飛び散る火花、響きあう金属音、人を殺すことができる武器を使って戦うというある種禁忌であるその目の前の光景に魅せられる。身を掠める刃、気を緩めれば死ぬというのに目の前の二人に見えるのは喜悦、まさに狂っている。
華雄の剛力から繰り出される金剛爆斧による一撃を、飛龍偃月刀を自由自在に操り受け流すという神業でもって対処する張遼。互いにタイプが違うものの、それぞれが超がつくほどの実力者。見ているこっちが手に汗をかくほどの緊張感を携えた攻防、これ金取れるぞ!
「何言ってるんですか、一刀殿は」
「そりゃこーちゃん、こんな凄いのみて興奮しないほうがおかしいって!」
「その気持ちは分かりますけど。そんなに身を乗り出したら落ちちゃいますよ!」
首根っこを高順に掴まれた。いつの間にかかなり身を乗り出そうとしていたらしく、高順が助けてくれていなければ一刀の身体は真っ逆さまに落ちていかもしれない。
「というか、なんでこんなところで隠れて見るんですか」
「そりゃそれがお約束じゃん?」
「意味わかりませんよぉ!」
今現在、一刀は高順と共に木に登り、隠れて董卓軍の訓練模様を観察している。もちろんただの興味本位でこのようなことをしているわけではなく、今後を見据えての行動である。いずれ大きなうねりに飲み込まれるであろう董卓軍の戦力確認の一端である。
「しまいや、華雄!」
なんてもっともらしい言い訳をしたものの、実際はただ有名人見たさが大半だったりする。どうやら決着がついたようだ。金剛爆斧を地面に押さえつけられ動きを封じられた華雄はなお戦意を失わずに張遼を睨みつける。
「まだだ、まだ終わっておらん!」
「自分の得物抑えつけられてまだそないなこと言えるんか。ちょっとウチのこと舐めすぎとちゃうか?」
「ふん、貴様なんぞ素手でも十分・・・」
「どあほぅ!そないゆうなら武器持ってる時点で決着つけろや!」
張遼は付き合ってられないと言わんとばかりに得物を解き放つと背を向け歩き出した。流石に華雄も歯噛みするがその後ろから斬りつけるようなことはしない、というかしたらアホとかいう以前の問題である。
「どうや恋。そっちも終わったんか?」
「ん、終わった」
向かった先には天下無双、一騎当千、飛将軍、様々な逸話を持つ武人・呂奉先。残念ながらこの世界ではその勇名は轟いていないがその実力は圧倒的だ。なぜなら。
「ちょーっとこれはやりすぎとちゃうか・・・」
「まだまだ、頑張れる」
ぐっとガッツポーズをとった呂布の背後で500人近い人間が倒れている光景が見えるのだ。張遼VS華雄の戦いの裏で呂布VS一般兵500人、しかも呂布は素手というハンデ戦。前の戦いに惹かれたというのは間違いないが、背後の戦いに目を背けたと言ったほうが正解だろう。正直人知を超えている。
「さすが恋殿、素晴らしき向上心です!ほら、お前たちもさっさと立って二回戦を始めるのですぞ!」
「鬼か!」
思わず張遼がツッコミを入れてしまうほど無情な一言であった。
「常識ってなんですか?」
「こーちゃん、それ俺が聞きたい」
自分の上司の強さに高順の常識もブレイクされたらしい。個人戦闘よりも集団戦闘で力を発揮すると自慢していた高順にとって、個人で集団を叩き潰す存在は正直どうしたらいいのかわからないのだろう。俺もわからない。
呂布を相手するのならば、その速度を止めたあと網などで動きを封じつつ持久戦に持ち込むか。斬れる網よりもトリモチのような粘度のあるものがいいだろうが当てるのも一苦労しそうだ。まぁそれよりもまず動きを封じるところが無理ゲーに近いだろうが。
「予定ではそろそろ終わりです。逃げますよ一刀殿」
「・・・あいあいさー」
真剣に対策を考えようとしたところにストップがかかった。確かにここは気が抜けているうちに退散しておくべきだろう。小声で、わざわざこんなことしなくてもいいのにと高順が呟いているのを耳にしたが無視した。
音を立てずに着地し直ぐにこの場を去った二人に気づいたものはいなかった。ただひとりを除いては。
「兄さん、ちょーっと聞きたいことあんねんけど」
高順と別れてとある場所に向かう最中、突然背後から声をかけられた。振り返ると特徴的な服装に人懐っこい笑顔を携えた若い女性、董卓軍にこの人ありと言われる張遼がいた。わずかばかりの闘志を添えて。
「何か用でしょか、張遼様」
「堅っ苦しく様付なんかせぇへんでもいいよ。別に危害加えようとかそーゆんじゃあらへんし」
確かにその手にはご自慢の飛龍偃月刀はなく、かわりに酒瓶を持っていた。しかしその闘志は十分相手を威圧させるだけのものがある。つまり危害は加えなくても脅しはするよというヤクザ顔負けの手口だ。その酒瓶は十二分に鈍器として使えそうな気もしないでもないけど。
「では張遼さんで。ごく一般的でどこにでもいそうな平凡優男に、かの有名な神速張遼さんが何用ですか?」
「なんか微妙にトゲがあるなぁ、まぁええけど。で、最初にいうたやん、聞きたいことがあるって。兄さん、木の上でうちらのこと見てたやろ?」
さすが神速なだけあって話が速い、ど真ん中ストレートに攻めてきた。さてここはどう答えるのがベストだろうか。シラを切る?正直に答える?それとも逃げる?一瞬のうちにいくつもの選択肢が頭によぎる。だがどれもいまいち面白みに欠ける。相手は関西人、ならばここは渾身の一発ギャクで。
「え、ちょっと自意識過剰なんじゃないですか?」
「あほか!」
普通にグーで頭を殴られた。張遼さんにはノリツッコミ的なものかもしれないけど、数十キロの武器を軽々と扱う人からの一撃、十分痛い。
「痛いんですけど」
「そりゃそんな応えする方が悪いわ。一応こっちは真面目に話しとるんやで」
「こちらも真面目ですよ。ここではいそうですかとか言えると思います?わざわざこう言いに来るってことは何かしら確信があって問い詰めに来たんですよね」
「そりゃそうや。華雄の馬鹿と違ってうちは詠に情報の重要性を叩き込まれとる。例え訓練にだって機密っちゅーもんがあるんや。本来ならばそう易々と人に見せていいもんやあらへん」
訓練でも様々な情報を抜き取れる。重点的に行われている訓練ならば警戒すべき点となるし、一流の軍師ならば一度の訓練の手際を見ただけである程度の練度を予想できるだろう。そこから取れる作戦もある程度割り出せる。軍師が頭ならば兵は実際の手足。いくら頭が良くても手や足にしっかりと命令が行き渡り、一定の水準の動きができなければ優秀な頭もただの宝の持ち腐れとなる。
「やっぱり俺を捕えに来たんじゃないですかやだー」
「ちゃうわ!一緒におった高順が信頼してるからそこはある程度信頼したる。でもだからといって高順を盲目するっちゅーのもうちはする気はない。確かめられる限りは全部確かめる」
「つまり見定めに来た、と」
「せや。まぁ残念ながらうちの第一印象は今んとこ最悪やけどな」
今すぐの危機はないらしい。しかしこの場ですぐに解放されるとは思わないし、場合によっては最悪の事態もあり得る。だからといって返り討ちにするべくなにかしようというのもできないだろうが。
「ではどこかで、と言いたいところですが今から俺も行くところがあるんですよ。張遼さんもよろしければどうですか?」
張遼はにまっと笑ってええよっ、と即断即決すぐに答えた。どこに行くかすら聞かないのはどこに連れて行かれても大丈夫という自信の表れか、例え武器を持たずともその自信は揺るがないらしい。元々そんな危険なところ行くつもりはないが人によってはさぞ不思議な光景に見えるであろう行き先に、どんな顔を見せるだろうと俺の期待は高まった。
たどり着いた先はそれなりの広さを持った元店。ただ元というだけあってなかに人がいる様子もなければ暖簾も看板すら出ていない。椅子と机、見える位置に調理台とカウンター、元々は定食屋だったのだろう。
「んん?ここってこの間潰れた店やったっけ。兄さんここの従業員なん?」
「いいや、もちろん違うよ」
そう言いつつ扉を開け勝手に中に入る。外の様子に比べて意外にも中は清潔を保っており、台所に近づくとそこに置いてあった大瓶の中の水も入れ替えたばかりなのか綺麗に透き通っておる。
「空家、みたいやけどきちんと整備されてるみたいやし」
「そうだね。一応俺が手入れしてるかな。あ、もちろん不法占拠とかじゃなくて持ち主に断ってね。じきにここがなんなのかわかると思うから、それまで何か適当に話でもしてようか」
一刀は手に持っていた荷物をカウンターに置くと適当な椅子に腰掛けた。張遼も怪訝な顔をしながらそれに習う。
「とりあえず何か質問があればどうぞ」
「せやなぁ、自分はなんでうちらの訓練を見てたん?」
もっともな疑問だろう。理由しだいで黒か白かはっきりと分かることだ。もちろん一刀は黒といえるような人間ではない。だが正直に将来あなたたちは諸侯相手に戦いになるだろうからその戦力分析をしたかった、などと言って誰が信じるだろうか。むしろ頭おかしい人扱いされても仕方ないだろう。
「そうだね、今の董卓軍の戦力を見たかったから、かな」
だから本当のことを混ぜて嘘をつく。
「張遼さんだってわかるでしょ。今世の中はどんどん荒れていってる。生き残るのは力のあるもののみ、その力には政治力や経済力、勿論軍事力も入ってる。高順がこの軍に居るべきかどうかが知りたかったから、かな」
歴史の流れにそうなら董卓軍は生き残れない。そういった意味ではこの戦力確認には意味はないが、黄巾党で張角たちが生き残った例もある。運と実力、タイミングさえよければ呂布も、陳宮も、高順も生き残れる可能性は十分にある。できることならば命の恩人でもある高順たちには生き残って欲しかった。
「つまり、高順が心配だったと」
「まぁ有り体に言えば、そう、かも?」
いったあとに気づいたが、これではまるで彼女を心配する恋人のようではないか。張遼の顔がニンマリと、チェシャ猫のように変わっていく。
「なんやなんや。高順も隅に置けんなぁ。こんないい人がおったならきちんと紹介してくれへんと。水臭いやん」
「いや、別に俺と高順はそんな関係じゃ」
「照れんでええ。あー、あの堅物の高順がなぁ。ククッ、ようやく面白いネタが見つかって万々歳やな」
張遼はぐいっと美味そうに酒をあおった。先程までよりも雰囲気がはるかに朗らかに変わったようだ。おそらくこれが素の彼女なのだろう。
否定しても否定しても聞く耳持たない彼女にどうしようかと真剣に悩み始めた頃、男たちがこの元店に滑り込んできた。
「や、あんちゃん、ほれいつもの。おやそこのベッピンさんはあんちゃんのこれかい?っと今日はまだ誰も来てないみたいだね」
「ああ、おっさんたちが最初だ。へぇ、卵か」
「ああ、さっきとってきたやつさ。じゃぁ頼むわ」
「あいよ、まぁもう少し食材が集まってからだな」
一刀に卵を渡した男たちはそのまま奥に座り談笑し始めた。今日は何があったか、どういったものが取れたのか、実に楽しそうにである。
「なんやいったい」
「もうちょっとでわかるよ」
張遼はわけがわからない、といった表情を浮かべた。そりゃわけがわからないだろう、いきなり男たちが入ってきたと思ったら、食材をこちらに渡してそのまま奥の方で談笑し始めたのだから。一刀はそんな張遼の戸惑う様子を楽しげに見つめ、席を立ち荷物と卵をもってカウンターに向かう。その後も続々と人が入ってくる。一刀の前にはいつの間にか見た目は悪いが、様々な新鮮な食材が並び始めていた。その一つを手に取る。
「いい感じだ。よし、始めよっかな」
そこから先の光景に張遼は目が離せなかった。軽やかな包丁さばき、力強く振られる中華鍋、ひとつ、またひとつと迷いのなく食材が調理されていく。グツグツと野菜を煮込む音、熱された鉄板に敷かれた油の弾ける音と食材が出す香ばしい匂い。美味そうに盛り付けられた料理があっという間に次々と完成する。
「お、相変わらず美味そうだな。俺はこれ持ってくぜ」
「あ、私の持ってきたお豆腐!これもーらい」
「それお前んとこで作った野菜なのか?ちょっと味見させてくれよ」
「いーわよ。その代わりそっちのもね」
匂いにつられてか、奥で談笑してた人々が次々と完成された料理を持っていく。少し言い争いになる問もあるが、それでも最終的に笑って席に戻る。
「はい、張遼さんにも。何も持ってきてないってことは内緒な」
目の前に皿と箸が差し出される。量はそれほど多くはない卵ともやしの炒め物だった。
「さて見てわかるとおりここのルール、規則は簡単。なにか食材を持ってくること。俺はそれでみんなの飯を作るだけの簡単なお仕事をしてるんです」
そう言いながらも手は止まらない。果たしてこれのどこが簡単な仕事なのだろうか。不規則に持ってこられる食材、そこからメニューを考えねばならず、失敗も許されない。
そしてなにより張遼が感嘆したのは、ゴミがほとんど出ていないことに、だ。余った部分を別の料理に使うのはもちろん、本来捨てるようなところをさらに別の料理として昇華させる、並大抵の知識と発想ではこうはいかないだろう。無駄なく、洗練されたその動き、幾重にも先を見据えたその一手は、まるで戦場を司る軍師のようだに感じられた。
「なぁ兄さん」
「一刀」
「?」
「一刀でいいよ」
「そか。なぁ一刀はなんでこんなことしてるん?」
張遼の疑問ももっともだ。何故わざわざこんな手間のかかることを、食材をもってくるだけで行っているのだろう。今見ただけでも一刀の腕ならば料理店で働くことになんの遜色のない動きをしている。いやむしろはるかに高い技量を持っているだろう。
「俺さ、前々から思ってたことがあるんだよね」
「思ってたこと?」
「ああ。今の時代、食材って簡単に手に入るものじゃないんだよね。毎日同じ食材を卸してもらおうにも、それは簡単なことじゃない。多い時、少ない時、果てはない時だってある。もし拉麺の店で小麦が手に入らなかったら?」
「そりゃ店開かれへんやろ」
「だね。じゃぁ小麦が入荷するまで待てる?いつ入荷するかわからないのに」
「せ、せやな」
食材の安定供給。この時代においてそれははるかに難しい。現代のように大量生産できず、害虫や冷害対策も万全ではなく、発達した運搬技術もなければ、保存するための加工技術も未熟。つまりあるもので作るしかない。
「だから俺はこんなことをしてるんだ。何を持ってくるかわからない、そもそも来るかどうかもわからないそんな中で満足する料理を作るっていう訓練をね」
理屈で言えば間違ってはいない、がそれを実践できるかどうかは別。そもそもこれほどの腕前があればとっくに有力者によって引き抜かれていてもおかしくはない。本来ならばそうするのが大多数の人間だ。潤沢な食材、広い厨房、高い俸給、それを捨ててまでこうして考え実践していること自体がある意味異常なのだ。
「なるほどなぁ。一刀はどこかに仕えたりとかせぇへんの?お偉いさんのところならそんなん気にする必要あらへんやろ」
「嫌だよ。めんどくさい」
「めんどくさい?」
「そそ、自由にできなくなるじゃん。行きたいとこいけなくなるし、好きなもの作れなくなるし、あれやこれや作法とかも気にしなきゃいけないだろうし、どうせしょうもない命令されるだろうし。それに・・・」
「それに?」
一拍貯めた一刀が見せたほんの一瞬の表情、それは張遼がぞっとするようなものであった。
「誰かのマリオネットになるつもりも、ピエロを演じるつもりもない、から」
張遼はその決意の一言を意味で理解できなかった。ただ一介の料理人とは思えない雰囲気に完全に飲み込まれていた。
「そな・・」
「馬鹿北兄!何先におっぱじめてやがるんだ!」
張遼の絞り出された声は、外から入ってきた元気な少女の声にかき消される。
「そりゃお前が遅いからだろ」
「仕方ないじゃん。すっげー獲物と戦ってたんだぜ!ほら見ろよこれ、捌けるもんなら捌いてみろ!」
「臭っ!獣くさ!川にでも入って全身洗ってこいよ!」
「うっせーこのバカ!」
小柄な身体、しかしその手には少女の身体の半分位はあるであろう猪が握られていた。少女が片手で軽々と猪を持ち上げると、いつの間にか近寄ってきていた人たちから歓声が上がる。どうやら彼らの間では少女のこの様子は異常ではなく、当たり前の事実として受け止められているようだ。
いつも間にか周囲を巻き込んでの大騒ぎ発展、呆気にとられ横目で一刀を見ると、先程までの鋭い空気は霧散し出会った頃のような陽気で少し意地悪な一刀に戻っていた。
「せっかくのお嬢からの差し入れだしな。喜べ、宴会じゃ!」
一刀が力強く手を振りあげるとさらに歓声が沸いた。
「食材が足りん!俺がこいつを捌いておくから皆はとりあえず食べれそうなもんもってこい!」
「わ、私は?!」
「お嬢は臭い落として来い!」
「わかった。絶対に先に始めんなよ!」
皆手にしていた皿の料理をかき込むようにしてからにしていく。そして次々と外へと繰り出していった。恐らく一刀に言われたように何か食べれそうなものを探しに行ったのだろう。その顔ははち切れんばかりに満面の笑みであった。
一刀にお嬢と言われていた少女もいつも間にか飛び出していった。
「今からこいつの解体だ。悪いけど少し手伝ってくれないかな?」
そう言って一刀は放り出された猪を指さした。先ほどの少女は軽々と運んできたが重さとしては相当であろうことは、その大きさを見ればわかる。しかしこの張遼に雑用させようとは、先ほどのことといい本当にこの男はわけがわからない。
「うちに運べって言うんか?この重いのを」
「それくらいいつも握っている得物に比べれば楽なもんでしょ?それに、ね」
そういって今度は近くにあった皿に視線をよこす。そう、その皿とは先程まで張遼が手をつけていたものだ。当然食したあと、すでにカラとなっている。
張遼がしまった、と苦い表情を浮かべると、一刀はしてやったりといった笑みを浮かべる。
「働かざるもの食うべからず、ですよ。ほら、いい汗かいておいしいもん食べましょ」
大宴会であった。
解体された猪をメインにいつの間にか噂を聞きつけて集まってきた大勢の人々。普段は知らない顔ばかり、いつも間にか祭りのような状態になっていた。それも仕方のないとかも知れない。そもそも娯楽も少なく、最近は賊やらで多大なストレスが溜まっていたのだろう、それが一気に吹き出したような形となった。どこにこれだけあったのかと思うくらい様々な食材が机の上に並ぶ。どれもこれも売り物にならないような形が悪かったり、地元でしか食べられていないものだったりとバラエティに富んだ食材たち。流石に全てを一刀が一人で調理することはできず、たまたま騒ぎを聞きつけてやってきた街の料理人も巻き込んで競うように調理を開始し始めた。
その中でもやはり目立つのは一刀。猪の解体の時もそうだったが、その手際が半端ないものであった。迷いなく洗練された動き、いくつもの作業を同時に処理し、ほかの人への指示も忘れない。調理スペースにいた人間の動きをすべて把握しているのではないかと疑ってしまうほどの的確さだ。そして出来上がった料理はもちろん、その調理過程ですら皆の期待を膨らませ、楽しませた。
「北兄!私の、私の分は?!」
「ほら、お嬢の好きな煮込みだ。悪いな、取り分少なくなっちゃって」
「ん、そんなことくらいいいいよ。それよりせっかく私が獲ってきたんだから北兄もちゃんと味わってたべろよな!絶対うまいから!」
「そりゃ俺が調理してるんだからうまいのは当たり前じゃん」
猪をとってきた少女は笑いながら喧騒の中へと消えた。ようやく手の空いた一刀のもとへと向かおうとしたとき、背後から肩を叩かれた。
「やはり張遼様でしたか」
「お、高順やん。こないなとこで会うとは奇遇やな」
「むしろこちらの台詞です。一体どうしてこちらに?」
「まぁ簡単に言うと一刀に連れてこられたからやな」
椅子に座りこれまでの経緯を語る。他人からしてみれば相当笑い話だろう。高順の顔は明らかに呆れているようであった。
「やはり気づかれてましたか。しかしこのようなことになろうとは流石に予想できませんでした」
「せやな。うちも予想外やわ。一刀のことも、そんなに一刀のことを心配そうに見つめる高順もな」
高順は一瞬呆けたあと今まで見たことのないくらい顔を赤く染めた。
「そ、そんな心配していたわけでは」
「いやいや、じゅーぶん乙女の表情してたで?まさかそんな高順を見ることになるとは思わんかったわ」
「からかわないでください!」
普段の冷静な高順からは想像できないほど取り乱し、結局顔をこちらから背けた。対して張遼はニヤニヤと笑みを浮かべる。そんな二人の間に割って入ってきた人物が一人、運がいいのか悪いのか、当事者である一刀だ。
「あれ、こーちゃんも来てたんだ。ほらほらこれ俺が作ったんだぜ、食べてみてくれよ」
「え、あ、はい、ありがとうございます。張遼様から聞きました、解体から行ったそうですね、驚きました」
「ああ、あれは疲れた。ちょーっと調子に乗ったことを後悔してる。やっぱ色々と見栄張るのは良くないな、すぐにぼろが出る」
一刀は頭を掻きながら渋い表情を浮かべる。実際一刀からしてみればここまで大きくなってしまったこと自体予想外のことである。噂にならない程度にこそこそしていたのにこれでは全くの本末転倒であった。
「まぁ丁度いい機会かな。ここから移動しようと思ってたし、最後の晩餐ってことでね」
「ああ、やはりそうでしたか。決めたのですね」
どうやら高順はなんとなく察していたらしい。
「ああ、俺も洛陽に行くよ。やっておかなきゃいけないことがあるからね」
いちはやく必要なのは情報。田舎に隠遁して手詰まりになるよりも、台風の中心で状況を見定め臨機応変に動くべき。一刀はそう結論を出した。誰かに仕える気も囚われの身になる気も毛頭ない。それにやはり田舎に引きこもるのなんて性に合わない。
そう決意した一刀の背後で、がしゃんと皿が落ちて割れる音がした。
「え、え、北兄、洛陽にいっちゃうの?!」
そこにいたのは背後からこっそりと近づいていた猪少女、お嬢であった。一刀にと持ってきた皿を取り落とし、唖然としてこちらを見つめている。
「そだね。そろそろいいかなって思ってたから」
「そんな、やだよ北兄がここからいなくなるなんて。いいじゃん、ここでお店でも開いてさ、そだ、わ、私が手伝ってあげるし!」
「それはそれでありがたいけど、一箇所に留まるっていうのは苦手なんだ。それにこわーいこわーい金髪くるくるから逃げないといけないしね」
くる、必ず曹操はやってくるに違いない。何しろあの覇王が宣言したのだから。
「ぐぐぐっ、じゃあ私も!」
「ダメ、お嬢はちゃんと親孝行しなさいな」
「子供扱いすんな!私は姜維って立派な名前があるんだ!」
「はいはい姜維ちゃん。悪いけどもう決めたことだからさ。諦めてね」
「バカ!北兄の馬鹿ぁぁぁぁ!」
お嬢こと姜維は瞳に涙を浮かべながら逃げるように走り去った。自分の住み慣れたところから出て行くなんてそんな安易に決めていいことではないし、それに理由が俺についていきたいだなんて最悪だ。どうあっても認めることなんて出来やしない。
「なんや一刀は冷たいな」
「さすがに今に言い方はどうかと」
「ええー。説教するもの趣味じゃないし、諦めさせるんならきっぱりとしたほうがいいだろうし。一時の感情に身を任せるべきじゃないよ」
徐晃がこの場にいたらお前が言うんじゃねぇっすとツッコミを言われていただろうが残念ながらこの場にはいない。さてあやつは一体何をしているのやら、今回は特に情報が流れるような目立つ行動をしてないから仕方がないだろうが。
調理場の方からもう無理と悲鳴が上がる、これ幸いと一刀はジト目でこちらを見つめる二人から逃げるようにしてこの場を後にした。
料理屋や猟友会らしきものにスカウトされたりと面倒な目にあったが、なんとかこの街を去ることを告げることができた。その分ボルテージも上がったらしくもう腕が上がらなくなるまで鍋を振り続けたのはいい思い出、といえるだろうか。惜しんでくれる人がいる、本当にありがたいことである。
北という偽名を使い洛陽に向かう旅に出る。高順たちから聞いた様子では董卓は暴政をするような人物ではない。ならばうまくいけば反董卓連合すら成立しないかもしれない。そのターニングポイントが果たしてどのようになるのか見極めるべく、その長い道のりを進んでいく。
何にもとらわれない自由が欲しい!