Fate/stay night 異聞 ~観察者白狐~ 作:Prometheus.jp
「もう、ダメよ士郎。学生がこんな夜更けに帰ってきちゃいけないんだから。最近物騒だぞって、ホームルームでも言ったじゃない」
今日の主菜、桜特製の「チキンのクリーム煮」に上機嫌に舌鼓を打っていた藤ねえが、俺を見て窘める。
「あれ、士郎に対して言ったんだからね」
「あのさ、わざわざホームルームで言わなくても、うちで言えばいいんじゃないか?」
「ふーんだ、ここで言っても聞かないもの。学校でがつーんと言った方が士郎には効果的なんだもん」
「先生…それは職権乱用というか、公私混同だと思います…」
「ううん、それぐらいしないと士郎はダメなのよ」
桜の控えめなツッコミもどこ吹く風、藤ねえは箸を動かしつつ言葉をつなげる。
「いつも人の手伝いばっかりして損してるからさ、たまには真っ直ぐ帰ってきてのんびりしてもいいじゃない」
「むっ、誰かの手伝いをして、それでその人が助かるなら損なんかしてないぞ」
藤ねえの言い様に少なからず違和感を覚え抗議する。
「…はぁ……、切嗣さんに似たのかなぁ、士郎がそんなんじゃお姉ちゃん心配だよ…」
どのあたりが心配なのか、それとは反比例して元気よくもりもりとご飯を食べる藤ねえ。
「あの、藤村先生。先輩って昔からそうなんですか?」
「うん、昔からそうなの。これがねぇ、士郎は困ってる人がいたら放っておけない性格なのよ。弱きを助け強きをくじくってヤツ。子供の頃の作文なんて、僕の夢は正義の味方になることです。だったんだから」
…また昔の話をするな、藤ねえも…。だけど、本当の事なので口は挟めない。
そもそも、正義の味方になるって事は、今でも変わっていない目標だ。
「うわぁ、すごい子供だったんですね、先輩」
桜がやや大げさに感嘆する。
いかん、このままでは藤ねえに昔の事を洗いざらい語らせて「タイガートークショー」になってしまう。
ここは形勢逆転の手を打たねば…!
「そりゃ藤ねえがいたからだろ。ダメな大人を見てると、子供はいろいろ考えるんだよ。悔しかったら、ちゃんと自分でメシを作ってみろ」
ふふん、と意地の悪い笑顔を満面に湛え、必殺のカウンターパンチを炸裂させる。
藤ねえは、家事全般が良く言えば「壊滅的」なのだ。
「なっ……!」
効果てきめん。ガーン、とありきたりな背景が浮かび上がるほどにうち崩れる藤ねえ。そのままうなだれて反省するかと思えば、
「うぅ…お姉ちゃんは悲しいよう…。桜ちゃん、お代わり!」
ずい、と三杯目のお茶碗を差し出していた。
あ、ダメだこの人…。
夕食も終えてのんびりしていると、時計は九時を過ぎていた。
「それじゃぁ、今日はこれで失礼します、先輩」
帰り支度をしている桜を呼び止めた。
「最近物騒だろ?家まで送っていくよ」
桜は気まずそうに口を閉ざす。
何かまずいことでも口にしたんだろうか、俺。
「ごめんなさい。気持ちはうれしいんですけど………その、兄さんに見つかると、先輩にまで迷惑がかかります」
そうまで言われて俺はようやく思い至った。
桜の兄貴である慎二は、桜がうちに来ていることを良く思っていない。
表向きは藤ねえの家に行っていることになっているが、ここで俺が送って行ったりしたら何かと問題になる。
俺が言いがかりをつけられるのはどうでもいいが、慎二が桜にあたるのは良くない。
それに、慎二が何と言おうと、桜を一人で帰らせる方が問題じゃないか。
「俺にかかる迷惑なんて気にするな。慎二とは喧嘩するぐらい言いあったほうが良いんだよ。それにあいつ、ああ見えて隠し事とか嫌いだから…って、どうかしたか?」
そこには目を丸くして俺を見ている桜がいた。
「いえ、先輩、兄さんと仲がいいんだなあって」
「あんな人ですけど、何度喧嘩しても先輩に話しかけるでしょう?兄さん、きっと先輩が苦手なんですよ」
夜道を桜と二人、話しながら歩く。
「けど、他の人よりはずっと好きだから、いつも気にしてるんですよ。素直じゃないから、嫌いな人が好きなんです、兄さん」
…何とも返答に困る意見ではある。
答えに窮していると、一歩先を行く桜が振り返る。
「先輩が羨ましかったから、少しだけ困らせてみました」
その笑顔は困るぞ桜。
桜を無事に送るために出たのに、俺がやましい気持ちを持ってちゃ本末転倒だ。
桜は友人の妹で後輩だ。そこんとこ、しっかりしとこう俺!
「先輩?」
「あ、いや、人通りが全然ないなと思って」
心中を悟られまいと話題を変える。
「そうですね、やっぱり送ってもらってよかったです」
「だろ?たまには先輩らしいとこ見せないとな」
どうやら悟られなかったようで、俺は内心ホッとする。
「はい、最近、家の周りで見慣れない外国人の方を見るんです」
「なんだそれ?どんな奴なんだよ」
「えっと、あの、金髪のかっこいい人でした。モデルさんみたいだから、先輩も見たらびっくりすると思います」
ほんと、なんだそれ…。
でも、不審な奴ってわけじゃないならいいけど…。
「最近引っ越してきた人なんかいないから、おかしいなって」
桜の家もそうだけど、その周りにはとりわけ洋館が多いとは言え、外国人が多く住んでいるわけでもない。
特に山の上の洋館なんて幽霊屋敷のようだ。
「あれは遠坂先輩のおうちですよ、先輩」
桜がクスクスと笑いながら言う。
遠坂って、あの遠坂か?
「二年生の遠坂凛さんです。先輩苦手なんですか?」
苦手という事は無い。とは言え、あのミスパーフェクトに親しみを覚えるほどでもない。
「有名だから人並みに知ってるってだけだけど、そういう桜は、もしかして近所づきあいとかあるのか?」
「…ないですよ。遠坂先輩のお家は、坂の上ですから。私、子供の頃、坂の上には怖い魔法使いが住んでるって言われていました。だから行っちゃいけないっていつも思ってたんです」
一瞬言い淀んだ桜に妙な違和感を覚えたが、そこはあえて追求せず聞き流した。
そうこうしているうちに桜の家に着いた。
正面からだと慎二に見つかるかもしれないので、桜は勝手口から入るべく家を回る。
「それじゃあ、おやすみなさい先輩。送ってもらって嬉しかったです」
本当にうれしそうな笑顔を浮かべ桜は礼を述べる。
この笑顔を見られるなら毎日送ったっていい。と本音を心の中に秘めつつ、礼は不要と応える。
「はい、兄さんには怒られるけど、私、やっぱり先輩と一緒が良いです」
今日一番の笑顔に、俺の心中を支える柱が大きくぐらつく。
「それじゃあ、また明日ですね。今日はありがとうございました」
そう、桜は手を振って勝手口に消えていった。
勝手口をじっと見つめること数秒。
緊張の極致から解放され大きく溜息を吐く。
桜は本当に美人になった。それは喜ばしいことなんだけど、目のやり場に困るってのは…
「先輩としてカッコつかないんだよなあ…」
桜を送り届けて帰路に就く。
桜の家の前で立ち止まり、一室の明かりが点くのを認めた。そこが桜の部屋だろう。
一年前までは何度かこの家に上がっていたけど、それにしても大きな洋館である。しかし、その割には管理が行き届いていないようで、窓が割れたまま放置されている部屋もある。
「っと、これじゃあ、俺が不審者じゃないか…」
そう独り言をこぼし、立ち去ろうとしたとき…
「もし、何かこの家に用があるのかね?」
それは庭の植え込みから聞こえた。
虫の鳴き声があたりに響く。
虫?冬のこの時期に?
「どうした?若いの。なぜ答えん」
植込みの合間から、杖をついた一人の老人が姿を現した。
暗がりの上、皺だらけのその顔は表情が読み取りづらい。
「ふむ、桜が言っておった不審なよそ者。と、こちらで決めつけてしまってもよろしいかな?」
桜?じゃあ、この人もしかして…。
「見ず知らずのお前さんには申し訳ないが、孫も怖がっておる。少し痛い目に遭ってもらわねばいかんようだ」
老人の表情も声色も変わらないのだが、その一言に悪寒を覚えずにはいられなかった。
「念のために聞いておくが、潔く官憲の厄介になる気はないか?」
「あ、いや違います!俺は慎二の同級生で、桜とは知り合いで衛宮士郎と言います!」
老人の迫力に気圧されながら、俺は身の潔白を証明しなければならなかった。
「散歩がてら、前を通りがかっただけなんです!」
我ながら何とも無理のある言い訳だ。とは言え、桜がうちに来ていることをなるべく知られないようにするには、こうするしかなかった。
「臓硯じゃ」
「え?」
「
どうやら不審者の疑いは晴れたようだ。
「孫たちの学友であったか…それは邪魔したな。どれ、二人を呼んでこよう。なんなら夕飯を馳走されるかね?」
「あ、いえ、ちょっと寄っただけだからすぐ帰ります」
この老人、臓硯爺さんからの誘いを断る。いや、断らざるを得ない。
「そうか…。ところで衛宮士郎。アインツベルンの娘は壮健かね?」
え?アイン…?
「アインツベルンの娘が、衛宮を訪ねるは道理。此度の座の出来はどうかと聞いている」
ポカンとする俺の顔を見て、臓硯爺さんが見咎めた。だけど、知らないものは知らないのである。
桜…お前のお爺ちゃんはなかなかの難物なようだ…。
「ふむ、どうやら本当に知らぬらしいなこれは」
俺の反応を見て、爺さんは嘆息する。一体何のことやら、狐につままれるとはこの事だろうか。
「はあ…よくわかりませんけど…すみません」
「いやいや、お主が気に病む事は無い。わしの勘違いじゃ。では失礼するぞ衛宮士郎君。今後とも、うちの孫たちと善くしてやってくれ」
そういうと、爺さんは植込みの合間に消えようとしていたが、立ち止まってこっちを振り向いた。
「そうそう、最近はなにかと物騒でな、妙な輩も徘徊しておる由、気を付けて帰るのじゃぞ」
そう言って爺さんは植込みの暗がりに消えていった。
それにしても、お爺さんが一緒に住んでいたなんて、全然気づかなかったな…。
いつの間にか、虫の音は聞こえなくなっていた。
帰宅した俺は、それと入れ違いに帰宅する藤ねえを見送った。
ひと風呂浴びて、時間は深夜零時前。
俺は日課になっている魔術の鍛錬を行うべく、土蔵に籠った。
呼吸を整え、頭の中は出来るだけ白紙にし、意識は全て己の内側に向ける。
「
自分に暗示をかけるよう、言いなれた呪文を呟く。
魔術刻印とやらもなく、魔道の知識もない俺にとって、呪文は自分を変革させるための物だ。
本来、人間の体に魔力を通す
魔術は己との戦いだ。
例えば、この瞬間、背骨に焼けた鉄の棒を突き刺していくようなものだ。その鉄の棒こそ、たった一本だけ用意できる自分の”魔術回路”だ。
「僕は魔法使いなんだ」
そういった
そんな切嗣に憧れて、とにかく魔術を教えてくれとねだった幼い自分。ともかく魔術さえ使えれば、切嗣のようになれると思ったのだ。
それが八年前の話。
切嗣は散々迷った後、厳しい顔で俺を弟子と認めてくれた。
「いいかい士郎。魔術を習う、と言うことは常識からかけ離れるということだ。死ぬときは死に、殺すときは殺す。僕たちの本質はせいではなく死だからね。魔術とは、自らを滅ぼす道に他ならない」
幼い心は恐れを知らなかったのだろう。
強く頷く衛宮士郎の顔に。切嗣は仕方なげに手を置いて苦笑していた。
「君に教えるのは、そういった争いを呼ぶ類のものだ。だから人前で使ってはいけないし、難しいものだから鍛錬を怠ってもいけない。でもまあ、それは破ったって構わない。一番大事なことね、魔術は自分の為にじゃなくて他人の為だけに使う、と言うことだよ。そうすれば士郎は魔術使いではあるけど、魔術師ではなくなるからね」
切嗣は、衛宮士郎に魔術師になってほしくなかったのだろう。
だけど、俺が憧れていたのは切嗣であって魔術師ではない。
あの日の切嗣のように、誰かの為になりたいと願ったからこそ魔術を習おうとしたのだ。
しかし、持って生まれた才能とやらが俺にはなかった。
魔術とは、極端に言って魔力を放出する技術で、魔力とは生命力と言い換えてもいい。
魔術師は自分の体を変換回路にして、外界から魔力「
これこそが生まれつきの才能というやつで、魔術回路の数は生まれた瞬間に決まっている。通常、人間に魔術回路はほとんどない。だから魔術師は何代も血を重ね、生まれてくる子孫たちを、より魔術に適した肉体にする。
行き過ぎた家系は品種改良じみた真似までして、生まれてくる子供の魔術回路を増やすのだとか。
魔術師の証である魔術刻印は、血の繋がっていない人間には拒絶反応が出ると言われていて、養子である俺には、衛宮家の刻印は受け取れなかった。なので、普通の家庭に育った俺には、多くの魔術回路を望むべくもない。
そうなると残された手段は一つ。俺自身が持っている特質に応じた魔術を習うしかない。
切嗣曰く、どんな人間にも一つぐらいは適性のある魔術系統があるらしい。その人間の”起源”に従って魔力を引き出す、と言っていたけど、そのあたりの話はちんぷんかんぷんだ。
確かな話は、俺みたいなやつでも一つぐらいは使える魔術があって、それを鍛えていけば、いつか切嗣のようになれるかもしれない、と言うことだ。
だから、ただその魔術だけを教わった。
「…っ」
雑念が入った。
ぎしり、と、背骨に突き刺さった鉄の棒が、入ってはいけないところにずれていく感覚。
「っ、ぐ、う…………!」
ここで焦ったら終わりだ。大丈夫………呼吸を整えて………。
鬩ぎ合いの末、鉄の棒は体の奥まで到達し、ようやく肉体の一部として融解した。
ここまでで、一時間弱。
それだけの時間をかけ、ようやく一本だけ疑似神経を作り、自らを、魔力を生成する回路と成す。
「基本骨子、解明」
後は唯、自然に魔力を流すだけの作業となる。
衛宮士郎は魔術師じゃない。
こうやって体内に魔力を生成出来て、それを物に流す事だけしかできない魔術使いだ。
だからその魔術もたった一つの事しか出来ない。
それが、物体の強化。
「構成材質、解明」
対象となるモノの構造を把握し、魔力を通すことで一時的に能力を補強する”強化”の魔術である。
「基本骨子、変更」
目前にあるのは折れた鉄パイプ。
これに魔力を通し、もっとも単純な硬度強化の魔術を成しえる。
「構成材質、補強」
熟練した魔術師ならば容易いのだろうが、魔力の生成さえ満足にいかない自分にとって、それは何百メートル先の標的を射抜くぐらいの難易度だ。
「っ、くっ……!」
体内の熱が急速に冷めていく。
背骨に通っていた火の柱が消え、限界まで絞られていた肺が、貪欲に酸素を求める。
「はぁ、はぁ・・!」
そのまま気を失いかねない目眩に、体をくの字に曲げて耐えた。
「あ、くそ、また失敗か…」
鉄パイプに変化はない。通した魔力は外に霧散してしまったようだ。
「元から形があるものに手を加えるのは、きつい」
汗ばんだ額を拭う。気が付けば全身、水をかけられたように汗まみれだ。
「まだこんな初歩が上手くいかないんだもんな……」
切嗣が死んでから、ずっと一人で鍛錬してきたけど、俺がやっていることは、完成した芸術品に筆を加えることに似ていて、完成しているものに手を加える、と言うことは完成度を貶める、と言う危険性をも孕んでいる。
補強するはずの筆が、芸術品そのものの価値を下げることもある、と言う事だ。
だから”強化”の魔術と言うのは単純でありながら難易度が高く、好んで使用する魔術師は少ないらしい。
いや、俺だって好んでいるわけじゃないけど、これしか能がないんだから仕方がない。
いっそ形のない粘土をこねて代用品を作っていいなら楽なんだが、そうやって形だけ再現した代用品は、外見ばっかりで中身が伴わない。
周りに転がっているガラクタがそうだ。
強化の魔術に失敗すると、練習がてらに代用品を作って気を落ち着けるのだが、これが揃いも揃って中身がない。
物の設計図を明確にイメージできるが故に、外見だけはそっくりに再現できるのだが、中身は空洞、もちろん機能も全くない。
しかし、さっきのは本当にまずかった。
持ち直すのが一呼吸遅かったら、内臓をほとんど壊していただろう。
「死にかけた分上達するんなら、まだ見込みがあるんだけどな」
そんな都合のいい話はない。
魔術を学ぶ以上、死は常に身近にある。
毎日のようにこなしている何でもない魔術でも、ほんの少しのミスで暴発し、術者の命を奪う。
「魔術師にとって一番初めの覚悟とは、死を容認することだ」
切嗣はそれを悲しげに言っていた。
それは、俺にはそんな覚悟はしないでほしい、と言う意味だったのかもしれない。
「僕の夢は正義の味方になることです」
夕食のとき、藤ねえが言ったセリフを思い出す。
それは絶対に決まっていることだ。衛宮士郎は衛宮切嗣の跡を継ぐと。
それを恥ずかしいとも、無理だとも思わない。
だけど、誰かの役に立つことで、その夢に近づこうとしてきたけど、人助けと正義の味方は違う。
一体何をすれば、俺は正義の味方になれるのか…。
その肝心な部分が、この五年間、ずっとつかめないままだった。
誰かを助けると言う事はね、誰かを助けないと言う事なんだ。
いいかい、人間が救えるのはね、自分が肩入れした側の者だけなんだ。
正義の味方ってのはね、とんでもないエゴイストって事なんだ。
切嗣みたいになるよ、と言った子供の俺に、切嗣はそんな言葉を繰り返していた。
あの時の俺には、その言葉の意味は分からなかった。
今ならその言葉の意味が分かる。
言われてみれば当たり前だ。
だけど…。
それでも…。
窓越しに空を見る。
「俺は正義の味方になるんだ…」
そう、呪文のように呟いた。
どうすれば正義の味方になれるのか。
何をすれば正義の味方になれるのか。
あてどなく大地を彷徨うような感覚に苛まれる。
意識が、深い闇の中に滑り込むように沈んでいった。