干し首が無造作に転がっていた。
ゴブリン、コボルト、ミノタウロス、トロール、オーク、リザードマン、オーガ、それは人型モンスターの干し首だ。
その中には、人間と思しき干し首も混じっていた。
ベルは獲物から刈り取った首を持ち帰り、干し首にして廃教会に転がしていたのだ。
魔除けのためにである。
揺らめく松明の灯りに照らされる教会内。
床に敷き詰められたライガーファングの毛皮、タペストリーとして、壁に吊るされたグリーンドラゴンのなめし革、
そして、教会の中央に鎮座するウダイオスの頭骨。
ウダイオスの虚ろな眼窩が、虚空を見つめている。
これらの品々は、ベルが狩りをして持ち帰ってきたものだ。
ヘスティアへの土産でもある。
「ベル君、また君のお土産が増えてきたね」
「うむ、嬉しいか、ヘスティアよ」
モンスターの牙と骨で組み立てられた玉座に腰を下ろし、蛮人ベルは髑髏の盃に注がれた、生き血と火酒を混ぜ合わせた液体を味わっていた。
火酒と生き血を混ぜたこの飲料は、精力をつけるには持って来いだ。
「ちょっと僕の趣味には合わないかなあ……」
「なるほど。どうやら我が女神は、弱き者の首などお気に召さぬらしいな。
ならば次は、より強き魔物の首を刈ってこようではないか。この剣でな」
腰帯に吊るした鞘から剣を引き抜き、高々と掲げるベル。
ヘスティアは貝のように口を閉ざし、それ以降、何も語ることはなかった。
貴族の息子であるパトリックは、たった一人で、オラリオの街をあてもなく彷徨っていた。
たった一人の肉親である、母親シーアを救うために平民に化け、パトリックは、たった一人でオラリオの街までやってきたのだ。
そして道行く冒険者に声を掛け、この少年は助力を乞うた。どうか、母を助けてくださいと。
だが、冒険者達は、子供の戯言だと言わんばかりにパトリックを無視し、あるいは突き飛ばした。
もっとも、この少年の話に耳を傾けたところで、大抵の冒険者は逃げ出してしまっただろうが。
パトリックの母であるシーアは呪われていたのだ。
恐るべき黒魔術を操る妖術師アルゴ=ダビの手によって。
アルゴ=ダビは、蛇神セトを崇める司祭でもあり、人間の魂を発狂させる術に長けていた。
そしてダビは、領土、信者、そして財産を手に入れるべく、パトリックの父、ヤングが治める領地と、そこに住む人々に目をつけたのだった。
まずは領主を始末したあと、後見人である母と世継ぎである息子を、自らの操り人形にしてしまう。
そう考えたダビは、手始めに魔術でヤングを発狂死させた。
そしてシーアを、狂気の幻影へと突き落としたのだ。
──しっかりしてください、母上っ
シーアに駆け寄るパトリック、だが、シーアには、息子の言葉が届くことはない。
──ああ、ヤング、パトリック、どこにいるの。真っ暗で何も見えないの……ここはどこなの……
苦しげに胸を押さえ、苦悶の表情を浮かべるシーア──だが、次の瞬間、母は狂った哄笑をけたたましく上げ始めた。
パトリックの胸中に広がっていく無力感、少年は悩み、自らを責めた。
そして何が母を狂わせたのか、原因を突き止めると、その正体に戦慄したのである。
領地を守るはずの兵士達は怯え、使い物にはならず、
またダビに感づかれて、母を殺されてはたまらぬと考えたパトリックは、こうして平民に化けて強い冒険者を求めにやってきたのだ。
一縷の望みを胸に抱いて。
その時、パトリックの目にある人物が飛び込んできた。
パトリックの視界に映るのは、髑髏の首飾りをぶら下げた長身の逞しい若者だった。
恐ろしく強そうな若者だ。
その若者こそ、キンメリアの戦士ベルだったのである。
狩りを終えたベルとリリルカは、バベルから街へと戻ってきた。
日が暮れ始めたオラリオの街は、帰り支度の人々でざわついている。
ふたりは混雑しているメインストリートを避けて、路地裏へと回り込んだ。
その時、小さな人影が、ふたりの前に飛び出してきた。
「何だ、物取りか?」
物取りであるならば、逆にその持ち物を奪ってしまおうと考えたベルは、その小さな人影に手を伸ばそうとした。
「お願いです、助けてくださいっ」
ベルに助けを求めるその声は、童のものだった。
子供の持ち物まで奪うような真似は、キンメリアのベルの誇りを傷つける行為だ。
ベルはどういう事なのだと、相手に問いかけた。
だが、まだ幼さを残すその少年は酷く疲れ、何かに怯えている様子だった。
野獣の如き人生を送っていた以前のベルであれば、そんな少年を臆病者とみなし、無視しただろう。
だが、今のベルは僅かながらも、人に対する情けを持っていた。
ベルはリリルカに目配せすると、少年を連れて女神ヘスティアの待つ廃教会へと戻った。
「なんて酷い話なんだろうっ」
パトリックの語ったあらましを聞き終えたヘスティアは、憤った。
だが、獣のように動かぬ視線をパトリックに向けていたベルは、少年に向かって、ヘスティアの思いとは異なる言葉を吐いた。
「パトリック、お前は馬鹿者だ。見も知らぬ者に助けを求め、現にこうしてノコノコと俺たちの後についてきた。
もしも、お前に害を為そうとするものであれば、お前は父親の復讐を果たし、母親を助ける前に命を落としていたぞ」
そのベルの言葉にパトリックは、何も言い返すことができなかった。
「ベル君、君も酷いことを言うじゃないかっ」
「でも、ベル様の言葉にも一理あります」
と、ヘスティアに言葉を返すリリルカ、つかの間の沈黙が教会内を包み込んだ。
俯いていたパトリックは、静かに顔を上げた。
そして、蛮人の目を見た。
煌々としたその赤眼は、荒々しく輝いている。
「それでパトリック、仮に妖術師を討ったとして、その暁には俺に何を差し出す?」
ベルは少年に問うた。
「お金ならいくらでも」
ベルは再び少年に問うた。
仮に妖術師を討ったとして、その暁には、お前は俺に何を差し出すのかと。
「……それなら僕の命を貴方に差し上げます」
その時、ベルは少年の瞳に青白く燃える強い決意を見た。
そして、このキンメリアの戦士は、気に入ったぞと少年に声をかけると、剣を引き抜いて叫んだ。
「アルゴ=ダビよっ、このキンメリアのベルが、パトリックの代わりに貴様の首を跳ねるっ」