Fate/stay night 異聞 ~観察者白狐~ 作:Prometheus.jp
しんと冷える冬の空。
今宵の月は早々に地平の彼方に引き下がり、暗闇の空を彩るのは唯数多の星々のみ。
おおいぬのシリウス、オリオンのベテルギウス、おおぐまの北極星等々………。
古来より季節の移ろいを語り、またある時は旅人の
静謐な一時。こういう夜は、花鳥風月を愛でつつ一献傾けるも良し、風流韻事に耽るも良し、この国の四季の移ろいは、つくづく無聊を慰めるに事欠かない。
だというのに………………
「これは何とも血腥い………」
そこには血塗れの男が横たわっていた。
しかし、眉根を寄せ、静かに苦悶するその人物の顔には見覚えがあった。否、見覚えどころかこの人物には過日相まみえたばかりである。
実のところ、この人物を男と呼ぶのは誤りであり、正しくは“男装の麗人”と言うべきである。
名前は確か…………
「これ、生きておるか?バゼット・フラガ・マクレミッツよ」
呼ばわってみるも応答はない。しかし、首筋に触れると微かに脈がある。
どうやら
傷口を検分してみると、左の肩口から出血している。否、左腕そのものがない。
何とも奇怪至極。
いかに今は虫の息とはいえ、下手人は彼女の命そのものには興味が無いということを状況が如実に物語っている。
だとすれば目的は左腕。
「令呪を奪われたか……。聖杯戦争の狼煙はとうに上がっておったようだな………」
物見遊山にうつつを抜かしすぎたかと少々
———聖杯戦争———
日本の地方都市の一つ、冬木市において、七人の魔術師がそれぞれ七騎のサーヴァントと呼ばれる使い魔を召喚し、“万能の願望器”と呼ばれる聖杯を奪い合う魔術儀式という名の闘争。
サーヴァントは便宜上“使い魔”とされるが、多くの魔術師が用いる小動物や低級霊のそれとは趣を異にする。
即ち、過去の歴史や神話上の英雄の残滓、言わば“英霊”を使役するのである。
しかし聖杯戦争において、英霊を無制限無選別に召喚できるわけではなく、それぞれの
以上、七つの
例えるなら「ニーベルンゲンの歌」の主人公で、竜殺しの英雄として知られるジークフリートならば
ホメロスの叙事詩「オデュッセイア」などに登場し「鷹の魔女」と呼ばれたキルケーならば
イギリスのノッティンガムはシャーウッドの森に住む義賊ロビン・フッドならば
何しろ「サーヴァント中最弱」と評される
ならばなぜそのような存在が人間の召喚に応じ使役されるのか。それは、サーヴァント自身もまた聖杯を求めているからとされている。
故に
しかし、当の
その為に
それは一画一画が膨大な魔術の結晶であり、
この令呪を失うことは、即ちマスターとしての権利を失うこと同義となる。
そもそもマスターというものは誰にでもなれるというものではない。
聖杯に見初められ、令呪をその身に宿して初めてマスターはマスターたり得るのである。
しかし、何事にも抜け道というものは存在するのが世の常。聖杯に見初められなかった魔術師であろうとも「令呪を宿した魔術師から奪うことで、マスターとしての権利を得ることが叶う」との噂が実しやかに囁かれている。
尤も、そのような行為で令呪を得たとしても、当代の監督役にマスターとして認めるか否かは定かではない。
心霊医術を得手とする術者を介して、両者の合意の上で移植される場合もあると聞くが、魔術の最終目標たる「根源への到達」への可能性を秘めたマスター権を放棄する魔術師など極々稀で、大抵の場合は令呪を魔術回路ごと強奪されるものである。
このバゼット・フラガ・マクレミッツも漏れなく後者であろう。
今回の聖杯戦争の為に魔術協会から派遣された魔術師。歴史ある名門の当主でありながらも“封印指定の執行者”という魔術協会の猟犬。工房に引き籠って魔術の研鑽を重ねる魔術師とは異なり、生粋の“武闘派魔術師”として名を馳せる彼女を前にして、令呪を強奪しようと画策する有象無象の魔術師が敵うべくもない。
かくいう私も、令呪こそこの身に宿してはいないものの、それなりに悪名を轟かせている魔術師である故もあって、冬木の地に来る前は多くの賞金稼ぎ、この地に来て以来は、それらに加えて争奪戦のライバルを蹴落とそうと画策する幾人かの魔術師に突っかかられたが、その同数を贄に供したものだ。
その私自身が評するのもなんだが、この冬木の地を徘徊するマスター以外の魔術師の中では五指に入る実力であると自負している。
自慢ついでに言えば、その三ないし四指とは隔絶している。
その私の見立てによると、ここにおわすバゼット・フラガ・マクレミッツは「負ける事はないが、破るには難い相手」である。
そんな彼女が、こうも容易く令呪を奪われている事こそが、先の「奇怪至極」なのである。
時計塔の法政科や、埋葬機関のエージェントが暗躍しているとの風聞を耳にするが、真相の程はこの夜空よりもなお闇の奥底であろう。
辺りを見回すと、争った痕跡が無ければ魔術を行使した痕跡も無い。この状況から導き出された結論は“
「そして、下手人は知己の男か………」
彼女の実力を鑑みれば、見知らぬ魔術師からの不意打ちの手にかかる事はまず無いであろう。知己の、それもある程度心を許した相手に背後を見せた瞬間に不意を打たれた。と言ったところか。
そして過日見えた折に、人相が不得手な私でさえはっきりと読み取れる程に、色難の相が色濃く出ていた。
「さて、どうしたものか………」
名門の当主の血肉や魔術回路ともなれば、祭壇の羊には申し分ない。
しかし、数多の血を浴びてきた私ではあるが、こう見えても理由の如何を問わず、無辜の者を殺めることを良しとはしていない。
互いに命を懸けた戦いの結果であったり、降りかかる火の粉を払ったりした結果として相手の命を奪うことを厭わなかっただけだ。
とは言え、返り討ちに遭う覚悟もなく突っかかってくる者に対しては、応分の教訓を与えてやったが。
だがこの状況はそのどれにも当たらない。
肩越しに背後に控える従者に目をやるが何も答えようとはしない。
だが、こういう時の答えは「ご随意に」と物語っている事は長年の付き合いから読み取れる。
「後の事は賽の目次第。手当だけでもしてやるとするか」
刹那の逡巡の後にそう結論を出し、懐から術符を幾枚か取り出し、その中の一枚を出血が止まりかけている肩口に貼り付け、印を結んで術を発動させる。
これで止血は完了した。血は流れすぎてはいるものの、これ以上失血して死に至ることもないであろう。
「後はあいつに任せるとするか」
後事は専門家に委ねるべく、抱きかかえようとした刹那、彼女が呻き声をあげた。
賦活の術も併せて行使させていたが、こうも早く意識を取り戻すとは驚嘆に値する。
「応急処置は済んだ。命と運が強ければ、死神はお主の前には参ずまい」
私の声を聴いた彼女は、大儀そうに僅かに目を開けたが、その焦点は合っていない
「コ……ト…………」
喘ぐ様に言葉を発するが、すぐさま彼女は意識を失った。
彼女の身を従者に任せ、この場を離れる私の思考は別方向を指向していた。
彼女の発した言葉の意味に思考を巡らせていたからだ。
「確か、今回の聖杯戦争の監督役がそんな名前だったな………」
そう独り言ちる。
聖杯戦争から脱落したマスターを保護するのが監督役の役目の一つと聞くが、彼女ほどの人物が早々に監督役に保護を求めるとも考え難い。
全ては彼女の意識が戻ってから問い質すとしよう。
行きずりとは言え、助命の対価としては悪くないはずだ。
「コトミネ」
彼女が発した名に、漠とした不安が過る。
星影は存外に明るく、しかし私の心中に淀む疑問を照らし出すには、今宵は聊か血に染まりすぎていた。