喜雨がいつもの公園で呆けていると、依頼が舞い込み、人間狩りへと向かった。

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『クレイジークレイジーゾンビガール』

 

 蝉の声が鳴り響く。

 熱く湿った風が吹く。

 公園のベンチで座っている少女の金色の髪を優しく風が撫でた。

 少女は焦点の合わない瞳で空をただただ見つめていた。

 太陽が空高く昇り、ちょうど頂点付近だろうか。これから西へと沈んでいくことだろう。

 歳の頃は十五、十六であろうか、通常なら高等学校に通っている時間である。

 透明な羽根を羽ばたかせ緑色の甲虫が飛んできて、彼女の白い腕に止まる。

 少女は反応しない。甲虫が六本の足で少女の腕を這いあがっていく。

 赤い瞳は反応すらせず、ただ雲の動きを目に映していた。

 藍色のスカート、そのポケットが震える。震えがしばらく続いたところで、少女は今更気づいたようにポケットに手を伸ばし、白いスマートフォンを手に取った。

「わ、虫!?」

 そのとき、はじめて甲虫が這っていることを知ったようで、慌てて甲虫を払いのけ、スマートフォンに応答した。

 

 

 ほぅほぅ、と鳥の鳴き声がする。

 高級そうなブーツが緑色の苔を踏み荒らす。

 ローブ服という明らかに目立つ服装。

 彼は手に持っている杖を着き、地面を打ち鳴らすと淡い光に包まれる。

 これで不快な湿気とおさらばだ。

 問題はこの障壁を定期的に張り直されなければならない事か、と、腐肉宮廷(アルファコート)の魔術師は溜息をつく。

 しかし、それもこれまでだ。

 博物館に飾られていた、この世ならざる赤石。

 それを手に入れ、魔術師としての位階を上げることができれば、自分も晴れて不死者たちの仲間入りである。

 ほくそ笑む魔術師、足元に放置された麻袋がもぞもぞと動く。

 あの忌々し博物館が売れば、このような真似をしなくてもよかったものを、と忌々しそうに口を歪める。

 だが、今回こそは問題ない。高い金を払うことんあったが、犯罪組織ゴッズ・4・ハイアのプロ犯罪者に依頼することができた。

 

 ――ゴッズ・4・ハイア。

 ネット上で運営される会員制の”超人種のスペシャリスト派遣”のサイトである。

 依頼主が控えめとはいえない大金さえ支払えるのなら、暗殺、誘拐、窃盗、破壊工作と種別を問わない、どのような犯罪を請け負い成功させるサイトである。

 それらの大金を支払える会員と、それらの会員に公布された秘密のパスワードを用いてサイトにアクセスすることで運営されている秘匿された人材派遣サービスである。

 まず、パスワードを交付された人員を探すのに大金を支払い、次にパスワードの交付をしてもらうために同じく、金を支払い、さらに上乗せするように依頼料がかかったものの、その価値はあったはず、である。

 

「……依頼人のバイロン卿であるか?」

 ぬるりと、声がした。

 暗がりより幽鬼のように集団が現れる。

 迷彩服を着用し、黒い目だし帽で顔をかくした体格の良い数人の男性と迷彩柄のマントを羽織り、フードを着用した男が一人。

 二人が油断なく銃口を魔術師バイロンに向け、他の二人が小銃を抱え込むように持ちながら周囲を警戒している。

「遅かったじゃないか、さ、はやく”異界の瞳”を」

「その前にタグの提示をしてもらおう」

「……」

 苛立たし気に舌打ちしつつ、送られてきたタグを渡す。

 部下の一人らしき男がタグを受け取り、所定の機械に差し込み、中身を検めた。

 一般的に手に入りそうなものであるが、組織独自の技術とプログラムで作られたタグであり、偽造をすることはできない。

 そのままタグを回収すると、もう一人の部下がアタッシュケースを渡す。

 バイロンがそれを開けると赤い宝石が現れる。

 手のひらで楕円形の形をした宝石を転がす。

「本物か確かめさせてもらうぞ」

「好きにしろ」

 バイロンは足元に転がしておいた麻袋の紐を解く。

 中からはさるぐつわを噛まされた男が現れる。

 ピアスをつけ、髪を茶色に染めた青年。バイロンも名は知らぬ、そこらへんを歩いていた青年だ。

 懐から宝石で装飾され、曲がった短剣を取り出すと、躊躇いなく青年へと突き刺す。

 青年がくぐもった絶叫を上げる。

 どくりどくりと赤い血が零れていく。

 それを”異界の瞳”にかけると、バイロンは詠唱を始める。

 途端、赤い宝石に血を吸い上げる。地面に零れた血も浮き上がり赤い宝石の中へと吸い込まれていく。

 そして、極彩色の光が宝石から放たれ、オーロラのように揺らめきながら周囲を照らした。

 なんらかの魔術的な効果なのだろう。周囲に奇妙な生物の召喚などはない。

 現実が改変されている様子はない。何らかの儀式用の道具だろうか。

 危険性だけを考察しながら、周囲を確認するハイアのリーダー格。

「これだ、これを求めていたんだ……」

 感極まったバイロン。

 出血をしすぎたためか若者が足元で痙攣しているが目もくれない。

 この異界の瞳を起動させるには生き血が必要であったため誘拐された若者であるが、自らのために命を散らすなら本望であると、バイロンは一片も疑っていなかった。

 満足そうにバイロンが頷いた。

 そこで、背後を警戒していた二人が動く。

 遅れて、こつりこつりという足音。

 周辺を探るが遮蔽物がないただの古い洞窟。

 すでに打ち捨てられて久しく、整備されていたはずのコンクリートには罅が入り、苔がはびこっている。

 ぴちゃりぴちゃりと水滴が落ちてくるこの洞窟は近所でも幽霊が出ると噂が立っているため、それを目当てでやってくる若者も少なくはない。

 しかし、いつ崩落してもおかしくこの場所は危険なため立ち入り禁止となっている。

 人目につかないために選ばれた場所であったが、肝試しにでもやってきたものでもいるのだろうか。

 いずれにしろ目撃者に用はない。速やかに処分すべく、黒服の男達は目配せをした。

 リーダー格の男がすーっと、空間に溶け込むように消えていく。

「止まれ」

 一人がライトを片手を逆手で持ち、前方を照らしつつ、拳銃を構えた。

 他の三人は前方を警戒して銃口を向けている。

 照らされた先に見えるのは一人の少女だった。

 ライトに照らされ金色の髪が腰元で揺れている。

 ローファーが濡れた地面を踏み鳴らし、迷いのない足取りで歩いてくる。

 銃口を向けられて、少女は素直に止まる。しかし、彼女は屈託のない笑顔を浮かべていた。

「止まれ、止まらないと撃つぞ?」

「えーと、撃たれたら困るかな??」

「なんなんだお前は……」

「えーと、あたしの名前は霧雨(きりさめ) 喜雨(きう)だったような、あれ、違ったかな?」

「知らん」

「んー、まぁ、なんでもいいかも。それよりお兄さんたちがハイアの人たちで―――」

 言いかけた少女の言葉が遮られる。

 虚空から何かを押し付けられ、口の動きが止まる。

 同時に喉が切り裂かれた。

 リーダー格の男、透明な姿となった彼がナイフで少女の喉を切り裂いたのだ。

 できる限り証拠を残したくないハイアのメンバーとしては銃は撃ちたくない。

 音で近隣住民に疑念を残したくないし、落とした薬莢を回収するのも手間である。

 そのため、リーダー格の男が背後から近づきナイフによる一撃で片を付けることを選んだのだ。

「撤収だ、いくぞ」

 甲高い笛のような音が洞窟に響く。血が噴き出し、洞窟の水と混じって広がっていく。

 少女の身体が糸を斬られた人形のように崩れ、地へと仰向けに倒れた。

 リーダー格の男が踵を返す。

 黒服の男達が頷き、その背へと続く。

 バイロンと名乗った男も痙攣する若者を置いてけぼりにし、その場を後にしようとした。

 リーダー格の男の足が止まる。

 足元から鈍い音。

 激痛。

 見ると倒れた筈の少女が虚ろな瞳で男を見つめ、足首を掴み、握り潰していた。

 絶叫を上げなかったのは、いかなる訓練か、あるいは精神力か。

 くぐもった声が上がる。

 部下たちが小銃を少女へと向ける。

 少女は力任せにリーダー格の男を投げつけた。

 人が水平に横に回転しながら飛んでくる。

 部下の人員は素早く地に転がる。血の混じった水が服にしみこむ。

 リーダー格の男を避け損ねたバイロンが、彼と激突し、鈍い音を立て吹き飛び転がった。

「い、異界の瞳が……!」

 その衝撃で手に持っていた宝石を落とす。慌てて地面を探るバイロン。

 部下の四人が発砲。

 銃弾が少女に食い込み、がくりがくりと身をふるわせながら後ずさる少女。

 片手が弾け飛び、太ももから血を流し、片目にぽっかりと穴があき、背後の風景が見えた。

 がくりと、機械染みた動きで顔を上げる喜雨。

 背後から四つのサイドアームを展開し、その先端と腰元にも同じく二つ銃身がついた砲台を展開する。

 少女の肉を食み、弾丸が装填された。

 火が噴かれる。

 洞窟が揺れ、崩落が始まる。

「あ、そうだ。ここで撃ったら崩れるんだった……かな?」

 小首をかしげる喜雨。

 人間の頭大の岩石が目前に落ちてきているが気にしてない。

 撃たれた四人は直撃こそしなかったたものの、砲弾が着弾し、飛来した砂利によりずたずたに切り裂かれ、沈黙した。

「……なんだ、どういうことなのだ」

 咄嗟に結界を貼り、魔法陣に守られていたバイロンは無傷でやり過ごすことができたが、事態の推移についていけず呆気に取られていた。

「んー、あなたはハイアの人なのかな?」

「ち、違う! 全く無関係だ!」

「なら、見逃しいいかな。ところで、その人は貴方が連れて来たんだよね」

 崩落に巻き込まれ、落ちてきた石に頭が潰された若者を指さす喜雨。

「……ち、違う、ハイアのヴィラン達が連れて来たんだ」

「ホントに?」

「本当だ、信じてくれ!」

「けど、そのナイフ、あなたのだよね?」

「……!」

 魔術の触媒とするためだろうか、先ほど若者に突き立てた曲刀を指さす喜雨。

「うん、やっぱり。おじさんは悪い人なんだね」

「だったらどうだというのだ! 私の結果をお前の砲撃は貫くことができない、その上、これ以上打てばトンネルが崩落するぞ」

「うーん、それはちょっと困るかな。けど、それはそれとして食事をするためにここに来てるのかな」

「何か食べたいなら金をやるからどこかにいけ」

「うーん、そうじゃなくて……。人間を食べたいかなー。けど、ほら、普通の人を食べたら困るでしょ? だから、割る人なら食べていいと思うかな!」

「ふざけるな!」

 バイロンが叫ぶ。

 彼は混乱の渦中にいた。ハイアの犯罪請負人(ヴィラン)たちから異界の瞳を受け取り、あとは帰るだけだったはずだ。

 しかし、喜雨と名乗る少女が現れ、彼らを挽肉(ミンチ)にしたと思いきや、こちらを食べると宣言している。

 いったなにがどうしてこうなったのか、彼にはわからなかった。

 だが、食べられるわけにはいかない。自分は異界の瞳を用い上位存在を呼び出し魔術師としての位階を上げ永遠者たちの仲間入りを果たすのだ。

 このような東国の果てのどこともしれぬ洞窟の中で朽ち果てるつもりなど毛頭なかった

 ぶつけられた衝撃で気絶しているリーダー格の男に短刀を突き立て、異界の瞳を血に浸す。

 バイロンが詠唱を行う。

 喜雨が砲撃を放つ。

 それが触手に受け止められた。極彩色の光が洞窟を包み、洞窟を変質させる。

 うにょりと滑る黒色の触手。

 がばぁとその先端が開き、中から乱杭歯が覗く。

 鋭く尖った歯。肉色に変化した洞窟から無数の触腕がうねうねと蠢き、涎を垂らして喜雨を見ている。

「もしかしてあたしの仲間の可能性が微レ在……?」

 喜雨が口に手を当て驚く。

 明らかに彼女を食べようとしている触手。

 既に地に伏していた六つの死体をくるむとその乱杭歯で貪り始めていた。

 ぴちゃり、と近くにいたバイロンの結界に血が飛び、彼自身には付着せず、地面へと滑り落ちていく。

「お前は悪魔かなにかなのか……?」

「んー、ゾンビではあるかな」

 異界より呼び寄せた下級の使い魔であるが、何でもかみ砕く牙を持ち、知能が低い故にひるむことがない。

 目の前の娘の砲撃が結界を突破できないのは先ほど実証済みだ。

 ならば、あとはこの娘を蹂躙し、悠々と帰るまで。

「さぁ、さっさとそこを退け。貴様なんぞに構ってる暇はないのだ!」

「一つ言わしてほしいかな」

 喜雨が人差し指を立てる。同時に合計六つの砲台がバイロンと触手たちの方へと向く。

「なにかよくわからない空間にしてくれてありがとう。これで、躊躇いなくぶっ放せるかな!」

 そして、六つの砲台が絶え間なく火を噴いた。

 霧雨 喜雨。

 彼女の本質は砲兵だ。

 サイドアームで動き、さらに砲塔を回転させることであらゆる角度から放てる四つの砲台。

 加えて、腰元についた二つ。

 これら六つの砲台を有機的に操り、歩兵と同じ機動力で砲兵の射程距離と火力を有するのが彼女である。

 城塞のような堅牢な壁すら吹き飛ばし、数キロメートル先であっても精密に狙撃する攻撃力。

 それは対人火力用に防護をしていたヴィラン達の防御をその上から挽き肉に変えたことを見ても明らかだ。

 しかし、それは諸刃の剣。あのような脆い洞窟の中で放ったのでは崩落を起こす危険性があった。

 だが、いまはもうそれを気にしなくてよい。

 不気味な肉で構成された洞窟の内部で、彼女の火力は真価を発揮した。

 グネグネとうねる触手が、火砲の集中砲火を受け、一瞬も耐えられずに焼き払われる。

 着弾点が吹き飛び、桜色の肉が吹き飛ぶ。

 喜雨を狙って放たれた溶解液は絶え間ない火砲の連撃で宙で蒸発した。

 その破片を結界で防御しながらバイロン卿は数歩、よろめいた。

 なんだ、これはなんなのだ。異界の存在の胃袋と化した洞窟がその地形ごと焼き払われる。

 それを成した元凶である喜雨はただただ屈託なく笑っているだけであった。

 どこだ、どこで間違えてしまったのだろうか。

 全ての砲口がバイロンを見据え。

 絶え間ない火砲の嵐についに結界がきしみを上げ、ついに突破された。

 轟音が耳をつんざめく。

「……ぅ……ぁあ……」

 全身を吹き飛ばされるも、しかし、彼は即死できなかった。

 最高位よりひとつ前の階位まで上げた彼の身体は不死身に近い状態であり、下半身と右手を失っても死ぬことは出来なかったのだ。

「わ、すごい。まだ生きてるのかな……?」

 バイロンの手より異界の瞳が離れたことで異界化は解除され、元の洞窟に戻っている。

 もし、元の洞窟のまま、連続発射していれば確実に崩落していたことだろう。

「んー、不死身の存在って食べたらどうなるのかな……?」

 こつりこつりとローファーを鳴らしながらバイロンへ近づく喜雨。

「ま、いいや。いただきまーす」

 そして、喜雨はひょいっと、バイロンを掴んだ。

 

 

 とことこ、と、とことこ、と少女がローファーを鳴らしながら歩いている。

「ただいまー、帰ったかな!」

 お腹を撫でながら元気よく喜雨が挨拶する。

 腹の中でわずかにうねうねと蠢く感覚、しばらくお腹は空かないかもし、思考も保っていられるかもしれない。

 理由は不明であるが、新鮮な人肉を食べなければ意識や記憶が曖昧となるのである。

 その上、ほうっておけば体が崩壊してひとりでに壊れていく。

 故に彼女は常に新鮮な人肉を探していた。

 逆に悪いことだけではなく、人肉さえあれば肉体も再生するようで、先ほどの戦闘でつけられた傷も、今はすっかりなくなっていた。

 ぺろりと唇を舐め、満腹そうにお腹を摩る。

 しばし、待った後、明かりのついた屋内から出迎えたのは一人の介護士だった。

「まぁ、喜雨ちゃん、いつも遊びに来てくれてありがとうね」

「いえいえ、いつもお世話になってますから」

「何か食べていく?」

「じゃあ、ハンバーグ!」

 にこにこと笑う喜雨に、つられて中年の介護士も笑顔となった。

 たしか、冷凍食品の中にハンバーグがあったはずだ。

 と、つらつらと考えながら彼女はその場を後にした。

 喜雨は遠慮なく屋内に上がると、そのまま奥の部屋を目指し、中へと入る。

 そこは暗くない程度の照明に照らされた部屋であった。

「終わったよー」

 規則的な電子音を鳴らす機械。

 白いベッドの上では一人の男が横たわっている。

 動けないのだろうか、かれは目だけを動かし、喜雨を見た。

 左手でキーボードを操作する。

「……首尾は?」

「全員倒して、ご飯も補充できたよ。また、何かあったら教えほしいかな!」

「それならいい……」

 目を閉じて、何かを考え込む彼。

 数年前、ヴィランが起こした大規模な事件の一つ。

 そのうちの一つに巻き込まれ、左手以外が動かせない状態となってしまった。

 それ以来、彼は死に物狂いの努力を重ね、電子機器に精通し、現在はハッカーとして行動している。

 左手でエンターキーを押すと、ベッドが持ち上がり、宙に置かれたモニターと共に上半身が起こされる。

 片手で文字を打ち込むと、それをパソコンが読み取り、合成音が読み上げる。

「……食べたのか?」

「うん、不味かった」

 明らかに目に嫌悪を浮かべる彼。

 ハッカーとして名をあげ、現在は自らの身体をこのようにしたヴィランに対して復讐を遂げるべく、ハッキング活動を続けている。

 そのために喜雨を使っているのだが、しかし、食人に対しては抑えようのない嫌悪感を抱くようだ。

「まぁ……いい……」

 合成音に感情はないのだが、もし彼が喋れるのなら、きっと吐き捨てるように言ったことだろう。

「次も頼むぞ」

「オッケー、あたしに任せてちょうだいかな」

 退出する喜雨。

 その背中を隠しようのない軽蔑の視線が見つめていた。

 

 

 ―――あたしの二度目の産声は墓場であげた。

 柩に爪を立て、無理やり這い出たそこは墓場であった。

 あたしの家、キリスト教徒だったかな、と思い出そうとしたところで、自分の名前以外に思い出せずに愕然とする。

 それ以上に思い出そうとしたところで悪寒が走ったので、それ以上考えるのはやめてしまった。

 その後、人間を食べたくなって彷徨っていたら烏の仮面をつけた男と交戦して、負けて、しばらく付き合わされて、とりあえず、悪い人は食べていいことは分かった。

 そして、寝たきりのハッカー、“コピーキャット”を紹介されて……。

「んー……!」

 石でできた椅子から起き、喜雨は背伸びをする。お気に入りの公園。

 彼女は廃虚や公園を渡り歩いて暮らしている。

 服やお金はヴィランを捕食した時に奪っているから問題ない。

 懐かしい夢を見ていた気がするが、思い出せないから、回想を取りやめる。

 思い出せないことは思い出しても仕方がないことだ。

 彼女はそう感じている。

 今のあたしは復讐の道具だ。

 コピーキャットの侮蔑を隠さない目。きっと、いつか自分も捨てられるだろうと喜雨は思う。

 彼は悪人(ヴィラン)を憎んでいる。

 自分を不随にし、ベッドで寝たきりの日々を送らせた人物。それのみにならず、きっとこの世の理不尽全てを憎んでいることだろう。

 なにせ横になったまま左手を動かすことしかできないのだ、その淀みが内にたまり、煮塊り、きっとぐずぐずに彼の魂を苛んでいるのだろう。

 だから、“人を食べる”自分もきっとその範疇に入っていると喜雨は思う。

 であるゆえにきっといずれ自分も捨てられるだろう。

 けれど、目的もなく流浪するよりはずっと充実した毎日を過ごすことができるし、ヴィランを捕食するのも困らない。

 それだけで喜雨は満足だ。

「うん、今日はなにいいことがあるかな!」

 そして、立ち上がると。

 アタッシュケースを持って、ふらふらとその場を後にした。


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