水の迷都で引き起こされた大人災によって、ジャガーノートは目覚めた。
ドラゴンの白骨にも似た、その姿を露わにし、再び殺戮を破壊をもたらさんと両腕を広げる。
だが、復活したその直後、ジャガーノートは、無残にも砕け散ったのである。
砕け散る寸前、ジャガーノートは見たのだ。
腰布一枚のみで、己に素手で殴りかかってきた蛮人の姿を。
それは、バベルの壁から掘り出された不気味な石像だった。
誰が造ったのかもはっきりとしない、太古の時代から存在する石像だ。
石像は、鱗に覆われ、頭部は奇形めいた魚だった。
鋭い鉤爪を伸ばし、石像は、今にも襲いかからんとしているようにも見える。
開かれた大顎からは、恐ろしく鋭い牙が並び、石像のその飛び出た眼球は、何も映そうとはしない。
その半魚人じみた歪な石像は、狂気の産み出した産物にも思える。
「おお、偉大なる暗黒世界の神よっ、我らの願いを聞き届けたまえっ、我らは大いなるダゴンの忠実なる下僕なりっ
未だにハイドラの石像見つからず、我らに道しるべを示したまえっ、石像の在り処を我々に示したまえっ!」
石像に跪き、何度も叩頭しながら、居並んだ信者たちが、祈りの言葉を口にしていく。
彼らは、コルダヴァ人を先祖に持つ混血者達であり、インスマスから、このオラリオへと流れてきた集団だった。
彼らの多くは、オラリオに居を構えているが、中には水の迷都に隠れ住む者たちもいた。
ダゴン崇拝者の高僧であるディ=バダダが、ローブから顔を出す。
その相貌は、エラ張った魚のようだ。
ディ=バダダは、再び祈祷を捧げながら、ダゴンの石像へと神託を願い出た。
「ハイドラの石像だと?」
火酒を飲んでいたベルが、クラークに聞き返す。
「ええ、そうです。なんでも、その石像がオラリオに運び込まれたとか」
「それで、その石像にいくらほどの価値が有るというのだ」
「ある蒐集家が、三千万ヴァリスで求めてるようですよ」
空になったコップにエールを注ぎ、チビチビと飲むクラーク。
「三千万ヴァリスか。それだけあれば、好きなだけソーマ酒が飲めそうだな。
ヘスティアの教会も増築できるだろう。それで、その石像はどこに運ばれたんだ」
ベルはクラークにせっつくように話を促した。
この蛮人は、儲け話は嫌いではないのだ。
「ええ、それなのですが、どうやらバベルの最上階へと、石像は運び込まれていったそうですよ。
つまりは、女神フレイヤ様のお部屋へと」
その時、ベルの表情が憤怒に大きく歪んだ。
荒い息を吐き、ベルがフレイヤを罵倒し始める。
「あの天界の雌犬めっ、いつかその尻を散々に責めてやろうと思っていた所だったが、渡りに船とはこの事だっ。
この俺が、ひとつギャフンと言わせてくれるっ」
ジバガを背負っていた時、ベルは、このコラジャ人の冒険者から一部始終を聞き及んでいたのだ。
ベルは面白半分で、ヘスティアを狙わせた、この性悪女神に手痛いしっぺ返しを食らわせてやろうと、考えていた。
あるいはオラリオに現れた当初のベルであれば、本能の赴くままに、フレイヤ・ファミリアを襲撃していただろう。
だが、今のベルには多少なりとも知恵がついている。
ただ、襲撃するだけでは面白くない。
ゆえに襲撃のタイミングを見計らい、どうやってフレイヤの鼻を明かしてやろうかと、思案を巡らせていたのだが、
その矢先にクラークから石像の話を聞き及んだ。
他に何か良い案も思い浮かばなかったので、とりあえずベルは、石像を盗み出すことにした。
そしてベルは、直ぐ様、酒場を出ると、その足でバベルへと駆けていったのである。
バベルの最上階に構えられたフレイヤのプライベートルーム──ベルは夜陰に乗じて、忍び込んだ。
室内は瀟洒な造りをしていた。
光沢のある絹を編んだ天蓋つきのベッド、大理石の床には緋色の厚い絨毯が敷かれ、付柱や天井には、艶やかな絵細工が彫られている。
真紅の繻子のクッションが置かれた、黄金で出来た椅子は、女神フレイヤの玉座といったところか。
ベルは剣を引き抜くと、黄金の椅子を両断した。
それにしても誰も見当たらない。
どう考えても罠だ。
だが、ベルはあえて罠に引っかかってやろうと考えた。
卓上に置かれたクリスタルのデカンタを掴み、ベルが中身の赤ワインを飲み干す。
恐ろしく上等な酒だった。
ベルは空になったデカンタを壁に投げつけ、わざと音を立てた。
それでも誰もやってこないので、とりあえずベルは石像を探すことにした。
だが、探している途中で、何かしらの気配を感じ取り、ベルは歯を見せて笑うと、後ろを振り返った。