人の形をした紅眼の白虎──それがベートの抱いたベルに対する最初の印象だった。
それもただの虎ではない。
恐ろしく狡猾な人食い虎だ。
あれからロキ・ファミリアの主神であるロキは、怒り心頭に発し、あいつは一体何者やっ、と、怒鳴り声を撒き散らした。
確かにファミリアのメンバー内では、誰もベルを知る者はいなかった。
あれほどの手練であれば、それなりであっても名を知られているはずなのだが。
酒盃を重ねていたベートは、空になった杯をもどかしげに投げ捨てた。
新しい剣を手にベルは、人気の途絶えた暗い街筋を駆け抜けた。
到着した廃教会では、既にヘスティアが眠りについていた。
ベルは壁に吊るされた外套を、寝入ったヘスティアにかけてやると、床に腰を下ろし、鞘から引き抜いた剣を食い入るように眺めた。
蒼白き輝きを称える、その剣のなんと美しいことよ。
ベルは闘争の予感に血を滾らせた。
「待っているが良い。ヘスティア、俺の小さな女神よ。俺はこの剣を振るい、お前に巨万の富と大勢の奴隷をもたらしてやろう」
一瞬、獰猛な笑みを浮かべると、剣を鞘にしまい、それを抱いたまま目を閉じた。
(語り部)
蛮人であるベルは、聖人君子でもなければ、清廉潔白の士でもない。
むしろ、このキンメリアのベルは、生粋の略奪者である。
敵対者を討ち滅ぼし、財宝を奪い、多くの兵士を従え、鮮血と酒に酔いしれる、それこそが、ベルにとっての無上の歓びなのだ。
そして死後にヴァルハラへと召され、永遠の闘争を繰り広げること、これがベルの唯一の望みだった。
(終了)
激しい剣戟が轟き、敗北者は次々に倒れ伏していった。
戦士達の鮮血を啜る砂地が、どす黒く染め上げられていく。
見物客達は飛び散る血の雨と殺戮に狂喜し、恍惚の表情を浮かべ、酔いしれた。
殺せッッ、殺せッッ、殺せッッ、怒号を飛ばし、血に飢えた客達が騒ぎ立てる。
早く血を見せろと。
右腕を失ったピクト人に怯えの表情が走った。
このピクト人はベルではなく、見物客達の狂気と殺気に怯えたのだ。
戦斧を振り下ろすベル、肩口から腹まで切り伏せられ、ピクト人の剣闘奴隷は砂埃を上げながら倒れた。
身体を捻じ曲げて横たわった亡骸が、ベルを恨めしげに見上げる。
一瞬の沈黙が辺りを支配した。
そして、どっと沸き起こる歓声、ピクト人の首を切り落とし、ベルは高々と掲げてみせた。
すると客達は次々にベルを称え、惜しみない賛辞と金貨の雨を降らせた。
それはとてつもない愉悦感を、ベルにもたらした。
背骨から肉槍を貫くほどの快感だ。
奴隷として見下されるはずの存在であるベルは、この時だけは支配者となったのだ。
人々はベルが、敗者の首級を掲げるほどに褒め讃えた。
それから剣奴としての時が、刻々と過ぎていった。
無数の魔物や剣奴を相手取り、勝ち進んできたベルは、もはや誰も相手にはならなかった。
そして同時にベルの魂は、解放と自由を求め始めた。
両手足を鎖で繋がれ、牢獄に閉じ込められたベルは、静かにその時を待った。
決して焦ることなく。
いつものように味気のないオートミールの食事を、ベルは無言で食い続けた。
見張り番が巡回に来ると、ベルは腐った藁に身を横たえ、苦しげに悶えると、見張り番の目の前で、吐瀉物を撒き散らした。
ベルは、他の奴隷とは比べ物にならぬ程の価値ある剣闘奴隷だ。
万が一、何か間違いがあれば自分が奴隷に落とされかねない。
そう思い、慌てた見張り番は、何の警戒もせず、牢獄内へと足を踏み込んだ。
たった一人で飢えた虎の巣に飛び込むような愚行といっても良いだろう。
ベルは瞬時に鎖を引きちぎり、手刀を打ち込んで見張り番の頚椎を砕くと、牢獄から抜け出した。
ベルは、この日の見張りが五名しかいないことを、聞き及んでいたのだ。
そして残りの見張りを闇に乗じて始末すると、鉄格子の門を素手で捻じ曲げて脱出したのである。
それからベルは、荒野をさまよい続けた。
アティクスの毒沼、毒蛇と人食いワニの潜むジャイナの湿地帯、灼熱の太陽がその身を灼くゾラの砂漠、そして峻険たる山々、
蛇やネズミの血肉を啜り、雑草を食み、泥水を舐めながら、
数ヶ月もの放浪の末、ベルはようやくオラリオにたどり着くことができた。
だが、乾いた血と汚泥にまみれ、腰布一枚を巻いただけの蛮人の若者を相手にするものなど、このオラリオには皆無といってもよかった。
いや、ひとりだけいた。それが女神ヘスティアだった。
そしてヘスティアは、この野獣の如き蛮人の魂に温もりを灯したのである。
エイナ・チュールはベルが苦手だ。
あの獣の如き眼で見られると、思わず萎縮してしまう。
ベルは寡黙であり、始終こちらの話を黙って聞いてくれている。
また、何かしてくるというわけでもない。
それでも、ああ、それでも、エイナは自分が誰と喋っているのかわからなくなることがある。
ベルと相対するとき、そこには人間ではなく、一匹の野獣を相手にしているような気分に襲われるのだ。
そもそも野生の獣に人の言葉が通じるものなのだろうか。
赤く光るベルの両眼は、どこまでも澄み切っており、そして冷たい。
子供の頃に見た豹の眼が、あれと全く同じである事をエイナは覚えていた。
ゆえにエイナはベルが苦手なのである。