迫り来る魔物の顔面目掛け、ベルは巌の如きその拳を叩きつけた。
破裂する魔物の顔面、飛び散る血と脳漿、それはほんの一瞬の出来事だった。
すぐさま魔物から紫紺色に輝く魔石を引き抜くと、ベルは初めて手に入れた魔石を高々と掲げ、力強く雄叫びをあげた。
(語り部)
ベルが初めて、バベルに潜って、仕留めた相手は、ミノタウロスというモンスターだった。
それも素手でだ。
本来であれば、駆け出しの冒険者が集まる一階層にいるようなモンスターではなかったが、
偶然にも何かの拍子で紛れ込んできたらしい。
その当時の文献によると、この若きキンメリアの蛮人は、何の武器も防具も持たず、猛獣のなめし革で造られた腰ミノのみでダンジョンに潜ったという。
そうだ。腰ミノ一枚、それが最初にオラリオを訪れた時のベルの持ち物の全てだった。
笑い話ではあるが、文字通りベルは、裸一貫からのし上がったのだ。
そして後に戦友の一人になる剣姫アイズ・ヴァレンシュタインとの出会いもここから始まっている。
(終了)
ミノタウロスの血と脂で染まった指先で、ベルは自らの顔と胸に紋様を描き始めた。
これはキンメリアの戦士達が、仕留めた相手の力を取り入れるために描く紋様の一つだ。
そして、次の獲物はいないかと、両眼を左右に動かした。
その時、こちらに向かって誰かが走り込んでくるのが見えた。
それは人間の少女で、どうやらモンスターとは違うようだった。
「あの、大丈夫ですか?」
ベルは心配そうに尋ねてきた少女をじっと見つめると、少し間を置いて口を開いた。
「……ああ、大丈夫だ」
ベルはこの少女が敵なのか味方なのか、注意深く観察し、いつでも攻撃に転じられるように膝を軽く屈伸させた。
「それならいいのですが……」
一方、少女──アイズ・ヴァレンシュタインもベルのその姿に考えあぐねていた。
一応は、意志の疎通が図れるようなので魔物の類ではないのだろう。
だが、それを抜きにしても異様な風体と言えた。
オラリオの街中には、確かに半裸になる冒険者もいる。
だが、ここはバベルなのだ。
そういう意味では、この目の前にいる若者と比べて、魔物であるゴブリンやコボルトの方が、まだ文明的であると言えるからだ。
それにしても一体何者なのか。
寸鉄帯びずにミノタウロスを倒したこの男は。
アイズは若者から視線をそらさなかった。
明らかに鍛え抜かれた身体をしている。
半裸の肉体から窺えるその四肢は、異様なまでに隆起しており、まるで大蛇を彷彿とさせた。
「……用がなければ俺はもういく。ヘスティアが俺の集める魔石を待ちわびているからな……」
酷く訛りのある言葉で、無愛想にそう告げると、ベルは去っていった。
(語り部)
これが蛮人ベルと、剣姫アイズとの最初の邂逅だったという。
さて、ベルがどこで戦闘技術を学んだかについてだが、彼は一時期、剣奴として過ごした期間がある。
その時に戦士ベルは戦い方を習得したようだ。
ちなみに少々話がずれるのだが、彼が何故女神ヘスティアのファミリーに入ったのか、その理由をここに記述する。
オラリオに現れた当時のベルは、まるで浮浪者よりも酷い格好をしており、また、その訛りのせいで、
どこのファミリアの門番も相手にせず彼を無碍に追い払った。
後にこれらの行為はオラリオ最大の愚行の一つに数えられることとなる。
さて、空腹を抱えたまま、野宿をしていたベルに対し、声をかけた女神ヘスティアは、
一杯のスープとジャガ丸くんを振る舞い、彼に寝床を貸し与えた。
これに恩義を感じたベルは、女神に報いるためにヘスティアファミリアに入ったのだ。
この時のベルの年齢は、十四、五ほどだったという。
(終了)
饐えた臭いを発する麦酒は、お世辞にも美味いとは言えない代物だった。
まるで酸っぱい小便だ。
それでもベルは黙々と飲んだ。馬の小便よりは、まだ、マシな味がしたからだ。
ここは場末の安酒場、ゴロツキや与太者、それに安娼婦の溜まり場として知られた場所でもある。
魔石を売って得た金をこれ見よがしにチャラチャラ鳴らしながら、ベルは木製のカップに注がれたエールを一気に飲み干した。
「よう、兄さん、景気がよさそうじゃねえか」
と、右目に眼帯を巻いた無精ひげまみれの酔っぱらいが、ベルに声をかけてきた。
金の匂いを嗅ぎつけ、どうやらベルにタカリに来たようだ。
「そういうお前は金に縁が無さそうなツラをしているな」
「へ、言ってくれるじゃねえか」
「言っては悪いか?」
「は、口の減らねえ奴だ」
「お前は馬鹿か。口が減っては飯が食えんではないか」
ベルの言葉に無言で剣の柄を握る男──だが、その前にこの蛮人は男の脇腹に軽く拳をめり込ませていた。
そして昏倒する男を抱き抱え、店のものにどうやらツレが酔いすぎたようだと告げると、外に引っ張り出し、
その持ち物を全て奪うと、路上に放り捨てた。
ベルに文明社会の倫理観や善悪など通じない。
欲しければ奪う。それだけだ。