RECODE:Falsify_Become Human 作:宇宮 祐樹
□
雪を踏みしめる音がする。
構えたライフルが震えていて、半目に閉じた片方の痛みが熱くなる。視界を覆うのは灰と白の景色で、吹きすさぶ雪の結晶が頬に冷たさを伝えていた。
胃の奥からせりあがってくるような、吐き出しそうな匂いが込み上げてくる。頭はくらくらと震えていて、けれど肌の冷たさがそれを確かなものにしてくれた。
『三』
雪を踏みしめる音がする。機械の駆動音が聞こえてくる。
立っている枝が少しだけ揺れて、けれど降り積もった雪が落ちることはなかった。トリガーにかけられた指は震えることすらも忘れていて、ただその時だけをじっと待っている。
覗いたサイトの先に映っているのは黒い鉄塊で、それはありふれた人の頭のようにも見えた。
黒い人のかたちが、雪の中をあるいていた。
『二』
雪を踏みしめる音がする。機械の駆動音が聞こえてくる。
鉄血の自動人形が一機と、周囲には四足型のドローンと飛行型のドローンが二機づつ。けれど高所にいるこちらには気が付いていないようで、吐き出す息はとても細くに感じられた。
『一』
足音も駆動音も消え去って、自身の鼓動だけが確かに伝わってくる。
そして、ぎり、と引き金を引こうとしたその瞬間――
『今じゃ!』
紫色をしたアイシールドの奥にある、無機質な瞳がこちらを向いて。
その中央を、鉛玉が貫く光景がゆっくりと流れていた。
一瞬だけ遅れて銃声がひとつ鳴り響き、直後に雪の上へ体が沈む音が鳴る。周囲を警戒していたドローンは基軸となっていた人形が破損したことにより一瞬だけ動きを止めて、そのわずかな瞬間に、銃声が立て続けに四つ、鳴り響いた。
ぽとり、ぽとりと軽い音を立てながら、雪の中に黒い色が溶けていく。
『…………もうよいぞ』
「了解」
木の枝に括り付けたグラップルを伝いながら、新雪へと足を沈ませる。腕の先より伸びるそれを巻きながらナガンの方へと駆け寄ると、彼女は倒れ込んだ人形を漁りながら、こちらへ向かって声をかけた。
「追って来てたのはこいつで間違いないな?」
「うむ、間違いない。しかし見事じゃの。一発で基部を打ちぬくとは」
「研究してる身だ。それくらい分かる」
それよりも、と促すと、ナガンは俺の思考を組むようにして、人形の腹部へナイフを突きたてる。赤い液体と、どろどろとした生体パーツが露出して、その中にナガンが手を入れると、そこから取り出した球状の物体を俺へとかかげてきた。
「これかの?」
「ああ。処分してくれ」
「請け負った」
かきん、と球体に、銀色の刃が突き刺さる。
「……それで? これは?」
「鉄血の人形に組み込まれてる感覚共有のためのパーツ。こうした量産機にだけついてるものでな。それを付けた媒体が取得した感覚の情報を一点に送信することが役目だ」
「感覚の共有?」
「つまり、だ。こいつが見たり聞いたりしたことはは全部データとして保存されて、それを管理する核となる人形へ送られるわけ。ってか、知らされていないのか」
「少なくとも儂は知らんな。その情報、本当に解禁されてるのか?」
「…………あー……」
「クビになるのも分からんでもないわ」
ふぅ、とナガンが白い溜息を吐く。
「……まあ、気休め程度だがな。あっちもこれだけの規模となると情報を一気に閲覧できないだろうし。核の人形がこいつの情報を見てないことを願うしかない」
「今更じゃろ。どうせこやつをこのまま放っておけば、正面からの戦闘になっておっただろうに。そうなればこちらの勝機は薄いからの、こうして倒せただけ良しとすれば…………」
「……そうだな。現に今は死んでいないから」
吐き出す息は、彼女と同じく白い。
震えている両手は、その冷たさを確かに伝えてくれた。
「さ、行くか。話していても始まらないし」
「…………」
「……ナガン?」
「…………――伏せろッ!」
呼びかけに帰って来たのは、とす、という軽い衝撃で。
不意に受けたそれに思わず体が崩れたかと思うと、数舜前まで俺の頭が会った場所を、鉛玉が横ぎるのがはっきりと見えた。
「――ッ! EMP! EMP焚けッ!」
「分かっておるわ!」
既に口にピンを加えた彼女が、灰色の景色へと手に持ったそれを投げる。
直後に白色の中に一瞬だけ紫電が迸ったかと思うと、いくつもの何かが雪に沈む音が聞こえていて、けれどそれは自分が新雪を踏みしめる音にかき消されていった。
たった一つだけ持ってきたが、まさかここで消費することになるとは。
「どういうことじゃ!? わし、なにか処理を間違えたか!?」
「いや、お前が何かしたわけじゃない。遠くないうちにこういう事態になるのは予想できてたが……畜生、やっぱり数には勝てんか」
こちらは二人。あちらは最低でも十五人よりも上。
最初から、見つからずに逃げるなんてことは不可能だったのだ。
「ならどうするんじゃっ! 最低でも人形だけで二十体はおるぞ!」
「そのために調整までしてこいつを持ってきたんだろうが! とにかく引きながら戦え! 死ぬなよ!」
「ああもうっ! どいつもこいつも無茶しか言わんな!」
怒声と共に、彼女の構えた銃が吠える。
元より勝てる戦いだとは思っていない。重要なのは生き残ること。敵を幾らか残しても、自らの四肢のどれかが吹き飛ぼうとも、命さえ残っていれば、俺達の勝ちなのだから。
木を背にもたれかかりながら、ふぅ、と白い息をひとつ。すぐさま銃弾が頬を掠めていき、それに思わず前へ駆けだすと、すぐ目の前の視界を遮るように、一体の人形が上から飛び掛かって来た。
「うおあァっ!? 猿かお前は!?」
そう叫ぶ合間にすぐさま地面へと組み伏せられて、銃口が額へと向けられる。たまらず下半身に勢いをつけて姿勢を崩すと、その勢いで腰のナイフに手が届いて、立ち直ろうとした鉄血の人形がこちらを向いた瞬間に、その首元へとナイフを突きたてた。
黒い液体が飛散して、口の中にオイルのような、レーズンのような味が伝わってくる。
「おい、お主! 大丈夫か!?」
「無事だ! それよりもそっちは!?」
「何体かは始末がついたが、まだ山ほど残っておる! これ一本じゃどうにもならんぞ!」
「何人かやってるのかよ……」
この状況で倒せているだけで幸運だと思うが。
「基地までの位置は?」
「あと十一キロじゃ! なんとしてでも駆け抜けて――」
そうナガンが叫ぼうとしたその瞬間。
ぱしゅ、と彼女の足から、眩しい程の赤色が飛散するのが見えた。
「――ッ、行け! 走るんじゃ!」
「けどお前、それ!」
「わしのことはいい! 早く逃げ――お? おおおっ!?」
倒れた彼女の小さな体が後方へと引き摺られて、地面の雪へにまっすぐな痕を残していく。
鉄の槍だった。細い脚を貫いているのは頭の先に四枚のブレードが付いている黒い鉄で、その根元から伸びている鉄線は灰色の見えない景色へと続いている。
困惑する叫びが、耳元と向こうから聞こえてきた。
『なんじゃこれは!? こんな奇っ怪なの見たことないぞ!?』
「捕縛用のグラップルだ! 今すぐ引き抜くかして体勢立て直せ!」
『引き抜っ、ぎ、ああクソっ! 駄目じゃ! 返しがキツ――ええい、こうなりゃヤケじゃ!』
そう叫んだすぐ後のことだった。
ざり、と肉を裂く音が聞こえてきて、それと同時に雪を掻く音が途切れたのは。
「……ナガン? おい、ナガン!?」
思わず隠れていた木から身を乗り出すと、その先に見えたのは、倒れながらもこちらへ驚くような視線を向ける彼女の影で。
その左足の先からは、眩しい紅の色が地面の白を染めていた。
「おぬし、なにをしとる!? さっさと逃げろと言うたじゃろうが!」
「置いて逃げられるわけねえだろ! 二人で逃げるっつったよな!?」
「こん……この馬鹿者ッ! 年上の言う事くらい黙って――」
どす、と。
そう叫ぶ彼女の小さな体を、黒い鉄の板が貫いて。
「か、は…………!」
声すらも、掠れて届かなかった。
「……まあ、クズにしては上出来だな。まさかここまでされるとは思わなかった」
黒い人形だった。
両腕に大きなブレードを持った、ほっそりとした影の人形。腰元まで伸びた髪の色は銀で、その隙間から覗く双眸は、うつろな金の色に光っている。
それが核となる人形だということは、すぐに理解できた。そしてそれが、俺達二人の力だけでは敵わないことも、俺達を生かす気がないことも、全て。
黒い人形が、ナガンを突き刺したままのブレードをゆっくりと持ち上げる。まるで盾のように構えられたその先でもがく彼女の姿が、俺の瞳に鮮明に映っていた。
指先が震えている。覗いた照準の先にある会話も、聞き取るのがやっとだった。
「人形と人間がひとつずつだと思って油断したのは、確かに私のミスだ。あのカスどもの中でもお前だけはやるみたいだな」
「ふ、ん…………貴様なんぞに言われても、なんとも思わんわ……!」
「そうかよ。だったら、楽に死ねると思うなよ……? この、ゴミどもがっ!」
そう叫ぶと同時、黒い人形がその細い腕を振り回す。身体を蝕む鐵から解放されたナガンは、ごろごろと雪の上をころがりながら、勢いよく木の根元へとその身体を打ちつけた。
その直後にトリガーを何度も引くけれど、放たれた鉛玉はもう片方のブレードによって遮られるのみ。そうやって俺の撃った弾を片手間に防ぎながら、黒い人形は倒れ込む彼女のそばへと歩いて、再びその肩を刃の切っ先で貫いた。
「……く、ぁ」
「はン、惨めなモンだよなぁ。そんな急ごしらえの装備で私に勝てるワケないってのに」
ふらり、と少女の体が揺れる。ぐったりとした彼女は、ぼやけた瞳で俺の事をみつめていた。
銃声は鳴り止んで、見せつけられるように、ぼろぼろになったナガンが俺と黒い人形の間で揺れている。
「……何の、つもりだ」
「なに、私が欲しいのはこの人形のデータだけだ。本来の目的も、人間のお前なんかどうでもいい。今ここで殺しても構わないし、逃がすのもぜんぶ私の自由ってわけ」
けどな、と口元を吊り上げながら、彼女が続けて、
「それ以上に私はイライラしてるんだ。お前らなんか所詮、私の暇潰しにしかならないグズどもなのに……それが、それが……! 生意気にも、ここまで逃げ延びやがって……!」
恐怖と共に、その人形に人間味を感じていた。
青白い肌は震えていて、睨みつけるその瞳には光が走っていて、怨嗟のような呟きはひどく身体を凍り付かせていて、吐き出す白い息はとても荒くて。
これもまた、人形のように見えなかった。
だから、俺は恐怖をしていたのだと、思う。
「だから一つ、遊んでやるよ」
ぐい、とナガンを自らの陰に重ねながら、彼女は口にした。
「こいつをお前の手で撃ち殺せば、逃がしてやってもいいぞ?」
「…………は?」
弄ぶようなその瞳に、思わずそんな声が漏れる。
「私としてはこいつの命もどうでもいいんだ。死んでもデータ自体は回収できるしな」
「……じゃあ、どうして自分で殺さないんだ?」
「決まってるだろ? 遊んでるんだよ。お前らなんか所詮私のオモチャでしかないんだから。さあ、どうする? 向こうのグズどもと同じように一緒に死ぬか、それともこいつを捨てて一人で生き延びるか? そのちっちゃい頭で考えてみろよ! なァ!」
震えは止まらない。
寒さによるものではない。明らかな恐怖で、けれどそれは黒い人形へと向けられたものではなくて。
「………………」
「……そう、だな。信じてるぞ」
虚ろな瞳に残った幽かな光が、消えてしまいそうだったから。
「……あ? なんのつもりだ、お前」
手に持ったARXを地面へ放り投げると、黒い人形はこちらを睨みながら、そんな声をかけてくる。けれど今の俺にとってはそんなことはどうでもよくて、ただ彼女を信じることだけしかできなかった。
腰に当てたポーチへと手を伸ばして、その先の銀色へと指を這わせる。その動作は自分でも知らないうちに滑らかに行われていて、気が付けば俺は、一丁の拳銃――M1895の照準を覗いていた。
「なるほどな、こいつの本体はそっちか。私らを騙すためにあえてそう選択したんだろうが、無駄だったみたいだな」
「……黙れ」
「はン、今から仲間を手に賭けようとしてる奴が吠えるなよ。所詮お前らは自分のことしか考えられないゴミクズなんだから」
確かに自分のことしか、俺は考えていなかったのだろう。
人形という存在を憐れんで、生きろと命じた挙句、ここまで付き合わせてしまったのだから。本来ならば消費される存在にそんなことを願うなど、愚かなことだと分かっている。
この先に救いがあるとも知らずに、ただ愚直に生き続けることだけを択んで。たとえそこで受け入れられなくとも、共に逃げるなどという責任のない言葉を投げ与えて。
けれど、それでも。
彼女の笑顔は、俺にとっては確かなものだった。
それさえあれば、俺は――
「お前は今から自分のためにこいつを捨てるんだよ! ほら、ちゃんと狙え。気持ちよく逝けるように、しかり頭をブチ抜いてやれよ?」
フロントサイトとリアサイトをゆっくりと揃えて、雪の中で目に映る蛍光色を、彼女の紅い瞳へ。その銀のサイト越しにこちらを見つめる双眸には、微かな光が映っている気がした。
両手を握り絞める。撃鉄をゆっくりと引いて、その引き金へだんだんと力を込めていく。
「ほら、殺せ! 殺してみろ! お前のせいで、こいつは――」
その声を遮るようにして、銃声が凍てつく森へと響く。
撒き散らされたのは、薄暗い夜闇のような血だった。
「が、ァ……っ!?」
きゅん、と銀色の糸のような軌跡が、黒い人形の瞳を貫く。
撃ち出された弾丸は黒い血潮を撒き散らしながら、まるで羽虫のよう宙を舞い、彼女の右腕へと潜り込む。直後に黒い人形の右腕が張り裂けて、その先にあるナガンの身体が、ぽすり、と雪の上に転がった。
「なんッ……どういうことだ!? 貴様ら、まだ私を……!」
後ずさる黒い人形に続けてトリガーを引くと、その弾は吸い込まれるようにして黒い人形の頭部を撃ち抜いていく。銃声がなる度に白い地面を黒い何かが染めて行って、ぼろぼろと生体パーツが零れ落ちていく。
きゅん、と宙を鉛玉が駆ける音。銀色の軌道は暴れるように、人形の体を引き裂いていく。
「この、私が……! ただの、人形ごとき、に……!」
やがて引き金を引いても金属音しかならなくなったころには、既にその人形が立ち合がることはなかった。
同時に倒れ込んだナガンへと駆け寄って、うつ伏せになった体を転がすと、その胸元が小さく上下しているのが目に見える。頬へとゆっくり手を伸ばすと、紅い瞳は、しっかりとこちらを覗いていた。
「……どうじゃ? 驚いたじゃろ」
「ああ。正直、冗談かと思っていたからな」
領域拡張による、一時的な弾道の操作。今の彼女の状況で可能だとは思っていなかった。
「とにかく基地まで戻るぞ」
「ああ……そう、じゃな。頼むぞ……」
背負った体は驚くほどに軽くて、銃を握りしめるその手には力が入っていないように見える。
そこから先はほとんど覚えていない。ただ彼女の命――または、それに似た何かが尽きないように、ただ足を動かすことしかできなかった。途中で後ろから何かの銃声が聞こえたとしても、俺が振り向くことはできなかった。
銃声がひとつ。ひゅんひゅんと風を切る音が聞こえて、遠くで何かが雪へと倒れ込む。
それに紛れて、立て続けに血を吐く音が聞こえていた。
「ナガン」
「……は、前だけ……ば、よい。決して……止め、でないぞ……」
聞こえてくる声は、既に途切れ途切れで、もう既に言語の出力すらもできていないようだった。
「おい、ナガンっ」
「なにも……い。……主は、おるか……? ひと、りは……」
「眼ェ覚ませ! まだ死ぬには早いだろ!? 頼むから、まだ――」
そう叫ぼうとした瞬間に、背負った彼女ごと、肩を撃ち抜かれた。
歩んでいた足はその衝撃で投げ出されて、身体が雪へと沈んでいく。投げ出された彼女は俺の眼の先でぐったりと仰向けに倒れ込んでいて、けれど指先はゆっくりと重たい動作で弾を込めようとしていた。
「ナガンっ、もう無理だろっ! やめろ、それ以上は……!」
「……主も……年…………に、頼……ば、よ……い」
千切れた片足を地面に突き刺しながら、ナガンが引き金を絞る。直後に衝撃と風を斬る音が耳元で鳴り響き、宙を駆ける弾丸がばたばたと鉄血の人形を薙ぎ払った。
「ご、ぼあッ、……、ぁ、ぅ……」
「……っ、ナガンっ!」
倒れ込む彼女を呼ぶけれど、もうそれに返ってくるものはなかった。
白い景色のその向こうに蠢く黒い影は、紫色の瞳をこちらへと向けている。動かそうとした足はずるずると雪の上に歪な痕をつくるだけで、それ以上動くことはもうなかった。
這いずって伸ばした手はその小さな手を固く握り締めて、その手はまだ確かに暖かくて、
「ぃゃ、じゃ」
「……っ」
「死にたく、ない…………まだ、死ぬのは、いやじゃ……まだ、まだ――」
縋るように絞り出された声は、つんざくような数多の銃声によってかき消された。
「……ッ!」
「ぅ、ぅ……」
正面からだった。
はじめ見えた人影は、四人。それらは俺達を目にした途端に急いでかけよって来て、倒れている俺達のことを担ぎ上げると、すぐさま基地のある方へと俺達を引き摺っていた。
気が付けばあたりには同じような人形が戦線を展開していて、聞こえてくるけたたましい銃声が、だんだんと遠くなっていく。突然のことにけれど何も口にすることはできなくて、されるがままに遠く離れた場所の樹へともたれかかると、ぼやけた視界に見えたのは、こちらを覗き込む碧色の瞳だった。
「こ、こちらMP5! 保護対象アルファ、ベータ共に確保、生存確認しました! すぐに回収班を回してくださいっ!」
「ちょっと、誰か止血剤持ってないの!? このM1895、すぐに活動停止するわよ!」
「スコーピオンちゃんっ、これ! 終わったらすぐに回収地点まで行くよ!」
視界の端に映るのは、金髪の少女に開放されるナガンの姿で。
そんな彼女に手を伸ばそうとしても、すぐに体が持ち上げられる。
「大丈夫ですからねっ! あの人形さんも、あなたも必ず助けます!」
「…………それ、は」
「だから、生きてください! もうすぐ……もうすぐですから!」
その言葉は、どうしてか心に強く残っていて。
何か救われるような、そんな心地を感じながら、俺はゆっくりと意識を手放した。
□
結局のところ、俺が最終的に行き着いた先は、最前線からも離れた地区の司令部だった。
前の作戦のことは何も聞いていない。正しくは聞きたくない、だろうか。それについて苦言を呈することも馬鹿馬鹿しくて、ただあの作戦そのものが社の想定しているものではない、ということだけ耳にした。
あの後の戦闘は無事グリフィン側が勝利したらしく、どこかの医務室で寝ている俺にもその情報は届いてきたが、あの黒い人形についての情報は果たして得られなかった。それについての情報も一応伝えてはおいたが、それが信じられるかどうかはまた別の話になる。
与えられた役割は、特務隊ということだった。
何者にも束縛されることのない、完全に独立した組織。与えられた任務の為ならば、正義も悪も、敵も味方も関係なく銃口を向ける存在。用は、ただのゴミ処理係――という建前を借りた日和部隊である。ヘリアントスという女性の口からは、そう説明された。
グリフィンを離れるつもりはなかった。単純に他に行くところがなかった、ということと、何よりも彼女――ナガンを一人にしないと、そう約束したから。
まあ、あれからの彼女がどこに配属されるかは知らされていないが。
けれど、同じグリフィンに所属しているのなら、いつか会える日が来るだろうと。
そう、信じている。
『とりあえず基地と部隊の指揮権限、その他の諸々与えておく。任務は後に与えるから、それまでに人形の調整を済ませておくように』
なんてことを言われたものだから、与えられた資料を手に、基地の中を歩いていた。
中はほとんど手の付けられていないようで、射撃場や武器庫、研究室なんかもほとんど建造当時のままということ。配属されている人形も現時点では一体のみらしく、それも後々補填されるだとか。
とにもかくにも、とりあえずは任務を受けられるような準備と人形の調整をしなくてはいけない。武器庫を確認したところ使えるものは一式揃っているので、そこで困ることはないだろう。
まあ目下の問題は、配備された人形と上手くやれるか、ということで。
「…………まあ、迷っても仕方ないか」
そう、扉を開くと、そこ居たのは――
「戻ってきたか! おかえり!」
□
「……てなこともあったのう」
「そ、そんな過去があったのね……」
「今となってはいい思い出じゃよ。のう、お主よ」
「思い出したくもないな」
苦い記憶を、さらに苦い飲み物で喉へと下していく。
午前の書類整理も早く終わり、暇になったから、ということでUMP9に「指揮官ってどうしてこんなところに配属されたの?」と聞かれたら、思ったよりも長話をしてしまった次第である。
といっても俺はほとんど口を出しておらず、話の大半はナガンの口から紡がれたものだが。
「大体、そんなことを今更聞いて何になるんだ。お前も脳を弄られたいか?」
「私は遠慮しとくよ……でも、指揮官のそういう一面って、ちょっと意外かも」
そういう一面、とは。
「そんな『なんとしてでもみんなを守る!』みたいな性格だったんだな、って」
「そうは言ってもこやつ、昔の面影とかほとんどなくなっとるからな。今となってはダラダラしてるだけのダメ男じゃ。UMP9も騙されるでないぞ」
「いや、騙されるもなにも指揮官は指揮官でしょ?」
「そうだぞ。逆にお前は身長も何も変わってないな」
「貴様ぁっ! いま何と言った!? そのド頭を撃ち抜かれたいか!?」
「な、ナガンちゃん落ち着いて! さすがに撃ったらシャレにならないって!」
背丈のことを口にするとすぐに激昂するのも、未だに変わっていない。
なんてUMP9とナガンがわちゃわちゃとじゃれ合っていると、ふと執務室の扉が開かれる。そちらに目を向けると入ってきたのは、報告書を手に持っているG41の姿だった。
「ごっしゅじーん! 今回の模擬戦闘の報告書、もらってきたよ!」
「ん、了解。ご苦労だった」
とたとたと机に寄りかかって来て、纏めた書類を渡してくるG41に、そう声をかける。するとそっちのもめ事もカタがついたのか、疲れた様子で椅子に腰を下ろしているナガンが、G41の方へ向けて手を振っていた。
「ほーれほれG41、こっちに来るがよい。頭を撫でてやるぞ?」
「ほんと!?」
とてとて、ばふん。
「わーい! おばあちゃーん!」
「ほれほれ、愛いやつよのぅ。撫でてほしかったらいつでも言うのじゃぞ?」
「あのね、おばあちゃんの手ね、他のみんなと違ってあったかいから好きだよー」
「…………そう、か。それはよかったの」
向けられた青色の瞳に、ナガンは少しだけその顔に影を差す。そうして向けられた視線の先には、義足になった左足が無機質な光を放っていた。
「指揮官、報告書読まなくてもいいの?」
「そうだな…………飯食い終わったらな。午前の業務はほとんど終わったし」
「でも、せっかくG41ちゃんが持ってきてくれたんだよ?」
「あーわかったわかった。今見るから。クソ、お前もだいぶ俺の使い方分かってきたな……」
「ふふ、なんだかんだで指揮官が優しいの、知ってるもん」
にま、と笑う彼女に向かい合うのが照れくさくて、逃げるように書類へと目を通す。
それからの言葉はない。UMP9は自分のデータ管理に入ったし、ナガンとG41は無言でじゃれ合っている。俺もこれといって伝えることもなく、ただ書類を一枚一枚めくる音だけが、小さな執務室の中で響いている。
ふと脳裏には、あの雪の降る日のことが思い出されて。
「…………平和じゃのう」
「……ああ」
ぽつりとつぶやかれたナガンの言葉に、それだけ返す。
しんしんと降り積もる雪の景色が、窓の外に広がっていた。
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ノリとしてはこんなユルい感じで
不定期更新ですがよろしくお願いします