Fate/stay night 異聞 ~観察者白狐~ 作:Prometheus.jp
それではどうぞ。
<9/18 若干修正しました>
闇よりも尚深い闇。
この場所を形容するなら、それが最も適切だろう。
仄暗い僅かな明かりが、辛うじて生物の視覚に反応をもたらしている時点で闇とは言い難いが、この場所の在り様こそが人の想念の闇を凝縮していると言えよう。
四方が石造りの壁は規則的に穴が開いており、さながらカタコンベの様相を呈している。
生命の気配など微塵も窺えないその場所は、しかし無数の何かが蠢く気配だけはあった。
「七人揃ったようだな」
嗄れたその声は、発した者が老人である事を物語っているが、その芯にあるものは壮者のそれに劣っていない。
「お主が言った通り、七人目のマスターは衛宮の小僧だ。セイバーのサーヴァントを召喚したらしい」
「まさか……まさか本当に先輩がマスターだなんて………」
少女は心中でそう呟き、両手を固く握りしめた。
それは昨日目にした兆し。
そうでなければいいと願ってはいたが、その願いを聞き入れる者はこの世界のどこにも存在しなかった。
世界は残酷なまでに少女を十年間嬲り続けていた。
少女もまた、残酷な世界への怨嗟を内側にため続けていた。
その少女の内側に差す一筋の光明。
それは、地獄の責め苦に喘ぐ罪人を、唯一度の善行を以て救わんとする天上の神がもたらす一本のか細い糸のようにも見えた。
それを少女に与えたのは、天上の神ではなく一人の少年だった。
きっかけこそは世界の一部による企みのそれだったが、その少年の下に通う日々を積み重ねていくうちに、少女の中には負の感情とは異なるベクトルの感情が萌芽していた。
春の温もりにも似た少年とその場所は、長い冬の寒さに凍える少女の心を溶かし、自身の名と同じ花のように少女の外見を艶やかなものに変えてくれた。
しかし、世界は尚も残酷に少女から春の日差しを奪おうと、自らに仇なす敵として認識した。
「アレがどうしてもと言うからやらせてはみているが、アレの性分では、勝利どころか折角のサーヴァントも無駄死にさせかねん」
老人の言わんとすることは少女にも理解できていた。
凋落の一途を辿るこの家の最後の血を継いだ兄。
歴史ある家柄の選ばれた人間であることを誇りとしながらも、自身が生まれ持たなかったが故に選ばれなかった兄。
幼少期から培われた劣等感故に、強大な力を手にした今、大きく映る自らの虚像を自身の本来の姿と錯誤している。
その錯誤が家門の拠って立つところから逸脱し、いずれ異端の外道として破滅の坂を転がり落ちる事だろう。
「いよいよとなったらお主の出番だ。準備は出来ておるだろうな?」
老人が問う。
この老人であれば、血縁とは言え、持たざる者に落ちぶれた兄を躊躇なく切り捨てるだろう。
その時は、自分が老人の駒として戦場に赴かなくてはいけなくなる。
少女は一層暗鬱な表情を浮かべる。
「お爺様……マスターは、全員殺さなくてはならないのですか………」
少女は恐る恐る問いを返す。
埒もないことと老人は一笑に付すこともできた。
マスターは全員殺す。
サーヴァントは全て奪う。
それが聖杯戦争の常識、始まりの時より連綿として続く絶対の価値観。
しかし……
「そうさな……お主がどうしてもと言うなら、一人や二人は慰み物にしても良いぞ」
老人の答えに、少女は意外の念を禁じ得なかった。
「聖杯戦争はサーヴァントさえ倒せば良いのだ。残ったマスターは好きにするが良い。無論、生かしておいて危険な輩は処分するが、生かしておいて支障のない輩ならば見逃してやっても良い」
最後に「可愛い孫の頼みじゃからな」と付け加える老人の言葉は甘美な誘惑だったが、その甘い果実に飛びつくことは出来なかった。
マスターとして戦うと言う事は、あの少年と戦うと言う事。
結果がどうであれ、少年を傷つけることには違いない。
自身の中にある「もう一人の自分」を彼の目に曝したくない。
彼にとっての良き後輩であり続けたいという願いと、絶対の悪として、他の誰よりも彼に討たれるなら良しとする二律背反。
「愚かな娘よ…事ここに至って、未だ煩悶するか。どうあれ、聖杯戦争は既に始まった。わかっておるだろう?お主はこの儀式から逃れる事は出来ん」
少女をその気にさせようと、責め苦の中の一片の慈悲を以て成そうとした老人の思惑は、少女の頑なさに手を焼いた。
「今回の件は良い機会だと思わぬか?欲しいものは力づくで手に入れれば良いのだ。お前にはその力がある。そのように憶病では、手に入るものも手に入らぬというものだ」
しかし少女は頑なに首を縦には降らなかった。
「………私は……戦えません……」
精一杯の勇気を搔き集めて、少女ははっきりと拒絶した。
「ふむ…………お前がそう言うのなら仕方あるまい。今回も傍観に徹しよう」
意外。
老人の断に少女は驚いた。
聖杯を得て根源の渦に至るために数百年も生き続ける老人の妄執を知れば、誰もが意外と思うであろう。
「……しかし、そうなると少しばかり癪だのう。今回の依り代の中では遠坂の娘はなかなかに上級じゃ。機が味方し、勝者が出るとすれば恐らくはあ奴であろうな。いや残念よ……」
老人の言葉にハッとする。
そうだ…。
今自分が戦わなくても、いずれ誰かが彼と戦う。
その誰かの一人が、あの人であることは間違いない。
あの人が…。
私とは反対に、颯爽と生きるあの人が…。
一年早く生まれただけで、私から温もりも、優しさも、あらゆるものを奪っていったあの人が……。
先輩を傷つける……。
それだけは……。
嫌だ……。
少女の中のもう一人の自分が囁く。
奪い取れ。
嬲りつくせ。
私から奪う者全てを殺せ。
どす黒い感情が沸き上がり、少女はそれを必死に抑え込もうとする。
理性と感情の相剋に、肉体が耐え兼ねてたまらず嘔吐する。
心臓が締め付けられ、息が荒くなる。
少女の姿を見て、老人は事の成就にまた一歩近づいたと確信する。
「心とは脆いものよのう…。桜よ、願いがあるのなら令呪を守り続けるがよい。その器に毒が満ち溢れるまで、
その老人、間桐臓硯は心中で呟く。
臓硯とて不安要素はいくらかあった。
その最たるものが、部外者の今まで以上の暗躍である。
万能の願望器と言う花の蜜に、多くの虫が寄ってくることは想定していたが、今回の羽虫は聊か多い。
つい先刻、数名の不審者がこの邸内に闖入してきたが、臓硯直々にそれらを
今はここ間桐家の地下にある蟲蔵の隅で、全員が蟲の苗床となっている。
だがこの闖入者達は、いずれもが魔術刻印を持たない「普通の」人間だった。
「何奴が事を漏らしておるかは知らんが、今回混迷することは必至。これを奇貨として、儂自身が聖杯を手に入れる。と言う手もあるかもしれんな…」
臓硯は僅かに思案する。
「ここはもう一手打っておくに
我知らず
呼吸を荒げて苦しむ少女、間桐桜の耳には臓硯の笑い声は届かなかった。
どす黒い何かが、桜の内側に蠢いていた。