弱気の一言が浮かぶ。
ほんの一瞬。動物的な本能として、そんな言葉が浮かんだのだ。しかし、その迷いを頭をふるいながら名瀬は吹っ切る。
これは殺し合いではなく、生徒会戦挙。そこに付け入る隙は十分にある。
「物体じゃなくて、液体なら傷もクソもねぇ。俺はお前を殺しに来たんじゃなくて勝ちに来た。次こそテメェに勝つ」
「いいや、先輩。あんたに次はない」
志布志の空虚な微笑みのなかに、ドス黒い殺意が灯る。
身の危険を感じた名瀬は懐から「硫酸」の瓶を取り出しながら、瞬時にその場から飛び退いた。
そんな名瀬に向かって、志布志が右の手のひらを向ける。
「あたしが開くのは体の古傷だけじゃねー。心の傷も同じだ」
名瀬の悲鳴が部屋に響き渡り、まるでその悲鳴をクラシック音楽でも聴いてるかのように、志布志は恍惚な笑みを浮かべた。