自分はどうやら、本当にフィクションの世界にいるらしい。
・・・・・・意味がわからないのかと問われれば、嘘になる。
今の状況も、文章のうえでは既知のものだ。
色彩鮮やかな建築物の数々も懐かしさがあり、それでいて色合いは現代建築から考えるといささか暖色が多すぎる不自然なものだ。いや、不自然だと思う人間は自分だけか。
自分の知る建築物はいずれも灰色が目立ち、蛍光色など繁華街で多く見る程度のものでしかなく、住宅街であっても橙色や茶色などの木材を思わせる色調が主体で白色が基調となるものが多い。良くも悪くも日本人は日本家屋に近い配色の建物を好むものだ。
だからこそ違和感があるのだが、細かなことに口を尖らせる思考を一度やめよう。
この街に感慨深いものがある。
懐かしいものではある。愛おしいものではある。
来てはならない遠い地でもある。たどり着けない理想の都市でもある。
持ってきてはならないものを持ってきている自覚はある。
憧れのようなものもあるが、叶ってはならない自覚もある。
物事の道理ではなく、正誤ではなく。抗いようのない確信からのものだ。
ひとは理想を見上げ、理想に手を伸ばし、手が届くことを夢に見る。
普通は届かせるものだが、その夢は努めずに手が届くものだと知るやいなや。
ほとんどの人間は誰彼構わず、我が思うがままに飽食を繰り返す。
・・・・・・これは、そんなあり得ざる願いの実現だ。
叶うはずのない道理にある場所へ、叶うはずのない夢の先に足がついた。
そのような夢の実現とは、元来名も知れぬ人々の努力によって、ようやく「技術」や「立法」、「サービス」といった見える器に収まり結実される。
間違っても、神の奇跡にような偶然をもって実現することはできない。
まさしく人間の夢とは必然であり、小さな必然を積み重ねた先に多くの願望を受け止める器が生じる。大器晩成とはよく言ったもので、誰かが陶器をいちから作るような手間ひまをかけてようやく誰にでも叶えられるものなのだ。
我々はときに、それを文明と呼ぶのだが。
文明ですらありえないものを目の前で実現されると、抗いようの難しい誘惑を知る。
既知のものだからこそ、自分にもできるのではないか。既知の人物であるからこそ、今度こそ自分の思いのようにできるのではないか。
馬鹿馬鹿しい、我々の人生は常に限りあるものであるように、我々の自由意志もまた自我がある限り、まったくの別人にはなれもしない限界がある。
成長こそあるだろうが、完全な変性など起こりえない。
アルカリ性の内容物が酸性になることはない。酸性の液体を混ぜ込めば叶う、というのは屁理屈だ。我々という心の有様に、まったくの別人の心を混ぜれば自分のままに誰かになれるとほざくような愚行をさもできて当然のように口走る、子供の理屈だ。
オレンジジュースにリンゴジュースを混ぜてしまえば、それはもうオレンジジュースではありえないと言えば馬鹿でもわかる。
そう、我々の人生に・・・・・・過去に関しての可能性は、決してありえない。
二度目の人生だろうが、二度目のチャンスだろうが、人類は同じ過ちを犯し、似たような過ちを犯し、無自覚に誰かに迷惑をかけ、無自覚に誰かを傷つける。
二度目の人生だからこそ成功するなんて保証は、一度目の人生に一生懸命になれなければ同じことなのだ。当の本人が真面目になにかを追い求めたわけでもないのに、二度目の人生になにかを追い求めようとしたところで、それは一度目に頑張るのと何も変わらない。
それほどに手遅れな人間でなくとも、二度目のチャンスすらフイにするのが人間だ。
二度目の人生になってから頑張ろうなど、もはやそのような人間未満。
「タイミングが遅すぎる」の一言に尽きる。
二度目の人生も頑張ろうならば、言ってもいいだろう。
そう、だからこそ困惑するのだ。
二度目の人生で何を経験しようが、純粋な繰り返しにはならない。
一度目の人生の延長線でしかないからこそ、らしくない間違いをする。
子供らしい言動、子供らしい反応。
そのようなものでさえ純粋なありのままにいづるものにならず、「子供らしさ」という先入観の上で歪んでしまう。だとしても、多少のわざとらしさは性格の悪そうな印象で済んだり、先入観で歪まなくとも大人びた印象に映ってしまうものだろうとは思う。
それでも一筋になにかを頑張るのであれば、きっとまだ青臭い姿に映るはずで。
・・・・・・だからこそ、なぜだ。
どうして、自分が彼女に好かれてしまったのかが理解できない。
理屈で解釈できるものではない、それこそが心だという事実は疑いようもない。
だからとはいえ、だとしても。
確かに、確かに周りの男子と比べれば、年上の印象を持たれてしまうだろうとも。
そういった少年が優等生であるか、不良であるかは問わず、「回りが持たないものを先んじて持つ」という異性は色気であれ知性であれ冷徹さえであれ魅力になるものだ。
その手の魅力を魅力と認識してしまう青春に男女の差はない。差はないが。
ここが遊戯王の世界でさえ無ければ、こんなことに悩みはしなかった。
知りもしない作品の世界でさえあれば、色恋沙汰くらい原作知識など関係なしに自由にできたと思うのに、どうしてこうも恋愛運が転生してもなお酷いんだ。
君が原作で惚れ込んでいたのは、あの銀河眼使いじゃなかったのか?
しかもその衣装、あくまで君の相棒の衣装を見て連想した女子たちの妄想の中で留まったものであって、君の発想ではなかったと思うんだが違ったのか?
今の君は原作が始まる以前の時期で、つまり年齢がだね、今の自分と同じ中学生か高校生くらいだったはずだと認識しているんだ。
ナンバーズがあったとしても、ナンバーズハントを隠れてやっていたとしても、やっていなくともなんにせよ。コスプレしてまで天下の往来で、スーパーヒロインショーをナンバーズハントのたびにやっているかのような言動は本気でやっているのか?
あとナンバーズの刻印の位置が、その、冗談じゃない位置に輝いているような気がするのは見間違いなのだろうか。自分の心労が焦点を乱しているからだと信じたいんだ、頼む、あんまり近づかないでくれないか、今の格好のままで!
フィクションの世界なのに妙に
そもそもがだ。
【ドロワ・ザ・フォーリンコメット】ってなんなんだ!?
ナンバーズは内なる欲望を解放する代物ですよね?
つまりはそういうことです、もげろ。