Fate/stay night 異聞 ~観察者白狐~   作:Prometheus.jp

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今年最初の投稿です。

今回は、原作では幕間、劇場版HF第一章では1カットで済まされたあのエピソードを、拙作に合わせてリメイクしました。

それではどうぞ。


#028 深淵に臨む

 僅かな意識の覚醒に引きずられるように瞼がうっすらと開き、輪郭のぼやけた周囲の景色が網膜に投影される。

 

 普段とは違う風景。

 生のままの木目を生かしたであろうフローリングや壁材、天井面を真っ直ぐ貫くような一本の丸太梁が、言うなれば和モダン特有の落ち着きを醸し出している。

 

 と言うのは、最初にこの部屋に入った際に受けた印象で、大半が暖かい泥で満たされた寝起きの頭では、そんな感想自体が無意識領域の奥底に沈殿したままだ。

 

 積み上げられた意識がようやく表層から顔を出し、現状を整理し始める。

 ここは共闘関係にある衛宮君の家、そして迎える最初の朝。

 双方の能力、状況を鑑みるに、共闘関係にある以上は拠点を同じくした方が、攻守共に最適解と言えるからこそ、私は衛宮君の家に厄介になることにした。

 表向きは、入院中の藤村先生の代わりとして、衛宮君と桜のお目付け役をするようにと朝比奈先生に頼まれ、その日のうちに宿泊道具一式を用意して訪れたわけだ。

 

 意識が覚醒しきっていない目をこすりながら着替え、洗面所で顔を洗う。

 欠伸を噛み殺しながら居間に入ると、家主である衛宮君を始め、そのサーヴァントであるセイバー、そして桜の、私以外の皆が既に起きていて、中央のテーブルには朝食が人数分、ずらりと並んでいた。

 

 基本的に朝食は食べない主義なんだけど、出された食事に対して、その主義を貫き通さなければいけないと言う程の拘りも無ければ、戒律も、誓約も、この私、遠坂凛の内側には存在しない。

 

 本音を言えば、朝は和食より洋食の方が好ましいんだけど、これもまた貫き通さなくてはいけないと言う理由は存在しない。

 

 要するに、出された食事は、余程のゲテモノや、見るからに人体に悪影響がありそうなモノでもない限り有難く頂く。

 敢えて拘りや誓約と言う言葉で括るなら、これこそが私の拘りと言えるし、第一、そうでなくては食事を提供してくれた相手に対して礼を失すると言うものだ。

 

 今朝の朝食を作るに際し、台所で一悶着あったらしい。

 「一悶着」と言う言葉が適切かどうかは置いておくとして、昨夜熱を発して倒れた桜と、同じく黒い影に触れて昏倒した衛宮君とで、どちらが朝食を作るかで押し合いへし合いになったらしい。

 

 折衷案としてジャンケンで勝った方が朝食を作ると言う、何とも不可解な事態に発展し、結果として()()()()桜が今朝の朝食を作った。

 

 ちなみに、私がその事を知ったのはつい今しがたで、桜が朝食を作ったと知った私が「後輩にそんな事をさせているのか」と衛宮君を糾弾したら、こういう経緯だったらしい。

 

 まったく……なんなのかしらねこの二人……。

 お互いがお互いを思いやるのは良いんだけど、どちらも退こうとしない。

 それでいて、事が済んだらケロッと忘れて談笑する。

 これじゃあ、先生が冗談半分で言った「二人で盛り上がって間違いが起きる」なんて事態が本当に起きかねないわね………。

 

「遠坂には、人の色恋に水を差すなんて無粋な真似をさせて悪いが、馬に蹴られない程度にお目付け役の任を果たしてくれると、教師としては助かる」

 

 そう頼られたのなら、私だってそれに応えないわけにはいかないわけで、何よりそれがサーヴァントである栞さんじゃなくて、私だった事が、ほんの少し嬉しかった。

 

 

 

 朝食が済んだ後、先生が手配したと言う迎えの車に乗って、衛宮君と桜は旭奈会(きょくないかい)病院に向かった。

 セイバーはと言うと、当然マスターである衛宮君に付いていく事を主張していたわけだけど……

 

「旭奈会に行くんでしょ?あそこに魔術師はいるけど、()()()なら問題ないわよ。徹頭徹尾、あの人は魔術師である以上に医者としての姿勢を貫き通す人だから、衛宮君が患者である以上、何かしてくるって事はあり得ないわね」

 

 冬木の管理者(セカンドオーナー)である私の言が決定打となったのだろう、セイバーは大人しく、衛宮君(マスター)の言う事を聞いて、お留守番となった。

 それにしても、言う事聞く代わりにお茶請けをくださいだなんて、セイバーも可愛いところあるじゃない。

 

 正直な話、私としてもこの後セイバーに付き合って貰いたい事があった。

 本来なら、マスターである衛宮君に断って、セイバーの手助けを願い出るのが筋なんだけど、これから私がやろうとしている事は、衛宮君にも桜にも知られるわけにはいかない。

 

 衛宮君と桜が揃って出かけ、セイバーが残ると言う展開は千載一遇の好機(チャンス)だ。

 目の前のチャンスは逃さない主義なのよね。

 

 杞憂ならそれはそれでいいんだけど、最悪の展開を予想するなら、セイバーのサーヴァントとしての能力が必要になる。

 魔術師一人にサーヴァント二騎の戦力なら、大抵の事態は乗り越えられるだろうけど、()()に出てこられたら逃げの一手しかない。

 でも、私の推測が正しければ、()()が日中に出て来ることはきっと無い。

 

 結果として、私の懇願に只ならぬ気配を感じ取ってくれたのか、セイバーは同行してくれることになった。

 勿論、マスターである衛宮君にはこの事も、これから目にするであろう事を内緒にしておくと言う約束を取り付けるのも忘れていない。

 

 

 

 私たちが向かったのは、深山町の一角。

 洋館が立ち並ぶ山の方で、もう少し坂を登れば私の家がある。

 私が向かった先は………

 

 間桐邸だ。

 

 二百年前にこの街に移り住んできた、古い魔術師の家系。

 聖杯戦争の協力者としてこの土地を譲り、その上で遠坂と間桐は互いに不可侵とし、無闇に関わってはならないと言う盟約を結んでいる。

 

 だからどうした。

 そんなものは十一年前に破られている。

 大体、盟約を取り交わしたのは遥か昔の初代遠坂家当主だ。

 

 その内容も、理由すらも定かでない決まり事。

 聖杯を手に入れると言う目的のみで固められた盟約。

 だけど、その目的は未だ果たされる事は無く、あまつさえ正規のマスターではない間桐臓硯は聖杯を手に入れると公言していた。

 

 ならば、そんな古臭い決まりに従う道理なんて、今の私にはない。

 第一、私はあくまで一人のマスターとして、聖杯戦争を汚す外敵を排除しに来たに過ぎない。

 自分にそう言い聞かせてはみるものの、父の教えを破ると言う事に抵抗がないわけじゃない。

 だけど同時に、大切な何かが壊れたわけでもないと思考を切り替えた。

 

「………馬鹿ね。どうせ破るなら、もっと早くに押し掛ければ良かったのに………」

 

「リン?どうしました?」

 

 十年以上も我慢し続けた、あの子に対する後悔。

 我知らず口を衝いて出た独り言に、セイバーが訝しむ。

 

「あ、何でもないの。ただ、ちょっとね………。さて、まずはこの結界をどうにかしなきゃいけないわけだけど………」

 

 魔術師の家は、即ち工房であり、当然外敵から身を守る為の結界が敷設されている。

 間桐の家も例外なく結界が敷設されていて、私の見立てだと、立ち入ったら警報を発する類の結界だ。

 

 結界の解除自体は出来なくはないけど、時間がかかりすぎるのが難点だ。

 日中に他人の家の前でモタモタしていたら、不審者として通報されるかもしれない。

 霊体化したアーチャーを潜り込ませて、結界の基点を破壊させれば手っ取り早いんだけど、それだと臓硯に気付かれる。

 

 どうすべきかと思案していると、一台のバイクに乗った人物が、ゆっくりと私たちに近づいて来た。

 

「おはようございます遠坂さん、セイバー、それにアーチャーも」

 

 バイクから降りてヘルメットを脱いだその人は、先生のサーヴァントで、表向きは先生の妹の栞さんだ。

 なぜ栞さんが?と言う疑問は出てこない。

 きっと先生も私と同じ疑念を抱いて、栞さんをここに遣したのだろう。

 

「おはようございます栞さん。その……先生は?」

 

 キョロキョロと辺りを見渡し、その姿を求める。

 

「マスターは朝から職員会議で学校に行かれましたよ。でも、早々に切り上がれそうだったら衛宮君の家を訪問すると仰ってました」

 

 少しホッとした。

 何せ床に就いたのは日付が変わってからで、起きたのは七時頃。睡眠時間は正味にして四~五時間程だ。

 睡眠時間としてはやや少なく、聖杯戦争が始まってからのここ数日、夜中にマスターとして活動することもあり、睡眠時間の減少はより一層顕著になっていて、目の下には隈が出来やすくなっていた。

 寝る前にケアはしているのだけど、それでも隈はしつこく私の目元に居続けていて、そんな状態を間近で見られようものなら、恥ずかしい事この上ないのである。

 

「それで遠坂さん、間桐翁に察知されずに、この結界をすり抜ける方法とかはあるんですか?」

 

「そんな方法があるんなら、私が知りたいくらいですよ……」

 

 ため息をつきながら、肩を(すく)める。

 設置した術者に気付かれることなく、物理的、或いは霊的に結界を抜けるなんて方法なんてあるなら、そもそも結界と言うものの存在意義が失われると言うものだ。

 

「アーチャー、貴方はどうします?今のところ、私たちを見ている気配は何処にもありませんよ」

 

 そう栞さんが私の後ろの何もない空間に目を向けて言う。

 すると、霊体化していたアーチャーが背後で実体化した。

 

「どうするも何も、マスターから特に命令がない限り、同行するのが当然だと思うが?」

 

「じゃあ、三人ですか……。ギリギリ大丈夫だと思いますが………」

 

 アーチャーの上から目線の物言いを受け流し、栞さんが顎に手を当てて思案しているけど、何か方法があるようね……。

 

「じゃあ、行きましょう。セイバーとアーチャーは、私の体のどこでもいいので、しっかりと掴んでいてくださいね」

 

 栞さんが徐に私の手を掴んで間桐邸の門扉を開けようとする。

 セイバーとアーチャーは、それぞれ栞さんの両肩をしっかりと掴んでいる。

 

「ちょっと栞さん!そのままじゃ結界に………!」

 

 手を引かれるがままに間桐邸の敷地に足を踏み入れる。

 すると…………

 

「え?何?結界の干渉が……無かったんですけど………」

 

「シオリ、一体何をしたのですか……?」

 

「これは驚いた……。暗殺者(アサシン)のクラスにこのようなスキルがあろうとはな……」

 

 三者三様に今起きた事の驚きを表現する。

 それもそのはず、敷設された結界に無理矢理立ち入ろうものなら、何らかの形で干渉される。それが一切無かったのだ。

 

「これが私のスキル「潜入」です。柳洞寺の様なサーヴァントと言う概念そのものを遮断するような結界でもない限り、敷設した術者に気付かれることなく結界内に入り込むことが出来るんです」

 

 加えて、結界の種類や強度にもよるけど、栞さんと肉体的に接触していれば、数人はそのスキルの恩恵に与れると言う。

 マスターもマスターなら、サーヴァントも色々出鱈目な能力を持っているようね……。

 

「じゃあ、行きましょうか」

 

 懐から銀色の物体を取り出し、その一部をスライドさせるとガチャリと言う音を立てる。

 

「ちょ!それ!」

 

 それは紛れもなく“拳銃”という奴で、凡そサーヴァントが使うような武器じゃない。

 しかもサーヴァントとは言え、女性が持つにはかなり大きい。

 

「私の場合、騎乗や潜入スキルは大して影響が出ないんですけど、サーヴァントとしての能力やその他のスキルに、日中は大幅な制限がかかってしまうんです。今の私は、()()()()()()()()()()と言う程度で、万が一に備えて、こういう物も必要になったりするんですよ」

 

 そう説明する栞さんの真名は、伊賀忍者の頭領だった百地三太夫丹波(ももち さんだゆう たんば)で、死後に英霊の座に招かれて英霊となり、第二次聖杯戦争で現界したサーヴァントだ。

 「忍者とは闇に生きる者」と言う幻想が具現化したらしく、日中は忍者としての能力に大幅な制限がかかってしまうのだろう。

 

 本来サーヴァントと言う存在は、英霊の座にある所謂“本体”から枝分かれした分霊の様なもので、それらはサーヴァントとして現界している間に得た知識や経験は“本体”に還元される事は無いと言われている。

 

 しかしそれは()()()()で現界しているサーヴァントの話であって、栞さんのように百年以上も現界し続けているサーヴァントであれば、短所に対する対応策を講じる事も出来るだろうし、長所や生前には無かった技術の研鑽を積む時間も十二分にあるわけだ。

 

 栞さんが対人戦闘を行う相手とは即ち魔術師であり、多くの魔術師は現代科学を忌避或いは軽視する傾向にある。

 端的に言えば科学によって神秘が薄れ、魔術師の最終目標である「根源への到達」の妨げになりえるからだ。

 その現代科学、それらから派生した技術に対する無知、無理解が、多くの魔術師にとって致命傷になりえる弱点でもある。

 

 現界してから現代戦闘の技術を学んだであろう栞さんは、姿勢を低くしつつ両手で持った拳銃を下手(したて)に構えて走り、ある程度外に面した窓から死角になる玄関ポーチに身を隠すと、銃を向けながら窓からの襲撃を警戒する。

 

 どうやら窓からの襲撃の気配は無いと確認できたのであろう、尚も窓に銃を向けて警戒しつつ、目線だけをこちらに向けて軽く頷く。

 

 その合図を受けて、私とセイバーは一直線に玄関に陣取る栞さんの元に走り、アーチャーは弓を構えながら周囲を警戒しつつ殿(しんがり)を務めている。

 

「この屋敷の間取りだが、二階に空白部分があるようだ」

 

 一目見ただけで屋敷の設計図を思い描いたアーチャーが、不審な空間の存在を指摘する。

 

「階段にしては狭いが、恐らく地下に通じているのだろう」

 

 以前から薄々気づいていたけど、アーチャーって物の設計や構造を把握する能力に、弓の騎士(アーチャー)とは思えないぐらい特化しているようなのよね……。

 

「アーチャー、その階段までのルートは解りますか?」

 

「玄関から正面六メートル前方に二階への階段、登り切って左手の奥に見える扉がそれだ。だが気をつけろ、登り切って右手と階段の扉の前、後方左右に廊下を挟んでそれぞれ部屋がある」

 

「じゃあ、私が先行しますので、アーチャーは援護してください」

 

「……了解した」

 

 目線だけを私に向けてアーチャーが許可を求めると、私はそれに頷いて、栞さんの提案した突入作戦に同意した。

 

 栞さんとアーチャーが、それぞれ玄関ドアの左右に壁を背にして立ち、栞さんがドアノブに手をかけると、アーチャーが無言で頷く。

 私とセイバーはと言うと、これまた二人に並ぶようにそれぞれドアの左右に立って突入に備える。

 

 ふと、私の隣でドアを開けようとしている栞さんの表情を窺いみると、普段学校で目にする栞さんの穏やかな表情はこの時ばかりは鳴りを潜め、スッと目を細めて聊か緊張しているようにも見える。

 

 うわ……栞さんって、まつ毛長いんだ……。

 サーヴァントだけど手入れとかしてるのかな?

 軽めに化粧とかはしてるっぽいんだけど、どんな化粧品使ってるんだろ?

 

 って、私ったら、こんな時に一体何考えてるのよ!

 頭を振って場違いな気持ちを外へと振り落とす。

 すると、三人の目線がこちらに向けられているのに気付いた。

 あちゃー……一人だけ変なこと考えてるのに気付かれちゃったかな………。

 

「………凛、判っているとは思うが、我々三人はサーヴァントだ。そして君は魔術師(マスター)だ」

 

 ため息をつきながらアーチャーが分かり切ったことを、いつもの上から目線で指摘してくる。

 その言い様に少々カチンと来たけど、同時にアーチャーの指摘に得心した。

 

 サーヴァントは基本的に使い魔に分類される。

 そしてマスターである魔術師は、今は私ただ一人。

 であれば、突入の指示を出すのは………私の役目だ。

 

「………行ってちょうだい……!」

 

 大きく息を吸って号令を発する。

 玄関に鍵がかかっていないことを確認した栞さんが勢いよくドアを開けると、アーチャーが弓を構えて玄関ホールに押し入り、周囲を警戒しつつ、襲撃に備えた牽制をしている。

 

 玄関ホールからの襲撃は無いと確認したアーチャーが、一言「行け」と言うと、栞さんを先頭に私とセイバーが屋敷の中に突入する。

 さすが忍者の英霊だけあって、栞さんは銃を構えつつ、足音どころか塵一つ立てることなく、二階に銃を向けて警戒しながら、階段を踊り場まで登り詰めた。

 

 そして、二階からの襲撃の気配がない事を確認すると私とセイバーに合図をして、次は私たちが栞さんの脇を通り抜けて二階に達する。

 

 左腕を水平に伸ばして、いつでもガンドを撃てるように身構え、そんな私と背中を合わせるように、剣を構えたセイバーが周囲を警戒している。

 

 そこでようやく、一階を警戒していたアーチャーが合流し、そのアーチャーと交代するように、階下に銃を向けて警戒しながら後ろ歩きで殿(しんがり)を務めていた栞さんが合流した。

 

「……ここね………」

 

 アーチャーが指摘していた不審な空間があると言うドアの前に立つ。

 その扉は見かけこそ普通の室内ドアだったけど、一種異様な雰囲気をその内側から醸し出しているかのように見えた。

 

「罠の様な術式はかかっていないようね……鍵も掛かって……」

 

 扉を開いた瞬間、私は息を呑んだ。

 いや、扉の奥から漏れ出てきた湿った空気、鼻孔から脳髄まで貫くような腐臭を、僅かでも自身の体の中に取り込むこと自体を体が拒んだ。

 

「っ………アーチャーは、ここで退路を確保していてちょうだい………」

 

 アーチャーにここに残るように命じ、左手に懐中電灯を逆手に持ったまま銃を構える栞さんを先頭に、私、セイバーの順で石造りの階段を下りていく。

 ポケットから取り出したハンカチを鼻と口に当てて石段を下りる。

 それでも尚、石段を一段下りる毎に、漂う腐臭が加速度的に増していくのが分かってしまい、不快感が幾何級数的に増していく。

 

 永遠に続くかと思われる長い階段の行き着く先は間桐邸の地下室の筈なのに、まるで冥界の奥底まで続いているかのような感覚に陥る。

 もしかすると、この先には冥界から逃げ出そうとする亡者を貪り食う番犬がいるかもしれない等と、他愛のない妄想に思考を傾けて、僅かでも腐臭がもたらす不快の波から我が身を守る精神的な防波堤を構築する。

 

 ようやく石段が途切れ、湿った石畳と広い空間が私たちを迎え入れた。

 明かり一つ見当たらない暗闇一色に塗りこめられた空間。

 響く足音が、この場所がそれなりに広い場所であることが分かる。

 栞さんの持つ懐中電灯では光量が足りないようで、辛うじて壁に空いているであろう穴がぼんやりと見える程度だ。

 

 手持ちの宝石に魔力を籠めて暗闇の中に放り投げると、それは空中で爆発的に光を発し、この地下室の全体を照らし出す。

 周囲が石造りの壁には規則的に穴が開いていて、昔どこかで見た事のあるカタコンベのようだった。

 そして私たちが立つ石畳の脇に階段があり、更に下へと続いていて………

 

「なによ…………これ…………」

 

 地下室の最下層に目を向けた私たちは絶句した。

 いや、絶句せざるを得なかった。

 人の持つ想念の闇を煮詰めた鍋の底には…………

 

 無数の蟲が蠢いていた。

 

「これは……なんと(おぞ)ましい……人の魂とは、ここまで悪性に染まるものなのですか………」

 

「正に百鬼夜行……平安の御代(みよ)の京でも、ここまで怖気(おぞけ)を震わせる光景は無かったでしょうね………」

 

 セイバーと栞さんが、口々に呟く。

 

「ここが間桐の…………マキリの修練場…………」

 

 戦慄と後悔と怒りが、一挙に全身を血液に変わって駆け巡り、目眩がした。

 これが修練場………。

 こんなものが修練場ですって?

 腐った水と、死臭と、有象無象の蠢く蟲しかない空間が?

 こんな所で何を学ぶって言うの?

 

 こんなもの…………

 

 こんなもの、ただ蟲を“飼育する”だけの場所じゃない!

 

 それと同じように、間桐の人間はこの蟲たちによって跡継ぎを仕込み、跡継ぎを鞭打ち、跡継ぎを飼育して、間桐の魔術を継承させていたと言う事なのね……。

 

 これは学習じゃなくて拷問だ。

 頭脳ではなく、肉体そのものに直接教え込み、術者を蟲たちの慰み物にすると言う愚鈍な魔術。

 それがマキリの継承方法であり、間桐の後継者に選ばれると言う事は、終わりのない責め苦を負わされると言う事。

 

 こんな所で、あの子は蟲たちに…………。

 

 叫び出したい衝動を、手持ちの宝石を全部ぶちまけて、この場を破壊しつくしたい衝動をぐっと堪え、拳を固く、固く握りしめた。

 

「遠坂さんとセイバーは、ここで待っていてください」

 

 いつでも撃てる状態にしていた銃のスライドを元に戻して懐に仕舞った栞さんが、脇にある階段を数段降りると、徐に無数の蟲が蠢く暗闇へとその身を躍らせた。

 

「ちょっと!栞さん!?」

 

 私が叫ぶのと、栞さんが着地するのはほぼ同時だった。

 そして、床一面にびっしりといたはずの蟲たちは、舞い降りた栞さんを避けるように放射状に逃げ散り、一時的に空白部分を作っていた。

 

「戻ってくださいシオリ!その蟲たちは、たとえ我々(サーヴァント)でも!」

 

 蟲の群れの中で佇む栞さんは、腰に回したウェストポーチから瓶を取り出すと、私たちを見上げてニコリと笑う。

 

 突如現れた異物にキィキィと不快な抗議の声を上げる蟲たちは、その異物を排除せんと栞さんに飛び掛かるように群がる。

 堪り兼ねたセイバーが救助に向かわんと手にしていた剣に風を纏わせたその瞬間、栞さんは飛び掛かる蟲たちを軽く飛んで躱し、一匹の蟲を掴み取りそれを瓶の中に入れた。

 

 瓶の中に無理矢理入れられた蟲は当然のように暴れていたけど、片手で印を結んだ栞さんがブツブツと呪文のようなものを唱えると、その蟲は眠ったように大人しくなった。

 

 後で栞さんから聞いた話だけど、忍者とその術は、その起源を修験者(しゅげんじゃ)、即ち修験道(しゅげんどう)に遡ると言う。

 そして修験道とは、神道や仏教、道教などを習合した宗教であり、道教の方術は陰陽道の源流に遡る事から、栞さんの扱う忍者の術と、その主である朝比奈の術は、いわば遠い親戚の様なもので、簡単な陰陽道の術を歴代のマスターから教わっていたと言う。

 

 慌てる素振りもなく蟲を封じた瓶を腰のウェストポーチに収めた栞さんではあったけど、突如その表情は厳しいものに変わり、背後の暗闇に右後ろ回し蹴りを放つ。

 

「人……?じゃない、あれは……」

 

 栞さんの回し蹴りを鈍い音を立てて食らい、反対側の壁まで飛ばされたモノは、人の形をしていた。

 再び銃を抜いた栞さんが、重く乾いた発砲音を立て続けに二つ響かせると、先程蹴り飛ばした人形(ひとがた)のモノの後頭部と背中が弾け飛び、壁にシミを作った。

 

 そのシミは血や臓器、脳漿などではなく、弾丸の運動エネルギーによってその身を引き千切られた蟲だった。

 この蟲蔵の隅で蟲の苗床或いは餌にされていた人間の残骸、その皮袋の中を蟲で満たした所謂生きた死体(リビングデッド)がその人形の正体だった。

 

 それは魔術を行使するために作られたものではない。

 間桐の工房に立ち入ったものに対する、どんな術式による罠よりも醜悪な一種の警備装置。

 工房の主たる間桐臓硯の嗜好の産物。

 その悍ましさに、吐き気を催す。

 

 栞さんの周りには数体の生きた死体が取り囲み、何体かがたどたどしい足取り或いは這いずりながら階段を登ってきている。

 

「栞さん!ここに臓硯がいないなら長居は無用よ!」

 

 叫ぶ私に応えるように頷き、生きた死体にそれぞれ二~三発の銃弾を撃ち込みつつ、八艘の船に跳び移ったと言う古代の武将宜しく蟲の海を跳び、階段の下に辿り着くとそこで弾倉を取り替え、階段を駆け上りながら私たちに迫る生きた死体を撃つ。

 

 階段を登る生きた死体を蹴り落とし、這いずり登る生きた死体を飛び越え、振り返って銃を構えた栞さんの目が驚愕に見開かれた。

 その生きた死体は、ボロボロながらも穂群原学園の制服を着ていた。

 女子生徒が一人行方不明になったと噂されていたけど、その女子生徒が今ここにいた。

 

「……ごめんね……市川さん…………」

 

 今にも泣きだしそうな程の悲しい目をしながら引き金を引くと、顎から上を吹き飛ばされた女子生徒はそのまま階段を転げ落ちていった。

 

 栞さんは学校で購買のお姉さんとして働いていて、訪れる生徒一人一人の顔と名前を憶えていた。

 その一人を、死して尚も蟲たちに穢され続けていたその女子生徒を彼女は撃った。

 肩を震わせる彼女の背中は、張り裂けんばかりの悲嘆と憤怒を内包しているであろうことは想像に難くない。

 

「………行きましょうか、遠坂さん、セイバー」

 

 銃を仕舞いながら言うその笑顔には、いつもの明るさは無く昏かった。

 

「栞さん、それって……火炎瓶?」

 

 彼女がウェストポーチから取り出した小瓶の口は、紙縒(こよ)りの代わりに術符が詰められていて、瓶の周りには幾重にも術符が貼り付けられていた。

 しかし、何らかの破壊工作の為に持ってきたであろうその小瓶は、この地下室を焼き尽くすには聊か以上に小さすぎる。

 

 片手で印を結んで呪文を唱えると、小瓶の口に詰められていた術符が燃えだし、それを地下室の中央に向けて放り投げる。

 すると小瓶が床に接するより前に空中で炸裂し、噴き出た炎の雨が地下室の床全体を覆う。

 

 その炎は赤い色ではなく、より温度の高い青白い炎。

 この地下室で間桐の、臓硯の魔術の犠牲になった人たちの尊厳がこれ以上穢されないよう、その身を灰になるまで焼き尽くし、犠牲者の霊をあの世へと送り届ける送り火のようにも見えた。

 

 臓硯の妄執の炎に焚べられた数多の命、その魂。

 その往く先に平穏があらんことを、立ち上る鎮魂の炎と共に、天上の国、或いは極楽浄土、各々の犠牲者が思い描いていた死後の安楽の世界へ、迷う事無く辿り着けるよう祈りを捧げ、改めて臓硯と黒い影を斃すことを誓った。




栞さんに撃たれた市川さんは、第三話「Lunch Time Rhapsody」で焼きそばパンをオーダーしていた市川さんです。

さて、FGOの元日福袋は英雄王を引きました。
「痴れ者が!(オレ)の出番があれだけとはどういう事だ雑種!!」
と、暗に言われているような気がしてなりませんでした……。

次回は朝比奈さんちの朝ごはんの予定です。

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