Fate/stay night 異聞 ~観察者白狐~ 作:Prometheus.jp
相変わらず執筆に時間を割きづらい日常が続いていますが、どうにか7章配信の前に最新話を投稿出来ました。
今回は山場の一つと言える話なのですが、きりの良いところまで書いたら、案の定エライボリュームになってしまいました。
それでは、今回も拙作にお付き合いいただけましたら幸いです
朝方には、春も間近と思わせるような温かい陽光も、昼前から雲が空を覆い尽くし、まだ冬は終わっていない事を主張しているかの様に、気温は少しずつ下がっているようだ。
平穏、と言って良いのだろうか。
少なくても今この時だけは、“小康状態”と言う名の平穏な時間と言っても良いのだけど、日が沈めば、聖杯戦争における戦いがまた始まる事には違いなく、来るべき戦いに備える為に、今この時を安穏と過ごしていられないのもまた事実だ。
とは言え、魔術師としても、マスターとしても未熟な俺が、いきなり秘められた力が覚醒して————だなんて、そんな都合の良い展開になる筈も無く、今はただひたすら自分に出来る事を、セイバーと戦闘経験を積む稽古を、午前中ぶっ通しでやっていた。
セイバー自身は、俺の実力に合わせて手を抜いてくれてはいるのだろうけど、反面、甘いところがあれば、容赦ない打ち込みが俺の身体に痣を無数に刻み込んだ。
だが、あのヘンテコな回復能力のお陰なのか、稽古を終えて昼食の準備を始める頃には、何事も無かったかのように、それらは俺の身体から消え去っていた。
今までこんな事は無かったのに、あの夜からこんな能力が発動するようになったと言う事は、やはりセイバーを召喚した事と何かしらの因果関係があるのだろうか?
「………シロウのその回復能力に心当たりが無い訳ではありません。どういった経緯かは不明ですが、少なくとも私との契約が続く限り、きっとソレも
心当たりがあると言うセイバーは、自身の真名にも言及する事になるからなのか、明言は避けたようだけど、やはりこの回復能力は、セイバーとの契約が発端になった事には違いないようだ。
「ですが、普通の人間であるシロウが、そのような奇跡の恩恵を受けるのであれば、何かしらの代償を払っている可能性は大いにあり得ます。ですので、シロウは今まで通り後方に下がって、直接戦闘には参加しないように」
代償の無い奇跡は存在しない。その代償がどういった形で現れるのか分からない以上、不用意に正体不明の
俺自身、戦うにせよ、逃げるにせよ、遠坂のように魔術を駆使して立ち回れる訳じゃない。
ましてや、サーヴァントは言うに及ばず、魔術師である他のマスターを相手取って、先生のように善戦できる技量も無い。
そもそも、今までの人生の中で、戦いに身を置いた事さえ無い俺が出来る事は、戦闘に参加せず、危険から可能な限り遠ざかる事だと言うセイバーの主張は尤もだ。
しかし…………
「例えばさ………先生のような“必殺技”みたいなモノがあったら………なんて…………」
魔術と剣術を融合した、遠坂に言わせれば“刀に魔術を付与した”先生の必殺技とも言えるソレは、漫画やアニメで大活躍する主人公のようで、年頃の男子の琴線に触れるに余りあるモノだ。ああいった技を自分も扱えたら、と夢想するのも当然とさえ言えるだろう。
しかし、そんな俺を見るセイバーの目は、言葉を繋げる度に冷たくなっていった。
「はぁ………………先生は、長年の鍛錬の末にあの域に達せられたのであって、シロウ、貴方は初心者です。そのような必殺技に安易に頼るよりも、先ずは丁寧に下地を整えるべきです。今のシロウにとって必殺技があるとしたら、それは“自分が戦わないで済む状況”に戦局を導く“判断力”です。従って、シロウはこの聖杯戦争を何としても生き抜く事を目標とすべきでしょう。その為には、稽古を通して“生き抜く為の判断力”を身に付けてもらいます」
俺も本気で言ったつもりは無かったのだけど、こうもあからさまに大きなため息をつかれた上に、滔々と正論を述べられると、セイバーを少しどころじゃないぐらいに怒らせたかもしれないと言うある種の罪悪感を抱いてしまった。
「その………すまんセイバー。変な事言っちまった。今のは忘れてくれるとありがたい………」
「………まあ、いいでしょう。…………ですが、もしシロウが
俺の戯言を渋々赦したセイバーが、僅かに視線を外して呟く。
セイバーは聖杯戦争の為に召喚されたサーヴァントだ。
聖杯戦争が終われば“英霊の座”とやらに還る。それまでの時間は、そう長くない。
だからこそ
そんなの当たり前の事なんだろうけど、その当たり前を当たり前として受け入れるにはやはり抵抗があるな……………。
昼食の準備をしている最中、見計らったように遠坂が帰ってきた。
「へえ、お昼からハンバーグだなんて、結構凝ってるわね」
台所に立って昼食の準備をしている俺を覗き込む遠坂の整った容貌に、
何かあったのかと訊きたいところではあるけど、問い質すには根拠が少なすぎる事もあって、何食わぬ顔で丁度良く熱されたフライパンに、ハンバーグのタネを人数分放り込んだ。
「ああ。午前はセイバーとの稽古で、午後は魔術の鍛錬だからな。しっかり食べておかないと体の方がもたないよ」
「ふーん、随分気合が入ってるじゃない。じゃあ、
ふふん、と邪悪な笑みを浮かべる遠坂に、背筋がゾクッとしたのは言うまでもない。遠坂の指導はまだほんの数日しか受けていないけど、一言で言えば“四苦八苦”と言って良いモノだった。アレで遠慮していたとは…………。
「そこは、まぁ、お手柔らかに頼む…………」
「まあ、いいわ。今は手加減しておいてあげる。でもまぁ、衛宮君が望むっていうなら、聖杯戦争が終わった後も、
聖杯戦争が終わった後、か……………。
セイバーが召喚されたあの夜、俺の聖杯戦争が始まって、今日で丁度一週間になる。
相変わらずと言って良いのか、聖杯で叶えたい願いなんて無い。それどころか、聖杯なんて要らない事に変わりない。
臓硯のように、一般人を巻き込むようなマスターを放っておけないという思いも変わらない。
今まで見てきた世界が大きく変わるぐらい、この一週間は色々あった。
変わりつつあるものもあるけど、それでも大半の思いは変わっていない。
これからも変わらずに、“誰かを助けて、誰かを死なせない。そんな正義の味方になりたい”と言う思いがある反面、“これで良いのか?”と疑問を抱く事も正直言ってある。
『己が正義とは何か、常に自身に問い続けろ。
先生の言葉が、“正義の味方”を目指して、闇雲に突っ走るだけだった俺に、ある種の楔を打ち込んだ。
その答えどころか、答えが何処に在るのかさえ分からない。たった数日で分かる筈も無い。むしろその答えを、聖杯戦争が終わってからも、ともすれば、一生求め続けるに違いない。
だけど、今は俺に出来る事を、そして出来ない事をどうすれば出来るようになるかを考えて、先ずはこの聖杯戦争を生き残らなければいけない。
じゃないと、答えの手掛かりも掴めないまま、その一生をあと数日で終わらせるなんて真っ平御免だ。
「どうしたのよ士郎?ぼぅっとしちゃって」
「ん?あぁ、聖杯戦争も終わってないのに、後の事も考えてるなんて、遠坂は随分余裕だな。と思ってね」
「そんなの当たり前でしょ。やるからには勝つ。勝つから生き残る。生き残るから後の事を考える。ね?至極単純な理屈でしょ?」
「三段論法になってない気が…………」
「……………無駄話はこれくらいにして、お昼はまだかしら?その後は、みっちり、ええ、衛宮君が聖杯戦争を生き残れるように、みっちりと鍛えてあげるわ」
遠坂が“かつてない”と形容できるぐらい、
どうやら俺は、虎の尾ならぬ、
俺の一生って、今日で終わりなのかと不安を感じつつ、片面が焼けたハンバーグを裏返すと、過去最高の出来と自画自賛できる程に、均一で良い感じの焼き色がついていた。
昼食なのに、これが“最後の晩餐”となる暗示か何かだろうか……………。
昼食も後片付けも終わり、遠坂がそろそろ今日の鍛錬を始めようと言い出す頃、玄関のチャイムが鳴り響いた。
郵便か、それとも何らかの勧誘か。後者であれば桜がいれば大丈夫なんだけど、桜は今入院中なので、俺が応じなければいけない。
「…………お供します。シロウ」
そう言いだしたセイバーは、敵を目の前にした時と同じぐらいに張り詰めた顔をしていた。
まぁ、勧誘の類だとしたら、この二人を相手にせざるを得ない勧誘員には同情するな………。
「はい、どな—————」
「こんにちは。お兄ちゃん」
玄関を開け、その先に立つ来訪者の姿を見た途端、俺は目を瞠った。
そこには、昨夜バーサーカーを喪ったイリヤが、無邪気な笑顔を浮かべて立っていたのだ。
「イ、イリヤ……………!」
良かった…………。
本当に良かった…………。
聖杯戦争では敵同士である筈のイリヤだけど、こうして彼女が無事であった事が何よりも嬉しく、突然訪れた事への驚きなんて、体中の力と共に、どこかへと吹き飛んでいった。
「ふーん、心配してくれてたんだ、シロウ?」
「当たり前じゃないか………」
イリヤと共有した時間は、ほんの僅かしかなく、その内のいくらかは敵同士としてだったけど、イリヤが臓硯に襲われたと聞いてから心配しない事なんて無かった。それが、こうして怪我をする事無く再会できた事は、何にもまして喜ばしい限りとしか言えないじゃないか。
「それで、サーヴァントを喪った貴女が、一体何の用かしら?イリヤスフィール」
「あら、居たの?リン。心配しなくても、今日はリンに用は無いわ」
後ろから付いて来た遠坂の、遠慮とは程遠い言葉に、イリヤも棘のある言葉を応酬する事で、二人の間に険悪な空気が流れる。
とは言え、それは明確な殺気を伴ったモノと言うよりも、二匹の猫が体毛を逆立て、威嚇し合うかのようと形容して良いだろう。
「ま、待てよ二人共。そんないきなり角突き合わせてたら、話し合いも何も無いだろ?」
「甘いわよ衛宮君。言っとくけど、この子にあんな目に遭わされて、穏便に話し合いで済ませようだなんて、まだそんな能天気な事考えてるわけ?」
キッ、と遠坂は真っ直ぐ睨んでくる。
遠坂のヤツ、本気で言ってるな…………。
これを説き伏せるのは、とんでもなく困難そうだ…………。
「………確かにイリヤは敵だった。だけど、俺は殺し合いがしたくて戦ってるんじゃない。イリヤにはもうバーサーカーがいないんだから、俺たちが殺し合う理由なんてもうない筈だ」
「はぁ……だから甘いって言ってるのよ。いい士郎?そいつはまだマスターなの。サーヴァントを喪っても、令呪がある限りマスターはマスターだって教えたでしょう?」
あからさまに大きなため息をつく遠坂に少しカチンと来たけど、遠坂の言わんとしている事が理解できず、その意図を問い質した。
「だから、令呪さえ残っていれば、マスターは別のサーヴァント、つまり
遠坂の言わんとしている事がようやく理解できた。
イリヤがここに来た理由は、俺か遠坂のどちらか、或いは両方を殺してサーヴァントを奪い、聖杯戦争に復帰しようと目論んでいるのではないか。と遠坂は考えているのだろう。
だけど、サーヴァントはサーヴァントでしか相手出来ない以上、サーヴァントを従えたマスターを殺してサーヴァントを奪おうだなんて、今のイリヤにそんな事が出来るのだろうか?
「確かに、リンの懸念は尤もでしょう。ですが、たとえサーヴァントの脅威を無視して、マスターを害する
ここへ来て、俺たちのやり取りを黙ってみていたセイバーが助け船を出してくれた。
しかしそれは、サーヴァントとして、騎士としてのセイバーの矜持を傷つけるかのような、遠坂の発言に対しての抗議という色合いが前面に出ている。
「侮辱に聞こえたのなら謝るわ。でも現実問題として、マスターを喪ったサーヴァントは、消えるまで幾らかの猶予がある。で、その間にサーヴァントを欲しがってるマスターがいれば、そいつと契約して元通りになるって訳。例えば、
「…………確かに、そのような事態に陥らないとも…………」
セイバーが参入した事で、形勢は有利に傾いたと思ったけど、どこかで聞いた事のあると言うか、身に覚えのあるたとえを出されて、セイバーも頷かざるを得ない状況になってしまった。
俺、そんなに信用無いですかね………………?
「………私、他のサーヴァントとなんて組まない。私のサーヴァントは、ずっとバーサーカーだけなんだから…………!」
冷たい眼差しを向けながらも、遠坂の論説を静聴していたイリヤが僅かに俯き、怒りとも、悲しみともつかない声で呟いた。
イリヤとバーサーカーがどんな関係だったかは知らないけど、それでも、イリヤにとってバーサーカーは唯一の存在だったのだろう。
マスターとしてのイリヤは冷酷だったけど、自分の相棒を大切に思っていた事が意外でもあり、それと同時に嬉しいとさえ感じた。
「あ、でもシロウが負けちゃったら、セイバーは私が貰うわ。ちゃんと“カタキウチ”はしてあげるから、覚悟しておきなさいよ、リン?」
「なんで私が衛宮君を裏切る前提なのよ⁈」
イリヤが見せた意外な一面に感心しかけていた遠坂へ、一転しての宣戦布告。二人の睨み合いは、最早一色触発。ネコパンチの応酬が繰り広げられる寸前だ。
「衛宮君!こんな危険なお子様は、教会に保護させるか、森の城に追い返すべきよ!」
「待て待て!そう結論を焦るなって………!」
遠坂の
「っと、それでイリヤ、今日はどうして
「………えっとね、この街のどこかに、キリツグのお墓があるんでしょ?シロウも一緒に来て欲しいの」
「え…………?」
イリヤの申し出に息を呑んだ。
「え………っと、どう………して…………?」
そんなイリヤが、突然
それに……………。
「…………これは………そうね………
「………………!」
俺よりもずっと年下である筈のイリヤが、まるで年上にでも見えるかのような落ち着きっぷりで疑問に応えた。
「そう言う事であれば、同行してもよろしいのではないでしょうか?シロウ」
「良いのか?セイバー」
「無論、私もご一緒しますが…………」
「?」
「いえ、何でもありません。兎も角、私はシロウのサーヴァントですので、マスターの守護は必ずや」
横目でチラリと外を見やったセイバーは、どことなく歯切れが悪い物言いをしているけど、イリヤに同行する事をあっさりと認めた事は意外だった。
「シロウが心配なら、貴女も一緒に来ても良いのよ?リン」
「………………やめとく。どうやら、私が立ち入っていいような問題じゃなさそうだしね」
イリヤの問い掛けに、先程までの熱気に氷水をかけられたかのように静かになり、顎に手を置いて思考していた遠坂が、あっさりと引き下がったのがこれまた意外だった。
「じゃあ、行こう!お兄ちゃん!」
一転して満面の笑顔になったイリヤに腕を引かれ、取る物も取り敢えず家を後にする羽目になってしまった。
イリヤが何を考えているのか、全く理解出来ずに不安に駆られはしたものの、それよりも、俺の心中に在る蟠りに、どう向き合えば良いのかが不安だった。
急くようにイリヤに腕を引かれ、家の門をくぐると、そこには昨夜イリヤを救出した栞さんが、いつものバイクではなく、小ぶりでクラシックな佇まいの車にもたれかかり、腕を組んで立っていた。
「こんにちは。衛宮君、セイバー」
「っと、こんにちは………」
なぜこんな所にいるのかと尋ねてみると、イリヤだって聖杯戦争のマスターだった訳だし、バーサーカーを喪った今となっては、いくら日中とは言え、独りで出歩くのは危険すぎる。そこで、イリヤの護衛を命じられて、ここで待っていたとの事だ。
ちなみにこの車は、
「シオリ、先程から妙な気配を出さないでいただきたい」
疑問が氷解してスッキリした俺を他所に、セイバーが眉根を寄せて栞さんに抗議している。
どうやらイリヤの対応に付いてくると言い出したのも、妙に外を気にしていたのも、セイバーが言うところの
「ご無礼の段は平に。しかしながら、無礼ついでに言わせていただければ、マスターが切嗣氏の遺言の一部を貴女に託した以上、遺漏なく衛宮君を守護し奉っているか否か。聊か老婆心である事は承知の上ですが、私自身の目で確かめておきたかったのです」
「私では、シロウを護るに足りないとでも言いたいのですか………!」
「貴女の反応を見る限り、その質問の答えは“いいえ”以外在りませんが、確固たる自我があったとしても、サーヴァントは自身のマスターの精神性に、良くも悪くも曳かれる事が往々にして在り得る事を経験上知っています。ですので、セイバーに
頭を下げてセイバーに謝罪する栞さんではあるが、それは俺が緩みきっているから、セイバーに悪影響が出ているのではないかと思われていた事に、抗議の声を上げようとしたけど、先日の間桐邸での一件を、約束通りセイバーに内緒にしてくれている以上、ソレは藪蛇になりかねないので、苦笑いをするに留めざるを得なかった。
「…………まぁ、そういう意図だったのであれば、これ以上、追及する事は止めておきましょう」
セイバーも渋々ながらも、栞さんの謝罪を受け入れたようで良かった。万が一にも、この二人がここで戦闘なんか始めてしまったら、どうやって二人を止めるかなんて、考えただけで背筋が寒くなる。しかし、セイバーを試す為とは言え、栞さんももう少し方法を選んでくれてもいいものを…………。
「ところで、栞さんも
とりあえず矛は収まったとはいえ、微妙な空気が二人の間に流れているので、少し強引にでも話題を変えるべきだろう。
それに、先生は
「昨日マスターとお参りしてきましたので、今回は遠慮させていただきます。それに、今日ばかりは、
「………頼めるかな?セイバー」
チラリと視線を寄こして、俺の承認を求めるセイバーに、逆に俺からお願いした。
それに、前回の聖杯戦争で、マスターだった
「わかりました。その依頼、引き受けましょう」
そんな不安を他所に、セイバーは案外あっさりとその依頼を引き受けてくれた。
まあ、セイバーが拒絶したらしたで、俺がイリヤを護れば良いと思っていたので、セイバーもそれに加わってくれるのならとても心強い。
「それでは、終わったらお迎えに参りますので、後はよろしくお願いします」
後事を俺たちに託した栞さんは、一礼してから車を発進させて走り去って行ったのだけど、その姿が交差点を曲がって見えなくなった時に、俺はふと気づいた。
柳洞寺に行くには、家から学園までの距離とそう大して変わらないから失念していたけど、小さなイリヤには歩くだけでも大変な距離かもしれない上に、最後はあの参道の石段が待ち受けている。
せめて柳洞寺の参道前まで、栞さんに乗せて行ってもらえばよかったなぁ…………。
一歩、また一歩、空の果てまで続くかのように長く、険しい石段の硬い感触を噛みしめながら登る。
柳洞寺の参道に在る石段は、長くて険しい事で有名だ。
この石段を登って参詣する事で足腰を鍛えられたからこそ、近所に住むお年寄りは揃いも揃って健脚で、“柳洞寺には健康長寿の御利益がある”と言われる由縁でもある。
俺自身、それなりに鍛えているし、ちょくちょく柳洞寺を訪れているので、昔ほどこの石段を登るのは大した苦にならない。
それに、バイトで瓶ビールのケースを持って往復した事だって一度や二度じゃないので、小さなイリヤをおんぶして登る事なんて朝飯前、とはいかないまでも、簡単にできる事だ。
「ふぅん、シロウって弱っちいと思ってたけど、意外と力持ちなのね。バーサーカーほどじゃないけど」
そんな他愛もない会話をしながら、俺たちは街の喧騒とは切り離された石段の頂上にある山門に辿り着き、いつもと変わらない威容を仰ぎ見る。
「……………セイバー、サーヴァントの気配とか、兎に角、妙な気配なんかはあるか…………?」
ここは、つい先日まで
昨日、先生と栞さんも来ていて、さっきは特に注意を促される事も無かったのだけど、この境内のどこかに奴らが潜伏していたり、或いは何らかの罠が仕掛けられていたりするかもと、流石の俺でも警戒してしまう。
「…………そうですね……………特に違和感はありませんが、警戒は怠らないでください」
セイバーがそう言ってくれた事でホッとした俺は、おんぶしていたイリヤをそっと下ろすと、改めて周囲を警戒する。
「なぁに?シロウったら怖いの?ふふっ、可愛いね」
「なっ……!そんなんじゃないって!」
セイバーに頼ってばかりいないで、俺がイリヤを護らなければ、という思いが強い分、いつも以上に慎重になっているのだけど、当のイリヤは、そんな事情を知ってか知らずか、悪戯っぽい笑みを浮かべて、無邪気に俺をからかって来る。そう言うところは遠坂と同じなのだと言う印象を受ける。
ひょっとすると、
「大丈夫よ。もう、ここには何も無いわ」
山門とその奥にある境内、そして本堂をクルリと見渡したイリヤが、先程の無邪気さとは打って変わって、落ち着き払った声で確信したかのように告げる。
なんでも、柳洞寺は元々霊脈の影響が強いせいか、現代の魔術師には差し障りがあるらしく、一般的な魔術儀式も成立しづらいのだと言う。冬木の
しかし、神代の魔術師である
それでも、魔術的な罠が残っているかもしれないから、と注意を促されたのだけど、本堂の脇を抜け、境内の奥にある霊園へと歩みを進めていると、幾つかの罠が発動したり、破壊されたりしたと思われる、比較的真新しい痕跡があった。
どうやら先生と栞さんが、近いうちに俺たちが来る事を見越してか、
そう言う事をサラリとやってのけて、ひけらかさない辺りがあの人らしいし、その善意はとてもありがたく、イリヤも「おじ様らしいわね」と柔らかく微笑みながら同意した。
イリヤって、随分と先生に懐いてるんだな………。
やがて俺たちは、文字通り人っ子一人いない静かな霊園に到着した。
冬木の街を見下ろす山門から、本堂を挟んでちょうど反対側にある霊園を見渡すと、常緑樹と落葉樹によって、冬ならではのコントラストに彩られた円蔵山周辺の景色を望むことが出来、手近な木々の切れ目からは柳洞池が見える。
そして……………
様々な色や形の墓石が雑多に立ち並ぶ中、“衛宮家之墓”と彫られた墓の前に俺たちは立った。
黒の中に金をちりばめた様な美しい黒御影石は、その艶を曇らせる事も無く、俺たちを静かに迎え入れているかのようでもある。
墓前に立つのは何年振りだろうか。
墓の管理は、藤ねえを始めとした藤村家の人たちに任せっきりで、思い返してみても、墓前に立ったのは
別に
————子供の頃、僕は正義の味方に憧れていたんだ————
五年前のあの夜、月明かりの下で
幼い俺が、代わって叶えようと誓った、誰よりも憧れた男の夢。
————任せろって。爺さんの夢は、俺がちゃんと形にしてやるから————
そう宣言した俺を見て、唯一言「安心した」と呟き、眠るように旅立った
だけど、今の俺はそれを形にさえ出来ていない。
どうすれば“正義の味方”になれるのかさえ解らない。
そんな俺を見たら、
そんな俺を見て、
そんな俺が、
そう思っていた。
だけど………………
本当に、そうなのか?
答えは“ノー”だ。
その理想が“良い”モノだと、“綺麗”なモノだと、そう思ったから、俺は“正義の味方”になる事を、自分の意志で目指したのだ。
だと言うのに、今の俺は……………いや、今に限らず、これまでだって墓前に立とうとしなかったのは、
答えは………………
………………………………
………………………………………“イエス”…………だ……………。
あぁ………………
ほんの少し見方を変えれば、なんて単純な事だったのだろう…………。
俺は未熟で、それは自分でも自覚していたのだけど、直視する事から逃避していたんだ。
これまでは、“俺は正義の味方になれたんだ”と胸を張って
だけど、時間が経てば経つほど、その決意と現実の差は重くのしかかり、ある種の焦りを俺の中に産み落とし、それは日に日に大きくなっていった。
それでも、それを認めたくなくて、それを受け入れたくなくて、それを振り払うように、闇雲に走り続けてきた。
ここで止まってしまっては、何の為にあの日の惨劇から生き残ったのか?
その意味を探して……………。
“正義の味方”になる事が、その答えであると信じて……………。
だけど………………
その“決意”は、“単なる自己弁護”でしかなかったのだ…………………!
「シロウは、それで良いのよ」
「イリヤ…………?」
「シロウは、心も、身体も、とても弱っちいわ。だけど、それはシロウに限った事じゃない。人間なんて多かれ少なかれ、みんな同じようなモノだもん。だから、みんなソレを隠したくて、意地を張ったり、見栄を張ったりしてるだけ。良いじゃない、今日は弱っちくても、明日はほんのちょっぴり強くなってれば」
いつの間にか手を繋ぎ、俺の横を歩くイリヤが諭すように呟く。
「“人間には無限の可能性が在る”なんて言うと陳腐なセリフかもしれないけど、陳腐だからこそ受け入れ易いし、だからこそ多用し易いし、多用し易いからこそ陳腐になるのよね。兎に角、今抱えてる悩みなんてバカバカしくなるぐらい、シロウには、人間には先があるんだから」
蟠っていたモノが、スッと腹の底に収まっていくような感じがした。
俺は弱い。
“正義の味方”だなんて名乗れる程じゃない。
どう取り繕っても、その現実は変わらない。
どんな理想を抱こうとも、現実と向き合って、現実を認めてこそ、初めてスタートラインに立てるのだ。
————常に自身に問い続けろ————
それは自分自身の正義に対してだけじゃない。
自分自身そのものに対しても、常に問い続けるべきだったのだ。
鏡に映る自分から、目を背けずに真っ直ぐと。
その奥に在るモノさえ見据えるように。
その先に在る未来さえ見据えるように。
ようやく、
そんな気がした……………。
「ありがとう、イリヤ…………って言うか、俺の心を読んだな?」
「ふふん、シロウったら隙だらけなんだもの。セイバーにも警戒は怠らないようにって言われてたでしょ?もしも私が何か企んでたら、どうするつもりだったのかしら?」
「でも、イリヤはそんな事しないだろ?」
「…………………うん!やっぱりシロウはお兄ちゃんだ!」
こうして満面の笑顔を浮かべるイリヤを見るのは、今日で何度目だろうか?と考えはしたものの、静かな霊園で騒いでいる様を誰かに見咎められたら弁解のしようがないので、兎に角イリヤを窘める事に専念しなければならない。
「ねえ、シロウ?日本のお墓って、なんでこんなに小さいの?こっちのお墓なんて、何人も入ってるから、いっぱい名前が刻んであるんでしょ?みんな窮屈じゃないのかな?」
はしゃいでいたイリヤがようやく落ち着きを取り戻し、しげしげと衛宮家の墓と周りの墓石を見比べて質問してきた。
土葬が一般的な欧米出身のイリヤからすれば、この疑問は当然と言えば当然で、仏教の思想と土地確保の問題から、日本では主に火葬にする事と、その遺骨を凡そ二~三十センチぐらいの骨壺に収めて、先祖代々の墓に納めるのだと説明した。
そういえば、
本当に身体も“爺さん”になってたんだな……………。
「ふぅん…………。死んでも一人じゃないなんて、なんだか素敵ね」
欧米だと、独りで棺桶に入って、独りで土に埋められるのだから、死後の長い時間を、ずっと独りで過ごす事になるのだけど、火葬にすれば、
「でも、今のキリツグは独りぼっちなんでしょ?じゃあさシロウ、私が死んだら、
まるで遺言とも取れる不吉な言葉とは裏腹に、屈託の無い笑顔と共に“遺体が残ってればだけど”と付け加えつつ求めてきた。
「イリヤ…………その………どうして……………?」
「そっか、シロウはキリツグやおじ様から何も聞いてないのね」
だけど、先生が敢えて口を噤んだ事実が在るのだと、イリヤの言葉から朧気に感じ取った。
「そうね…………アインツベルンが前回の聖杯戦争で勝つ為に、キリツグを招き入れたのがその八年前。でも、キリツグは強い魔術師だったから、アインツベルンは妻を娶らせて後継者を残そうともしたの。それが、私のお母様よ」
「つまり……………イリヤの父親は…………………」
「そう、キリツグは私の
見上げるイリヤの表情は、今日一番と言える屈託の無い笑みであり、しかし僅かな影を含んでいるかのように見えた。
数ある書きたかった事の一つがクリアできた。と思う反面、まだ書きたい事があるのに己の遅筆っぷりたるや…………
今後も、長い目で拙作にお付き合いいただけましたら幸いです。
さて、次回は……
・曇りのち晴れでせう
・ふわっふわやぞ!
・なべてこの世はいとヤバし
・中かき回しちゃらめぇっ!
・やるっきゃないと
・先生おこ
・栞さん本気出す
・来なかったらどうしようかと不安になっていたところだ
・グレートビッグベンロンドンスター
以上の予定です。