Fate/stay night 異聞 ~観察者白狐~ 作:Prometheus.jp
私の眼前に、長い髪を肩から前に垂らした彼女が白い背中を晒している。
一点のシミも見当たらないその背中は、蟲に犯されていると知らなければ、女の身でさえつい見入ってしまうだろう。
お湯を含ませ硬く絞ったタオルを彼女のうなじに宛がうと、白魚のようにその背中を少しビクンと反らせた。
「ごめんなさい、熱かったですか?」
「いえ、そんな事はありません。それにしてもいい香りですね。バラ、ですか?」
「ローズウッドの
彼女の背中を禊ぎの如く拭きながら、聞きかじった話をして場を和ませる。
しかし私の神経は、
確かに“何か”には微小な魔力を感じる。しかもこれは探知されないよう何某かの“擬装”をしているようだ。
極細の針を、痛点を躱して刺すように、神経だけを彼女の奥底へと忍び込ませる。
しかしてこれは………………
………
…………
……………
………………
…………………
……………………やはり、
どす黒い感情が一気に吹き上がり、右手をゆっくりと挙げさせ貫手の構えを取る。
忍者のサーヴァントたるこの身は、日中はその能力、スキルに大幅な制限がかかる。
私のスキル“
しかし、少女一人の背中を貫き、その心臓を抉り出す事ぐらいなら問題ない。
ただの安全地帯としてそこを選んだのか、それとも彼女の死後にその肉体を己のモノにせんと欲したか。
吾らの敵は、今、ここに、一人の少女の肉体の中に隠れ潜んでいた。
心と右手は既に切り離されている。
他愛なく談笑しながら、しかし右手は空を舞う猛禽が獲物を狙うが如く、高空から襲い掛かろうとしていた。
『分を
凶行に及ぶ私を引き留めたのは、他の誰でもない先代宗主であり、かつてのマスターの叱責だった。
いけない…………またしても過ちを犯すところだった…………。
今ここで彼女の心臓を抉り出して殺し、
その一石数鳥の
しかしそれはマスターが望まない。
私は
マスターが“救う”と決めたのなら、マスターが“ただでは殺さん”と決めたのなら、不意の事態に備えはしても、事成らざりし事態に備えはしても、私はマスターの意を叶えるべく、その刃を揮う事こそ至上なのだ……………!
「栞さん?どうしました?」
「え?ああ、綺麗な背中だなぁって見とれていたんです」
「え、そんな、やめてください、恥ずかしいです………!」
顔を赤らめる彼女を見てクスクスと笑いながら、私はもう一つの“推測”を“確定”させるに至った。
霊体化して巧妙に気配を隠しているようですが、今僅かに
その僅かな気配の揺れが、
それでも、過日の遺恨を晴らすべく、今ここで私と切り結びますか?
………………動く気配は無い。賢明な判断です。
いや……………間桐さんの気配が少し変わりましたね…………。
念話か何かで私がサーヴァントだと知らされたか、或いは気づいたか…………。
いけませんね。またしても私は、自分の短所で失敗してしまったようです。
「間桐さん」
「………はい………」
「それでも、貴女を決して
「!…………」
彼女の耳元でそう囁き、タオルを渡して退室しようと
しかし足を止めて振り返りはしたものの、彼女は俯いて言葉を繋げないでいる。
「……………その………………………いえ、なんでもありません………ありがとうございました……………」
私に何かを伝えたかったのか、それとも訊ねたかったのか。その答えは彼女の口から紡がれる事は無く、ただペコリと頭を下げて礼を述べるに留まった。
「構いませんよ。それとその下着、試着程度にしか着ていませんから、気に入ったのが在ったら差し上げますよ。では、お大事に」
彼女の感謝の言葉にいつも通りの微笑みで応え、軽く手を振って病室を後にした。
彼女が何を口にしたかったのか、その時機は彼女自身が決めていずれ口にするでしょう。或いは終ぞ口にすることは無いかもしれません。兎に角、それは彼女自身がその気持ちで、その心で時機を決めるべきものであり、敢えてこちらから問い質す必要は無いのかもしれません。
それよりも、当初の目的を果たした今、
僅かに残された痕跡を辿りながら、私は足早にその若い芽の居場所を求め歩いた。
間桐さんが収容されている病室から続くその痕跡、所謂“魔力の残滓”は、診察室の前でいくらか留まり、しかしその先に在る非常階段へと続いていた。
この冬木旭奈会病院は、民間の医療施設であるが故に「特別病棟」と称される最上階フロアに、要人や“訳アリ”の人物を極秘裏に受け入れるには積極的で、無論その対価も一般病棟のそれとは一桁も二桁も違ってくる。
それは所謂「口止め料」を始めとした後ろ暗いモノを含んでいる事は確かなのだが、電気、ガス、水道全てのライフラインも、外部から出入りする設備も専用の物が設えられていて、下水道以外何一つ下階のそれらと共有する物は無い事も挙げられる。
この非常階段も特別病棟専用の設備の一つで、地上階まで一続きになった螺旋階段は、屋上へと続く階段とも繋がっている。
そして屋上にはヘリポートが在り、遠方からの救急患者を受け入れる為に用いられるとされているが、それはあくまで表向きの理由で、非常時にそこから特別病棟の患者を
そして、その痕跡は屋上のヘリポートへと続いていた。
屋上の扉を開けると、冬木市を一望できる景色が目に飛び込んでくるその途中、虚空と屋上を隔てるフェンスの前に、その少女は黒く長い髪を僅かに吹く風にたなびかせていた。
「遠坂さん」
「………………」
返事は無い。ただ私に背を向けたまま、フェンスの格子を握る手に少し力が込められただけだ。
私は静かにその背中に歩み寄る。
すぐそばに霊体化した
「遠坂さん、診察室での話、聞いていましたね?」
僅かに肩が動き、背中越しでも彼女が動揺しているのが判る。
診察室の前で偶然話を聞いてしまったのでしょう。立ち聞きをするに、巧く気配を隠していたようですけど、
「…………………………どうして…………………」
消え入りそうな呟きが、風に乗って耳朶を打つ。
「どうして
「………………それは、間桐臓硯が
嘘ではない。しかし、
今はまだ、誰にも知られる訳にはいかないのだ。
「“彼を知り己を知れば百戦殆うからず”ですか……………。尤もらしい理由ね…………」
納得は………………出来ていないようですね。むしろそれは建前であり、奈辺に在る真意を隠蔽していると悟ったのか、格子を握る手に増々力を籠めている。
「ふざけないで!そんな子供騙しみたいな
激昂して叫ぶ彼女は、フェンスを烈しく力任せに叩くが、フェンスそのものは僅かに撓むだけで、それすらも彼女の感情を逆撫でしているかのようだった。
「いい?この街は、冬木は、私たち遠坂が代々守ってきた地。私がお父様から
振り返り、形の良いネコ目を吊り上げて、烈しい感情そのままに一気にまくし立てる。
先祖重代の
彼女の口を衝いて出た言葉はその通りではありましょうが、しかしその眼の奥に在るものは…………………。
「もしもあの子が、桜が、暴走するようだったら、
「
そうでしょうね…………貴女にとって彼女は特別な存在。“
人としての善性、魔術師としての
それでも己が罪業を背負うと決めた事を、何者が非難する資格がありましょうか。
しかし……………
「
無言で私の横を歩き過ぎる彼女に、目線を合わせる事無く声をかける。彼女もまた振り返る事無く立ち止まった。
「どれだけ力が在ろうとも、人は一人では成し得ぬ事がある。と言う事だけは忘れないでください」
私が体を半分だけ振り返るのと、彼女が首だけで振り返るのはほぼ同時だった。
「それは、先生からの伝言ですか?」
「いいえ、“
今の彼女は危うい。全身を覆いつくす心の甲冑で、その視野が狭くなってしまっている。
それがもたらすであろう最悪の結果は、彼女自身の身体か、心か、或いは双方に大きく深い傷を負わせるだろう。
しかし、あからさまに助力を申し出ては、今の彼女の激した感情では逆効果になりかねない。
だからこそ、彼女自身に「一人では成し得ぬ事がある」と気付いてもらい、冷静に次善の一手を打って欲しかったのですが、後日私は「遠坂凛と言う人間の在り様」を見誤っていた事に、内心で忸怩たる思いを抱くのだった。
「存外にお節介焼きなのだな、君は」
無言で向き直り屋上から歩み去っていった彼女の背中を見送ると、背後から良く響く声を投げかけられた。
色の抜けた頭髪に浅黒い肌、そして赤い外套を纏ったその男性は、遠坂さんのサーヴァント
「あら?私たちサーヴァントは過去の英雄の影法師。つまりは歴史を具現する者。今を生きる人たちの
「先人の役目、か………。フッ、君の様な
私が
しかし、私の真名とその逸話は彼も知っているでしょうに、それを推しても尚、彼は自身を、或いは英霊となった自身を、まるで卑下しているかの様に語る。
過去の聖杯戦争に於いて、彼以上に謎の多い英霊は見た事がありません。
生前に蓄えた知識、召喚時に聖杯から与えられた知識、そして現界してから得た知識、どれに照らし合わせても、目の前に居る英霊の真名に辿り着けそうな要素が何一つないのです。
弓、若しくはそれに類するもので名を馳せたからこそ、
「そうですか、貴方の真名には俄然興味が沸いてきますが………それはさて置き、良いのですか?貴方のマスターを止めなくても」
「それは無意味な質問だ。私は“マスターの言い分には絶対服従”などと言う馬鹿げた令呪を下されている。私が反対したところで、彼女がそう決めたのであれば、私は従うより他にない」
サーヴァントを律する三つの絶対命令権としてだけではなく、膨大な魔力を秘めた魔術の結晶でもある令呪は、聖杯戦争に於いて戦略上、戦術上、重要な意味を持っているのですが、それを「マスターの言い分には絶対服従」と言う、令呪が何画在っても足りない曖昧な命令の為に
「それに、やや甘いところはあるが、彼女はあの歳で心構えは完成している。己が何を成すべきか、
「それでも、
そう、彼女は魔術師であると同時に、まだ十七歳の女の子なのだ。
いくら優秀な魔術師であろうとも、才覚だけでは補えないモノが、圧倒的に足りないモノが彼女にはある。
その存在に目を背ける事無く、有るがままを受け入れて己の糧としてくれれば或いは…………。
「今だって、
「何?」
魔術師である以上、他人の命を奪う場合が起きる事は必至だ。それは彼女自身も理解しているだろうし、実際に行動に移そうとした。
しかし、彼女の手は
彼女の冷徹な魔術師としての顔が、その目が「一朝事あれば、間桐桜を殺害する」と明確な決意を表していた。
しかしその瞳の奥は、初めてその手にかける命が特別な存在であると言う不条理に震え、ただ一人の特別な存在の命をこの手で奪う恐怖に怯え、その後訪れるであろう孤独に押し潰されそうになっていた。
それでも彼女は気丈に振る舞い、己の為すべき義務を拠り所に立ち上がった。
それは彼女の長所であり、強さでもある。その道行が修羅の道へ至るものである事以外を除いては。
「……………それも忍者の洞察力、というヤツかね?」
「どちらかと言えば、女の勘、というヤツですね」
「なら私に見抜ける筈もない。第一、私に何かを期待しても無駄だと言う事ははっきりと言っておく」
「交渉の余地は?」
「無い。少数の犠牲の上に、多数が平穏を享受しているのがこの世界の実情だ。仮に間桐桜の命を奪う事を、遠坂凛が躊躇しているからと言って、それは彼女個人の問題であって、いずれは間桐桜がその少数の中に加わる可能性があると言う現実は覆らんさ」
大を生かすために小を切り捨てる。確かにそれは真理でしょう。
ですが「遠坂さんが間桐さんを手にかける」と言う事は、むしろ「泣いて
事情を知ってか知らずか、彼の言う事は一般論の範疇に過ぎない。間桐さんを救うと言う事は、延いては遠坂さんを
「………
「フッ、どこぞの“正義の味方”みたいに、誰も彼も救おうなどと、思い上がった幻想にしがみついていないだけさ」
私の評を否定する彼ではあるが、その言葉には何故か違和感が、そう「正義の味方」を目指そうとする衛宮君に対して向けられているかのような印象がある。
まるで「正義の味方」そのものを憎悪しているかのような、そんな気配を纏っていた。
「それより問題は
そのリスクは既に織り込み済みだ。今更言われるまでも無いし、彼も知った上で問うているのだろう。
むしろ意を割くべきは彼の言葉の真意。
それはまるで、かつて自分も似たような境遇に遭い、その果てに絶望を味わったが故に「お前たちにならできるのか?」と問うているかのような。
「………貴方が生前にどのような経験をし、何に絶望したのか、それは私に推し量る事は出来ません。ただ、絶望に膝を屈するには、今はまだ早いと言う事です」
「!…………………フッ、君たちも大概に
一瞬にも満たない僅かな瞬間、驚きの表情を浮かべた彼を見逃す筈もありません。
やはり彼は、過去に何かに絶望して、今はこのような性格になったのでしょうね。
そんな彼の皮肉など、宛ら「子供の負け惜しみ」のように聞こえてしまい、可笑しくてつい笑ってしまいそうになりました。
しかし、それを笑ってしまっては彼も気分を害するでしょうし、それよりも彼の誤った認識を正す必要があります。
浪漫でもない、幻想でもない、絵空事でさえない。
むしろそれらを
それを端的に語るなら……………
「いいえ、主従揃って諦めが悪いだけです」
FGOを始めて、間もなくちょうど一年になります。
と、正確な日数を確認しようとしたら、クリスマスイベの告知が在り、PUで星5アストルフォだとぅ!?しかも弊カルデアには足りてない単体セイバーと来ましたか………
(-ω-;)ウーン
スカディやら何やらで、かなりリンゴの聖杯に魔力を突っ込んでしまいましたし、自重せねばならないのは判ってはいるのですが…………(;'∀')
さて、次回は……
・凛ちゃんさん凹む
・ある意味フラグクラッシャー
・明日はホームランだ
・営利誘拐未遂事案発生
・士郎が立つ
・ハラヘッター
以上の予定です。