くぅー
可愛らしい音と共に、竹簡を読んでいた董卓の顔が真っ赤になる。部屋には三人しかいないがその仕草だけで誰が犯人かはまるわかりだ。賈クはそんな可愛い親友を責めるわけでもなく、微笑んだ。
「この案件はできる限り影響を抑える方向で・・・って、あらもうこんな時間ね」
まるで今気づいたかのように賈クは手に持っていた竹簡を置き、肩を回す。運動不足というわけでもないが、やはり事務作業ばかりでは身体が固まってしまうのは避けられない。乙女としてはどうかとも思う仕草であるが、それを見られて困るような相手は今のところいないのは果たしていいことなのか悪いことなのか。
「えへへっ、詠ちゃん今日もお疲れ様っ。今日も詠ちゃんの分のお昼、頼んであるからね」
この笑顔が見れるだけこのままでいいだろう。董卓の無邪気な笑みを見て、賈クはそう結論づけた。できれば董卓の手作り弁当が良いがそこまでの暇はどうあがいても捻出させてあげれそうにはない。もう一人くらい使える奴がいれば話はだいぶ違うのだけれど、そこまで信用できる部下がいないというのはなかなか辛いところだ。
「はぁ、ねねはさっさと終わらせて恋殿の所へいきたいのですぞ!そんなところでいちゃいちゃとしておらずさっさと食べるのです!」
「うっさいわね、ねね。まだお弁当が届いてないんだからどうしようもないじゃない!」
信用できる部下の一人、だが呂布の軍師を公言してはばからない人物、陳宮が苦情を述べる。能力はあるのだが常に呂布を中心として考えているせいか、主である董卓を後回しにしてしまう傾向がある。当の本人はそれほど気にしていないゆえに特に何も問題にしていないが、本来ならば処罰されていてもおかしくはない。
「ねね。あんたさぁ、今はいいけどちゃんとした場所ではちゃんとしなさいよね。あんたが月に軽い態度とると、こっちまで甘く見られるんだからね」
「え、詠ちゃんっ」
「わかってるです。そのせいで恋殿に迷惑がかかったら申し訳がないですからね。あ、ほらお弁当きましたぞ。さっさと食べてこーんな仕事終わらせてしまいましょう」
タイミングよく女官が弁当箱を持ってきたようだ。陳宮は机の竹簡を脇に寄せ足元に置いておいた鞄から弁当箱を取り出す。その間に董卓、賈クの前にも弁当箱が置かれた。
「あら、ねねは弁当持参?ちょっと意外ね」
「言っておきますけど、ねねは料理もちゃんとできますぞ。ただ恋殿くらいしか食べさせたことがないだけです。まぁこれは居候から渡されたものなのですが」
食いしん坊の恋のために料理を作るのに奮闘するねねというのは想像すれば納得のいく話だ。恋が満足する量を作るのは大変だろうなと少しだけ同情しつつ、手元の弁当箱を開ける。うん、彩りもよく開けた瞬間にいい香りが立ち上がる、とても美味しそうだ。
「えへへっ、美味しそうだね、詠ちゃん」
「ええ、さすが月のお勧めね」
月は最近ここの弁当に凝っているらしい。政務のためなかなか時間が取れず、食堂に行く暇さえない時、高順に買ってきてもらったとのこと。そして一口食べて感動、以降よほどのことがない限り食べているくらい執着しているようだ。そして今回私に勧めるためにそれなりに手間をかけたのこと。たかが弁当一つにわざわざ月の手を煩わせるなんて、と少しだけ怒りも沸いたがこうやって楽しそうにしている月を見るといろいろどうでもいい気がしてきた。
「って居候?!」
「・・・詠は何をそんなに驚いているのですか?」
「ちょっと、そんな話初耳よ!誰、何処のどいつなの?まさか、男?!」
「まぁ男ですが」
「へ、へぅ~」
いつの間にかお茶を用意した董卓が顔を真っ赤に染めてあわあわとうろたえる。賈クも董卓ほどではないしにろ、身近な知り合いが男と同棲していることに驚きを隠しきれない。いつも呂布のことばかり発言しているため完全に見余った、軍師としても女としても敗北感が胸いっぱいに広がった。
「ねねちゃん。その男の人ってどんな人なの?」
「なんでも出来ますぞ。料理、洗濯、掃除、文字も読み書きできますし計算もなかなかのもの。武芸も嗜んでいるらしく、この間街に入り込んでいた野盗を叩き出したとか言ってましたな。もちろん恋殿には到底及ばない腕ですが」
「へぅ、凄い人なんだね~」
董卓が陳宮にその男のことを根掘り葉掘り聞いている。董卓も年頃の乙女、そういった話が好きなのは以前から知っているが流石に興奮しすぎではないだろうか。一方陳宮は対照的に冷静に、淡々と語っている。
「?」
あのねねが、冷静に?
そこで賈クは気がついた。ねねが恋のことを語る際のあの熱い想いの一欠片すらこの男に対して込められていないことを。それはつまり、そういうことなのだ。
「ねね、聞きたいんだけど」
「?なんですか?」
ヒートアップしている董卓を遮り声をかけると、やはり淡々とこちらを見る陳宮。その表情を見て確信に変わる。
「本当にただの居候なのね」
「はぁ、何を当たり前なことを言ってるんですか」
「へぅ?」
本当に、この陳宮という軍師は呂布のことしか見えていないらしい。
卵焼きをつまみ、口の中に放り込む。美味しい。少し濃い目の出汁で味付けされたそれは、素朴で深い味わいがある。冷えることすら計算された味付けはただの卵焼きだというのに、職人によるこだわりを感じさせる。
「うまっ。な、なんなのよこれは・・・」
「えへへへへー。よかった。詠ちゃんも気に入ってくれて」
董卓は賈クが食べるのを待っていたようだ。ひと安心した彼女は賈クの様子を見てようやく自分の弁当に箸をつけた。あのあと陳宮の状態に気づいた董卓が、自分のあまりに恥ずかしい勘違いから逃げ出そうとしたところを抑え付け、なんとか食事に取り掛かることが出来た。
「食べ慣れない味が新鮮、食材の使い方といい新しいわ」
しかしここまで美味しい料理と作る料理人、そんな噂は聞いたことがない。うちにも何人か特級料理人がいて、接待などでも様々な料理を食す。しかしその彼らに劣らず、その誰とも違う最上級の料理。
「月、このお弁当どこで、誰が作ってるの?!」
「へぅ!」
賈クが急に大きな声を出したせいで董卓は箸を取り落とした。そして落ちる卵焼き、呆然とした董卓は見る見るうちにその優しげな瞳に涙を貯める。
「た、まご、やき・・・」
「ああ!?ご、ごめん月っ」
即座に親友の異常を察知した賈クは平謝り、むくれてそっぽを向いている董卓に向けて土下座でもしかねない勢いであった。
「ちょっと、ねねも月の機嫌を・・・あんたどうしたの?」
賈クはこの状況を打開すべくこの世界有数の頭脳を働かせた結果、目の前の陳宮に援軍を求めようとして、あることに気づく。その援軍が弁当の蓋を半開きのまま固まって、いやじっと弁当の中身を見つめていることに気づいた。余りにもいつもと違う気配にむくれていた董卓も心配層に彼女を見つめる。
「?弁当に何かあったの?」
「ねね、ちゃん?」
呼びかけてもこちらに対する応答はない。まさに釘付け状態、いったい何が陳宮をそうさせるのか。見ているものは弁当箱の中身、すごく気になる。
こちらに気づいていないことをいいことに、董卓と賈クはこっそりと背後に回り、その中身を見る。
「こ、これは?!」
「・・・恋さん?」
「な、な、な、なにをみてるんですか?!」
慌てて蓋を閉じるももう遅い、二人は確認してしまった。
弁当の中身は食材で作られたデフォルメ呂布奉先。いわゆるキャラ弁と呼ばれるもの。弁当の蓋を開けた陳宮は一瞬で誰か把握し、そして目を奪われた。
「へぅ~、可愛かったね。ねねちゃん」
「それ、ねねが言ってた居候が作ったのよね?」
「そうなのです。今日は作りすぎたとかで押し付けられたのです!ぐぬぬ、しかしこれは食べれないのではないですか!」
恋を模した弁当、とても恋の信奉者であるねねには食べることなどできないだろう。それを理解して渡したのであれば、その人物は相当腹黒いのではないだろうか。
陳宮の居候といったが、もちろん賈クにはこんなものを作る人に心当たりはない。先ほどの質問にも名前は出てこなかったし、いつの間にそんな人を拾ったのだろうか。
高順といいねねといい、意外な知り合いがいる。時間があれば少し調べてもいいかも知れないと賈クは考えた。
「で、それどーすんの?」
「・・・月殿」
「なにかな、ねねちゃん」
「大変申し訳ないのですが、今日は早退させていただきますぞ!」
「はぁ?!あんた何言ってるの?!」
あまりの突然のことに気でも触れたのか、と本気で心配になってきた賈クであった。
「駄目ですか?ならばしばし長めの休憩をいただきますぞ。ねねは、ねねはこれを恋殿と一緒に・・・」
「さっさと食べないと代わりに私が食べるわよ!」
賈クの怒鳴り声が部屋中に響き渡る。残念ながら陳宮の昼はお預けとなるらしいようだった。
「あ、お姉さん。これ探してるんだけど売ってない?ああうん、もし入荷したら知らせてほしいな」
陳宮にいたずらを仕掛け、そして賈ク、董卓の弁当を作った人物。二か月前に陳宮と高順によって運び込まれ、生死境を彷徨った青年。ひと月前にようやく快癒し、名を偽りこれまでの鬱憤を晴らすかのごとく節操なく動き回っている『北』と名乗る男。そう、あの時誘拐された北郷一刀である。
「あ、せんせー。きょうはなにしてるの?」
「まーたおんなのひとにおっかけられてるんでしょー」
「せんせーはよわいね。とくにおんなのひとに」
「散々だね俺の評価!」
少年少女から先生と呼ばれ、親しまれてるもといからかわれているが紛れもなく本人である。
甘寧、周泰の手によって拉致された北郷は、運良く呂布を探しに来ていた陳宮と高順の手によって保護されるがそこで高熱で動けなくなってしまう。ひと月ほどの長期的な治療、それを可能にしたのは陳宮と高順による看護の賜物だった。・・・実際は陳宮は部屋を貸すだけで何もせず、高順がほとんど全てを行っていたのだが。
「あ、一刀殿。・・・今日はお一人ですか?」
「こーちゃんまで!」
ゆえにこーちゃんと呼ばれた少女、高順には甘く、陳宮にはちょっと厳しい恩返しを行っているのだ。今回の弁当もその一環であったりする。
「余分にお弁当二つ、助かりました」
「いえいえ。こーちゃんからの頼まれごとなんだからこれくらいちょちょいのちょいだよ。むしろもっと色々頼んで欲しいくらいなんだけど」
「ならばこーちゃんという呼び方を変えていただけると」
「それは無理」
きっぱりと断言すると子犬のようにしょんぼりする高順。背は高め、胸はぺったん、服装によっては男としても通用するかも知れない中性的な容姿、でも心は小動物系乙女。そのギャップについついからかってしまういじられ属性持ち。からかうと徐晃とは違った楽しさがある北郷一刀にとっての恩人。それがこーじゅんであった。
「一刀殿はいじわるです・・・」
「いいじゃん、そっちのほうが可愛くて。それとも高順殿とか高順様って呼んだほうがいいよかったりする?」
「うぐっ。や、やっぱりそのままでいいです」
二人は話しながら歩いているのだが、高順は一刀の隣ではなくその一歩後ろを常にキープしている。普段から呂布や陳宮の補佐ゆえの無意識のポジショニングなのだが、そんな事情を知らない一刀には違和感が拭えない。
「話しづらいよ。ほら、もう一歩前に出て」
「すみません、並んでっていうのはあまり。そもそも男の人と二人で歩くっていうこと自体ほとんど経験がなくて」
「つまり緊張してる、もしくは警戒されてる?」
「い、いえ。一刀殿を警戒しているわけじゃ」
「だよねぇ。警戒してるなら、一緒にお風呂に入ったりなんかしないよねぇ」
「その話はなかったことにするって約束したじゃないですか!」
顔を真っ赤にしてこちらを叩いてくるこーちゃん。常識があるようで、意外と抜けている彼女は、まだ調子の良くなかった俺の入浴の補助といって全裸で風呂に侵入してきたのだ。別にただの補助ならばわざわざ脱がなくてもいいだろうに、風呂=全裸という常識を崩せず、見ているこっちが気の毒になるほど真っ赤っかであった。一応服を着る提案したのだが、融通が利かない性格らしくそのまま続行、こちらとしては役得であったが補助される方も罰ゲームを受けているような気分であった。
「で、今日はなんでしたっけ」
「うわ、さらっと流すんですか」
「あ、蒸し返します?」
「ごめんなさい。今日は私と一緒に警邏です。最近人の出入りが多くなったおかげで経済が活発になってるのはいいのですが、その分厄介事も舞い込んできているみたいで。賈ク様が西地区の方の治安の維持をと」
「あいよ。こーちゃんと一緒なら楽しくやれそうだね」
「もう、真面目にやってくださいよっ」
一刀は現在、なんでも屋さんの真似事をしている。高順から依頼されたこと、その中でできそうなものを選別し処理しているのだが、ぶっちゃけ大抵のことはできるためそのような状況になっている。今回のように警邏を手伝うこともあれば、子供に勉強を教えたり、けが人の治療にあたるなど医者の真似事をしてみたり。様々なところへ顔を出しているため、わずかの期間ながら知り合いの数が半端ないのだ。
「お、北のにーちゃん。どうだ、なんか食ってかねーか?」
「ごめん、いま仕事中だから。また今度よるよ」
「北よ勝負じゃ!今度は負けんぞぃ」
「あーはいはい。碁もいいけど奥さんカンカンに怒ってたよ?謝らなくて大丈夫か?」
「せんせー、今日はこーじゅんさまと二人でなにしてるの?昨日は御飯処のおねーさんと一緒にいたよね?二股、二股なの?」
「どっちもお仕事!」
なんて行き行先で声をかけられるのだ。まるでずっと昔からここに住んでいたかのような溶け込み具合、そしてどんな人とも仲良くなれる、人たらしの素養。意識、無意識含めて一刀の才能である。
「・・・恐ろしいですね。私よりもここに住んで長いんじゃないですか?」
「そんなのこーちゃんが一番よく知ってるじゃん」
「知ってても信じられないから言ってるんですけどね」
高順は呆れ顔だ。自分でもちょっと馴染み過ぎかなとは思う。とりあえずなにかいいわけでもしたほうがいいだろう、一言、言おうとしたその時。
「・・・」
前を歩いていた少女の身体がゆっくりと斜めになっていく。咄嗟に手を出したが、いつの間にか前に出て少女を抱きとめた高順によって空振りに終わる。ちょっとだけ凹むものの、気を取り直してすぐに少女の顔色を見る。
「ん、おそらくだけど貧血じゃないかな。日の当たらない涼しい場所に寝かせればじきに良くなると思うよ」
顔色が悪く、少し呼吸が乱れているものの外傷はなし。それを聞いた高順もホッとしていた。
「すまん、どこかこの子を休ませられる場所はないか?」
「お、ならうちを使ってもいいぜ、北のにーちゃん」
こういう時顔が広いと助かる。助け合いと言いつつも見知らぬ人を休憩させるとなるとやはり多少なりとも警戒心が出て言い出せないことが多いだろう。
「ありがとう。今度何か持ってくるよ」
「いいさ、にーちゃんには山菜採りの時に世話になったからな。これくらいはさせてくれよ」
「そか、でも持ってくよ」
「かかっ、にーちゃんも強情だなっ!」
感謝の気持ちを伝え、高順に指示を出し少女を寝かせる。徐々に乱れていた呼吸も正常に戻ってきているようだった。
「驚いたね。急に目の前で倒れるもんだから何事かと思ったよ」
「間一髪でした。あのまま地面に倒れ込んでいたら、おそらく受身も取れなかったでしょうし怪我をしていたかもしれません」
「しかしこんな状態で出歩くなんて、何か切羽詰まったことでもあったのか、それとも出歩いている途中で急に体調が悪くなったのか。どちらにしろ目を覚ましてくれないとどうしようもないんだけど」
「ですね。私たちもいつまでもこうして見守っているわけには行きませんし、申し訳ないのですけど誰か代わりのものと交代しましょう。すぐに私が呼んでまいりますので一刀殿はそれまでこの方を見ていてもらえないでしょうか」
「あいよ」
高順はそう言い残し部屋を飛び出した。そう急がなくていいだろうに走っていくのは律儀というか生真面目というか、でも可愛いから問題ない。
言葉通りすぐに戻ってきた高順と息を切らせた女性の人。以前高順と一緒の時にあった隊員の一人だったはず。
「すまん、この女性が目覚めるまでついていてやってくれ。事情を聞いて動けるようだったら開放してもらっても構わない」
「わかりました副隊長。・・・副隊長は北さんと『一緒』に警邏の続きですか?」
「ああそうだが、何か問題でもあるか?」
「いえいえ~、どうぞごゆっくり~」
パタパタと笑顔を携え手を振る女性隊員、高順が特に何も気にしている様子がなかったため一刀も何も言わなかったが、あれは確実に。
「勘違い、してそうだったけど?」
「なんのことですか?」
高順は引き締められていた表情を柔らかく変える。先程まで部下に対しての態度と今の一刀に対しての態度、メリハリのついた彼女の性格ゆえのものだろう。そして色恋沙汰に微妙に鈍感というか非常識というか、わざわざ特定の人物を選んでまで警邏をしていたら勘繰ってくれと言っているようなものだろう。そんな人の機微にも気づいていない彼女がひどく可愛らしく思える。徐晃は狙ってやっていたからなぁ。
「ほら続き、行きますよ」
そう言って普段よりも機嫌よさげに歩く彼女の後を負った。
「一刀はなんてものをつくるのですか!」
警邏を終えて帰ってくると、怒りゲージをマックスにした陳宮がお出迎えする。さて予想通りの反応であったがどうしたものか。
「一刀殿、何かやらかしたんですか?」
「特に怒らせるようなことをしたつもりはなかったんだけどなぁ」
共に帰ってきた高順がこちらに尋ねる。高順の家は別にあるのだが、看病していた時の名残か、最近はこちらで過ごすことのほうが多い。以前人といることに慣れすぎて一人は寂しい、とぼやいていたのを聞いてしまったが、恐らくそれが原因なのだろう。
「何をしらばっくれてるのですか!ねねのお弁当、食べられなかったのですぞ!」
「まて、その言い方は誤解を招く。あれはきちんと残さず食べられるものだ!」
「ねねにとっては同じことですぞ!」
陳宮と同じく高順までもジト目で一刀のことを見る始末、とりあえず二人を落ち着け事の顛末を話す。もちろん陳宮が喜ぶだろうと思って善意で、ということを強調し食べれないだろうことを予想してわざと作ったなんてことはもちろん胸に秘めて。
「仕方ないのです。今後勝手に作らないこと、そして作り方を教えることで許してやるのです」
という陳宮の許しを得てようやく落ち着くことができるようになった。予想外だった高順の視線も和らぎホッとため息をつく。
「そういえば今日は呂布さんの所へはいかないの?」
「もちろん行くに決まってるのです!わざわざお前に文句を言うために、ねねはここで待っていたのですよ!」
「なるほど、なら遠慮なく行ってらっしゃい」
「ふん。いわれなくても、です」
そういって部屋を出ていこうとする陳宮に一つ用事を思い出した一刀は、慌てて出ていく陳宮に向けて袋を放り投げる。彼女は危なげなくそれをキャッチした。
「?なんですかこれは」
「それ、呂布さんに渡しておいて。お土産」
袋の中身はお手製の饅頭である。できれば直接料理を作りたいがそれはできなかった。なぜならそれはここに住まわせてもらう条件の一つだからだ。
「いいでしょう。恋殿も喜ぶのです」
「ああ、ありがとう」
最初に陳宮に名乗ったとき、彼女は激しく動揺を見せた。なぜなら彼女は呂布の口から『一刀』という得体の知れない人間の名前を聞いていたからだ。そして呂布が行方不明になっていた期間にあったことを聞き、一刀を発見した時の状態と照らし合わせ聡明な彼女が気付かないはずがなかった。
そのときひと悶着あったのだが、呂布を助けた恩人と命を救ってもらった恩人と互いに恩を相殺し合い、今回のような妥協となった。一刀にとっても懐かれるのはいいが、半ば束縛されるようなのは御免こうむる。彼女が一緒にいたいといい出せば、必然的に董卓軍というしがらみができてしまう。フットワークの軽さを需要とする一刀にはむしろこの申し出はありがたかった。
無論呂布には自分の無事は伝えてあるし、こうやって時々彼女のことを気にするという矛盾を抱えているのは十分承知の上だがそこは性分としか言いようがなかった。
陳宮を見送ると家の主がおらず、一刀と高順の二人っきり。もちろん甘い雰囲気になるようなこともなく。すでにひと月以上共同生活のようなことをしているのだ、劇的な変化がない限り距離が縮まるようなことはない。
「一刀殿」
「なに?」
二人では広すぎる空間、やることがなく手持ち無沙汰になった頃合を見計らったように高順が一刀に声をかけた。いつもよりその声は少しだけ、固い。
「警邏の最後の方で私の部下が来たの、覚えてます?」
「うん、何やら驚いてたね」
「前々からある噂を聞いていたんですが、それが現実になったらしくて」
「噂?」
「はい。詳しい事情は知らないのですが、董卓様が洛陽に招聘されたようで、近々私も陳宮さまも行かなければならないようでして」
あのような形で董卓軍が活躍せず黄巾の乱が終わっても、歴史は大して変わらないらしい。そのことに残念なような、ほっとしたような複雑な気持ちになった。
「一刀殿はどうします?恐らく陳宮さまならばこのままここを使っても良いと言ってくださると思います。人が住まない家は傷んでしまいますから」
さて、考えてみよう。選択肢は三つ。
一つ目はこのまま陳宮の好意に甘え、ここでしばらく過ごすこと。ここならばこれから荒れていく状況でも比較的穏やかに過ごせるだろう。隠れ住む、にしてはそこそこいい場所であると思う。
二つ目は彼女たちについて洛陽まで一緒に行くこと。洛陽はこれから起こる大騒動の中心地。金、物、人、情報、全てが集まるこの地では、何をするにもいちはやく先手が打てるだろう。それに大陸一の人口は隠れ蓑にもなるし、まさかそんなところに俺がいるとは思いもしまい。灯台下暗し、ハイリスクハイリターン。
三つ目はこれを機に再び旅に出ること。ゴタゴタに巻き込まれる前に早いうちに当初の目的地、寝込む前に目指していた西涼に行ってみてもいいかも知れない。ただいずれ曹操がくる恐れがあるので早めに離脱しなければならないだろうけれど。
「こーちゃんはどうしたらいいと思う?」
何気なく、こちらの様子を伺っていた高順に意見を尋ねる。こういう時、自分の意見だけで決めずに他者の意見もきちんと取り入れてしかるべきだ。やはり自分の意見だけでは偏りも出るし、思い込みもある。
「そうですね。私的には・・・もう少し一刀殿と一緒にいたい、と思います」
でもその寂しげな表情で意見は、少し反則だと思う。
恋と一定の距離を置けば、ねねはそれほど突っかかってこないと思うんですがどうですかね
まぁ結局恋が無理やりそばにいようとすれば嫉妬の炎を燃え上がらせるんでしょうけど