Fate/stay night 異聞 ~観察者白狐~ 作:Prometheus.jp
時間は空いてしまいましたが、今回は短編をお届けします。
それではどうぞ。
熱い………。
体が燃えるように熱い………。
いや………
本当に燃えているんだ………。
私が、いや、もう一人の私が炎に包まれている。
罪を浄化する炎のように。
落ちた罪人に与えられる、極熱の責め苦のように。
熱い………。
いくら大きく息を吸おうとも、求める酸素は肺に入って来ない。
入ってくるのは、ただ熱された大気。
体が内側から燃えるかのように熱い。
苦しい………。
首を絞められた時のように、首から上が
なんで……?
なんで私が………?
なんで私だけが………?
なんで私だけが、こんなにも苦しい思いをしなければいけないの………?
愛しさも、優しさも、温もりも、幼い時に奪い取られた。
それからは、絶望と諦観と悪夢だけが私に寄り添っていた。
しかし、一年半ほど前から、深い雪に閉ざされた冬の景色は、柔らかな陽光射す春の景色に変わろうとしていた。
元々は、彼が負傷したことを奇貨として、お爺様の言いつけで彼を監視するために赴いただけの筈だったのだけど………
彼と彼のいる場所は暖かく、私の中に今までにない感情が芽吹こうとしていた。
いや、それは確実に芽吹いた。
今でもはっきりと思い出せる。それはまだお互いを知らなかった頃、私は彼の存在を知った。
校庭が夕焼けで茜色に染まっていた頃、彼はそこにいた。
どういう経緯なのか、彼は唯一人、校庭で走り高跳びをしていた。
走って、跳んで、棒を落としての繰り返し。
でも、その棒は彼の身長よりも高く、彼自身にだってとっくに跳べない高さである事を判っていると思っていた。
だけど、彼は懸命に、ひたむきに試し続けていた。
心がささくれ立っていたあの頃の私は、彼が挫ける瞬間が見たくて、彼の無謀とも言える走りをずっと眺めていた。
だけど、なかなか諦めない彼は、何度も何度も、見ているこちらが怖くなるくらい、出来っこない事を何度も何度も繰り返していた。
見ているうちに気が付いた。
彼は、今日たまたま自分の出来ない事にぶつかって、それに負けまいと意地を張っていただけなんだと。
あまりに真っ直ぐな彼を見ていると、最後の頃には彼を心配してしまっていた。
そして、彼の懸命な姿に憧れを抱いていた。
彼はきっと、すごく頼りがいのある人なんだろうな。
彼はきっと、何も裏切らない人なんだろうな。
ふとそう思った。
私にはそう見えたけど、彼にとっては日常茶飯事だったと言う事を知ったのは、それからしばらくしてからの事で、その時が、私にとって彼が特別な存在となる種子が蒔かれた時だった。
なのに………
なんで貴女が彼の隣にいるの?
私から何もかもを奪って平然と生きる貴女が……。
貴女は私から彼を取ったりはしないと言っていたけど、そんな言葉信じられるはずがない。
彼の隣にいるべきは貴女じゃない……!
ならどうする?
今までのように、ただ望まない状況を耐えるだけでいいのか?
今までのように、ただ望まない状況を諦めているだけでいいのか?
私の中のもう一人の私が囁く。
お爺様は言っていたじゃないか。
欲しいものは力ずくで手に入れればいい。
お前にはその力がある、と。
飲み込んでしまえ……。
大きなモノを二つ飲み込んだけど、まだ足りない。
貴女じゃ物足りないけど、彼の傍から消えると言うだけで、私は満たされる。
だから……
貴女は消えてなくなって……
ゆっくりと、的に向けて矢を引くように狙いをつける。
いつもやっている事だ。
的か人間かの違い、ただそれだけ。
矢を離すように手を伸ばす。
誰にも反応させる隙は与えていない。
そう思っていた。
狙いは確実だった。
的の正鵠を射るよりも容易く、彼女を捉えて飲み込む筈だった。
だけど、いち早く気付いた彼が、彼女を突き飛ばす。
なんで?と思う前に、私はある事を失念していた。
彼は
困っている人を見たら助けずにはいられない人なのだ。
あの人が危ないと思ったから、彼が飛び出した。
謝意を求めるわけでもなく、見返りを求めるわけでもなく、彼は唯、あの人を助けるべきだと思ったから、それが、彼の目指す「正義の味方」の在り方だったから飛び出したのだ。
なのに………
「うわぁ、すごい子供だったんですね、先輩」
そんな感嘆を送っていたのに………
そんな事を失念していた。
「いやあぁぁぁぁっっっっっっ!!!」
誰かが叫んでいる。
それは私の喉から発せられた叫びだった。
強烈な自己嫌悪に苛まれる。
今すぐ自分を殴り倒したい。
今すぐ自分を引き裂いてしまいたい。
今すぐ自分を呪い殺したい。
彼の事を解っている筈の私が、彼を傷つけてしまった。
いや、彼を解っている
「先輩!先輩!ごめんなさい!ごめんなさい……!」
今すぐ彼の元に駆け寄りたかった。
だけど、彼を傷つけてしまった私にそんな資格がある筈がない。
こんな私が、彼の傍にいていい筈がない。
今すぐこんな自分を消し去ってしまいたかった………。
そこで目が覚めた。
全身が汗でびっしょり濡れていた。
身を起こしてから、悪夢を思い出し、自分の身を抱くように身震いする。
掴んだ二の腕に、いつの間にか爪を立てている自分がいた。
唯々怖かった。
私が彼を傷つけてしまったという罪悪感。
そうならなければいいと、そうならないようにと思っていたのに、私は彼を傷つけてしまった。
夢の中の出来事だと一笑に付すことさえ出来る。
だけどこの夢は、
私の意識から分離した“
だから、この夢は夢ではなく、現実に起きた事。
私が彼を傷つけた事すら、残酷なまでの現実なんだと言う事を知っている。
「………先……輩…………」
明かりのない部屋に、細々とした声にもならない呟きが耳朶を打つ。
彼は無事でいるだろうか………。
熱く熱された鍋に不意に触って、慌てて手を引っ込めた時のように、伸ばした手が彼に触れた瞬間に手を引っ込めたけど、彼の脆弱な魔術回路では、魔術に対する抵抗など常人並みでしかない。
いくらか影響があっただろうけど、きっとあの人が処置してくれるだろう。
そう思って、また自己嫌悪に苛まれる。
さっきまで「消えてしまえ」と思っていたくせに、実際に消してしまおうと思っていたくせに、なんて都合の良いことを言っているんだ。
本当に自分は嫌な人間だ………。
消えてしまえばいい人間なんて自分だと解っているくせに、どこかで消えたくないと願っている自分がいる。
だからこそ他人を傷つけて、それでいながら、彼の前では「良い後輩」と言う顔をして憚らない。
自分はなんて生き汚い人間なんだ………。
こんな自分は、いつか裁かれるだろう。
こんな自分は、誰にも赦される筈がない。
そんな取り留めのない思考をグルグルと巡らせていると、誰かがこの部屋に近づく気配がした。
慌てて横になるのと、部屋のドアが開かれるのは同時だった。
布団を被り直す暇も無かった私の姿を見て、息を呑む声が聞こえる。
これは彼だ。
ああ、無事だったんですね先輩。
感情の爆発と、彼の胸に飛び込みたい衝動を必死に抑えていると、布団をかけ直された。
さっき息を呑んだのは、きっと私のあられもない姿を見てしまったからだろう。そういう面で言えば、汚れきった私とは違い、彼は年齢相応に純情だ。
普段は頼もしく見える彼ではあるけど、そういう面は時々不満を感じつつも愛おしくさえある。
時間にして一時間足らずだろうか、部屋を出たり入ったりと、寝たふりをする私を甲斐甲斐しく世話をしていた彼は、ようやく部屋を去っていった。
フラフラと夢遊病者のような足取りで廊下を歩く。
しかし思考はクリアになっていて、その足取りの危うさは発熱によるものじゃない。
あの人が寝ている部屋の前を通る時は、息を潜めて気付かれないようにしていたけど、それでも私の心臓は、早鐘のように鼓動を刻んでいて、後夜の廊下に響き渡っているかに思えた。
目的の部屋に辿り着く。
そっと障子を開けると、部屋の中心にはこの家の家主である彼が、静かな寝息を立てていた。
夜の暗がりの中で見る限り、大きな怪我はしていないようで安堵する。
影のような足取りで彼の枕元に立ち、そっと座ってその寝顔を覗き込む。
「……先輩………私の不注意でした……」
彼の耳に届いているかどうかは分からない。
だけど、
「先輩を傷つけてしまって………ごめんなさい………」
やはり彼の反応は無く、ただ静かに寝息を立てているだけだった。
ふと、その寝息を立てる唇に視線が行く。
抗しきれない衝動に突き動かされつつ、眠る彼の頬に手を添える。
そのまま顔を寄せて、眠る彼と唇を重ねた。
一体どれほどの時間をそうしていたのだろう。
なぜそうしたのかと問われたら、なぜだかわからないけど、そうしたいからそうしただけとしか言いようがない。
こんな姿を誰かに見られたらと思うと、恥ずかしさのあまり、自分の舌を噛みきってしまうかもしれない。
だけど、それでも良いと同時に思った。
彼が目を覚ましたのなら、そのままこの身を、彼の腕の中に委ねたって良いと思ってさえいた……。
肩にかかっていた髪がサラリと落ちて彼の頬を撫でる。
そこでようやく顔をそっと上げた。
キッと彼の寝ている蒲団の向こう、その先の襖のさらに奥を睨む。
今すぐにでもその襖を開け広げて、その奥で眠っている少女の胸ぐらを掴んで言ってやりたかった。
貴女が来てから先輩はずっと辛そうだった!
それだけならまだしも、先輩をあんな危ない目に遭わせて!
もう少しうまいやり方があるんじゃないのか!
それが出来ないっていうなら、せめて先輩を巻き込まないで!
八つ当たりだと言うことは分かっていた。
どの口でそんな事を言っているんだと反論されれば、答えに窮する事さえ判っていた。
それでも、彼を護りきることも出来ないサーヴァントの不明を、これでもかと面罵してやりたいと言う衝動が沸々と湧き上がってくる。
ああ……自分は本当に嫌な人間だ………。
彼女にだって事情も言い分もあるだろう。
彼女なりに、必死で彼を護ろうとしたのだろう。
彼を護りきれなかったのは、彼女の制止を振り切って、その手の届く内から彼が飛び出した結果かもしれない。
それを、事情も聞かずに一方的に
波が引くように衝動が引き下がっていく。
だけど、彼女ではこの先彼を護りきる事は出来ないだろう。
そもそも彼の魔術回路と、それが生み出す魔力では、どのようなサーヴァントも十全に機能させる事など出来はしない。
「………私が、先輩を護りますね………」
胸の奥から沸き起こった決意を口にして、私はこの部屋から去った。
廊下はシンと静まり、月は地平の下に沈もうとしていた頃だったようで、街灯の仄かな明かりのみが中庭を僅かに照らしている。
そっと縁側の窓を開け、夜の冷えた空気を肺の隅々まで行き渡らせるように吸い込む。
星が明るい。
明日、いや今日もきっといい天気になるだろう。そう思っている時だった。
「そんな恰好で夜気にあたったら、余計熱が出るぞ」
庭先から投げられた声にハッとする。
誰も起きていないだろうと、高を括って下着の上はシャツ一枚だけと言う格好を見咎められたと言うだけではない、この場に居る筈もない人物の声でもあったからだ。
「あ……朝比奈………先生…………」
私の担任であるこの人は、ここに私が居ることを知っている。
それは良い。
しかし、なぜ、こんな時間にいるのか。
それに、誰かがいる気配なんて全く感じなかった。
まるで
「衛宮から、間桐が熱を出したって聞いてな。どうやら大丈夫みたいだな」
「……はい………こんな時間に、わざわざありがとうございます………」
一礼するも、なぜこの人がと言う疑念が払拭できない。
もしかすると、先輩やあの人と一緒にいたもう一人の人物、狐の仮面を被り、
そうであれば、辻褄が合う。
担任であれば、受け持ちの生徒の様子に異変があれば、気に掛けるのは当然の事だろうけど、こんな時間に現れると言う事は、この教師はあの魔術師で、
そして、私を始末しに来たのかもしれない………。
「明日……と言うか今日も、兄貴の見舞いに行くんだろ?」
「……はい………」
「んじゃ、朝に迎えを寄こすから、衛宮と一緒に間桐も医者に診てもらいな」
「……先輩に、何かあったんですか……?」
「いやなに、あいつも何かと疲れてるようだったしな。あそこの病院には、知り合いの医者がいるから診て貰えってだけの話さ」
「それだけの為に、わざわざ………?」
「おう、それだけの為にわざわざ」
いつも見ている笑顔で言う。
この先生はいつもこうだ。
普段は年齢相応の大人として落ち着いているのに、時々子供の様なはにかんだ笑顔を見せ、気さくに生徒達に接している。
そんなギャップに心惹かれる女子生徒が何人かいる事を知っている。
その笑顔を前に、自分の推論は間違っているのではないかとさえ思う。
背を向けて「早く寝ろよ」と立ち去る先生を、そのまま見過ごそうかとさえ思った。
だけど、もし、私を油断させようとしているなら………。
ここでむざむざやられる訳にはいかない。
私の命なんてどうでもいい、こんな汚れた命、欲しければ持っていけばいい。
だけど、ここで私が死んだら、誰が彼を護るのか?
なら、私はここで死ねない。
死ぬのは………
貴方ですよ、朝比奈先生。
ゆっくりと影を伸ばす。
気取られてはいけない。
そういう意識すらも感知されかねないので、心を空っぽにして狙いを定める。
獲物を狩る蛇が、鎌首をもたげる様に静かに。
「間桐」
不意に背を向けたまま言葉を発する。
「俺は、産休に入った田島先生の代わりに来ただけの代理でしかない。でもな………B組の生徒たちが巣立っていく姿を、
振り返る先生の目は穏やかで優しかった。
「卒業式の時にみんなで一緒に記念写真を撮って、一人一人に役に立つかどうかも分からない言葉を贈って、後で同窓会なんかで笑い合うんだ」
まるでミュージカル俳優のように両手を大きく広げて、言葉を繋げる。
「それが教師としての、お前たちの大事な高校生活の、人生の一部を託された、俺の唯一の願いだ」
願いを叶えたいと言う先生の言葉に、胸の奥がギュッとなる思いがした。
あぁ………もしかすると、この人もきっと裏切らない人なんだろうな………。
影の暗がりに、融けるように消えていくその背中を見送りながら、私はそう思った。
でもね、先生………。
こんなにも汚れた私が、化け物になってみんなに襲い掛かったら……
それでも私は、貴方の生徒でいられますか?
次回こそは、オリジナルの新キャラを登場させた本編に行く予定です。
とは言え……
今頃になってFGOをやり始めたので、時間は空くかもしれません……。