Fate/stay night 異聞 ~観察者白狐~ 作:Prometheus.jp
FGOも二部三章の終盤ぐらいまで進めていたので遅くなりました。
今回は入れ忘れていたエピソードに、オリジナル展開の要素を加えたお話です。
相変わらず長いですが、お付き合いください。
日中は穏やかに晴れて、
しかし地表に住む人々の営みは、緩やかに忍び寄る冷え込みと、ここ数日蔓延している不穏なムードを振り払うかのように、表面上は活気に満ちているかのようだった。
「そっか……今日は立春だったな………」
マウント深山商店街に夕飯の買い物に訪れた衛宮士郎は、江戸前屋の屋台に張り出されていた張り紙を見て、今日は二十四節気の一つ「立春」であることを思い出した。
旧暦、即ち太陰暦においては春の始まりとされ、万物が春の装いを新たにし、冬ごもりしていた虫が動き始め、水中に休止していた魚が氷を出てくる時期である。
「桜餅六個入り、一パックで三百円か……。うん、食後のお茶請けには丁度いいかもな」
江戸前屋の甘味は、上品な甘みと手頃な価格で老若男女問わず人気が高く「後で買おう」などと悠長な事を考えていたら売り切れていたと言う事は一度ならずあり、今回こそはその轍を踏むまいと「本日立春、春の訪れには桜餅」と言う手書きの宣伝文句に惹かれ、士郎は残り一パックになっていた桜餅を買うことにした。
今日の夕飯は何にしようか、と記憶の中にある冷蔵庫の中身と懐事情を照らし合わせて思考を巡らせる彼の視界の隅に、側溝蓋の隙間に車輪を取られて悪戦苦闘している、車いすに乗った若い女性の姿が目に映った。
「正義の味方」になる事を目標とする彼にとって、困っている人は男女を問わず手を差し伸べるべき存在であり、それは無意識領域に刻み込まれた義務とも言える行為であって、それ以外の選択肢は彼の中には存在しない。
「あの、手伝いましょうか?」
「
照れ笑いを浮かべながら、かなり抑揚のある独特な日本語の発音は、この女性が北京語圏の人物であると言う事が窺い知れたが、士郎は北京語と広東語の区別がつくほど語学に通じているわけでもなく、一様に「中国語」と認識した。
「この辺は段差も多いし、よかったら車いす押しましょうか?」
「……ハイ、アリガトウございまス!」
黒いくせ毛を湛えた頭を勢いよく下げ、丸い輪郭と低い鼻の周りに散る褐色のそばかす顔に浮かべる笑みは素朴で、士郎自身を含む、周囲の人々の気持ちをも丸くさせる効能があるようだった。
自分よりもいくらか年下なのだろうと推測した士郎は、彼女の背後に回って車いすをゆっくりと押し始める。
「日本には観光で?っても、この辺じゃあんまり観光するような所はないだろうけど……」
「
「え?」
「ワタシ、香蘭。
首を回し、肩越しにくりくりとした丸い目で士郎を見る香蘭の問いに、士郎はふと既視感を覚える。
「あ………俺は衛宮士郎さ」
「エミヤシロ?かわた名前ネ?」
士郎は今しがた覚えた既視感が何物であるか、香蘭が口にした感想ではっきりと、昨日のイリヤスフィールとのやり取りと全く同じだった事を思い出した。
「あ、いや、そうじゃなくて、衛宮は苗字で、士郎が名前だよ」
「ああ!シロウ!シロウネ!
それにしても、二日続けて年下の女の子に名前を褒められるなんてな………。
昨日同様、背中がむず痒くなる思いを抱きつつ、士郎は苦笑しながら心中で呟く。
「あーっ!シロウの
背後から謂れの無い非難の声を浴びせられた士郎は思わず肩を竦め、恐る恐る背後を振り返ると、そこにはぷりぷりと頬を膨らませ、形の良い眉を吊り上げるイリヤスフィールが、然も士郎の不貞行為を糾弾するかのように仁王立ちしていた。
「イ、イリヤ!?………いや、これは、その、そうじゃなくってだな……」
バーサーカーのマスターである彼女を目の前にして、士郎はセイバーを家に置いてきたことを一瞬後悔したものの、この少女にまた会えた喜びの方が勝っていたのだが、昨日の小さな願望が叶った事への快哉を叫ぶよりも先に、不義密通の現場を見咎められ、苦しい弁解をする浮気男のような立場を余儀なくされていた。
「シロウったら、こんなに無節操で女癖が悪かったの!?それともひと冬の
「よしなさい……何処でそんな言葉覚えたんだよ……」
イリヤスフィールの剣幕に辟易しながらも、傍から見れば、明らかに痴情の縺れによる修羅場の様相を呈している事には変わりなく、士郎はこの場を如何にして収めようかと苦慮しつつ、会話を外から眺めているだけだった香蘭にふと目を向けると、彼女はその丸い目をキラキラさせながらイリヤスフィールを見ていた。
「……
「え?な、なに?貴女………?」
香蘭の只ならぬ雰囲気に気圧されたのか、はたまた何かを感じ取ったのか、イリヤスフィールは怪訝な表情を浮かべつつ半歩下がるも時既に遅く、車いすに座っていた香蘭は、あろうことか車いすに座った姿勢から勢いよくイリヤスフィールに飛びついた。
「
勢いよく母国語で捲し立てる香蘭が何を言っているのか、士郎には全く理解できかねたが、イリヤスフィールの首に抱き着いて彼女の顔に頬ずりする香蘭の様は、宛ら飼い主に飛びついてじゃれる犬のように見える。
「シ、シロウゥ……た、助けてぇ……………」
ジタバタともがきながら助けを求めるイリヤスフィールの声に、香蘭の行動に呆然としていた士郎は我に返り、周囲の奇異を見る痛い視線に耐えつつ、ようやくの事でイリヤスフィールから香蘭を引きはがして車いすに乗せた。
「……まったく……いきなり飛びつくなんて、貴女、レディとしてはしたないんじゃないかしら?」
「えへへ………ゴメン、つい………」
飛びつかれた際に倒れたイリヤスフィールは、服に着いた土埃を叩き落としつつ、香蘭に非難の視線を向けるも、当の香蘭はそのような視線もどこ吹く風で、照れ笑いを浮かべるその笑顔に、イリヤスフィールもどことなく香蘭に憎めないモノを感じ、腹立たしい感情は彼女の内底へと沈んでいった。
「ははは………ごめんなイリヤ、この子は道香蘭さん。日本には観光……でいいのかな?」
香蘭の奇抜な行動に苦笑いを浮かべつつ、先程中断した問いを再び香蘭に投げかけた。
「ううん、観光違うヨ。哥哥……お兄ちゃんのお仕事で、いしょに日本来たヨ。……ところでアナタ!お名前は!?」
またしても飛びつくかのような勢い名を問う香蘭の様子に、次こそは捕まるまいと、半歩程、香蘭の
「……………イ、イリヤスフィール・フォン・アインツベルン……イリヤ……イリヤいいわ……!」
その生い立ち故、人付き合いが苦手なイリヤスフィールではあったが、香蘭の溢れんばかりの純粋な善性に圧されたのか、それとも香蘭の今の姿が
「イリヤちゃん………名前も
「ええそうよ、アインツベルンは歴史のある貴族なのよ………って、飛びつこうとするの止めなさい!」
香蘭に比べて明らかに年下であろうイリヤスフィールが、然も
士郎には、二人の様が姉妹のモノと言うよりも、幼い飼い主とやんちゃな飼い犬のそれのように見え、その光景に口元を緩めた。
「で、今日はどうしたんだイリヤ?またセラさんの目を盗んで来ちゃったのか?」
マスターは日中には闘わないとの制約を遵守しているイリヤスフィールが、夕方とは言え自分の前に現れた。
それは、とりもなおさずイリヤスフィールが、自分との闘いを今は望んでいないと言う意思表明であると感じ取った士郎は、あの白い使用人もいるのではと周囲に目を向けた。
「……………シロウとまた逢えたらな、って思って………」
躊躇いつつも、自身の心情を素直に吐露したイリヤスフィールに、士郎は素直に感動した。
昨日の去り際に、無邪気な笑顔のまま死の宣告を残していった彼女ではあるが、それでも自分とまた逢いたいと、彼女も同じく願っていた事に。
「シロウと話せるのは楽しいけど………」
そんなイリヤスフィールの淡い願いは、しかし彼女が望むほどには叶えられる事は無いと内心で肩を落とした。
その原因は、目の前にいる香蘭と言う名の少女である。
士郎とイリヤスフィールの繋がりは、つまるところ、互いに聖杯戦争のマスター同士であると言う、いずれは殺し合う事になる敵対者としての極々細い糸のような繋がりのみ。
そして魔術は秘匿が原則である以上、魔術師ではない香蘭を前にしての士郎との対話は、その細い糸がより断ち切れそうな程に細くなることを彼女は懸念していた。
しかし士郎にしてみれば、聖杯戦争云々を抜きにしてイリヤスフィールとの対話を快く思っている事は、彼女自身もその表情から薄々感じ取っており、その懸念は杞憂である事も頭では理解しているのだが、視界を遮る白い吹雪のように渦巻く感情が、それを見えなく、或いは無意識にそれを理解する事を拒んでいるかのようだった。
「お話!
そんなイリヤスフィールの心中を知ってか知らずか、香蘭は大きな目をキラキラさせていた。
「そう言えば、香蘭さんって日本語上手だよね」
「ウン!ワタシ、いつか色んな国イテみたいから、
英語の成績は平凡な士郎は、香蘭の語学の多彩さと、その旺盛な勉強意欲に度肝を抜かれ、何やら言いようのない敗北感と軽い自己嫌悪に苛まれた。
「い、いっぱい勉強してるんだねぇ………俺にはとてもそこまでは………」
「コツは、その国の人と、その国の言葉でお話しする事ヨ。だから、お話イパイしたい。イパイ勉強したい!…………イリヤちゃん………ワタシとお話、するの……イヤ………?」
イリヤスフィールの浮かべる暗い躊躇いの表情に、その心奧に在る思いに気付いたのか、拒絶されることを恐れているかのような香蘭の目を見て、イリヤスフィールは傍と気づいた。
ああ………この子は、私と同じだ………。
母は死に、父には切り捨てられ、冬の城に独り残された。
私は独り…………。
肉体と言う物質は自室に在ったが、心は
わたしはひとり…………。
言葉を交わすのは物言わぬ同類の集合無意識だけ。
ワタシハヒトリ…………。
世界に一人取り残されたように、
自分は聖杯戦争の為にのみ作られ、育てられた存在であり、それ以外はその為の道具、いや、自身すらその道具と言う事実を淡々と受け入れている彼女ではあるが、他方で独りになった時の得も言われぬ重圧を嫌悪し、また怯えていた。
ここで彼女を拒絶してしまっては、自分に孤独を押し付けた人々と同じになってしまう気がしたイリヤスフィールの心中には、畢竟一つの結論しか在り得ない。
「…………仕方がないわね!特別に同行を許可してあげるわ!コウエイに思ってよね!………だから飛びつこうとするの止めなさい!」
またもや感情のままに飛びつこうとするのを窘められて照れ笑いする香蘭と、二人のやり取りを微笑ましく眺めている士郎。
イリヤスフィールの生い立ちを知る筈もない二人の笑顔を前にして、彼女の心の中に渦巻く吹雪が心なしか弱まり、暗さこそ変わらないが、回雪へと転じていくようだった。
……やれやれ………仕方がないわね…………。
そう彼女は心中でため息をつきつつ、力なく笑った。
三人が訪れたのは、商店街から少し離れた小さな公園。
そこは昨日士郎とイリヤスフィールが、僅かな時間語り合った公園でもある。
時刻は既に夕方に差し掛かっているからなのか、それともこんな小さな公園はもう流行らないのか、そこで遊ぶ子供たちの姿も、談笑する主婦たちの姿もなく、ただ一人の少年と、二人の少女の影だけを、砂交じりの地面に落としているだけであった。
昨日同様、何を話せばいいものやらと士郎は思案していたが、話題を提供するのは専ら香蘭の方で、士郎は相槌を打つか、簡単な質問を返すかで済んでいた。
一方でイリヤスフィールはと言うと、香蘭や士郎の問いに軽く相槌は打つものの、心ここに在らずと言った様子で、この場の話題以外の何かを思案しているかのようだった。
「イリヤ?」
「うん?あ、いや、何でもないの………。ところでシロウ、それ何?昨日の“タイヤキ”って食べ物と違うようだけど?」
二人に考えている事を悟られまいと、イリヤスフィールは意図的に話題を変える。
「ワタシもソレ気になてたヨ、ソレは
「ああ、これは桜餅って言って、立春の時に食べると縁起がいいって言われてるお菓子なんだ」
先程江戸前屋の店員から聞いた話を受け売りしつつ、買い物袋から桜餅が入ったパックを取り出して、イリヤスフィールと香蘭に一つずつ手渡す。
立春の時に食される桜餅に代表される生菓子を「立春生菓子」と言い、立春の朝に作ってその日のうちに食べると縁起が良いとされており、食べると一年を無病息災で過ごせると言われている。
季節の変わり目に、その季節に
「へえ、変わったお菓子ね。まるでライスを固めたみたい。
初めて見る桜餅に興味が湧いたイリヤスフィールは、桜餅を回してみたり、下から覗き込んだりしていた。
確かに江戸前屋の桜餅は、もち米を原材料としている道明寺粉で作られた、所謂“関西の桜餅”であり、米に馴染みのない文化圏の生まれであるイリヤスフィールには、うるち米ともち米の区別などつく筈もなく、一括りに「米」と評するのも無理からぬ話である。
「まるで
元々立春などの二十四節気にまつわる風習は、中国より伝来したものであり、現代においても共通点は多い。節気の度に何かを食すると言う風習はその最たるものだ。
春餅は炒めた野菜や肉を、薄くクレープ状に焼いた生地に包んで食される料理であり、地域によっては春巻きを食するのだと言う。
また、八宝飯は立春ではなく旧正月に食される、もち米に甘い味付けをして蒸した点心の一種であり、かの「封神演義」の舞台となった殷王朝から周王朝に代わった時代に、功績のあった八士を祝す為に作られたのがその起源と言う説もある。
桜餅を頬張る二人の表情は、香蘭は元より、イリヤスフィールすらも、その甘味が心を柔らかくさせたようで、年齢相応の少女の無邪気な笑顔を浮かべていた。
その二人を見る士郎も、二人につられて頬を緩めている。
イリヤスフィールの様な無邪気な少女が、聖杯戦争のマスターだと言うのは悲しい事だ、と士郎は思っている。
出来る事であれば、彼女と闘う事はしたくないとさえ思っている。
それは同盟者である遠坂凛や、サーヴァントであるセイバーからすれば、甘い考えだと一笑に付されるのであろうが、それが士郎の偽らざる気持であった。
そして、偶然とはいえ今日知り合った香蘭と言う少女。
この人懐っこい彼女の笑顔を曇らせない為にも、一般人を巻き込むことを憚らない間桐臓硯のようなマスターの跳梁を許すわけにはいかない。
「己が正義とは何か、常に自身に問い続けろ。
学校の教師にして魔術師である、
己の正義とは何か?
士郎には、これこそ己が正義と言えるほどの確たるものはない。
だが…………
この穏やかな風景を守る為にも。
イリヤスフィールの様な無邪気な子が、凄惨な戦いの渦中に身を置かない為にも。
刹那的とはいえ、今は臓硯の行動を掣肘する事こそが、己が正義の一端と言えるのではないか。
士郎は改めて、この聖杯戦争において自分が闘う意義を見定めた。
「
突如三人に投げかけられた声の主にそれぞれ目を向けると、公園の入り口には一台の黒い高級車が停まっており、その前には士郎と同じ年頃か少し上ぐらいのラフな格好をした青年が一人立っていた。
「
香蘭に兄と呼ばれた青年はゆっくりと三人に歩み寄り、士郎とイリヤスフィールを見比べるとニコリと笑う。
「ボクは香蘭の兄で、
恭しく頭を下げる兄の香龍は、妹の香蘭に比べて、ネイティブと遜色がない流暢な日本語を話している。
「
周りの誰にも聞こえない程の小さな声で、イリヤスフィールがその名前を静かに口にする。
嬉々として兄に何やら報告している香蘭を相手に、香龍はにこやかに応じ、優しくその頭を撫でているが、その兄妹仲睦まじい光景すら、彼の心の奥底では何某かの
「はは、香龍さんと香蘭って、兄妹仲いいんだな」
呑気に、そして微笑みながら二人の様子を評する士郎に、イリヤスフィールは呆れ、そして弱いだけではなく無知な彼に少々腹が立った。
「それではお二人共、今日はもう遅いのでこれにて失礼します」
「
「
「そうね、私もそろそろ帰らなきゃいけないから、香蘭もお兄さんの言う事を聞いて、今日はもう帰りなさい」
士郎には二人の会話の内容を窺い知る事は出来なかったが、一方で、理解できたであろうイリヤスフィールは、にべもなく香蘭に帰宅を促した。
「
「………そ、そうね………また逢えるようだったら…………今度はゆっくりと……ね………」
香蘭から視線を外し、少々頬を赤らめつつイリヤスフィールは応えた。
その彼女の表情に、香蘭はまたもや感極まって飛びつこうとするも、またもやイリヤスフィールに窘められて照れ笑いを浮かべている。
イリヤにも、友達が出来たかな………?
そんな二人のやり取りを、士郎は微笑みながら眺めていた。
イリヤスフィールには、聖杯戦争のマスターと言う立場よりも、こうやって歳の近い友達と無邪気に笑い合う姿こそが相応しい、と士郎はそう思った。
「それじゃあ、シロウ、イリヤちゃん
腕がもげるのではないかと心配になる程に大きく手を振り、兄の香龍に車いすを押されて行く香蘭を、公園に残された二人は手を振りながら並び立ち、待たせていた車が視界から消えるまで見送った。
僅かな静寂が二人の間で流れるも、公園の隅に設置されたスピーカーから流れる時報によって破られる。
「私、そろそろ行かないと………シロウも家に帰るの?」
「ん?ああ、そろそろ帰らないとまずいかな」
「そう…………」
士郎と並び立っていたイリヤスフィールは、数歩前に歩くと徐に振り返る。
「シロウ、一つだけ忠告しておいてあげる。貴方もマスターなら、敵は
士郎にはその忠告の意図を理解出来ずにただ呆然と呻くだけだったが、イリヤスフィールの真剣な目が、重要な、そしてただならぬ事態が忍び寄っているであろうことを言外に告げている事だけは理解できた。
「………それと、ホントはこんな事言っちゃダメなんだけど………シロウは、明日も会いに来てくれる?」
イリヤスフィールの問いに、士郎は心が躍る思いになる。
そして彼の心中には、その問いに対する答えは一つしか存在しなかった。
「ああ、明日も来るよ。俺もイリヤともっと話をして、イリヤの事を知りたいからな」
「…………うん!」
士郎の腹蔵無い答えに、イリヤスフィールもまた屈託の無い無邪気な笑顔を彼に返す。
「それじゃあ約束!明日は絶対、私から話しかけるからね!」
くるくると踊るように、その銀髪を僅かばかりの夕焼け色に染めながら、イリヤスフィールは士郎の元から去っていった。
またあの少女との邂逅を果たせると言う喜び以外、公園に独り残された士郎の胸に到来するものは無かった。
「………さて………帰るか………っと、まだ夕飯の買い物してなかったんだっけ………」
本来の目的が、この快い時間によって忘却の引き出しの奥に仕舞われていた事を思い出すが、それでも彼には悔いるものは無かった。
そしてこの寄り道の副産物として、スーパーの夕方セールが丁度始まる頃であった事も、細やかな幸せの一つだった。
夕闇が街を侵食し、日毎夜毎に蔓延する不穏な空気が、今日も街に、人心に吹き込もうとしている頃、一台の黒いマイバッハが、その空気を吹き払うかのように疾走していた。
オーダーメイドで様々な装備が可能である内装は、華美や豪奢とは正反対の質素なモノトーンでありながらも、上質かつ上品な素材を用いられており、所有者の質実な気風を物語っているかのようでもあった。
「香蘭、あの二人は、マスターだね?」
後部座席に座る道香龍が、同じく並んで座る妹の香蘭に静かに問う。
その問いに含む感情は、詰問でも叱責でもなく、真実、
香蘭自身も兄の問いの意図を理解していたが、優しい兄の往こうとしている道の途中に存在する二人の顔が脳裏に浮かび、心中に萌芽した感情が憂いを掻き立て、兄の問いに躊躇いを含んだ返答しか出来なかった。
「いいかい香蘭、僕たちの目的は、この聖杯戦争で聖杯を得る事なんだ。そうすれば、香蘭の足だって治せる。だけど、あの二人が僕たちの敵になる事があるのなら………」
「でもお兄ちゃん!シロウもイリヤちゃんも私の……!」
解っている。
解っていた。
あの二人が、自分たち兄妹の至らんとする道に立ちはだかる障壁であるのなら、それを除かなくてはいけない。
しかし、異郷の地で出会った二人の少年少女の人となりを思い、ほんの僅かではあっても共有した心地よい時間を思い出すと、元々善良かつ温和な彼女は、目的の為に非情になりきる事が出来ないでいた。
「そもそもマスター同士と言うのは、殺し合って、聖杯を奪い合うものなんだ。あの二人がいつまでもあんな風に仲良くやっていられるわけがない。いつかはあの二人の関係は破綻するさ」
兄の言う事は間違ってはいない。
いくらあの二人と心地よい時間を過ごそうとも、命のやり取りをする敵同士である本質は変わりない。
しかし、あの二人の奥底にあるものは、そのような論理的、合理的な
たとえそれが「そうである事を願っている」としても。
「先ずはサーヴァントだ。マスターから令呪を奪い取って、僕がマスターになる………!」
前かがみの姿勢になって両手を口の前で組み、呟くように香龍が言葉を発する。
そう、聖杯戦争に参加するには、令呪と使い魔となるサーヴァントが必須になる。
聖杯戦争が始まる前に来日していた香龍たち兄妹ではあったが、聖杯は彼らをマスターとしては選ばなかった。
マスターから令呪を奪い取ることで、新たにマスターになる事が出来る。
勿論それは正規の方法ではなく、言わばルールの抜け道。
正邪を問わず、聖杯は相応しき者の手に委ねられる事を望んでいる。
それが、懇意にしている神父の言であり、その神父は今回の聖杯戦争の監督役である。
監督役と参加者の不公正な繫がり。
他者から見れば、誹議するに値する関係。
だが、結果として聖杯を得られるのであれば、常人の価値観であれば不公正と断ずるような事でも、容認するのが魔術師と言う者達の在り様である。
「………お兄ちゃん………」
「なんだい?」
我知らず拳を握り締め、俯き加減に問いかける香蘭に対し、前屈みのまま妹の顔を覗き込むように香龍が答える。
「もしも………もしも、マスターからサーヴァントを奪い取ったら、そのマスターは殺さないでいてくれる?」
兄の決意の程を知る彼女自身、詮無い問いである事は理解している。
それでも、短時間のうちに気心が通じる間柄となった人たちを蹂躙して、自分たちの目的を達成するなど彼女に出来る筈もなく、一縷の望みに縋るより他なかった。
「………ああ、必要なのはサーヴァントであって、マスターには用はないよ。サーヴァントを奪われた後も大人しくしていてくれるなら、そのマスターを殺す必要なんてない」
香龍もそんな妹の思いを汲み取ったのか、それともマスターの生殺与奪に興味が無いのか、条件付きではあるが、令呪を奪った後のマスターの命は取らない事を明言した。
兄の答えに感極まる香蘭ではあったが、その兄の形相を見た瞬間、心の中を震え慄く様な感情が走り、恐怖と驚愕に表情が引き攣った。
「そうさ………聖杯さえあれば………香蘭の身体をこんなにして、母さんを無残に殺した
普段、香蘭には優しい兄ではあるが、激しい憤怒と怨嗟に顔を歪ませ、組んだ手は自らの手で砕かんばかりに震わせ、全身から復讐の炎を迸らせているかのようだった。
この兄妹が、何故聖杯を得ようとしているのか、何故自らの家への報復を画策しているのか。
その一端は朧気になりつつあるも、その全貌をまだ語るべき時ではない。
多種多様な潮流が幾十条ともなく白い牙の様な荒波を立てている奥底で、また別の潮流がうねりを上げ、混沌の度合いをより一層深めようとしている。
時候は春を迎えつつあるが、聖杯戦争と言う暗い真冬の海は、未だに凪ぐ様子を見せなかった。
今回の中国語はGoogle翻訳ですので、ネイティブの方から見れば間違いだらけの可能性が非常に高いです……(-_-;)
(昔いた職場の中国人の同僚が、Web翻訳を「日本語が分かる人の中国語だ」と評していましたし)
もう間もなく平成も終わろうとしている今日この頃、これが平成最後の投稿になるか、もう一本短い話を投稿できるか……。
とは言え、今日から復刻版グダグダ聖杯奇譚が始まるので、果たして筆が進むかどうか………(-_-;)
さて、次回は……
・爺さんとハサン先生
・士郎がアレをしたら許せませんか?
・栞さんの入浴シーン
・栞さんのお墓参り
・士郎がアレしてエライ事になる
以上の予定です。