胸元に突き刺さったままの短剣を押さえながら、暗殺者であるヴィスタは急いだ。
曲がりくねった街路を走り抜け、建物の間を横切る。
全身の血が流れ出す前に治療しなければ、待っているのは自らの死だ。
焦るヴィスタ。
隠れ家にたどり着いたヴィスタは、ドアを激しく乱打した。
「俺だっ、ヴィスタだっ、早くここを開けてくれっ」
ドアが開くのを見ると、ヴィスタはひとまず安堵し、ため息を漏らした。
その刹那、闇に閃光が走った。
背後から振るわれた剣で、自らの首を落としても、ヴィスタは安堵の表情を浮かべたままだった。
ヨグの信者達の隠れ家にたどり着いたベルは、建物内へと侵入した。
ベルが右側に立っていた見張りを雁金に斬り捨て、左側に居た男の脇腹を真一文字に薙ぎ払う。
男達は、血煙と臓物を零しながら絶命した。
天井から揺れている魔石灯のランタン──ベルは瞬時に叩き壊した。
真っ直ぐに伸びた廊下を突き進みながら、人や魔物の気配を探る。
だが、近くから、何者かの気配を感じ取ることはできなかった。
地下へと通じる階段を降りていくベル。
澱んだ空気に染み付いた、むせ返るような血と腐臭、それだけでこの地下が、
どういう目的で作られたのか、わかろうというものだ。
ベルは壁に耳を押し当て、辺りの様子を伺った。
壁の向こうから、か細いすすり泣きの声が聞こえてくる。
ベルはその握り締めた拳で、黒い玄武岩の壁を、思う存分に打ち砕いた。
砕け散った玄武岩が、ベルの打ち込む拳の強烈な衝撃で、激しく四散した。
そこでベルは見たのだ。
フックに吊るされた人間の死体、そして壁から伸びた鎖で繋がれ、哀れな声を上げる虜囚達の姿を。
ここはヨグの信者達の食料庫だったのだ。
暗黒の中に怪しげに光る複数の黄色い眼、灰色の肉体をした数人の影の正体──屍食鬼だ。
食人の神であるヨグを崇める者達の中には、屍食鬼もまた、多く存在している。
破壊された壁から、突如として出現したバーバリアンに、屍食鬼達は驚き、狼狽している様子だった。
ベルは怪鳥の如く跳躍すると、屍食鬼達へと、蛮刀を振り下ろした。
手前の屍食鬼を、拝み打ちで斬り捨てる。
血の花が咲いた。
剣を振るい続けるベル、血の花が咲き乱れた。
手も足も出すこと敵わず、屍食鬼達はその骸をベルの前に晒すだけに終わった。
ベルが無言のまま、虜囚達を繋ぐ鎖を叩き切っていくと、眼で逃げろと促す。
虜囚達はベルに対し、何度も感謝の言葉を述べると、この忌まわしき場所から逃げ出していった。
幸いにも、彼らは他のヨグの信者に見つかることなく、何とか逃げおおせることができた。
そして、ベルは地下の更に奥へと進んだ。
地下通路は、三百メートルに渡って伸びていた。
通路には曲がり角が、二箇所ほど点在しており、そこにはトラップと魔物が潜んでいたが、ベルの前には何ら意味をなさなかった。
青銅のドアに立つと、ベルはいつものように蹴破り、その壊れたドアをくぐった。
出た先は大広間だった。
素早い動きで兵士達が、ベルを取り囲んだ。
ざっと見積もって、二十人ほどか。
そこへ白い絹のトーガを纏った初老の男が、進み出てくる。
「我らの隠れ家へようこそ、戦士ベルよ」
穏やかな口調だった。
「貴様がこいつらの親玉か?」
「一応は。ただし、私は大いなるヨグを奉る司祭の一人に過ぎんがね。私はチャド・アグスという」
「そうか。ならば、とりあえずは貴様らを皆殺しにし、それから後々の事を考えよう」
憮然とした口調で告げるベル。
周りの兵士たちが色めき立った。
「そのことについてなんだが、どうであろう。一時休戦と行かないか。
至高の存在であるヨグの化身を滅ぼされた時は、その悪鬼の如き所業に流石の我々も色を失ったがな。
だが、調べれば調べるほど、お前という男がわかってきた」
「ほう、わかってきたとは?」
嘲るような視線をチャドに向け、ベルがニタリと笑う。
「ああ、そうだとも。ベル、お前は盗賊であり、暗殺者であり、破壊者であり、生まれついての略奪者だ。
敵を討ち滅ぼし、鮮血に酔いしれ、他者の悲鳴を地に轟かせること、それこそがお前の歓びだ。
セトの司祭であるダビを仕留めたその手並みは、まさに見事としか言い様がない」
「よく喋る口だな」
「まあまあ、私の話を聞いてくれ。キンメリアの狂戦士よ。殺戮と闇の申し子よ。
どうだろう、我々のファミリアに入る気はないか?
勿論、お前の女神であるヘスティアを無下に扱うつもりはない。
我々のファミリアの食客として、迎え入れ、充分な配慮をするつもりだが。
お前は素晴らしい戦士だ、ベルよ。偉大なるヨグもさぞやお慶びになるであろう」
「ふむ、悪くはない申し出だが……」
ベルは考え込むような素振りを見せた。
「おお、ならば……」
だが、次の瞬間、鞘走ったベルの剣が、チャドの胸板を刺し貫いていた。
「生憎と、貴様らの飼い葉桶の藁を食う気にはなれん」
その光景に惚けていた兵士のひとりの下腹を鎧ごと鷲掴み、ベルが引きちぎる。
引きずり出したハラワタを放り投げ、ベルは牙を剥いた。
大広間に響き渡る兵士達の断末魔の悲鳴、あとには無残なる屍だけが取り残された。
その翌朝、中央広場には、奇妙なオブジェが並んだ。
それはモズのはやにえの如く、串刺しにされたヨグの信者達だった。
その串刺し死体には看板が立て掛けられていた。
<我がヘスティア・ファミリアに手を出す者、かくの如しなり>と書かれた看板だ。
その頃、ヘスティアとリリルカを迎えに行ったベルは、ふたりを連れて、<豊穣の女主人亭>へと朝飯を食いに行ったのだった。