ベルは寺院の裏手から庫裏へと忍び込み、女神像の影へとその身を潜めた。
黒装束に身を包んだ賊の数は、全部で七人ほどだ。
さて、奴らの獲物を横からどうやって掠め取ってやろうか、ベルは焦ることなく事の成り行きを伺った。
仕事の前か、それとも事を済ませたあとか。
見る限りでは、目立った成果を持っている様子はない。
あるいは他の場所に隠したのか。
もし、隠したならば、その場所を吐かせてやればいい。
黒装束の一人が、懐から何かを取り出した。
それはエメラルドで装飾された、純金の鍵だった。
あれ一つでも売り払えば、結構な金額になるはずだ。
この場で賊を全て斬り捨て、あの鍵一つを、手に入れるだけで良しとするか。
リリルカと山分けしても、当分の間は、酒代には事欠くことはないだろう。
鍵を取り出した黒装束の一人が、庫裏の隅にある床を剥がす。
そして現れた鍵穴に純金の鍵を差し込んだ。
途端に女神像が、引きずるような音を立てて後退し、地下へと続く階段が現れた。
黒装束の賊達が地下へと消えていくと、ベルは気配を消しながら、その後を追った。
階段を下りた先にある、地下通路はほの暗く、先頭に立つ賊の持った魔石灯の明かりだけが、
鬼火のようにベルの視界で揺れている。
通路の奥から漂ってくる嗅ぎ慣れた死臭、やはりここには何かがあるようだ。
影から影へと足音を立てずに移動し、この野蛮なる戦士は虎視眈々と、獲物を狙った。
隠されていた地下通路は、祭壇へと繋がっていた。
ひんやりとした湿っぽい暗黒が、ベルを包む。
祭壇の回りには、無数の人骨が散らばっており、それらは小さい物もあれば大きなものもあった。
黒衣に身を包んだ者の一人が、祭壇に向かって、何か呪文のようなものを熱心に唱え始める。
そうしている間に残りの六人は、石棺の蓋を開けると、中から何かを取り出し始めた。
それは若い男女の亡骸だ。
どちらも死んでから間もないのか、腐敗の兆候は見られない。
落ち着き計らった様子で、ベルはそんな黒衣の者達の奇妙な儀式を、物陰から眺めていた。
「偉大なるヨグの神よ、この生贄をお受け取り下さいませ」
石卓の上に置かれた男女の死体──黒装束の者達は、懐から短刀を取り出すと、死者の肉を切り裂いていった。
そして、屍から切り取った肉を喰らい始める。
ヨグは食人の神であり、その姿は虹色に輝く球体とも、あるいは触手に覆われているとも言われている。
そして、ヨグを崇め奉る者は、殺した人間の肉を食らうことで、この神から力を与えられるとされているのだ。
ベルは、これ以上彼らの儀式を眺めていても、時間の無駄だと考え、鞘から剣を引き抜くと、影から飛び出した。
それは一方的な殺戮だった。
所詮、彼らはキンメリアのベルの敵ではないのだ。
ベルは殺した黒装束者達の懐を漁り、純金の鍵にいくつかの装飾品を奪うと、次は残った石棺をひっくり返していった。
死者に道具も宝石も不要だ。
ならば、生者であるこの俺が頂くと、言わんばかりにだ。
目ぼしい物を粗方漁り終えると、ベルは用の失せた地下から出ようと踵を返した。
その時、背後から重苦しい呻き声が襲ってきたかと思うと、魔石灯の明かりが不意に消えた。
そして闇に包まれた空間の中で、石卓が激しい音を立てて砕け散ったのだっ!
ベルは直ぐ様振り返ると、暗黒の中で目を凝らした。
そしてベルは見た。
闇に蠢く無数の触手を。
触手は次々に死体を取り込んでいった。
どうやら死体を貪り食っているようだった。
そして全ての死体を腹に収めたその怪物は、次に生きた人間であるベルに目をつけた。
「ふん、化物め。俺が始末してやる」
新鮮な血肉に歓喜するかの如く、悍ましく打ち震える触手──ベルは下段を構え、この魔物を迎え撃った。
鞭のようにしなる触手を両断し、ベルが触手の根元から見える球体に剣を叩きつける。
人間の血とは質が異なる、緑色の体液を撒き散らしながら、それでも怪物は、攻撃の手を決して緩めようとはしなかった。
もどかしくなってきたベルは、剣を投げると、ウオオっと絶叫をあげ、そのまま猛然と怪物に迫った。
そして鋼鉄の如き指で触手を鷲掴むと、両肩の筋肉を盛り上げ、ベルは怪物を力強く振り回し、何度も壁と床に叩きつけた。
その衝撃で地下は揺れ、祭壇が倒れた。
ベルは構わずに絡みつく触手を引き千切り、怪物がミンチ状になるまで、執拗に壁に叩きつけていった。
ついにその動きを止める化物──ベルは一息つくと、剣を拾い上げ、リリルカの待つ木陰へと向かった。
「全く、忌々しい化物だったな。だが、中々面白い土産話ができたか」
右手に握られた純金の鍵、これ一つでどれだけの酒樽が買えるのか、ベルは思案した。