彼女が――彼女たちが目指すは地球最果ての地、南極。東京から14,000キロメートル。それは宇宙よりも遠い場所。

フリーマントルを出発したしらせ達の、艦内での日常を描く群像劇です。

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第一話 探し出してカルテット

 多々良西高校二年、玉木マリことキマリは迷子になっていた。

 ぎしりぎしりと波の高さに従って揺れる足元。その動きに合わせて、彼女の短いパッツン前髪も左右に揺れる。

 実用一点張りで飾り気の乏しい連絡通路のただ中に、キマリは一人立ち尽くしていた。

 そこは船の中。

 出航を一時間後に控えた砕氷艦《ペンギン饅頭号》は、フリーマントルの港に停泊中である。西オーストラリア州、パースの近郊都市。すなわち海外。日本じゃない。

「うぅー……みんなどこ行ったのー? しらせちゃーん、ひなたちゃーん、ゆづきちゃーん」

 か細い呼び声が、通路に反響しながら遠ざかる。応じる声はなかった。

 共に乗艦し、同じ場所を目指す三人は今いずこ。

 おかしいな。ほんの十分前はいっしょにいたはずなのに。というか私はどっちから来たんだっけ。ぐるぐる回っている内に、前も後ろもわからなくなってしまった。

 船に乗ってから数日が経ち、荷物の積み込みなんかも手伝ったりはしたものの、用のない場所には立ち入っていない。そもそも日中は陸にいることの方が多かったから、そこまで艦内の構造に慣れているわけでもないのだ。

「どうしよう……待ってた方がいいかなあ……。下手に動いたら余計に変なとこ行っちゃいそうだし、間違って船の爆破スイッチとか押しちゃうかもだし」

 一人は不安だ。でも――

 今から向かう場所は、むき出しの世界。今まで頼りにしていたものが何もない世界。受け身でいるだけでは、きっと何もできない世界。

 自ら望んでそこに行くことを決めた。だったら見つけてくれるのを待つのではなく、私から探しに行こう。

 よし、俄然やる気が出てきた。気がする。

 キマリは腕時計に目を落とす。船が港を出るまであと一時間。

 多くのハードルを乗り越えて、ここまでやってきた。だから出港の瞬間、その興奮はみんなといっしょに味わいたい。

「ぜーったい見つけるから。待ってろ~!」

 強く足を鳴らして走り出す。床を蹴る音が軽快に響く。

 彼女が――彼女たちが目指すは地球最果ての地、南極。東京から14,000キロメートル。それは宇宙よりも遠い場所。

 

 

《☆☆探し出してカルテット☆☆》

 

 

 そもそもの経緯を思い出そう。このフリーマントルにたどり着くだけでも、色々あった。

 拾った封筒に100万円(しゃくまんえん)が入っていたり、往来のど真ん中で間抜けなセクシーポーズを取らされた挙句に歌舞伎町を走り回る羽目になったり、馬鹿な娘認定をされてお母さんに調理されかけたり、親友に絶交宣言をされたり――それは無効にしたけれど。

 日本を発ってからは発ってからで、シンガポールで友達の一人のパスポートが紛失する事件……というか事故があったりと、とにもかくにもアクシデントに見舞われながら、この《ペンギン饅頭号》にまで漕ぎつけることができたのだ。ちなみに正式名称はスポンサーの社名を冠し、《七神屋ペンギン饅頭号》となっている。

 もっともそれは事のあらましの経緯であって、現在進行形で起こっているトラブルの経緯はもう少し小さい。

 民間南極観測隊《南極チャレンジ》。三年ぶりで、二回目の派遣となるこの隊に、キマリたちは同行している。

《女子高生、南極へ行く》という、あおぞらテレビの企画によるものだ。この企画に便乗するにも紆余曲折はあったが、結果としてそれは叶い、ここにいる。

 しかるに物見遊山の道楽ではなく、単なる遠出の旅行でもない。道中のリポートをするという、ちゃんとしたお役目がある。

 《ペンギン饅頭号》の外観、内観、設備、砕氷艦としての機能、南極までの航路、艦内生活、クルーへのインタビュー、etc……

 これらの紹介動画によって南極派遣への興味を持ってもらい、あわよくば資金援助にまで繋げたい希望が観測隊側にもあるのだから、キマリたちが同乗する意義はかなり大きいと言えた。

 そんなわけで出航間近に迫った艦内の様子をリポートすべく、ハンディカメラを片手にうろつき回っていたのだが、その最中にメンバーの一人、小淵沢報瀬(こぶちざわ しらせ)がいつの間にかいなくなってしまった。

 どうせ近くにいるだろうからと、残りの二人にここで待つように告げ、キマリは彼女を連れ戻しに行った。困ったしらせちゃんだな、とかそんなことを思いながら。

 そしてキマリも迷子になった。しらせを見つけることはできず、一度戻ろうとして経路を間違え、階段を登ったり降りたり、お手本のようなルートで迷い人になったのだ。

「ふむふむ、ほうほう、なるほどー」

 キマリの眼前には壁に掲示されたフロアマップがあった。

 しきりに縦にうなずくも、次第に首が横に傾いていく。

 この赤丸が私の現在地でしょ? 船首側に行けば階段があって、上層に行けるみたい。で、船首ってどっち?こっち? あっち? そっち?

「あーん、わっかんないよ。なんで通路に矢印のシール張ってないの?」

 とりあえず誰かには会わないと。クルーたちでもいい。聞き込みをしよう。出航前のこのタイミングなら、ほとんどが艦内にいるはずだ。

 キマリは適当に歩を進めて、通路の続くままにさまよった。

 ほどなくすると、女性同士の話し声が聞こえてきた。少し先にドアの開いた部屋が見える。確かあそこは研究室だ。

「ちょっと、なんでまだ器材が固定されてないの。もうすぐ出港なんだけど」

「んー、でも大丈夫じゃない? 30度角以上に揺れるのってまだまだ先なわけだしー」

「もしもそれで壊れたら怒られるだけじゃ済まないわよ」

「そうよねえ」

 揉めているらしいが、どちらも焦っている様子がない。

 キマリはとりあえず声をかけてみた。

「あのー、お取込み中すみませーん」

『ん?』

 と、二人そろって振り向かれる。

「あら、こんなところに何か用?」

 黒髪のショートボブで赤縁メガネをかけている方が佐々木夢(ささき ゆめ)。彼女は観測隊クルーの一人で、天文学者だ。淡白な顔立ちで表情もあまり変わらないが、けっこう向こうから声をかけてくれたりと、意外と優しかったりする。

「イ、インタビュー? お化粧したいから15分待って~!」

 さっきまでの安穏とした態度が一変、急にあたふたし出したのは安本保奈美(やすもと ほなみ)。可愛い系にゆるふわ系を足した感じで、男性人気も高い。しかし本人は恋愛沙汰には興味がないという。大学院通いの微生物研究者だ。

「あ、今はインタビューじゃないんです。他の三人見なかったですか?」

「はぐれたの?」

「はぐれたのは私じゃないんですけど……多分」

「ずっと研究室にいたし、私は見てないわね。保奈美は?」

 夢が訊くと、保奈美は「うーん」と考える素振りをして、しかしすぐに首を横に振った。

「私も見てない……というか夢さんといっしょにいたしね」

「じゃあその考える感じいらなくない?」

「だったら聞かないで下さいよー」

 二人の性格がかみ合っていないのか、逆にかみ合っているのか、やり取りがどこかワンテンポずれている気がする。二人とも研究室詰めが多いので、仲は良いらしいが。

 保奈美がまた「んー……」と何やら考え込んだ。

「一度元の場所に戻った方がいいんじゃない? 他の三人もキマリちゃんを探してるかもだし。下手に動き回るとみんなそろって迷子になるよー」

「保奈美もそうだったしね」

「だって広すぎるんだもん、この船」

「あはは、ですよねー」

 キマリは笑って相槌を打った。しらせはともかく、ひなたとゆづきにはその場で待っててと言っている。

 みんなそろって迷子だなんて、なるはずがなかった。

 

 ★

 

「あ、あれ~」

 三宅日向(みやけ ひなた)は一人だった。

 まずしらせが行方不明になった。次にしらせを探しに行ったキマリが戻って来なくなった。これは予想の範疇だ。行ったはいいが、帰り道がわからなくなったのだろう。

 だから自分が連れ戻しにいくことにした。一緒に残っていたゆづきに、すぐに戻るからここで待つように告げて。

 結局、しらせもキマリも見つからなかった。あいつらどこまで行ったんだ。迷子っていうのは、そんな積極的になるもんじゃないんだぞ。

 とりあえず諦めて、ひなたは元いた場所にちゃんと戻った。しかし通路に待たせていたはずのゆづきの姿はなかった。

 うん、なんでだよ。

「ゆづー、どこだー! 出てこーい!」

 呼べども反応なし。

「出てこないとゆづが恥ずかしくなることしちゃうぞー。フォローバックが止まらな~い♪」

 うっふーんなセクシーポーズを決めて、アイドルである彼女のCDソングを歌ってみる。それでも出てこない。沈黙と静寂が続く。

 自分が恥ずかしくなって、ひなたはうつむいた。

 ここまでやっても無反応ということは、本当にゆづきまでいなくなってしまったらしい。

「もー! 全員自由過ぎだろー!」

 憤れども、相変わらず応じる声はなし。

 ここで待っていても、誰かが戻ってくるとは思えなかった。ひなたは他三名の捜索を継続することにした。

 そこから移動して、ひとまず近い食堂に向かう。

 広いスペースには滑り止めも兼ねた黒いマットが敷かれ、木目の長テーブル一つにつき、椅子が八脚ほど設置されている。椅子を全てオレンジ色で統一しているのは、《ペンギン饅頭号》の外装の色に合わせてのことだそうだ。

 出航前のこの時間に、食事をしているクルーはさすがに一人もいなかった。

 ひなたは食堂の奥に併設されている厨房をのぞき込む。調理台の前に、エプロン姿の女性が見えた。

「弓子さーん」

 名前を呼ぶと、鮫島弓子(さめじま ゆみこ)はジャガイモの皮をむく手を止めた。

「お、手伝いに来てくれたのかい?」

「いやー、残念ながら」

「あっははは、だろうね」

 弓子は豪快に笑った。ノースリーブの服から露出した肩が上下に揺れる。沖縄出身だからか、やや地黒の肌だ。彼女は観測隊の料理長である。

「あんた達の腕前は期待してないよ。一人? 珍しいね」

「そうなんです。他の三人見なかったですか?」

「食堂には来てないと思うけど。あんたはどう?」

 弓子の視線が下に動く。彼女の足元にもう一人いたことに、ひなたは気付いた。

「知らないですよお……うぅ」

 オーバーオールに隠れた背中を丸め、うずくまっているのは轟伸恵(とどろき のぶえ)だ。

「……伸恵さん、いたんですか」

「なによう、いちゃいけないの? 私はユウ君の心の中にいちゃいけないの?」

「心にいるぐらいはいいんじゃないですかね……?」

「じゃあ今、心の外にいる私はなんなの?」

「そんなの訊かれても!」

 ユウ君とは日本に残してきた恋人だ。伸恵は地質学者で仕事はきっちりこなすが、自由時間のほとんどは彼へのメールとプレゼント用の編み物に費やされている。

 手編みのマフラー。それは地球よりも重いものだ。

「うええん、ユウくーん!」

「うわわっ、泣き出した!」

「メールが二時間も返ってこないんだと。よくこのメンタルで南極に行く気になったね……。ほら作業の続き。女子高生を困らすんじゃないよ」

 よく四人一括りで女子高生と呼ばれるのだが、ひなただけは学生ではない。同い年というだけだ。肩書きとしては、コンビニ店員である。

 女子高生とコンビニガールなどと分けて呼ばれたいわけでもないから、いちいち訂正することもしないが。

 弓子が思い出したように言った。

「えっとなんだっけ。あ、他の三人か。とりあえず見晴らしのいい場所にでもいきなよ。だいたいそれで見つかるから」

「アバウトな感じ……」

「文句あるなら今日のおかずが一品減るけど」

「ないないないでーす!」

 なんて大雑把なアドバイス。しかしこの人には逆らえない。船における料理長の権限は絶大だ。

「ほい、追加。ピッチ上げてかないと夕飯に間に合わないよ!」

 弓子は麻袋に詰まった大量の玉ねぎを、伸恵の前に置いてあるバケツにどこどこと投入した。

「あー、伸恵さん、タマネギの下処理してたんですね」

「うん、どうせ泣くからこれでいいかなって」

「わあああん! ユウくーん!」

 

 ★

 

 白石結月(しらいし ゆづき)は落ち着きなく艦内を歩き回っていた。

 行方不明になったしらせを探しに行って行方不明になったキマリを探しに行くと言って、ひなたは行ってしまった。

 すぐに戻るとも言われたし、ここで待っててとも言われた。

 しかし五分すると足がそわそわしだして、十分もすると体がむずむずしだした。

 もしかしたら私以外の三人はすでに合流していて、どこかに行ってしまったのでは。一度そう考えてしまうと、不安の払拭は無理だった。フォローバックどころか疑心暗鬼が止まらない。

 とてもその場に留まっていることはできなくなった。 

「むうっ」

 長い黒髪を後ろでまとめ、ゆづきは頬を膨らます。高校生メンバーの中では一年年下で、幾分幼さも残る顔立ちがより子供っぽくなった。

 彼女たちはそんな人じゃないと頭ではわかっていても、心中穏やかになれない自分もいるのだ。

 足の向くままにフロアを徘徊し続けていると、トレーニングルームの前を通りがかった。誰かが使っている音がする。

 許可されている艦内設備は高校生達も自由に使用していいことになっている。ゆづきはためらいなくその部屋に入った。

「あれ? どうしたの?」

 きょろきょろしながら室内に足を踏み入れたゆづきを見留めて、ベンチプレスの台で休憩する財前敏夫(ざいぜん としお)が声をかけてきた。

「こんにちは。他の三人来てませんか?」

「出航前にこんなところ来ないでしょ。どんだけ気合い入ってるって話だよ」

「ですよね……」

 敏夫は観測隊の通信担当で、メカニックにも精通している。あまり外には出ないのか、色白の細身で、少々軽薄なイメージもある。

「そっちはどうよ? 女子高生たち見た?」

 敏夫はトレーニングルームの奥、ランニングマシーンで走り続けるもう一人に言った。タンクトップに短パンの大柄な男性だ。短く刈り込んだ頭に汗が光っている。

 しかし正面を向いたままだ。イヤホンで音楽を聞いていて、敏夫の声は届いていないようだった。

「おーい! おいって!」

「ん……何か言ったか? うぉわ!?」

 ようやく聞こえたらしく、彼は足を止めずに振り向く。敏夫の横にゆづきが立っていることに気づくや、素っ頓狂な悲鳴を上げて、いきなりランニングマシーンから転がり落ちた。

「ええ!? 氷見さん、大丈夫ですか」

 ゆづきが駆け寄ると、氷見大(ひみ だい)は顔を紅潮させて、あわあわと体裁を取り繕った。あわてて体を起こそうとして、太い腕がイヤホンコードに引っかかる。

 すぽーんと抜けたイヤホンから『フォーローバックが止まらなーい』と、音漏れした歌が聞こえてきた。明らかに自分の声――

「え、その曲……?」

「どぅっ、どぅわあああ!」

「きゃあああ!?」

 いきなり大声を出され、ゆづきは部屋の端まで飛び退いた。壁に背中をぶつける。

「あーあー、もう何やってんだよ」

 敏夫が大をたしなめると、彼はしゅんと肩を落とした。広い肩幅がなんとも頼りがいなく縮こまる。

「……驚かせてすみません。ケ、ケガないですか」

「はあ、なんとか」

 さっきの曲は聞き間違いだろうか。大はしっかりポータブルプレイヤーのスイッチを切っていたので、もうイヤホンからは何の音も聞こえない。彼の呼吸はぜーはーぜーはーと、フルマラソンを完走したかのごとく激しく荒れていた。

 改めて敏夫と大に事情を説明する。やはり二人ともキマリたちを見かけてはいないらしい。

「……困りました」

「ていうかなに? 置いてかれたわけ?」

「そんなことないです! ……と思いますけど、けど……」

 語尾がへなへなと弱り、不安げに人差し指同士をつんつんと触れ合わせる。

「……敏夫」

「いや、そんな目でにらむなよ」

 ゆづきを落ち込ませるなと、大は全身からの圧力を敏夫に送っていた。

「う、うう……」

 ゆづきは顔を伏せた。

 せっかくここまで一緒に来たのに、唐突に壁を作られるなんて。嫌われるようなことをした覚えは――あれか、ドリアンか。

 けれどなんで私だけ。キマリさんも同罪じゃないの? そもそも失態を演じたのはしらせさんとひなたさんであって、こちらが責められる要素など一つもないというのに。

 ただ、もしも本当にそれが理由で、自分が仲間外れにあっているとしたら――

「軽く死ねますね……」

「前から思ってたけどさ。君のその口癖なんなの?」

 

 ★

 

 鼻息を鳴らし、大股で歩を進める。小淵沢報瀬(こぶちざわ しらせ)はプンスカと怒っていた。

「まったく……!」

 つり目をさらに引き上げ、細い腰に手を当てる。ゆづきよりも長いストレートの黒髪がさらさらと左右に揺れた。他の三人と比べると、身長も一番高い。

 本人は無自覚ながら、すれ違えば振り返られるプロポーションだが、あいにくと先ほどから誰とも行き交っていなかった。

 各階層を上に下にと、一人移動しまくっているのに。

「みんな、集団行動の大切さがわかってないわね」

 しらせは息をつく。これから向かう南極は、それが一番重要だ。

 だというのにみんなときたら。少々、勝手気ままが過ぎるのではなかろうか。あとでよくよく注意しておこう。

 わずかな気のゆるみが取り返しのつかない事故に繋がることもあるって、散々事前講習で習ったはず。

 これは旅行じゃない。もっと気を引き締めてかかるべきなのだ。いつ、どこで、緊急事態が起こるかわからないんだから。お母さんだって――

「ここは立ち入り禁止よ」

「えっ?」

 慌てて後ろに振り返る。そこに一人の女性が立っていた。とっつきやすそうな優し気な顔立ちとは逆に、たしなめる声音で彼女は言う。

「リポート目的でも機関室付近は許可なく近づいちゃだめって言ってあるでしょ。艦内の約束事はちゃんと守ること」

「す、すみません、かなえさん」

 前川かなえ。この南極観測隊の副隊長を務める人だ。対外折衝の役も担い、その人柄でクルーもまとめる。面倒見がよく、自分たちのことも何かと気遣ってくれている。

「わかればよし。でも出港間際のこの時間に、リポートってわけじゃなさそうだけど。しかも一人で」

 かなえは不思議そうに小首をかしげた。緩いウェーブのかかった茶髪が、その肩に触れる。

 機関室と言っていた。確かに複数のディーゼル発電機が稼動する音が、足元に伝わる振動と共に聞こえてくる。知らずの内に最下層にまで来てしまっていたらしい。

「とりあえず事情を教えてくれる?」

「はい。出港前の艦内の様子をみんなで見回ってまして」

「うん」

「みんながはぐれないように、私が最後尾についてたんですけど」

「うんうん」

「壁にペンギンのポスターが張ってあるのを見つけて、それを眺めてたら」

「うんうんうん」

「気付いたらみんながはぐれていたんです」

「うーん……?」

 かなえはこめかみに指を当てて、

「それね。どう考えても、しらせちゃんがはぐれた側だと思うんだけど」

 

 ★

 

「どーしよー!」

 半分涙目になりながら、キマリは右往左往していた。

 どこを探してもいない。見つからない。どこかに隠れているんじゃないかと思うほど、影も形も気配もない。

 一回目の警笛がなった。もうまもなく出港だ。

 絶対にみんなを見つけると誓った意気込みが、音を立ててへし折れていく。最後の望みをかけ、キマリはその扉を勢いよく開けた。

「みんなー!」

 と叫んで突入するも、友人たちの姿はなかった。《ペンギン饅頭号》の操舵機能が集中するブリッジである。

 前方の艦長席に収まる船長の迎千秋(むかい ちあき)がこちらを見たが、出港直前で構っている余裕はないらしく、すぐに正面へと視線を据え直した。彼以外のクルーも忙しなく、艦内コンディションの最終確認を行っている。

「このタイミングでブリッジに入るのは控えなさい」

 代わりに歩み寄ってきたのは、この観測隊の女性隊長――藤堂吟(とうどう ぎん)だった。

「立ち入り禁止とは言わないけど、今は――ちょっ!?」

「うわああん!」

 キマリは吟に抱き付いた。

 普段はいたって冷静で感情をあまり外に出さない吟だが、いきなりの不意打ちに戸惑っている。

「な、なに? ええ?」

「みんながいないんですー! どこにもー! もうすぐ出発なのにー!」

「わ、わかったから落ち着いて、というか鼻水……」

 隊長らしく身を固める黒スーツに、キマリの鼻水が押しつけられていた。

「ごめんなさい。ずびいいい」

 鼻をすすって、それを回収する。

 微妙にてかてか光るスーツの一部分を見やり、「もう……」と片眉を寄せつつも、吟は自分の服を拭くより先に、キマリにポケットティシュを差し出した。

「ありがとうございます。ずびっずびっ」

「あなた、高校でもそんな感じなの……?」

「え、そんな感じってどんな感じですか?」

「その、ずびっずびって……いえ、なんでもないわ。で、何があったの?」

 キマリは一連の流れを伝えた。

 ちょっと思案したあと、かすかにあごをうなずかせて吟は言う

「知ってる? 大きな船の中で迷ったらね、まず目指すところがあるの。そこは自ずと針路を感じられるところ。目的地を意識した時、自然と足が向く場所でもある」

「針路を感じられる……?」

「あなた達が同じ考えを持っているなら、きっとみんなそこにいるんじゃないかしら」

 吟はブリッジの大窓に視線を転じた。

 

 

 そっか。そうだ。そうなんだ。

 目的地を――そこに向かって進む自分を全身で感じられる場所。目印と呼べるものがない大海原において、唯一〝前”が体感できる場所。

 キマリは走って走って、そこに飛び出した。

 四基のクレーンが頭上に伸び、資材の入った大型のコンテナがあちらこちらに並んでいる。オーストラリアの日差しが降り注ぐ《ペンギン饅頭号》の前部甲板だ。

「あっ!」

 その舳先に向かう人影が見えた。コンテナの影からも一人。別の物陰からも一人。

 ほとんど同じタイミングで、ここにやってきたらしい。

「みーんなー!」

 手を振りながら、息を切らして、キマリはまだ走る。全長134.0メートル、最大幅28メートル、ヘリを三機搭載できるその広さは並ではない。

 艦の先端で、ようやく全員が合流した。

「ていうーかさー!」

 顔をそろえるなり、ひなたが鼻息を荒くした。

「ゆづ! 待ってろって言ったろ! なんでいなくなってんだよ!」

「だ、だって置いて行かれたと思ったんです」

「そんないじわるするかっ! すごく探したんだぞ! 罰として上部の見張所に登ってこい!」

「普通に死にます」

 その剣幕にゆづきがたじろぐ。キマリがフォローした。

「まあまあ、ゆづきちゃんも不安だったんだよね? 悪くないよ~」

「そうですよ。戻って来なかったキマリさんが悪いんじゃないですか」

「あう」

 まさかのカウンターを食らった。ゆづきはむくれてしまっている。

「ま、待ってよ。最初に戻って来なくなったのはしらせちゃんだし。どこに行ってたの?」

「わ、私?」

 矛先を向けられ、しらせは額に大粒の汗をにじませた。

「ち、違うわよ。ちょっとポスターを眺めてだけなのに、みんながいなくなったのよ! いい? 団体行動っていうのはね、常に全体に目配り気配りをしないといけないの!」

「どの口が言うんだよ!」

 ひなたがつっこむ。しらせは視線を床やら空やらに逃がしている。これは悪いと思ってるけど、素直に謝れないパターンの時の反応だ。

「パスポートの件もあるし、あと一回やらかしたら正式にポンコツ認定するからなー」

「いやよ!」

 やいのやいの言い合っていると、二回目の警笛が鳴った。太い大音量が、ついに砕氷艦の出港を告げる。

 他のクルーたちも甲板に出てきた。船の側面に並び立ち、港に見送り来てくれた人々に両手で手を振っている。南極観測に由来のある人たちの見送り――というわけではなく、出港と着港が日常行事になっているフリーマントルの慣例的なものだという。

 白波を蹴立てて、巨船が緩やかに前進を始めた。

「私たちも行こ! みんな、あれ持ってるよね!」

 キマリはポケットから青色の紙テープを取り出した。ひなたは緑色、ゆづきはオレンジのテープだ。

 このテープを甲板から船着き場へと投げ、テープが切れたことをもって、陸地としばしのお別れとする。観測隊メンバーはその辺りのこだわりはなさそうだが、自分たちはこれがやりたいと日本を出る時から準備していたのだ。

「私はこの赤色のテープを――あ、あれ?」

 しらせがわたわたと自分の服の中を探っている。ひなたが疑惑の目を向けた。いや、ほとんど確信だ。

「まさかテープ失くしたのか?」

「ううん? だってちゃんと持ってたもん。絶対にあるから」

「はい、ポンコツ認定」

「やだってば!」

 船が陸地から離れていく。

「もう時間がないですよ! なにか投げられるものないんですか!?」

 ゆづきが焦って言う。

 キマリは手近な場所に置いてあった搬入前の物品を漁った。そして見つけた。

「しらせちゃん、これ! これで行こう!」

「ええ!? それ!?」

「文句言うな! 同じようなもんだろ!」

「皆さん、早く! 早く!」

 四人は船の側面に全速力で走った。助走をつけ、腕を引き『せーのっ』と、思いきりそれらを投げる。

『行くぞー! 南極!』

 全員で声をそろえ、力強く腕を掲げる。

 青、緑、オレンジのテープ、そしてトイレットペーパーが高く舞い、青空に四色のアーチを描いた。

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 




第一話をお付き合い頂きありがとうございます。

《宇宙よりも遠い場所》を見られた方は、どのくらいいらっしゃるのでしょう。多くは語りませんが、素晴らしい作品でした。
短編的な連載になるかと思いますので、興味を持たれた方は引き続きお付き合い下さいませ。

ご意見ご感想の程、お待ちしております!

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