振り返ると同時に、白刃が煌めいた。
ベルが真横に薙がれた剣を屈んで躱し、後方へと跳躍する。
ベルの前に立つ浅黒い肌をした大男が、無言で剣を構え直した。
「オラリオの野蛮人、辺境キンメリアの無教養な大猿が、ここで何をしている」
大男がベルの喉笛に剣を突き出す。
「そういう貴様は性悪な牝馬の男妾、発情した雌猫フレイヤの飼い猪と名高きオッタルだな」
「……一体何をしに来た、この盗人の原始人めが」
「知れたこと、貴様が尻に敷かれているあのどうしようもない雌犬の操を奪い、ついでにハイドラの石像を盗み出し、鼻を明かしてやろうと思ったのよ。
二度とヘスティアにちょっかいをかけさせぬようにな」
「……さっきから聞いておれば、粗野で下品な野蛮人めっ、我が女神に対する数々の罵詈雑言許さんぞっ」
怒気を孕んだオッタルが、鋭い殺気をベルに放つ。
だが、ベルはそんなもの、どこ吹く風とばかりに受け流した。
「俺は事実を言ったまでだ。それに蛮人なぞ、本来下品で下世話なものよ」
「……」
無言で斬りつけるオッタル、鞘走らせた剣で受けるベル。
キンっ
刀身が火花を散らせ、甲高い音が鳴り響くと、再び静寂が訪れた。
さっと互いに距離を取り、相対する。
距離は約一間(一・八メートル)ほど。
一歩でも踏み込めば、それが互いの死の間合いとなる。
剣を斜めに構えながら、オッタルは心の内で驚愕した。
この男、恐ろしく強いっ!
オラリオ唯一の七レベル、そして先頃には、ついには前人未到と呼ばれた八レベルの高みへと登りつめ、
オッタルは己こそが世界最強の戦士であると、自負していた。
だが、その自信は、今や大いに揺らいでいた。
ベルがオッタルの心を見透かすかのように、片唇を釣り上げた。
己の動揺を読まれたかっ。
焦りが生じ、オッタルは先に動いた。
下段から斬り上げ、ベルの内股を狙う。
だが、いち早く動いたベルの剣が、オッタルの剣を弾き返した。
「魔物との斬り合いは慣れていても、人との斬り合いには、そこまで慣れてはおらんようだな、オッタルよ」
真紅の両眼が、オッタルを見据える。
そして、三度、剣と剣とを激しく打ち合わせ、蛮人ベルと猛者オッタルは、火花を飛び散らせたのである。
だが、舞い続ける剣戟に、オッタルは徐々に押されていった。
オッタルはベルを侮っていたのだ。
所詮は、力任せの戦いしかできぬ、荒野の野良犬だろうと。
だが、ベルの剣技は、恐ろしい程の精妙な動きを見せた。
加えて、とてつもない豪腕でもある。
このままでは、押し負ける。
そう悟った、オッタルは、乗るか反るかの賭けに出た。
乾坤一擲の大勝負だ。
ベルとの距離を取り、腰元に剣をつけると、船乗りが、カイを漕ぐかの如き構えを取ったのである。
ベルが勢い良く振り下ろした剣の鍔元の当たり、そこに狙いを定め、オッタルはええい、ままよっ、と、渾身の力を込めて薙ぎ払ったッ!
ギィンッ
刀身が波打った。
オッタルの刃先が、ベルの剣の鍔元に食い込む。
そして、次の瞬間、ベルの剣は根元からへし折れた。
勝ったっ。
オッタルは自らの勝利を確信した。
だが、ベルは勢いを殺すことなく、残った刃先で、オッタルの肩口を切り裂いたのである。
「俺の剣を断ち切ったのは見事だったぞ、オッタルよ。だが、その傷ではもう戦えまい」
よろめき、切り裂かれた肩口を押さえるオッタル。
「……殺すが良い」
押さえた指の間から鮮血を滴らせ、オッタルが呻くように言う。
「いや、殺しはせん。お前には伝達役を頼んでいく。あの雌犬に伝えるが良い。俺は蛇よりも執念深いとな」
そして、ベルは床に落ちたオッタルの剣を取り上げると、己の鞘に差し込んだ。
「この剣は貰っていくぞ。なんせ、俺の剣は壊れてしまったからな。
さて、これでゆっくりと、ハイドラの石像を探せるというものだ」
そして、まんまと石像を盗み出すと、ベルはオラリオの闇夜に紛れ込んだのである。
それから数日もしない内に、ベルはクラークを通じ、蒐集家にハイドラの石像を売りつけた。
蒐集家は大喜びで石像を買い取り、ベルに大枚を払ったのである。
その金でベルは教会を修繕し、近くの土地を買い上げた。
頭上に昇った太陽が、青々とした若葉に光を投げかける。
ベルは黙々と雑草を刈り取り、クワで土を耕した。
近くを通りかかったカヌゥが、そんなベルに声をかける。
「今日もご精が出やすね、旦那」
「うむ、働かざるもの食うべからずというからな」
「ご立派なことで。それで旦那は何をお作りになってるんで?」
「うむ、これはな」
ベルがその巨躯を起こす。
ベルの周りには、色とりどりの鮮やかな花が咲き誇り、それが風に揺れて、花びらを空中高くに舞い上がらせた。
ベルはカヌゥに対し、言葉を続けた。
──これぞ不老長寿の霊薬、黒いロータスだよ、と。
その言葉とともに、舞い散らばる花びらが、ベルの半裸を包み込んでいったのだった。
それから更に数日ほどすると、石像を売り払った蒐集家から、ベル達は護衛の依頼を頼まれた。
何でもハイドラの石像が、夜な夜な不気味な音を発し、外にはいくつもの人影が見えるのだという。
盗賊が石像を狙っているのではないかと考えた蒐集家は、石像の見張りと、そして夜な夜な起こる、
この怪異の調査をベルに頼んだのである。
ベルはこの依頼を承諾した。
石像の調査はクラークが担当し、ベルが蒐集家と石像の護衛に当たることになった。
他には、リリルカとカヌゥを助手として呼び、それからベルは一晩中、屋敷を見張ったのである。
窓を見やると、外ではポツポツと雨が降り始めていた。
オラリオのはずれにある屋敷を遠巻きに、ダゴン秘密教団の一人であるランズは、石像を奪い返すチャンスを狙っていた。
ハイドラの石像が、フレイヤ・ファミリアの手にあると、知った時は多いに焦ったが、その石像は、今では富豪の蒐集家の手に渡っている。
これなら御しやすいと踏んだランズは、仲間と共に屋敷を襲撃する機会を伺っていた。
襲撃は大雨の日だ。
深きものどもの血を引く者達は、水の中でこそ、真の力を発揮できるからである。
他の教団メンバーの中には、石像を買い取れという意見を出すものもいたが、ディ=バダダはそれを許さなかった。
神の石像を金で購うなど、言語道断であると。
この一声で、メンバーはディ=バダダの言葉に従うことにした。
そして、やっと待ち望んでいた雨が降り始めると、ダゴン秘密教団のメンバー達は、行動に移し始めたのだった。