ヒーローと魔法少女、或いは心理学カンストゴリラ 作:就鳥 ことり
茹だるような暑い、夏の日だった。
蝉の声がベルのように絶えず鳴り響き、生ぬるい風が吹く、ただのと或る夏の1日。
僕にとっては生涯忘れない、忘れたくないそんな日。
「……失礼します って、先生!!? ちょっっ何を!!?」
窓枠に脚をかけるその姿に僕の脳内は白くなった。考えていた台詞も、抱えていた苛立ちも、何もかもが消散し、代わりに焦りが募る。
そんな僕のことなんか露知らず、僕の姿を捉えた彼女は、嬉しそうに笑みを浮かべた。
「あっ晴臣。よく来たね。来て貰って早速悪いんだけれど。散歩に出たくてね、付き合ってよ」
「えっあっ、はい……じゃなくて!! 普通に出ましょっ」
「それじゃ、下で待ってるよ」
「せんせっ待って!! 此処2階っ!!!」
「ははは、また後でね」
「待っ」
僕の言葉が聞こえていないかのように(たぶん正しくは聞こうとしてない)、彼女は窓の向こうへと消えていった。
木の葉が激しく擦れる音がしたのち、ドスンという着地音が響く。
「先生ぇぇぇぇぇぇっ!!」
誰も居なくなった病室に僕の悲痛な叫び声が木霊する。風に吹かれて膨らむカーテンだけが、僕を慰めるように揺られていた。
もうやだあの人嫌い……嘘、好きだけど……なんというかやだ。
先生……僕がそう慕う彼女は奇想天外とか自由奔放という言葉が良く似合う。今もこうして先生は病室の2階からするりと跳び去ってしまった。重病患者のすることじゃない。
先生はいつもそうだ。
先生はそこそこ名の知れたカウンセラーをしていて、僕はその助手というか一番弟子。まだまた未熟だから一応事務員として雇って貰っている。
大学の非常勤講師や本の出版、最近だと不登校の生徒を抱えた親や教師に向けたガイダンスでの講師役など、仕事も順調。
この前は僕の弟子入り記念日にちょっと高いお肉を食べさせてくれた。
それなのにだ。
唐突に突き付けられた解雇通知。
それはもう何重にもかけられた言葉の優しいクッションに包まれていたのだけど。それらを全て取り去ってみれば、なんてことない。事実上の解雇のお知らせだった。
いくら心理学カンスト間近の先生だとしても、長年傍にいればわかる。
丸め込まれてなんてやらないぞ、先生。
そして、納得なんてできない。
のらりくらりと躱す先生に根性で2ヶ月間詰め寄って(小細工は嘘発見器の先生に通じない)、やっと真実を知ったのが1週間前。
先生は余命3ヶ月を宣告された、末期癌の患者だった。
先生の計らいにより紹介された次の師匠への挨拶や、先生の事務所の整理等で遅くなったが。
今日は先生に直接会いにいく。
一番弟子の立場を乱用して恥を捨てて甘ったれる所存。まずはよく伸びる先生のほっぺたを抓って。それから僕の煮えたぎる胸の内を投げ付けて、先生に訂正させてやるのだ。そう息巻いて俺は病室をノックした。
なのに。先生ときたら、ベットから跳び降りるような気軽さで2階の窓から飛びだしたのだ。
勿論こんなことは初めてではないが、何度見ようが心臓に悪いことには変わらない。
こんなのに慣れてたまるか。
軽くパニックに陥った僕は、胸に渦巻いていた不満を忘れ、気付けば半泣きでナースコールを押していた。
**
「君は相変わらず大袈裟だなぁ」
医者と看護師に叱られた後だと言うのに先生はほけほけと笑う。
先生が余命を告げられたのはもう4ヶ月前。普通はあんなふうに動けるわけがないのだが、残り僅かな時間をあぁやって出来るだけ伸び伸び生きて欲しい。そんな願いから、ちょっとしたことは大目に見ているのだと、恥ずかしそうに医者達が言っていた。
先生の事だ、どうせまた人たらしを発揮したのだろう。あの人は流石というか、人の欲しい言葉を当てるのが本当に上手い。
「あーあー、よしよし。ほら鼻かんで、ちーん」
ひと騒ぎが落ち着いたかと思ったら、先生の方から「黙っていてごめんね」と切り出されたのだ。
あまりに素直に謝られたもんだから、色んなものが涙と一緒に湧き上がってきて、遠慮せず思う存分喚き散らした。うるさい、俺は今幼女なんだ!! 幼女は国宝!!全てが許される。
その全てに相槌を打って、先生は受け止めてくれたから俺は満足した。先生のチョロ助だなぁという呟きは聞こえないったら聞こえない。
ところで、晴臣。今何徹目?という問いには指を3本立てて返事した。この前まで、先生に対してぶうたれてたせいで書類溜まっていたとか絶対に言わない。
「さて、落ち着いたかい?」
「ばぃ……」
ずびっと鼻を啜る。
「それで? 金城先生はどうだった? 会って来たんでしょう?」
「はい。先生の師匠だったんですよね。とっても良い方でしたし、先生が紹介してくれた方なら僕はそこで頑張ります」
「そっか」
僕の返答に先生は安心したように、ほにゃっと相好を崩した。「本当は私が最後まで見てやりたかったんだけどね〜」ぐりぐりわしゃわしゃと僕の頭を掻き回す。乱雑なのに優しく暖かい先生の手にどうしようもなくまた泣きそうになる。
「泣き虫だねぇ。慣れない徹夜なんかするから、心と体のバランスが崩れるんだよ。暫くしたら起こしてあげるから寝てしまいなさい」
ほら、とベットをぽふぽふと叩いて催促する。
「えっ、いいですよ!! ちゃんと家で寝ますから!!」
先生は1度言い出したら中々曲げてくれない。僕の意思はほっといてテキパキと貰い物であろうタオルやクッションを投げ渡してきた。
「どうせ1日休みを取って来たんでしょ」
「そうですけど……わかりました」
渋々従って床に薄いクッションを敷き、うつ伏せになってベットに頭を預けた。
「そうだ、晴臣。君に頼みがあるんだけどいいかな?」
「なんですか?」
「そんな直ぐに死ぬつもりはないけれど、もし私が死んでしまったら。私が大切にしている円盤があるでしょう。あれ、一緒にお墓に入れて欲しい」
「円盤……? もしかしてあの女児向けアニメですか?」
「うん、全巻」
「えぇ……わ、わかりました」
先生はこれといった趣味は持っていないと聞いているが、このプリキュアの一作品目に関しては隠さずオタクをしている。勿論他のプリキュアシリーズも好きだが、初代は原点にして頂点、特別なんだと。
なんでも先生の原点でもあるそうだ。昔、話してくれたのを覚えている。
プリキュアと出会った頃先生は丁度小学生になった年で、どハマりしたその頃の先生の将来の夢はプリキュア一択だったそうだ。
でもそれはフィクションで、中学生になったとしてもプリキュアにはなれないのだと時を過ごすうちに悟った。
それならば。
それなら、プリキュアに近い何かになりたい。そう思ったそうだ。
先生は考えた。
プリキュアの見所はなんと行っても、美少女2人によるアクションと絆、勧善懲悪だ。
しかし、現実はプリキュアみたいな強い力を身に付けることはできない。あんなふうに殴り飛ばすべき巨大な悪もいない。憧れから少し格闘技をかじってきたが、ならば戦うことにこだわる必要は無いのかもしれない。
プリキュアは言葉で、苦しみに捕らわれた友達を、闇に捕らわれた大人を、本当の意味で救っている。
言葉なら、自分にもかけられる。あの世界と同じように、悩み苦しんだり、道を踏み外そうとしてる人なら、沢山いるんじゃないか。
その瞬間先生はこの道に進むことを決め……「晴臣」
「……何か余計なことを考えているね? いいから寝なさい。君は心配性なんだから……大丈夫、怖くない。起こす約束をしたからね、君が寝ている間に居なくなったりしないよ」
「やくそく……」
「あぁ、約束だよ。安心しておやすみ」
瞼に被された、温くて、優しい手に。僕の意識は闇に溶けて無くなった。
結論から言うと先生は約束を守ってくれた。起こしてくれたし、変わらず楽しそうに笑っていた。
ただ、起こしてくれたのは面会時間ギリギリの17時半少し前で。睨むように先生を見れば肩を震わせていた。「何時に起こすとは決めてなかったからね」そう笑っていた。
ただ、「暫くは死ぬつもりはない」と言っていたのに。
その3日後、先生は覚めない眠りに着いた。
ただ眠っているようにしか見えない先生は、呼びかければ目を開けて「騙されたね」と笑ってくれそうだった。
それでも手に触れた時、冷たく固まった手がそれを否定した。あの優しくてあったかい手は何処にも無かった。
こうなるのなら、あの時
「次に僕が来るまで死なないで」
そう約束しておけば、良かった。
親愛なる貍塚晴臣様
先に言っておくけれど、あまり長くは書かないから期待しないように。知っての通り、こういったものは不得手なんだ、ごめんね。
君は今頃泣いているだろうか。いや、君は泣き虫だからね、きっと鼻水垂らして泣いてるだろうな。まずは鼻をかんで、ハンカチを用意して。或いはちゃんと読んでから泣いて欲しい。水性のペンでかいているからね、インクが滲んで君の大好きな師匠からの最後の言葉が読めなくなるよ。
君は私の自慢の弟子だ。物覚えが悪くて、ドジで、気が弱くて。だけれど、人一倍努力家で勤勉、誰より優しくて、私によく似て世話好きのお人好し。
私の生涯唯一の愛弟子。君はきっと沢山の心を救える素晴らしいカウンセラーになれる。私が蓄えてきたものを全て君にあげよう。
私の仕事机の引き出しには仕掛けがあってね、奥の板に摘みがあるんだ。それをちょいと捻ると小さな引き出しが開く。その中に金庫の鍵がある。君も知っているあの金庫だ。中には私の昔のノートやファイルが全て眠っている。きっと君の役にも立つはずさ。
学びに終わりは無い。学ぶことを止めるな、奢らず勤勉であれ。死ぬ程勉強するといいよ。大丈夫、死なないから。それを怠らないことが成長への近道だ。
それから、死をどうか嘆かないで欲しい。
君が私を心に置いてくれる限り私が死ぬことは無い。
『人は記憶の中では死なない』んだよ、晴臣。
どうしても会いたくなったら、私に殴られないような人生を送ったかどうか考えてから、胸を張って会いにおいで。
それまで少しだけお別れだ。
ちゃんと食べて寝て、死ぬ程勉強して。
それからちゃんと幸せになるんだよ。
君の大好きな先生______東雲万智