極東の城塞   作:アグナ

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なんかお気に入りが凄いことになっている件。
突然増えたが……どういうことだ……?

さて、いよいよ主人公の出陣だぜ。
東京では護堂くんがアテナと。
金沢では我が主人公が。

日本の明日はどっちだ…!?


神殺し

 弱者が強者を喰らう──。

 物語においては華とされるものだが、現実には原則として起こりえない。

 

 小魚が群れを成して大魚から身を守るように。

 草食獣が機敏な足で以て肉食獣から逃げるように。

 そして人が村を創り、街を築き、文明を造ったように。

 

 元来、被捕食者側は殺し合いに秀でた肉食獣に敵わない。だからこそ自然の摂理として身を守る非捕食者側は戦い、立ち向かうのでは無く、如何にして肉食獣の目から逃れるか、身を守って往くかという発想の下、進化の道を辿ってきた。

 弱肉強食は森羅万象が描かれた時からの自然界における絶対遵守の法則である。

 それは人類すらも例外では無い。

 

 ゆえに強肉弱食……不自然なる反転現象は有り得ざるがために人が描く幻想(ユメ)として物語上でのみ成立を許されている法則だ。

 物語の消費者たる現実の人間が「これは物語である」と認めるのが何よりの証明。多くのドラマをフィクションとして認める諦観が、無言の内に真実を語っている。

 

 だからこそ──神に逆らい、殺害せしめる。

 そんなものは挑戦ですら無い無謀として語られるのである。

 

 そも神とは前提として人より優れたる存在。

 人が理解できない現象として名乗り、人が敵わない道理の理由となり、人々が人々を超えうる存在として認め、定めた法則こそが神という名であり、存在である。

 

 ゆえに大原則として人間では神には及ばない。

 何故ならば他ならぬ人々が自ら認め、定めたのだから。

 

 如何なる才能、如何なる努力、如何なる知力の限りを尽くしても定められたルールを超えることは敵わない。

 武芸百般、冥府魔導……いずれの達人にしても所詮は人の延長。

 そして人の延長線に居る限り運命には逆らえないのだ。

 

 ならばこそ──彼らは例外として数えられる。

 

 武勇と知勇と勇気の限りを尽くし、極限難易度の大偉業を成した者。

 ゼロに近い可能性を手繰り寄せ、法則(うんめい)を跳ね返した桁違いの戦士たち。

 

 死よりも苦しい飢餓の中で、それでも生に執着する出来るほどの執念。

 

 自己を何者をも凌駕すると信じ切り天地に勝る者なしと豪語する自信。

 

 如何なる絶望、窮地にあって尚、己は死なずと信じて疑わぬ楽天思想。

 

 神をも恐れぬ好奇心と飽くなき探究心で以て全てを暴かんとする不遜。

 

 己こそが正義であると信じ込み、神の正義に背を向け抗い続ける傲慢。

 

 一念鬼神と人ならざる領域を望み、窮極にまで自己を研ぎ澄ます怪物。

 

 人と同じ形を取り、人と同じ道理を解し、しかして己こそが至上無二と疑わずに絶対遵守の法則を歯牙にもかけずに踏み越え者。

 あらゆる大前提を覆し、人類の延長で在りながら人類を遙かに凌駕せしめた個人。

 そんな者は、もはや人間とは呼べまい。

 法則に反する恐ろしき者である。

 認めがたく許されざる者である。

 人にありながら人に在らぬ怪物──個人の我と情熱が招く窮極の傲慢。

 同じ人すら抗い得ない、神すら殺す存在はもはや人とは呼ばぬから。

 

 ゆえに人々は語る、恐れと共に。

 ゆえに人々は拝す、畏れと共に。

 

 彼らこそ神殺し(カンピオーネ)──法則(運命)に相反する魔王であると。

 

………

……………

……………………。

 

 帰宅し、ゲームの起動スイッチを押す。

 そんないつもの日課をこなしていた時であった。

 

 凶報は突如として日常に舞い込んだ。

 

『閉塚さん、大変です! 『まつろわぬ神』が現れました!』

 

「ん、甘粕か。言われなくても知ってるよ」

 

 携帯電話の向こう側から響く焦燥の声に衛は緩慢と応じる。

 異郷より現れた件の神とは既に顔を合わせた。

 ゆえに己のやるべき事は終わったと考えている衛は、いつものようにゲームプレイングへとその意識を九割がた画面の向こうに飛ばしている。

 

 正史編纂委員会より定期的に「ご機嫌取り」の一環として渡される金銭を元手に本日買い漁ったゲームを起動する片手間、甘粕に言葉を返す。

 

「つーか、さっき会ってきた。今更、対処を頼まれる理由はないぞ」

 

『なっ! ……そうでしたか。流石は神殺しというべきですねェ。宿敵に対する対応が早い』

 

「偶々だよ。こっちの索敵範囲に引っかかったんでな。というわけで俺はさっき買ったばっかの初回限定版店舗特典付きのコイツで高みの見物させてもらう」

 

『通り名を裏切らない自堕落ぶりですね。全く羨ましい限りです。金沢に続き、こちらはこちらでアテナが現れたと各所から連絡が入り対応に困って……』

 

「ん? 金沢? どういうことだ?」

 

『え?』

 

 互いに疑念の声を挙げる。

 そして両者は事ここに至って、話が噛み合っていないことに気づいた。

 衛は件の神をアテナだと認識し、甘粕は新たに現れた神にまつわる話だと誤認した。

 

 だからこそ続く言葉で衛は己の失態を悟った。

 

『……ですから、東京に出現したアテナに続き北陸方面に現れたもう一柱の『まつろわぬ神』についての話では?』

 

「……甘粕。それ初耳だわ」

 

『何ですって!?』

 

「チッ、迂闊だな! アテナの他にもう一柱いやがったか……!」

 

 痛烈な舌打ちをしながら衛は己が第一権能を発動し、精査する。

 通称・城塞とも呼ばれる衛の第一権能。英国の魔術結社『賢人議会』に曰く、『母なる城塞(ブラインド・ガーデン)』と名付けられた権能の本質は如何なる攻撃をも通さぬ地母神の防壁というべきものだが、城塞と名乗るだけあってその機能は防御のみに限らない。

 

 大地の霊脈を通して土地に結界を築く、大地の霊脈を通じて土地の異変を感じ取るなど守りに関しては汎用的に効力を発揮するのだ。

 実際、衛も日頃はセンサーという呼称で自身の身の回りの異変をすぐさま察知できるようにしている。

 本気を出せば日本全域に感知網を巡らせ、国内で起こる異変を感知し、速やかに危険を排するべく行動を起こすことも可能だ。

 

 全宇宙を統べた神、ウラノスの目で以てしても見出すことが出来なかった庇護を約束する堅牢なる地母神の城塞はこと守りに関しての能力に隙は無い。

 

 失態を自覚した衛はすぐさま、大地を通じた感知領域の範囲を拡大し……。

 日本に現れたもう一柱の脅威を捉えた。

 

「位置は北陸、金沢の辺りか? ……どうも俺にしては珍しく事が穏便に上手く行き過ぎるとも思ったが。首都でこんだけの騒動が起きてるのに俺が何のトラブルにも巻き込まれないとは珍しいと思ってた矢先にこれかよ」

 

 己の間抜けさに思わず乾いた笑いを漏らす。

 

 ……神殺しとは、神と同じく身じろぎ一つで騒ぎを起こす宿痾を持つ。

 運命によって定められた神の道理に背いた者に平和な日々を送ることなど許されない。強者の宿命として神殺しは、神殺しとなった瞬間から波乱の下に生涯を送ることを定められているのだ。

 運命は反逆者に容赦はしない。

 彼らに災いを常に齎し続けるのだ。

 

「オーケー。現状は完璧に把握した。あとはこっちで適当に対応するんで、こっちの方は任せろ。例によって街は幾らか滅茶苦茶になるだろうがそこんところは許せよ──っと、うるさッ!?」

 

 『まつろわぬ神』との激闘を予感しウンザリしながら、衛はこれから戦いの犠牲となるだろう北陸の街に対する形式美的な謝罪を口にしようとし、

 ──突然、耳元でけたたましく鳴り響いた警報に思わず携帯電話を引き剥がす。

 

「何事だよ……あ?」

 

 携帯電話の画面に浮かぶ文字は「緊急地震速報」。

 それが伝えるのはこれから向かわんとする北陸で起こった災害だ。

 

「金沢で震度七の地震……おい、まさか……!」

 

『……こちらも来ました。どうやら大地に属する神、地母神か何かの仕業か既に派手に暴れているようですね』 

 

「みたいだな……ったく、迷惑を考えろクソが。何を目的に暴れているかは知らんが、人様の土地を荒らしてといてタダじゃあ済まさねえぞ。……あとついでに俺の至高の時間を邪魔しやがって……ッ!」

 

『……私怨の比重が多いですねェ』

 

 明らかに後者の理由の方が呪詛混じりなのを聞き取って甘粕は呆れる。

 この王は確かに神を殺すほどの覇者ではあるが、同時に怠惰なロクデナシでもある。

 基本的に目に見えた大義などよりも私情の方が優先順位が高いのだ。

 

「つーか、なんでコイツは一人勝手に暴れてんだ? まさか連中特有の突き抜けた発想で大地を侵す人間共に天誅をだの、示威行為として手始めに大地を揺らしただの、馬鹿げた理由で暴れているんじゃ無いだろうな……」

 

 神の思考と発想は往々にして人間には理解しがたい者。

 今までの経験則から衛は嫌そうに暴れる神の動機に予測を立てる。

 

 過去には「旅人が行く道行きの困難さを忘れ、愚かにも神の加護を忘却した人類に再びその過酷さと道程を護る神の偉大さを思い出させる」などと言って、既存の移動手段を片っ端から排し、文明を後退させようと目論んだ神も居たのだ。

 アレは極めつけの部類であったが……ともあれ、往々にして『まつろわぬ神』がその権能を以て暴れる理由など碌なものでは無いのである。

 

「まさかとは思うが、実はもう一柱『まつろわぬ神』が顕現していてソイツと戦っているとかじゃないだろうな……?」

 

『それは流石にまさかでしょう。一度に三柱もの『まつろわぬ神』が出現したなんてきたらそれこそ悪夢も悪夢ですが、その場合は現状以上の大騒ぎになっています……ですが、確かに衛さんのいう通り、相手も無しに無作為に力を振るうとは珍しい。単なる災害を化生した神が現れたのか、それとも力を振るう理由が…………あ』

 

「……どうした? 心当たりでもあったのか? 管理している神器があったとか」

 

『あ……ああ、いや、ですが確かに彼女は……だとすれば、もしかして…………!』

 

 何か思い当たることがあったのかブツブツと何事かを呟く甘粕。

 心なしか、その口調には恐れにも似た色が滲んでいた。

 ……やがて、思考が纏まったのか甘粕は慎重に言葉を切り出す。

 

『……閉塚さん、いいですか? 落ち着いて聞いて下さいね?』

 

「何だよ、急に。多生苛ついてはいるが俺はキチンと落ち着いてるぞ?」

 

 甘粕の慎重な様に思わず衛は心外だと口を尖らせる。

 別に愛国心など無いにせよ、自分の住まう馴染みの国に手を出されて多少、苛立つ部分もあるが、怒気を覚えるほど『まつろわぬ神』に昂ぶりを覚えている訳では無い。

 元来、率先して闘争を望む質では無いのだ。

 なので多少のおいた程度で正気を失うほど自分は激情家じゃない。

 

 言外に衛はそう思ったが、しかし──甘粕の懸念はそうではなかった。

 元より、現在自国の守護を担う王の気質が戦闘狂からかけ離れたものであることは、正史編纂委員会という組織全体において周知の事実。

 平時は怠惰かつ穏便な年相応の青年であることに疑いは無い。

 

 問題は──甘粕の想像通りならば神の所業が、衛の基準においておいた程度では済まないという点だった。

 

 甘粕は知っている。

 今、『まつろわぬ神』が出現したであろう場所にはとある少女が訪れていることを。

 甘粕は知っている。

 少女の性格を考えれば、少女が『まつろわぬ神』に立ち向かわんとすることを。

 そして甘粕は知っている。

 このおおよそ闘争とは無縁そうな非好戦的な青年が……こと身内と定めたる人物の理不尽に対しては義憤と激情を露わにし、ことを撃滅するまで止まらない苛烈な王であることを。

 

 だからこそ甘粕は唾を飲み込み、覚悟を決めて自分の予測を伝える。

 願わくば守戦の王が冷静であることを。

 頼むから暴走しないでくれと。

 

『……現在、北陸方面には姫凪さんが向かっています』

 

「────…………」

 

『元々、馨さんを始めとした現在の正史編纂委員会の体制を良く思わない不穏分子が確認されていたため、これを事前に対応すべく姫凪さんに協力していただいていたんです。もしかしたら、此度の『まつろわぬ神』の出現は件の不穏分子が関係している可能性があるかもしれません。その場合、姫凪さんの性格を考えるにもしや被害を食い止めるため交戦を──閉塚さん?』

 

「……は」

 

 笑う。幾分か嘲笑を孕んだ笑い。

 それが誰に対するものであったかは分からない。

 だが、もしもこの場に甘粕がいれば思ったことだろう。

 

 こうも──戦慄を覚えさせる笑みがあるものかと。

 殺意が膨れ上がる。闘争心に火が点る。

 周囲に生命が在れば、変調を来すほどの圧が空間にのし掛かる。

 バチリ、と衛の内心を示すが如く。

 無意識下に静電気が衛の体を這い回った。

 

 そして怠惰な顔から穏やかさが消え失せ、激情が迸った。

 

「──旅人が、商人が、医者と詐欺師と牧師が、汝の多様な知恵を授かるため今か今かと焦がれている。諸人に狡知の知恵を授けんがため、我は風となり詩となりて衆生を導く伝令の言葉を告げる」

 

 それは力を解放するための呪文。

 衛は何の躊躇も迷いも無く、内に秘めた尋常ならざる呪力を解放し、言霊を口ずさんだ。それは様々な顔を持つ旅路に加護を齎す神、まつろわぬヘルメスより簒奪させめた第二の権能。

 賢人議会より『自由気ままに(ルート・セレクト)』と名付けられた第二の権能が問答無用に発動する。

 

 『ちょ、閉塚さ──ッ!!?』

 

 もはや甘粕の声など置き去りに王は目的を遂げるべく行動を起こす。

 そう、彼は怠惰で非好戦的な守戦の王。

 自ら挑むことを良しとせず、戦を厭い、煙たがる者。

 なれど一度、自らが線引いた領域が侵されたとき──彼は苛烈に変貌する。

 

 仲間を、友人を、知人を──自らの隣人たる誰かを。

 傷つけ、虐げる存在を許しはしない。

 全ての理不尽を粉砕すべく、覇者たる本性が目を覚ます。

 

 ──ヘルメスの権能。その力は距離の縮地。

 

 神や神殺しが行使する『神速』と呼ばれる技能が「移動時間を短縮することによって目的地点まで一瞬で移動する」時間短縮にまつわる力であるならば、こちらは「距離という概念を歪めて、移動距離を短縮させる」力である。

 速く動くことに主眼を置くならば『神速』には劣るが、速く目的地点に到着する事に関しては『神速』に勝る移動の権能である。

 制約として遠距離を移動するためには「交通」の要となる駅や空港などの移動拠点とも言うべきターミナルでなければならないなどと縛りは存在するが……。

 

 国内を動き回る程度ならば、発動に何ら問題は無い。

風が舞い上がる。そして次瞬──周囲の景色は一変していた。

 暗い自室から金沢上空に、一瞬にして衛は躍り出る。

 

「ッ……!」

 

 上空から見下ろせる風景は端的に言って、被災地だ。

 群を成すビルは悉くが土煙を上げて崩れ落ちており、それによって齎された大被害に今も人々の怒声と悲鳴が街中に飛び交っていた。

 加えて建築物の大規模な倒壊と道路の地割れにより、事故を起こした車両が道路上などで炎上し、それが火種となって各所に火災という二次被害がばら撒かれている。

 老若男女問わず、街で暮らしていた人間全てに降り注いだ理不尽な悲劇に、衛の瞳は不機嫌に揺れ、いっそ元凶への怒りを燃やした。

 

 そして金沢の街を旋回するように街の様子を見渡す瞳が、遠く、ガラクタのような街並みを舞台に、元凶たる『まつろわぬ神』を前に命を燃やさんとする桜花の姿という状況を捉えた時点で──赫怒の色へと変わる。

 

 「母なる愛は幼子を守る盾! 実り豊かな大地を統べる母神の唄は幼子の泣き声を遠ざけ、閉ざし、安らぎ齎す子守唄……眠る幼児を母神は愛で包み込む! ここに絶対無敵の揺り篭を象らん!!」

 

 雷撃が落ち、災禍の街を照らす──以って此処に死たる病みは飛散し、母なる守りが弱きものたちを一切平等に守護する。

 その最中に女神は空を仰ぎ見て、神殺しは大地を睥睨する。

 

 交錯する瞳。女神は強かに笑い、神殺しは勃然と見る。

 

「──は、成る程な。そこな巫女の危機に駆けつけたか、我が宿敵」

 

「お前、俺の身内に手ぇだしたな……?」

 

 喜悦と激怒が交錯し、神と獣は宿敵の姿を捉えた。

 

 ──ゆえに此処に決戦を。

 林檎を投げれば地に落ちてくるように。

『まつろわぬ神』と神殺し。

 どちらかが命を落す時まで雌雄を決するが天地が定めし道理ゆえに。

 

 

 

「衛さん!?」

 

 雷を伴って現れた衛に思わず声を上げる。そしてその声を聞いたのか、衛は不機嫌そうに桜花を見て、その隣にふわりと降り立った。表面上はいつもと変わらない彼だが、渦巻く膨大な呪力と両脚に身につける蒼天のような具足が神殺しとしての閉塚衛であることを喧伝するように在った。

 

 そうして降り立った衛は―――ポコリと、桜花を叩いた。

 

「痛い!? いきなり何するんですか!?」

 

「何するんですか、じゃねえよ。お前今「神がかり」使おうとしやがったな? アレは使うなってあれほど言っただろうが」

 

 どうやら不機嫌は『まつろわぬ神』のことだけではなく桜花の行動にもあったようだ。―――特殊な理由で『神がかり』を手にした彼女のそれは日本に居るもう一人の『神がかり』の巫女、清秋院恵那とは些か事情が異なる。

 

 使えば身も焼く(・・)。諸刃の剣。文字通り自滅も覚悟した切り札も切り札である。実際、嘗て一度だけ披露したときには死に掛けたし、衛の力が無ければ下手をしなくても死んでいた。その折に衛に珍しく強い口調で言われたのだ「二度と使うな」と。

 

「で、ですが『まつろわぬ神』を前にして手札を隠している余裕は……」

 

「知るか。アレを倒せてもお前が重症じゃあ本末転倒じゃねえか」

 

「私だって剣士です。『まつろわぬ神』に対抗するためならば怪我なんて」

 

「怪我じゃすまないだろうがアレは。城塞がなかったら死んでたんだぞ? 俺は神を殺しちまったが中身は平々凡々なままでね。友人の死に目なんか見たらオルフェウスよろしく蘇えらせられる権能を入手でもしようと暴れ狂う自信があるね」

 

 一度、大切な者の死を看取った。『彼女』は人で無く神であったが、優しく温厚で、死の間際ですら最後まで衛のことを考えて逝った。その時の胸の空白はどす黒い感情に任せ、かの神に復讐を遂げた今でも晴れていない。その虚無、その痛み、二度も味わうつもりはさらさら無い。

 

「大切な身内が傷付くところを自傷であろうが見たがるものかよ。それが女であるなら尚のこと。ヒーローは男の特権だ……男女差別うんぬんの不満は後で聞くんで大人しく護られてくれよ、ヒロインさん」

 

 ゆえに……アレは殺す。『まつろわぬ神』、人に災いを齎す禍。友人を傷つけられて黙っていられるほど衛は優しくない。否、友人を傷つけられたからこそ、神すら殺すと牙を向くのだ。

 

「……ってどうした? 黙りこんで……どっか怪我したか」

 

 桜花をして黙り込んでしまうほどの怪我を負わされたのかと衛の怒りに拍車が掛かる、が対する桜花は頬をやや赤らめて、半眼に口を尖らせながら言う。

 

「不意討ちです」

 

「は?」

 

「卑怯です。横暴です。普通こういう場面でそういうこと言いますか…」

 

「何言ってるんだお前? やっぱ怪我したか?」

 

「分からないんならいいです。はい、大人しく護られるので、大言壮語を吐いたならキチンと有言実行してくださいね私の勇者(ヒーロー)さん」

 

「おうさ、任せろ……!」

 

 疲れたような呆れたような、だがちょっと嬉しそうという複雑な感情で桜花は衛に激励を送る。その激励を背に衛は再び天へと駆け上がる。そうして十数メートルの距離を置きつつ、ダヌと同じ視点に立つ。

 

「親しい者との逢瀬は済んだか? ―――汝とこうして出会ってしまった以上、雌雄を決せねばなるまいよ。《蛇》取り戻すまでならば見逃すも吝かではなかったが、こうなっては是非もなし、今生の別れを済ますまでは我も剣は向けまい」

 

「その親心ありがとよ、名前も知らない女神様。既に知っているだろう通り俺は神殺し、閉塚衛だ―――さっそくだが、死んでくれ」

 

 全ての母を自称するだけあってその笑みは真実、慈愛に満ちた穏やかなものであった。だが、その慈愛を一蹴するように普段の衛からは想像も出来ない恐ろしく冷たい声で応じる。そして、唱える。女神を討つ為の言霊を。

 

「王位を簒奪されんとするため天空統べる大神は我が子を殺さんと牙を向く。母なる愛よ、下賤な父からいずれ偉大となる者を護りたまえ!!」

 

 放電。壮絶な電力が人のみである衛から放出される。黄金の雷光は天地に響く轟音を立てて、次の瞬間一つの形を取っていく。

 

 山羊だ。全長をして約二十メートル高さ十メートルを超える巨躯。絶え間なく放電しながら実体を持たぬ巨大な山羊が蹄を鳴らしながら衛の傍らに君臨した。

 

「ぬ? その権能……そうか汝は我と同じ旧き女神を仕留めた神殺しか! 成る程、ならば尚のこと……決して負けられぬよなッ!!」

 

 慈愛の表情は消え、獰猛に吼える女神ダヌ。宿敵を見出した女神に最早、加減は無い。女神の呪力が吹き荒れる。身の程を知れとばかりの膨大な猛りは雷撃により生命を取り戻した大地を速やかに病ませて往く。

 

 それだけに飽きたらず、地上を暗闇に変えた暗雲はいっそ黒さを増し、ゴロゴロと雷の気配を漂わせる。嵐の気配に度を越えた湿気で空気は澱み、霧もまたその濃さを増す。

 

「往くぞ! 神殺し、一手で散るなど興を削げる無様は見せてくれるなよ!!」

 

 叫ぶと同時。病んだ風が吹き荒れる。常人ならば一息で重体、二息で死せる病の呪詛だ。《蛇》の神格たるダヌは死もまた統べる。死の概念を濃縮した風は病と言う形で現出し、桜花に振るわんとした死の呪詛である。

 

 ―――病とは目に見えぬ脅威である。古の人々は病を時に神の仕業と考え、畏れたという。日本にも疫病神という言葉があるように医療技術が拙かった時代では病める事即ち死であったのだ。時にもののけ、時に妖怪、時に悪鬼と、民間信仰に寄り添う形で古代から病は神の齎す災禍としてあった。聖書においてすら世紀最悪の世界流行(パンデミック)黒死病(ペスト)などが恐ろしき死神として神格化されている。

 

 病める事、即ち死。神殺しであろうと身体は人。病めるし重篤に死ぬ。病とは未だ人が神を見る数少ない信仰概念の一つである。身の程を知るがいい、神ならざる不信仰者。神代の息吹は未だ健在なり!

 

「―――遅ぇよ」

 

 だが、それを一刀両断するように黄金の光が闇を切り裂いた。

 

「なにっ!?」

 

 黒い颶風を切り裂いて黄金が女神の下へと駆け抜ける。神速の一撃をダヌは辛うじて反応し、避ける。病みの風は既に無く、雷光が霧の中に在って燦々と輝いている。

 

 そして一度で終わらない。轟! 轟! 轟! と猛り吼えて雷光は突き進む。雷放つは山羊の化身。攻撃に顕身した城塞の権能は主の命を聞き届け、大地を病みに落した女神に怒りの露わに咆哮する。

 

『Kyiiiii―――!!』

 

「ぐう……!」

 

 迫る迫る迫る。神速を伴う一撃は生易しい回避は許されない。神速の雷は対応困難。にも関わらずそれが機関銃かくやという怒涛の勢いで撃たれるのだ。如何にその身が強大な女神であれ、ダヌを持っても簡単に跳ね除けられるものではない。

 

 ……加えて此処に相性があった。ケルト、インド神話に名を連ねる女神ダヌであるが、インド神話におけるダヌは時に息子ヴリトラと共に討たれることがある。誰もが知るだろう神々の王、最古に類する英雄神インドラの手によって。

 

 インドラに討たれる宿命にあるヴリトラとその母たるダヌ。その縁が神話より出でたまつろわぬダヌにも及ぼしているのだ。インドラはその武名を雷に縁付けられる神だ。その属性は《鋼》。《蛇》たるダヌには極めて有利に働く。ヴリトラ諸共攻撃されたという神話も相まって、雷という武器は女神ダヌに対して相性の良い武器となる。

 

「なんたる威力! その力忌々しいが賞賛しよう! その威光はかの英雄神に匹敵するものであると!! だが……その力はインドラめと違い《鋼》に在らず!!」

 

 そう、女神アルマテイアより簒奪した力はダヌと同じく《蛇》の力。豊穣を齎す雷こそがこの権能の本質だ。ゆえに―――相性が良い、とはダヌにも通じる。

 

 雷がダヌを射抜かんと突き進む……刹那、漂う霧がダヌを守るように結集する。雷は構うものかと突き進むが濃霧に触れた途端に勢いを失い、さながら枯れ落ちる花の如く雲散霧消してしまった。

 

「雷を消した……いや、減衰させたのか。生命を流転させて死を招く……地母神に纏わる力……!」

 

「応とも! その力、受けてしまえば脅威だが、それが我と同じ《蛇》に類する力ならばやりようはあるとも」

 

 悠然と微笑むダヌだが、その内心は穏やかではない。雷……いや、この場合は稲妻か。それはダヌが武器とした病と同じく、最も親しい信仰としてあったものだ。アメリカの偉大なる科学者によって人の手に収まるものとしてその信仰を衰えさせたものの、神という存在の力を示す象徴として古来から雷は信仰されてきた。

 

 日本でも強力な《鋼》の武神で建御雷神。学問の神にして祟神の姿を持つ天満大自在天神こと、菅原道真など強大な力を持つ神は雷に伝承を持つ。ダヌの属するインド神話では先に上げたインドラが。世界で最も有名なギリシャ神話では神々の王ゼウスが強力な雷を武器とする。雷とは”神鳴り”。この超自然現象は未だに多くの信仰を得ている。

 

(稲妻を司る地母神。来歴は間違いなく旧い、それも武神としての側面も備えておったな……?)

 

 雷は力の象徴。絶対的な力の信仰として多くの武神に取り込まれた。ならばあの権能は旧き時代の女神、それも武神としての顔も備えた多くの信仰を得た地母神……!

 

「とはいえ、思考に浸る余裕はないか!」

 

 唸りを上げて迫る稲妻は未だ以って勢いを落すことは無い。寧ろ、霧に消えると分かってからは回転率が上昇し、一息の間に二十数の稲妻が濃霧の防壁に突き刺さるほど。単純な威力に任せたゴリ押しは守らねば殺傷に足るゆえ守りを取らされているダヌにそれだけで優位に働く。

 

「だが、知っているか。神殺し、攻撃に注力しすぎると痛い目を見るぞ?」

 

「ッ!?」

 

 濃霧の奥でダヌは笑い、杖を呼び出す。そして一振り。杖の呼びかけに応じるように濃霧の彼方、衛に突き上げるような地震が襲い掛かる。例えるなら大型の直下型地震。轟音を伴った揺れに思わず衛は驚愕と共に地を見下ろす。空中に浮いている衛は地震の影響を受けないが、桜花は違う。既に姿無く、恐らくは巻き込まれないように離れた位置で事の推移を見送っているのだろうが、それでも彼は意識を逸らした。その力は常に護るために、それが衛の強みであり、弱みでもあった。

 

「ハッ、余裕だな! 神殺し!!」

 

「ッ、しまった!」

 

 いよいよ『まつろわぬ神』の性質を露わにしている彼女にもはや情け容赦はない。神殺しを仕留めるため桜花のみならず、この地に集う人々全てに対して天災となりえるそれをただの囮と使ったダヌは、さらに死を振りまく。

 

 光を遮る霧が渦巻く。女神の号令に伴い死の呪詛を纏った霧は地に満ち、生命の一切合切を塵殺するために病の毒で大気を満たす。

 

「チッ、いよいよ『まつろわぬ神』の本領発揮か……アルマ!! 諸共に吹き飛ばせやァ!!」

 

『Kyiiiii―――!!』

 

 主の声に雄々しい嘶きで神獣アルマテイアは応える。神獣の姿は掻き消え、稲妻にその姿を顕身する。次の瞬間、稲妻が大地を走った(・・・)。蛇行するようにして地面と平行に街々を駆け抜ける雷光は速やかに病める霧を一掃してゆく。

 

「手元が疎かだぞ!!」

 

 そしてその隙こそを女神は穿つ。『神速』かと誤認するほどの速度で衛に肉薄するダヌ。成る程、稲妻を携え、その怒涛の威力のみで圧倒する神殺しは強い。が、一辺倒にも見える攻撃は一つの逆転を露見させている。……即ち。

 

「分かるぞ神殺し! 貴様……稲妻(それ)しか攻撃手段を持ち合わせていないな!?」

 

「………!」

 

 見惚れるような強気な笑みを浮かべ言い切るダヌに衛は無言で厳しい表情を取る。ダヌの言葉、それは真実であった。二つの権能が内、一つは『旅』の権能。その力の利便性と汎用性は女神アルマテイアの稲妻の権能ばりに優れているが、直接的な攻撃に使えるものではない。

 

 天を駆ける力、遠くへ一瞬で移動する力と移動に関するものであれば幾らでも応用が利く。しかし、移動においてのみ汎用性を発揮するその権能では直接的な攻撃には繋がらない。

 

 そして唯一の攻撃手段である城塞の権能は基本を守りとした権能である。生と死を司るために高い不死性を保有する女神であって尚、脅威と断じる稲妻は十分に攻撃手段として応用できるものの、出来ることは稲妻を放つことのみ。神速怒涛の稲妻とはそれのみでも十分な脅威となりえるが、決戦するほどの威力を持ち得ない。要は決め手に欠けるのだ。

 

「神々すらも煙に巻け、言葉豊かな伝令者ッ!!」

 

 ダヌは衛を仕留めんと得物の杖を振り下ろす。神殺しの中でも最も、肉体技を不得手とする衛ではその土俵に立つことは難しい。ゆえに逃げる。第二権能『自由気ままに(ルート・セレクト)』は遠方に一瞬で移動する、天を駆ける能力だけではなく、限定的な空間転移すら可能にする。

 

 原理は遠方に一瞬で移動する能力と同じく距離の概念を歪めて発動する。A地点からB地点までの移動距離を縮め、さも一瞬で移動するように見せる技だ。『神速』と異なり、駆け抜けるのではなく、到達する技であるため、『神速』を見切るような優れた術者でも妨害することは出来ない。

 

 欠点として、移動先地点を予め予想した攻撃に対処は出来ない。最長移動距離は三十メートルそこら。AとBを繋ぐ距離を歪めて移動するため、AとBを設定していないと発動しない。もう一度、使うときは今居るA地点とB地点を再度設定しなくてはならないなどとある。

 

 開幕から衛が立ち位置を変えなかった理由はそこが衛の設定したA地点であるから。そこから一歩でも動けば再びそれを起点に設定しなければならず、その間に咄嗟の移動は出来ない。不意討ちに備えた能力が不意討ちに使えなくなることを避けるため、衛は立ち位置を変えなかったのだ。

 

「旅に類する権能か! 見えんな……その力、瞬間移動か! だが、果たしてそれは連続して使えるか!?」

 

「いや、一瞬あれば十分だ……!」

 

 杖が空を切るなり、すぐさま反転して背後に現れた衛を追撃する。……どうやら視線の動きで移動先を悟ったか。対応が早い……だが、追撃するには遅い。

 

「幼子を護る揺り篭となれ! 母なる者よ、汝は無敵の盾である!!」

 

 槍のように杖を突き刺さんと振るダヌ。だが、その一撃が届くより早く神速の稲妻は守りを構築していた。稲妻から鎧へ。雷光纏った衛に杖の一撃は通らず重い手ごたえが返ってくる。

 

(速い……! 駆けつける速度も顕身も! これは行動一つ一つが『神速』で構築されておるのか……!)

 

 稲妻の威力もそうだが、守りも堅牢……否、守りが堅牢ゆえに攻撃に移ると桁違いの出力となりえるのだろう。加えて、神獣アルマテイアの行動の速さだ。稲妻こそが本来の形であるゆえに肉体の制約を受けないその行動は一つ一つが『神速』。それも蛇行などを見るに相応の柔軟性も兼ね備えている。コントロールが難しいのが『神速』の特徴だが、使うものが人でもなければ肉体も持ち合わせていないのだから弱点が無いも同然。遺憾なくその性能を発揮する。

 

「攻撃に注力すると痛い目を見る……その言葉そっくりそのまま返してやる!」

 

「……ッ、ぬかった!!」

 

 いっそバチバチと帯電する衛。直接、杖にて攻撃したがため両者の距離は極めて近距離。加え、濃霧の霧から脱し、攻撃に訴えた以上、再び稲妻を減衰させる死の濃霧を展開するには一瞬以上の時間が必要で―――攻撃防御を一瞬で成す、神速怒涛の稲妻は一瞬が在れば十分だ。

 

「とばっちり受けた金沢市諸君の分も含めて……喰らっとけや女神!」

 

 放電。それも超至近距離での一撃だ。ダヌも流石は『まつろわぬ神』で、咄嗟の行動で回避をするが、もう遅い。無傷で難を逃れるには近すぎた。

 

「ぐっ、つぅあああああああああああああああ!!」

 

 一体に響く轟音と凄まじい絶叫。極近距離で女神ダヌは衛渾身の稲妻に直撃した。

 

「ッはぁ……はぁ……はあぁ、どうだこれで……」

 

 今すぐ崩れ落ちたい誘惑に駆られるほど衛は肩で息をしながら手ごたえに確信しながら女神を見る。一瞬に見出した勝機に賭け、全力の呪力を叩き込んで加えた一撃だ。攻撃手段が稲妻しかないとはいえ、その稲妻で十全に致死に足る威力は出せる。攻撃は単調で一辺倒になりがちだが、当たればそれで十分なのだ。

 

「―――まこと、忌々しい稲妻よな……よもや、ここまで追い詰められるとは……」

 

「―――しぶとい。くたばっとけよ、これだから《蛇》は嫌いなんだ……」

 

 しかし……そんな一撃を以ってしてもダヌは依然、健在である。とはいえ、流石のダヌも無傷とは言わず、その左半身は醜く焼け爛れている。片方に被害を傾けることで致死を免れたのだろう。全てを包み込むような母性を感じさせる美貌は汚れ落ち、万人が万人、見ればさぞ嘆き悲しむであろう。そんな重体において尚、笑みは優美に美しく、額に流れる汗ですら、彼女を引き立てるための魅力のように映る。

 

「とはいえ、今の一撃は痛かったぞ。……ふふ、ご覧の通りだ。やれやれ、無粋な男だ」

 

「悪いな。敵対者に容赦が出来るほど俺は優しくできちゃいない。やるんなら徹底する、やらないならトコトンと、二極に振り切れてるもんでね」

 

「成る程な。此処と決めた場面で後先考えない全力を発揮する……ふふ、古今、怪物退治の英雄は勝機に全霊を以って挑むモノ……神を殺した汝もまたその資格を持ちうるか」

 

 ダヌは重症で、衛は全力で息が上がっている。傷の加減はどうあれ、共に五体満足。ダヌは半身が焼けたとはいえ、豊穣を司るものとして完治とまでは往かずとも動かせる程度には回復できるはずだ。だが……。

 

「《鋼》を討つ。そのために我は舞い戻ったが……ふ、はは、なあ神殺し。名はマモルと言ったか」

 

「……あん? 今更、名を呼んで何を……」

 

「気が変わったぞ……汝は我を全力を以って仕留めんとした。その気概、なんと見事なものか。人は決定的場面でも躊躇うもの、なまじ中途半端に知恵を持つが故、完璧を勝機にあって疑心する。だが、勝機に全力を傾け、躊躇わず飛び込む汝は、戦士たるものの資格がある。我は全ての母であるがゆえに。この可能性を見間違うことは無い」

 

「……どういうつもりだ?」

 

 突然になって敵を賞賛しだす女神に衛は訝しむ。この期に及んでまさか命乞いか? ……それこそまさか。『まつろわぬ神』たるものがそんな無粋の極みをするわけがない。悪寒が背を通り過ぎる。静かな、いっそ穏やかな女神の態度が次の瞬間の災厄を予測させる。それはさながら嵐の前の静けさ。次の瞬間の噴火を待つ、緊張の静けさ。

 

「その可能性―――試したくなったぞ。神殺し、閉塚衛。旧き母神より簒奪した無敵の盾を持つものよ、汝がまこと、諸人を守る守護者であるならば、我が一撃、見事防ぎきって見せるがいいッ!!」

 

 叫ぶやいなや地震が大地を染め上げる。金沢に存在する人の文明を一瞬にして拭い去った脅威が再び牙を向く……否!

 

「これは地震じゃない……? 何か来る……女神、お前は!?」

 

「ダヌと呼ぶがいい。当代の神殺し!! さあ覚悟せよ。これぞ我が神名を賭けた全力ぞ!!」

 

 ―――唐突だが、ダヌという名前は雨を指す意味の名である。旧き時代より在るかの女神は水に対して由縁を持つ。《鋼》を鍛え、それに討たれる《蛇》の属性を持つ女神だ。だが……彼女が司るのは雨ではない(・・・・)。神話に曰く、インドラ神はヴリトラを討ち、雨期の恵みを切り開いた。ダヌは存在を「ヴリトラの母」と呼ばれながらも彼女を記した伝承は極めて少なく神話においても、時としてヴリトラはカシュヤパ仙の憎しみより出でたものとされている。では、彼女はいったいどういった女神なのか。アスラ族が一派ダーナヴァをも構成したほどに影響を与えた彼女は……。

 

 そうして、真の脅威が顕現する。彼らの戦闘区画(バトルフィールド)、ひがし茶屋街直ぐ近くを流れる河川、浅野川。そこに、衛は脅威の正体を見た。

 

「洪水……!?」

 

 考えられない量の水は周辺の建物を粉砕し、流れ……物理法則を無視した勢いで天を駆け抜け、ダヌの下へと集う。ダヌの身体が瞬く、刹那、その身は流水に消え、膨大な水量はやがて一つの形を取っていく……それは、

 

「………龍」

 

『GYAAAAAAAAAAAAAAA!』

 

 雷鳴かくやと轟く咆哮。悠然と天に浮かぶ龍。……それはさながら彼女と彼女の夫たるカシュヤパ仙が生み出したとされるインドラの敵対者。かの神々の王にすら討伐して尚恐怖を刻んだ最強の《蛇》。

 

「確かインド神話にはヴリトラとかいう龍が居たな。《鋼》が《蛇》を討つ伝承はごまんと存在している。日本人御用達のスサノヲとヤマタノオロチみたいにな。そしてインドにも全く同じ形式の伝承がある。それこそが、ヴリトラを討つインドラ。《鋼》が《蛇》を討つ神話形態……ペルセウス・アンドロメダ型神話って言ったっけ?」

 

 竜蛇とは地母神が落剥した姿だ。であれば、もはや疑うべくも無い。その母たる彼女のもう一つの正体、それこそが……。

 

「河川の女神、ヴリトラにその姿を落とした《鋼》を鍛える《蛇》の女神。それがお前ってか……女神ダヌ?」

 

『GYAAAAAAAAAAAAAA!』

 

 返答とばかりに咆哮する女神ダヌ、否、ヴリトラ。神獣アルマテイアの巨躯をも凌ぐ身に顕身した彼女はしかし、未だ水を取り込み続けている。

 

「伝承になぞれば海の泡で潰せるだろうが……その場合は晴れて水の恵みが降り注ぐんだよなァ。で、これって街壊滅フラグだよな?」

 

 暴走する河川の水量を取り込み続けるヴリトラを見れば事態の推移は予測できる。ヴリトラは太陽を遮り、恵みを閉ざす雲であったとも旱魃の化身であったとも言われる。インドラ神はそれを倒し、ことの真相はどうあれ水を大地に齎した。

 

 衛は神話の真実に興味は無い。果たしてヴリトラが旱魃であったのか雲であったのか氷であったのか、それを見出すのは退屈知らずの学者の仕事だ。だが、神話の流れとして共通しているのはヴリトラが倒されることによって水の恵みが齎されること。

 

「大地の豊穣、河川を作る権能か……神話通りに倒したら今度は金沢の土地が湖にでもなりかねんよな……」

 

 倒せでは無く、防ぎきってみよ。そういうことかとダヌの言葉に衛は納得し、頭を抱えた。

 

「それってつまり、内包する水量ごと吹き飛ばすか。河川一つ作る流水を防ぎきって見せるかしろってことかよ……」

 

 ダヌは余力を注いだ状態……即ち死に体。全力の一撃などを行なえば恐らくそれで力尽きる。単純に倒すだけなら彼女が全力を使い切る一撃を旅の権能で回避すれば良いだけ。しかしそれを行なえば金沢は何十万人といる人口諸共、河の底というわけだ。

 

「性格悪すぎるだろあの女神……!」

 

 城塞の権能の本質は攻撃には無い。先ほどダヌに放った渾身の影響で呪力も後先考えずに放出することは出来ない。あの水量を蒸発させ、ヴリトラを消滅させるほどの一撃はもう放てないのだ。

 

「問題は水の行き場だ。水量を防ぐことは出来るが……」

 

 ひがし茶屋街を守る城塞を展開しても他の区画に流れ込んでは被害を防いだとはいえない。しかし金沢全域に城塞を張り巡らしたところで内々にヴリトラが存在するのだから金沢市外部の街は守れても内部は凄惨たる光景になるだろう。火力が足らない、守ってもその後が無い。何より街には人が居て、桜花が居る、後退などあり得ない。

 

「さあ、どうするどうする、時間はないぞ?」

 

 ヴリトラが身を縮める。口を閉ざし、全身に力を入れ、今にも渾身の一撃を吐き出そうと、噴火直前の火山のようにその瞬間を待っている。急かすように言葉を紡ぐが……。

 

「幸いなのは水が川から持ち込んだものであることか。ダム見たいに、一箇所に纏めて後で川に戻せば……一箇所に纏める?」

 

 第一権能『母なる城塞』は守るための結界だ。鎧のように身にまとって攻撃を防ぐことも、はたまたドーム状に展開して攻撃を防ぐことも可能。身を守る城砦は稲妻、無形ゆえにその姿を変貌させることは自由自在。駆け巡る思考。何とか防ぐ手段は見えた。だが、持つか? 全力の攻撃を受け止めつつ、その水量全てを抑える(・・・)ことが?

 

「イメージはダムか? オーケー幸い何度か見学したことはある。山に囲まれた巨大な土地に水の流れをせき止めるコンクリートの城塞。いや、あんなんじゃなくて良い、ただ水量を留めておける空間があれば……ならいつものドーム状の結界でどうにでもなる。後はコントロールと根性となけなしの呪力で……いけるか? いいや往く!」

 

 どの道、下がれぬ袋小路。ならば挑む。幸い勝算はある。勝算なき戦いよりはよっぽど上等だ。やることは単純明快。ヴリトラの一撃ごとあの水量を押し留める……!

 

「最後の最後で結局、精神論(これ)か! 命懸けの勝負はどうしてこう、実力差以上に気合の勝負をご所望するかね!?」

 

 泣き言を洩らしつつ、衛は言霊を唱える。

 

「母なる愛は幼子を守る盾! 実り豊かな大地を統べる母神の唄は幼子の泣き声を遠ざけ、閉ざし、安らぎ齎す子守唄……眠る幼児を母神は愛で包み込む! ここに絶対無敵の揺り篭を象らん! ―――正真正銘、決戦だ……こいよ女神ダヌ!!」

 

「Gi、A、GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!」

 

 絶対城塞が現れる。それは衛の眼先、ヴリトラの進路を塞ぐようにして展開される。そしてその城塞に挑みかかるように吼え、蓄えた水量その全てを呪力と神力と共に撃ち放った。押し寄せる濁流はそれだけで街一つ滅ぼす龍のよう。これが神、これが天災。圧倒的力を以って人の世を簡単に乱し滅ぼす神威。

 

「うおォ、あ、がああああああああああああああああああ!!」

 

 ならば―――それに挑むはどれ程の恐れ知らずか。圧倒的暴威の流動。叩きつけられる呪力の波濤、しかし、絶対城塞は無傷。戦争に例えられる神殺し随一の火力持ちヴォバンの全力にすら耐え切った城塞は女神の全力を前にもやはり健在であった。しかし、耐えるだけでは終われない。

 

「どォ、せいいィ!!」

 

 展開した城塞壁をそのままヴリトラを囲む(・・・・・・・)ようにして展開する―――攻めるもダメ、守るもダメ、退避もダメとくれば最早手段はたった一つ。その脅威を押し留めるしかない!

 

「ぐっ、きっつぃな威力もそうだが時間経過で受け止め続ける水量も増し増しになるからな……!」

 

 いうなればこれは洪水を防ぐための治水だ。氾濫する水を治めるための作業。衛自身はダムと認識しているがやっていることは調整池のそれに近い。例に取るなら東京都。盆地であるゆえ大雨が降れば水に溺れかねない東京では、地下に調整池という空間を作り、一時的に水を溜める池として機能させるという。それにより水は地上に溜まらず、地下の調整池に流れ、被害は押し留まる。衛は内にも外にも絶対無敵となる城塞を利用し、それをドーム状にヴリトラを囲むようにして展開することで押さえ込もうとしているのだ。

 

「と、ま、れェ!!」

 

 水が外に流出しないよう、渾身の力で抑え込む衛。あと少し、もう少しだけ……!

 

「ダメか……!?」

 

 だが、ダヌに与えた一撃が祟っている。呪力の残りは既に空に近い。この後の維持を考えれば、これ以上の呪力放出は守りきった後の破滅を意味する。自身の敗北を予感して奮起するがこれ以上は……。

 

 ―――ああ、しかし。攻撃した側の衛が消耗を強いられたのならば、その全力を受けた側は命を繋いでいたとしてもそれ以上の消耗を強いられているが道理だ。

 

『ふむ。限界よ……我の敗北よな……』

 

「あ……」

 

 殆ど水に染まった城塞内。そこには既に龍は無く疲れたようにして笑う女神が居た。

 

『見事、体力勝負は汝の勝ちだ。汝の渾身、中々鋭かった。お蔭で祟ったな』

 

 焼け焦げた、重体に等しい傷を負った左半身から崩壊を始める女神。それが決戦の終わりを告げる証明であった。

 

『志半ばで終わったが……汝のような戦士と仕合えたのは唯一の幸運かな。インドラめとの決戦を思い出したぞ。忌々しい、だがそれでこその我が宿敵か……』

 

 その言葉を聞いて、衛はゆらりと力を抜く。無論、水を逃がさぬように完全に脱力するわけではないが、気張っていた緊張を解し、文字通りの全力で息も絶え絶えながら……女神を睨み、己の勝利を宣言する。

 

「ぜぁ、ハァ、見たか、この、……これでェ、俺の勝ちだ……!」

 

『ふ、は、ははは、あはははははは!! 満身創痍で良く言うものだ! 見ているがいい! 次に我と出会ったその時こそ、貴様(・・)の命運が尽きた時と知れよ? 精々長く生きろ! この我と再び雌雄を決するまではな!!』

 

 大笑を上げながら再戦を高々に宣言する女神ダヌ。胸がすくような気持ちの良い笑い声は虚空へ消えてゆき……女神ダヌは消滅した。

 

「二度とゴメンだ畜生……」

 

 残った衛はもはや聞こえないだろうその返答を、うんざりとした表情で告げる。




一万と五千文字……。
一気に書ききったから指が痛ぇ。

実際、書いていると思うけど、
常時一万文字書いているようなss作者ってなんなの?
人間やめてるの?

明日は腱鞘炎確定だな……。
ともあれ、原作一巻の時系列終わり! 以上! 解散!!

いや? まだ続きますけどね?

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