かつて、竜と共にあった者達が居た。
その者は憧景の念に駆られていた。あの空を羽ばたき、しがらみに囚われず悠々と泳ぐ絶対強者でありたいという憧れ。
またある者は竜は宿敵であった。王の為に打ち勝つべき敵であり、狩るべき害であり、自らを高めさせるもの。
ある者にとっては友であった。それが落ちる時には手前勝手な感傷に浸り、またいつか出会おうとする奇妙な情念。
さまざまな思いと、様々な怒りと、様々な悲しみ。想いは違えど彼等はある種、竜に魅入られた者達である。
そんな者達の中でも一際特異で、一際竜に対しての想いを強く抱いた者がいる。
それこそが古竜の同盟者である「無名の王」その失われし名を、「太陽の長子」と言った。
竜狩りの戦神と謳われながらも、戦場で拾った竜に心を惑わされ挙げ句の果てに地位を捨て、その名を剥奪された裏切り者。アノールロンドに伝わる伝承にはそう書かれている。
その者は世界の終わりまでずっと帰ってくることはないだろう、とも。
結局彼は帰らず、神都アノールロンドは神喰らいの聖職者に荒らされ、最後の守護者たるスモウもそれに敗れてしまった。あらゆる物が流れ着く終末の地ロスリックに於いては、アノールロンドは最早過去の遺物であった。
だから、この物語は一人の灰にしか伝わっていない。
これは決して都を滅びさせはしないと誓ったとある騎士の奮闘と、決して帰りはしないと誓った名も無き王の邂逅の物語。何の伝承にすらも記されていない頂きに辿り着いた一人の騎士が、自らの主の為に忠を尽くして王に立ち向かう名も無き物語である。
ゴーン...ゴーン...と厳かな鐘の音が山の頂に響き渡る。嵐の呼び水であるその鐘が鳴る意味とは、その騎士にとっては謁見を意味していた。
都を去って、どれほどの時間が経ったであろう。
あの醜い汚泥を屠る為に、その汚泥よりも暗く異臭を放つ性根を持つ法王を名乗りし輩を退ける為に、かの者の助力を得ようとしたのはいつだったであろうか。
黄金の鎧を纏い、獅子の頭部を模した兜を被る騎士ーー竜狩りオーンスタインは揺れ動く鐘を見ながらそんな考えに耽る。
ここで彼に会えなければ全ては徒労に終わり、都は滅びる。聡明な騎士長たる彼がこんな博打に出なければならない程状況は切羽詰まっていた。
イルシールの軍勢...いや人喰らいの聖職者を暗月の神であるグウィンドリンに会わせる訳にはいかない。そしてこの状況は一つの交渉材料ともなり得る。
そう思索を重ねながら彼は嵐に降り立った。晴天だった頂に鐘の音と共に現れた嵐は足場となって、オーンスタインを導いている。
「...この先に、長子様がおられるのか...」
ここまで至る道は果てしなかったのか、それとも存外近かったか。今の彼にとってそれは最早どうでも良い。この先に、彼はいる。太陽の化身であり王の雷を継ぐ者が。
確証は無い、だが行くしかない。それがアノールロンドを守護する者としての使命であるからだ。
一歩、嵐を踏みしめる。
言い様の無い感覚が、嵐を通して脚に、それと同時に怖れが身体から込み上げる。
仮にこの先に居るのが我が師であるならば、つまり自分は太陽と対峙する事になる。それは即ち、神を敵に回すという事。
だがやらねばならない、兜の中で目を瞑り集中した後、槍を持つ手を握り直し前に進む。
そうして見えたのは、両脇に鎮座する竜の石像群であった。
それは生きてはいない、作り物だ。だがそれはオーンスタインを見定めるかのように聳えている。
異常なまでの威圧感を拭いながら、また前へと進んでいく。
ふと、羽ばたく音が聞こえた。
オーンスタインが空を見上げるとそこには紛れも無い「古竜」が居た。
それは空中で身を翻しながらこちらに向かってくる。オーンスタインは腰を落とし今まで片手で持っていた槍を両手に――特に支えの部分を強く持つ。
常人が聞けば卒倒してしまいそうになる程の雄叫びを上げながらその竜はオーンスタインの眼前に降り立った。
下は嵐だと言うのに竜が足踏みする度に世界が揺れているような感覚がする。それ程までにその竜は今までの竜とは異質だった。
そしてオーンスタインは更に深く構える。狙うは頭蓋、その奥。
尋常な武器では傷一つつかないだろう。だが彼が持つ竜狩りの槍は違う。それは最早槍ではなく一筋の閃光であり、雷だ。
竜の鱗を剥がし、穿つ為に調整された穂先はまるで獅子の牙のように相手に深く突き刺さる。
大丈夫、今まで通りだ。そう心に言い聞かせ、槍の穂先を静かに竜に向ける。
だがいつもの竜狩りとは明らかに違いがある事に、オーンスタインは気付いてしまった。
ーー何故ならば、その竜の背に乗った一人の男に余りにも見覚えがあったからだ
「久しいな、オーンスタイン」
低い、威厳のある声でその男は喋りかける。その声にオーンスタインは余りにも覚えがありすぎた。
それは主たるグウィン王の息子の声。それは自らに槍術を教えてくれた師の声。そしてそれは紛れもない、裏切り者の声だった。
「.....お久しゅうございます、長子様」
「悪いがその名はもう捨てたのだ、オーンスタイン。それに思い出話をする為にこんな辺鄙な場所まで来たわけではあるまい?」
長子のその問いに、オーンスタインは何も言わずただ首を縦に振った。構えを解き、槍を片手に持ち直し、彼の前に膝をつく。
あぁまるであのアノールロンドのようだとオーンスタインに暫しの郷愁の念が襲う。だが彼は即座にこれを振り払う。自分が都を救う為にはそれは捨てねばならないからだ。
その様子を見て長子は未だ竜に乗ったまま、その厳しい表情を崩さずにオーンスタインに言う。
まるでオーンスタインにはあの竜が玉座のように見えた。
「二度は言わん、去ね。我はもう名を捨てた、捨てさせられた。都に戻るはずも無い。我はもう太陽神ではない、お前の師でもない、ただの竜と共に潰える男だ。これ以上語ることは無い」
そう言って名も無き男は竜に合図する、また空へと戻ろうとしているのだろう。
今はもう色あせてしまった忌々しいあの空へと。
だがそうはいかない、彼にも譲れぬ物がある、使命がある。
槍を握る手に力と魔力を込め、槍の穂先に雷を纏わせる。
彼が持つ雷の魔力は師である長子から分け与えられた物、それを練り、尖らせ、一気に放つ。
――今この場においてそれは、竜を狩る技では無く訣別の証だった
風を嵐を切り裂きながらそれは飛び、竜の脚に命中する。
雷が轟く音に、鱗が弾ける音と血が雷に沸騰して爆ぜる音。それに竜の痛々しい咆哮が混じり悍ましい旋律を奏でた。
「.....そうか」
一言そう呟くと、名も無き男は勢いよく竜の背から飛び降りる。そのまま嵐の竜は雄叫びを上げながら逃げるように空へと帰っていった。
オーンスタインは、突き出した槍をまた身体の脇に戻して二本の足でしっかりと嵐を踏みしめる。
それは彼の覚悟の証であるのだろう。
地に降り立った名も無き男を見据えながら、オーンスタインは口を紡いだ
「...全てを見ずに逃げるという事ですね。貴方に代わり必死に都を守っている弟君からも、同じく都を守る騎士達からも、そこに攻め入ろうとするイルシールの群勢からも、神喰らいの聖職者からも...何もかも全てから」
「.......」
男は、答えなかった。
「この槍も、この雷も、鎧も指輪も名誉も何もかも貴方様のお陰です。....貴方様が居なければ、都は滅び、弟君は永遠の苦痛に苛まれるでしょう。お考え直しください、我が師...太陽の長子様」
「........」
沈黙こそが、答えだった。
「.......そうですか」
オーンスタインはそう言うと、槍を構え直す。ゆっくりと、その穂先を彼に向ける。名も無き男...いや太陽の長子、その人に。
それこそがオーンスタインの答えだった。
元より、期待はしていなかった。頑固で偏屈で、しかし優しい長子様はきっと戦友を見捨てない。
だがもしかするとその竜と共に舞い戻ってきてくれるかもしれない。オーンスタインが抱いていたのはそんな淡い希望だった。
結果はそうではない。彼は結局都に訣別した。
ならば、もう彼は敬愛すべき師ではない。
彼は太陽の力を携えた主の息子ではない。
彼は偉大なる竜狩りの戦神ではない。
――眼前に居るのは「古竜の同盟者」
竜狩りが最も忌むべき敵であった。
「...我を倒す為に、この場所まで来たと?自らの使命を投げ打ってまで」
「それは違います。私はただアノールロンドに残る一つの懸念材料として貴方を捜索し、そして倒す為に来たのです。竜狩りオーンスタインとして。
貴方が........いや、貴様が長子様で無いならば最早私が協力を仰ぐ間柄ではないという事。
さぁ構えよ同盟者、死合の時だ」
そう担架を切り槍に込める力をより強くする。
例えその担架の半分もそう思っていなくとも、竜狩りオーンスタインとして眼前にいる同盟者は倒さねばならぬ絶対の敵であった。
「悪いが手加減など出来ぬぞオーンスタイン」
「無論だ」
そう言うと同盟者は槍の穂先を弟子であった者に向け、腰を低く落とし、両手で槍を持ち身体の右側に掲げ気味で構える。
対してオーンスタインは地に手を付き両足に力を込め、刺突の構えを取る。
両者ともそれは竜の鱗を確実に穿つ為の最速の技の構えであった。瞬きの間に竜を狩る、その為だけに編み出した弾丸の如き速さの突き。
構え終わった後には嵐が薙ぐ音だけが辺りに響く、一刻、また一刻と時が過ぎていく。
そして動いたのは両者だった
轟と音を鳴らす程の速度で同盟者が凄まじい速さの突きを繰り出す。ありえぬ速度、ありえぬ正確さ、その全てが彼が戦神である事を感じさせる豪快な物だった。
「っ.....!何.....!」
しかし驚愕に打ち震えたのは同盟者であった。何故ならばオーンスタインの槍が、いやオーンスタイン自身が自らの体躯の右側に位置する場所に居て突きを繰り出し自らの竜鱗の鎧に傷を付けたからだった。
オーンスタインは長子に教えられた必殺の技を更に改良した。
もっと早くではない。竜はその大きさから直線に対する破壊力はとんでもない物だ。
では高速で、更に左右に移動しつつ的確に相手を捉えれば良いのではないか。
そしてオーンスタインは独自の歩法を生み出した。長子の嵐のような速さの突きでありながら、その軌道を左右へと曲げる事が出来る意表を突いた技に。
竜に対して傷一つ負うことはないとまで言われた同盟者に、彼はその技で長子の突きを躱し更に傷を付けてみせた。それは確かに相手を酷く動揺させ――また弟子が成長したという嬉しさを与えた。
「フンッ!!」
一瞬の静寂の後に同盟者は左方に向かって剣槍を振るう。彼の力は絶大だ、故に槍という突きが一番の物よりも薙いでも突いても最大の威力を出せる剣槍を好んだ。
そこから繰り出される薙ぎは最早暴風の域であり、剣圧だけて生半可な戦士は吹き飛んでしまう位の物だ。
それをオーンスタインはすぐさま脚で地を蹴り後方へと飛びすさり躱しながら再び距離を取る。
「ぬおぉぉぉぉ!!」
間髪入れずにその剣は全てを断ち切る為に薙ぎ払われる。
それをオーンスタインは躱し、いなし、捌いていく。同盟者が繰り出す一発一発が重く、鋭い致命の一撃。ミスをすれば簡単に命を奪うそれをオーンスタインは捌き続ける。
対する同盟者も隙を作らなかった。大きく薙いだ、かと思えば素早く切り返し、反撃を許さない。常に自らが攻撃に回れるように怒涛の攻めを繰り出す。
「どうした!!受けてばかりでは話にならんぞオーンスタイン!!もしや今になって我が誰であるか思い出した訳ではあるまい!」
「......っ」
事実であった。同盟者と打ち合うたびに一つ、また一つとかつての記憶が脳裏によぎる。彼の突きを躱すたびに、彼の薙ぎをいなす度に、彼の振り下ろしを捌くたびに。
それは脳裏にチラつき妨害してきた。
だがやらねばならない。例えどれだけの思いがあろうとどれだけの恩があろうと。
「はぁっ!!」
オーンスタインは跳んだ。
同盟者の突きをそれで躱し、更にその突き出された槍を踏んで更に跳躍した。
狙うは頭蓋。いつもそうしてきた。だから今回もそれで終わらせる。
槍に雷を纏わせそれを練り、両手に構えた槍を重力の勢いを加えて突き下ろす。
「おおおおおぉぉぉぉぉぉ!!!」
怒号と共に雷が爆ぜる音が鳴り、同盟者の頭にそれは突き立てられた。まごう事なき必殺の一撃。それは確かに命中し、確かに雷鳴を響かせた。
「だが...残念だオーンスタイン」
その槍は彼の額に阻まれていた。否、彼が持つ雷に阻まれていた。
オーンスタインの雷は元々長子の雷、その力を纏った槍ではその体表に傷を付けることは元より能わぬ事だったのである。
直後に同盟者は雷を脚に纏い回し蹴りを胴体に打ち込む。その打ち込まれた部分は雷によって爆ぜ、オーンスタインは瞬く間に吹き飛ばされた。
圧倒的。そうとしかオーンスタインには思えなかった。
いや元より分かっていた事だ。きっとこの槍では貫けぬだろうと思っていた。アルトリウスの大剣ならば純粋な力で切り裂けたろう。キアランの猛毒ならば確実な効果があったろう。ゴーの竜狩りの大弓なら遠くから貫く事も出来たろう。
だが自分は雷の槍だ、彼の槍だ。元より通じる道理など無かったのである。
「はあああああああああぁぁぁ!!」
だがそれでもオーンスタインは駆ける。凄まじい速さで突撃し、穿つ為に。
風を割きながら、嵐にまみれながら、愚直に彼は突撃した。そうする事しか出来なかったから。
突き出した槍は切り上げられてその手から弾かれた
そしてその身体には隙が出来た
最後には自らの体躯に、巨大な槍が生えていた
「.....さらばだ、竜狩り」
そしてそれを皮切りに嵐は去って、その場には静寂しか残らなかった。
同盟者は貫かれた彼の身体をそっと石像の横に降ろす。身体に空いた穴からは絶えず血が吹き出ており、命を失いソウルと化すのも時間の問題だった。
オーンスタインは鎧の中で自らの使命の成功を祝った。
元よりこうなるつもりだったのだ。死ぬまで打ち合い、自分は死に、どれだけの覚悟を持ってここに来たかを示す為。そして自らの命と引き換えに長子にアノールロンドまで赴いてもらおうと、最初からその算段だった。
だからだろう、鎧の中の彼が少し微笑んだのは。
「.....長子様.....数々のご無礼をお許しください.....どうか、どうか貴方に.....アノールロンドを...故郷を、お救いください.....それだけが、私の――」
そう言い終わらぬ内に、同盟者に看取られながらオーンスタインはソウルと化して世界の果てへと消えていった。後には鎧と槍が名残として残っている。それを見ながら同盟者――いや、この瞬間においてだけは、彼は長子であった。
「....貴公は本当に堅物だなオーンスタイン。最後の最後まで謝罪など、もっと恨み言を言ってくれればこの念を断ち切りやすいものを...」
悲しげにそう呟きながら、彼はその手にあった黄金色の獅子のような気高いソウルを見やる。
ゆらゆらと揺れ未だ生きているかのように長子には見えた。
「だが.....私は戻る事は出来ない。私にはもうその資格が無い、もう神には戻れない。もう何もかもが、遅いのだ。すまない...オーンスタイン」
そして彼はそのソウルを静かに鎧の側に供える、するとまるでその鎧に吸い込まれるかのようにソウルは霞ながら消えていった。
「貴公の気高いソウルは....私には余りにも眩しすぎる。フフッ...おかしな話だ、太陽の長子が眩しいと言うなどと」
そう言って長子はゆっくりと立ち上がり、巨大な聖堂の方へと歩いていく。日課になっている竜に対する祈りを捧げる為だ。
一歩一歩、今起きた出来事を噛み締めるように。
「オーンスタイン......すまない」
その一言が頂に響き、後にはずっと風の音だけが辺りを包んでいた
いやはや皆様お久しぶりです。小説を書いては没にし書いては没にし、気付けばこんなに時間が経っていました。
取り敢えず短編という形で投稿致しますが出来の悪さは相変わらずです。申し訳ねぇ...!
長子とオーンスタインの設定ほんと好き