Fate/stay night 異聞 ~観察者白狐~   作:Prometheus.jp

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前回投稿以降、多くのお気に入り登録ありがとうございます!

FGOもいよいよ二部第四章が実装となりますね。
先日、第三章をクリアしたので、今後クリア条件のあるイベントが実装されても参戦できるようになりました。

さて今回は、前回とは異なりオリキャラしか出てきません。

……と、断言してしまうと、一体どれだけお気に入り登録が減るのか不安ではありますが……(-ω-;)

では、今回も長いですがお付き合いください。


#035 I'll be with you.

 頭から浴びる熱いシャワーが白い湯気を立て、霧雨のように視界を朧にする。

 体の曲線をシャワーと共に伝い落ちるのは、表面に浮かび上がった汗だけで、鼻孔の奥に居座る腐臭と、鬱々とした気分は、僅かばかりも流れ落ちて行ってはくれなかった。

 

 私は、()()()()()()()()………。

 

 壁に凭れるように衝いた両手を握り込み、片手で壁を叩く音が浴室に響く。

 

 解っている。

 

 解っていた。

 

 いくらこの身が、座に据えられた英霊の幻想を具現する者、サーヴァントと呼ばれる人外の力を持つ者であろうとも、その手は無限ではなく有限。

 

 主を守り、主命に応じるのが、この身に課せられた至上の使命であればこそ、それ以外の命を、主を差し置いて守る事などもっての外である。

 

 頭ではそう理解している…………。

 

 頭ではそう理解していた…………。

 

 だけど…………

 

 感情は全く逆の方向を指向していた………。

 

 乱世の時代とは異なり、奪われる事無く、奪う事無く、穏やかに、つぼみが大きくなり、やがて実となって大きく色づき、いつの日か鳥と共に羽ばたき、新たな命を繋げる種子を大地に根付かせ、やがて朽ちて往くその日、その道程の最中、青春の日々を謳歌する多くの少年少女たちの姿を「今日は山で木通(アケビ)が獲れた」とか「岩魚を獲ろうとしたら川に落っこちた」とか、その日に起きた事を嬉々として語って来た、在りし日の郷の子供たちの姿といつしか重ね合わせていた。

 

 守りたい、この子たちを………。

 今度こそ…………。

 

 マスターの守護と、自身の道楽の費えを賄う為にと始めた学園の購買部での仕事は、いつしか命と共に置いて来た筈の、主家の子供たちを見守ってきた時とはまた別のベクトルの感情を萌芽させる苗床となっていた。

 

 しかし……………。

 

 噛みしめた唇から血が流れる。

 

 また理不尽に奪われた………。

 

 世界を見渡せば、今以上に理不尽に未来を奪われる人は数多くいる。

 むしろ自分の周りの、極小の芥子粒が如き範囲の外は須らくそうであるかもしれない。

 だからこそ、自分の目に映る範囲だけでも、自分の手が届く範囲だけでも守りたかった。

 

 幾度となく壁を叩く。

 

 ……………赦さない……………

 

 悔恨は、そして容易く憎悪へと変転してゆく。

 

 間桐臓硯(まとう ぞうけん)………お前は…………赦さない…………!

 

 お前は私がこの手で殺す……………!

 

 泣き喚いて助命を懇願しようとも、その顔の皺の一本一本を切り刻んでやる。

 お前の身に杭を打ち付け、生きたまま標本のようにはりつけてやる。

 斬って、裂いて、叩いて、折って、磨り潰して、(ゴミ)と混ぜ合わせて灰になるまで焼き尽くしてやる。

 お前になど、一切の尊厳も、一切の誉れも、一切の慈悲も、一素粒子すら享受する資格はない。

 お前が奪ったように、それ以上の暴虐、没義道(もぎどう)を以て、お前から一切を奪い去ってやる。

 

 およそ酸鼻を極める思考と共に、フラッシュバックされた生前の記憶と、今とをごちゃ混ぜにした黒い感情が、内側から止めど無く湧き上がってくる。

 

 

 

 一人の覇者の誕生によって、群雄割拠は収束へと向かおうとしていた時代。

 政戦両略において、類稀なる才を発揮した歴史に名高きかの覇者は、その覇道の道半ばにおいて、恭順を拒んだ私たち伊賀の衆を“まつろわぬ民”或いは“人外の化生”と断じ、先祖伝来の土地を万余の兵を以て蹂躙した。

 

 抵抗空しく、進退窮まった忍びの多くは、全滅を前に逃散したが、長である私は、多くの郷の者を逃がす為に奔走した。

 しかし覇者の軍勢は、無慈悲に、無遠慮に、理不尽に、女も子供も分け隔てなく斬り殺し、射殺し、刺し殺し、撃ち殺し、焼き殺し、踏み殺し、郷の土も草も、川さえも紅く染まった。

 

 それでも砦に籠って抵抗を続け、覇者の首級を挙げなんと打って出るも衆寡敵せず、その刃は遠く及ばず、数多の矢を、数多の槍をその身に受け、膾のように切り刻まれ、この身が女であることが知れるや、衣服を剥ぎ取られ、精神が高揚し獣のように猛り狂った下級の兵卒たちに死して尚も凌辱され、首を落とされ、血と(はらわた)と男たちの精液に満たされた腹を裂かれ、骸は木に逆さ吊りにされた。

 

 取り立てて、英雄豪傑として名を遺したわけでもない私が“英霊の座”に招かれたのは、即ち“反英雄”としての側面。

 それは間違いなく、死後に英霊の座に招かれたであろう、かの覇者の逸話の中において討伐された、化生の眷属の長として。

 

 郷の者たちを惨殺され、醜悪な欲望と賊心に凌辱され、怨念と憤怒と憎悪で、死後の魂を染め上げた復讐者(アヴェンジャー)

 それがこの私、百地三太夫丹波(ももち さんだゆう たんば)の、英霊としての、その分枝たるサーヴァントとしての本質。

 

 いいだろう……………。

 

 臓硯、お前がかの覇者の如く奪う者であるのなら、たとえ要らぬと捨てた聖杯への願いを再び拾い上げる事になろうとも、たとえ復讐の悪鬼と成り果ててマスターに…………

 

 突如、リビングの電話が鳴り、我に返る。

 

 感情的な思考が危険な方向を指向し、引き返す事が能わぬ領域にあと半歩程で踏み入ろうとした刹那、まるでそれを引き留めるかのように、シャワーの音にかき消される事も無く、着信音は耳元に在るかのような音量で私の耳に届いた。

 

「……はい、朝比奈です」

 

「栞さん?龍徳だけど、()()居る?」

 

 バスタオルを巻いて濡髪のまま電話に出ると、受話器の向こうから聞こえてきたのは、マスターの声色にも似た男性の声だった。

 

 電話の主の名は朝比奈龍徳(あさひな りゅうとく)。マスターの四歳下の異母弟であり、冬木旭奈会(きょくないかい)病院の非常勤医師にして、次期朝比奈家宗主候補として、先々代の宗主の下で修業を積んでいる少年の父親である。

 

「どうしました?マスターなら、まだお帰りになっていませんけど………」

 

 間桐邸での捜索の後、入手した臓硯の蟲と、いくつかの魔術書を収めた写真を彼に手渡し、その解析を依頼していた。

 魔術師として、陰陽師としての彼は、平凡かそれ以下のレベルではあるが、西洋魔術に造詣が深く、こと分析や解析においては、一門の中でも秀でた才を有していると評されている。

 

「ああ、切嗣さんの息子の所だっけ?遠坂の当主も()()()()()()()っていう」

 

 正直な話、彼はマスターと遠坂さんとの密約を快く思っていない。

 それこそ、聖杯戦争の混乱に乗じて冬木の地を乗っ取ってしまえばいい、とマスターに進言したのは、他ならぬ彼だ。

 しかし、魔術協会との間に不要な軋轢を生むだけではなく、信義にもとる下策として、マスターが排したと言う事は、先日遠坂さんに語った通りである。

 

 異母弟の提言を排したからと言って、この兄弟が不仲であると言う訳ではない。むしろ仲は良い。

 弟として宗主である兄を善く支え、次期宗主候補の父という立場になろうとも驕る事無く、自身の研鑽と、一門の繁栄に尽力してきた。

 マスター自身も彼に厚い信頼を寄せて常に重く用い、それは肉親の情だけに因るものではないと言う事を、一門の誰もが知るところである。

 

「ええ。それで、どうされました?もしかして、もう解析が終わったんですか?」

 

 いくら彼が特筆すべき才を発揮しているとしても、彼に解析を依頼してから未だ二時間と経っていなく、数百枚に及ぶ写真の全てを解析し終えたとは考えにくい。

 

「まさか、昼飯ついでに数枚拾い読みした程度なんだけどね。それでも、いきなり当たりを引いたみたいでさ、取り急ぎ兄貴の耳に入れておこうかと思ったんだけど………栞さん、兄貴に伝えておいてくれるかい?夜になったら、またぞろ救急の応援で、電話なんて出来そうに無いだろうから」

 

 連日、臓硯の手によって引き起こされている新都の()()()()()()に対し、私たちには有効な対応策が今は無く、今夜も起きるであろうその騒動に、表向きは非常勤の医師である彼も、搬送された患者の処置に、毎夜忙殺されている。

 

 だが、有効な対応策が無いわけではない。むしろ()()()()()()()()()()()

 その手段がある事を知っていながらも、マスターが頑として忌避しているに過ぎない。

 魔術師として、一門の宗主として、マスターはあまりにも甘すぎると謗られるであろうが、その甘さこそ、マスターの心の支柱の一つであることを、私も彼も知っている。

 

 マスターは捨てたくないだけなのだ。

 その手から零れ落ちようとしている命を、どうにかして手を伸ばして受け止めようと懸命に足掻いている。

 

 何よりも大切と思った人たちを、最愛の人を、救いたいと思っても救えずに喪い続け、生きてきたから…………。

 

「栞さん?」

 

「ああ、ごめんなさい。少しぼうっとしてました。それで、何が解ったんですか?」

 

「十年前の聖杯戦争の後、マキリの爺さんが聖杯の欠片を拾っていったのは覚えてるよね?」

 

 十年前のあの日、空に突如現れた黒い太陽のような物から溢れ出した泥は、灼熱の呪いとなって夜の街を焼き尽くし、五百余名の命と、百棟以上の家屋が灰燼に帰した。

 冬木市史にこれからも連綿と語り継がれ、綴られるであろう未曽有の大災害、尽未来際(じんみらいざい)に至るまで続くと思われた死の宴の中で、その姿を見た。

 

 今と変わらぬ枯れ木の如き老爺の姿。

 建物の屋上からその様を睥睨する、間桐臓硯の枯れ枝の如き掌中にある黄金色の金属片。

 それは、切嗣氏の令呪によって、宝具を開帳したセイバーに破壊された聖杯の破片だった。

 

「どうやらあの爺さんは、欠片から器の模造品を作ったようなんだ」

 

「あの()()()()ですか?」

 

 願望機である“万能の釜”は、それ単体では実体を持ち合わせていない霊的存在であり、それを“聖杯”として完成させる為には、依り代となるべき“聖杯の器”に降霊させる必要がある。

 そして、その器を用意するのが、始まりの御三家の一角であるアインツベルンであり、聖杯戦争の開始以来、代々請け負ってきたというのが、マスターが亡き切嗣氏から得た情報だ。

 

「そう、その“器の模造品”を、どうやら生きている人間、恐らく、()()の魔術回路に埋め込んだみたいなんだ」

 

 アインツベルン製の器ともなれば、その鋳造過程において、ホムンクルスの生成技術が用いられているであろう事は想像に難くなく、自然の嬰児(みどりご)に最も近いとされるアインツベルンの技術ならば、条件次第では、魔術回路を有した人間と適合する場合がある。

 

「………確かに、出来なくはないですね……………」

 

 ()()()()()()()()()できる。

 その数少ない成功例を、私はこの目で見てきた。

 その後に起きた悲劇も………………。

 

「この先は、これから調べてみてからの話になるんだけど、()()に聖杯の器が埋め込まれていて、万が一にでも器としての機能が働いているとしたら、どういう影響を及ぼすか正直想像もつかない。だから……………場合によっては()()を…………」

 

 最後の句を言い淀む彼の言わんとしていることは分かる。

 

 一門は宗主の私物に非ず。宗主の命令に違背する事になろうとも、一門の為、一門の拠って立つところの為、自身は全霊を以て宗主を諫め、私に暗殺者(アサシン)のサーヴァントとしての()()()()()に立ち返るべきだ、と。

 

 そういった点では、彼はマスターよりも()()()()()()と言えるだろう。

 しかし、それをはっきりと口に出して言えない辺りが、マスターと同じく()()()()()()()()とも言える。

 

「ええ、分かりました。では、引き続き、解析の方をお願いします」

 

「ああ、なるべく最優先で調べるよ………でさ………栞さん…………」

 

 終話ボタンに指をかけて会話を終了しようとしたところ、何やら言いにくそうに次の句を繋ごうとしていた。

 マスターと同世代の親類の中で、最年少の部類に入る彼は、それを意識してか、親類の中に在っては、誰よりも大人びた言動をとることが多かった。

 しかし彼の口調は、宛ら悪戯を咎められた後に、恐る恐る親の機嫌を窺っている幼子(おさなご)のようでもあった。

 

「その…………兄貴が()()栞さんを心配させちゃったりした…………のかな?ほら、先日も槍兵(ランサー)のサーヴァントとやり合って、栞さんを凄く心配させちゃったでしょ、あの兄貴(バカ)

 

 実兄を()()呼ばわりする彼も、先日の槍兵(ランサー)戦の報に接した際に、冷静な彼には珍しく、殴り掛からんばかりの勢いで声を荒げ、実兄を叱責していた。

 救命の為とはいえども、宗主の身でありながら一人で無茶な戦闘を行い、危うく命を喪いかけた事もそうだが、私の心胆を大いに寒からしめた事に対しても憤激していた。

 

「今日の栞さん、なんか滅茶苦茶怒ってるようだったからさ………また兄貴がなんかやらかしたのかと思って………」

 

 マスターの奔放な行動には肝を冷やす事はしばしばあり、対面で諫言はしても、表には出さないように心掛けていたのだが、彼は知らずの内にその憂慮を酌みとってマスターに不平を鳴らす事は少なからずあり、過日の槍兵(ランサー)戦の事もあってか、私が()()マスターの行動に因って心をすり減らしている、と彼が誤解するのも致し方ない事である。

 

「栞さんは「それがサーヴァントの役目」って言って一人で抱え込んじゃうかもだけど、僕も、カミさんも、美彌ねえたちだって、栞さんの愚痴を聞いてあげられるぐらいには成長してるつもりだよ」

 

 電話越しでもわかる程の真剣な面持ちの彼の言に、ホロホロと、心奧に張り付いていた何かが剥がれ落ちてゆく様な気がした。

 

 かつて、子供たちの些細な喧嘩の末、山に独りで入って行方不明になった幼子がいた。

 

 狼狽える生母や、彼が一人で山に入る切っ掛けを作ってしまい、それによって生じた結果に、自責の念で泣きじゃくる少女たちを、自身の憂いを隠しながらも何とか宥めた後に、迷い子の姿を捜し求め山へ入った。

 

 しかして幼子は、沢を流れる川のほとりに転がる岩の傍で蹲っていた。

 

 曰く、喧嘩の中で、意気地が無い、度胸が無い、男のくせに肝が小さい等と、従姉たちに散々言われ、男子の矜持を見せつけんと、一人で山頂にある社に祀られた御神体の一つを持って帰ってくると宣言し、一人で山に入っていった、と。

 

 しかし、社への道は幼子には長く厳しく、慣れぬ山道を勘だけで近道しようとしたら、やがて自分が何処にいるのかさえも分からなくなってしまい、終いには帰る(すべ)を見失い、暗闇の岩陰で孤独に打ちひしがれて泣き腫らしていたという。

 

 背負われながらも、未だ泣き止まぬ幼子は、私の身体の至る所に擦り傷がある事に気付く。

 サーヴァントたるこの身は、木の枝で引っ掻けた程度の傷など、負傷と呼ぶに値しない。

 ましてや、呪いが付加されているわけでもないので、人間のように傷が(もと)で感染症になる事も無い。

 

 しかし、幼子にはまだそのような理屈は分かる筈も無く、鼻を啜りながらも「僕が弱いせいで、心配かけてごめんなさい」とか「強くなるから、そしたら栞ちゃんも守って見せるから」と涙ながらに吐露した。

 

 子供のうちは守られていれば良い。

 焦らずに、少しずつ強くなれば良い。

 私はサーヴァント。

 英霊の分枝にして、幻想の力を行使する影法師。

 十分に自分を守る事は出来ますが、いつの日か強く、大きくなった貴方の姿を期待させてください。

 その時は、自分が守るべきと思った人の為、自分が守ろうと決めた人の為に、その力を揮ってください。

 それが私の為でなくても構いません。

 貴方がそう思える大切な人と出会う事が出来れば、この身に負った傷も報われます。

 

 そう幼子を諭しつつ、だからこそ今は、この子たちを守らねばと改めて誓い、見上げた星空には、私たちを見守るように、北極星が一際明るく輝いていた。

 

 時は幾星霜と流れ、幼子は長じ、今は一人の親として小さな命を育んでいる。

 それが今の彼であり、私が守らねばと誓ったかつての幼子が、今は私の心をも守ろうと赤心を吐露している。

 

 心奧に張り付いていた何かが、より一層剥がれ落ちてゆくのが分かる。

 

 私は今、かつての幼子に守られようとしている。

 

 それは嬉しくもあり…………

 ほんの少し、寂しくもあった……………。

 

「…………ダメですね私、()()()にまで心配されちゃうなんて」

 

「あぁ、()()()は止めて、栞さん。僕はもう三十過ぎのお父さんなんだから」

 

「ふふ、いくつになっても龍くんは龍くんですよ。おねしょして泣いてた時も、お父さんになっても、皺くちゃのお爺ちゃんになっても、ね?」

 

「もう、栞さんったら………」

 

 受話器の向こうから呆れた様な、諦めた様な溜息が漏れ出ている。

 彼やマスターを始め、同世代の子供たちは本当に大きくなった。

 生前、終ぞ子を成す事は無かったが、私たち姉弟が長じた姿を見て、あの時の母も、きっと同じような感慨を抱いただろう…………。

 

 母上、私の子供たちは、こんなにも大きくなりましたよ………。

 

 天井を仰ぎ見て、女の身で苦難の路を選び歩んだ私を、陰日向に助けてくれた、厳しくも優しい母の面影にそう心中で報告した。

 

「………ごめんなさいね………今日は………ちょっと悲しい事があってね…………」

 

 このような気鬱な様は、今まで“報告”としてマスターに告げる事はあったが、それ以外には、やはり我が子のように見守って来たと言う些かながらの矜持の手前、彼らに心配をかけさせまいと、悩み事などを打ち明ける事は憚られた。

 しかし、ここで初めて、間桐邸での潜入調査において、一人の生徒が臓硯の手によって無残な最期を遂げさせられていた事を話した。

 

「…………ああ、あの爺さん、やってくれたな…………」

 

 電話の向こうで嘆息する声が漏れる。

 それは、死者を悼むものであると同時に、マスターと私(わたしたち)の逆鱗に触れる凶行に及んだ間桐臓硯の末路を想像したものだろう。

 

「確かあの爺さん、ご丁寧に戸籍なんてあった筈だから、()()()()は僕と美彌ねえでやっておくよ」

 

 間桐臓硯が秘術を用いて五百年に渡り生き永らえている事は、()()()()では有名な話である。

 しかし、表向きは一般人としての擬装を施している以上、行方不明や()()()という結末は、予期せぬ不都合が生じる可能性があり、()()()()()()()()()()()()()で処理しておかなければならない。

 

「でも………栞さんも無理はしないで。危なくなったら、兄貴が何と言おうが、必ず二人で帰ってきて。僕も、カミさんも、息子だって、そう望んでる」

 

「………ありがとう…………龍くんもあまり無理しないでくださいね。ところで、ちゃんとご飯食べてます?巴恵(ともえ)ちゃんがいないからって、コンビニのお弁当だけで済ませたりしてないですか?今度、お弁当作って持っていきましょうか?」

 

「はは、病院の食堂でちゃんと食べてるよ。まあ、カミさんの手料理に比べたらアレだけどさ」

 

「はいはい、ご馳走様。ふふふふふふふふふ」

 

「ははは………良かった、いつもの栞さんに戻ったみたいだ」

 

 安堵に胸を撫で下ろす彼の声を聞き、どれほど自分が殺気立っていたのかと、忸怩たる思いを抱く。

 世人に紛れて忍び入る折に不自然にならぬよう、たとえ傷を負っても如何にして生還するかを見極めるよう、忍びとは常に心を平静に保つことを求められる。

 だと言うのに、忍びの本分を失念し心乱してしまっていたとは………。

 

「栞さんは優しいからね、忍者らしくないって言われたって構う事は無いさ。少なくても、その優しさに兄貴は()()()()()()んだから」

 

 彼は本当に心を酌みとる事に、そして寄り添う事に長けている。

 “心なき化生”と揶揄される事もあった私たち伊賀の忍びではあるが、彼のように自然と、赤心を推して人の腹中に置く人物の前では、胸襟を開いて語り合う事も吝かではない。

 

「魔術師らしくないマスターに、忍者らしくないサーヴァントですか?ふふふ、お似合いの組み合わせですね」

 

「でも兄貴には、もうちょっと魔術師らしくって言うか、宗主としての自覚は持って欲しいけどね」

 

 互いにこの場に居ない人物(マスター)への軽口を叩き合い、互いに笑って電話を切った。

 

「…………………」

 

 受話器を置いた後、室内が静寂に包まれ、自身の身を抱くように二の腕を握り締める。

 

 私は愚かだ…………。

 

 激情に流されるあまり、危うく今世で得た大切な物を手放してしまうところだった………。

 一度(ひとたび)激情の波が、理性の堰を超えてしまったが最後、濁流の如き暴威を揮い、マスターに取り鎮められたことが幾度あった事か。

 

 マスターの仮の姿である「心臓喰いの白狐(White Fox the Heart Eater)」に封印指定が発令され、封印指定執行者までもが、その首を狙わんと眼前に現れるようになったのも、責任の一端は私に在ったのだが、その事をマスターが責める事は無かった。

 

 私はいつしかマスターに甘えてしまっていた。

 悪い癖だと自覚し、恥じ入りさえしていたのに、それを時には笑い、時には呆れながらも許すマスターの寛容に。

 

 その甘えは、いつかマスターを窮地に追い込んでしまうかもしれない。

 現界して百三十年余り、生前の数倍にも及ぶ時間を生きてきたくせに、何の進歩もしていないとは情けない限りだ。

 

 ふと、姿見に映る自身の裸身が視界に入る。

 老いることなく、形を崩すことなく、妙齢の頃の姿を保ち続ける仮初めの肉体は、幾年月を経ようとも、そしてこれからも、マスターと契約し続ける限り不変である。

 今世で結んだ(えにし)有る人々を見送り続ける苦痛と言う代償と引き換えに。

 

 今まで代々のマスターの最期を幾度となく看取ってきたが、最も深く愛した当代の末期を、果たして私は受け止めきれるだろうか。

 それが自身の愚かさに端を発するものであれば尚の事、悔いて落涙する日々を過ごすか、八百比丘尼宜しく世を儚んで入寂するか………。

 

 思考がまた負の方向へと流れてしまう事を自覚した私は、一旦思考を切り替えるべく、牛乳を飲んで落ち着こうと冷蔵庫のドアを開けると、冷気と共に流れ出てきた苺の甘い香りが鼻腔をくすぐる。

 それは、朝にはそこに無かったはずの「Pâtisserie Mille Grâce」と赤い文字が印刷された、白い紙の箱の中から漏れ出てきたものからだった。

 

「……………もう………()()()ったら…………」

 

 心奧に未だ滞留していた蟠りが、涙と共に流れ出てゆく。

 

 それを冷蔵庫に入れたのは、他ならぬマスターだ。

 間桐邸での潜入調査において、一人の女子生徒の変わり果てた姿を見た私の心痛を慮って買ってきたに違いない。

 

「サーヴァントとは、魔術師が扱う道具の一つです。ですから、常人(つねびと)のように情けをかけていただくのは大変嬉しいのですが、(ほだ)されて、大事を見誤る事無きよう。万が一の時は、捨て駒にしていただいても一切御恨み申しません」

 

 以前、私を庇って深手を負ったマスターに、感謝しつつも諫言した事がある。

 しかしマスターは………

 

「なら尚更だ。“道具”を粗略に扱わないからこそ、使う時は良く応えてくれるし、一朝(いっちょう)事ある時は、信頼して命を預けられる」

 

 弁明でも屁理屈でもない、心までをも射抜くような真っ直ぐな瞳とその言葉は、今でも忘れられない。

 “使い手”として“道具”の手入れは怠らないと言うマスターの信条は、変わらずここに形となって表れ、心の奥底からこみあげてくる熱いものが、全身を心地よく包む。

 

「……………今はもうちょっと、甘えても良いですか?マスター…………」

 

 そっと冷蔵庫を閉じ、今はここに居ないマスターに語り掛ける。

 無論、低く静かなモーター音が空気を振動させているのみで、応える者は居ない。

 

 今世において結んだ縁、交わした契り、ケーキ一つで安上がりな奴だと笑われるかもしれませんけど、私は、貴方のサーヴァントで良かったと、ええ、本当に、心からそう思います。

 

 マスター、貴方がサーヴァントを大切に扱うと仰るのでしたら、私もそれに応えましょう。

 陰陽師朝比奈瑛賢(あさひな えいけん)の第一が“道具”の矜持、篤とご覧いただきましょう。

 マスターの定命が尽きるその日まで………。

 

「さて、夕飯の支度、しちゃいますか!」

 

 両頬を叩き、気持ちを切り替える。

 心中を覆っていた暗雲は消え去り、雨後の日差しのように晴れやかな気分になっていた。

 

 

 

 夕飯の支度をしていると、インターホンが鳴った。

 出てみると、マスター宛に実家から宅急便が届いたという。

 その荷物は、七~八十センチはあろうかという長方形の木箱で、品名には「美術品」と書かれていた。

 それは、先日槍兵(ランサー)との闘いにおいて折られた刀の代替品である事は間違いない。

 

 朝比奈宗家の何代か前の宗主は、殊の外刀剣に目が無かったらしく、今も蔵には何振りかの刀が収蔵されている。

 収集したもののみならず、中には名のある刀工に作らせた物や、曰く付きであるが故に”お祓い“と称して、陰陽師である朝比奈家が譲り受けた刀もあった。

 

 ともあれ、新しい刀が届いたのであれば、マスターも本格的に戦線復帰と相成る。

 “陰陽師朝比奈瑛賢”として、“心臓食いの白狐”という名の魔術師として、そして“朝比奈一門の宗主”として、その帰趨は未だ定かではないが、私はこの一命を献じて、マスターを守護し奉るのみだ。

 

「………お願い……貴方も共に、マスターを護って………」

 

 物言わぬ木箱を抱き、強く、強く、同じマスターを奉じる“道具”に願った。

 

 

 

「ただいま…………」

 

 マスターが帰って来たのは、夕飯に使う食材の下拵えが終わり、これから焼いていこうとした頃だった。

 ちなみに、今日の夕飯のメインはハンバーグで、サラダとスープだけでは少々物足りない感じなので、冷蔵庫の中身と相談して、簡単な一品を追加するつもりだ。

 

「おかえりなさい、マスター。どうされたんです?なんだか草臥れてますけど?」

 

 文字通り、マスターは疲労の極にあると言っていい状態で、仕事帰りのサラリーマンというよりも、部活動でめいっぱい体力を使ってきたという感じである。

 曰く、衛宮君の家でセイバーと竹刀を交えたはいいが、負かされたセイバーが()()()()()()何時間も竹刀を交えるのに付き合わされたという。

 

 セイバーのあまりの負けず嫌いぶりに呆れ、それを見抜けなかったという後悔とが混ざり合っているが、そもそも生身の人間が、剣士(セイバー)のサーヴァントに技量で打ち勝っている時点で、セイバーの矜持は立つ瀬がない程に傷ついた事は想像に難くない。

 

「じゃあ、先にお風呂にでも入って来てくださいな。もう少しで晩御飯出来上がりますから」

 

 夕飯が出来上がるまで、今からなら凡そ十五~二十分ほど。元々マスターは()()()()と言わんばかりにお風呂から上がるのが早いので、汗を流してくるだけなら十分ほどで上がって来るだろう。

 

 促されたマスターが、途中で買ってきた花束をシンクの隅に立てかけて浴室へ向かおうとした刹那、電話が鳴ったので、夕飯の支度を中断して出ようとしたら、代わりにマスターが出た。

 

「もしもし、朝比奈です…………………………………化野(あだしの)か………」

 

 その名を聞いた瞬間、思わず呻いてしまった。

 時計塔の学部の一つ「法政科」に属する魔術師。

 確かに綺麗な方なんですが、まるで爬虫類のような冷たさを纏っていると言うのが、私とマスターの共通した認識だ。

 私の呻き声に、マスターがキッチンを覗き込み、私は苦笑いで返すしかなく、マスターも「だよな」と同じく苦笑いで返した。

 

 それからマスターは、私にも聞こえるようスピーカーのスイッチを入れ、会話の内容を吟味する事が出来た。

 

 法政科から請けた依頼の進捗状況、これについてはマスターの言う通り、まだ報告すべき状況でも、その依頼に基づいた()()()()()()()すべき状況でもなく、概ね正規の監督役による対応で間に合っている。

 

 次に、マスターの仮の姿である「心臓喰いの白狐(White Fox the Heart Eater)」に対し、封印指定が発令された事については、やはり以前に誅戮した魔術師の家が関わっているようだ。

 

 これについては、逆恨みも甚だしいと言える。

 名家の()()()()が、朝比奈の管理地に無断で足を踏み入れた点はさておくとしても、魔術の存在を知らない一般人に類が及ぶような禁呪を行使し、危うく神秘が漏洩するところだった。

 そう言った不心得者に制裁を加えるのは、むしろ管理者としての責務の一環であり、責を負うべきは、そのドラ息子の実家である。

 

 しかし、この時初めて、凶悪無比の魔術師「心臓喰いの白狐(White Fox the Heart Eater)」の名が時計塔に知れ渡った事の責は、私にあると言っても過言ではない。

 

 当時、ドラ息子の禁呪の行使によってもたらされた被害に、私は()()()()()()、手足を数センチずつ切り刻んで、()()()()()()()()()()重要な血管や臓器を避けて胴体を切り刻み、苦痛と恐怖を存分に味わわせた上で、生きたままその心臓を抉り出して()()()

 

 魔術師の心臓とは、即ち魔力の塊でもあり、本来マスターから十分な魔力供給を受けている私には、人間に例えるなら()()()()と言えるものだが、サーヴァントにとって魔力は有るなら有るだけ好い。

 

 その惨状を目にしたマスターは、恐怖に顔を歪めたままの頸を一刀で切り落とし、“白狐と言う魔術師がやった事”として、ドラ息子の行状を書き記した上で、宗主の名でその首を実家に送り付けたが、実家の当主はカリオンに接触して、恣意的な理由から白狐に対して封印指定を発令させたようだ。

 この件に関し、朝比奈家(こちらがわ)の代表者が、時計塔側との交渉と調整に渡英する事になっている。

 

 この“カード”を利用してどう立ち回るか、それがマスターの目下の課題の一つでもある。

 

 

 

 電話を適当なところで切り上げて浴室に向かったマスターは、思ったよりも長い二十分後にあがってきたが、メインのハンバーグは丁度焼き上がったところだったので、待たせることなく熱々の出来立てを出せたのは、日常の中の小さな幸せだった。

 温かい食事は温かいうちに食べてもらいたいので、龍くんからの第一報については、食後に話すことにしましょう。

 

「………そうか………あの(ジジイ)、聖杯の欠片なんか拾って何をするのかと思ったら、そんな事をしてやがったのか………」

 

 マスターと共に食後の食器洗いをしつつ、龍くんからの第一報について報告する。

 予想以上に深刻な事態になる可能性があってか、マスターの表情は暗い。

 

「ええ、まだ龍くんが調べている最中なので、予断を持って当たるのは危険ですが、もし()()が器として機能して、これ以上の被害が出るようであれば…………敢えて言いますが、()()は決めておいてください」

 

「…………………」

 

 自分でもマスターに対し、残酷な選択を迫っていると言う事は分かっている。

 それでも、マスターには“教師”ではなく“宗主”として断を下してもらわなければ、一門の拠って立つところにヒビが入り、最悪一門の土台を壊しかねない。

 しかし、マスターは洗った食器を拭く手を止めて思考し、結論を口に出せないでいる。

 

 ………………甘い、甘すぎる……………

 

「それでも、最後まで諦めないと仰るなら………付き合いますよ、最後まで」

 

 しかし、マスターのそんな甘さが、私は愛おしい。

 ならば私は最後まで、たとえ一門全てがマスターの敵に回ることになろうとも、マスターの命ある限り共に歩みます。

 あの日の誓いに嘘偽りなど、一分子程も存在し得ないのですから。

 

「…………すまんな、俺の我儘に付き合わせて………」

 

 その一言に肩の力が抜けたのか、自嘲気味に微笑みながら私を見やる。

 だけど………

 

「あら?マスターの我儘なんて、今に始まった事じゃありませんよ?確かに私はマスターのサーヴァントですし、命令に従うのはお役目ではありますけど、今までマスターの()()()()には、何度肝を冷やした事か」

 

「う………」

 

 ここで「マスターのする事なら何でもOK」なんて態度をとると、()()()()()()また無茶をやりかねないので、しっかり釘を刺しておかなくてはいけません。

 マスターには自由にさせつつ、しっかりとその手綱を握っておくことが肝要なのです。

 

「マスター、先日の槍兵(ランサー)の時のような無茶はなさらないでくださいね?あの時は、本当に心臓が止まるかと思いましたから」

 

「………なるべく、善処します………………」

 

 むぅ………。

 またこの人は、無茶をしようとしていますね………。

 

「ああ、もう、そんな目で見るなよ………そ、そうだ、コーヒー淹れるけど、栞も飲むか?ミル・グレースでケーキも買ってきたんだ」

 

 そう言って、私の肩を押してリビングのソファに座らせようとする。

 まだ洗い物が残っていたのですが「いいから、俺がやるから」と言って座らせるので、ここはお言葉に甘えておきましょうかね。

 

 

 

 マスターが食器棚から、コーヒー豆の入った容器とミル、アルコールランプ、サイフォンを取り出して豆を挽き始め、ゴリゴリと豆を挽く音が響き渡る。

 細口のドリップポットで沸かしたお湯を球状のフラスコに注ぎ、少し置いた後にフラスコのお湯を捨てて、フラスコにお湯を再度注ぐ。

 

 筒状のロートに挽いた粉を入れて、火を着けたアルコールランプでお湯が沸騰してきたフラスコに差し込み、待つことしばし。お湯がロートの方に上昇してきた頃を見計らって撹拌し、アルコールランプの位置を調整しながら弱火にして、一分足らずでフラスコのお湯がロートに上がりきり、ロートの中は泡、コーヒーの粉、液体の三層に分かれている。

 

 アルコールランプを外して、もう一度ロートの中を撹拌すると、やがてロートの中のコーヒー液はフラスコに落下してゆく。

 ロートの中のコーヒーかすがこんもり山形になっていて、細かな泡がその周りについている状態は、クリアな味わいのコーヒーが抽出された目安だ。

 

 マスターがカップに注いだコーヒーと、ミル・グレースで買ってきたケーキをそれぞれトレイに乗せて持ってきた。

 

 スティックシュガーを半分だけ入れて、コーヒーを口に含むと、バランスの良い柔らかな酸味と苦みが口に広がり、芳醇な甘みとフルーティーな香りとコクが後に続く。

 ブラジル豆とコロンビア豆をおよそ半分ずつ、ブラジル豆をやや多めに入れた中深煎り(シティロースト)のブレンドは、私の一番好みのブレンドだ。

 

 そして縁が波型で、青い花の模様が描かれたマイセンのカップは私のお気に入りで、マスターは、ターコイズブルーの背景に鳥や竜が描かれたウェッジウッドがお気に入りなのです。

 

 その上、ケーキは苺のタルトかガトー・オ・フレーズと、私のお気に入りばかりで揃えてあるのは、私を労っての事なんでしょうけど、こういう時って、大体マスターが私に何かお願い事をする時なんですよねぇ………。

 

「それでな栞、頼みたい事があるんだが………」

 

 ほら、やっぱり。

 

「明日は、衛宮の家であいつの魔術の技量を確かめに入り浸るつもりだから、俺の代わりに()()()のところに行ってきて欲しいんだ」

 

 マスターが先程買って帰ってきた小さな花束、鮮やかな青色の蕗桜(サイネリア)は彼女の好きだった花。

 花言葉は“いつも快活”“常に輝かしく”“元気”その花言葉が示す通りの、在りし日の彼女の姿を思い出す。

 そして、明日は彼女の命日だ。

 

「………もう、二十二年ですか………早いですね………」

 

「そうだな…………」

 

 本来であればマスターは、何を措いても、明日彼女の前に参じるべき立場である。それはマスター自身も承知している。

 しかし、故人の性格を考えれば「アンタね、私はもう死んじゃってるし、どうしようもないんだから、今は生きてる生徒(あのこ)達の事を考えてあげなさい」と言うだろう。

 聡明で、気丈で、理知的で、合理的で、冷笑的(シニカル)で、それでもはにかんだ笑顔は、向けられた人たちに元気を与える。そんな女性だった。

 

「俺は……そうだな、聖杯戦争が終わって、色々落ち着いてから行くとするよ」

 

「ふふ、そうですね、今行ったら「こんな大事な時に、私なんかに構っててどうするの!?」って怒られそうですしね」

 

「ああ、珠ねえなら言いそうだ」

 

 肩を竦めて苦笑いするマスターの中に、彼女は今も尚生きている。

 それは彼女の事を忘れないでいる事に対して嬉しいと思う反面、彼女の死が自身の()()に因るものである事を、今も尚引き摺ってしまっているのではないかと危惧せざるを得なかった。

 

「ところで栞、あの(ジジイ)だが………ヤツは俺がやる、栞は暗殺者(アサシン)の相手をしてくれ」

 

「何故ですか?」

 

 マスターの指示に、我知らず詰問口調になってしまい、カップを置く音が一際高く鳴ってしまった。

 はたと気づいた私は、また悪い癖が出てしまった事を素直に詫びる。

 

「お前の気持ちはわかる。俺だって同じ気持ちだ。だから………ヤツはただでは済まさん………」

 

 マスターの眼に、何某かの決意を宿らせた光が灯る。

 この眼をした時のマスターは、必要最小限の事は守りつつも、目的達成に手段を選ばない傾向がある。

 あの妖怪じみた間桐臓硯を誅戮するには……………

 

「まさかマスター、()()を、いえ、()()を使うつもりでは………?」

 

「ああ、学園(ウチ)の生徒に手を出したあのクソ(ジジイ)には、キッチリ落とし前を付けてやる。朝比奈(おれたち)の逆鱗に触れた者は、どういう末路を辿るか、その身を以て存分に味わわせてやるさ…………!」

 

 宣誓と共に、マスターが拳で掌を打ち鳴らす。

 

 あまりの破壊力であったが故に、マスター自身が禁じ手として無意識領域に封印した“無式”。

 怪異を調伏するに、生々流転の(ことわり)を逸脱させるが故に、代々の宗主にのみ口伝される“禁呪”。

 

 いずれも臓硯を滅するに有効ではあるが、いずれも禁じ手であるが故に、発動には長い呪文詠唱と、数段階の手順を要する。

 また呪文詠唱は、如何なる高位の魔術師であろうとも、忘我の集中力が必要で、無論詠唱の間は無防備になる。

 従って、無式或いは禁呪を使う場合、術者の周りに守り役を置くのが鉄則となる。

 この場合、即ち私だ。

 

「………分かりましたマスター、存分におやりください」

 

 臓硯、お前は吾ら朝比奈の逆鱗に触れた。

 数多の魔術師が震えあがるとされる朝比奈の応報、その身を以て存分に味わうがいい。

 お前が如何なる手を用いようとも、マスターには毛ほどの傷もつけさせはしない。

 私の全身全霊、全能力を以て………

 

「その背中、私がお守り申し上げます」




拙作オリジナルとして今回も登場した洋菓子店ですが、私の地元で評判の、お気に入りの洋菓子店をモデルにしています。
先日、法事ついでに実家に帰省したのですが、相変わらず美味しかったです。

さて、次回は……
・????登場

・栞さんのお墓参り

・士郎がアレしてエライ事になる

以上の予定です。
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