「まあ、エイナにちょっとした土産話が出来たことだし、良しとするか」
古くなった干し肉をエールで流し込むと、ベルはもっと上等な酒とツマミを持ってくるように女将に言った。
ここはダイダロス通りにある場末の酒場だ。
盗賊、詐欺師、女衒、奴隷商、殺人者、娼婦、与太者、浮浪者、ゴロツキ、
スリ、傭兵──世間から爪弾きにされた者達の小さな王国、それがダイダロス通りだ。
殺人が横行するダイダロス通りの狭い路地の脇には、風物詩のように常に泥濘の中に死体が沈んでいたが、
それが本当にこの場所で、殺されたものなのかどうかはわからない。
この場所に死体を捨てに来る輩もいるからだ。
狭い路地が、複雑に入り込んだこのスラム区域は、さながら怪奇極まる迷路のようであり、
敷石のない道は、常に汚泥にぬかるんでいる。
悪臭の漂う暗い界隈に腰を下ろし、うろんげな視線を投げる垢じみた浮浪者達は、隙を見せれば瞬時に強盗と化すだろう。
ベルはこのスラム街が嫌いではなかった。いや、むしろ好ましくさえ感じていた。
この場所には文明の秩序は届かず、ゆえに好き勝手できるからだ。
また、身を隠すには持って来いの場所でもある。
盗みを働いても、ここに逃げ込めば衛兵が追ってくることもない。
あとはほとぼりが冷めるまで待てばいい。
このキンメリア生まれの蛮人は、勇猛な戦士でもあるが、同時に厄介な無法者でもあった。
荒くれ者達の発する饐えた汗と安酒の臭い、時折飛び交う酔っぱらいどもの罵声、そして娼婦達があげる姦しいほどの嬌声、
今にも壊れそうな粗末なテーブルを叩き、酔っぱらいが酒を持って来いと怒鳴り散らす。
蛇革を張った太鼓を打ち鳴らすピクト人の音色に合わせ、艶かしい肢体を惜しげなく晒しながら、
細い腰をくねらせているのは、出稼ぎにやってきたクシュの踊り子達だ。
ベルはしたたかに酒を飲み干していった。
「ベル様はお酒が好きなのですか?」
「ああ、好きだとも。戦の次くらいにはな」
「それならば、ソーマというお酒をご存知ですか?」
「ソーマというと、神の酒ハオマか。どのような味がするのか、興味はあるな」
その時、小柄な中年男が、ベルの背後を通り過ぎようとした。
次の瞬間、ベルは男の右手首をへし折っていた。
「俺の財布だ。返してもらうぞ」
男の掌から革袋の財布を取り返すと、ベルはスリを突き飛ばした。
「腕の骨は綺麗にへし折ってある。次に会うときはもっとスリの腕前を上げておくのだな」
それから二人は酒場を出た。
リリルカはベルの後を付いていった。
リリルカは、どうしてもこの蛮人との繋がりを潰したくはなかった。
力の弱いサポーターであるリリルカが、危険なバベルのダンジョンで生き残るためには、どうしても強い存在が必要不可欠なのだ。
その為にもベルの力が必要だった。
そして、ベルの力を貸してもらうための算段もあった。
このキンメリアの蛮人を自分と同じく、ソーマ中毒にすればいいのだ。
あとはゆっくりと親密になって、絡め取っていけばいい。
ベルは確かに命の恩人ではある。だが、リリルカはどうしても生き延びなければならなかった。
その為にはどんな事でも利用する。
それが例え、恐るべきキンメリアの蛮人であってもだ。
(語り部)
パルゥムの娘であるリリルカの心は冷え切っていた。
リリルカの両親はソーマに狂い、バベルでその命を散らした。
そして、また、リリルカも両親の命を奪ったソーマに耽溺していたのだ。
力弱きリリルカは同じファミリアであるはずの冒険者から虐げられ、酷い仕打ちを受けて過ごしてきた。
リリルカは、そんな冒険者達を酷く憎んだ。
この当時のリリルカと剣奴あがりのベルは、共通する点が多くあったといっても良いだろう。
盗賊であるリリルカと、無法者であるキンメリアのベル、その生い立ちはどちらも不幸だった。
だからこそ、二人は固い絆で結ばれたのだ。
後年になってもリリルカは、ずっとベルの傍らに寄り添っていたという。
(終了)
それまで一人でバベルのダンジョンを潜っていたベルだったが、荷物持ち役のリリルカを伴って狩りをするようになった。
なるほど。これは確かに楽だった。一々魔石を拾わずに済むからだ。
ベルは魔石にかかずらされる事もなく、ただ、目の前のモンスターの首を跳ね、踏み潰し、叩き割っていった。
いつものように狩りを終え、バベルへと出る。
それからふたりは、近くの廃寺院で骨を休めていた。
と、刹那、黒装束に身を包んだ一団が、廃寺院の庫裏へと駆け込んでいくではないかっ
盗賊の類だろうと見当をつけたベルは、奴らの上前を跳ねてやろうと、リリルカを木の陰に待機させ、裏手へと回った。